はじめに、知覚の研究に興味を持ったきっかけを教えてください。
竹林:そもそものきっかけは、大学時代に認知心理学の授業で聞いた次のひと言「自分の目に見えている世界と、実際の物理的な世界は決して同じではない」です。これには驚きました。人間が見ている(と思っている)世界は、自分の脳がつくりだした知覚経験であり、外界そのものではなくその写像に過ぎないというのです。だから例えば同じ対象を見ていても、人によって異なる様相として知覚されることがあるのです。少数派色覚の見え方もその一例ですね。見えたものをどう解釈し、何に注意を向け、どの情報を記憶として保持するかなど視覚体験には認知機能全体が深く関わっています。このような物理量と心理量の変化の関係を、関数化して理解するのが視覚心理物理学です。私はここからロービジョンの研究へと進んでいきました。
ロービジョンとは、どのような症状なのでしょうか。
竹林:ロービジョンは何らかの疾患ゆえに視力が著しく低下するか視野が欠損するために、移動や文字の読み書きなどの日常行動に困難を抱えている状態です。視覚障がい者の内、全盲の方が1割で、残りの9割の方がロービジョンに相当します。視覚心理物理学では、ロービジョンの方の視覚世界を「心理量」として表現します。すなわち視野検査や視力検査のように生体の状態を数値化したものではなく、心に描かれる情報の強度を数値化して扱います。
街を歩いていると、ときに白杖を持っている人を見かけるでしょう。この方たちはロービジョンですが、デパートなどの商業施設で同じような人を見かけたことはほとんどないはずです。なぜなら、そのような場所では白杖を使えないからです。視覚障がい者をサポートする歩行訓練士は、まわりに障害物などがないか確かめるため「歩くときは白杖を大きく振るように、また地面を叩くように」などと指導します。だからといって人混みや商品棚が並ぶ中で白杖を振り回したりはできず、商業施設の中には点字ブロックもありません。そのため身体が健康でもロービジョンだと、買い物に行くのにも大きな困難を感じてしまいます。そんな現状を少しでも改善したいのです。
具体的には、どのような支援策を考えているのですか。
竹林:現在、産学連携で多分野の方と共同研究を進めようとしています。中途失明の方々の経験から、視力を失っていくまでの見え方の変化を聞き、続いて歩行実験と観察を組み合わせて研究を展開していく予定です。VRを活用しながら認知機能までを包括的に含む日常生活視力を測り、その臨床応用や補助方法開発までを目指しています。
具体的には、聞き取った視覚障がいの方の見え方をまずVRで再現します。そのうえで視覚障がいの強度やパターンによりどのような行動が可能なのか、また何に困難を感じるのかを認知課題の成績、頭と目の動き、そして歩行能力の指標として表します。これらをもとに日常生活視力を評価します。ロービジョンといっても個人差が大きいために、一般化するのは簡単ではありません。そこでどのようなサポートが望ましいのかを見極めるための検査ツールを、まず作りたいと考えています。その次の段階として、点字ブロックほど大げさでなくても、室内で確実に誘導できるツール開発に取り組もうと考えています。
視覚障がいの方の見え方には個人差があり、視野狭窄の方がいれば、中心部が歪んで見える方もいます。一部だけ見えにくいとか、光を過剰に感じがちな方、逆に暗いと視力が一気に落ちる方などさまざまです。そこで認知機能までを含めた日常生活視力を測定し、データに基づいて行動をベンチマーク化したいと考えています。このデータを眼科臨床分野に提供できれば、患者さんの日常行動の予測に役立つ可能性があります。視野検査や視力検査はあくまでも治療のための検査であり、その結果から患者さんの行動をモデル化するのは極めて難しいのが現状です。そこで日常の行動を予測したり説明したりするための検査として、視覚心理物理学のノウハウを活用してもらいたいと考えています。
ロービジョンの認知機能研究は、他の領域にも活用できそうです。
竹林:確かにその可能性も感じています。現在、ロービジョンの分野では運転外来が注目されています。私の研究でもVRドライビングシミュレーターを使っています。クルマをうまく運転するためには、何をどのように認知できていればよいかというゴールを設定して、そこからの逆算で考えていきます。このように研究を進めていると、その成果を、自動運転やセンシング技術の改良にも応用できそうだと考えるようになりました。これはいわゆる「カーブカット効果」であり、障がいを持つ人のために設計された配慮が、最終的には多くの人に利便性をもたらすことができそうです。
今後の研究の方向性と展望を教えてください。
竹林:直近の目標としては、1年後までに視覚障がいのパターンと強度に対応する視覚機能の理解を深めます。そのために歩行の際の注意の向き方、頭や目の動き、歩行の姿勢や速度などのデータをできるだけ多く収集します。そのうえで視覚世界と認知行動の関係性に関する、できるだけ精緻な指標を作りたいと思います。続いて3年ぐらいのスパンで視野に入れているのが、眼科臨床領域への貢献を想定したベンチマークの構築です。同時に点字ブロックのない屋内でも、ロービジョンの方が安心して移動できるようなツール、例えば屋内用の誘導ラインや標識などの社会実装を推し進めていきたいと考えています。