STORY #4

災害をどう生きるか。
「生存学」から考える。

立岩 真也

先端総合学術研究科 教授

やまだ ようこ

衣笠総合研究機構 教授

「圧倒的な喪失」は
誰の人生にも 起こり得る。

2011年3月11日、東北地方を襲った大規模地震と津波が未曽有の被害をもたらした東日本大震災から早5年が過ぎようとしている。この間、あらゆる学術領域から、東日本大震災をめぐる数えきれないほどの研究や支援が行われてきた。その中で立岩真也ややまだようこは、「生存学」という新たな学問分野からこの大震災に迫ろうとしている。

「私たち人間はみな『障害』や『老い』『病い』、性的アイデンティティの違いといった『異なり』とともに生きています。これらの『障老病異』は誰の身にも起こり得るにもかかわらず、専門家たちは「仕事」として研究したり協力し合うのに対して、当事者たちは『障老病異』によってお金を得るわけでもなく、それぞれの数も少ないため、これまで本人の視点で考えられることがあまりありませんでした。そうした『障老病異』を抱えたマイノリティの人たちがどうやって生きてきたか、そして今をどのように生きているか、さらにこれからどう生きていくか。

過去、現在、未来にわたって『生きる』ことを調べて考えるのが生存学です」と立岩は説明する。

奇跡の一本松

奇跡の一本松
人びとは震災から生き残った一本の木に、「生存」への希望をたくした。
人びとの願いもむなしく、この木はいのちを失った。
人びとは「奇跡の一本松」というもの語りを、共同で生成した。
この木は記念樹として生き返り、人びとの祈りを生きている。
(やまだ ようこ)

東日本大震災が起こった時、被災地には被災者でありながら「障老病異」を抱えた「マイノリティのマイノリティ」ともいうべき人々の置かれた状況や、その人たちが何を望み必要としているかは一般のニュースや新聞ではほとんど報道されなかった。そこで「とりあえず遠くにいてもできることをしよう」と、生存学研究センターに関係する大学院生らが、震災直後から障害や病気を持つ人々に関連する情報を集め、WEBサイトに掲載することから始めた。例えば停電下では発電機やバッテリーをうまく動かせないと人工呼吸器が使えず死亡する人も出てくる。そうした人々が必要とする情報は一般の災害情報に比べると格段に少ないとはいえ、インターネットを介して各地から発信された。その点は阪神・淡路大震災の時とは大きく異なる。大学院生たちはそうした情報をまとめてWEBサイトに掲載していった。その活動と並行して、被災地の障害者や病者がどのように生活していたのか、また彼らに対してどのような人々がどのような行動を取ったのかを記録した大学院生や研究員もいた。

これらのさまざまな活動や支援には、1995年の阪神・淡路大震災、さらにさかのぼって1970年代からの運動・活動を通じて関わり合ってきた人々が多く参加していた。そうした過去からの「つながり」が生き、関西からいち早く人が現地に駆けつけ、早い段階から組織的な活動を始めることができた。さらには阪神・淡路大震災を契機に設立された基金からの経済的な支援にもつながったのだ。立岩は指摘する。「そうした事実を記録し、多くの人に知らせていくことも我々研究者に課せられた役割ではないかと思います」

ナラティヴ・アプローチによって語られたイメージ「母と私のイメージ/20歳アメリカ女子大生」

ナラティヴ・アプローチによって語られたイメージ「母と私のイメージ/20歳アメリカ女子大生」

一方、立岩と同じく生存学研究センターのやまだようこは、心理学を専門としてナラティヴ・アプローチから「いかに人生を生きるか」という問いを探求している。誰もが人生の中で病い、事故、災害、死など取り返しのつかないマイナスのできごとに遭遇する。中でも東日本大震災のような圧倒的な喪失や負の体験と折り合いをつけ、再び前を向くのを支援するのが「ナラティヴ=語り、物語」の力だとやまだは言う。起こった事実は変えられないが「語り直す」ことで「希望の物語」に変えていくことはできる。やまだは被災者からそんな希望の物語を数多く聞いてきた。「父親とつないだ手が離れ、父親だけが波にのまれて亡くなるという経験をした娘さんがいます。『なぜ手を離してしまったのか』という自責の語りから、『手が離れた瞬間、お父さんは『来るな!』と叫んで波の中に消えていった。それは『生きろ』という叫びだったんだと思うと語り直すことで、娘さんは父親の死を受け入れ、『お父さんの分まで生きよう』と思えた。希望の物語に変えるとはそういうことです」

またやまだは数々の語りを分析し、希望につながる物語に共通する構文を見つけ出した。その一つが「ない」でも「ある」構文である。「すべての店は閉まっている。信号もない。でも、人々は互いに助け合い、順番を譲り合ったりしている」「夫を亡くした。でも、遺体を見つけることができた」というように、マイナスの事実を「でも」と転換して、わずかでもポジティブなものを見出していく。そんな「ない」でも「ある」と転換していく物語は、傷ついた人々が回復する力となると同時に、より多くの人の心を共に動かしていく「共同生成の物語」となり得る。

やまだとはアプローチは異なるが、立岩もまた言葉の力を拠り所に研究を続けている。「焦りや憤り、悲しみがあふれる言葉には、優れた研究論文以上に人を動かす力があります。事実を調査し、分析しても被災者の喪失を埋めることはできないが、当事者の側に立ち、その喪失を記録していきたい」と。

ナラティヴ・アプローチによって語られたイメージ「母と私のイメージ/70歳男 性Aさん」

ナラティヴ・アプローチによって語られたイメージ「母と私のイメージ/70歳男 性Aさん」

立岩 真也/やまだ ようこ

やまだ ようこ[写真左]
衣笠総合研究機構 教授
研究テーマ:ビジュアル・ナラティヴによる多文化心理学研究と質的心理学の方法論
専門分野:心理学、生涯発達心理学、ナラティヴ研究、質的研究、文化心理学、医療心理学

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立岩 真也[写真右]
先端総合学術研究科 教授
研究テーマ:社会領域の編成、所有の分配、病者障害者運動(史)、社会福祉政策
専門分野:社会学

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2016年3月14日更新