6月11・12日(日・月)
日曜日は久ぶりに良く寝た。昼頃起きて、風呂掃除だの、買物だの、 ドイツ滞在中に利用する予定の外資系銀行のパンフとにらめっこしたり、 問合せの電話を掛けたり、飯食ったり、風呂に入ったりで、短い一日 が終った。NHKラジオドイツ語講座のテープを編集して、ドイツ語会話の MDを作ろうと思ったけれど、そこまで手が付けられずに寝る。

で、またも大学入試の夢を見た。物理と化学を全然やってない。昔好きだっ た世界史なんてすっかり忘れてしまった。可換代数の論文読みとサーベイをや らねばならぬし、考えなければならない問題もたくさんある。理科社会をやっ ている時間なんて取れないよ。物理の方は昔は大の得意科目だったし、最近数 学では数理物理が花盛りだから勉強してもいいけれど、今やっている代数と直 接関係しないし、今から力学だの電磁気学だのからやり直すのはかったるい。 それに数理物理で話題になっているのは、場の量子論とか素粒子論とかの話だ し、そのレベルまで行くにはちょっと時間が掛かり過ぎるのじゃないか。世界 史は趣味としてやってもいいが、固有名詞や年号を沢山覚えるぐらいならドイ ツ語の単語でも覚える方が急務だ。化学に至っては、面白いといえば面白いの だけど、今はやる気が起こらんよなあ。それにつけ焼き刃の受験勉強で今度大 学入試を受けても合格する保証はないし、だとすれば受験勉強なんかしている 暇があれば、極小自由分解の論文を読んで色々考えてた方が有意義じゃないか なあ。やっぱり、来年も大学受けるのはやめよう。 あれ?!いつの間にか、本棚に物理と化学の問題集が置いてあるぞ。そういえば この前散歩の途中で立ち寄った書店で買ったんだ(註:実際には買ってない。 あくまで夢の中の話)。えー?!でも、こんな問題集やるのやめよう。やめるべきだ。 なんて事を考えているうち に目が覚めた。

そういえば、最近この手の夢をちょくちょく見る。ちなみに、受験科目は いつも20ウン年前と同じ数学、英語、国語(含む漢文・古文)、理科2科目 (物理、数学)、および社会1科目(世界史)の6科目入試が想定されているよう だ。(最近の少数科目入試を想定すれば、もっと楽な夢になるかも知れないのだけど。) 注意すべき事は、入試の現場で問題が解けない!という夢ではなくて、 「今年も受験勉強してないから、受験は先送りしよう」としている点である。 こういう夢を見ないようにするには、頑張って夢の中で大学入試を受けて、合 格なり不合格なりすることである。しかし、夢の内容までコントロールするわ けにも行かない。

こうなると、単に大学受験生時代の厳しい状況を夢の中で思い出した、な んて話にとどまないようだ。何か、もう一度大学生活をやりなおしたいと思っ ているのではないだろうか?で、大学生活をやりなおしてどうするつもりか? たぶん「今度はヘマをせずにちゃんと勉強して、計算機科学なんかで10年以上も 無駄足踏む事なく、まっすぐに数学一本の人生を送るぞ」なんて事を、心の底で思っ ているのではなかろうか。学生時代は、それなりに必死に勉強していたつもり であるが、今思うと「あんな勉強の仕方してたんじゃ、あかんわな」という事 が多々あるし、結構ダラダラと遊んでもいたのである。青年老い易く学成り難し、 浦島太郎の玉手箱でござーい、である。

月曜日は昼前に大学へ。論文読みとサーベイを続行する。

6月13日(火)
午前中より大学へ。今日も論文読みを続行。論文を読むというより、ああでも ないこうでもないと「よしなしごと」を考えながら、関係した論文を拾い読み したり、サーベイノートを修正したりする感じ。最近は、H先生の言うところ の「きれいな数学路線」になっている。代数で新しいテーマに手を出す場合は、 そういう広い意味での「勉強モード」は必要なような気がする。(代数に限ら ないかも。)

昼食後、53ページもあるのでコピーするのをためらっていた論文を探し に図書館へ。幸い(!)ちょっと古い論文なので、図書館には無く、カウンター で取り寄せを依頼をした。これだと自分でコピーしなくて済む。立命館の数学教室 の歴史はよく知らないが、ようやく数学教室としての体(てい)をなしてきたの が80年代からだと思われる。80年代以降の雑誌のバックナンバーは割合揃っ ているが、それ以前のものがほとんど無いからだ。不変式論に関する1890 年のHilbertの歴史的論文"Uber die Theorie der algebraischen Formen"が出 ているMathematische Annalen Vol.36のバックナンバーなんて絶対に無い! (もっとも日本中どこを探しても無いだろうけど。)まあ、これが幸いして自分 で泣きながらコピーしなくて済んだというわけ。

ところで1980年頃といえば私が学生だった頃で、立命館の数学教室は 「数学物理学科」であった。だいたい数学と物理をごっちゃにするなんて、何 て腰が引けていることか、と馬鹿にしていたものだ。正直言って立命館がどん な大学か知らなかったが、「数学物理学科」なんて看板を恥ずかし気もなく掲 げている大学なんて、どうせ大したことはないだろうと馬鹿にしていたような 気がする。慶応大学の数理科学科も、私が高校を卒業する時に開設されたが、 「数理科学科」なんて軟弱な名前をつけおってと、これまた馬鹿にしていた。 東工大の数学科の案内を見ると、「数学は諸科学・工学の言語であり、これら の学問に奉仕する云々」というような事が書いてあったので、思わずブチ切れ た。数学はそれ固有の価値を持つのであって、何かの道具になる程落ちぶれて いないのだ。そんな事を書く学科なんて、どうせ工学部の尻に敷かれたツマラ ナイ所だと、これまた馬鹿にしていた。昔は色々馬鹿にしていたのである。 昔と比べれば、今の私なんか「翁莞爾トシテ笑ム」の好々爺そのものだ。

A先生が「ひとりごと」でファイナンス理系の学生に「大喝!」を入れてい る。コアになる線形代数、集合・位相空間を避けて、軟弱な科目ばかり勉強し て何になるか、と。だいたいファイナンス何とかという学科は全国に沢山出来 ているそうだから(しかも立命館よりも有名な大学ばかりである!)、立命の学生が他 大学出身者に競り勝つには、何か特徴を出さねばならない。他大学でも立命館 の情報学科ファイナンスでも、経済・経営ファイナンスでも、工学系や経済・ 経営を第一の専門として固めた上で、さらに付加価値として「ファイナンスの事も少しは知っ てます」というレベルを目指している場合が多いようだ。でも、金融工学の核 心を理解し、新しい技術や理論を深く理解できて、ファイナンスの中核で活躍 できるレベルを狙えるのは数学系の学生しかあり得ないし、逆に数学系の学生 はその路線を狙わなければ生き残れない、というのがA先生の持論のようだ。 そのためにはきっちり抽象数学を勉強すべし、というのは、当然だと思う。

難しい数学の勉強は避けて、経済・経営系科目のいくつかをつまみ食いし て「一通りファイナンスを知ってます」と言えば、何とかなるだろうと信じ切っ ている学生達に、「世の中ナメてちゃいかんぜよ!」というのがA先生の主張 であろう。確かにそのレベルの知識なら、ファイナンス云々という学科を出て ない人でもその気になれば自分で本を読めば身に付けられる。学生は案外知ら ないようだが、少なくとも表面的な知識なら、大学を出てからでもいくらでも 勉強できる。社会人になってから勉強している人は案外多いものなのだ。数理 科学科を出ていても、(大学でしかやれない)数学をまともに勉強してない根無し草みたいな 「ファイナンスの学生」なんて、素人同然の扱いしか受けないだろう。

6月14日(水)
午前中より大学へ。部屋につくなり図書館から電話が入り、昨日カウンターで 取り寄せを頼んだ論文は学内で見付かったとのこと。どうやら私の探し方が下 手で、昨日探していた書棚の後ろの書棚にズラリと並んだバックナンバーの中 にあったらしい。短い夢だったよなあ、と泣きながら昼休みにせっせとコピー する。

昼食時、近くのテーブルで京大から非常勤講師に来ていると思われる、3 0才前後の男2人が居た。「数学者封筒」というのがあって、一部の数学者は 所属数学教室の書類用封筒を持ち歩く習性がある。読みかけの論文、所属教室 のA4版レポート用紙に書いてクリップで束ねた講義のノートなどを入れて、身 軽に歩き回るのである。話の内容を聞くまでもなく、彼らの唯一の手荷物であ る書類用封筒を見れば数学者であることがわかり、さらにちょっとキツそうな 顔付きを見て現役の京大関係者だなとわかる。京大の数学教室というのは、し んと静まった中にも結構テンションが高いのだ。多少乱暴な言い方をすると、 立命館の数学教室でKaz先生とNk先生のクローンを適当な比率で合計20名ぐ らい作って、あとの教員(私も含む)を消去すると、京大の数学教室に近い雰囲 気になる。さて、彼らの話の内容は、ひとことで言って今教えているクラスの 学生が勉強せんからけしからんというような事だった。この内容から、大学で の教育経験が短い助手かオーバードクターあたりだとわかる。多少の教育経験 がある場合、学生が勉強しないのは当り前の事で、むしろうちのクラスには勉 強する学生がいるぞという話で盛り上がることが多い。

京大数学教室というのは、立命館の数学教室とは全然雰囲気が違う。立命 館のように教員と学生が和気あいあいという事は無い。ゼミでは教授がさんざ ん学生を絞り上げ、出来の悪い学生は「君、もう数学はやめなさい。単位はや るから、来週から来なくてよろしい。」とどやしつける。教授の辞書に「手加減」 なんて言葉は無い。ゼミが終ったら雑談無しでさっさと解散し、家に帰って勉 強する。学生は真剣に数学をやっているグループはその実力によってマゾかサ ドかのどちらかに別れ、数学者目指すのはちょっと、というグループは死んだ フリをしている。立命館のようにみんな一緒の仲間意識は無い。そもそも 立命館名物小集 団クラスの「友達作ろう」軟弱路線は、京大数学教室の対極にある概念なので ある。当然レポートの写し合いなんて考えられないし、レポート見せてくれな んてヌケヌケと言う輩は「プライドのかけらもない人間のクズめ!そこまで落 ちぶれてまで生きている意味があるのか。」と「社会的に抹殺」される。また、 京大名物学生同士の潰し合いというのがあって、メジャーとされる分野の院生 が、マイナーとされる分野の院生の所に言って、今時そんな研究して何になる んだ、お前の未来は真っ暗だと「サドる」。演習の時間は、担当教員そっちの けで発表者の答案の間違いを指摘し、「お前何どん臭い事言うとるんじゃ。ちゃ んと考えて来んかい!」と「サドる」。「サドら」れた子は、ナマス斬りにさ れた苦しみに身悶えしながらも、目をランランと輝かせて「マゾる」。以上は ほとんど私の学生時代の事だが、今でもたいして変わってないだろう。同級生 で他大学の大学院に行った友人は「京大は雰囲気が滅茶苦茶悪い」と大変嫌っ ていた。私は正真正銘のマゾ学生であったが、数学教室とはこんなもんだと別 に気にもとめていなかったから、友人の言にも「そうかいな?」という感じ。今 でも「なつかしいなあ」なんて気持すら持っている。(またイジメられたい とは思わないけど。)京大のような数学教室ば かりでないと知ったのは、うんと後になってからである。

午後は外書購読。その後論文読みと瞑想を続ける。途中、ここんところ上 機嫌が定着した観のあるS先生が、限りなくルベーグ積分論に近い集合論の雑 談をしに来る。

6月15日(木)
午前中より大学へ。午後一番で2回生の微積分。「眠り姫」嬢は森の中の小人 達に囲まれて安らかに眠ることを決意したらしく、教室には見当たらない。 「眠り天才」君は寝たり起きたりで、ちょっと忙しそうであった。講義の最初 に一番前で飯食ってる学生がいて、ふと慶応SFCみたいになってきたなと思う。 講義の最後はちょっとあわてて本質的な所でケアレスミスをしかかったが、3 回生A君に指摘される前に気付いて修正。(危ないところだったぜ!)講義の後 の恒例である「質問君」の質問は、すこし高尚なものだった。可換環の微分と か完備性とか言い出すので、微分加群とか局所環のm進完備化の話(これは学部 4回生から大学院レベルの話題である)を聞いているのかと思ってちょっと驚 いたが、そうでもなかった。

夕方から情報学科4回生の暗号の講義。まだネタ切れには至ってない。今 第何章何節をしゃべっているかの番号管理は、すべて一番前に座っている元祖 天才君のノートを見せてもらって済ませている。天才君のノートはきれいだ。 私の汚い板書がこんなにきれいなノートになるのかと驚く。天才君よ、私の講 義を聞いている暇があったら、K先生の下で楕円曲線論をまじめに勉強した方 がいいんじゃないの、と言いたいところ。(K先生の「ひとり言」参照のこと。) しかし彼が居ないとちと困る。

講義の合間は昨年夏の可換代数サマースクールのノートを読み直し、瞑想。

6月16日(金)
早朝より大学へ。朝一番で初等組合せ論の講義。時間きっかりに終って気分よ ろし。途中、しんと静まり返った教室でずっとヒソヒソ話を続けていた小娘に、 やさしくかつ断固とした雷を落す。午後から中等組合せ論の講義。「眠り天才」 君の眠ること眠ること!寝る子は育つとはよく言ったもんだ。しっかり眠って 大きく育っておくれ。午前の講義と同様、この教室もしんと静まり返っていて、 そのうち雷でも落してやろうかと経過観察中の(上記のものとはまた別の)おしゃ べり小娘のヒソヒソ声がするだけである。ところが突然、教室の後ろの方から 私のケアレスミスを指摘する大きな声。こういう反応が返ってくる教室もいい もんだ。おい!そこの「眠り天才」!寝てばかりいないで、何か言っ たらどうだ?!夕方から情報学科5回生M君とGroebner基底のゼミ。講義の合間はサー ベイと瞑想。

昨日の帰りの電車でP先生と一緒になる。自分の研究問題をどうやって見付 けているのだと聞いてみた。彼はlocale理論をやっている。これは位相空間論 をカテゴリー論で再構成するような話だそうだ。で、基本的には位相空間論と localeを比較して、カテゴリー論で再構成されていない位相空間の概念を追っ ていけば問題は見付かるのだ、と言っていた。数学の分野には、ある重要な空 間の系列がたくさんあって、その分類を順番に調べていけば良いとか、ある有 効な方法論があってそれの適用範囲を順番に広げていけば良いとかいう形で、 少なくとも取り組むべき問題を探すのには苦労しない分野はあるようだ。だだ しその一連の問題が解けるか否かは、本人の実力次第である。

さて、可換代数がそういう分野であるかどうかは、未だ駆け出しの私とし てはよくわからない。今のところ、問題を見出すのに結構苦労する分野のよう な気がしている。(私自身が苦労している。)「さまざまな可換環の極小自由分 解におけるベッチ数を評価せよ」とか「正則局所環でない局所環(R,m,k) [そんな局所環は山のように存在する!]につ いてkの極小R自由分解のポアンカレ級数が有理式になるための条件を求めよ」 といった大きな問題(leading problem)はあるが、じゃあ具体的にどこから手 をつけていくか?というレベル問題となると、はたと困る。問題はいくらでも 作れるが、全く瑣末な問題であったり、何も良い結果が出て来ない問題であっ たりして、作った問題が良問でない場合が多い。少なくとも、誰でも(?)自然 に見出せるある一連の良問を順番に潰していけば良いということは無さそうだ。 一連の良問の鉱山を探し当てることを「一山当てる」と言ったりもする。

多くの場合、数学ではまず良い問題を見出す事が大切で、そのためには相 当のセンスというか、良いテイストを持ってなければならないような気がする。 あるいは、良いテイストを持った研究者からインスピレーションを得るように しなければならない。その意味で、優れた研究者との議論は大事だと思うし、 それによって自分のセンスやテイストが磨かれていくのではないかと思う。

6月17日(土)
昨日の帰り山科駅改札前で、99年3月に卒業して現在滋賀県の高校で数学教 師をしているTK君にばったり会い、そのまま30分ぐらい立ち話をする。3月 まで工業高校で「情報の先生」をやっていたのだが、4月から普通高校に転勤 になり、晴れて数学教師となったらしい。彼は私の世界戦略(後述)の一貫とし て世に送り出された高弟の一人なので、当然(?)計算機は大嫌いである。数学 教員として採用試験を合格したのに、「情報の先生」に回されたこともあって、 時々大学に遊びにきては、ぶーすかぶーすかと愚痴をこぼしていたが、年が明 けてからパッタリ消息不明になっていた。はてな、と思っていたら転勤になっ て、現在多忙でそしておそらく幸福な日々を送っているらしい。

ところで私の「世界戦略」というのは、平たく言えば「数学者が住みやす い世界は誰にとっても住みやすい世界」という思想の下に、各界に数学のシン パを増やしたり、数学の伝導者を送り込むことによって、世直しをしようとい う事である。計算機メーカに勤務していて、「社会人になってからでは手遅れだ。 学生のうちから『思想教育』をしなければだめだ。」と思い、まずは立命館大 学情報(工)学科にやってきた。しかし間もなく「大学生になってからでは手遅れ だ。高校生以下の段階で『思想教育』をしなければだめだ。」と痛感し、中学・ 高校に優秀な教員を送り込もうという作戦に転じたのである。

この作戦第1号が滋賀県に送り込まれたTK君であり、第2号が奈良県の某 私立高校に送り込まれたYS嬢である。この路線はS先生に引き継がれ、第3号 が既に世に出て、第4号もS研において現在「発射準備中」である。

いっぽう私の方は、昨年度「情報系志望であるにもかかわらず数学シンパ」 という、極めて「非」立命館情報学科的な学生YT君を研究室に迎えた。このタ イプの学生は、93年度に高山研に入ってきた、現在某大手シンクタンクで活 躍中のAS君以来である。YT君には1年間みっちり数学(ガロア理論)だけを叩き 込み、某国立大情報系大学 院に送り込むことに成功した。今年度の5回生M君も、現在数学だけを叩き込 んでいるが、来春には某大手シンクタンクに送り込まれる予定である。その他、 結局数学には馴染めなかったものの、私から『思想的影響』を受けた卒業生も 何人か居ると思われる。かくして私の世界戦略は着々と実行されているのであ る。今年から数学教室に移ったので、世界戦略についても新展開が図られるこ とであろう。

昼頃大学へ。本日もサーベイと瞑想。明日から火曜日まで徳島大学工学部 で集中講義の予定。日誌更新は水曜日あたりになるであろう。