青春のガロアとアーベル
 
今でもそうかも知れないが、かつてはエヴァリスト・ガロアに憧れて数学科に 進学するというのが、ひとつのパターンであったように思う。曰く、5次以上 の代数方程式の巾根による可解性の判定問題を群の概念を導入して解決したと いう天才である。曰く、この仕事を20歳の若さで成し遂げ、女をめぐる三角 関係のもつれから、愚かな決闘によって21歳で夭折した。曰く、余りに天才 過ぎてフランスの超難関エリート校エコール・ポリテクニークの入試に何度も 落第し、当時は二流校(?)であったエコール・ノルマル・シュペリューに渋々 入学した等々。時代をはるかに超えた研究業績と死に方の馬鹿馬鹿しさの落差。 自らの才能に対する並々ならぬ自信と、それを世俗的にうまく発揮できない不 器用さ。いずれも当時の数学少年を夢中にさせるに十分過ぎるものがあった。
大学入学当時の数学少年は、ガロアに続け!とばかりに意気揚々としているが、大学2、 3回生になり20歳を過ぎる頃には、自分がガロアでないという至極当り前の 事実を受け入れざるを得なくなる。ガロア理論に匹敵するアイディアなんて出 て来ないし、馬鹿な決闘で死ぬような激しくもロマンティックな人生を送って いる訳ではない。どうにもこうにも「イケてない」自分と直面するのである。 しかし、「自分はガロアにはなれなかったが、アーベルになれるかも知れない。」 と、またまた馬鹿な事を考える次第である。アーベルは26歳で病死している。26歳 といえば大学院博士課程2回生ぐらいである。今はダメでも、大学院生の間に何 とかしようと思う訳であるから、ずいぶん暢気な話である。数学者に必要とさ れる素質の一つとして「楽天的なこと」が挙げられるから、そう悪い事 でもあるまいが、大学院に進んでからもパッとしなければ、次はグラスマンだの ワイエルシュトラスだのを持ち出すのだろうか。しかし、大学院重点化よりも ずっと以前の頃だと、こういう心がけの学生 は、大学院に進学できるかどうかも怪しい。多くは、ガロアとアーベルという青春の 夢を胸の奥に大切にしまって、 数学とは縁もゆかりもない職業人生を送ることになるのである。
けだし、ガロアだアーベルだと騒ぐのは、ずいぶんミーハーな心構えであって、 こんな調子で大学生活を送る学生は、「もぐりの数学者」にはなれても、立派 な数学者になれる事は少いのではないかとも思う。私の周囲の人で、立派な数 学者になっている人は、数学者の伝記ではなく、数学そのものに惹かれて数学 の道に入っているようである。高校時代にKleeneのIntroduction to metamathematics を読んで面白かったとか、ブルバキセミナーのセミナリーノー トシリーズが高校時代の愛読書であったとか、大学2回生のとき、某大先生の 大学院生のための集中講義を聞きに行って「こりゃあ面白い」と思ったとか、 物理に進むつもりだったのが、友人につき合って岩沢健吉の「代数函数論」を 読んで、そのまま数学にはまってしまったとか、そういう人が偉くなっているようだ。 考えてみれば、当り前の話だとも言える。