2月11日(金)
今日は入試採点は無し。午前中はゆっくりし、午後は大丸百貨店とBigOffに寄り ジュンク堂をぶらつき、倒産した浸々堂河原町三条店を偵察し、平野屋で ミックスジュースをのみながらHartshorn "Algebraic Geometry"のsheafの部分を 読む。

sheafはこれまで何度も勉強しているが、sheafのありがたみを堪能すると ころまで行くか行かないかでいつも挫折している。sheafというのはコホモロジ― を考えてこそ意味があると思う。あまりちゃんと理解していないのでかなり 怪しいが、岡潔が不定域イデアルのアイディアで有名な難問を解いたのも、 現在からみればsheafのコホモロジーの消滅定理の話ではなかったかしら。 また5,6年前(まだ計算機屋だった頃)の夏休みに、 趣味で堀川頴二「複素代数幾何学入門」を読んだ時も、 sheafはコホモロジーを考えてこそ、という印象を持った覚えがある。

理論計算機科学でもsheafは登場する。sheafを使って並列・分散計算の 数学モデルを構成するという論文を読んだ事があるし、pre-sheafあたりだと カテゴリ論的計算モデルの話で良く出てくる。数学崩れの計算機屋の 郷愁を誘うにはもってこいのトピックスだが、はっきり言ってつまらない。 だって、そこで考えるsheafはアーベル群のsheafなどといった代数構造を もったものではなく、例えば「イベント」と呼ばれるもの の集合であったり、集合と似て非なるスコット領域のような「ドメイン」と 呼ばれるものであったりするのだ。「イベント」の集合も「ドメイン」も 代数構造は持たず、従ってコホモロジ―とは無縁である。

理論計算機科学をやっていて良かった事のひとつに、カテゴリ論に強くなっ たことである。関手や自然変換、帰納的極限や射影的極限なんて、学生時代は どうしても理解できなかったが、今は何てことも無くなった。数学では学生時 代に「カテゴリ論なんて一生に3日勉強すれば良い」とのたまわる教授も居た ぐらいで、カテゴリ論はまともな数学とは思われていないフシがある。しかし 理論計算機科学でも、特にプログラム理論ではカテゴリ論はメジャーなトピッ クスなのだ。

ジュンク堂では、最近採点で一緒になっているN大M先生がパソコンの本棚の 前でうなっているのを発見したが、特に声を掛けるわけでもなく。 平野屋で女子中学生とおぼしき2人組の会話で、「うちのねーちゃん ギャルやねん。ギャル嫌いや。私絶対ならへん!」というのが耳に入る。 「ギャル」と言えばすぐにどんなのか想像がつくが、「ギャルを正しく定義 または特徴つけよ」という問題に意味はあるのだろうか?意味があるとすれば どのような答になるのだろうか、などと考えながら帰宅する。

2月12日(土)
採点5日目。一昨日のおばさんパーティと昨日の「ギャルの定式化問題」によっ て、私のバッテリーはぎんぎんだぜ!状態。 午前中は勢い良く採点し、 昼食後の昼休みはT君の修論の校正に費し、午後の採点に突入。4時前に終了。

ところでJR山科駅というのは恐ろしい駅である。8時53分の湖西線と8 時55分の琵琶湖線が相次いで入ってくるのだが、8時54分頃には「次は5 3分の湖西線」と表示されており、「次に入ります電車は53分発湖西線○○ 行きです」とアナウンスされながら8時55分の琵琶湖線(!!)が入ってくる。 で、だまされた人達はホームに残され、次の電車まで15分位待ちぼうけを 食わされるのである。乗客同志の会話を聞くと、これを毎日やっているらしい。 イチゲンさんにイケズな京都らしい話である。

さてはお前もだまされたクチだろうとお思いの皆さん! 男児三日見ざれば括目して見よ。 言うてすまんが、最 近私は年差±10秒なる正確無比を誇る時計を購入し、電車の遅れ時間幅約3 0秒を勘案し、あらゆる状況証拠をもとに、今来た電車が琵琶湖線か湖西線か 当ててみせる術の開発に成功したのですぞ。今朝はJR山科駅が総力を尽くした 乗客撹乱作戦を見事に見破り、首尾よく8時55分の琵琶湖線の乗車に成功し たのであります。

それにしても、雨が降れば遅れ、雪が降れば遅れ、遠くでトンネルの崩落 事故があればそのついでに遅れ、何にも無くても何となく遅れる電車ってのは、 一体何なのでしょうね。私の子供の頃までは「国鉄(JRの前身)が1分でも遅れれ ば、駅長の首が飛ぶ」なんて話が、まことしやかに語られていたのだが。 おまけに嘘の表示とアナウンスを毎日流すとは、かつての国鉄マンの誇り はどこへやら、である。

微積分学のことはすっかり忘れ、行き帰りのバスの中では専らHartshornを 読みふける。夜はドイツ語のノート整理を少し。講座が終って講座の打ち上げ パーティーが終ってもまだノート整理が終らない!来週から春の短期講座が 始まるが、それまでに何とか整理を終えなければ。

2月13日(日)
入試採点最終日。最後は最後でこれまた強烈であった。夕方6時前に解放され る。今日は恒例の数学関係者の採点打ち上げと称して、情報学科随一のシステ ム管理一代男S先生御用達の某イタリア料理点にて飲み会が開かれる。情報学 科の飲み会には何だかんだと理由をつけてパスする私も、数学関係者の会とあ らばホイホイついていくのである。

当然この飲み会において、学内政治の話だの、金の話だのといった下品な 会話をする者は誰もいないのである。唯一悪魔に心を奪われしシステム管理一 代男S先生が、FreeBSDがどうのペンティアムがこうのネームサーバがそうのゲー トウエイがああのノートパソコンがこうのといった、頭の痛い話を得意げにす るかと思いきや、上品な人達ばかりに囲まれて上品な会話をしていた。これで こそ正しい数学者の集まりなのである。

数学教室最大にして最強のカリスマD大先生無き後の数学教室にて、ジーゲ ルだのヴェイユだのシムラだのといったハイ・ブロー、ハイ・テンションの会 話はもはや期待薄である。しかし心温まる話題と美味なる酒食の稔多き時間で あることには変わりないのである。

2月14日(月)
金曜休日土日出勤で体内時計の曜日が狂ったまま滋賀大の後期試験に出かけ、 夕方大学に戻ってすぐ採点にとりかかる。5日以内に成績を提出せよ、という 強行スケジュールである。ここんところ、採点マシーンと化しているよなあ。

滋賀大では「数学嫌い」と相場が決まっている文系の学生に、少しでも数 学は面白いものだという事を伝える事を使命と考えてやっている。そして単位 を出す口実も兼ねて試験問題に1問だけ「これまでの数学に対するイメージは どうでしたか?この講義を受講して、それは変わりましたか?」というのを入 れる事にしている。昨年も今年も割合肯定的な意見を書いてくれる学生が多い ので、こちらとしても元気が出る。数学という学問のためには、こうやってファン のすそ野を広げる事が大切だと思う。すそ野の端っこの人でも「何かよくわ からないけど、数学はけっこう面白いものだ」という気分でいる状態が望まし い。

昨日の飲み会でも、立命館の数理科学科から将来立派な数学者が輩出する 可能性は十分にある事がわかった。私が大学に入学する頃に出来たばかりの慶 応大学数理学科からも、既に数学会の賞を取るような若手・中堅数学者が輩出 している。立命館でもできないわけはないだろう。そう考えると元気が出てく る。

かと言っても、私が数理科学科で博士課程の学生を指導し、自分の手で数 学者を育てようなどという野望は無いのである。 理論計算機科学、特にプ ログラム理論においては、世界の頂点まで教え導く自信があったが、今の私は 計算機屋ではない。学生を育てる前にまず自分を育てるのにあっぷあっぷして いるのだから、学生と一緒にあっぷあっぷするのが積の山である。せいぜい希 望を持ってあっぷあっぷしようではないか。

教師である以上教育の義務からは逃れられず、教育の義務があるならばそ れに希望が持てないとやってられないのである。希望の無い教育の義務がどん なに虚しいものかは、情報学科で嫌という程経験済みである。

2月15日(火)
午前中にGoethe Institutで春のドイツ語短期講座を申し込む。山科駅まで戻 り昼食をとろうとRACTの店に入ったところ、霊験あらたかなるA氏と出会う。 既に朝食(?)を済ませたA氏に遅れて大学へ。2時から1時間ほど3回生M君と Groebner基底のゼミ。その後卒論を見て欲しいという学生がたて続けに数名訪 れる。そうか私は卒研の学生をかかえてたんだった!

私の2番目の数学の論文のレフリー・レポートが届く。それほど権威のあ る雑誌ではないようだが、どうやら掲載してもらえそうだ。最初の論文はかな り良い結果が出て気を良くしていたのだが、今回の論文の結果はあまり満足で きないものである。同僚H1氏からの伝聞によると、2番目の論文というのはそ ういうものらしい。最初の論文はほとんど自分でやったような気になっていた が、この分野の世界的権威者の一人であるH2氏との共著で、彼にうまく誘導さ れていた事も確かである。今回の論文は、問題を見付ける前段階にあたる議論 はH2氏らと一緒にやったけれど、問題自身は自分で設定したし、一人で書いた 論文である。

色々な計算例から予想された「定理」があって、それが成り立つと色々な 事が導かれて大変美しい。「こんな美しい事は絶対成り立っていなければなら ない!」とやっきになって証明を試みていたのだが、ある時ポロッと反例が見 付かってしまった。反例自身はあまり自明ではなく、ちょっと意外で面白いが、 主定理はかなり情けない。これではいかん!と根性で関連する小さな定理を1 つ2つ示して、いっさいがっさいのガラクタを並べたてて「どうだ!」とハッ タリをかませているのが今回の論文である。実は関連する定理というのも、最 初の予想から導かれる幻の大定理が空中分解した残骸のようなものなのだ。

まあいずれにせよ、一人で書いた2番目の論文が世に出そうだという事で、 私はずいぶん気を良くしている。最初の論文が出る前は「私は『自称数学者』 を自称している者です」と自称していたが、それが出た後は「私は『数学者』 を自称する者です」と自称するようになり、今回で「私は『数学者』です」と 自称できるようになったと思う。

2月16日(水)
今日は何も無い日なので、論文の最終稿を仕上げてAvramovの精読でも再開し ようかと思っていたが、それは大間違いであった。朝から卒論の質問・問合せ の学生が次々と訪れ対応に追わる。その間をぬって論文の仕上げ。細かい authors instructionsに合わせてフォーマットを変えたりしていると、意外と 時間がかかる。てんてこ舞いの一日だったが、夕方頃やっと一息つく。

Javaプログラミング・グループの10名前後(正確な人数、名前は覚えた事 もない)は、12月末までの週1回1コマ程度のゼミをチンタラやって適当に 相手してただけであるが、意外とまともにプログラムを作っているし、論文も 余り手直しが必要が無い程度にそつなくまとめているのにはちょっと驚いた。 今年は手のかからない子達だったので、助かったとも言える。

2月17日(木)
午前中に論文の改定版を郵送し、ほっとしたところで午後からずっと学生が次々 とおとずれ、卒論の指導。15時から延々5時間の殺人会議が炸裂!途中抜け 出して部屋で一息と思ったら、また学生の行列。一息どころの話ではない。

この調子ではAvramovの再開は当面お預けである。かと言って完全に数学を 停止してしまうと、元に戻るのが大変である。暇々にHartshorn, "Algebraic Geometry"を拾い読みをして勘の維持に努める。

2月18日(金)
今日も卒論関係と院試関係の会議で一日バタバタする。卒論を提出した学生が、 次に考えることは卒論発表会をどうするか?ということ。そこで去年の発表会 のビデオが撮ってあるので、それの上映会をする。去年はビデオを買ったばか りで、嬉しがって撮ったのだが、こういう時に役に立つ。

数学教室では12月で卒研が終り、卒論は無し。1月の後期試験と2月の 入試の採点が終れば、あとは院試と高々数名程度の修論公聴会が残るだけであ ろう。学生と教員が平和な時を共有するという麗しい関係が実現されていると 見る。

それに比して情報学科は卒研の成績提出の〆切の後に卒論の〆切があり、 さらに200数十名規模の卒論発表会があり、その間に100数十名規模の修 論公聴会があって、何だかんだと2月の終りまで大騒ぎである。数年前までは、 これらの行事は2月始めの入試採点の前後に終了していた。何で今のようになっ たのかはわからない。正確に言うと、このようになる時の議論の場にずっと居 合わせたのだが、なんでそういう議論になるのか私にはほとんど理解できなかっ たのだ。私には多くの教員が教育一辺倒に突き進むことによって、教育と研究 のバランスを大きく崩し、研究を放棄したいと考えているようにしか思えなかっ たのだが、彼らは(表向きは「教育のため」という殺し文句を理由に 上げているものの)その逆だと考えているようだったこと。そして「反対する者 は非国民だ!」と言わんばかりの異様な雰囲気であったことは覚えている。い ずれにせよ、情報学科の教員達というのは、よくわからない人達だという認識 を新たにした事だけは確かである。

本学情報学科の事はおいとくとして、一般に数学と工学とでは学生の教育 に対する考え方が全然違うようだ。工学では、学生の尻を叩き続ける事が良い 教育だと考えるようだが、数学は逆である。数学では、学生の邪魔をせずにそっ としておくのが良い教育だとされるようだ。変に教師が手を出して天才を潰し たり、才能をゆがめるような事があれば、それは数学に対する暴涜であると考 えるわけである。また、放置しておかれてモノにならない学生は、どのみちモノ にならないのだ、という考え方もある。 その根拠の一つとして、大学紛争でろくに講義もされなかった時代の 学生に、超一流の数学者が多数輩出している事がよくあげられる。 大学大衆化の世の中で、こういう考え 方はすこぶる旗色が悪いが、世の中がどうあれ、数学とはそういう学問だと思 う。もっとも、どこの数学教室でもそういうやり方ができる訳ではないと 思うが。

2月19日(土)
ドイツ語春の短期講座一回目。講座は13:30〜16:45なので、朝は ゆっくり京大ルネに行き、書籍コーナーを少し冷かしてから昼食。その 後京大総合図書館でひと休み。ゆうべの寝る前の読書で少し日本語の言 いまわしの意味がわからなかった、Vitaliの被覆定理の証明を別の本 で調べて納得したり、最新号の「数学セミナー」をながめたり。13時頃 にGoethe Institut に着く。大学は春休みとあって学生さんがほとんどで、 講座の平均年齢はぐっと下がったようだ。正体不明のおじさんとしては、 同じく正体不明のおばさん達の多かった前回講座がなつかしい。帰宅後 の夜は、まだ終わってない(!!)前回ドイツ語講座のノート整理を少し。 今日の講座の様子では、前回講座の復習をやりながら今度の講座に出 ていればよさそうだ。

昨日は同僚H先生の最新の論文の別刷りを頂戴する。代数しか知らな い私が解析の論文を読んでわかるわけがないのだが、短い論文なので 何となく眺めてみたら、 absolutly continuousという単語が目に入り少し嬉 しくなった。これはまさに前の晩に溝畑「ルベ―グ積分」で読んだ部分 に書いてあった用語だ。小さな幸せは日々のたゆまぬ積み重ねによっ て約束されるものだ、ということを知る。思わぬところで人生を学んでしまった!

2月20日(日)
リンゴ頭の不気味な人間(?)が、エッフェル塔に頭をズリズリとこすりつけて「す りおろしリンゴ」 運動をやったり、床屋で"Quel XX voulez vous?" (XX部分は、たぶん髪型を表す coiffureとか何とかのフランス語が入るのだろう) "角切りリンゴ, s'il vous plait." "Oui, monsieur!"な んて 会話をやったりする、グリコ”朝のすりおろし・角切りリンゴ”のシュールなシュー ルな コマーシャルに感染したのは少し前のことである。

その後潜伏期を経て今日発病する。あのコマーシャルのBGMはサティーっぽいけど、 あんな曲あったっけ。それにしてもあの世界はいいなあ。「あ!猫がお茶してる。あ !猫 が悩んでる」というカメラのコマーシャルとちょっと似てるけど、断然こっちの方が いい。 などなどの考えにとりつかれ、午後は久しぶりに外界の刺激を遮断すべく 家に篭って、エリック・サティーを聞き ながらドイツ語を勉強したり(フランス語でないところがちょっと悲しいが)、 夕食の麻婆豆腐(何でマーボなんじゃ?!)を作ったり。