輝いています、ときの人 #129 アメリカンフットボール部「パンサーズ」主将 浅尾将大さん(経済学部4回生)
「浅尾を日本一の主将に!」目標に向かってチーム全員で掴んだ日本一
2009年1月3日、新春の東京ドームで行われたアメリカンフットボール日本選手権第62回ライスボウルで、
立命館大学フットボール部パンサーズが社会人代表パナソニック電工インパルスを13対17で下し、ライスボウルを制覇した。
左アキレス腱断裂で今季絶望と言われながらも、フィールドの外からパンサーズを指揮、
そして誰よりも応援し続けたパンサーズ主将、浅尾将大さん(経済学部4回生)。
今シーズン開始前に最弱だと評価されたチームを5年ぶり3度目の栄光へと導いた軌跡について、お話を伺った。
(2009年1月23日掲載)
Q

日本一おめでとうございます。浅尾さんがパンサーズに出会ったのはいつだったのでしょうか?

浅尾

僕は中学生の時、アメフトをしていた兄の影響でこの世界に入りました。初めはヘルメットの重さに苦戦したり、練習について行けなかったりと大変でしたね。ちょうどその頃、地元で立命館大学アメリカンフットボール部パンサーズの試合を見る機会があったんです。その試合で活躍していたパンサーズの選手たちの姿を見て、一瞬にして憧れました。今でもその時の印象が強烈に残っているほどです。この試合を見たことがきっかけとなり、いつか自分もこのチームでアメフトをやりたいと強く願うようになりました。その後、高校進学を経て、晴れて立命館大学のパンサーズに入ることができた時は本当にうれしくて「やっとここまで来れた」という気持ちでした。

 

いよいよパンサーズのメンバーとして戦えると思うとわくわくしましたが、入部してすぐ、高校までとの違いを痛感しました。大学での練習は今までのものとは全く違い、時間も厳しく、練習量もテンポもケタ違い。想像以上に大変で圧倒されてしまいました。そして、その中で練習を重ねていた先輩方はとても強く、僕が入部した2005年には関西リーグ制覇、そして学生日本一決定戦である甲子園ボウルにまで勝ち進んでいました。自分もチームのために何か貢献したいと思っていましたが、1回生の自分にはまだ力がなく、「ただ連れて行ってもらった」という気持ちが残り、くやしい思いをしていました。

Q

4回生になり、主将になられましたね。チームを日本一にするため、どんなことを意識されましたか?

浅尾

3回生のシーズンを終え、部内の投票で自分が次のキャプテンになることが決まった時、このチームを日本一にしようと決意しました。そう決意し、低回生を中心としたチームと初めて紅白戦をしましたが、その試合内容は見てもいられないほど散々なもので、強い危機感と焦りを感じましたね。そこで、まず練習でのミーティングを増やし、チーム内の意思疎通を徹底しました。また練習時間内のコミュニケーションだけにとどまらず、プライベートでも積極的にコミュニケーションを取り、4回生と低回生のメンバー同士の気持ちがずれないようにしました。その結果、徐々にチームの気持が一つになっていきました。

 

そんな時、毎年5月に行っている早稲田大学との交流試合でアクシデントが。この試合で、故障したメンバーの代理として出場したポジションで左アキレス腱を断裂してしまったんです。この時は、まだまだキャプテンとしての責任感や仕事がたくさんあったので悲しみを感じている暇はありませんでした。また、この療養中にフィールドの外からチームを見ることで、選手一人ひとりを客観的に見ることが出来たことは、とてもよかったと今となっては感じています。

 

そして怪我もようやく回復に向かい、長年の宿敵である関西学院大学との試合が近づき、リハビリを開始した10月、踏み込んだ左足から大きな破裂音が。病院に運ばれる時、何度も「断裂していませんように」と心の中で願いましたが、診断は2回目となる左アキレス腱断裂、今季絶望。チームメイトに涙は見せまいと我慢しましたが、家に帰った瞬間、悔しくて悲しくて、涙がボロボロとこぼれて止まらなかったのを覚えています。

 

 

 

Q

その辛い出来事から立ち直り、ライスボウルを目指せたのはなぜでしょうか?

浅尾

それはチームメイト、そしてファンのみなさんがいたからだと思います。僕が今季絶望だと分かったすぐ後の関西大学との試合(関大戦)では、チーム全員がフィールドに立てない僕の気持ちも一緒に背負って戦ってくれました。また、関大戦で僕がもう試合に出れないことを知ったファンの方々が、次の京都戦から「浅尾を日本一の主将に!」というスローガンを立てて応援してくれました。こうした周りの人の気持ちがあったからこそ、フィールドの外からキャプテンとして、なによりチームの一員として戦う決意をすることが出来たのだと思います。

 

ようやく迎えた宿敵、関西学院大学(関学)との試合。メンバーも関学に勝つことを1つの目標として練習してきただけあり、今までの全ての想いが入った良いゲームでした。しかし、関学に勝利し、一度完全燃焼してしまった部分もあったため、次の試合に移るための気持ちが少し緩み、改めて士気を高めるのに苦労しました。甲子園ボウルに向け「俺たちはここで終わるチームじゃないだろう!」とメンバーを奮い立たせ、法政大学に勝利し、学生日本一になることができました。

 

こうした戦いを終え、1月3日、社会人選手との試合で本当の日本一を決めるライスボウルを迎えることができました。対戦することが決まったパナソニック電工インパルスは、日本代表選手やパンサーズのOBも多く在籍している強豪チーム。ディフェンスもオフェンスも学生とは比べ物にならないほどの実力をもったチームでした。そんな強豪チームと対戦するにあたり、チームやメンバーが「ここまできたんだから」というあきらめの気持ちを持つことを一番恐れました。士気を高めるためにも「相手は強いが、どこかに隙もあるはず!試合はやってみないと分からない!気持ちの面だけでは絶対に負けないようにしよう!」と何度も何度もみんなに言い続けました。今まで何度もチームで話し合ったので、みんながついてきてくれると思っていましたが、全員の気持ちを一つにするためにも、4回生一人ひとりの顔を思い浮かべながらメッセージを書き、試合前日に渡しました。

 

そうして臨んだライスボウル。約34000人の観客が見守る中、今年のパンサーズの強みであるディフェンス力を生かし、パナソニック電工と互角に戦うことができました。最後のインパルスのパスは危なかったですが、必ずチームメイトが取ってくれると信じていました。そして日本一になれた瞬間、嬉しい気持ちが強すぎて、不思議なことに涙も流れませんでした。僕たちが実力で勝るインパルスに勝つことができたのは、一人ひとりが強い気持ちを持っていたからこそです。メンバーや支えてくれた方々が「浅尾を日本一の主将に!」と言って戦い、応援してくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいですね。この勝利は、選手やトレーナー・裏方として支えてくれたメンバーも含め、全員で掴んだものだと思っています。

 

私自身、今回の経験を通じ、「人の気持ちを動かす難しさ」を感じました。ただ、みんなに対してぼくが出来る事は、「良いものは良い、悪いものは悪い」と、嘘いつわりなく自分の気持ちを伝える事だと思い、ずっと実行してきました。今回、キャプテンとしてチームの気持を一つにするために自分が1年間やってきた事は間違っていなかったと今改めて感じています。

Q

最後に浅尾さんの今後の目標と、在学生へのメッセージをお願いします。

浅尾

僕の大学での4年間は「パンサーズ」一色でした。今まで一緒に戦ってくれたメンバーには、「ここまでついてきてくれて本当にありがとう」と言いたいですね。もちろん選手だけでなく、マネージャー・トレーナー・分析チーム、そして何よりも応援してくれた多くの方々にも感謝の気持ちを伝えたいです。

 

在学生で今、何をしていいのかわからないと思っている人もいると思いますが、強い意志をもって何かに打ち込んでほしいと思います。僕も小さい頃から胸に抱いていた「パンサーズで日本一になる」という夢が達成できました。そして、その目標が達成された今、また新たな夢を見つけました。今度は「社会人で日本一」になりたいと思います!ぜひ、みなさんも学生生活のうちに自分の芯を持ち、夢を追い続けてください。

アメリカンフットボール部パンサーズ、日本一への軌跡はこちら
Link ライスボウル
Link 甲子園ボウル
Link 関西リーグ戦最終戦(関西学院大学戦)
取材・文/川口菜摘(経済学部3回生)
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