はじめに

     ここに書かれた28のエッセイは、1999年6月頃から11月頃にかけて折 に触れて数学、数学教育、計算機科学について日頃思っていた事を書き貯めた ものである。1999年の6月頃というのは私にとってはひとつの時代の終りとともに、 新しい時代の始まりであった。1996年頃から理論計算機科学から数学への 本格的転向を思い立ち、1999年の春には私の最初の数学の論文が出版され る運びとなった。また、私の本務校において、数学教室が改組され2000年 度から新しく数理科学科としてスタートするにあたって、情報学科から数理科 学科への移籍が確定した時期でもあった。一人前の数学者だと胸を張る自信は まだ無いが、とにかくこれからは数学者としてやっていくのだと決意を新たに していたのが1999年の6月だった。

     10代半ばから20代半ばにかけては、数学に魅せられ数学を学び数学に挫折 した10年であった。20代半ばから30代半ばは、気を取り直して計算機科 学に入っていき一定以上の成功を収め自信を取り戻したものの、最後には再び 挫折に終った10年であった。こう書いてみると、私は挫折ばかりしている人 間みたいだが、案外そうでもないのである。大学教員ポストのリクルート状況 を考えると、あの時大学院に進学していたら今私が数学をやっている事はあり 得なかっただろうと思うし、業界トップの企業に就職していたら理論計算機科 学の研究者として楽しくすごし、大学に戻れる事はあり得なかったと思う。ま た、学位を取るのが遅れたり色々な事情で逃してしまった、有名国立大計算機 科学系のポストにもし就いていてば、自分はいつまでも理論計算機科学などに うつつを抜かしていてはいけない事に気づくことは無かっただろうし、もし 気付いていたとしてもどうすることもできなかったであろう。 結局私は数学がやりたかったのだが、抜群の数学的 才能に恵まれているわけでもない自分にとって、結果的には奇跡とも言うべき 道をたどって現在に至っているのである。 思い通りの進路が選べず、これはまずいことになったなと腐っていても、 現実的に考えて結局それが自分にとってベストの道だった事が多い。何だか神様が何かが 私をいつも良い方向に導いてくれているような気さえするのである。 これらの事を振り返るに、自分はつ くづく運が良い人間だと思う。それと同時に、これはいよいよ真面目に数学を やっていかなければバチが当たるなとも思っている。

     40代というのは普通20代30代の蓄積を基に人生の方向を固める時期であ る。しかるに私の場合20代30代の蓄積を全て捨てて新しい事を始めようと している。我ながら大それた事をしているなと思うが、実のところ余り気にし ていない。人生80年時代とかで、人々は老後の人生についてあれこれ心配し ているが、自分でも何故だかわからないが、私はせいぜい60才前後までには 事故か事件か災害か病気で死んでいるだろうという考えから抜け出せない。従っ て私は老後の心配などというものとは無縁であると同時に、せいぜいあと20 年の人生だから、好きな事をやっていかなければ損だと思っている。10年2 0年なんてあっと言う間に過ぎ去ってしまうものである。もっとも何かの間違 いで60才を過ぎてまだ生きていれば何をやりたいかもちゃんと考えてあるが。 この時はそれまでやっていた事を全て忘れてまた別の事をやろうと思っている。

     さりとて実際問題本務校での計算機関係の教育の仕事はまだしばらく続くわけ だし、20代30代のしがらみが、そう簡単に捨てられるものでもない。せめ て気分だけでも整理して新しい時代に備えようというのが、このエッセーを 書く動機であったのだ。

1999年11月 高山幸秀