アジア・マップ Vol.02 | インド

《総説》
インド映画産業

岡光信子(中央大学政策文化総合研究所 客員研究員)
1.インド映画産業の背景

 インドの映画製作本数は世界一である。インド映画の制作本数が多くなるのは、インドが22の公用語を有する多言語社会であることが背景にある。言語圏ごとに固有の文化や慣習が存在し、人々は母語で作られた映画を好む傾向があり、少数言語を含めて各言語圏で映画が制作されている。また、ある言語で制作されたヒット作品が別の言語でリメークされることも、映画製作本数を押し上げる要因となっている。

 国内には言語圏ごとに映画制作の拠点が存在し、それぞれがボリウッド(ヒンディー語映画)、トリウッド(テルグ語映画)、コリウッド(タミル語映画)、モリウッド(マラヤーラム語映画)、サンダルウッド(カンナダ語映画)というようにハリウッドをもじった名称で呼ばれている。近年、日本で公開され、興行的に大成功を収めた『バーフバリ 伝説誕生(Baahubali: The Beginning)』(2015)、『バーフバリ 王の凱旋(Baahubali 2: The Conclusion)』(2017)、『RRR』(2022)は、トリウッドで制作されたテルグ語映画の代表作である。

 インドの映画産業の基盤は、19世紀後半、インド国内で初の長編映画「ラージャー・ハリシュチャンドラ(Raja Harishchandra)」(1913年)を含めたサイレント映画が制作されたことにより築かれた。インド映画初のトーキー「アーラム・アーラー(Alam Ara)」(1931 年)の制作によりトーキーの幕上げとなり、音楽がインド映画に不可欠な要素として定着するようになる。1930 年代~1940 年代、スタジオ・システムが定着し、大手映画スタジオと制作会社が業界の中核を担い、映画製作の技術的側面と芸術的側面の両方で大きな進歩が見られた。1947年のインド独立以降、ヒンディー語映画の拠点ボリウッドだけでなく、タミル語、テルグ語、ベンガル語の映画を製作する地域映画の拠点は栄枯盛衰を繰り返しながらも映画制作を続けている。

2.インド映画市場の拡大:新しいプラットフォームの出現

 インド映画市場は、現時点では海外より国内のほうが大きいが、海外市場の成長が著しい。インド映画の伝統的な輸出先は、米国、英国、カナダ、中東、シンガポール、マレーシアなどインド系移民が多い国、または南アフリカ、タンザニア、旧ソ連邦などインドと深い関係を有していた国や地域であった。近年、日本を含む東アジア、英国を除くヨーロッパ諸国、ラテンアメリカにもインド映画が恒常的に輸出されるようになり、インド系以外のオーディエンスも増加している。このような状況の中、国内よりも海外興行収入が高い作品も出現してきた。

 さらに、Netflix、Amazon Prime、Disney+、 Hotstar、YouTube のような動画配信プラットフォームの出現は、オーディエンスが劇場に行かずとも、多様なジャンルの映画の中から自分の好きな映画を容易に見ることを可能にした。

 動画配信サービスに先駆けてケーブルテレビや衛星チャンネルによって配信され、インド映画の世界進出の足掛かりを作った代表的な作品は、ヒンディー語映画『Taare Zameen Par(TZP)」である。TZPは、娯楽作品とは一線を画し、学習障害をもつ少年の苦悩と成長、家族の葛藤という普遍的なテーマを扱った社会性が高い作品で、インド映画として初めて世界企業Disneyと契約を結んだ。TZPは、Disneyの関与により、複数の国際映画祭やインド映画の認知度が低い地域で上映されることになった。現在、TZPは動画配信サービスで視聴できる作品のひとつである。

Taare Zameen Par のシーン: 障害をもつ児童を指導する若い教員

Taare Zameen Par のシーン: 障害をもつ児童を指導する若い教員

 そして、動画配信された映画の中から、高評価を得た作品が劇場公開されるという新しい現象が生まれてきた。代表的な事例は、マラヤーラム語映画の『Great Indian Kitchen(GIK)』(2021)である。GIKは、外国育ちのモダンな女性がインド本国で結婚し、家父長制度が貫かれた婚家で男性への服従を強いられ、家事に疲れながらも夫の欲求を満たすだけのセックスという日々に失望し、最終的に自立の道を選ぶまでの姿を描いた作品である。当初、GIKは、テーマが普遍的であるが娯楽作品向きではないため、一般上映を考えない映画祭に出品する芸術映画として制作された。

 しかしながら、作品の完成時期とコロナウィルスによるパンデミックが重なり映画祭への出品の道が閉ざされた。打開策として、テレビ放映と配信サービスによる公開に方針転換したが、大手のAmazonとNetflixに配信を断られるなど公開には苦難が伴った。2021年1月、インド国内の弱小のNeestreamという配信会社が英語字幕付きでGIKを放映した。作品を観た女性たちは映画の中で女性主人公が直面する問題と彼女の決断に共感し、SNSなどを使って自主的に映画の宣伝を始めたところ、サーバーがダウンするほどアクセスが集中した。評判を聞きつけ、Amazon Prime Videoが配信を始めると、GIKは様々な国からアクセスされる人気作品となった。最終的に、GIKは、インド本国、日本、アラブ首長国連邦 、米国 、カナダ、英国、オーストラリアなどで劇場公開されるまでになった。

Great Indian Kitchen の一シーン:嫁ぎ先の台所で電化製品を使わずに苦労して調理す
る主人公の女性

Great Indian Kitchen の一シーン:嫁ぎ先の台所で電化製品を使わずに苦労して調理する主人公の女性

 動画配信という新しいプラットフォームは、劇場公開を前提にした娯楽作品だけでなく、劇場公開の機会が限られる社会的な作品や芸術映画も同様に配信する。そのため、動画配信サービスは、インド映画にも高品質なコンテンツを含むニッチな作品が存在すること、インド映画のジャンルが多様であることを世界に知らしめ、その結果インド映画のファン層の拡大に大いに貢献した。

3. インド映画産業に対する公的支援

 インドでは独立初期の段階から映像メディアの影響力は理解されており、映画産業はプライベート・セクターではあるが、中央政府と州政府がその育成のために間接的・直接的な支援を行ってきた。その一環として、中央政府は、独立の翌年(1948年)、情報放送省の中に、ニュース映画・ドキュメ ンタリー映画の制作を担当する映画局を設立した。1960年、インド中央政府は、映像メディアの即戦力として活躍できる人材を育成する教育機関として、インド映画専門学校(Film Institute of India、現Film and Television Institute of India以下FTII)を国家プロジェクトして開校し、商業ベースに乗らない映画に出資する映画資金融資公社(Film Finance Corporation, FFC)を設立した。1963年、インド映画輸出公社(Indian Motion Picture Export Corporation)が設立されると、インド映画を輸出する体制が整えられた。さらに、1995 年、中央政府は、映像メディアのさらなる人材養成を目的としたサタジット・レイ映画テレビ研究所(Satyajit Ray Film and Television Institute)を設立した。

Film and Television Institute of India での授業風景
Film and Television Institute of India での授業風景

Film and Television Institute of India での授業風景

 州レベルの支援としては、人材育成教育機関や総合映画スタジオの設立、映画制作を誘致するために映画製作者への補助金、税制優遇措置などがある。1945年、タミルナードゥ州は州立の映画専門学校(Adyar Film Institute, 現The M.G.R. Government Film and Television Training Institute)を設立し、映像産業の人材育成を独自に始めた。マハーラーシュトラ州は、州内での芸術文化を支援するマハーラーシュトラ映画・舞台・文化開発公社 (Maharashtra Film, Stage & Cultural Development Corporation)を設立し、州内で撮影する映画製作者に資金面での優遇措置を提供している。1977年、マハーラーシュトラ州政府は、ムンバイ郊外の520エーカーの敷地に約42の屋外撮影場所と16のスタジオを有するフィルム・シティ(Dadasaheb Phalke Chitranagari)を設立し、それはほぼすべてのボリウッド映画の撮影場所となっている。また、ゴア州、ウッタラーカンド州、ケーララ州は、州内で撮影を行う映画製作者に優遇措置を提供している。

 1988年、インド映画産業に構造的変化をもたらす画期的な出来事が起こる。それは、インド中央政府が映画産業を合法的な産業として認定したことである。映画産業の合法化は、銀行をはじめとする合法的な企業が業界に参画する道を開き、映画産業が近代化するきっかけを作った。

 合法化される以前、約5%の映画が反社会的勢力からの融資で製作されると言われており、映画への出資は法外な利子を伴う不透明な融資が横行していた。合法化以降参入した銀行の融資は、厳格なルールに従って行われ、リスキーな映画ビジネスに融資することはほとんどなく、低金利で定額となっている。ただし、銀行の融資は、完成された脚本、俳優の契約書へのサインなど決められた条件を満たさないと受けられない。それだけでなく、銀行は、出演料を受け取る俳優がその映画に対して価値あると認められなければ融資をしない。さらに、銀行は、融資を行う映画が商品価値のある製品であり、その製品が一定の期間内に完成して資金回収の見込みがないと融資を行わない。

 銀行が映画製作に融資を始めると、映画産業は、場当たり的な要素が無くなり、撮影前に脚本が整い、契約期間内に作品が完成されるなど、契約ベースでビジネスが行われるなど、映画産業に構造的な変化が起こる。徐々に、国際市場をターゲットとした大型プロジェクトが立ち上がり、インド映画の配給が伝統的な海外市場にとどまらず世界的なものになり、映画産業が近代的な産業として成長していった。また、映画産業の合法化は、ハリウッドに倣ってインドでも独立系のプロデーが出現する可能性が生まれるなど、インド映画産業に様々な変化をもたらした。

4.まとめ

 近年、インド映画のファンは、インドに出自をもたない層にまで広がっており、『RRR』のような国際的な大ヒット作品が制作されるようになってきた。また、動画配信という新しいプラットフォームの出現により、インド映画の発信と受容に関する新しい状況が生まれ、市場の拡大を後押しする環境が整ってきた。

 また、インド映画産業の躍進には中央および州政府の存在を忘れてはいけない。特に、国立・州立の映画専門学校は、コンスタントに人材の養成と供給を行うことで産業基盤を支えている。中央政府が映画産業を合法的な産業として認可したことは、インド映画産業の健全化と近代化を促し、高品質なインド映画が世界的に輸出される道を拓いた。 インド映画産業は、官民の協力により紆余曲折を得ながらも時代とともに柔軟に変化しており、今後どのような方向に向かっていくのか予断を許さない。

書誌情報
岡光信子《総説》「インド映画産業」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, IN.1.05(2025年00月00日掲載) 
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/india/country3/