5月21日(日)
休息日である。Hartshorne, "Algebraic Geometry"をパラパラと眺めて、コホ モロジーのところがどうなっているのか、証明を飛ばしながら少し見てみた以 外は、買物に行ったり、ビデオに取っておいた「ショムニ」を見たり、夕食の 酢豚を作ったり、ドイツ語のテープを聞いたり、といった一日。

英国留学中のH先生が「英国便り」をHPに載せていた。「イギリスの飯はま ずい!」という定説の検証についての話である。私は大抵のものは「うまい! うまい!」と言って平気で食べるクチなのだが、ロンドンで開かれていた国際 会議の昼食や、ケンブリッジの何やら格式ばった会場でのバンケットの料理に はへきえきした。肉でも野菜でも、とにかく水でぐつぐつと煮て、うまみもスー プも全部抜けてしまったダシガラのようなものに、塩、または薄茶色のこれま たほとんど薄い塩味しかついてないソースのようなものをかけて食べる。ソー スも何種類かあるが、全部同じような感じのものである。そして何を 食べても、皆同じような味がする。何処へ行ってもそん なのばかりであった。そこで、困った時はエスニックだ!と思い立ち、タイ料 理の店に入り生き返った。(でも物凄く辛かった!)

エディンバラにも行った事があるが、スコットランドはロンドンよりうん と良かった。B&Bという民宿みたいな所が小さなレストランだったりするのだ が、そこで食べた夕食はうまかった。中華料理店で食べた料理もまずまず良 かった。(蝙蝠の料理には多少参ったが。)会議のバンケットで入ったヴェジタ リアン・レストランも、(野菜ばかりでちょっと物足りなかったけど)良かった。

大きな口をパクパクさせて、元気良くしゃべるアメリカ人の英語に比べて、 できるだけ口を動かさずにもごもごしゃべろうとするイングランド人の英語は、 私には聞き取りにくい。でも、それはまだマシである。スコットランドの英語 は私にはほとんど理解出来ない。B&Bで料理を注文した時、店の人がなにやら 難しい(?)顔をして一所懸命説明する。で、わけがわからないので、「この料 理は今日は出来ないのか?」というと、そうではないと言って(その部分だけ はわかった)、また延々と一所懸命説明する。「申し訳無いけど、私はあまり 英語が得意ではない。そして私はあなたの話す英語は残念ながら全然理解でき ません」と言うと、また延々と一所懸命説明してくれる。(おいおい。わから ん!と言っているのに、まだ同じ英語で説明するか?)困ったな、と思い「と にかく食べたいのでよろしく」と言ったらやっと持ってきてくれた。この不穏 な雰囲気にちょっと不安に思ったが、出て来たものには大変満足した。

スウエーデンに行った時も食事には苦労した。4月下旬に行ったのだが、 レストランといえば、全部スウエーデン語(?)で看板が出て来て、何が出てく る店かよくわからない。そもそもレストランかどうかさえよくわからない。で、 ストックホルムでは結局レタスとハムとチーズをはさんだサンドイッチばかり 食べていたような気がする。セブンイレブンがあったので、日本のそれを思っ て喜んで入った。しかし、スウエーデンのセブンイレブンは、やはりレタスと ハムとチーズをはさんだサンドイッチしか売ってなかった。(卵とかツナとか ポテトサラダとか、コロッケとか、照焼きチキンとか、何とか考えようがある だろうが!)ただ、リンシャピンという小さな町で開かれた、国際会議場の昼 食やバンケットの料理が割合豪華だったので救われた。リンシャピンでは、 ホテルの前にスーパーマーケットがあってよく通ったのだが、旅行者が ホテルでたべるようなものはあまり売ってなかった。

それに比べてフランスはよろしい。ナンシーに行った時、トルコ人の母子 がやっている簡単な定食屋みたいな店に入ったが、店の人は英語がわからない。 フランス語とトルコ語ならわかると言うが、私の片言のフランス語は通じない ようだし、トルコ語は全く知らない。で、身ぶり手ぶりで注文したのだが、そ の時はほとんどパントマイムをやっていたようなものである。店には(当時の 私と同じ)いかにも金が無さそうな風体の若者たちが食事をしていたが、この 東洋人は何をやってんだ?!ってな感じで目を丸くしてこちらを見ていた。こ ういう時は、相手に通じなくてもいいから英語でまくしたてながら説明すれば、 周りの人が通訳してくれる事があるし、日本語でしゃべりながら身ぶり手ぶり を入れた方が、何となく通じやすい。黙ってパントマイムでは、かなり不気味 である。しかし、当時の私にはそういう知恵は無かった。結局出てきたものは、 注文したものと全然違う-- 私は「本日の定食」を注文したのだ! -- シーカ バフのサンドイッチだったが、とてもおいしかった。(夕食にはちょっと物足 りなかったが。)パリに行った時は、近くのスーパーの惣菜を買ってホテルで 食べた事もある。これも結構おいしかった。パリ近郊の研究所のカフェテリア方式 のレストランの 昼食もビールまで置いてあって(おいおい、職場で昼間っからビー ル飲むのかよ!お前ら不良だ!)、そこの研究所の人に連れていってもらったパリのレストラ ンも良かった。また、南フランスのニースやカンヌにも近い、アンチーブとい うピカソ美術館のある美しい町の研究所を訪ねた時も、「うまいものばかり食 べていた」ような気がする。

アメリカは食べる事にはあまり苦労しないようだ。まだ英語がほとんどわ からない時に、最初に海外出張したのがアメリカ合州国だった。サンフランシ スコでも、ニューヨークでも、ニューヨークから墜落しそうな(?)小さなプロペラ 機でしか行けないイサカ(コーネル大学がある)という小さな町でも、シカゴで も、ピッツバーグでも、ファーストフードからエスニック、高級レストランま で何でもござれで、言葉がわからず訳のわからないままに結構「うまいもの ばかり食べていた」ような気がする。イサカで、コーネル大学の教授の家で 開かれた研究室のハウス・パーティで食べた食事も良かった。気難しい 教授がエプロンして作った料理もあり、「これは俺が作った自慢の○○だ。 食べて見ろ」とか言う。何だかよくわからないシロモノだったが、うまかった。

私は飛行機は鉄の棺桶だと思っているので、観光のための海外旅行は絶対 にしないし、海外出張もできるだけ控えている。しかし、いざ海外出張すると なると覚悟を決めるしかないし、覚悟を決めてしまえば楽しいものである。ジェッ ト機が離陸する直前に、ジェットエンジンがただならぬハイテンションでうな り、重力係数がグンっと後ろに掛かった瞬間から、「もうあきらめるしかない」 と腹をくくるのである。その世界の先には、食事情が違う外国で「食うや食わ ずや」の生活を送る、という楽しみが待っているのである。

5月22日(月)
昼前に大学へ。本日可換代数モードで、引続きIyengarの論文を読む。まだ頭 に入り切っていないspectral sequenceをばしばし使って証明を書いているた め、うなりながら少しづつ読み進む。

今日の訪問者。教育実習による講義の欠席届を持ってきた数物の学生1名。 数学研究会の事でちょっと問い合わせに来た5回生M君。予算の事務的な用件 でちょっと立ち寄ったS先生。以上3名。

寝る前の読書としては、解析かかった話とか、自分の専門とちょっと離れ たものを読むようにしていたが、どうも最近はそれどころではないのではない か?という気がしてきた。代数幾何学モードと可換代数モードの間をシフトす るのに七転八倒しているのだから、可換代数モードの時は寝る前に代数幾何学 の本を、代数幾何学モードの時はその逆を、という風にやらないとちとシンド イ。もっともHartshorne "Algebraic Geometry"などを寝っ転がって読むのは かなり無理があるし、証明を飛ばして概要だけ読むというのは、数学書の読み 方としてはよろしくない。しかし、全く代数幾何学の気分から離れるよりはマ シなのではないか。と、いう事で最近寝る前にはHartshorneを読む事にしてい るが、今のところ3行読んだら気を失うという、ルベーグ積分以上に強力な睡 眠薬になっている。

5月23日(火)
昼前に大学へ。本日久々の殺人会議。それまでの間Iyengarの論文を読む。全 部は読んでないが、大体必要な情報は得られた。その後、文献表作成を始める。 今や可換代数の論文のコピーが溢れ返っている。前にコピーしたのを忘れて、 同じのを再びコピーしたりすることもしばしば。そこで、当面の研究に必要そ うな文献だけでも、既に持っているものを分野別に分類した文献表を作らない と、どうにもならない状態である事が判明したのだ。

殺人会議では、Iyengarの論文を眺め直したり、コロキウムの資料の校正を やったり。長期戦覚悟で臨んだが、2時間で終った!画期的である。ここで定 義を導入しておこう。2時間以内で終る会議を「正しい会議」という。3時間 ぐらいの会議を「間違った会議」という。4時間以上の会議を「殺人会議」と いう。

会議が早く済んだので、K先生に頼まれたコロキウムの案内文を書いたり、 資料を修正したり。

5月24日(水)
午前中に大学へ。今日の午後は外書購読と教室会議。午前中は文献表作り。持っ ている論文の全てを整理するのはあきらめて、当面読み返しそうな分だけを何 とか片を付ける。教室会議の後は、コロキウムの資料の最終版を完成。図や例 や説明をちょこちょこ書き加えているうちに30ページになってしまった。

外書購読は、前任者のK先生が「学生がまじめに予習してこないので困る」 という話を聞いていたが、今のところ皆さん真面目にやっているし、私も楽し くやらせてもらっている。発表を聞いていると何だか頼り無い人もいるけれど、 適当に誘導すればちゃんと答えられるし、まあこんなもんでいいのじゃないか と思う。

教室会議はいつもながら「なごやか」かつ「正しい会議」状態で推移して いる。

卒研生の情報学科5回生M君の就職が決まる。結構いい所から内定をもらっ たようだし、割合早く決まって良かったと思う。本人にすれば「長い道のりだっ た」のだろうけど。結果論のように聞こえるかも知れないが、前々からM君は 割合早く決まるんじゃないかなと思っていた。何年か大学教師をしていると、 早く就職が決まる学生と苦戦する学生というのは、何となく雰囲気でわかるも のである。勿論この予想が外れることもあるが。

夜は文献表作りから割出された、必要な文献をコピーしに メディアセンターへ。メディアセンターも割合遅くまでやっているし、 必要な文献も(新しいものなら)大抵揃うから便利である。

5月25日(木)
午前中から大学へ。まずは健康診断。健康診断ほど嫌いなものは無い。検査結 果を待つまでは、入試の発表を待つのと同じ気分である。だいたい人の病気を 見付けて何が嬉しいってんだ。早期発見・早期治療だって?!直せる自信があ るなら見付けてもよろしい。直せない病気なら、どうせ人の体を切り刻んだり 薬づけにしたり管だらけにしてひねくり回し、その人の晩年を悲惨かつ苦悩に 満ちたものにするのがオチである。直せない病気を見付けたら、そっとしてお くのが大人の礼儀というものであって、「あっ!みーつけた!精密検査だ、入 院だ、手術だ、点滴だ。あー死んじゃった。」なんてやるのは無礼千万である と言いたい。あー、やだやだ!

午後一番で微積分の講義。講義に向かう途中N先生と一緒になり「数学の学 生はどうですか?」と聞かれたので、大いに満足していると答えておいた。N 先生の「情報の学生に毎年2、3名程度大変優秀なのがいる」に対しては、そ ういう学生に限って、情報関係の中でも特に数学とは何の縁もゆかりも無い分 野に進みたがるところが問題だ、と答えておいた。「才能の浪費」という言葉 が頭をよぎるのだが、これは情報学科の責任であって、我々の関知するところ ではない。

微積分の講座では、例の「眠り天才」君をちらちら観察しながら講義をし ていたが、やはり彼は天才であろうというのが今日の結論。何だか嬉しくなっ て、思わず黒板の方を向いて(そうでないと学生に不気味がられる)ニヤニヤし てしまった。夕方は暗号の講義。

暗号の講義から返ってくると、今春卒業した元卒研生で現在奈良先端のY君 がふらっと遊びに来る。で、1時間半ぐらい近況報告を聞いたりしてくっちゃ べる。彼は卒研ではアルティンのガロア理論を読んでいたのだが、現在は「悪 魔に魂を売って」コンピュータ・ネットワークのプロトコル関係をやるつもり らしい。通信プロトコルというは大変よろしい。通信プロトコルは「完璧に作っ てなんぼ」の硬派の工学分野であり、かつ安易で表面的なアプリケーションよ りも芯のしっかりした分野である。良い分野を選んだと思う。毎日結構絞られ ているらしく、修士1回生はとりあえず遊んでという、どこかの情報学科の大 学院とはかなり違った学生生活を送っているようだ。

きのうコピーしてきた自由分解の論文の中に面白いのがあった。しばらく は、それを読んで色々考えてみようと思う。今までよく経験してきた事だが、 論文を読むと関連の話題が見えてくる。それでいもづる式に一連の論文を読ん でいるうちに、問題が見えてくる。それを解けば論文が書けるな、と思って色々 考えているうちに、まさにその問題を解決したプレプリントを発見する。これ は喜ぶべきか悲しむべきか?自分の問題意識はそう的外れでなかったという意 味では喜ぶべきだし、誰もが考えるような事しか考えられなかったという意味 では悲しむべきである。数学の研究ではいかに良い問題を見付けるかが鍵とよ く言われるが、それはこの事を指しているのだろう。また、偉い数学者の 近くに居ると何となく論文が書けてしまう、なんて事がよく言われるが、優れた数 学者と議論していると、自然と良い問題が見えやすくなる事が理由だと思わ れる。数学的インスピレーションというのは大事である。

5月26日(金)
早朝より大学へ。朝一番で初等組合せ論の講義。午後から中等組合せ論の講義。 「眠り天才」君は午後の講義にも出て来ていて、教卓のまん前で眠り、ここぞ という場面でむくっと起きてノートを取っている。やっぱり天才だ!「眠り天 才」君がフィールズ賞を取ったら、「あいつは俺が教えたんだ」と自慢してや ろう。

夕方からのGroebner基底のゼミをすっかり忘れていて、情報学科M君が呼び にくる。「おう!久しぶり。今日は何かね?」「せ、先生。ゼミですう!」と いう会話の0.5秒後、自分の置かれた状況を把握する。テキストも100ペー ジを超えた所にさしかかり、さすがのM君もだんだんわからなくなってきたよ うだ。ペースはかなりゆっくりとしたものになる。

昨夜は結局論文読みはやらずに、届いたばかりの日本数学会の会報を読み ふけってしまったが、今日は講義やゼミの合間に例の論文を眺める。参考文献 で重要な論文を見付けたので、メディアセンターにコピーを取りに行く。40 ページの論文だ。40ページの論文なんか書くな!コピーする者の身になって みろ、阿呆!こんな論文、読んでやらんぞ。

メディア・センターの帰りに、A先生が一族郎党を引き連れて夕食に出かけ るのに出くわす。何時見ても美しい風景である。

5月27日(土)
昼前に大学へ。今日は論文読み。論文読んで瞑想したり、 昨日コピーして「もう読んでやらんぞ」 と決心した40ページの論文をチラチラながめて「やっぱり読んでやろうかな」と 思ったりの半日を過ごす。

石田正典「トーリック多様体入門」および「代数幾何学の基礎」 が新しく出たらしいので、生協書籍部へ買いに行ったところ、月末のナントカで閉 店。 わざわざ遠い建物まで出向いたのに門前払いを食い、大いにむかつく。 別に今日買わないければいけない本でもないが、むかついた勢いで、夕方京都駅 アバンティブックセンターへ行って、今日中に手に入れてやろうと決心。

まず南草津駅で、S大学で教えている独身貴族の友人H君とばったり会う。 何で彼が南草津に居るのか知らないが、どうやら彼女らしい人と一緒。 堅物だとばかり思っていたH君に彼女がいたのか!?それにしても、なかなか 感じの良い素敵な人だなと思いつつ、気を利かして知らぬ顔で通りすぎたのに、 やっこさん私を見つけて「おう!」とか言って寄ってくる。 電車の中では、国立大学の独立法人化がどうのこうのという、 これまた色気の無い話をする。おいおい、お前さんの彼女を紹介してくれないのか よ、 と思いながら相手していたが、山科(何で山科なのか私は知らない) で二人仲良く降りていった。 はてな。智に働けばかどが立つ。情に竿させば流される。とかくこの世は住みにく い。 住みにくさが嵩じた時、詩が生まれ数学が生まれる。そうだ、私は「トーリック多様 体入門」 と「代数幾何学の基礎」を買いにいくんだった。

京都駅に付き、八条口へ出るエスカレータに乗っている時、3回生Y 君が「高山先生、こんにちは!」。はてな。昨日も大学から帰るバスに乗るとき、 後ろから来たY君が同じように挨拶してくれたな。若いのにずいぶん礼儀正しい子 だ。 自慢じゃないが、私は30才過ぎるまでロクに挨拶もできないアカンタレ人間だった ぞ。 Y君もアバンティーブックセンターヘ行くところらしい。

残念ながらアバンティにはお目当ての本は無し。 がっかりしていたところ、Y君が京都駅の反対側の近鉄百貨店に、 最近大きな書店(旭屋書店)ができた事を教えてくれる。 地獄に仏とはこのことなり。早速行ってみたら「代数幾何学の基礎」の方はあった。 でも一番のお目当ての「トーリック多様体入門」が無い。毒食らわば皿まで。 なんだかんだとかなり歩き回って、腹は減るわ目はかすむわでくたびれてきたけれ ど、 四条のジュンク堂行きを強行する。ジュンク堂では「トーリック多様体入門」 だけが一冊だけ置いてあった。

かくして約3時間余りかけて3件の書店を回り、友人とその彼女に会い、Y君に 会い、途中京都市市バス案内所で「市バスチョロQ申込み葉書」なるものを偶然 入手し、稔り多き時間を過ごしながら2冊の本を手に入れたのであった。

5月28日(日)
日曜日はうだうだしているうちに過ぎて行く。夕方より再びY君お勧めのPlatz 近鉄5階の旭屋書店へ。7階のレストラン街で夕食をとったり、他の階の店で 少し買物をしたり。Platzはよろしい。まず店の名前が英語でもフランス語で もなく、ドイツ語で「椅子」「広場」などを意味するPlatzとしている所がよ ろしい。「広場」の意味で使っているのだろうけど、「広場」(Platz)店内に は沢山の「椅子」(Plaetze; Platzの複数形)があって(Es gibt viele Plaetze in dem Platz!), 買物の合間に一服できるのもよろしい。(大抵のデパートは、 そういう風になっていない。)まばゆいばかりの白っぽい照明が、これまた白 で統一された壁に鈍く反射し、床は明るい白木調のフィローリングになってい るのもまたよろし。性別不明の気難しそうな赤ん坊プラッキー君の顔が描かれ た広場が7階まで吹抜けになっていて、各階の賑やかな人の動きを見ながら椅 子に座って一服できるのだ。

何もやる事が無いじじいになったら、毎日こういう所に通って一日中ぼんや りしていたいものだ。

5月29日(月)
昼頃大学へ。本日引続き論文読みと瞑想の日。昔読んだ論文を読み直したり、 ぼんやりしてみたり。

夕方久ぶりにS先生が雑談に訪れる。集合論が専門であったS先生は、今年 初めて担当した集合論の講義に大変燃えていたそうだ。しかし、張り切り過ぎ てあまりに高度な内容を狙い過ぎていた事に気付き、セメスターの途中で授業 スタイルを大転換したというのだ。てな事を話しているうちに、5回生M君が NP完全性問題の質問をしにS先生を訪ねてきたので、(基礎論に偏見を持ってい る私としては、M君が「妙な問題」に首を突っ込んで「才能を浪費」しなけれ ばよいのだが、などと思いつつ)S先生との話を切り上げる。

かつて三田のI大先生が話していたが、自分の専門と一致した内容の講義を すると、つい張り切り過ぎて学生にとってはしんどくなる。専門外の講義をお そるおそるやる方が、学生にとっては聞きやすい講義になるそうだ。ちなみに 私が担当している講義は、全て専門外のもの、あるいは専門と少し関係してい て自分でもちょっと勉強してみようというものばかりである。さて学生達はど う思っていることやら。

それはともかく、「悪魔に魂を売ってしまった」S先生は、もうパソコンと 数式処理システムと予算の話しかしない人になったのかと思っていたが、まだ まだ数学の話ができるらしい。喜ばしい限りだ。

5月30日(火)
午前中に大学へ。今日も論文読み。極小自由分解については、今まで色々な論 文を単にフォローしていただけだが、だんだん何がどう重要な結果なのかが 見えてきたので、主だった論文を読み直す。

ところで日曜日Platzの旭屋書店でブラックショールズ公式の解説書の新し いのが出ていたが、その帯のうたい文句に「文系出身者でもわかる!35才以 上でもわかる!」というのがあった。 文系出身者うんぬんの問題は「分数のできない大学生」に任せるとして、 「35才以上でもわかる」とはどういうことじゃ!?

かつて「ソフトウエア30才定年説」というのがあったし、「数学者40 才定年説」というのもあった。デリバティブの場合も「デリバティブは35才 以上の人間には理解できない」という説があるから、上のようなうたい文句 が出て来るのだろう。

しかしこういう類の「定年説」というのは大抵あてにならない。多くは中 年近い年齢になった人の「今更新しい事を勉強したくない」という怠慢の裏返 しか、若い時に物凄く冴えていた人が年を取って「馬鹿になってしまった!」 と必要以上に気にして言っているのだと思う。加齢とともに多少は「馬鹿」に なるのかも知れないが、少なくとも50才ぐらいまではそれほど極端な知能の 低下は無いのではないか。私なんぞは、学生時代に「馬鹿だ馬鹿だ」と言われ ていたクチだから、かえって今の方が頭が良くなった気分でいるぐらいだ。 (本当のところはどうか知らないが。)色々な人を観察していると、知的労働の 場合は若い時から続けていれば30代や40代でも十分続けていけると思われ る。(但し途中で「現場」を離れて管理業務に喜びを見出すようになったら 終りかも知れない。) 例えば60才の一流数学者は35才の二流数学者よりもはるかに優れた仕 事ができるのだ。ただ本人は「若い時に比べて仕事のレベルが落ちた」と思っ ているかも知れないが。

もっと重要な事は、若い時にしっかり基礎を勉強してあれば、しばらくブ ランクがあって、中年ぐらいになって突然新しい事を勉強する必要に迫られて も何とかなるという事だ。人間ができるのはせいぜい未来の一次近似である。 しかし世の中は一次式では決して動かない。その時は勉強した事が無駄のよう に思えても、ずっと後になって「昔取った杵柄」で生きてくる事は十分あるの だ。私だって、大学卒業後数学とは長いことサヨナラしていたけれど、情報学 科でかなりヤバくなった時に学生時代に勉強した数学が役に立ち、今では「私 は数学者だ!」と大きな顔をしている。数学を勉強した事が役に立つなんて、 20代の頃には到底予想さえできなかったのだ。職業生活で役に立たなくても、 老後の楽しみとして数十年ぶりに生きてくる事だってあるだろう。

最近は「すぐに役に立つか立たないか」がやたら強調される風潮があり、 大学教員でさえもそういう考え方に毒されている人が多い。そうなると子供達 や学生達が高々数年先の事だけ考えて、浅はかにも「この科目は役に立たない から勉強しても無駄だ」と決めつけてしまって、色々な勉強を全く投げてしま うのも自然の勢いである。こんな調子でやっていると、基礎がどんどん痩せ細っ ていって、「35才定年説」が本当になってしまう。確かに基礎学力を付ける 事に関しては35才定年説は成り立ちそうだから、若い時の蓄積がゼロの人が 年を取ってからあわてても無理なのである。そうなれば、何より本人が不幸で ある。

5月31日(水)
5月ももう終りである。今月はスキーム論の勉強で代数幾何学一色になり、後 半でやっと「極小自由分解とその周辺」という可換代数モードに戻れた。で、 4月の終り頃に色々計画していたファイナンスとか古典的不変式論の勉強はい つの間にかすっとんでしまったようだ。まあいずれにせよ数理科学科に移籍し て以来数学三昧の生活で、充実した2ヵ月間であった。全ての不条理の源であ る「ヒト・モノ・カネ一体の実験系研究室」を投げ捨て、何の気がね無く数学 の教育・研究に埋没できるようになったし、数学教室の教員や学生達とは何の 違和感も無くうまくやっていけそうだ。その意味で、数理科学科への移籍は私 にとっては「一点の曇りも無くめでたい事態」である。

他の2名の移籍教員はどう考えていることだろうか。私の勝手な想像に過ぎな いが、S先生は情報学科時代と違って若干孤立感を持っているように思える。 なんだかんだと言っても、パソコン・マニアのS先生は情報学科では私よりもう んとハッピーにやっていたのだ。H先生は元々情報学科には深くはコミットし ていなかったし、数理科学科移籍直前に英国に留学してしまったから、た ぶん何も考えてないだろう。でも、数理科学科は(現在留学中の英国の大学と 比較しない限り!) H先生にとってもきっと居心地の良い所だろうと思う。

午前中に大学へ。午後からの外書購読の前に組合せ論の問題作り。5回生 で事情により講義に出られない学生の特別指導用のレポート課題を出すことに なっていたのだ。

27日(土)にPlatz近鉄5階の旭屋書店を教えてくれた、若いのに 礼儀正しい「O君」というのは、実は「Y君」だと判明した[日記は本日修正]。 O君は私の外書購読を受講してないが、Y君は受講している。

夕方より論文読みを再開。論文に出ている例を計算してみる。