STORY #3

香港の地下経済で見た
最先端のエコノミーシステム

小川 さやか

先端総合学術研究科 准教授

香港・チョンキンマンションで
タンザニア人の交易を追う。

香港きっての繁華街チムサーチョイ(尖沙咀)地区を抜けるネイザン・ロード(弥敦道)に面して建つ「チョンキンマンション(重慶大厦)」。5棟からなる複合ビルに安宿が密集し、国籍も人種も雑多な商人やバックパッカーが集まる。犯罪も少なくないことから「魔窟」とも称されるチョンキンマンションに文化人類学者の小川さやかは2016年10月から半年間にわたって暮らし、ここを根城にするタンザニア人の零細商人と彼らの交易についてフィールドワークを行った。

これまで小川は東アフリカのタンザニアで「マチンガ」と呼ばれる現地の零細商人に密着し、その商慣行について研究してきた。およそ3年半現地で生活し、マチンガのコミュニティに入り込んで自らも路上で古着の販売を実体験しながらそのビジネスの仕組みを明らかにした。「マチンガ」の商売では、現地の言葉で「ウジャンジャ」といわれる「ずる賢さ」「狡猾さ」がものを言う。先進国を中心とした社会で当然と見なされている契約や法規に則った「フォーマルビジネス」とは異なる論理で機能しているところに小川は興味をかきたてられてきた。

近年、そうしたタンザニア人たちの中に古着に替わる新たな輸入商材を求めて中国に渡る者が増えている。彼らを追いかけて香港に渡った小川は、そこで世界中から集まった零細商人たちが営むアンダーグラウンド経済を知ることになった。

香港のタンザニア人たち

「中国を起点としたトランス・ナショナルなインフォーマル交易が台頭し始めたのは2000年代初め頃です」と説明した小川。「アジア、中南米、中東、アフリカなど世界各地から零細商人が中国に来て独自の生産・交易システムを構築しました。彼らの商売のほとんどが法に抵触するため表立っては語られませんが、世界で十数億人もの雇用を創出し、総体としては数十兆ドルに上る莫大な利益が動いているといわれています」と語る。表面上は見えない地下経済で莫大なお金が動いている。「これはおもしろい」と小川は一気にのめり込んだ。

中国に滞在した半年間、小川は「チョンキンマンションのボス」を自称するタンザニア人の中古車ディーラーと毎日行動を共にし、彼を介してタンザニアの交易人たちが中国でどのような商売を行っているのかを追った。

チョンキンマンションのタンザニア人たち

「チョンキンマンションに住むタンザニアの交易人には二つタイプがあります。一つは商品を買いつけたり、めぼしい商品を探しに香港を訪れた短期滞在型の交易人たちです。もう一方は、長期にわたって香港で暮らし、母国から買いつけに来る人と中国人との間を取り持つ仲買人やディーラー兼案内人として生計を立てるブローカーで、彼らのほとんどが法的には違法な労働者です」と小川。タンザニア人たちは中国・香港に天然石を輸出したり、中国で中古自動車や中古携帯電話、中古家電製品、衣類雑貨、その他有望と思える商品を探し出してはタンザニアや他のアフリカ諸国に輸出している。小川が驚いたのは、その商売の仕組みだった。

もともと違法な取引が多く、詐欺や支払いの踏み倒しなどのトラブルも少なくないが、それを見越した上で“TRUST”と呼ばれる彼らなりの信用商売が成り立っているという。“TRUST”では、FacebookなどのSNSをプラットフォームとして香港のディーラーとアフリカ各地のディーラーや買い手がオークション形式で商品を取引する。取引が成立したら、クラウドファンディングを使って小口出資を募り、仕入れにかかる費用を調達。最終的にアフリカで商品が売れたら、ディーラー、買い手、出資者で利益を分配するという仕組みだ。金銭の授受はインフォーマルな金融業者の仲介によって電子マネーで行われる。

購入した中古車をコンテナに詰める

さらに交易人たちは、香港タンザニア組合や広州タンザニア組合を組織し、けがや病気、死亡など不測の事態に遭遇した場合に互いに助け合う仕組みも作っている。時に騙し合い、違法な商売に手を染めながらも先進のテクノロジーを駆使してある種の協働型コモンズや互酬性組織を作ってしたたかに商売している。小川の研究は、フォーマル経済では想像もつかないそうした柔軟でたくましいインフォーマル経済の実態を浮き彫りにする。

「インフォーマルな交易と聞くと、いかがわしく『遅れたもの』と思われがちですが、実際には彼らはSNSやクラウドファンディング、電子マネーといった先進的なテクノロジーをフルに使ってグローバルな商業ネットワークを構築しています」と小川。シェアリングエコノミーや自由経済、ブロックチェーンなど最先端のエコノミーシステムの多くが、零細商人たちが動かすこうした地下経済から始まっている。「これらの『下からのグローバル化』は逆説的に、主流と考えられている『フォーマルな経済』が抱える不満や矛盾に教唆を与えてくれます」と語る小川は、「それが文化人類学の醍醐味でもある」と目を輝かせた。

小川 さやか
小川 さやか
Ogawa Sayaka
先端総合学術研究科 准教授
研究テーマ:中古品・非正規品の流通・消費にみる現代アフリカの消費文化に関する研究、瀬戸際の力学と実践・行為の人類学、その日暮らしの人類学
専門分野:地域研究、文化人類学・民俗学

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2018年10月15日更新