コラム

旅に出れば自分は見つかるか

 みなさんは旅が好きですか?私は重度の出不精なので、旅ほど億劫なことはありません。それでもこの仕事をしていると研修等で遠出を強いられたり、会いたい知人が遠方に移住してしまったり、重い腰を上げざるを得ないこともあるのです。まあ一旦出かけてしまえば、そこまで嫌でもなかったりもするんですが。とくにひとりだと気楽ですしね。

 旅、しかもひとり旅というのは、よく「自分探し」とセットで語られ、そこでは非日常に身をおいて、ひとり心静かに己を見つめることの効用がうたわれているように思います。

しかし、旅に出れば本当に自分は見つかるのでしょうか?

 私の最近のひとり旅はアラスカでしたが、この極北の地域にまでも世界の均質化の波は押し寄せています。もちろん日本では考えられない風景(夜23時でも外はまだ明るいとか)や食べ物(トナカイ肉のホットドッグとか)も目にしましたが、都市部には大手チェーンの店舗が並び、アプリひとつでUberがさっと迎えに来てくれ、片田舎のスーパーマーケットにも日本メーカーのしょうゆが減塩バージョンまで並んでいます。そして大自然のなかで静かに己と対話をしようにも、一般旅行者が安全に足を踏み入れられるのはほんの一部であり、そこにはカップルや観光客グループが笑いさざめく、よくある日常が流れているのです。

 「自分探しの旅」を求めるなら、もっとワイルドを追求せねばならないのか??バックパッカーとか?星野道夫とか?・・・そんなのは、動物には怖くて近寄れず、海外に行くときには各地のトイレ事情をネットでチェックするような性格の私にはとうてい無理なのです。

 それでもひとりで滞在していると、同志と誤解されるのか本物のソロ・トラベラーに話しかけられてなんとなく地ビールを飲み交わしてみたり。また行く先々では、私の知人も含め米国内外から様々なきっかけでこの地に移住してきて、人生のある一時期をここで過ごし、またいずれ別の地に移り住んでいくのであろう人たちにもいろいろ遭遇しました。そして、地球の片隅に時を同じくして居合わせたという縁に、お互い「なぜ今ここにいるの?これからどこに行くの?」を問いかけ合う(その場で直接口に出す場合もあれば、心の中でそっとつぶやいたり、後からひとり考え続けるだけのこともあるのですが)なかで、私のなかの過去の様々な経験や信念、理想や願望といったものがいくつも撚り合わされていき、ああアラスカに自分がいるというこの出来事は、何も突飛なことではなくて、“これまでの自分”と“未来の自分”をつなぐ一条の線上に起きたことなんだなあ・・・としみじみ実感するのです。

 いやー、旅っていいですね。あれ?そんな話でしたっけ。もとい、これが「自分探し」ですね!きっと。つまり、非日常に身を置くことそれ自体というよりも、「自分の芯に響くような問いを投げかけられる」チャンスが旅には潜在しているということが鍵で、またそのチャンスは「他者と語る」ことで手元に飛び込んできやすいようです。

 そしてそのようなことは、私たちが学生さんのお話をうかがう時に感じることと同じです。学生の皆さんは、研究で行き詰まったとか、指導教員との関係が苦しいとか、友達や恋人との関係で悩んでいるとか、眠れないとか心の不調を感じるとか、さまざまな主訴でサポートルームにやって来られます。現在抱えているそれらの問題自体はとてもつらいことですが、それらは多くの場合、唐突に勃発したものではなく、あなたのこれまでと、ここから先のあなたをつなぐ一条の線上に起きたものなのです。そしてカウンセリングでは、当初の主訴のことだけに絞ってというよりは、それも含めた「丸ごとのあなた」の様々なことを語ってもらうことが多いです。そのやりとりのなかで、カウンセラーという他者の発する問いがふとあなたの芯に響くことがあり、それに伴って当初の主訴の見え方・感じ方が変わってきたり、糸口がおのずと見つかったりするようです。

 皆さんのそんな自分さがしの旅に同伴させてもらうことを生業にしているということと、出不精の私が旅を嫌いになれない(というか結構好きなのかもしれない)理由とは、どこかつながっているのかもしれません。

学生サポートルーム カウンセラー