記憶力抜群!肉体派秀才上司
会社員稼業の良いところは、定期的に人事移動があって職場の顔ぶれが変わり
気分転換が図れる点である。大学教員はそうもいかなくて、部局もそう変わら
なければまわりの顔ぶれも一向に変わらない。こういう密室状態だと、いい人
達に囲まれていれば良いが、困った人が一人でもいて、さらにその人が権力者
だったりすると最悪であるらしい(と人ゴトのように言っておこう)。実際、超
一流大学の、日本の大学としては最高の研究環境にあるはずのところで、人も
うらやむポストについている人が、それほど研究環境が良いとも思え
ない大学にさっさと移って晴ればれとした顔をしている、なんていう事はちょくちょくある。
大学教員の任期制が、さまざまな問題が指摘されつつも、一方で根強い賛成意
見があるのはこのあたりが関係しているのではなかろうか(と人ゴトのように
言っておこう)。
ところで、会社勤めをしていた4年半の間でもーー 会社には9年勤めていたがそ
のほとんどはICOTに居たーー ずいぶん人事移動や組織改編があって、私
なぞはさまざまな部局をタライ回しされていたような感じであった。半年、1
年の間に、周りの顔ぶればゴロゴロ変わり、常時気分転換をしていたようなも
のである。そのなかで、「記憶力抜群!肉体派秀才上司」は不動点の如く一貫
して私の上司であった。一般に、上司が不変である理由は2つ考えられる。
- あまりに有能な社員なため、その上司が彼または彼女を手離したがらない
- あまりに困った社員なため、ほかの課長だの研究室長だのが彼または彼女
の面倒を見るのを嫌がり、結局最初の上司にずっと押しつけらたまなの形になる。
私の場合は明らかに2.である。その上司にとっては災難の一言であったであ
ろう。「なんでいつも高山くんと一緒なのかなあ?」なんて言いていたような
気がする。
さて「記憶力抜群!肉体派秀才上司」は読んで字の如く物凄い人であった。大
体団塊の世代のちょっと上ぐらいの人で東大の電気を出るというのは、おそら
く旺文社の参考書でグングン実力を付けた大秀才
である。当時は、東大の理3なんてそんなに難関ではなく、何といっても東大
理1が日本の最難関大学である。
記憶力抜群の状況証拠:
- この上司は社内ではUNIXの第一人者であった。で、どうもUNIXのソースコー
ドの多くの部分を暗記していたフシがある。部下が「えーと、UNIXの
ディクスのドライバーはどういう風になってるのかなー」なんて言っていると、
すっと背後に現れて「それは確かこれこれこんな風にソースが書かれている
から、こういうふうに動くはずだ」なんて事をのたまうのである。
あんなものを暗記してしまうなんて、社会科や英単語の暗記で泣かされ、
よく理解したはずの数学の理論も1か月使わないと完璧に忘れてしまう私な
ぞには、信じられない神技である。
- のちに部長に祭りあげられた頃に「管理職に目覚めた」らしく、
マニュアルだのUNIXのソースファイルだのが山なりになっていた机が
いきなり綺麗になり、「現場を捨てる」覚悟ができたようである。
UNIXのソースの次は何を暗記するのだろう?と思っていたら、今度は
社内就業規則等の法規を暗記し始め、「それは就業規則何条の何項に
よればこれこれこうなるのだ」などという事をのたまうようになった。
私は何となく、「雀百まで踊りを忘れず」という言葉を思い出していた。
肉体派の状況証拠:
- 入社当時、「計算機の仕事は体力が勝負だから、若いうちにスポーツに
親しんでおきなさい」と言われた。
- 学生時代機械体操をやっていたそうである。実際、体操選手体型をしており、
宴会などで盛り上がると、逆立ちだのバクテンなどの芸が出るそうである。
(筆者は目撃しいていない。ちなみに筆者は”逆上がり”ができずに苦労した
クチである。勿論、逆立ちだのバクテンなどはできない。)
- 日本で最初の商用大型計算機の開発に参加した経験を持つらしい。
開発は徹夜の連続で、夜は計算機の上で寝ると暖かいので、それを
ベッドにしていたらしい。
(筆者も世界で最初の逐次型推論マシンの開発に参加したが、徹夜はできずに
必ず寮に帰って寝ていた。)
上司が物凄過ぎる場合、部下の取るべき正しい態度は以下の3通りである。
- 上司を尊敬し、上司の境地に少しでも近付こうと頑張る。
- いじける。その後上司とは別の路線で頑張ろうとする。
- 気にしない。
私は入社2年間ぐらいは1.であったが、間もなく挫折し2.となり、最後には
3. の境地に至った。