8月21(月)
何故か朝早く起きてゴミを出し、朝食後カレーを作ってから昼頃大学へ。永遠 に近い夏休みを取っていた大学も今日から動き出す。休み中は「いつまで休ん でるんだ、馬鹿野郎!世の中はもうとっくに働いているぞ!」と思っていたが、 休みが明けると、弁当持ちで静まり帰った大学に通っていた先日までの事がな つかしい。今日は智弁和歌山と東海大浦安の決勝だが、私は智弁和歌山が激戦 の末決勝進出を決めただけで満足であり、あとは決勝の結果を待つのみである。 何と欲の無いことか?!と思うかも知れないが、甲子園の終りは夏の終りであ る。それを見届けるのはちと寂しいからあえて見ない、というのが理由の一つ である。

とはいうものの、5対6で負けていたのを8回の表で一気に5点入れて逆 転したのをWebの速報で知ってから、もう我慢できずにテレビのある部屋に走 り、9回の表から観戦する。15時30分、とうとう11対6で優勝してしま う。これは凄い!メチャメチャ凄い!ところで智弁和歌山の高嶋監督はインタ ビューで「観客と一緒になって、後押しされてきたと思います」と言っていた。 オジサンらしい伝統的表現である。こういう時、最近の若い選手(特に女性)は 「観客の皆さんにパワーもらって」という言い方をよくする。これはたぶんマ ラソンの有森さんのオリジナルだと思うが、有森さんが言う分には彼女らしく てとても良い感じだが、猫も杓子も真似して言うのは妙な感じで好きではない。

S先生に、「H先生の出身校が優勝したぞ!」と報告しに行くと、「俺は高 校野球なんか嫌いだ!全く興味が無い」とのこと。理由を聞くと、8月18日 版の私の日記とほぼ同じ事を言っていた。曰く「高校野球は一人のピッチャー に比重がかかり過ぎている異常なスポーツだ。あんなのはおかしい。」プロ野 球のように、全選手のレベルの高い技を見られるものは良いらしい。またプロ 野球はペナントレースとか言って、山のように試合をするから、一人のエース がチームを支えるような事は原理的に不可能で、全選手がほぼ均等にゲームに 貢献する。従って、少年野球にみられるような異常性が無いから良いのだそう だ。なるほど!さすが体育会系のS先生である。

今日も少し事務的な雑用をする以外は、サーベイ・ノートをもとに悶々と する。とくに15年前の古い論文の証明を再健闘する。

8月22(火)
昼前より大学へ。本日午後より情報学科5回生M君と消去理論のゼミ。今回を 含めてあと2回ゼミをやって予定の所まで終らせ、後期はS先生に引き継ぐこ とになっている。

ゼミのあとは、ドイツ出発の準備に関したことをいろいろ。来年度の卒研 案内のパンフレットを作ってKaz先生と情報学科の主任に送る。何だか知らな いが、99年度に情報学科に入学した学生が卒業するまでは、情報学科の卒研 も担当するタテマエらしい。卒研はあくまで数学科の卒研として可換代数のゼ ミをやるつもりだから、まともに考えれば情報学科からの希望者はゼロ、多く ても1名のはずだ。しかし情報学科には膨大な学生が居て、大学からの連絡等 は全く意にも介さず勝手に奇妙な自己判断で動き回っているのが何割かは存在 する。こういう学生は何を考えているのか全く予測がつかない。何か妙な勘違 いをして私の卒研に紛れ込んで来たりすると厄介である。それから、図書館で借 りている本でドイツ滞在中に貸し出し期限の来るものを全て返却したり、パス ポート番号などの控えを作ったり。それから、現地に持っていくノートパソコ ンのセットアップとして、新しいディスクにFreeBSDをインストールしようと 思っている。で、S先生に教えてもらって、インストール用のフロッピーを作っ た。

昨日はO先生との立ち話で、海外に滞在していて魚とか米とか食べたくなら ないか、といった話題が出た。魚はそれほど好きでもないし、何も米を食べな い国まで行って無理して米を食う必要もないだろうという結論にしておいた。 ビールとソーセージとジャガイモとパンを糧に、心おきなく悶々とできればそ れでいいではないか、ということにしておく。まあドイツ語も心もとないし、 一体現地での生活がどうなるか想像がつかないが、一応文明国に行くのだから (健康でありさえすれば)何とかなるでしょうと、それほど心配していない。

それよりも、あちらでうまく研究が進められるかの方が心配である。1年 間留学することもできただろうが、あえて半年にした理由のひとつとして、向 こうに着いて間もなく現地の研究者に「高山はどうしょうもない阿呆だ」と判 定されて相手にされなくなった場合、1年間もいるのはきついだろう、という のがある。昔、解析学の大家M大先生がある大定理が証明できたと大喜びでフ ランスに行ったそうである。大先生が出発後、弟子達がその証明を再検討して みると、一箇所どうもわからん所がある。ひょっとしてチョンボかも... と いう不安が弟子達の間に広まったという。で、大先生が帰国してきた時、黒髪 が全部白髪に変わっていたという。「だらか今M先生は総白髪なんよ」という 噂を学生時代に聞いたものだ。また、整数論の期待の星とされていたS大先生 は、30代でフランスに留学し、現地の研究者にさんざんイジメられてショッ クを受けたという。「だらかS大先生は30代の若さで自殺されたんよ」とい う噂を聞いた事もある。まあ、噂は噂であって、真偽のほどはわからない。で も世界は広いわけで、どんなに優れた人でもえらい目に合わされる事はありう るだろうと思う。

8月23(水)
午前中は自宅で留学準備とその他の野暮用。午後から大学へ。 山科駅でA先生 と出会う。電車の中の話題は、もっぱら学生の大学院進学状況と東大と京大と 立命館の数学教室の雰囲気の比較。

今日はいくつか雑用をやって、FreeBSDのインストール作業に着手した。し かしシステム管理者が居ないとわからない情報の入力でつまずき、色々やって もらちがあかない。肝心のS先生はどこかに雲隠れ。経験的に考えて、こうい う時に深入りするのは良くないと判断し、さっさと切り上げ留学準備をゴゾゴ ゾをやる。せっかちな私としては、そろそろ浮き足立ってきたようだ。

ここ2日ばかり数学から離れてしまっていて気持悪い。まあドイツに行っ たらイヤという程数学ができるわけだし、しょうがないとする。

8月24(木)
昼前に大学へ。本日FreeBSDのインストール再挑戦。ノートパソコンとFreeBSD の相性は最低である。とにかく真面目にサポートしようという意志があまり感 じられない。じゃあ、何故ノートパソコンにFreeBSDなのかというと、それは 「S先生の口車に乗ってしまった」からである。Linuxならもっと簡単だそうだ が、S先生の口からはLinuxがいかに不便かという話が山程出てくる。で、やは りS先生の口車に乗ってしまい、結局「S先生が居ないと生きていけない私」に なってしまう。かと言ってWindowsなんて信頼性の低いシロウト向けのOS を使う気にもなれない、と意地を張っている。

半日頑張ってどうにか9割方環境が整う。全く「人生の浪費」が避けられ ない時もあるものだ。電車の中でぼんやり考える事はあるが、これで3日間数 学から離れている。フラストレーションはたまる一方である。

元祖天才君の夏休み日記に、数学をあきらめてしまった数学科の学生の就 職対策として(1)資格に走る、(2)サークルに走り「個性」を主張する、(3) とにかく3回生までに単位を全部取って4回生は就職活動と遊びに走る、の3 つが挙げられていた。しかしまだまだあるぞ!(4)情報学科に転学科または学 士入学する、(5)情報学科の大学院に進学する、(6) 何か実力をつけて中堅 以下の規模の企業を狙う、である。まあ、できるだけ名の通った企業に就職し たければ、情報学科にすり寄ることである。世の中実力の時代とは言うものの、 特に大手企業では相変わらず肩書と人当たりの良さを中心とした採用人事が行 われているようだから、情報学科なら少しは可能性が上るかも知れない。情報 技術の世界では、数学教育に力を入れているインド人が世界的に注目されてい るそうだが、その意味で数学を徹底的に排除することに自らの存在意味を見出 している情報学科(や情報学科の卒業生達)が今後どうなるかは見物である。し かし、当面は大丈夫であろう。

ただ、何らかの形でまだ数学に夢を持っている人の場合、情報学科に行っ ても不幸になるだけなので、あまりお勧めできない。I先生やS先生のところで 計算機をやっていた方が、よっぽど幸せではないかと思う。特に中堅以下の企 業では、形式的な採用条件で思考停止せずに、現場の担当者も交えて真面目に 応募者の実力を見ようとするだろうから(そうでないと会社が潰れる!と真剣 に考えているだろう)、要領の良さだけで世の中渡って行けると思っている情 報学科のサボり学生に比べて、有利な立場に立てよう。

8月25(金)
午前中野暮用にて自宅およびその近辺でうろうろする。山科駅地下A先生御用 達の"パスタのジロー"にて昼食をとり、昼過ぎから大学へ。FreeBSDのインス トール後の環境設定で少しチョンボしていて、しばらく原因追求のためS先生 とバタバタする。あと、別のハード・ディスクにFreeBSDとWindows98を再イン ストールする仕事が残っている。しかし、フラストレーションが限界に達した ため今日は少しでも数学をやることとし、「サーベイ・ノートをもとに悶々」 を少し整理する。その間追試の採点も少々。

昨日の続きで、「数学を諦めた人と情報学科」についてひとこと。敗北感 に打ちひしがれて、適当にどこかに就職できればそれでいいや、とか、ちょっ とでも就職に有利になれば、程度の気分なら「どうぞ情報学科に行ってくださ い」と言うことだろう。しかしまだ自尊心を失っておらず、野心満々で「自分 の腕一本で計算機科学でスーパヒーロになってやろう!」と思っていれば、何 も情報学科に行く必要はない。昔と違って高性能のパソコンは個人でも買える し、計算機関係の本や情報誌は書店にあふれ返っている。Webを使って最新情 報を仕入れる事だって可能だ。学問の中には、よほどの天才でもない限り、ど こかの段階で誰かに教わって、体系的に勉強しないと身に付かないものがある。 しかし現在の情報学科のカリキュラムでそういうものは無いと言ってよいし、 それが計算機科学の現状でもある。

このことは、情報学科の卒業生が数学や物理や化学や生物や電子工学や機 械工学などの大学院に進学するのはほとんど不可能だが、情報学科の大学院に はほとんど誰でも進学でき、十分やっていけることにも現れている。普通程度 の知能のある人が、興味と熱意を持って取り組めば独学できるようなレベルの ものばかりである。3回生までの実験や演習で、一人一人の考え方のプロセス や細かいテクニックを先生が細かく直伝する、なんて事もほとんどない。情報 学科というのは、なんとなく流れに沿って適当にやっていればなんとなくそこ そこの事が身に付くという、一般大衆向け楽チン・システム、あるいはペース メーカーという意味では大変良く出来ているが、「スーパヒーロ」への野心に 燃える若者にとっては大した意味はない。念のため断っておくが、計算機科学 はあえて分ければ商業的側面と学術的側面があって、今考えているのは主に商 業的側面であり、「スーパヒーロ」というのも、何か凄いプロダクトを開発し て大儲けするようなものを想定している。

ところで、私はむしろ大学学部レベルでは情報系以外の分野を勉強し、計 算機は独学(専門学校に通うのもいいかも知れない)でというスタイルを勧める。 あるいは大学院で情報系に進むというのもよい。そちらの方が幅が広がるし、 数学とは物理とかいったイグザクト・サイエンス(厳密科学)をひととおりでも かじっておけば、後で計算機に進んだ時にも強力なバックボーンになる。電子 工学でも機械工学でも良い。化学出身の優秀な計算機科学者も世の中にはいる。 私の世代より少し前までの計算機屋は、皆「他学科出身」だったのだ。

計算機科学にも実は基礎的で理論的な部分が少しある。それは実践面ではほと んど出て来ないが、時おりちらっと顔を出す。その時に思考停止してやり過ご すか、すっと理解して先に進むかで、長い目で見れば大きな違いが出て来ると 私は考えている。学部段階から情報学科に進むと、そういう事は絶対に身に付 かないし、一生身に付かないままで終るのだ。まあ、それでも多くの人は何と かやっているみたいだけど。

8月26(土)
昼前より大学へ。本日生協が休みである事を、昼食のため出かけた生協食堂前 で思い出す。たまたま南草津行きのバスが停車していたので、すかさず飛び乗 り若草北口で降りて近くのコンビニで弁当を調達。そこのコンビニは初めて入っ たのだが、ずいぶん繁盛していた。帰りは暑い所でバスを待つのも嫌なので、 汗だくになってとぼとぼ歩いて部屋に戻る。BKCが無駄にだだっ広い事がよく わかった。アメリカの大学では、学生がローラスケートやスケボーでキャンパ ス内を移動しているし、自転車を研究室まで持ち込んだりしている。地域によっ て大学の治安事情が異なるようで、スタンフォード大学などでは、その辺に頑 丈な鍵をつけて自転車をとめているが、カーネギメロン大学ではそんな事をし ていたら鍵に直結した部分以外はごっそり盗まれるらしく、部屋まで持ち込ん でいた。BKCはスタンフォード並の広いキャンパスだが、そういう事をしてい る学生は皆無である。(P先生はローラスケートを愛用しているようだが。) BKCはスタンフォードよりもはるかに学生数が多いだろう し立命館は管理主義が徹底しているから、当局に禁止されているのだろう。大 学に戻ると、Ar先生もウエストウイングを出た所で生協食堂の方を眺め、途方 に暮れていた。同類相哀れむ。

今日は別のハードディスクにWindows98とFreeBSDを再インストールしよう と思ったが、S先生が来てないし、何かつまらないトラブルが起こった時に 不便だから月曜日に先送りする。S先生が居ないと生きていけない私。

ということで、今日はサーベイ・ノートの整理をして、「悶々」を少しノート にまとめる。ドイツ滞在中は毎日「研究日誌」をつけて、今日はこういう事を 考えたとか、昨日考えていた事は全くナンセンスだとわかったとか、そういう 事を記録することにしよう。

3年前に京大数理研の長期研究員として半年過ごしたときも、似たような 事をやった。あの時は数学に転向するための基礎的な勉強モードで、今日はど の本を何ページ読んだとかいう事を書き留めていた。また、その時計算するの に使った紙や使い切ったボールペンはその後しばらく保存しておいた。 これはサボらないためでもあるし、大学受験生が入試の直前に今までやってき た参考書や問題集を積み上げて「自分はこれだけやったんだから大丈夫だ」と 自分に言い聞かせるのと同様の行為でもある。「自分はこれだけやったんだから、 ヘボでも数学者のハシクレになれるだろう。」

しかし、今度の研究日誌は「自分はこれだけやったのに何も結果が出な いのだから、数学者やっててもしょうがないのではないか」なんて事になりは しまいかと少々心配でもある。

この数学日誌も、もとはと言えばそういう目的で書き始めたのだが、Web日 誌という形式上、数学の内容について頭の中のモヤモヤしたものまで書いても しょうがない事と持ち前のサービス精神のため、雑談とか、数学の学生への檄 文じみた話や、講義や学生の事や、情報学科の悪口や、S先生の実況中継のよ うな事が多くなってしまった。しかし、この日誌もあと3週間ぐらいで終了で ある。数理科学科の秘密兵器で現在英国にて最終調整段階にあるH先生が、い よいよ9月下旬ごろから実戦配備される予定である。そして「H先生の 『イギリスはおいしい』」「H先生のチェロ日誌」「H先生のド解析日誌」「H 先生の読書日誌」等の新企画が始まるものと思われる。あとはH先生に引き継 ぐこととしよう。

8月27(日)
夏は寝るに限る。朝はゆっくり起きて、午後は録画しておいた「踊る大捜査線」 を2連チャンで見て、ラクト山科に旅行カバンを買いに行く。いつも海外出張 はフニャフニャのズタ袋大小2つで出かけるのだが、今回はノートパソコンを 持って行くので少しカチっとした機内持ち込み用カバンを買うことにする。

夜はどうせ数学やる気が起こらない事を見越して、山科書店で本を買って 読むことにする。「殺人少年」と「ドキュメント弁護士」の2冊で約2500 円也。数学書でこの値段の本を買うと半年は楽しめるが、一般書はせいぜい数 日で読んでしまうからコストパフォーマンスがよろしくない。だから最近はあ まり買わないことにしている。しかし、最近数学の方は「お勉強モード」から 「悶々モード」に変わってしまい、「悶々」に関連する論文ならともかく、新 しい数学書を読む気が起こらなくなった。で、何か読みたい時は一般書に手を 出すしかないのだ。

そういえば高校時代は一般書を1冊読むのに1ヵ月前後かかり、図書館で 本を借りても読み終らないうちに返却しなければならなかった。文庫本を1日 1冊のペースで読める友達なんてのは、頭の中が一体どうなっているのだろう と不思議であった。しかし、かくいう私もいつの間にか本を読むのが早くなっ たようである。今高校の現代国語の問題をやれば、昔よりももっと良く解ける のかしら。書店で学習参考書コーナーを見るたびに現代国語の問題集を買って みようという誘惑に襲われる。

高校時代、現代国語が一番苦手で、問題集、通信添削、参考書ありとあら ゆるものを試したが全く成績が伸びず、大学入試でも苦労した。途中で嫌になっ て現代国語の勉強を全くやらなくなったが、それでも全く成績は変わらなかっ た。ああいうものは、勉強して力がつくわけでもないし、勉強しなくてもある 程度の成績は取れると思っていたが、S先生はそうではないと言う。

S先生は現代国語が大変苦手で、その苦手ぶりは私の比ではない。私ですら どうやったらそんなに悪い成績が取れるのかと思うような惨状だったらしい。 彼の言うには、現代国語にもそれなりの解法テクニックがあって、それの勉強 をサボっていたから成績が悪かったのだ、とのこと。しかし私はそうは思わな い。私の見るところによれば、S先生は強度の誤解性で、相手の話の意図を注 意深く探ろうという意志をほとんど放棄しているように思える。自分の中に確 固としたイメージや意味の世界があって、相手の話を強引にそれらに結びつけ て解釈しているようである。少なくとも相手の話を分析して、それによって自 分の中のイメージを発展させたり修正させたりという事はやらないようだ。要 するに文章読解の作業を放棄しているようなものだから、読解問題が解けない のは当り前である。彼が現代国語が大変苦手だったのは、こういう性格的な部 分が大きいように思う。

しかしS先生のような「思い込みの激しい性格」というのは、数学をやるに はほとんど何の障害にもならないようだ。むしろ、周りの動きに惑わされずに 自分の問題を見出しそれに集中できるという意味で、かえって良いことなのか も知れない。ただ、S先生と数学の議論をするのは大変である。彼に何か聞こ うと思っても、こちらの質問の意味を理解させるのにほとほと骨が折れること がある。さんざん苦労して、やっと理解させたあげくに返ってくる答えは「知 らない」の一言だったりして、こちらとしては完全に力が抜けてしまう。だか らS先生とは数学の議論をしない事にしている。(キーワードを入力して、彼の 知っている事を一方的にしゃべらせるという形で、音声合成機能付き参考書と しては「利用」しているが。)こういう「数学の議論ができない」ことも、数 学をやっていくにあたってほとんど障害にならないようだ。S先生も言ってい るが、「頭が良いことと、頭が切れることは別」である。講義を聞いてすぐわ かる、本を読んですぐ分かる、相手の言う事にすぐに的確な反応ができる、と いう「頭の良さ」と、長く粘り強い思考の末に深い真実を素晴らしいアイディ アで発見する「頭の切れ」は別の才能なのだ。

8月28(月)
S先生が居ないと生きていけない私は、本日午前中に大学へ行き、新しいハー ドディスクにWindows98とFreeBSDの再インストールを行う。Windows98のイン ストールは簡単だし、FreeBSDも2回目だが、Windows98, Linux, FreeBSDとパー ティションを3つに分けてあるディスクへのインストールはちょっとした設定 が必要になり、またぞろS先生の御指導が必要である。あー!やだやだ!こん な退屈で厄介な作業なんて!

ダウンロードの途中少しだけ「悶々ノート」を書いたりしたが、ほとんどは インストール作業で潰れる。明日はWindows98にOffice2000をインストールし、 さらにLinusとsicstusPrologのインストールをする予定。嗚呼...

8月29(火)
午前中より大学へ。今日は夏らしくカラリと晴れた良い天気だ。しかしカラ梅 雨がたたって琵琶湖の水はいよいよ底をついてきたらしいので、喜んでばかり も居られない。

午前中は少し「悶える」。悶えて話が進む程世の中甘くもない。大抵は何 の本質的進展も見出せないままに無為に時間だけが過ぎるのである。何かをガ リガリ勉強すれば、先に進んだ気にもなろうが、問題の進展に関係しそうな文 献が見当たらない状態だとそれもできない。あまり関係無さそうな文献を読む 気にもなれないし。この場合にとれる方法は、闇雲に悶え続けるか、逃避行動 に走るかのどちらかだと思う。大抵はその両方をバランスさせるのだが、その バランスは人によって違うのであろう。いかにもエネルギッシュに四六時中悶 えている人も居るが、そうでない人も多いのではないだろうか。四六時中悶え ていても、エネルギッシュには到底見えない人もいる。逃避行動をしている時 の方が、いかにも「仕事してる」感じに見えることもある。多くの数学者がフ ラフラしているように見えるのは、そのためかも知れない。

本日午後より情報学科5回生M君と消去理論の最後のゼミを行う。その前に S先生と3人で、後期のS研ゼミの方針等の打合せ。S先生はreverse lexicographic order, あるいは revlex orderのことをtotal orderと言って みたり、(これはずいぶん前の話だが)termとmonomialを逆の意味で使ってみた りで、相変わらず話が通じにくい。代数屋と計算機代数屋とではtermと monomialを逆の意味に使うことは有名な話で、これはこれで困った話だが、 revlex orderのことを単にtotal orderなんて言うと、場合によっては本当に何を言っ ているかさっぱりわからなくなる。これも計算機代数業界の言い回しなのだろ うか。あと計算機代数業界ではalgebraic setのことをvarietyと言ったりもす る。varietyは既約なalgebraic setの事で、定義イデアルが素イデアルになり、 従って座標環が整域になり、従ってその商体が作れてそれがvarietyの関数体 になり、代数関数論が展開できてetc. と色々話がうまくいく。だから、少な くとも古典的代数幾何学の立場からは、varietyとalgebraic setをごっちゃに してはいかんのである。(そういう私も6月の数学コロキウムでalgebraic set をvarietyと言ってしまい、K先生に後で指摘されてしまったが。トホホ.) こ のような、計算機代数業界の、専門用語を不正確に使いたがる傾向には困ったもの だと思う。代数学などの隣接分野との交流を自ら拒否しているようなもの ではないか。という思いを込めて、S先生を「revlex orderはちゃんとrevlex orderと言え!阿呆!」と一喝する。

ゼミの後は、シンクタンクに就職するM君が仕事に関係するファイナンス数 学を勉強したいというので、A先生に適当な本を聞きに行く。その後、少し雑 用をやってから「逃避行動」の一貫としてLinuxのインストール。Linuxのイン ストール自身は簡単なのだが、その前後の「おまじない」のような作業が必要 らしい。で、S先生がやってきて20分ぐらいでさらっとやってくれる。「阿 呆!」と一喝した後でも親切にインストールをやってくれるのは、さすがに 国立研究所時代からの1 0数年来のおつき合いのS先生ならではの事である。あとは、Windows98への Office2000のインストールとsicstus Prologのインストールが残っている。こ れは簡単だろう。問題はOffice2000のCD-ROMが何処へ行ってしまったか、であ る。

8月30(水)
昼前に大学へ。本日は「悶える」ことにした。悶えてばかりではくたびれるの で、数式処理システムMacaulay2で例を計算させて遊んでみたが、少し大きい 例を計算させたら計算機が「悶え」てハングしてしまった(これはかなり異常 な現象である)のでリブートする。で、私もリブートしてMathSciNetで何か面 白い論文は無いかと探してから帰った。明日あたり図書館に見に行くことに しよう。

本日S先生は不在である。院生研に置いてあったWindows98用のソフトの CD-ROMがごっそり無くなっていて、それの「管理責任」でもチクチクと追及し てやろうかと思ったのだが。H先生の院生がたまたま来ていたので、あちこち 捜してもらったけれど、何処に行ったかわからない。ついでに英国滞在中のH 先生にもメイルを出して聞いてみたが、心当たりなし。今必要なOffice2000は、 個人研究費で買うなり、数学教室の誰かに借りるなりすれば良いだろうが、 「ごっそり無くなっている」というのはちと気になる。まあ情報学科で湯水の 如く金を使うのに馴れ切ったS先生などは、すかさず「また買えばいいじゃな いか。簡単な話だ。」とか言いそうである。そういう問題ではないと思うのだ が。(S先生)「○○すればいいじゃないか。簡単な話だ」、(私)「そういう問 題ではないでしょうに!」というパターンの会話は、この数年間加算無限(?) 回繰り返されてきたような気がする。

そういえばH先生はそろそろ日本に帰る準備でも始めているのだろうか。半 年なんて、あっと言う間である。私もH先生と入れ替わりにドイツに行って、 あっと言う間に帰ってくるのだろう。で、あっと言う間に人生が終わってしま う。

8月31(木)
神よ!この「悶える」私に啓示を与え給え、と思いつつ昨日MathSciNetで捜し た論文をコピーするために登校一番で図書館に向かったが、本日月末休館日。 この野郎、火つけたろか!と一瞬思ったものの、もう一日ひとりで「悶えて」 いなさい、という大日如来のおぼしめしだろうと悟り、部屋で「悶える」こと にする。昔の論文を引っ張り出して、ある結果の証明を調べ直すことを思い立 つ。それに関して具体的な例をMacaulay2で色々計算し、つまらない予想をデッ チ挙げる。まあ、何も進まないよりはましである。なるほど図書館の職員は、 大日如来のおぼしめしを私に伝えるための菩薩地蔵だったようだ。天才なほも 往生す、ましていはんや凡才をや!合掌礼拝。

S先生が登校。行方不明になった大量のWindows用CD-ROMの件を話すと、予 想通り「また買えばいいじゃないか。簡単な話だ。」との答えが即座に返って くる。で、私は予定通り「そういう問題ではないでしょうに!」と渾々と説明 することとなる。S先生は金と予算処理の技術的問題を中心にモノを考える傾 向があり、(当局に追及されるか否かといったレベルではない、より本来的な 意味での)管理上の責任問題や道義的な問題の重要性を理解させるのは多少時 間がかかる。

極端な言い方をすれば、「話の辻褄が合って、どこかからも文句が出なけ れば何をやってもいい」というのがS先生の思考パターンで、倫理基準を「世 間」に求めているような所がある。さらに、「何をやっても」の所で身も蓋も ないような事を考えだす傾向がある。それに対して「誰も見てなくても、お天 道様がちゃんと見てるんだ」というのが私の思考パターンである。要するに倫 理基準を、「世間」よりもより原理的なもの(例えば「お天道様」!)に求める のである。お天道様に申し訳が立つように、簡単な事をことさら面倒に やる傾向も無きにしもあらす。

この違いが筋肉中年のS先生をして"常識人"たらしめており、この私をして"時々 頭がおかしくなるオジサン"たらしめている。情報学科でS先生と一緒に研究室 を運営していた頃は、さしずめ「世間」と「お天道様」の代理戦争みたいなと ころがあって、無数の代理戦争の無数の和平条約に従って研究室が具体的に運 営されていたのであった。

ところで今朝K算太郎君の日記に「T山先生の日記がぶっ壊れている」の一 言を見付けて、どういう意味だろうと気になっていたのだが、夕方Ar先生が 「あなたの日記が字化けして読めん!」と言ってやってきた。そういう事だっ たのか、とやっとわかり、急いで修正する。FreeBSDのnetscapeでは、字化け も無く正常に読めていたから、わからなかったのだ。私の日誌(「日記」では ありませんぞ!)ファンの皆様、失礼しました。