アジア・マップ Vol.02 | 中国
《総説》中国の漢字改革と簡体字
はじめに
古書店で買った書道関係の書物の表紙裏に茶色に変色した新聞の切り抜きが貼ってあった。毎日新聞1955年2月12日の朝刊、学芸欄の記事である1。見出しは「象形から音標へ 新中国の文字改革をみる」である。「漢字簡素化の例」として78の漢字が元の文字と新しい例が挙げられている。そのあと小見出しは「毛主席の提唱」「三部に分かれる簡素化」「意味一つに文字一つ」の三つにわかれている。
「文字の国、中国が文字の煩雑さのゆえに、かえって学問に困難を感じ、文化の普及がおくれていることは事実だ」から始まっている。「事実だ」と言い切ってしまうことに違和感を感じるが、その内容をまとめると以下のようになる。
① 最終的に象形文字(漢字のことか)を音標文字にする。
② 過渡期として漢字を簡素化する。
要するに漢字をやめてしまって音標文字つまりアルファベットにする。その前段階で複雑な漢字を簡体字にする、ということになる。1956年に『漢字簡化方案』2が作られ、漢字簡化第一表230字、漢字簡化第二表285字、あわせて515字が実施された。そこでは文字を簡単にするだけでなく、「复(復複覆)」のように発音や形の似たものがまとめられている。そのあと「第二次漢字簡化方案(草案)3」で2000字程度の簡体字が考案されたが、それは廃案となっている。
漢字簡化第一表4
一、前島密の「漢字御廃止之儀」
前島密(1835~1919)は一円切手でその肖像を見ることができ、日本の郵便事業を創設した人として有名である。その彼が幕臣だった慶應二年(1867)、徳川慶喜に「漢字御廃止之儀」という、漢字をやめてローマ字にしようという書を上っている。明治になってからさらに、「興国文廃漢字議」明治七年、(1874)で、「今国字ヲ用フルハ直ニ羅馬字ヲ用フルニ如カズ」と述べている。日本の小学校では昭和22年(1947)からローマ字を用いるようになる。しかし、その発端はかなり古いといえる。
二、瞿秋白の文字改革案とアルファベット表記
瞿秋白(1899~1935) は革命家であるが、文字改革にも関わっている。彼は1929年に「中国拉丁化字母」を作っている。拉丁はラテンで、要するに中国語をローマ字、アルファベットにする、ということである。
中国には56の民族がある。人口の91パーセントを占める漢民族以外が55の少数民族である。少数民族のうち、独自の文字を持つものは8つ、その他は話し言葉だけで文字はない。そういった状況で独自の文字や民族ごとの話し言葉をアルファベット表記にしようとしたのである。そのなかで漢字もまたアルファベット化すべきだと考えられた。
実は中国語をアルファベット表記することはイギリス人のThomas Francis Wade(トーマス・フランシス・ウェード)(1818–1895)が1859年にすでに行なったものが有名である。これはウェード式と呼ばれている。しかし、本来、欧米人が中国語を発音するために作られたものである。そのため瞿秋白は中国人に適した方式を考えようとし、のちのピンインの原点となる。しかし、そののち、やはり漢字が大切だという論調が強くなり、歴史の中に埋もれてしまう。よって、「筆画が煩雑」「字数が多い」5という漢字の重大な欠点は解消されないままであった。
そのあと先に見たように毛沢東の主導という触れ込みで漢字改革が復活する。しかし、「ピンイン化と同時に漢字の簡単化を行なう6」という矛盾したことを行なうことになる。
三、幼稚園児の小民君が衛民君に改名したこと
40年近く前の話となるが、中国留学生の兄は幼稚園の頃に姓名の名の「小民」が嫌で「衛民」に自分で変更し、その後、その名前で生活しているという話を聞いた。「衛」だと複雑すぎるが、簡体字は「卫」である。たったの三画である。「卫」なら幼稚園児でも書けたのである。
なお「小民」は「老百姓(庶民)」の意味であるが、中国語の検索ツール百度では「小民们虽然力量微薄,但他们的团结和努力却能够推动社会的进步」と出てくる7。繁体字(旧字体)で書くと、「小民們雖然力量微薄,但他們的團結和努力卻能夠推動社會的進步」である。「庶民たちは、たとえ力が微弱であっても、その団結と努力によって社会の進歩を推進することができる」という意味で、「小民」はむしろ良い意味として捉えられている。実際、人名にもよく用いられている。しかし、「小」には「つまらない」という意味があり、「小民」によく似た「小人」は品性下劣なつまらない奴のことである。幼稚園児の衛民君は「小」のもつ悪いイメージを嫌ったのであろう。
なおこの例文を使って日本と中国で文字が異なるものを「簡体字・繁体字・常用漢字(1981年制定、2010年改定)」の順に並べてみる。
「们・們・なし」「虽・雖・なし」「团・團・団」「结・結・結」「够・夠・なし」「动・動・動」「社・社・社」「会・會・会」「进・・進」「步・步・歩」となる。このうち、いくつかを解説する。「们」の旁の「
」は「門」の草書体。画数が減るので簡体字となる。「们」は複数形を表す文字で、「他们」は「彼ら」である。「虽」は「雖」の部首「隹」を外したもの。これも画数が減る。「雖」は漢文でよく使われるが常用漢字ではない。なお簡体字・繁体字の「步」の下部は「少」ではない。日本の文字のみ「少」で一画多くなっている。
白川静『字通』8の「歩」
上図の甲骨文を見ると左足と右足を繰り出して歩いている様子である。本来、「歩」の上下は「左足」とそれを反転した「右足」であった。
四、中国語の教科書からみる簡体字とピンイン(拼音)
発音記号に近いものがピンイン(拼音)である。アルファベットの音を拼せるという意味である。
これは中国語の教科書『彩香と李陽9』第一章の冒頭に出てくる文である。上段が中国語の文、下段がピンイン表記である。「你」は「儞」と同じで「爾」と同じ。「あなた」の意味である。漢文風に言えば「なんじ」である。「吗」は疑問を示す文字である。「?」と同じ。これが付いていれば疑問文となるのだが、現代中国語では、「吗」の後ろにさらに「?」をつけねばならない。「あなたは中国人ですか」という意味である。
日本人だとばかり思い込んでいたら、あまりに中国語がうまいので、「你是中国人吗?」と思わず聞き返してしまう、といった時に使われる。または相手が中国人なのに、中国人なら誰でも知っている事を知らなかった場合に、あきれた感じで「你是中国人吗?」と言うこともある。
これをアルファベットで書いたものがピンインである。「Nǐ shì Zhōngguórén ma?」が、たんなるアルファベットと異なるのは、高い音(一声)、低いところから上がる音(二声)、いったん下がってからまた上がる音(三声)、高いところから下がる音(四声)の区別を示す記号がついていることである。「Nǐ」 の上に付くのが三声、「shì」の上に付くのが四声、「Zhōng」の上に付くのが一声、「guó」の上につくのが二声である。これらの声調符号によって発音の調子を区別できる。ウェード式には声調符号はない。なお、これは母音の上につく事になっている。二重母音「iuたとえばjiù (就)」「uiたとえばhuī (灰)」 の場合には、後ろの母音につくといった文法上の規則があるが、かりに前の母音についたとしても発音はかわらない。
さきに「発音記号に近いもの」と書いたのは、発音記号そのものとは言えない、ということである。
「Nǐ shì Zhōngguórén ma?」。文頭の「Nǐ」の「N」は大文字である。大文字は大きな声で発音する?そんなことはない。そういえば「Zhōngguó」の「Z」も大文字である。この教科書の語句紹介では、美国人 Měiguórén アメリカ人、李 Lǐ 苗字、青山彩香Qīngshān Cǎixiāng 人名、等のピンインが大文字で始まっている。ここではじめて、固有名詞も大文字からはじまることに気づくのである。
「Nǐ shì Zhōngguórén ma?」を英語で書くと、「Are you Chinese?」である。文の最初は大文字から始まり、固有名詞も大文字から始まる。ゆえにピンイン表記は欧米の言語の習慣を真似ているとわかるのである。
冒頭の上段「你是中国人吗?」下段「Nǐ shì Zhōngguórén ma?」は漢字で書いてもアルファベットで書いても同じである。中国語は漢字だと漠然と思っているが、上段「你是中国人吗?」下段「Nǐ shì Zhōngguórén ma?」と漢字を消してアルファベット表記だけにしても音で聴くと同じなのである。そして、そのことこそが、ピンイン表記の当初の目的であったのである。将来、漢字を消してしまうぞ、という意味が込められているのである。
1983年に私は北京の中国人民大学に留学していた。中国語は殆んどできなかったので五つあるクラスの中で、もっとも簡単な第五班にいた。そのとき第三班にいたニックとディビッドという二人のイギリス人の大学生と仲良くなった。イギリスの中国学専攻の大学生は在学中に香港や中国等に留学しなければいけない。ギターと歌がうまい二人は音感もいいのだろう、中国語は、そこそこ話せた。留学してから半年近くたっていたが、ある時、二人は「中国に来てから、漢字を二つしか覚えていない」と言ったのである。
漢文訓読の世界から現代中国語世界へと留学した私にとっては晴天の霹靂であった。「話しことば」の世界は漢字がなくてもかまわないと、その時、はじめて気づいたのである。ニックとディビッドは「目不識丁」(目に一丁字も無し。一つも漢字を知らない)という、かつての老百姓(ラオバイシン)と変わらない。しかし、本来、親しんでいるアルファベットのピンイン表記を最大限活用していた。そして、それこそが、アルファベットにもとづく音標文字化のめざしていたことでもあった。
おわりに
最終的に漢字をやめてアルファベット化する、という目的なのに、まず、複雑な漢字を簡単にする簡体字をつくることからはじめている。とりあえず、ピンインに慣れさせるということであったのだろう。しかし、漢字が簡単になったので、漢字をやめてアルファベット化するという意義が希薄になってしまった。結局、漢字は残ったままである。
アルファベット化の試みは、日本の方が古かったかもしれないが、小学生にローマ字を教えるということが、いまのとろ最大の成果である。
中国語の教科書にはピンイン表記がなされているが、大文字で始まる意味、固有名詞を大文字にする意味について明確に記した教科書は管見の限り見たことがない。また、そのことに疑問をもって質問した学生も一人もいない。もともと全てピンイン表記にするためで、その暁には漢字はなくなっていたはずだが、1000年後はいざしらず、いまのところは、そうはなっていない。
ただ、現在、中国人がパソコンやスマホで中国語を入力するとき、漢字の手書きで入力する者はごく少数で、ほとんどがアルファベットで入力しているのである。つまり、入力レベルではすでにアルファベット化が達成されているといえる。ただ、ピンインだけの文章を中国人に読ませてみると漢字の文章を読むときの三分の一ぐらいの速度でしか読めない。また瞬時に意味を把握できていないことも多く、自分の発音を耳で聞いて、やっと意味がわかった様子をみせたりするので、思わず、笑ってしまうこともある。つまり、アルファベット入力は慣れているもののピンインの羅列だと読みにくいということである。これはローマ字だけで書かれた日本語が、ひどく読みにくいことと同じである。
1切り抜きには、新聞名と日付けがなく、新聞データベースで検索して調べた。
2中華人民共和國國务院編『漢字簡化方案』人民教育出版社、1956。
3中国文字改革委員会編、「簡化字総表 : 附『第二次漢字簡化方案(草案)』第一表」第3版、文字改革出版社、1977。
4前掲、『漢字簡化方案』所収
5「「筆画繁」「字数多」」周有光『漢字改革概論』文字改革出版社 1961年初版 1979年第三版 5頁。
6三、漢字改革運動特殊性の(二)在実行拼音化的同時還要実行漢字的簡化。同上9頁。
7https://www.baidu.com/s?ie=utf-8&f=3&rsv_bp=1&rsv_idx=1&tn=baidu&wd=%E5%B0%8F%E6%B0%91%E6%98%AF%E4%BB%80%E4%B9%88%E6%84%8F%E6%80%9D&fenlei=256&oq=%25E5%25B0%258F%25E6%25B0%2591%25E6%258C%2587%25E7%259A%2584%25E6%2598%25AF%25E4%25BB%2580%25E4%25B9%2588%25E4%25BA%25BA&rsv_pq=cb9ff49600798142&rsv_t=ffa8yf655%2FCioBmbyDgqYjAc3FYVfu5NC3MnhDLPhhS8Y0Uw9zU%2FykllhVA&rqlang=cn&rsv_dl=ts_1&rsv_enter=1&rsv_btype=t&rsv_sug3=65&rsv_sug1=24&rsv_sug7=100&rsv_sug2=1&prefixsug=%25E5%25B0%258F%25E6%25B0%2591%25E6%258C%2587%25E7%259A%2584%25E6%2598%25AF%25E4%25BB%2580%25E4%25B9%2588%25E4%25BA%25BA&rsp=1&rsv_sug4=6388&rsv_sug=1(2025.1.10検索)
8白川静『字通』平凡社2003年 機械可読データファイル(光ディスク) 歩。
9顧春芳, 張莉著『彩香と李陽 : 総合的に学ぼう初級中国語』 白帝社 2016年
書誌情報
大形徹《総説》「中国の漢字改革と簡体字」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, CN.1.05(2025年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/china/country4