日本の思想史家である桂島宣弘の著書。載せられた全ての文書は韓国での学会に参加し、発表したものである。ゆえに、少し一貫性が欠けているところもあるが、著者が重要だと思っている部分が簡略に要約・整理されている便利さもある。
 
同一なる価値を共有しつつも、文化をもって中華と蛮夷を区切る世界体制であった中華文明圏が、ウェスタンインパクトによって瓦解され、西洋の価値を受容するにつれて中華文明圏の同一な価値体系が崩壊し、個別の国家による思考体系へ変化していく、というのが著者の基本的な眼差しである。そのような脈絡で、共通原理を強調する韓国の主理論的な儒教哲学に比べ、個々の事物、つまり個々の国家を強調する気一原論、もしくは主気論を中心とした日本の後期朱子学を対置させている(無論、私はこのような儒学理解が正しいかどうかを判断する能力を持っていない)。
 
とても興味深い観点であり、叙述も比較的に要領を得ていると言える。もちろん、簡略な紹介であるため、若干の隙間も感じられる。これらの問題について著者の立場が整理されている『思想史の十九世紀』という本も面白そうだ。
 
いくつかのところを引用すれば、
 
宣長により虚構的な民族性としての言語共同体的な同質性が古代の情と言として仮定され、また言語共同体による自他認識が言説化され、それによって中華文明圏内での自他認識、すなわち「礼・文」にもとづいた彼我共通の文明の基準が決定的に破壊されたこと。
 
古代人の残したテキストを文献学的に解明することが、実は古代の極めて一部の人々の想像された帰属意識を明らかにすることであるにもかかわらず、それが近代に波及されることにより「歴史的に存在してきた国民」というのが想像されて行くようになる。
 
後期水戸学は一見すると儒学的な様態であるように見えるが、むしろ西欧帝国のもつ侵略性に深刻な危機感を抱きながらも、心の中では感嘆して、逆にその「術」を学びつつ形成されたということだ。近代日本が「脱亜入欧」の帝国国家として自己形成を成し遂げていったことを想起すると、後期水戸学はまさにそのイデオロギーの構造を原初的に表していると言える。
 
他者認識、他者表象が隠蔽され、自明なるものとして固有性が主張される過程であったと言える。
 
丸山真男の日本政治思想史の研究には、周知のように、「停滞する中国、それを表す朱子学」、「近代的な発展を成し遂げた西欧、それを思惟構造として表す日本古学派」という理解があった。思うに、それは単なる丸山の方法とか観点の問題だけではなかった。それがまさに、最初から構造化されていた日本思想史学という「一国史」の観点であったのだ。
――丸山のあの本は大学時代に深く考えずに読んだため、もう一回読むしかないようだ。どっかの片隅に隠れているはずの本を探すのも面倒なことだが。
 
19世紀にこのように西洋の文献が翻訳されねばならなかったこと自体が、このヘゲモニー関係を明確に代弁していたことは言うまでもない。それに圧倒され、今度はそのヘゲモニー関係を自分のものにしながら、西洋と自己を、そしてオリエントを新しく透視せんとする作用が翻訳行為によって新たに生成されたということも見過ごしてはいけない。
 
「歴史家、知識人」が「民衆」を語ることはセルトを借りれば、文化的封印の後に来る保存の論理、ないしは博物館の論理に他ならず、そうであるからこそ、民衆の文化は「自然なもの、嘘のないもの、素朴なもの、素直なもの、幼児性」と繋がる「消滅という形態でしか把握できないもの」として理解され、そのような民衆の文化から「失われた起源の神話」が探求されていくということだ。……民衆というある程度センチメンタルな概念の背景には、「歴史家・知識人」、さらには学知という政治文化の醜い権力性が潜んでいる、という重たい問いが投げ込まれているのだ。そしてそれは明治以降の啓蒙的な知性が孕んだ権力性・政治性に対する問いでもあるのだ。
――この文章は、すばらしい。
 
これら「民間史学」こそ、広く考えると明治以降の啓蒙的知性の系譜に他ならず、子安やセルトーの批判からも推測できるように、このような啓蒙的な知識人が作ってきた神話が、そしてその神話の内部にある歴史学と民衆宗教史が今疑問視されているのである。
――近代日本の民間学をこのあいだ読んだけど、こんな痛烈な一発がでるとはかつて考えられなかった。
 


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