新企画 『アジアと日本は、今』(研究者エッセイ・シリーズ)
Asia-Japan, Today (AJI Researchers' Essays)
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第1回 アジア・日本研究は、今――コロナウイルス危機が始まって

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小杉 泰(アジア・日本研究所長)

 新型コロナウイルスによる肺炎が世界中に蔓延して、非常に多くの国々がさまざまな危機に直面している。公的なメディアでもネット上のSNSでも、情報と議論が飛び交っている。

 2020年4月7日には、日本でも政府が緊急事態宣言を発令し、全国的に移動や活動の「自粛」が進められ、小学校から大学に至る教育機関も休校が続くこととなった。私たち大学人も、これまでに体験したことのない状況に、どう対処したらよいのか、暗中模索している。

 この危機の始まりは昨年2019月12月末に中国で口火を切り、それが近隣諸国に波及した。感染防止や感染者の治療が大きな社会的課題であるが、ここではそこから波及する問題について考えてみたい。私たちの研究の現場では2月になって、予定されていたいくつかの国際的な研究集会に海外からのゲストが参加できない事態となって、一気に差し迫った問題となった。そうしているうちに、感染を防ぐために大学や小中高校でも、卒業式・修了式が中止、さらに入学式も中止という決定が次々となされた。

 アジア・日本研究所では、メンバーの多くがアジア諸地域を対象として研究をしている。毎年フィールドに行くのが常である。これらの地域の研究者や実務家との往来もしょっちゅうであるし、アジアを専門とする欧米の研究者との交流もさかんである。ところが、各国の大学でも海外出張をしないように指示が出され、出入国そのものも制限が始まり、旅客機も飛ばなくなると、海外調査の予定も招待ゲストの来訪もすべて延期またはキャンセルとなってしまった。

 私もアラブやイスラームの研究の道に入って半世紀ほどになるが、このような経験は初めてのこと。戦乱などで、中東の一部の地域に入れないということは時折あるが、人の国際的な移動がここまでなくなる事態に出会ったことはない。世界が一気に変わるという点では、1973年の第4次中東戦争と第1回石油危機、1979年のイラン・イスラーム革命と世界的な宗教復興、1989年の冷戦の終わりとグローバル化時代の始まり、2001年の9・11事件など、多くの経験をしてきた。今回は、そのような激動のどれをも超えている気がする。

 そもそも、今回の危機はパンデミックとしては、1918~20年のいわゆる「スペイン風邪」と比較されるし、経済的なクライシスとしては2008年の「リーマン・ショック」を超えて、1929年からの世界大恐慌と比較される。どちらにしても、当時のことを実体験として知る世代の人はごくわずかしかいないから、誰にとっても未知の危機となっている。20世紀半ば以降に隆盛した地域研究にとっても、未知のクライシスである。

 いろいろな専門家、識者の解説や分析を聞いていると、どうやら、短期決戦で感染を封じ込めるという期待は楽観的すぎるようである。5月6日までの非常事態も1か月延長された。さらに、このようなパンデミックのあり方が世界的な近代化とグローバル化の帰結の1つだとすれば、たとえこのウイルスが大きな脅威でなくなったとしても、同じような問題が繰り返される可能性が高い。そして、その可能性がある限り、それに対処できる生活様式に変わらないといけない時代に入ったのであろう。

 「コロナ時代」とそれを継承する「ポストコロナ時代」には、研究のあり方も大いに変わらざるをえないと思う。あるいは、そのように覚悟を決めておくべきように思う。このエッセイ・シリーズは、その時代にアジア・日本を対象とする研究者がどう対応しているのかを、まだ「答のない」今からでも、書き継ぐという趣旨で始めたい。アジア・日本研究の同時代史的な一次資料とならんとして。

(2020年5月9日記)

〈プロフィール〉
小杉 泰(こすぎ・やすし)立命館大学アジア・日本研究所所長・教授。法学博士(京都大学)。専門はイスラーム学、中東地域研究、政治思想史、国際関係学、比較文明学。近年の著編著に、編訳・解説『ムハンマドのことば――ハディース』岩波文庫(2019年)、共編『大学生・社会人のためのイスラーム講座』ナカニシヤ出版(2018年)、『イスラーム帝国のジハード』講談社学術文庫版(2016年)など。現在、イスラーム法源学の研究プロジェクトを推進中。最近の論考に、「イスラーム法における『ハラール』規定をめぐる考察:『ハラール/ハラーム』の2分法と法規定の『5範疇』の相関性を中心に」『イスラーム世界研究』12(2019年3月)http://hdl.handle.net/2433/240734など。