小さな稀ガス分子クラスターのダイナミックス

名古屋工大工学部応用化学科 志田典弘


 本研究では、小さな稀ガス分子クラスターのような少数多体系のダイナミックスに ついて、新しい整理の仕方や記述法を導出する事を目的に研究を行った。具体的には 、ダイナミックスとポテンシャル曲面との定性的な関係、目的とするダイナミックス について本質的に重要な自由度の抽出、いろいろな自由度間の相互作用、ダイナミッ クスにおける量子効果等を中心テーマに研究を進めた。このような目的のため、実際 の研究には上述の稀ガス分子クラスターのダイナミックス以外にも、いろいろな系を 対象とした。具体的な研究の内容は、以下のようにまとめられる;

(A)アルゴン分子からなるマイクロクラスターの相転移ダイナミックス
(B)有機環状化合物の分子内水素移動反応における振動励起効果
(C)フェルミ粒子系の量子モンテカルロ法の理論開発
(D)幾つかの有機分子や無機分子の(電子)振動スペクトルの理論予測

(A) この研究では、溶液を代表するもっとも小さな系としてAr7のように弱い ファンデルワールス力で結合している小さな希ガス分子クラスターを考え、20K付 近で起こる融点の前後で、ダイナミックスがどのように変化するかを詳細に検討した 。特に本研究では、このように分子クラスターの融解現象を沢山の遷移状態や生成物 のある複雑な化学反応と考え、その反応経路や遷移状態の特定、或いはこのような考 え方の妥当性の検討を行った。そのための方法論として、ポテンシャル曲面の定常点 (不安定点を含む)を用いて多自由度のポテンシャル曲面の大域的な形状を記述する 解析法を新たに開発し、実際のダイナミックスの軌跡をこのポテンシャル曲面の形状 に射影し、融解の前後でのダイナミックスの詳細を解析を行った。解析の結果、この ような融解現象を特徴付けている遷移状態がポテンシャル曲面の鞍点に代表されるよ うな通常の遷移状態の概念とは全く異なる事、及びポテンシャル曲面の鞍点と鞍点を 結ぶような不安定な定常点(monkey saddle point)がポスト遷移状態として重要な 事がわかった。

(B)この研究では、9−ヒドロキシフェナレノン(9PHO)とその重水素置換体 のプロトントンネリングに関して、いろいろな振動励起状態に対応したトンネリング スプリッティングの理論計算を組織的に行った。更にその結果を基に、プロトントン ネリングのダイナミックスにおける多次元効果の定量的な解析を行った。この計算及 び解析のアウトラインには反応曲面法の考え方を用い、分子全体の自由度をプロトン トンネリングに直接関与するであろう2つの自由度とそれ以外の2義的な61個の自 由度(熱浴)に分け、反応系についての量子力学的な計算によりトンネリングスプリ ッティングを直接計算した。計算結果は、九州大学の関谷等の実験値を良く再現した 。これより今回の理論計算及び解析法が、充分に妥当な事が解った。また解析に結果 、幾つかの振動モードが励起すると、プロトントンネリングが極端に促進されたり阻 害されたりするのかが解かり、これらの振動モードについての定性的な分類を行った。

(C) これまで分子クラスター等のダイナミックスは、多くの場合古典力学の範囲 内でその計算や解析が行われてきた。しかしながら分子クラスターの中に軽い原子が 含まれている場合、或いは電荷移動反応等電子状態がダイナミックスに直接関与して いる場合等、量子力学的な解析が必要となってくる。そこで本研究では、分子クラス ターのダイナミックスを量子力学的に記述する方法として量子モンテカルロ法に焦点 をあて、この方法を電子系や同種粒子系のようなフェルミ粒子に適用するための理論 の開発を行った。開発した方法の概略は、以下のようにまとめられる。

テスト計算の結果、簡単なモデル系では大変良好な結果が得られる事が解った。

(D)この研究では、次の2つの問題について精密なab initio計算による多次元の ポテンシャルエネルギー面と多次元の振動解析を行う事により、電子構造及び振動構 造の理論予測を行った。


<発表された文献>
(1) ”分子クラスターの生成と崩壊のダイナミックス”; 志田 典弘    数理科学96年6月号特集「複雑系、生成と崩壊のダイナミックス」 (50〜56ページ)
(2) "A Theoretical Study on the ionization of H2S with analysis of vibrational structure of the photoelectron spectra"; Kouichi Takeshita and Norihiro Shida; Chem. Phys., 210,461-475, (1996)
(3) "Ab inito CASSCF and MRSDCI calculations of the (C6H6) 2+ radiacal"; E. Miyoshi, T. Ichikawa, T. Sumi, Y. Sakai and N. Shida; Chem. Phys. Lett., 275, 404-408, (1997)
  その他は準備中。


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