STORY #6

なぜ日本語母語話者は
英語の音を
聞き誤るのか?

野澤 健

経済学部 教授

母語の音のカテゴリーが
母語以外の言語の知覚に影響を及ぼす

日本人の英語力について語られる際、しばしば/l/と/r/の発音の違いを聞き分けられないことが典型的な例として指摘される。なぜこうした聞き取れない、あるいはうまく発音できない音が存在するのだろうか。

「一般にヒトは生後1年前後で母語では区別されない音の違いに敏感ではなくなり、母語の音のカテゴリーが母語以外の言語の音の知覚に影響を及ぼすようになることは広く知られています」と語るのは野澤健だ。野澤は英語と日本語を中心に母語や言語学習体験が他言語の音の知覚や生成にどのような影響を及ぼすかを研究している。野澤によると日本語を母語とする人が/l/と/r/を聞き分けられないのは、これらが日本語のカテゴリーではどちらもラ行音に分類されるからだという。

言語音の中でも、野澤が焦点を当てて研究しているのが「母音」である。「日本語の母音は『ア、イ、ウ、エ、オ』の5種類の音しかありませんが、アメリカ英語では『ア』にあたる音は/æ/、/ɑ/、/ʌ/、『イ』にあたる音は/i/、/ɪ/など最低でも11の単母音があります。日本語では母音空間が5つに仕切られているのに対し、英語ではもっと細かく仕切られているということです[表1]。/æ/、/ɑ/、/ʌ/のように日本語で同じ母音のカテゴリーに分類される音については、違いを聞き取れなくても、日本語では意味の理解に支障はないので、日本語を母語として習得するとその違いに敏感ではなくなります。当然、区別して発音する必要もありません」と野澤は説明する。

アメリカ英語の母音と日本語の母音の対応

野澤は異なる母語や言語学習体験を持った人を対象に母音や子音の知覚実験を行い、発話や聴解の違いを緻密に分析している。「その一つとして日本語話者と英語話者を対象に日本語の各母音に近い英語の母音は何かを調べる実験を行った。「日本語話者も英語話者も『ア』に最も近い音として/ɑ/を選択しますが、実際に日本語話者が『ア』に最も近い母音だと思っているのは/æ/です。そのため、/æ/と/ɑ/ が誤って知覚されることがよく起こります。これはhatを『ハット』、hotを『ホット』と日本語で書き表すように、一般に/æ/を『ア』、/ɑ/を『オ』と表記することに由来する日本語話者が持つ英語の母音のイメージと実際の音との乖離に起因しています」と野澤は言う。

一方日本語には「ア」と「アー」というように母音の長短での区別が弁別的であることから、日本語話者は母音の長さを英語の母音の聞き分けの手掛かりに使う傾向が強い。例えば/i/は「ヒート(heat)のように日本語で「イー」と長く伸ばした音で表記され、/ɪ/は「ヒット(hit)のように「イ」と短音で表記される。野澤は実験でも、日本語話者が/i/と/ɪ/を知覚する際に母音の「長さ」を手掛かりにしていることを明らかにしている。

しかし母音の長短の区別が誤った知覚を呼び起こすこともある。例えば「ヒート(heat)」と「ヒット(hit)」は母音の長さだけでなく質的にも異なる。にもかかわらず、日本語話者に/i/を聞かせて同じ発音の単語を選ばせる実験を行ったところ、/i/が「イー」と長音に聞こえるとheatを選び、同じ/i/でも短音に聞こえるとhitを選ぶ傾向が強い。つまり母音の質的な違いを察知している日本語話者でも、質的な違いを手掛かりにできていないということだ。これも/i/は長い「イー」だという日本語話者の持つ英語の母音のイメージに起因していると考えられる。

「さらに、英語の母音の知覚を困難にしている要因のひとつに、英語の母音は前後の音の影響を受けて、響きを大きく変えることが挙げられます」と野澤。例えば、[m]のような鼻音の前では/ɪ/は「エ」に近い音になる。また/æ/は、「エ」、「エア」のような音になる。そのため、pan/ penの聞き分けはpat/ petの聞き分けよりも難しくなる。加えて/l/の前の母音は舌が後ろに引っ張られるため、本来の響きとは違って聞こえる。そのため、/i/と/l/の間に「ア」のような音が聞こえ、peelの/i/は長い「イー」のようには聞こえない。これが日本語話者の持つ/i/のイメージとの乖離を起こし、/l/の前での/i/の知覚を困難にしている。

日英語の発音の違いは当然のこと、正しい発音を身に着けるに十分な英語の音声に接触していないことと適切な音声指導が行われていない上、カタカナ語として多くの英語由来の外来語を日常的に耳にしていることも現認にあると考えられる。

また野澤の研究によると、母語話者が気づかない音の違いを非母語話者が知覚することがあるという。英語では、sum-sun-sungのように母音の後に3種類の鼻音が可能で、鼻音の発音を誤ると意味が通じなくなる。同様に、韓国語でも、sam (三) - san (山) - sang (双) のように母音の後ろに3種類の鼻音が生起し得る。これに対して、日本語ではこの位置に起こりえる鼻音は撥音「ン(/N/)」だけである。「実はこの撥音は、後続の音により発音が変化するのですが、通常日本語話者はそのことに気が付いていません。例えば、『サンポ』の『ン』は上下の唇が閉じる[m]として発音されますが、『サンタ』の『ン』は舌先が上の歯茎につく[n]として発音されます。さらに『サンカ』の『ン』は舌の奥が軟口蓋につく[ŋ]として発音されます[表2]」。

後続の音による撥音の発音の変動

野澤は、「ン」の後続の部分を削除し、母音+「ン」からなる音声を提示し、聞こえた末尾の音が[m]、[n]、 [ŋ]のどれかを特定する実験を行った。その結果、母語話者である日本語話者よりも英語話者と韓国語話者の方が高い正答率を示したという。また、日本語話者と他の言語の話者の回答の傾向にも違いが見られた。日本語話者は[n]を選択する傾向が強く、『ン』の典型は[n]だというイメージが強いことをうかがわせる。それに対して、英語話者と韓国語話者は[n]を選択する率が最も少なく、『ン』が[n]として発音されるとされる環境でも[n]として知覚されるほど、舌と上歯茎の接触が強くないことが要因として考えられるという。

2020年に小学校での英語教育が必須になるのを前に、ますますその指導力が問われるようになっている。野澤の研究のような確かな実証を英語の音声・発音指導や聴解指導に応用することも必要になるに違いない。

野澤 健
野澤 健
Nozawa Takeshi
経済学部 教授
研究テーマ:多言語間での音声の知覚と生成
専門分野:音声学、第2言語の音韻獲得、英語科教育

storage研究者データベース

2019年10月21日更新