概要

固体におけるエネルギー輸送過程は「熱伝導方程式」に従うことが広く 知られている.熱伝導方程式は拡散的な時空間プロファイルを解に持ち,実際に我々が目にする固体の熱伝導をよく説明する.しかしながら,厳密には固体中の 熱は元来波動としての性質を持っており,熱拡散現象はその「熱の波動」過減衰極限として近似的に実現されている.このような熱の波動あるいは「温度の波動」は,しばしば「第二音波」という言葉で呼ばれ,超流動ヘリウムにおいてはその存在がよ く知られている.固体における第二音波 は超流動ヘリ ウム中の第二音波とは本質的に異なり,結 晶が本来持っている非調和性に基づく一般性を持った概念であ るが,固体に おいて第二音波の伝搬が許されるために は「周波数の窓」と「温度の窓」と呼ばれる厳しい条件を同時に満たす必要がある.ここで,「周波数の窓」とは第二音波の不足減衰(underdamping)条件および局所熱平衡成立条件(温度が 定義されるに十分な非抵抗性フォノン間衝突が必要)によって定義される.「周波数の窓」を開くためには不純物を極限まで(同位体レベルまで)減らした上で冷却する必要があるが,低温下ではフォノンの熱分布自体が少なくなり, もはや温度(の波)を定義できなくなるというジレンマにより,通常の物質では「周波数の窓」が開くことはほとんどない.そのため,実際に第二音波が観測された固体は,フッ化ナトリウム(NaF),固体ヘリウム,ビスマスの,わずかに3例しかなかった.

「量子常誘電体」と呼ばれる物質群では,それらが本来有する強誘電性 が「零点振動」によって妨げられていると考えられており,強誘電性を担う長波長・低エネルギーの光学フォノン(ソフトモード)が低温下で存在できるために,熱抵抗に寄与しない長波長フォノンの状態密度が低温でも過剰であるという著しい 特徴を有している.このことによって,低温で「周波数の窓」が大きく開き,ある程度不純物があっても第二音波が存在できるという可能性が理論的に指摘され ていた.一 方,観測例としては,1995年以降いくつかの光散乱スペクトルが第二音波の候補として報告されていたが,これ らに否定的な報告も多く,決定的な議論には至っていなかった.その論争の主な原因は,局所熱平衡下でしか適用できない動的構造因子(スペクトル関数)が解 析に使用されてきたことにある.正しい理解には広い温度範囲・周波数範囲をカバーするデータと,流体力学レジームから局所熱平衡が成り立たない非平衡状態まで をも一貫的にカバーする理論式が不可欠であった.

著者らは高分解能光散乱分光器を用いて,代表的な量子常誘電体であるチタン酸ストロ ンチウム(SrTiO3)における低エネルギー素励起,特に熱拡散によるレイリー準弾性散乱と,特異な非 弾性散乱ピークの詳細な温度依存性を得た.さらにスペクトルの解析においては従来の流体力学的な動的構造因子に替えて,「フォノン気体」に対する新しい非 平衡熱力学方程式から局所熱平衡の成立に関わらず適用可能な動的構造因子を導き,これを用いて6Kから300Kという非常に広い温度範囲,および1GHzから1THzという広い周波数範囲に渡るスペクトルの変化を矛盾無く統一的に解析することに初めて成功した.解析の 結果は,SrTiO3においては約50K以下で「周波数の窓」が開いており,なおかつ約30K前後の「温度の窓」において第二音波が存在していることを示しており,理論的に予言されていた量子常誘電体における第二音波の存在が初 めて明らかになった.

第二音波は「温度の波動」であり,物質中のほとんどの物性量は温度を重要なパラメータに持つ.また,SrTiO3は様々な興味ある物理の舞台を提供するよく知られた重要な物質である.したがって,もしSrTiO3およびその関連物質において「コヒーレントな第二音波」を励振出来れば,この「温度の波動」の注入によって様々な素励起を劇的に変調することが可能であると考えられる.また,第二音波の存在は,これまでひと言に 「熱浴」と呼ばれてきた散逸的な系に「固有状態」が存在することを意味する.したがって,他の励起状態と「熱浴」との相互作用(エネルギー移動過程)の結果として逆に第二音波を放出させることも可能であると考えられる.このように,「温度の波 動」,つまり「熱の固有状態」の存在は,SrTiO3およびその関連物質における新しい物理の実験的・理論的な開拓に道を開くものと期待される.なお著者らの導いた非平衡動的構造因子はフォノン気体のみならず,マグノン気体な ど他の系における光・X線・中性子散乱スペクトルの解析にも広く応用が可能であると期待される.




本文

はじめに: 第二音波=熱の波動

本研究では固体における「第二音波」という素励起を考察する.この 「第二音波」という現象はじつは「熱の波動的伝搬」を意味するのであるが,これについて以下で説明する.

たとえば一次元的な棒を考え,時刻t=0においてその棒の一端にインパルス的な熱を与えたとしようすると,その熱は当然ながらいわゆる熱拡散(熱伝導)によってじわじわと棒の他 端へと伝わっていく様子が想像されよう.このようなエネルギー輸送過程は「熱伝導方程式」に従うことが広く知られている.熱伝導方程式は実際に拡散的な時 空間プロファイルを解に持ち,上記のような実際に我々が目にする固体の熱伝導をよく説明するように思われる.数学的には熱伝導方程式はいわゆる「放物型」 の偏微分方程式であり,その解はt>0において至る所で有限の温度上昇を予言 する.つまり,棒の一端に熱を与えた次の瞬間には他端の温度が必ず少しは上昇する,というのが熱伝導方程式の教える所である.はたしてこれは正しいであろ うか?その答えは十分に長い棒を想像してみればわかる.少し極端な話になるが,たとえば地球から冥王星までを棒で結んだとする.ある瞬間に地球側の端を急 速に熱するとき,その熱エネルギーは次の瞬間に冥王星に届いているだろうか?答えは当然ノーであることが想像できる.熱エネルギーの担体が電子やフォノ ン,あるいは光子であっても,エネルギーは決して無限大の速さで伝わることはない.つまり,熱伝導方程式は物理的には不可能な無限大の信号の伝搬速度を与 えることになっており,これは「熱伝導方程式のパラドックス」として知られている問題なのである.この問題の根元は熱伝導方程式を導出する際に必ずと言っ て良いほど前提とされる「フーリエの法則」にある.フーリエの法則はちょうど電気伝導におけるオームの法則の熱伝導版のようなもので,「熱流は温度勾配に 比例する」というものである(その比例係数は熱伝導率である).このパラドックスを解決するには,定常熱流の成立に要する有限の「緩和時間」を導入し,熱 流の時間変化を考慮に入れることによってフーリエの法則を修正すればよい.この修正によって偏微分方程式の時間に関する微分の次数が一つ上がり,修正され た熱伝導方程式はいわゆる「双曲型」になる.双曲型偏微分方程式の代表格は「波動方程式」であるから,この修正によって熱伝導問題の本質は「熱波動の伝 搬」であったことが分かるであろう.実際には上記で導入した「緩和時間」の逆数は「熱の波動」に対する減衰係数となり,得られる方程式は減衰を含む波動方 程式(「電信方程式」)となる.この「熱の波動」は有限の伝搬速度を持つため,無限大の伝搬速度の問題は解決される.また,減衰が大きい状態,すなわち上 記の「緩和時間」が十分に短い場合には熱の波動が過減衰となり,その時空間プロファイルは見かけ上拡散的に振る舞う.つまり,緩和時間がゼロの極限では フーリエの法則が近似的に成立し,方程式は熱伝導方程式に帰着する.

このように熱伝導の問題では その根底に「熱の波動伝搬」という物理的本質が隠れていることが分かる.この「熱の波動」の伝搬速度を計算すると,誘電体の場合には音速の約1/√3 となる.つまりヒートパルス実験を行うと棒の他端で最初に検知されるのが音波(縦波・横波弾性波)であり,これに続いて熱の波 動が検知されることになる.このようなことから,この「熱の波動」は歴史的に「第二音波(Second Sound)」と言う名前で呼ばれる(もちろん,通常の音波は「第一音波(First Sound)」である).超流動ヘリウム(He II)中ではかなり古くから第二音波の存在が確認されており,ランダウによる二流体モデルによって説明されることがよく知られてい るが,固体中の第二音波とは本質的に異なる機構に基づくものであり,明確に区別されるべきものである.ただ,「温度の波動」という意味においてはどちらも 同義であると考えて良い.

固体における第二音波は超流動ヘリウム中の第二音波とは本質的に 異なり,結晶が本来持っている非調和性 に基づく一般性を持った概念である.つまり,フーリエの法則の修正に際し て導入した「緩和時間」の逆数と,第二音波の「自然周波数」(裸の周波数)との大小関係によって第二音波の過減衰(熱拡散状態)や臨界減衰,不足減衰(第 二音波の伝搬状態)などを議論できる.緩和時間の実体であるが,誘電体結晶の熱輸送問題では固体中に「フォノン気体」を考え,緩和時間としては格子の非調 和性によるフォノン間衝突の平均自由時間,特にいまの場合には「ウムクラップ散乱(Umklapp scattering)」(波数の大きなフォノン間散乱)の平均自由時間と解釈され,さらにより現実的にはウムクラップ散乱に不純物等による散乱 も含めた「抵抗散乱(Resistive scattering)」による平均自由時間(τR )であると考えられる.なぜならばウムクラップ過程および抵抗過程ではエネルギーと運動量の担体であるフォノン同士が衝突す るさいに運動量の保存側が満たされないために熱抵抗を生じるからである.言い換えれば第二音波はフォノンフォノン散乱の「抵抗過程」によって減衰を受ける はずである.不純物が無く,大きい波数のフォノンが熱励起されないような極低温ではτR → ∞ となり,波数の小さいフォノンが参加する「正常散乱(Normal scattering)」がフォノン間散乱を支配している.正常散乱ではエネルギーも運動量も保存されるため,正常散乱は第二音波の減衰には事実 上寄与しない.これら二種類の緩和時間を基に第二音波の成立条件を考えてみよう.「熱」あるいは「温度」そのものが定義されるためには十分な数のフォノン が統計的に分布していなければならないが,その意味では「温度の波動」を統計的に定義しうるためには,正常散乱はむしろひんぱんに起きていなければならな い.したがって,これらのことを合わせて考えると,固体中で第二音波が「波として」存在しうるためには,「τNは短い方が良く,逆にτR は長いほうが良い」(ただし,正常散乱の平均自由時間をτN と書いた). より厳密には,第二音波の自然周波数をω0 と書くと,

(1)

という不等式が第二音波の成 立条件である.この関係を「周波数の窓」という.実際にはτN τR は温度変化するので(ω0 はほとんど温度変化しない),「温度の窓」も存在する.「周波数の窓」を開くためには不純物を極限まで(同位体レベルまで)減らした上で冷却する必要があるが,低温下では正常過程に参加するフォノンの熱分布 も少なくなり,もはや温度(の波)を定義できなくなるというジレンマに陥る.したがって通常の物質では「周波数の窓」が開くことはほとんどない.そのた め,実際に第二音波が観測された固体 は,フッ化ナトリウム(NaF),固体ヘリウム,ビスマスの,わずかに3例しかなかった.

量子常誘電体におけるフォノンと光 散乱

「量子常誘電体」と呼ばれる物質群では,それらが本来有する強誘電性 が「零点振動」によって妨げられていると考えられている.量子常誘電体では強誘電性を担う光学フォノンモード(ソフトモード)が数十Kという低温下でも凍結せず,波数が小さくエネルギーが低いフォノンが過剰に供給されている.これらのフォノンは,熱抵抗に寄与しない「正常過程」に参加する資格を持っているた め,量子常誘電体は「正常フォノンの状 態密度が低温で過剰であるという著 しい特徴を有している.このことによって,温度を下げると大きな波数のフォノンの熱励起は減り, τRは長くなるが,ソフトモードのソフト化によって小さな波数の状態密度は著しく増 大しτN は短くなると期待される.つまり,低温で「周波数の窓」が大きく開き,ある程度不純物があっても第二音波が存在できる可能性が高い

この点については実際に1988年にソビエトの理論家によって指摘されており[V. L. Gurevich and A. K. Tagantsev, Sov. Phys. JETP, 67, 206 (1988)]. 以来観測例としては,1995年以降いくつかの新奇な光散 乱スペクトルが第二音波の候補として報告されていた[B. Hehlen, A.-L. Pérou, E. Courtens, and R.Vacher, Phys. Rev. Lett. 75, 2416 (1995)].しかしながら,当時のデータは温度範囲・周波数範囲が狭いために一貫性に欠け,十分に定量的な解析も行われなかったため に,否定的な報告も多く出されるに至った.この論争の主な原因は,十分なフォノン間散乱を前提とする「局所熱平衡下でしか適用できない動的構造因子(スペクトル関数)が解析に使用されてきたことに ある.また,量子常誘電体における光散乱スペ クトルは少な くとも二つの成分の重ね合わせとなっており,これらの成分の起源や温度依存性も不明なまま,各成分に対して独立なフィッティングパラメータを定義して フィットが行われていた.したがって,スペクトルの正しい理解の為には,広い温度範囲および周波数範囲をカバーする詳細なデータと,局所熱平衡が成り立た ない非平衡状態(極低温)から流体力学レジーム(熱拡散状態,第二音波)までをも一貫的にカバーできる理論式が不可欠であった.

著者らは高分解能光散乱分光器を用いて,代表的な量子常誘電体であるチタン酸ストロ ンチウム(SrTiO3)における低エネルギー光散乱,特に熱拡散によるレイリー準弾性散乱,二番目の準弾性光散乱成分,および注目される特異な非弾性散乱ピーク詳細な温度依存性を得た(図1).さらにスペクトルの解析においては従来の流体力学的な動的構造因子に替えて, 「フォノン気体」に対する新しい非平衡熱力学方程式から局所熱平衡の成立に関わらず適用可能な動的構造因子を導いた.この理論によれば高温極限では光散乱スペクトルは(i)熱拡散モード(熱Rayleigh散乱), および (ii)非平衡粘性モード(Mountain散乱)の二成分の重ね合わせとなることが 導かれる.図1に示される実際に観測されたスペクトルも,高温領域で二成分の準弾性散乱が確認できる.これらのうち狭い成分の線幅は熱拡散モードに対して 予想される線幅とほぼ一致していた.また,広い成分の線幅は理論的にはτRの逆数に等しくなるはずであるが,これも ほぼ一致している.低温になると熱励起されるフォノン数の減少によってτRは長くなり,その逆数τR-1,つまり広い成分の線幅は,理論上,やがて仮想的な第二音波の自然周波数シフトと同程度にまで 小さくなると予想される.一方,熱拡散モードの幅は低温になるほど広がるが,非平衡性によってその広がりはやはり仮想的な第二音波周波数シフトの程度まで となることが理論上予想される.結局,低温になると狭い成分と広い成分は互いに区別できなくなるほど近づくような振る舞いを見せることになるが,このよう な振る舞いも図1の実験結果から容易に確認できる.



1.チタン酸 ストロンチウムにおける低周波数光散乱スペクトルの温度依存性
[1].高温では準弾性光散乱が二成分存在し ている.低温部では30GHz付近にブロードなダブレットが現れる. 実線は新しい理論によるフィッティング曲線である.




ところが,量子常誘電体ではソフトモードの存在によってここから下の 温度では特異な振る舞いを示す.まず,

広い成分の上に乗っている狭い成分(高温では熱拡散モードだった成 分)が次第にダブレットへと分裂していく.

この様子は図1の挿入図より明らかなように,過減衰したある振動モー ドが臨界減衰を経て不足減衰へと遷移してゆく様子と全く同様のスペクトル変化である.過去の報告ではこの成分を単純な減衰調和振動子でフィットしていた が,その場合に得られる線幅の物理的意味づけが無かった.今回の解析においてはこの線幅は近似的に次のような「第二音波の線幅」として得られる:

したがって,線幅の解析からτN を決めることができるわけである.さらに本研究では,τR の温度依存性は「過渡的熱グレーティング分光法」と呼ばれるレーザー分光法によって別途に測定した熱拡散係数から見積もって あるため,スペクトルのフィッティングにおいては既知の変数として扱っている.そのため,実質的にはτN だけがスペクトル形状を決める未知の変数として得られることに注意して頂きたい.しかも,我々の解析においてはもう一つのス ペクトル成分(広い準弾性散乱成分)の線幅も同じτN τR を用いて,


のように表されることが分 かっている.したがって,もし広い成分も同時にフィットされればほぼ一義的にパラメータが決まったことになると考えて良い.過去になされてきた報告ではこ の広い成分を完全に独立な「謎の成分」として扱ってきたために,線幅を非物理的な値にも設定できたと思われ,フィッティングにはかなりの任意性があったと 考えられる.さて,このような解析の結果,図2に示すようなτN-1τR-1温度依存性が得られた.図中に示した温度範囲(I, II, III, IV)のうち,IIIの温度範囲に着目すると,ここでは式 (1)で表される「周波数の窓」の条件が満たされていることがわかる.すなわちIIIの温度範囲が「温度の窓」であることがわかる.したがって理論的に予言されていた量子常誘電体における第二音波の存在がこの 研究によって初めて明らかになったと言える.





2.チタン酸ストロンチウムにおけるフォノ ン緩和時間の温度依存性[1].温度領域IIIIIIIVはそれぞれ,熱拡散領域,臨界減衰領域, 第二音波領域(温度の窓),非平衡領域を表す.Rは文献3において別個に決定されたものである.ωSSは第二音波周波数であり,IIIの温度領域で式(1)の不等式が満たされていることがわかる.





このようにして,チタン酸ス トロンチウムにおける6Kから300Kという非常に広い温度範囲,および1GHzから1THzという広い周波数範囲に渡る光散乱スペクトルの変化を矛盾無く統一的に解析することに初めて成功した.図3にシミュレーションによって得られ たスペクトルの変化の様子を示す.この図において16枚のグラフは,横方向は右(左)に向か うほど抵抗散乱過程が希薄(頻繁)であり,縦方向は上(下)に向かうほど正常散乱過程が希薄(頻繁)であるような順に配置されている.0.1100までの数字はフォノン平均自由行程と実験 で決まる長さ尺度の比を表し,数字が大きいほど衝突が希薄であることを意味する.左の列は熱拡散レジームに対応し,右下のグループが第二音波レジーム,右 上の領域は非平衡レジームである.非平衡熱力学によってこのように考え得るすべてのフォノンレジームのスペクトルを網羅できた.また観測されるスペクトル の概形はこの図のどれかに対応することになり,実際に図1のスペクトル形状の変化もほぼ完全に再 現されていることが確認できる.




3LA-TA混合フォノン気体における光散乱スペクト ルのシミュレーション[2].横方向は右(左)に向かうほど抵抗散 乱過程が希薄(頻繁)であり,縦方向は上(下)に向かうほど正常散乱過程が希薄(頻繁)であるような順に配置されている.0.1100までの数字はフォノン平均自由 行程と実験で決まる長さ尺度の比を表し,数字が大きいほど衝突が希薄であることを意味する.左の列は熱拡散レジームに対応し,右下のグループが第二音波レ ジーム,右上の領域は非平衡レジームである.



光散乱スペクトルの物理的意味

本研究で参照した非平衡熱力 学方程式はLAおよびTAフォノン気体に対する拡張熱力学方程式と 呼ばれるものである[W.Dreyer and H.Struchtrup, Continuum Mech. Thermodyn. 5, 3 (1993)].この方程式系は無限の階層性を有しており,時間微分の次数が無限次まで拡張されていると解釈できる.最初の節でフーリエ則 の修正に際して時間微分の次数を一つ増やしたが,この操作も拡張熱力学方程式の最初の階層として取り込まれている.無限次への拡張によって,形式的には無 限に濃密なフォノン気体から無限に希薄なフォノン気体に至るまでのダイナミクスを一貫的に議論することが可能であると考えられている.我々はこの式を出発 点とし,LATAの「混合フォノン気体」におけるエネル ギースペクトルを計算した.詳細は割愛するが,定性的には以下のような結論に達した: (i) LAフォノン成分とTAフォノン成分のそれぞれで第二音波が定 義される;(ii)それぞれの成分第二音波は相互作用に よってエネルギーと運動量を交換している; (iii) これらの結合振動は,「同相モード」・「逆相モード」の二種類の規準振動モードに分解できる; (iv) 散乱スペクトルはしたがって一般に「同相モード」と「逆相モード」に対応する二成分から成る.(v) 「同相モード」は全エネルギーの揺らぎに対応するので「熱モード」であり熱拡散や第二音波のスペクトルを与える.「逆相モー ド」はモード間の非平衡相互作用による「粘性モード」であり,広い準弾性散乱成分の起源である.(vi) 非平衡度が高いレジームでは「同相モード」と「逆相モード」は互いに区別ができなくなり,非平衡の極限では一致する.

したがって,量子常誘電体を はじめ,多くの結晶で観測される低周波数光散乱スペクトル[3]は,一般に二成分から成る準弾性光散乱 であり,チタン酸ストロンチウムでは特に正常散乱の過剰によって「熱モード」(同相モード)が不足減衰(underdamp)となり,第二音波によるダブレットとして観測されると言える.また,「熱」が定 義できるときには「粘性モード」(逆相モード)は明確に区別でき,両者は同時に観測されるべきである.だからこそ,チタン酸ストロンチウムの第二音波スペ クトルは広い準弾性散乱成分を伴っていたわけである.また,最低温度(図2IVの温度領域)においては正常散乱の頻度も 低くなってしまい,もはや「熱」が定義されない非平衡レジームに突入している.このときのスペクトルにおいてはほとんど二成分を区別することはできず,ス ペクトル形状も非平衡レジームに特徴的な急峻な裾を持つようになっている.このようにチタン酸ストロンチウムにおける低周波数光散乱スペクトルはフォノン 気体における非平衡な集団励起ダイナミクスで矛盾無く説明することができる.

なお,著者らの導いた非平衡 動的構造因子はフォノン気体のみならず,たとえばマグノン気体など他の粒子系における光・X線・中性子散乱スペクトルの解析などにも広く応用が可能であると期待される.


まとめ

量子常誘電体チタン酸ストロ ンチウムにおける低周波数光散乱実験,および非平衡熱力学による解析によって,低周波数光散乱スペクトルの物理的起源を明らかにした.チタン酸ストロンチ ウムにおいては,約30K前後の温度範囲における第二音波の存在 を明らかにした.第二音波のコヒーレントな励振のためにはパルスレーザー光を用いた誘導ラマン過程を用いるが,その際のレーザー交差角度,使用波長につい ては「周波数の窓」と「温度の窓」を同時に満たす値を用いる必要がある.本研究では「周波数の窓」の温度依存性を明らかにできたが,これは今後のコヒーレ ント励振実験の最も重要な指針を与えるものである.


参考文献

[1] A.Koreeda, R.Takano, and S.Saikan, “Second sound in SrTiO3”, Phys. Rev. Lett., 99, 265502(1-4) (2007)


[2]A.Koreeda, R.Takano, and S.Saikan, “Light scattering in a phonon gas”, Phys. Rev.B, 80, xxx(1-25) (2009) to be published.


[3] A.Koreeda, T.Nagano, S. Ohno, and S. Saikan, “Quasielastic light scattering in rutile, ZnSe, silicon, and SrTiO3”, Phys. Rev. B, 73 024303(1-17) (2006)






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