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2018年度総括


 立命館大学に赴任して2年目の2018年度は成し遂げたこともあったものの、反省しなければならないこともあった年度だった。研究と教育に分けて2018年度を総括したい。

研究

 研究に関しては、2018年度に成し遂げたことと成し遂げられなかったことの両方を書くことにする。
 論文を3本出版することができた。動詞の形態音韻論に関する論文は2本とも是非書きたいと思っているテーマだったので書いている最中は本当に楽しかった。格に関する論文も、新しい知見に富む論文を読んでコメントを加えるという内容だったので、執筆を楽しむことができた。  2018年中に出版された論文のうち2本は2017年度中に執筆した。2017年度は立命館大学に転勤して最初の年度だったので論文が書けるか心配だった。それでも、夏休みと春休みを使って論文を書くことができたのはよかった。
 2018年度に執筆できたのは2本。いずれも日本語方言の格に関するもので、1本は上に挙げたもの。残りの1本も2019年度中に出版される予定である。このように書くと順調だったように思えるかもれしれないけれども、実は執筆を断念した論文も2本ある。連体修飾節に関する論文と北海道周辺言語の他動性交替に関する論文である。
 連体修飾節に関するものは2017年度に国立国語研究所で発表したものをベースにしたもので、南不二男の4段階のうちBまでしか連体修飾節に含まれない方言とCまで含むことができる方言があるという内容になるはずだった。提案の根拠は推量の形態素(方言によってencliticであったりsuffixであったりする)の分布だった。自分にしては珍しく大風呂敷な内容で、国語研で発表したときも田窪先生からもう少し色々なモダリティー要素を確認した方がよいというアドバイスをいただいていた。12月が論文集の締め切りだったので、多少見切り発車でも文章化して議論のたたき台にしたいと考えていたけれども、果たせなかった。
 北海道周辺言語の他動性交替に関する論文は、2014年に『北海道方言研究会40周年記念論文集 生活語の世界』に奥田統己先生と白石英才先生と共著で書いた論文の英語版。2014年の日本語版のときはページ制限がきつかったので入れることができなかった具体例などを盛り込んだものにしようと考えていた。基本的な主張は2014年のものと同じで、日本語の北海道方言とアイヌ語とニヴフ語の他動性交替を対照すると、語彙的他動性交替では「日本語標準語・北海道方言(両極型優位、逆使役も使役もあり)」「アイヌ語・ニヴフ語(使役優位、逆使役なし)」というグルーピングになるけれども、生産的な形態法を使った他動性交替では「日本語標準語(使役あり、逆使役なし)」「アイヌ語・ニヴフ語・日本語北海道方言(東北方言も含む:使役・逆使役ともにあり)」というグルーピングになるが、生産的形態法におけるアイヌ語・ニヴフ語・日本語北海道方言の類似は語族を超えた地域特徴の可能性があるというもの。内容が決まっているなら書けばよかったじゃんと言われそうだし、自分でもそう思ったけど、2月の締め切りまでに書くことができなかった。
 2018年度書くことができた論文は全て9月までに書き上げたもので、書くことができなかったものは9月以降に締め切りが設定されていた。要するに前期(立命館大学では春セメスター)は論文を執筆できたけれども後期(秋セメスター)は論文を執筆できなかったのである。執筆できなかった事情については教育のところで書ける範囲で書くことにする。
 研究発表は3回。8月6日に国語研で開かれたNINJAL International Symposium Approaches to Endangered Languages in Japan and Northeast Asia: Description, Documentation and Revitalization で、Case in Japanese dialectsというタイトルで発表した。8月31日にはタリンで開催されたSLE2018でTransitivity alternations with productive and non-productive morphology in the languages around Hokkaidoという発表をした。上で言及した書けなかった論文の一つに対応する内容である。発表したってことはプレゼンテーションの資料もあったんだろうから論文化まであと一歩だろ?という声が聞こえそうだが、書けなかったのだ。12月23日には国語研で開かれた「フィールドと文献から見る日琉諸語の系統と歴史」で「本土諸方言の動詞形態論の歴史的変化 : ラ行五段化を中心に」という発表を行った。この発表の後半部分を発展させて2019年12月が締め切りの論文集に論文を書く予定である。
 調査に関しては、以下のとおり。2018年度は前年度までと異なり、北海道で調査を行うことはなかった。これは北海道方言の調査から撤退するということではない。上ノ国町石崎の方言辞書を編纂している方々と打ち合わせを重ねてきた。2019年度から具体的な調査に入る予定である。千葉県南房総市三芳には3回調査に行くことができた。古老が集まる会に参加させていただく機会を持てたほか、音声付き昔話をウェブページで公開し、CDを出版することができた。来年度以降は形態音韻論を手始めに千葉県南房総市三芳の方言に関する論文をまとめていきたい。
 論文集の編集に関してはあまり大きな前進がなかった。Moutonから出版予定の方言の論文集は膠着状態といったところか。木部先生は物凄く忙しそうだし、僕も忙しい木部先生を後押しするほどの余力がなかった。でも、これはまずい。2019年度は事態を打開したい。逆使役についての日本語の論文集は原稿が集まり始めている。こちらは夏までには何とかしたい。
 研究のための時間を作ることが2019年度の最大の課題。調査に行く時間やデータを整理する時間だけでなく、落ち着いてアイディアを練ったり問題に取り組んだりする時間をたっぷりとるにはどうすればよいか、立ち止まって考える必要がある。本当は3月中にそういう時間をとりたかった。4月の初めに何とかしよう。

付記1:4月1日にe-Radにアクセスしたら、前年度に申請した科研が通っていた。実は立命館大学に着任した2017年度は科研を申請しなかった。大学の事務があまりに官僚的に思えて、手続きをする気が失せてしまったのだ。今思い返すとこれは勘違いで、研究関連の部署に関しては前任校とやり方が違っていてそれで戸惑ったのだ。立命館大学のリサーチオフィスは科研のような予算獲得手続きに関してはかなり親身になってアドバイスをくれる。非常に協力的だ。科研が通ったのもリサーチオフィスの貢献の賜だと思う。他の部署もこれぐらい協力的になってほしい。教員を一方的な管理の対象とするのではなく、一緒に企画を推進する立場に立って仕事をすることを全ての部署に求めたい。

教育

 教育に関しては、まずリサーチペーパーの指導から書きたい。リサーチペーパーは2017年度9月入学までに入学した言語教育情報研究科の院生の修士論文に対応する成果物である。春セメスターに5本、秋セメスターに5本リサーチペーパー(修士論文に相当)の指導をした。全員が合格した。
 2018年度は合計10本のリサーチペーパーを指導したが、相当手こずった。全員合格したが、難産だった。言語教育情報研究科ではリサーチペーパーの締め切りがあるセメスターのはじめに、「中間発表会」をすることになっている。中間発表会では、リサーチペーパー執筆のために行った調査などの研究成果を発表し、副査となる教員や他の院生からコメントをもらうことになっている。しかし、2018年9月終了予定の学生で4月の中間発表までに調査が終わっていた学生はほとんどいなかった。そんなわけで、7月の締め切り間際は修羅場だった。5人の院生の草稿がひっきりなしに届きそれにコメントを付けて何度も改訂してもらっていた。最後の方は、難産の度合いが高い院生に時間を割くために一定の水準に達している院生には改訂を控えるようお願いせざるを得なかった。
 このような経験を反省して、2018年3月終了予定者には論文執筆進行のモデルを書き込んだカレンダーを渡した。そして、先行研究の章を夏休みの前までに書き上げることを要求したが、上手くいかなかった。院生は夏休みなどの長期休暇を使って調査を行うわけだが、その前に先行研究についてまとめておかないと意味がある研究を行うのが困難だ。折角調査をして発表しても「それってもう○○という先行研究で言われていることですね」と指摘されればおしまいだからだ。
 春セメスターも上に書いたような事情で肉体的にかなりつらい進行になったけれども、秋セメスターは精神的にもつらかった。締め切り間際の12月と1月が修羅場だったのは春セメスターと同じだけれども、9月から11月にかけてリサーチペーパー全体の初稿がなかなか上がってこないのには焦った。原稿が来ないわけだから、その間、指導の必要もないので肉体が酷使されるわけではない。そうではなくて、来るべき原稿が来ないことが大きな不安となってしまったのだ。
 9月から11月の空白期間に論文を書けばよかったのだが、不安が大きすぎてとても論文執筆という創造的な作業に着手できなかった。人間は地震や雷という実体のあるものを恐れるだけでなく幽霊のような実体のないものを恐れることがある。院生から送られてきた草稿の指導で疲弊するのは地震や雷を恐れるようなものだが、草稿が提出されないことを不安に思うのは幽霊を恐れるようなものだ。
 「草稿の提出が遅れて締め切りまでに合格水準の論文ができなかったら、あと半年なり1年頑張ってもらえばいいだけの話では」という意見もあるだろう。誰でも最短の修業年限で修了させるとしたら、その教育機関(のようなもの)は学位工場(degree mill)だ。立命館大学の言語教育情報研究科はそのようなものではない。実際、長期履修生ではない場合でも2年間で修了できない院生はいる。だから、草稿が提出されないことを不安に思うのはナンセンスがことなのだ。僕は「あれ、草稿を中々提出しない学生がいるけど、2年じゃなくて3年かけて論文を書くつもりかな」と考えればよかったのだ。しかし、それができなかった。
 最短の修業年限にこだわってしまった僕に問題があるのは明らかだ。この無根拠なこだわりが何によるものか、そしてどうすればこのこだわりを断つことができるのか、これから考えていかなければならない。このこだわりは言語教育情報研究科にはふさわしくないものだから。
 なお、二人の院生が博士課程後期に進学した。一人は立命館大学の文学研究科へ、もう一人は神戸大学へ進学した。研究者への一歩を歩み始めた院生が1年間に2人出たことはとてもうれしい。
 カレンダーの導入は2019年3月に修了した院生には効果が薄かったようだが、2019年7月修了予定の院生には一定の効果が出て来ている。秋セメスター修了までに全員が先行研究の章の初稿を書いたからだ。もっとも、2019年4月の中間発表までに調査が終わりそうな学生がいないことを考えると別な問題もあるようだ。2019年度も指導方法の改善に努めたい。
 2018年度は春セメスターからアカデミックライティングデスクの導入し、院生が論文やレポートを提出する前に日本語のチェックをしてもらえる体制を整えた。しかし、その普及には課題がある。「ライティングデスクに行っても1段落ぐらいしか直してもらえない」と言ってなかなか使おうとしない院生がいる(多い?)一方で、毎週のようにライティングデスクを利用して僕に草稿を見せる前に文章を直してもらってくる院生もいた。後者の院生からはあまり不満を聞かなかったところを見るとライティングデスクはおおむねうまく機能していたと考えていいだろう。サービスを利用しない学生ほど不満を持つという現象は前任校でも何度か見た。ライティングデスクに関しては広報を強化する必要がある。
 2017年度までは1月にリサーチペーパーを提出する学生用に外部に日本語校閲を依頼する制度があったが、それをやめてライティングデスクを設置した。外部への依頼をやめた事情についてここで説明するのは控える。2018年度は移行期間だからであろうか、教員の仕事が研究内容の指導よりも日本語校閲に偏ってしまった。日本語校閲は本来教員の仕事ではない。教員の仕事は研究内容の指導である。2019年度からはこの原則を貫くようにしたい。
 2018年度から「研究基礎論」の講義が始まった。これはリレー式の講義で、大学院における研究方法を修士1年の院生に教える科目である。僕の担当回では、研究者になること・研究者であることの大変さを強調するあまり、内容がダークサイドに偏っていた。「足の裏の米粒」の話とか。学術振興会の特別研究員などの若い研究者をサポートする制度の情報を盛り込むべきだった。僕自身学術振興会の特別研究員だったわけで、その制度によって助けられたわけだから、それなりにリアリティーをもって話せるはずだ。ただ、研究者を取り囲む環境は20年前とは変わっている。その辺の変化も2019年度は話すようにしたい。
 2018年度秋セメスターは3回ほど病院にお世話になった。生まれて初めてぎっくり腰になったせいで日本方言研究会に出席できなかった。これまた初体験で疣痔になり、屈辱的(に僕は感じた)治療を受けなければならなかった。もう1件については公表を差し控える。いずれにせよ春セメスターから続いた無理のせいで肉体的に限界を超えていたということだ。時間外労働をどこでとどめるべきかということを真剣に考える必要がある。
 大学教員は時間外労働にルーズだと思う。1日16時間働くべきだということをSNSで書いて顰蹙を買っていた研究者がいた。これは極端な例で他の人に強制したらお縄になるだろう。でも、自分についてはどうだろうか。肉体が悲鳴を上げるまで、自分の労働時間が極端に長いことに気づかない大学教員もいるのではないか。残念ながら2018年度の僕はそうだった。それ以前からそうだったかもしれないけれども、家族が超過勤務の防波堤になっていたように思う。
 娘が小さかったときは、長時間労働なんてできなかった。子育ての必要があったからだ。夕飯を作るためには、夕方家に戻る必要がある。妻が夜間の講義も担当していたので週に何回か僕が夕食を作る必要があったのは、今思えば健康にとってよいことだった。単身赴任で家族との生活という安全装置がとれてしまった。これからは意識的に労働時間を管理するようにしよう。無理なことは無理と言おう。
 2018年度はブカレスト大学との連携を推し進めることができた。2020年の3月には1回目の院生ワークショップを行う予定である。バベシュ・ボヤイ大学との関係についても一歩を踏み出すことができた。立命館大学に着任してから始めたルーマニアの大学との連携の模索が具体化しつつある。これは色々な面で言語教育情報研究科によい刺激を与えると思うので、2019年度も引き続き進めていきたい。

2019/04/01(アップロードが新年度になってしまった。)


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