2010年9月13日更新
新型インフルエンザか、それとも季節性のA型か。そのウィルスを特定する「PCR検査」という言葉が新聞やテレビで頻繁に使われた。 PCRとはポリメラーゼ・チェーン・リアクションの略で、1985年にアメリカで開発されたDNA増幅法である。DNAを入れた溶液を高温と低温の環境におき、その作業を繰り返すことで、ウィルスの特定に必要なDNA鎖だけを倍々ゲームで増やしていく方法だ。 この反応には酵素が必要だが、高温では熱変性するので、その都度補充しなければならない。その手間をまったく不要にする、熱に強い特殊な酵素を超好熱菌から分離したのが今中忠行だ。
1993年に、100度近い熱水の中に生息する新種の微生物(菌)を、鹿児島市の南方300キロに位置する小宝島の海中温泉で発見したのである。
「当時はそんな高温で生きる微生物はいないとされていましたが、ドイツの科学者が海底の熱水鉱床から見つけました。僕もさっそく日本中はもちろん世界各地に探しに行きました。フィリピンやマレーシアでも微生物を採取しました。数が多くて分離するのは大変だけど、それが面白いところやね。その中で最も増殖速度が早くて絶対量が多く、短時間に菌体が得られるものに目をつけた。高温の環境でも『エエ感じやなあ』と生きとる元気な奴です。この着眼がよかったんやね」
学名は採取地にちなんで「サーモコッカス・コダカラエンシス」。前述のPCR法ではKOD1株とも呼ぶ。「今では世界一有名な菌の一つ」という。この菌のおかげで、犯罪捜査や親子鑑定などDNA検査が広く普及したのである。
「立体構造も分析しましたが、結局は増殖力がすべて。新発見はうれしいけれど、最初に見つけたものに執着したらダメなんだね。言葉は悪いけど、僕は浮気性でね。面白そうなことは何でもやって楽しんできました。ただし、心は燃えても頭はクールに。そうすると、面白い発見が結構あるんですよ」
1993年に今中忠行が鹿児島県の小宝島で採取した微生物=超好熱菌は、DNA増幅のPCR法で活用されているが、それだけではない、エコにつながる特性も持っている。
「この超好熱菌は、水素を大量に出すんです。実験では、でんぷんを分解してできるグルコース1モル(物質量の単位)から、4モルの水素を生成しました。常温菌でも、1〜2モルの水素を作る菌はおるんですが、4モルはちょっとない。更に、この菌は長時間培養すると凝集して高密度化することもわかってきました。それならと、住み家になるスポンジを入れてみると、水素の発生量が更に2倍になりました」
この、水素を発生させる特性の何がすごいのか。
「廃棄物処理にこの微生物を活用しようと思っています。実は、政府が推進するメタン発酵の技術よりはるかに安上がりで理想的。なんといっても、この微生物は、嫌気性なので、簡単に培養できます。また、酸素が不要なので通気攪拌もいらない。水素は嫌気性菌にとって有害なので、身体の外に出さないと自分が生きていけませんからね。しかも、約85度で培養するので、他のどんな雑菌も死ぬし、おまけにでんぷんも高温環境で勝手に糊化して分解されやすくなるし、実に便利なんですよ」
培養器を断熱材で覆えば、最初だけ加熱が必要だが、後は発酵熱で十分というのだから確かにスゴい。
「この微生物が出すのは、3分の2が水素で3分の1が炭酸ガスなので、そのままでも水素ガスとして使える。この水素ガスを集めて燃料電池に接続すればモーターが回ります。すなわち、燃料電池にも使えるわけです。炭酸ガスと水素は分子サイズが違うので、一本チューブを通せば簡単に純度95%以上の水素が取り出せますし」
今中は続ける。
「廃棄物処理は、最初は工場レベルで、うまくいけば各家庭にも導入したい。水素しか出ないので環境汚染もない。場合によっては、僕は外国で先にやってしまおうかと。この技術を評価する国でやって、日本に逆輸入しようと思っています」
廃棄物処理に燃料電池への応用、スーパー・エコな微生物の挑戦は続く。
今中忠行は2004年11月から翌年の3月まで、第46次南極地域観測隊に参加した。そこで数多くの特殊な微生物を採取したという。
「いろいろな場所から262のサンプルを得ました。赤や緑などカラフルな菌がいっぱい取れるんですよ。突起だらけの微生物もいます。こんな突起は普通ありません。僕は微生物の系統樹を作っているので分かりますが、おそらく新科です。種、属の上に科ですから、これはすごい。横腹や肩口から細胞分裂する微生物もいます。要するに分裂がうまくいってないんやろね。でも、寒冷地でライバルがおれへんから、ゆったりと分裂できるわけ。こんな菌を日本に持ってきたら、おそらく淘汰されるやろね。岩を割ってみたら、そこでも微生物が見つかりました。南極は紫外線がキツいから、表面にいると死んでしまうわけですね。その中に興味深いものが11種類あり、分離しました。岩の隙間から僅かな光があるらしく、光合成してアミノ酸やアンモニアを作るんですが、それらがお互いに食物を供給しあって細々と生きとるんです。けなげでしょ、可愛いじゃないですか」
微生物はチーズや納豆などの発酵食品で活躍するだけでなく、ペニシリンのように抗生物質として人間の生命を救うものもある。このため、未知の微生物が世界のバイオ産業のカギを握るといわれる。
「おそらく進化の源流は、僕が見つけたサーモコッカス・コダカラエンシスのような超好熱菌だと思いますよ。生まれたばかりの地球は高温でしたから。僕は微生物を発見するだけでなく、タンパク質の立体構造を決めるなどサイエンスをいっぱいやっています。遺伝子を調べるだけでは研究した雰囲気にはなるけど、発展性がない。それでは調べたことにはならんのですよ。この南極の微生物でもサイエンスを楽しんでいますが、産業や生活に役立つものもあるはずです」
元気で豪快、かつ緻密な研究を続ける「微生物ハンター」。その微生物への深い興味・関心と行動力から日々、未来へのおくりものが生まれている。
AERA 2009年6月15日号、6月22日号、6月29日号掲載 (朝日新聞出版)このページに関するご意見・お問い合わせは 立命館大学広報課 Tel (075)813-8146 Fax (075) 813-8147 Mail koho-a@st.ritsumei.ac.jp