Hume and the Philosophy of Mind

日本科学哲学会第29回大会・ワークショップ「ヒュームと心の哲学」(1996/11/17 於香川大学)に関連して、日本科学哲学会メーリングリストに宛てられた手紙

Date: Tue, 19 Nov 1996 02:57:20 -0500
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From: tit03611@kic.ritsumei.ac.jp (Toshihiko ISE)
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Subject: Hume and the Philosophy of Mind
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 伊勢 俊彦@立命館大学(京都)です。
 先週末に香川大学で行われた日本科学哲学会の大会では、「ヒュームと心の哲学」 をテーマとするワークショップが行われ、私も提題者の一人として参加しました。オ ーガナイザの中才敏郎さんや、他の三人の提題者の方々をはじめ、ご参加くださった みなさまには大変お疲れさまでした。
 しかし、このワークショップ、会場校のご都合などからやむを得ないとはいえ、い ささか討論時間が足りず、論点が十分出し尽くされずに終わってしまったように、私 には思われます。そこで、私が、このワークショップのテーマをめぐって、なお検討 に値すると考える点について、このメーリングリストを通じて、みなさんのご意見を 伺いたいと思います。

<ヒュームはカルテジアンか物理主義者かという問いには答えがない>
 会場での討論でも早稲田の速川先生からご指摘があったように、今回のワークショ ップの内容は、「心の哲学」ということで多くの方がイメージされるものとは、少し ずれがあったかもしれません。ご不満はもっともですが、私の考えるところでは、こ れにはやむを得ない理由のあることで、その理由を述べることによって、「ヒューム と心の哲学」というテーマの意義も多少明らかになるのではないかと思われます。
 その理由というのは、心の哲学の主要問題として、たとえば心身問題を考えても、 ヒュームにおいては、問題の立て方自身に、やや普通でない点があるということです。
 デカルト的二元論をとる場合には、心身問題は、思考する精神と、それに対して外 なるものとしての身体の関係の問題としてとらえられます。しかし、ヒュームが、た とえば、運動が思考の原因となることもア・プリオリには不可能でないという場合、 問題になっているのは、運動の観念と思考作用の観念の連接の可能性であり、これは あくまでもわれわれに知覚される限りでのもの同士の関係であり、デカルトのような かたちで心身の関係が論じられているわけではありません。
 また、今日一般的であるように、何らかのかたちの物理主義を前提とした一元論を とることも、少なくともヒュームの公式見解に沿う限りはできません。なぜなら、ヒ ュームの場合、観念はそれが精神に現れるとおりのあり方であるはずであり、一方で 心的な性質を持つように現れる観念が、物的な性質をもつなにものかと同一であるこ とは、あり得ないからです。
 したがって、ヒュームの議論からは、心的因果性に関して通常求められるかたちの 回答は、二元論にしろ一元論にしろ得られないことになります。これが、「ヒューム と心の哲学」というテーマが通常引き起こすであろうと思われる期待が裏切られる、 一つの原因です。

<ヒュームの「自然主義」>
 またしたがって、ヒュームが自然主義者であるという場合も、今日、とくに心の哲 学にかかわって「自然主義」ということで多くの場合に理解されるように、何らかの かたちの物理主義を前提とすると考えてはいけないわけです。ヒュームの自然主義の 中心点は、「精神的な主題」にかんして、一貫した因果的説明をめざす点にあります が、その際、原因と結果の関係を認める手がかりとしては、観念の恒常的連接で十分 であるとされます。心的事象の原因に関するそれ以上に深い説明は、求められもしな ければ、与えられもしません。ヒュームの自然主義と現代の自然主義の関係を考える 場合にも、このことをまず確認しておく必要があります。

<ヒュームによる心的因果の自然主義的な説明は十分か?>
 このことを確認した上で、ヒュームの自然主義の戦略が、心的な事象の説明に十分 成功し得ているかどうかが、問題とされるべきであると思われます。私の理解する限 りでは、石川徹さんの提題で指摘された問題の一つは、情念と情念の対象の関係、ま た、情念と行為の関係の理解には、ヒュームの因果関係の概念で十分なのかというこ とでしょう。また、私の提題で述べた、人為的な徳にかかわる、「意図の非自然的な 表出」についても、それがヒュームの自然主義の枠の中で十分に説明されるものなの かどうかということが問題となると思われます。
 石川さんの指摘された問題については、いずれ、石川さんご自身から何らかの発言 があるものと期待します。
 私の考えている問題点については、今述べただけでは十分ご理解いただけないかも しれませんが、ワークショップでの私の提題に関係するテキストを、wwwで見られる ようにしましたのでご参照ください。

 提題の事前配布資料(日本語のもののみ):http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~tit03611/1996c1.html
 当日読まれた原稿:http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~tit03611/1996c2.html

 それでは、みなさまの忌憚のないご意見をお待ちいたしております。

伊勢 俊彦
e-mail: tit03611@kic.ritsumei.ac.jp
www: http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~tit03611/