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明治期の天皇と陸軍の対立から見える「組織の普遍的な問題」

木多 悠介KIDA Yusuke

衣笠総合研究機構 専門研究員
研究テーマ

大元帥の制度化、統帥権の制度形成過程

専門分野

日本史/軍事史、日本史/政治史

研究の概要を教えてください。

木多:私の研究は、明治期の天皇と陸軍の関係性を解き明かすことを目指しています。明治憲法下では、天皇が統治権の総攬者(そうらんしゃ)と位置づけられており、軍隊を含めた国家の最終意思決定者でした。その一方、近代国家となった日本を運営するには、専門的知見を持つ官僚組織の存在が不可欠となり、彼らの知見を政策に活かすことが必要となりました。しかしこの国家構造の下では、官僚らの専門性に基づく政策と、統治権を持つ天皇の判断が対立するケースがどうしても発生します。14歳で即位した明治天皇も年齢を重ねていくうちに、自分自身の考えに基づく政策を主張するようになりました。その結果、天皇との間に対立が起こったとき、陸軍内部の官僚組織はどのように問題を解決していったのか。私は特に、天皇が20歳を超えた明治10年頃から明治37年頃(日露戦争期)までの陸軍制度の変遷を追うことで、この構造を制度レベルで分析し、明治期の国家運営の実態を明らかにすることを目指しています。

これまでにどのような発見がありましたか?

木多:一般的に明治期の陸軍制度は、陸軍省という政府組織が中心となって軍隊をコントロールしており、あまり明治天皇の意思や判断は陸軍に影響を及ぼさなかったと考えられてきました。ところが当時の史料を調べてみると、そうではないことがわかってきました。当時の陸軍は、お金を差配する「陸軍省」、軍事的な作戦を統括する「参謀本部」、そして人事を決める「人事機関」の三つの機関を横並びで設置しようとしていました。組織にとって、お金と人事を決める権限というのは非常に強い力を持ちますから、どこか一つの部署に権力が集中しないような体制がとられていたわけです。そして、この三つの機関を統括していたのが明治天皇でした。実際に当時の記録を見てみると、天皇の推挙で非主流の派閥にいた人物を参謀本部のトップに就けようとしていたりと、力を及ぼしていることがわかります。明治政府はその成立のプロセスから、薩摩藩と長州藩の出身者が中心的な立場にいましたが、どうも明治天皇は陸軍から、薩長勢力を弱めようと考えた可能性がありそうなのです。

それは明治政府と明治天皇の新たな関係性を示すとても面白い観点ですね。

木多:陸軍のほうも、軍を統帥する大元帥として天皇を立てているわけですが、実際の組織運営においては自分たちのやりたいように物事を進めたい。そこで「三つの機関が横並びの状態のままだと、誰も天皇を止められない」ということに気づき、自分たちが主体的に専門性を活かして軍をコントロールできる体制を作っていくようになります。陸軍が目指した体制、すなわち天皇の意思をある程度抑えこんで、軍事の専門家である官僚が中心となって組織を運営する体制が確立したのが、明治36〜37年の日露戦争が起こった頃だと考えています。天皇が軍隊を統率するという「国家の理念」を大切にしながら、実際には官僚の専門知識に基づく軍事政策をスピーディーに決定・実行したい、そのためにも天皇にはあまり意見を言って欲しくはないという「本音」のせめぎあいが、明治10年から30年ぐらいにかけて続き、制度的に決着したわけです。

明治政府は植民地化されることを恐れ、欧米列強に倣って富国強兵政策をとっていました。陸軍の制度改革も、どこかの国の影響を受けているのでしょうか?

木多:陸軍の制度改革では、当時の陸軍次官だった長州藩出身の桂太郎が大きな役割を果たしました。彼はドイツ留学中に、国家学者のローレンツ・フォン・シュタインの「軍事行政論」を学びました。シュタインは「行政官僚組織が政策の主導権を握り、君主は行政と議会の間を取り持つ役割に留まるべき」と主張しており、桂はその思想を吸収したことで、帰国後に陸軍省の権限強化を推進したと思われます。桂が渡った当時のドイツはプロイセンを中心とする連邦国家で、プロイセン王ヴィルヘルム1世が皇帝となり、鉄血宰相と呼ばれたビスマルクが実際の政治の中心を担いました。その体制は明治期の日本の姿とも重なり、大いに桂らの政治構想の参考になったと思われます。

明治期の天皇と軍部との関係性は、現代の我々にどのような示唆を与えてくれるでしょうか?また、今後の展望をお聞かせください。

木多:陸軍のような専門的な知識を有する官僚組織と、天皇のような最終意思決定者が対立する関係は、どの時代どの組織でも普遍的に見られる問題であると考えています。会社組織でも現場の社員たちと、社を支配する力を持つオーナーとの間で、同様の対立が見られることは珍しくないでしょう。近年の日本の政治ですと、2014年に政府が内閣人事局を設立したことで、中央行政機関の幹部級官僚人事を掌握することができるようになりました。「国民に選ばれた政治家が主導して行政をコントロールする」という点では民主的とも言えますが、専門家である官僚の知見が活用されなくなるリスクも生じます。明治期の陸軍の制度の変遷は、現代の組織運営や民主性と専門性のバランスを考える上でのモデルケースとして、深い示唆を与えてくれます。当時の史料を読み込む過程で垣間見える人間ドラマや、過去から現在への繋がりを探る楽しさは、歴史研究の魅力そのものです。今後は、これまでの成果をまとめ、著書を出版することを目指して研究を続けていきたいです。