新企画 『アジアと日本は、今』(研究者エッセイ・シリーズ)
Asia-Japan, Today (AJI Researchers' Essays)
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第10回 COVID-19下における現代中東研究:「フィールド」調査の対応策

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渡邊駿(オックスフォード大学 地域研究学院・客員研究員(笹川平和財団フェロー)/立命館大学立命館アジア・日本研究機構・客員研究員)

 授業期間が終わり、研究活動の自由度が高まる7月。例年であれば、学会発表や現地調査に出かけている時期にあたるが、今年は自室でデータの解析と論文執筆を行っている。ここでは現状を改めて振り返るとともに、今後の研究活動に関する展望を述べたい。

 私は2018年11月より、笹川平和財団のフェローシップのもと、英国のオックスフォード大学の地域研究学院(Oxford School of Global and Area Studies, University of Oxford)にて在外研究を行っている。大学院修了まで日本で研究活動を行なってきた私にとって、グローバルなネットワークの結節点たるオックスフォード大学での世界中の人々との交流の場の広がりは衝撃的であり、多くの知的刺激を受けるとともに、研究ネットワークを一気に広げる機会となった。現代ヨルダン政治研究という、研究者の少ない領域を研究対象としている私にとって、同じような研究関心を持っている研究者/同じ地域で研究に取り組む研究者と知り合うことができたことは、何にも代えがたい喜びとなった。

 海外の研究拠点に籍を置いているとはいえ、中東政治研究者として、現地調査は欠かせない。昨年2019年の夏には4ヶ月間ヨルダンにおいてフィールドワークを行い、今回は特に、近年同国で進められる、地方分権改革に関する調査を実施した。改革の現場である、地方の政治・行政の実態に迫るため、各地域の様々な自治体を訪問した経験は、非常に貴重な収穫をもたらした。様々な背景をもつ人々と交わした会話、地域による風景や空気の違い、街によって異なる雰囲気は忘れられない。

 しかし、こうした生活はCOVID-19の世界的な流行により、激変した。学会はもちろんのこと、ワークショップや日々の研究会が相次いで中止や延期となり、大学のオフィス、図書館、その他関連施設も閉じられた。世界中の学術的交流の中心地にいたはずが、気付けば自室にひとりぼっちという状況が当たり前になった。英国とは異なり、感染の拡大はかなり限定的であるものの、ヨルダンは厳しい感染拡大防止政策をとっており、定期運航便が全て停止になっている。いまや国境を跨ぐことは容易でなく、フィールドワークにいくことのできる見通しは立っていない。

 この春から夏にかけて、昨年のフィールドワークの研究成果を発表するべく意気込んでいた私にとって、この状況の変化は非常に大きな打撃となった。研究発表を通じ、研究成果の取りまとめの方向性の改善、新たな知見の獲得、そして研究ネットワークの拡大を果たしたいと考えていたが、その機会が限られてしまった。さらに、これまでの研究を発展させ、今年度からヨルダン・モロッコ比較の新たな研究プロジェクトを開始したが、次回のフィールドワークの見通しが立っていないことも頭を悩ませている。私は政府や地方自治体、政治団体、市民社会団体の発行資料、公開情報をベースに分析を行っているが、データへのアクセス、情報解釈の方向付けには現地での様々な人々へのインタビュー、各機関への訪問、さらには道端での人びととの何気ない会話、思わぬ出会いといった要素が欠かせないのである。

 このように、外国人研究者による現代中東政治研究は極めて厳しい状況にあるが、ただ坐して死を待つ状況にあるというわけではない。理想の研究環境を100%再現することはできなくとも、それに近づけるよう努力することはできる。私は特に、以下の2点が今後の研究活動の鍵となると考えている。

 第一に、オンラインでの研究交流活動である。全世界が同時にコロナ禍に見舞われた結果、オンラインでの研究報告が新たなスタンダードとして浮上してきた。時差の調整が面倒ではあるものの、インターネット環境さえあれば世界のどこでも研究交流を行うことができるという認識が共有されつつある。これは、世界のどの研究機関も、オックスフォード大学のような研究ネットワークの中心となり得るということ、そして、世界のどこにいようと、世界中の研究者とネットワークを構築し得るということを意味する。私のオックスフォード大学での在外研究の任期はこの9月で終了するものの、この新たなスタンダードのもと、帰国後も世界との研究ネットワークを維持・拡大していきたいと考えている。

 第二に、オンライン上の情報収集である。先進民主主義諸国と比べると限定的ではあるものの、中東諸国においても、オンライン上での情報公開が進みつつある。政府公開資料、新聞メディアの情報収集をオンラインでできる範囲で進め、地域実態に少しでも迫りたい。さらに、2011年のアラブ諸国で生じた一連の政変、いわゆる「アラブの春」において注目を集めたように、ソーシャルメディアの発達、浸透も中東諸国では進んでおり、ソーシャルメディアは新たな情報の発信源となっている。ソーシャルメディア上では、単に発言の内容のみならず、位置情報の活用も可能になりつつある。まだまだ利用可能性は限られているものの、地理空間情報分析を活用することも可能だろう。ソーシャルメディアの分析は、政府公開情報、従来型メディア報道においては見逃していた視点、フィールドワークによってでなければ知り得ないようなトピックに対して、アプローチする可能性を秘めている。オンラインという新しい「フィールド」での調査に邁進しながら、現地調査が可能となる未来に備えていく。以上が私の現状対応案である。

〈プロフィール〉
渡邊 駿 (わたなべ しゅん)
オックスフォード大学地域研究学院 (Oxford School of Global and Area Studies, University of Oxford) 客員研究員(笹川平和財団フェロー)/立命館大学立命館アジア・日本研究機構 客員研究員。京都大学博士(地域研究)。専門は中東地域研究、現代ヨルダン政治、現代中東君主制論。主な論考として、博士論文「現代アラブ君主制国家群におけるガバナンスと社会—ヨルダン・ハーシム王国を事例として—」京都大学, 2018年3月 のほか、“Challenges for National Dialogue in the Post-Arab Spring Era: The Case of Bahrain” Journal of the Asia-Japan Research Institute of Ritsumeikan University, 1, July 2019, pp.56-72. 「現代における君主制とそのグローバルな類型化をめぐる政治学的考察:アラブ君主制国家群とその系譜的正統性の解析へ向けて」『イスラーム世界研究』第11巻, pp.256-303, 2018年3月.