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独り言へ

2001/1/31

島根はさぞ寒かろう、と思っていたが、実際の寒さはこっちの寒さと大差なかった。 整数論の話を朝から夕方まで数本聞き、数学の話を50分ばかりして、研究集会は終了。 夜は蟹が大挙して襲いかかってくるのを、 胃袋の大きい人が主となって撃退しつづけるという、大変有意義な時間を過ごした。 その後後輩H氏と現状を憂いながら、ウィスキーを飲む。案の定二日酔い。 観光は中止して、とっとと関西へ帰ってくる。 岡山まで乗った特急は乗り心地が悪く、久々に乗り物酔いをした (乗り物酔い+二日酔いのため効果倍増)。

♪蟹食べ行こう

島根での話の準備をしている時に、ある本で使えそうな定理を発見。 その証明を過去に読んだことがあるはず。ノートを見返す。 しかし最後の所が理解不能。さて困った。前は疑問に思わなかったはず。 簡単な群論の問題のはず。変だ。Ns先生やSh先生のお手を煩わすも解決せず。 いくつか実験してみると、定理の主張が嘘であることが判明(反例発見)。 どこが違うのだろうか? 島根のホテルで間違い発見。簡単な群論の問題、と思っていたところが嘘であった。 ということは、Ns先生、Sh先生に多大なる迷惑をかけたことになる。 Sh先生の所へ詫びに行くと、 「あれ嘘ですね。偶数位数の巡回群だと成り立ちませんね。 帰り道で気が付いた」とのお答え。すぐ気がついてくださり、よかった。 しかし、証明を読んだときに間違いに気付かず、 挙句に第三者の手を煩わせてしまうとは、恥ずかしい限りである。

MathSciNetで調べたら、「p.181のCorollary 1はfalseである」 と指摘されていた。もう少し早く調べておけばよかった。

2001/1/25

♪I wanna know, have you ever seen the rain. 去年の今ごろは雪ばかりであったが、今日は雨が降っている。 どっちが普通なのかまだわからない。データ−不足である。

問題:data の単数形を書け。

色々あって若干ブルーな気分である。雨が追い討ちをかける。 腹が痛い。頭も痛くなってきた。風邪だろうか。 来週島根に行くまでに調子を戻さなければ。

2001/1/24

二日で試験監督4コマ。 うち3コマを同じ助手の人とやるという、妙な人員配置であった。 その助手によると、助手は一人10コマも担当しないといけないらしい。 しかも「一日にまとめたほうが良い」てなことでも書こうものなら、 一日5コマ(朝9時から夕方5時30分まで!)などという重労働になってしまうらしい。 (現に、今日、明日と、数学のA助手が5コマずつ監督するらしい。) 学生さんは自分達が一番大変である、というような顔をしているが、 助手も大変、事務も大変。

2001/1/22

20日はバスの増便がどうしたこうしたどころでは無くなったようですな。 坂本ちゃんをはじめ、センター試験受験生は無事試験を受けられたでしょうか。 ちょっと心配な土日であった。

N「アホ」嶋監督が、 「駒田君をうちに取る余裕はないかい?」てなことを言い出しているらしい。 そもそも何故駒田が読売を出たかを思い出して欲しいね。 あんたとあわなかったせいだろうが。 あの年は“馬”駒田と“ラクダ”M原がFA宣言をしたが、 M原を一生懸命引き止めて、駒田を引き止めようとしなかっただろうが。 それを何だ今更。恥を知れ。 たとえ世辞だろうが何だろうが、 ああいうことを堂々と言える無神経さに腹が立つ。

N嶋を生涯のライバルと思っているN村監督は、 「O合はもはやポンコツだ。そんな選手に大金をはたくN嶋の気がしれん」 と言った数年後に、 「O合君は球界の宝。是非うちに来て欲しい」と言ったことがあった。 息子をトレードで取った件といい、この向日葵とカスミソウはよく似ているようだ。

2001/1/19

ついに駒田が引退してしまった。 98年のV1戦士がずいぶん減った。佐々木、駒田、阿波野、島田、進藤…。
駒田といえば、世間の人は「満塁男」と言うだろうが、 小生にとっては「FAで読売ジャイアンツを飛び出した唯一の男」と印象の方が強い。

駒田の名言:俺達は勝って客を呼んだんだ、という自負がある。 何もしないで客の入ってくれるチームとは違う。

どこのチームを批判しているかは自明。

久々に野球のことばっかりにするか。 オリンピックの監督に長嶋を、という暴論があるそうである。 長嶋が読売の監督に成った時と同じ感想を抱いた:勝つつもりが無いらしい。 Wオーナーがまた阿呆なことを言い出している。 「オリンピックに協力する代わりに高校生に逆指名権を」。 それとこれとは話が別だろうが。 某新聞曰く:結局このままでは声がでかいもの勝ちである。 (本当は「発言力のあるチーム」とかなんかそんな表現だったが、 若干意訳した。)

その新聞に掲載されている4コマ漫画が新しいキャラクターを作っていた。 その名は「ワンマンマン」。胸には丸印の中に「ワ」の字。 眼鏡をかけていること、頭髪の具合など、誰がモデルであるかは自明。 一度ご覧あれ。

11月に「ドラフト外という味のある制度がなくなって残念だ」と書いたが、 その後に物凄く大事な選手を忘れていた。 石井琢朗(当時は石井忠徳)。 彼は勝ち投手になったことがあり、かつヒットを千本以上打った、 という関根潤三以来の大記録を樹立した選手であった。忘れて申し訳無い。

ところで明日はセンター試験らしい。定期試験もある。大丈夫なんだろうか。 大学はバスの増便を手配したのだろうか? 前期の試験の時に、土曜日のバスが増便されていなかったので、心配である。 明日は来ないことにして、今日はもう一仕事していこう。

2001/1/17

昨日は珍しく20時ちょっと過ぎなどという早い時間に帰宅。 若草北口の角を曲がってかがやき通りに入ると、すぐ温度計がある。既に0度。 氷点下突入は確実であろうと思っていたら、案の定であった。

見るもの(クヮンガク等)だけ見てとっとと就寝。飲み会疲れのため、起きたら午後。 14時過ぎに風呂に入り、15時に大学へ向け出発(15時50分から会議のため)、 という変な行動をとる。以前親が、実家の近所の人から、 「お宅の息子さんは水商売でもなさってるんですか?」 と聞かれたことがあるそうだが、これでは言われても仕方が無いであろう。

昨日締めきりの学生のレポートが事務から届く。20人強であった。 予想より若干多い。皆熱心でよろしい。 23日までの用が一件、26日までの用が一件、 29日に松江で数学の話をするのでその原稿書きをして、 今月中に上記のレポートの採点をして、 23,24日に行われる試験の採点が来月上旬まで、そして …、用事は重なるものである。

2001/1/16

昨晩は学生と飲み会。濃い時間を過ごし、今日はやや疲労気味。 H君の名言:酒なんて子供の飲み物さ。
真相の究明は読者の演習問題とする(T.S.Black君風)。

また論文が掲載された。 2000年暮れに掲載の論文を投稿したのは2000年7月、 2001年初冬の論文を投稿したのは1999年8月。 数学の専門家以外にはわからない不思議な現象である。 T教授の在独日誌に、「1年に何本もの論文を書く人って、 いったいどうやってるんだろうかと疑問には思っていた」と書いてあったが、 実はこういうトリックを使って、 しょっちゅう論文を書いているように「見せる」という姑息な人 (加川など)もいるであろう。いや、俺だけか?

2001/1/15

最低気温氷点下2度。BKCはもっと冷えたのではなかろうか。 池に厚さ2cmくらいの氷がはっていた。3回生Y君が上に乗ってみると、 ミシミシと音がした。残念ながらY君は無事であった。

2001/1/12

URLが変更されていた。ドイツからT教授がメイルで教えてくださった。 教研から連絡があったのだろうか?記憶に無い。

夕方非常勤講師をしている畏友K君が訪ねてくる。 「外からホームページを見たら、見えないけど、何でだ?」と言っていた。 それはね、URLが変わったから、とほんの少し前に仕入れた話をしてあげて、 無事解決。しかしK君怒る。当然。

2001/1/10

今日で担当講義は終了。 厳密には卒業研究がまだあるので、 黒板の前を移動しながら字を書きまくる講義は終了、とするべきだろうが。 しかし昨日が仕事始めで、今日が仕事終りという感じである。 何か妙な気分である。
#もちろん今日が仕事終りではない。春休みといえど色々用事は有る。

今日からマイラインとやらの登録受付が始まったらしい。 結局何が得になるのかよくわからない。 市外電話などを掛ける時に 00?? を押さなくていいから楽だ、ということらしいが、 ボタン4回押すのがそんなに面倒か? まあ「携帯電話」と言うのが面倒で3文字省略する人や、 「みなみくさつ」と言うのが面倒で 「なんくさ」と言うような不精者にはいいのかも知れないが、 小生はちゃんと「携帯電話」、「みなみくさつ」言うので、ボタンを4回押します。
#マクドナルドを「マック」と言ったり、 ケンタッキーフライドチキンを「ケンタ」と言うこともない。

2001/1/9

元旦と成人式の中間に年齢が1つ増える、これが31年間不変のパターンであったが、 32回目から変わった。33回目は誕生日が成人の日になってしまった。 何か妙な気分である。 我が人生の34年目は怒涛の1日で始まり、2日目も大騒ぎのまま終わろうとしている。