今日、日本において、「戦争責任・戦後責任」においては、二つの点が問題になっ ている。一つは、一連の政府要人による「侵略戦争否定」論をめぐる内外世論の批判 であり、もう一つは、従軍慰安婦をはじめとする戦後補償の問題である。前者は私達 も見てきたように、完全な侵略戦争であることは、疑いようもない事実である。後者 の方は、年々問題となっている。1994年9月、国際法律家委員会は、日本の従軍 慰安婦問題について、「暫定的な措置として、被害者一人当たり四万ドルを払うべき である。」とする日本への勧告意見をまとめ、同時に、日本政府が一千億円の事業を もって補償にかえようとする方針に対し、それでは賠償にならないと、批判している 。これらの問題を通して、日本の過去に対する反省の不徹底さ、又、戦後補償に対す る認識の甘さがでてくる。それはなぜであろうか。ここで事後講義でも取り扱い、又 、新聞などでもしばし、取り上げられるドイツとの比較をもう一度してみる。同じ敗 戦国であるドイツの戦争責任・戦後補償の取り組み方は日本のように生温いものでは ない。そもそも戦争責任の定義付けにおいても日本とドイツは認識が異なるのである 。日本の場合、戦争責任とは、一般には、開戦責任であると考えられる。この見方に よれば戦争を始めた当時の政治・軍事上の指導者に責任があり、東京国際裁判や公職 追放などがあげられる。私は公職追放については疑念に思うが。それに比べて、ドイ ツは開戦責任は当然であり、もっと広い意味が戦争責任・戦後責任に含まれているの である。それは、一口に言えば、二度と再びあのような侵略戦争を起こさない、そう いう国にしていくにはどうしたらいいのかを追求することである。第一次・第二次の 両大戦をみてもわかるように、どちらも、ドイツは戦争に敗れている。第一次世界大 戦の時は、戦争責任は従来の賠償金という形がとられた。しかし、結局、それが原因 でナチスを生み出してしまい、第二次世界大戦を引き起こしてしっまたのである。大 戦終結直後など、ドイツという国をなくしてしまおうというのもあったらしい。その 為、フランスなどの諸国からの圧力が日本に比べて大変強いものであった。この点に ついては、日本は運が良っかた。ドイツが英・仏・米・ソの共同統治によって統治さ れていたのに対し、日本はアメリカのみの一国統治であり、しかも、開戦責任のみの 責任がなされたあと、中国内戦、そして中華人民共和国の成立、朝鮮戦争やベトナム 戦争、東南アジアの内政不安などによって、いつのまにか、日本の戦後補償問題はう やむやになってしまったのである。ドイツの戦争責任は、「過去の克服」であったの に対し、日本は戦争責任を真剣に取り組む時期を逸してしまったのである。ドイツの 「過去の克服」には三つ柱がある。ひとつは、「加害者の罪」の追求である。これは ナチスの大量殺人罪には時効を認めず、永久的に追及するものである。これに対し日 本は七三一部隊の石井四郎などをみてもわかるように、東京裁判などで刑を受けたの は、ごく一部の戦争責任者であり、公職追放によって、政界を追放された岸元総理や 鳩山元総理などは、追放解禁によって政界に復帰した。岸元総理はいわずとしれた日 米安保問題をひきおこした人物である。もともと岸元総理に限らずこのころの政治家 の多くは、戦前のイデオロギーから抜けていなかったのである。又、天皇の加害者と しての追及が行われなっかも問題であった。意外と知られていないのだが、戦勝国で 最後まで天皇の戦争責任を主張したのはオーストラリアであった。しかし、アメリカ は日本を統治する上で、天皇は必要不可欠であり、また都合もよっかったのである。 このように、日本は加害者の追及からして不徹底であった。ふたつめのドイツの柱は 「犠牲者への補償」である。国内に対しては、ナチスに迫害を受けた者や、戦争の犠 牲者に年金や一部金という形で補償がなされ、国外に対しては、イスラエルやヨーロ ッパの国々に対して補償協定を結び、補償金を支払っている。日本は治安維持法によ って迫害を受けた人々は無視され、戦死者は地位が高い人は祀られ、それ以外の人々 はまとめて記念碑をたてるだっけであった。国外に対しては、先に述べたように、一 千億円の事業をもって補償に当てるという。ドイツは国内外になされた補償金の総額 は約八兆円である。えらいちがいである。そして、ドイツの三つ目の柱は「二度と過 ちを繰り返さないための教育」である。学校教育、社会教育、あるいはマスコミを通 じてなされる報道等によって、ナチスがどのような不法行為を行ったか、どんな迫害 行為を行ったか、などを教えるということを重視している。学校授業とか、記録映画 とか、施設見学をするとか、資料館をつくるとかなどのような活動を行っているので ある。「シンドラーのリスト」を学校授業に取り入れるよう、各州の文部省が勧告し ているぐらいである。それに対し、日本では、私の経験をふまえてみると、小学校時 代からずっと日本はアメリカと戦争をして、空襲をうけ、広島・長崎に原子爆弾が落 とされ、甚大な被害を受けたという被害者意識での教育しか受けなっかたように思う 。又、小学校の図書館で、「はだしのゲン」や「ガラスの花嫁」や「ピカドン」など を読んで、夜、眠れなくなったことも、しばしばあった。その時、幼心に、「戦争っ てこわいんだな。」ということが頭にあった。しかし、アメリカとの戦争の前に中国 や東南アジアなどに侵略戦争を仕掛けていたことなど夢にも思っていなっかた。私が 、その事実を知ったのは小学校も、もう高学年のときであり、小学校の図書館よりも ずっと広い市立図書館で知ったことである。又、父が買ってきた週刊誌に南京大虐殺 の写真が載っていて、ずっと見ていた記憶がある。しかし、平頂山事件や七三一部隊 については、つい最近、大学受験の時に知ったのであり、中国に行ってから知ったこ ともたくさんあった。又、去年、戦後50周年を記念して、作製された、映画のほと んどは日本のアメリカとの戦争で敗戦していくまでの過程にすぎなかった。講義中に 見た「七三一部隊」のビデオは、結局、全国枠で放映されることはなっかた。テレビ でも、たまに、NHKの深夜放送で日本が満州国をつっくたことや、日中戦争のこと などをやっているが、子供がおきているような時間帯ではない。このように、自国の 戦争でうけた傷跡を強調するばかりで、自分達が戦争によって他国に与えた傷跡は二 の次なのである。日本の現時点で一番問題になるのはこの点ではなかろうか。「加害 者の追及」や「被害者への補償」などは、どのみちその人々が死ぬことによって、消 えてゆく。しかし、過去の歴史はどんなことしても、決して変わらない。教育問題は 、今後、未来責任に対して、大きな影響を及ぼすものである。今までの戦後補償がう やむやになっているだけに、未来責任は重要である。なぜならば、日本全体の信用に 関わる問題だからである。私としては、「なぜ、祖父の犯した罪を償わなければなら ないのか。」という不満もあるのだが、祖父の罪を曾孫まで償わせるわけにわいかな い。しかし、私達の受けてきた教育ではおぼつかない。未来責任を果たすためには、 もっと加害者であったという点からの教育が必要だと、私は思う。
参考文献: | 「従軍慰安婦と戦後補償」三一新書 |
「戦争責任と戦後責任」かもかわ出版 | |
「戦後補償を考える」東方出版 |