2012年2月27日更新
2011年12月、岩手県宮古市重茂(おもえ)の第2仮設住宅敷地に、サッカーボールを半分にして伏せたようなドーム型の建物が誕生した。六角形のパネルに五角形の窓を組み合わせており、内部の広さは約15畳。トイレや炊事場も備えた、地域の簡易集会所である。
「建築的な工夫はもちろんありますが、学生たちや地元の住民など、みんなの協力で完成できた。それが最も価値のあることだと思います」と設計者の宗本晋作は語るが、その発端は1995年の阪神・淡路大震災までさかのぼるという。
「当時は大学生で何もできなかった。東日本大震災では直接的な支援をしたいと思い、ボランティアの専門家に相談したのです」
そこで紹介されたのが宮古市の重茂地区であり、「仮設でも住むところはあるけれど、みんなが集まる場所がない」という集会所を求める声だった。デイケアの施設も津波で流され、社会福祉協議会からも要請された。だが、現地への道路は1本と足回りは悪く、広い用地も確保できない。
「こうした条件から、誰にでも作りやすくて強度が高く、集会場としての象徴性も備えた建物として、六角形のパネルを組み合わせた10面体を考えたのです」
建築材料はホームセンターで購入可能な木材や合板などの汎用品を基本に、窓も重量のあるガラスではなく丈夫なフィルムにした。加えて宗本は自ら企業を回って協賛を募り、材料代をそれでまかなったという。そして、建設作業には宗本のゼミ生を中心とした立命館大学の大学院生や学部生など31名がボランティアで参加した。
「約1カ月間の工程ですが、本当に頑張ってくれました。京都から1200キロ離れていますからね。現場の近隣の仮設住宅は一杯なので、クルマで1時間程の仮設住宅で寝泊まりしての作業です。地元大工さんの協力が得られ、住民のみなさんから現場に差し入れがくるようになりました」
紹介が遅れたが、この活動は「宮古復興支援プロジェクト・ODENSE(おでんせ)」と呼ぶ。岩手の言葉で「いらっしゃい」だが、集会所の意味に留まらず、多くの人たちを呼び込む結果となった。
「地元から感謝状を授与されて学生リーダーは目に涙を浮かべていました。みんな「宮古は第2の故郷」と言います。ずっとこの地にかかわっていきたいですね」
AERA 2012年2月27日発売号掲載 (朝日新聞出版)このページに関するご意見・お問い合わせは 立命館大学広報課 Tel (075)813-8146 Fax (075) 813-8147 Mail koho-a@st.ritsumei.ac.jp