新企画 『アジアと日本は、今』(研究者エッセイ・シリーズ)
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第6回 イラン流ジハードの流儀:コロナウイルスとの格闘

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黒田賢治(国立民族学博物館現代中東地域研究拠点・特任助教)

はじめに
すでに2020年の半分が過ぎようとしているが、この間イランをめぐる二つの話題に大きな注目が集まった。一つは年明け早々に起った米国によるガーセム・ソレイマーニー革命防衛隊司令官らの暗殺とそれに対するイラン側の報復攻撃、そしてこの混乱の中で起きたウクライナ国際航空撃墜事件である。もう一つは、2月末から3月上旬にかけて話題となった中東地域最初の新型コロナウイルス感染症(以下・新型コロナ)の爆発的拡大である。

本稿では、後者の新型コロナに焦点をあて、同国における本稿執筆時までの概況を記しつつ、筆者の研究の近況との関連を述べたい。

イランにおける新型コロナ感染症のこれまでの概況とイラン流ジハード
中国を中心とした新型コロナの感染拡大に伴い、1月30日にWHOが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言すると、イランでも翌日31日には感染拡大防止措置が取られた。中国発着便の一時停止が行われ1、また在武漢市のイラン国籍者の保護が行われた。しかしこれらはイラン社会にとってあくまで国外の出来事にすぎず、その頃国内では「立法府」にあたるイスラーム評議会の第11期選挙の実施が進められた。投票日の2日前の2月19日に、首都テヘランから南に約150kmに位置する宗教都市ゴムで新型コロナに罹患した高齢者2名が死亡したものの2、議会選挙は予定通りに実施された。

最初の感染確認から4日後の23日時点で累計の陽性者が43人、死者8名と感染拡大が懸念されると3、同日には、「保健・医療・医療教育省」(以下・保健省と略記)によってテヘランを含む14都市で学校、大学、映画館及び劇場の閉鎖が行われ、公共交通機関の消毒が行われた[青木 2020a]。しかし感染拡大は留まるところを知らず、3月30日の感染者3,186人に達するまで感染が拡大した(図1および図2参照)4。3月5日までにはイラン全州で罹患者が確認され、翌日には新規陽性者が1,234人と一日の陽性者数が1,000人を超えた。イラン暦の正月ノウルーズ(3月21日)の翌日である22日から30日にかけて、爆発的に新規陽性者が増加した。そして死者も3月7日から4月4日にかけて急激に増加していった。

感染拡大は、国家中枢部にまで及んだ。24日の記者会見で汗を大量にかき、咳込んでいたイーラジュ・ハリールチー=タブリーズィー保健省次官が翌日に陽性と判明したことは映像つきで広く報道されたため、記憶にも残っているのではないだろうか。彼に続いて官僚や大臣、またイスラーム評議会議員が罹患するなど政府高官のあいだにも感染が急激に広まっていった。そしてモハンマド=アリー・ラメザーニーのように選挙で選出されたばかりの議員や、最高指導者顧問のモハンマド・モハンマディーらを含めた高官が死去した。

図1 イランにおける新型コロナ陽性者数の変遷(2020年2月19日~6月8日)

青の棒グラフおよび左列の青い数値が日別陽性者数を表し、緑の線グラフおよび右列の緑の数値が累計陽性者数を表す

図2 イランにおける新型コロナ死者数の変遷(2020年2月19日~6月8日)

橙色の棒グラフおよび左列の橙色の数値が日別死者数を表し、赤の線グラフおよび右列の赤の数値が累計死者数を表す

 爆発的な感染拡大にもかかわらず、政府が都市閉鎖へと踏み切るまでには時間を要した。感染拡大が進むテヘラン市が独自に、3月14日に市内への出入口となる幹線道路に管理拠点を設ける準備を進める方針を示し、22日に日用生活品を除くバーザールを含む商業施設を閉鎖させた。それに先立って3月13日にはバーゲリー統合参謀長によって、インターネットを通じた市民の監視など、市中の混雑を避ける都市閉鎖が24時間以内に行われることが警告された[Taṣnīm 2020年3月13日]。

しかし3月11日にもロウハーニー大統領は、政府による完全な都市閉鎖計画を否定した。19日には有識者および5人の保健大臣経験者らによる有志からによって、旅行制限などを要求する書簡が発せられたものの、政権側はなおも躊躇する姿勢を示した[Hamshahrī online 2020年3月19日]。その間、間近に迫ったノウルーズに都市間の移動が部分的に増えることが予測され、新型コロナのさらなる拡大への懸念が強まったものの、すでに教育機関の閉鎖などレベル3の「都市閉鎖」を行っているものとし、政府は完全な都市閉鎖については否定的な見解を示し続けた[IRNA 2020年3月22日]。しかし25日になり政府報道官が都市間移動の禁止を明らかにし、翌日に保健省が移動制限などを含む都市閉鎖を実施することを発表した。

 都市閉鎖への遅れの一方で、経済活動再開に向けての準備は比較的速やかに進められた。4月6日にはロウハーニー大統領は、感染拡大のリスクが低い経済活動については11日からテヘランを除いて再開し、18日からはテヘランでも再開していくという段階的な解除の実施を明らかにした。大統領の発言通り、徐々に市民生活の活動の幅は広げられていった。事態は収束したかの如く、平常時に戻り、有効性はともかくマスクを着用する人も徐々に減少し、バーザールなどでの人の賑わいも復活していった。そして5月25日には、3月半ばから閉鎖していた宗教施設なども再開した。

市民生活が平常を取り戻していく一方で、5月2日を境に新規陽性者は再び増加し始めた。5月末ごろには、特定の州で増加傾向にあることが指摘され、6月になると新規陽性者は再び3月のピーク時点と同等の水準にまで戻った。6月4日には3,574人と、3月のピーク時を超え、再び予断を許さない状況が生まれている。保健省感染症治療局の会見では、これはあくまで第二波ではなく、第一波の続きであるとの見解が示された[ISNA2020年6月6日]。イランは、中国を除く新型コロナ感染拡大国の中で都市閉鎖からの解除をもっともはやく行っており、他の国にとってみれば、解除後を予測するモデルケースと見ることができる。そのイランで再び感染者が拡大していることを見ていると、日本を含む他の国でも気を引き締めずにはいられないというのが、率直な意見である。

ところで、イランで新型コロナの対策が本格化しだすと、対策行動をジハードととしてとらえ、バスィージや殉教言説が「動員」されていった。ジハードはしばしば聖戦と訳され、異教徒との戦いを指す言葉として知られているが、原義としては「努力」である。イラン革命を指導した故ホメイニー師も、「大ジハード論」として聖戦のような外面のジハードに加え、精神の自己修養として内面のジハードを唱えた。新型コロナ拡大に立ち向かうことも、内外双方のジハードとして唱えられ、果てはマスク製造もジハードであるとされた[ISNA 2020年3月17日]。外面のジハードということで、感染防止には革命防衛隊も加わり、指揮下にあるバスィージ(志願民兵)5が動員されイランの全都市が猛スピードで消毒された。都市閉鎖に消極的であった政府もバスィージの動員については当初から積極的で、3月4日には保健大臣からこうした行動について発表されていた[Tābnak 2020年3月5日]。

 ジハードとして新型コロナに対応しながら没した人々は、殉教者として扱われた。イスラーム一般でも信仰のために命を落とす殉教は特別な宗教的な意味をもつが6、シーア派の場合には、宗教的世界観を形成するうえでより重要な位置づけにある。シーア派の宗教的世界観では、歴代のイマームと呼ばれる指導者たちは正義のために不義に対して立ち上がり殉教を遂げてきた。イラン社会では、殉教概念は不義と正義の戦いと結びついており、宗教儀礼などを通じてこの考え方が共有されてきた。

革命後のイスラーム体制下では、殉教という宗教的概念は信仰の帰結であるイスラーム体制に殉ずること、転じて「国家に命を捧げる」ことを意味するというように概念を拡大させてきた。そして新型コロナにおいては、その対応に当たって命を落としたものも、殉教者に含めてきた。全土を消毒しに回るバスィージだけでなく、医師や看護師といった医療従事者など一般の人々もこれに含まれたのだ[IRNA 3月26日; ISNA 2020年3月30日; Khabargozārī Dāneshjū 2020年4月29日]。

おわりに
本稿執筆時点で、閉鎖解除後の死者は、3月末から4月上旬にかけての死者に及んではいない。その背景には、病床数の確保などが進められてきたことも挙げられるだろう。しかし未だ予断を許さない状況にあることは間違いないだろう。

 こうした新型コロナの展開は、近年行ってきた筆者の研究にも少なからず影響を及ぼしている。筆者は近年イラン・イラク戦争(1980-1988年)のイラン側の戦没者をめぐる記憶保存の調査を行ってきた。この戦没者たちが、イランで今日殉教者と呼ばれる存在の大勢を占めている。戦争勃発から今年で40年、停戦からも30年以上が経過し、遺族や帰還兵も歳を重ね、殉教者の親が死去することも珍しくなかった。筆者が5年ほどかけて調査しているなかでも、幾人かの遺族が亡くなった。つまり直接殉教者/戦没者を語ることが徐々にイラン社会でも難しくなっているということである。新型コロナは、こうした状況に追いうちをかけ、罹患した遺族がなくなるということも少なくない[Taṣnīm 2020年4月29日]。

(2020年6月10日記)

1 2月23日までは継続し、53便が飛行した[青木 2020]
2 2020年2月18日の報道では、新型コロナウイルスへの罹患が否定されていた[Khabar online 2020年2月18日]。
3 陽性者数ならびに死者数については、「保健・医療・医療教育省」による発表に基づく。
4 3月22日までの「保険・医療・医療教育省」の公式会見では、州別のデータが公開されていたが、同日以降、州別データは公開されず、必要に応じて州のデータが言及される形式となった。
5 バスィージについては、一般に本文でも志願民兵と訳されるが、原義が「動員」であるように、公務員や同業者ギルド、大学生、スポーツ選手など様々な職業団体のなかで結成された国家への奉仕集団として側面が強い。革命後のバスィージの展開については、Golkar[2016]が詳しい。
6 初期イスラームにおける殉教概念の発展については、Cook[2007]を参照。また現代のイスラーム運動と殉教との関係については、Hatina and Litvak[(eds.,) 2017]を参照

(2020年6月10日記)

参考文献
青木健太 2020「イラン: 新型コロナウイルス感染拡大の背景と影響」『中東かわら版』No. 200 https://www.meij.or.jp/kawara/2019_200.html (2020年6月4日閲覧)
Cook, David 2007. Martrydom in Islam. Cambridge and New York: Cambridge University Press.
Golkar, Saeid 2016. Captive Society: the Basij Militia and Social Control in Iran. Washington, D.C. and New York:Cambridge University Press.
Hatina, Meir and Litvak Meir eds., 2017. Martrydom and Sacrifice in Islam: Theological, Political and Social Contexts. London: I. B. Tauris.
IRNA 2020年3月22日「コロナについてレベル3の『検疫隔離』を実施中である」https://www.irna.ir/news/83723799/ (2020年6月4日閲覧)
——— 2020年3月26日「43人の医師および看護士がコロナによって殉教」https://www.irna.ir/news/83727463 (2020年6月4日閲覧)
Khabargozārī Dāneshjū 2020年4月29日「対コロナの前線で100名以上が殉教: Covid-19との闘いにおいて機器との齟齬はない」https://snn.ir/fa/news/844002/ (2020年6月4日閲覧)
Khabar online 2020年2月18日.「ゴムの患者の死についての説明:コロナによるものではなかった」 https://www.khabaronline.ir/news/1353941/ (2020年6月4日閲覧)
ISNA 2020年3月17日「コロナにさらされた国民の需要に応えることはジハードである」https://www.isna.ir/news/98122720952/(2020年6月4日閲覧)
——— 2020年3月30日「コロナウイルス拡大に対面した従事者の死者は、『奉仕の殉教者』とみなされるべき」https://www.isna.ir/news/99011105667/ (2020年6月4日閲覧)
——— 2020年6月6日「イランはまだ第一波の渦中/本年中のワクチン入手の可能性はゼロに近い」https://www.isna.ir/news/99031709822/ (2020年6月6日閲覧)
Hamshahrī online 2020年3月2日「霊廟舐め男逮捕」https://www.hamshahrionline.ir/news/488313/(2020年6月4日閲覧)
——— 2020年3月19日「5人の前保健大臣から大統領への重大警告:あなたの決定が遅ければ、被害は取り返しのつかないことになる」https://www.hamshahrionline.ir/news/494057/ (2020年6月4日閲覧)
Tābnak 2020年3月5日「コロナ対策の『国民動員』の詳細」https://www.tabnak.ir/fa/news/963889/ (2020年6月4日閲覧)
Taṣnīm 2020年3月13日 「バーゲリー参謀長:24時間後には、通りも道も公共施設も閑散となるだろう」 https://www.tasnimnews.com/fa/news/1398/12/23/2222502/ (2020年6月4日閲覧)
——— 2020年4月29日「どの数人の殉教者の両親がコロナ拡大のなかで昇天した?」https://www.tasnimnews.com/fa/news/1399/02/09/2252690/ (2020年6月4日閲覧)

〈プロフィール〉
黒田 賢治(くろだ・けんじ)国立民族学博物館現代中東地域研究拠点・特任助教/人間文化研究機構総合人間文化研究推進センター・研究員。専門は、中東地域研究、文化人類学、イラン政治、近代日本・中東関係史。近年の著編著に共編『大学生・社会人のためのイスラーム講座』ナカニシヤ出版(2018年)、共著『「サトコとナダ」から考えるイスラム入門――ムスリムの生活・文化・歴史』星海社(2018年)、『イランにおける宗教と国家――現代シーア派の実相』ナカニシヤ出版(2015年)。最近の論考に、"Pioneering Iranian Studies in Meiji Japan: Between Modern Academia and International Strategy" Iranian Studies, 50-5 (2017) など。