アジア・マップ Vol.02 | 中国

《総説》「中国と東アジア漢字圏の近代語彙の交流」

沈 国威(浙江工商大学東亜研究院 特別教授・関西大学 名誉教授)

 東アジアでは有史以来、頻繁な人的往来と書物の伝播により、漢籍を核とする学問体系、即ち「漢学」が形成された。漢学は、漢文と漢字によって成立しており、その意味内容は漢字語によって表出されている。漢字語は大陸文明の伝達媒体として、日本語、韓国語、ベトナム語などの諸言語と融合し、不可分の語彙的要素となった。1このような歴史的経緯により、大航海時代以降、西洋の学問が東洋に伝来した際、漢字漢文はおのずから西洋の近代的知識体系を受け入れるための唯一の媒介となった。この過程で、「神経、哲学、政府、教室、思考、調査、正確、優秀」など、数千もの二字語が新たに用意された。2これには学術用語や抽象語彙だけでなく、一般名詞、動詞、形容詞も多数含まれており、新語もあれば、意味や使用頻度が変化し、新たな命を得た旧語もある。漢籍にないか、あっても意味用法が異なるということで「新漢語」(下位類として和製漢語、和製訳語がある)とも呼ばれる。新漢語は、東アジア諸言語にとって西洋の近代知を表現し、今日の言語活動を支える共通の語彙的基盤である。3

 近代以降、どの国の言語も社会の発展を図るためには西洋の概念体系と関連付けられなければならず、その語彙体系に「国際的に共通の定義」を持つ語彙群が必然的に必要となってくる。そうでなければ、外部世界との効果的なコミュニケーションが不可能である。東アジアの特異性は、中、日、韓、越の四言語は、言語類型学上の壁を超え、共通の漢字語を共有している点にある。言うまでもなく、現在韓国語とベトナム語は基本的に漢字を使用していないが、漢籍に由来する大量の字音語が存在する。新漢語は東アジアの近代化という歴史的背景の下で考察しなければならない所以である。

 東アジアは地理的・歴史的な空間であり、また「漢字文化圏」という名称が示すように、広域の知識文化共同体でもある。歴史的に、日本、韓国、ベトナムでは社会的な二言語併用制度(diglossia)が形成され、漢文は東アジアにおいて唯一の学問言語であった。東アジアにはかつて儒学、漢方医、本草、漢詩文などを論ずる共通の語彙があったが、近代以降、西洋の近代的知識が東洋に伝来し、近代国家が形成されるのに従い、国語の構築が喫緊の課題となった。その過程で漢文排斥、漢字廃止がそれまでになく強く主張されたにも関わらず、東アジアは結局新漢語を駆使し、西洋の近代的知識の受容を完成させたのである。新漢語は言語の現代化、ないし新しい教育制度を可能にする語彙的リソースである。近代知を得ることができるという性質により、「啓蒙語彙」或いは「学習語彙」(academic word)という視点からの研究も望ましい。

 新漢語は、二字漢語を中心に構成されており、主に近代新知識の受容を目的とし、科学叙述の文脈で使用されることが基本である。また、科学叙述の成立には、厳密な定義を持つ学術用語と、叙述を成立させる動詞や形容詞が必要である。

 新漢語には、同形、同音、同義、同訳という語彙的特徴がある。「同形」とは、文字の形態が一致することである。「同音」とは、発音の近似性を指しており、日、韓、越において字音が一定の規則性を持ち、学習者が新語を理解し、語彙量を拡大するのに役立つからである。

 「同義」とは、大部分の新漢語、例えば「哲学、教室、優秀、思考」などが、内包と外延において、東アジア四言語の間で高度の一致性を有していることを指す。

 「同訳」とは、新漢語が英語をはじめとする西洋言語と固定的な対訳関係を持っていることを意味する。つまり、東アジア四言語では英語等に対し、新漢語によって共通の訳語が提供されることである。近代翻訳語の創出は、17世紀イエズス会士、18世紀蘭学者の努力に続き、19世紀の英華字典から本格的に始まり、英和辞典を経て、体系的に完成した。その後また中国、韓国、ベトナムの外国語辞典にフィードバックされた。この歴史は東アジア各国の近代翻訳史と連動しており、重要な研究課題である。

 新漢語に対する通時的および共時的な考察は、定量、定性、語源探究、類義分析という4つの視点から行うことができる。

 定量とは、日、中、韓、越における新漢語の数量的に全容を把握することである。なお、ある語が中日同形語かどうかを判断するにあたって、筆者は、「静的同形語」と「動的同形語」という分類の採用を提案する。静的同形語はすでに文字メディアに使用された、または辞典に収録された同形語であり、動的同形語は消滅した語や将来同形語になり得る語彙単位も含む。

 定性とは、新漢語の現代語彙体系における位置づけや既存の語彙との関係を解明することである。

 語源探究とは、新漢語の発生と伝播の歴史を考察することであるが、今までの研究成果によれば、新漢語は主に以下の文献群において発生した。

1. 中国の典籍、仏教経典、宋明時代の白話小説、善書など
2. 来華した宣教師による漢訳洋書と英華字典
3. 日本の江戸時代の蘭学書、明治以降の翻訳書と関連する著述
4. 英和辞典、専門用語集、国語辞典などの辞書類
5. 日本の学校教科書、字引類

 新漢語の生成メカニズムを理解することは、正確な語源探求に役立つ。個別の語源研究には、初見の文献証拠の確認、出典テキスト、造語者の造語理由、普及、定型化などの内容が含まれる。新漢語を近代語彙として議論する際には、東アジア域内での普及と定型化などが主要な検討内容となる。新漢語の語源の探求は、「史」の観点から新漢語が生成から共有へと至る歴史的プロセスを研究することであり、その研究成果は東アジアにおける「近代」を冠されるすべての研究に寄与することになる。

 類義分析に関しては、既存の研究は主に評価や文体などの相違に焦点を当てている。新漢語については、単に個々の語そのものに限らず、語彙の使用域(register)、慣用句(idiom)や単語同士の組合せ(collocation)にも注意を払う必要がある。語を超えた単位でのみ、概念義が同じで周辺義が異なる語群の相違を把握することができるからである。

 新漢語の研究に関しては、20世紀80年代から、中国と日本の学者は語彙交流の視点から学術用語の語源研究を進め、大きな成果を上げている。同時に、中、日、韓、越の四言語を対象とする東アジア外国語教育の専門家も、各言語における同形語の相違に多大な関心を寄せている。新漢語の研究に以下のような意義があるであろう。

 (1)新漢語は、日本、韓国、ベトナムの諸言語をカバーし、東アジア文化的共同体を形成するための語彙的基盤である。その研究は、国家、言語、専門分野の垣根を超え、東アジア全体の視点から、学際的、多言語的な方法で近代的知識の共有における新漢語の基本的な役割を探究するもので、理論的意義が大きい。

 (2)新漢語を総合的に整理し、その語数と語源を解明することによって、東アジアの科学叙述の成立や学習語彙の現状をより深く理解することができる。また漢字の将来性を再評価する上でも意義深い。

 (3)新漢語の発生に関する研究成果は、東アジア諸言語の語彙史、近代概念史、思想史等に基礎的な情報を提供することができる。その類義分析の成果は、東アジア四言語間の外国語教育に活用され、学習効率を高めることに寄与するだけでなく、各言語の母語としての言語教育にも有益なリソースを提供することができるであろう。

 東アジアの文化文明は漢字をその表出手段としている。近代以降の漢文脱却、漢字廃止の主張と実践は必ずしも漢字の地位を揺るがさなかった。それどころか、西洋の科学知識を受け入れる上で、漢字が決定的な役割を果たしている。グローバル化が進められる昨今、漢字は東アジアと西洋をつなぐ絆であるのか、それとも障害であるのか、これは語彙研究者が自分なりの答えを出すべき問いである。

新漢語研究の入門書(日本語)

新漢語研究の入門書(日本語)

新漢語研究の入門書(中国語)

新漢語研究の入門書(中国語)

1子安宣邦著『漢字論:不可避の他者』、岩波書店、2003年。
2ここで言う「用意」には、新造、改造、活性化が含まれている。漢籍語の改造と活性化の問題について、沈国威編著『漢語近代二字詞研究:語言接触與漢語的近代演化』(上海:華東師範大学出版社、2019年)参照。
3「科学叙述」とは、教育現場において科学の知識を内容とする言語活動を言う。内容と形式の両方から規定する必要がある。沈国威「言文一致の語彙的基盤について――日中の場合」(『中国文学会紀要』42号、2021年第1-28頁)参照。

書誌情報
沈国威《総説》「中国と東アジア漢字圏の近代語彙の交流」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, CN.1.06(2025年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/china/country5