大学の変貌と哲学の転回--現代アメリカの場合

2000年1月23日 関西唯物論研究会
伊勢俊彦(立命館大学)


   最近、いわゆる「大学改革」とのかかわりで、大学における哲学の居場所と、哲学の存在意義について考えさせられることが多い。その場合、私の直接の関心の対象になるのは、当然日本の大学のことなのだが、ここでは、現在のアメリカの状況について検討してみようと思う。というのは、日本の現状では、大学における哲学の位置を検討するときの議論の軸が、まだきちんと設定されていないと思われるからである。確かに、日本哲学会などで、日本の大学における哲学の研究と教育のあり方が、議論の対象となりはじめてはいる。しかし、この問題にかんする日本での関心のあり方は、「改革」という大きな流れが、いわば外側から押し寄せてくるのに対して、とりあえず何か考えなければという段階にとどまっているのではないか。(むろん例外はあるだろうが。)  これに対してアメリカの場合、哲学のあり方そのものが、大学の現状めぐる主要な論争点のひとつになっている。日本とアメリカで異なった状況を生んでいる要因のひとつは、教養教育の位置づけの違いである。日本では、新制大学の発足に伴い、大学教育のなかに教養教育が位置づけられたが、必ずしもうまく根付かなかった。昨今の改革のなかでの生き残り競争が、専門分野間の領地争いの様相を呈するなかで、教養教育の意義はいよいよ忘れ去られようとしている。アメリカの場合は、日本の学部に対応するアンダーグラデュエイトの4年間の教育の目標は、liberal educationであるとされてきた。liberal educationは、日本の大学の教養教育のイメージで理解するには無理があるが、職業と直接結びついた専門教育と対比される概念であるという意味で、教養的性格の教育であると言い得る。アメリカにおける大学批判の論として、『アメリカン・マインドの終焉』[ブルーム 1988]という書物が、10年ほど前に日本でもある程度話題を呼んだ。そこでブルームが問題にしたことのひとつが、liberal educationのあり方であった。従来liberal educationは、古代ギリシア以来の、西欧の哲学や文学の古典の教育を中心に行なわれてきた。ところが70年代以降、民族的少数派やフェミニストなどのキャンパスでの発言権の拡大を反映して、liberal educationに、西欧の主流派の伝統だけでなく、少数派や女性の歴史や文化を取り入れようという、いわゆるマルティカルチュラリズムの動きが強まってきた。こうした動きにブルームは保守的な立場から異論を唱え、これに対して、マルティカルチュラリズムを反映した改革を擁護する論として、たとえばヌスバウムのCultivating Humanityが現われている。[Nussbaum 1997, Cf. 伊勢 1998]二つの本を読み比べてみて、非常に興味深く感じられるのが、両者とも、liberal educationを、ソクラテス以来の批判的思考の伝統に連なるものととらえている点である。その上で、ブルームは、現在の変化が、ソクラテス的伝統の衰退と死滅に向かっていると考えるのに対して、ヌスバウムは、マルティカルチュラリズム的教育改革こそ、ソクラテス的伝統を今日的なしかたで発展させたものだと論じている。つまり、大学教育のあり方を論ずる際に、保守派と改革派のあいだで、ソクラテスがどちらの側にいるのかが争われているというわけである。

 もちろん、ブルームの描くソクラテスの像と、ヌスバウムの描くソクラテスの像は大きく異なる。民主制のアテナイにおいて、ソクラテスが断罪されたことを、ブルームはある意味で不可避であったとみなす。ソクラテス的な知の探求は、民主主義社会の要求に応えようとするものではなく、実用的な価値基準に対して超然としており、時には、一般に受け入れられている規範への挑戦につながるものだからである。これに対してヌスバウムは、民主主義社会の市民こそが、まさにソクラテスの批判的思考による既存の規範の吟味を必要とすると論ずる。すると当然、両者は、ソクラテス的教育のあり方についても、見解が異なってくる。ブルームは、大学が、社会の実用的要求から超然とした一種の聖域であるべきであると考え、liberal educationの対象としても、アメリカで上位20から30の大学に通うことのできる、恵まれた層を想定している。アメリカで高等教育の大衆化の推進力になった州立大学などは、最初から考察の対象から外れている。ヌスバウムは、これと反対に、大学の大衆化が、エリートだけでなく、市民のすべての階層を対象としたソクラテス的なliberal educationの確立を必要としていると考える。

 ブルームとヌスバウムを対比してみるとき、もう一つ興味深い点は、両者の、アメリカの哲学研究の主流、すなわちいわゆる分析哲学に対する立場の取り方の相違である。ブルームもヌスバウムも、哲学者と呼ばれてよい人々ではある。しかし、ブルームの研究する政治哲学、ヌスバウムの研究する古代哲学は、アメリカの学会の主流からみれば、周辺的な主題といわなければならない。そこでブルームは自覚的にアウトサイダーの姿勢をとり、方法論や論理学の無味乾燥さについてのちょっとした当てこすりの他には、専門分野としての哲学の、アメリカにおけるあり方についてはまったく言及していない。これに対してヌスバウムは、とりわけポストモダニズムとの対比において、パトナム、クヮイン、デイヴィッドソンら分析哲学の代表者に高い評価を与え、分析哲学を、合理性、真理、客観性という理念に導かれた哲学の伝統の正当な継承者とみなしている。[Nussbaum 1997, pp.39ff.]

 ヌスバウムの立場がきわめて興味深いのは、マルティカルチュラリズムと、合理性や真理の理念は、しばしば対立するものと見なされているからである。マルティカルチュラリズムの教育は、普遍的な真理の追求に代えて、民族性やジェンダーによって色分けされたグループごとの文化的アイデンティティ(グループ・アイデンティティ)の承認という左翼の政治的目標に大学教育を従属させようとするものであり、哲学的には価値相対主義を基盤としているという議論が、ブルーム以来今日まで保守派の論者によって繰り返されている。実際、価値相対主義は、人文系、とくに文学系の研究者にかなりの程度浸透しているようである。この価値相対主義によれば、合理性や真理という理念そのものが、現にある支配と抑圧の構造を維持強化する装置であり、支配勢力の「権力への意志」の偽装された姿に他ならないという。ブルームは、合理性や真理にかんするこうしたニヒリズムを「左翼のニーチェ主義化、もしくはニーチェ主義の左翼化」と揶揄したが、[ブルーム 1988, pp. 239ff.] このニヒリズムの影響が改革推進派のなかに広がっていることが論争の状況を複雑にしている。

 こうした状況のなかで、議論の焦点がずれてしまいがちなことの一例が、最近ある雑誌に収録された、アメリカ哲学界のビッグネームであると同時に、とくにドン・キホーテ的人物である二人による討論[Rorty and Searle 1999]に見いだすことができる。サールは、大学、とくに人文系の状況をめぐる問題は、真理の理論に還元されると考え、「真理の対応説」を擁護する議論を行なう。これに対してローティは、問題は真理ではなく、何が人間にとって有益であるかだとする。結局ローティは、教育の政治的目標への従属を許容するのだが、保護育成されるべきなのはグループ・アイデンティティではなく、アメリカの立憲的民主制の市民としてのアイデンティティであると主張している。(ローティは、こうした考え方がプラグマティズムから帰結するとしているが、プラグマティズムとはそういうものではないと私は考える。この点についてはあとで述べる。)二人の議論の焦点は、二重のしかたでずれていると、私は考える。一つは、真理の追求と、民主主義的な価値の追求が二者択一の関係として対立されている点。もう一つは、真理の追求を大学の理念として掲げることが、真理の対応説という形而上学的な真理理論の承認を含意するかのように語られている点である。こうした焦点のずれと、二人の、専門分野としての哲学(アメリカにおいては要するに分析哲学のこと)に対する態度、つまり、サールが分析哲学を擁護するのに対して、ローティが分析哲学の解体を主張すること、この二つのことが重なって、真理と合理性の追求としての哲学と、民主主義社会の市民のためのliberal educationとが、相反する関係にあるかのような印象を産んでしまっている。

 以上のような錯綜した論争に解決を与え、哲学がアメリカの大学のなかで活力をもって発展し続けていくためには、やはり、哲学が二つの、しばしば対立させて考えられる条件を満たさなければならないだろう。その二つの条件を改めて述べると、その第一は、ニヒリズムに与せず、真理と合理性の追求を根本的な性格とすること。第二は、民族的少数派や女性など、(女性は数的には少数ではないが、大学における文化の面から考えると、少数派と共通する性格をもつので、これ以降は一括して少数派と呼ぶ。)これまで教育研究のなかで周辺に追いやられていた人々を含め、一部のエリートでない、すべての階層の市民が、自らの経験を理解し、表現する上での有効性をもつことである。サールの哲学者としての自己理解によっても、ローティの、反哲学者としての哲学理解によっても、分析哲学はこの二条件を満たせそうにもないということになるだろう。しかし、私のみるところでは、真理の追求と価値の追求を両立させるような哲学のあり方へ、分析哲学が転回していく兆しが、二つの方向で生じている。一つは、古代以来の哲学のあり方に立ち返って、真理認識にもとづくよりよい生のあり方の指針を、哲学に求めようとする方向である。[Nussbaum 1997, Cottingham 1998] もう一つは、分析哲学の中心自体から生じている、論理実証主義者以来引き継がれてきた一面的な科学主義を見直そうとする動きである。以下、この二番目の動きを検討する素材として、パトナムがこの50年のアメリカ哲学の流れを振り返った論文[Putnam 1997]をとりあげ、検討していくことにする。


 この論文は、'A Half Century of Philosophy, Viewed from Within,' 「哲学の半世紀を内部から見て」と題されており、大戦後のアメリカ哲学の歴史を、1944年に大学に入学して以来のパトナムの思索の発展と重ねて描いたものである。この時期のアメリカの哲学のあり方を決定づけているもっとも大きな業績は、クヮインによる論理実証主義批判であり、それが生み出したアメリカ哲学の支配的傾向として、一種の科学的実在論ないし唯物論をあげることができる。これはつまり、実在の基本的なレヴェルの記述として、現代の物理学の理論を受け入れるということである。他方、クヮインに発するもう一つの流れが、近代哲学の知識観の根本的な見直しとして、しだいに自覚的なかたちをとってきていると見られる。後者の傾向を代表するのが、パトナムや、マクダウェル[Putnam 1994, 1995, McDowell 1994]の業績である。とりわけパトナムの自己理解において、この傾向はプラグマティズムと結びついているが、そこで理解されている内容は、ローティのいうプラグマティズムとははっきりと異なっている。私の見るところでは、パトナムやマクダウェルが展望している方向に、分析哲学の伝統を継承した新しい哲学の可能性がある。このことを、論理実証主義批判、実在論、プラグマティズムという三つの点にわたって、説明していく。大まかな流れの捉え方は、パトナムの論文に触発されたものだが、個々の議論の特徴づけや整理のしかたは、私自身によるものである。  さて、クヮインによる論理実証主義批判の説明にはいる前に、論理実証主義とアメリカ哲学の関係について述べておく必要があるだろう。論理実証主義は、大戦間のウィーンで、ラッセルやヴィトゲンシュタインから影響を受けてはじまった哲学運動だが、ドイツのナチス政権によるオーストリア併合に前後して、そのメンバーは世界各地に亡命することになる。そのうちアメリカにやってきた論理実証主義者たちの影響によって、1940年代にアメリカ哲学界の様相が一変したというふうに、一般には考えられている。しかし、パトナムの証言によると、これは事実ではない。40年代には、論理実証主義者たちは分散し、孤立しており、ほとんど影響力を持っていなかった。むしろ、50年代に入ってから、ポスト論理実証主義の哲学がいくつかの経路を通じて影響力を増し、その後のアメリカ哲学のあり方を決定づけたという事実があって、そこからさかのぼって歴史を再構成する過程のなかで、論理実証主義に歴史的重要性が与えられるようになったということのようである。クヮインの行なった、言語哲学的考察にもとづく論理実証主義批判をアメリカ哲学の舞台の中心に押し出したのは、論理実証主義の支配に対する不満の蓄積ではなく、オクスフォードの日常言語派の哲学や、チョムスキー理論の登場といった、さまざまな、毛色のちがった潮流が意図せずに生み出した、言語への関心の高まりという、力のヴェクトルだったらしい。[Putnam 1997, pp.193ff.]

 論理実証主義の哲学の基本的性格は、古典的な経験主義を、言語表現の有意味性の問題を軸に再構成したものであると言える。言語表現の基本的単位である文は、まず、論理や数学などの非経験的な文、つまり分析的な文と、経験的な文、つまり綜合的な文に区別される。そして、綜合的な文の意味は、どのような感覚経験によって、その文が真であることが確かめられるかという条件、つまり検証条件に還元される。感覚経験を構成する要素として想定されているセンス-データ(感覚所与)は、古典的経験論における感覚の観念ないし印象に対応する。論理実証主義者は、すべての知識の源泉を感覚経験に求めるという古典的経験主義のプロジェクトを、経験的知識を表現する文の意味をセンス-データに還元するというかたちで実現しようとしたわけである。

 この論理実証主義に対するクヮインの批判は、直接には、分析的-綜合的の区別と、感覚への還元主義に向けられている。[Quine 1951] しかしその哲学的意義に注目すると、クヮインの批判は、一種のカント主義的な観点からなされていると理解できる。つまり、知識の生の素材が、人間が解釈を加える以前の感覚経験の所与、データとして与えられるのではなく、認識対象である現象は、常に何らかの認識形式のもとでしか、理解可能なかたちにはならない。ただし、カントとちがって、クヮインの場合、その認識形式は、ア・プリオリに定まっているようなものではなくて、理論を表現する言語に体現された概念枠組みにがそれにあたる。したがって、それは選択可能であり、改良可能である。

 で、まず、クヮインのこうした議論が、科学実在論への傾斜を生み出すのだが、その事情について説明しよう。論理実証主義者にあっては、経験科学の言明は、究極的に、感覚経験とつき合わせることによって有意味性を保証される。このことは、感覚によって確かめることのできない理論的な対象、たとえば物質を構成する素粒子といったようなものの存在を想定することに対する否定的な態度、いわゆる「形而上学恐怖症」につながりやすい。こうして、たとえば、理論的対象への言及を含む言明は、センス-データにかんする言明に還元されるから、理論的対象は、本当には存在すると考える必要がないというような、無理な解釈が生まれる。これに対して、クヮインの考え方では、センス-データへのl還元は、不必要であり、不可能である。理論を受け入れることは、理論的言明が言及している対象の存在を単純に認めることを含意する。[Quine 1948] 科学理論を承認しながら、哲学的な再構成によって、存在論的な含意を逃れようとする試みは、無益であるということになる。こうして、クヮインの議論から、科学理論を字義通り承認し、それを実在のストレートな記述とみなす態度が帰結する。  さて、こう述べてくると、クヮインの形而上学がカントと異なるもう一つの点に、すでに気づいている読者もあるかもしれない。それは、クヮインの存在論において、カントの物自体の占める場所がないということである。クヮインにとって、「存在する」ということばは、ただ一つの用法しかもたない。現象として存在することと、物自体として存在するということの違いというようなものはない。クヮインにおいて、存在するとはすなわち、理論的に把握された認識対象として存在するということである。先に述べた、近代哲学の知識観の根本的な見直しの流れは、ここに端を発する。それは一言でいえば、知識とは表象であるという見方を乗り越えるということである。

 まず、この見方に、知識の表象説という名を与えて、図式的に要約しておきたい。知識の表象説は、まず二つの世界が別々に存在することを想定する。その二つとは、現実に客観的に存在するものからなる、実在の世界と、人間の精神に現われるものからなる、現象の世界である。実在は、ある確定したあり方をもっている。現象も、現象である限りにおいて、ある確定したあり方をもっている。人間の精神は、現象のあり方を直接とらえることができるが、実在のあり方は、直接とらえることができない。しかし、現象のあり方が、実在のあり方と一致する場合、現象は実在の表象であり、精神は現象のあり方をとらえることを通じて、実在のあり方を間接的にとらえることができる。

 こう要約したところでは、この図式は、きわめて常識的で、自然で、妥当であるように見えるかもしれない。しかし、この図式にもとづいて、人間の認識の客観的妥当性の根拠を求めようとすると、ただちにやっかいな問題につき当たる。それは、近代においては懐疑主義の問題として、現代においては、言語と実在の対応の問題として現われてくる。

 懐疑主義の問題とはこれである。人間の精神がとらえることができるのが、現象のあり方のみであるとしたら、それが実在のあり方と一致していることを、いかにして確かめることができるのか。実在のあり方が、人間が認識対象として把握できる現象のあり方を原理的に超えていると想定すると、実在のあり方と現象のあり方が一致しているとか、類似していると考える根拠はなくなる。このことは、ヒュームが、精神がとらえる知覚に外的な原型はないとしたときに、また、カントが、物自体が、現象のもつようなあり方をもつものではないとしたときに、すでに明らかに認識されていた。しかし、ヒュームはカントは、そのあり方についてなんら積極的なことが言えなくても、現象の向こう側にあるものとしての実在の世界の想定を捨てることができなかった。ヒュームの哲学が、依然として懐疑主義であり、カントの哲学が、現象界にかんする認識の妥当性の根拠を認識主体の側におく超越論的観念論であるのは、このためである。

 懐疑主義の問題は、現代においては、言語と実在の対応の問題として再現する。というのは、近代では、知識が、主に知覚的な意識という形態で考えられていたのに対して、現代では、知識を、主に、言語あるいはそれに準ずる記号を通じて表現された理論という形態で考えるからである。すると、知識は、真なる理論として表わされ、言語的に表現された理論は、文の集まりなので、真なる理論とは、それを構成する文がすべて真であるような理論である。ごく単純化すれば、知識のイメージはこのようなものとなる。このとき、文の真偽決定のしくみを、記号論理学の、モデル論と呼ばれる式の真偽決定のしくみに準じて考えると、それは容易に、知識の表象説に結びつく。たとえば、「個体xが性質Fをもつ」という内容の式は、'x'が表わす値である個体が、'F'が表わす値である集合に属するとき真であり、属しないとき偽であるというしかたで、式の真偽が決定される。こういう具合に、式を構成する記号に、それが表わす個別的なものやものの集合を対応させるしくみをモデルと言う。このイメージよって考えると、理論が真である場合には、その理論に対応して、モデルに相当する、その理論を真にするような何ものかがあるということになる。一つ一つの文について、それが真であるのは、その文を真とするものが、実在の世界の側に成立しているからだと言うことには問題はない。たとえば、「雪が白い」という文が真なのは、雪が白い場合、またその場合に限られる。こういったことは当然のこととして言える。しかし、人間が理論を通じて把握する認識対象の世界全体に対して、その外側に何かがあって、それとの一致、不一致によって人間の認識が真であったり、偽であったりすると考えるならば、そのとき生じるのは、懐疑主義と同じ問題である。形式的に言えば、この問題は、レーヴェンハイム-スコーレムの定理と呼ばれる論理学上の知見から引き出される。手短に言うと、ある一連の式をすべて真であるようにするモデルが存在する場合には、それらの式をすべて正の整数の世界にかんする式と解釈して、かつそれらをすべて真とするようなモデルが存在するというのである。人間がある時点で到達した認識をすべて記述するような文の集まりを考えるとする。この文の集まりに、レーヴェンハイム-スコーレムの定理をあてはめると、それらの文が、人間の認識の世界の向こう側にある何ものかとの対応によって真になるのだとすると、その何ものかがなんであるかは、決して一義的に定まらないということになる。[Putnam 1980, 1981 ch. 2, 1997, pp. 215f., cf. Hacking 1983, ch. 7]

 こうした懐疑主義の問題、およびその現代版である言語と実在の対応の問題を解消する方法は、現象と、その背後にある実在というふうに、世界を二重化することをやめることである。こう言うと、読者は、「それは観念論ではないか」と驚かれるかもしれない。確かに、現象の背後の形而上学的実在を否定することから、ただちに、「真理とは人間を幸福にするような信念にすぎない」というしかたで、真理概念を解体する方向へ走る論者もいる。ローティがそうである。ローティによれば、真理追求の活動も、その他の幸福追求の活動と同様に、人間の利害関心に動機づけられており、「真である」ということばは、「よくやった」というほめことばの一種だという。しかし、形而上学的な真理概念を否定するからといって、ローティのように真理概念そのものを無内容にしてしまわなければならないということにはならない。知識の表象説を退けると同時に、認識論そのものを放棄するというローティの道をとらないとすれば、その際可能な認識論の出発点となるのは、先程述べた、存在にかんするクヮインの立場であろう。すなわち、存在するとは、理論的に把握された認識対象として存在するということだということである。存在するもの、すなわち実在とは、人間の認識の彼方にあるものではなく、認識対象として把握可能であるということを、本質的な特徴としていると考えなければならない。クヮイン、ローティ、パトナムが、それぞれ自らの立場をプラグマティックと特徴づけるとき、それは、実在を、現象の彼方にあるものとしてとらえる形而上学的概念の拒絶を共通に含意している。しかし、クヮインに発するネオプラグマティズムが、今後実りある哲学的成果を生み出すとすれば、実在の概念そのものをローティ流に脱構築するのではなく、実在を認識の彼岸から此岸へと奪回しなければならない。

 こうして、実在と現象への世界の二重化を克服することが、分析哲学の伝統を継承した新しい哲学の出発点になる。ただし、この新しい哲学は、クヮインに決定的に欠けているもう一つの視野を自分のものにしなければならない。その視野とはすなわち、人間的な価値の追求である。この方向に進もうとするとき、まず必要となるのが、分析哲学の伝統に深くしみこんでいる科学主義の再検討である。

 これにかかわって言えば、ローティの真理に対するニヒリズムも、実は科学主義の裏返しに他ならない。パトナムはローティの立場を、「言語的観念論と科学主義のあいだを行ったり来たりして、何の成果も生み出さない」ものだと特徴づけている。[Putnam 1995, p. 75] ローティの真理概念の攻撃の裏側には、真理認識と人間的価値の追求とのあいだには、乗り越えられないギャップがあるという考え方がある。そしてこの事実と価値の二元論は、論理実証主義者以来受け継がれ、今なお多くの分析哲学者を支配している。論理実証主義者は、倫理の問題は有意味に語れず、倫理的言明の真偽は問えないと考えた。こうして生じた倫理の問題の哲学からの排除は、論理実証主義者の科学理解を批判し、物理学理論を実在そのものの記述とみなしたクヮインにも引き継がれた。この点むしろクヮインの方が徹底した科学主義者である。論理実証主義者は、哲学を経験科学と区別し、哲学は科学の外から科学を再解釈し、解明する活動であるとみなしたのに対し、クヮインは哲学の問題は経験科学の内部で解消されると考えた。クヮインによれば、たとえば認識論は科学的心理学の一つの章となる。[Quine 1969] この科学主義的傾向から、「科学の外側には何もない」とか「科学が認める実在以外のものは人間に特有の局所的な遠近法の所産である」という考え方が生まれた。パトナムは、それぞれを、'panscientism,' 'quasi-realism'と呼び、批判の対象としている。[Putnam 1997, pp. 201f.]これらの考え方によれば、人間的な価値の問題は、問題として成立しないか、実在の認識とは切り離された、単なる主観の領域に属するということになる。ローティの場合、科学が明らかにする世界のあり方は、人間的な意味や価値を受け入れる場所をもたない、盲目的な必然性に支配されたものとしてイメージされている。人生の意味といった問題に答えるのは、科学とは別の欲求や関心に導かれた、哲学、宗教、文学といった活動である。ここからたとえば、科学は宗教を批判すべきでないし、宗教は科学に介入すべきでないという主張が引き出される。[Rorty 1999] 実践的帰結という点からみて、この議論は論理実証主義者の二元論となんら異ならない。ここから見て取れるのは、還元主義的な一元論と、とめどのない多元主義、相対主義が、一見正反対のものでありながら、しばしば同じ根っこから生じているという事実である。

 では、還元主義でもなく、相対主義でもない第三の道は、どこに求められるだろうか。このことを考える上で、パトナムが行なっている、クヮインと後期ヴィトゲンシュタインの見解の対比が参考になる。先に見たとおり、クヮインにとって、「存在する」ということばは、ただ一つの用法しかもたず、存在するとはすなわち、理論的に把握された認識対象として存在するということである。このテーゼは、知識の表象説を批判し、現象と物自体へという世界の二重化を乗り越える上で重要な役割を果たした。他方、こうした方法論的一元論は、物理理論が記述するもののみが真の実在であるという、還元主義的科学主義につながった。これに対して後期のヴィトゲンシュタインによれば、「存在する」ということばが、ただ一つの用法しかもたないなどというのは、言語の働きにかんする歪んだ考え方の現われに他ならない。クヮインにとって言語とは、全体として世界にかんする一つの見方を体現する、いわば一つの大きな理論である。これに対してヴィトゲンシュタインによれば、言語とは、一つの本質的な機能によって統一されたものではなく、たがいに重なり合いながら、少しずつ異なっている「言語ゲーム」の集まりである。ことばの用法は、それぞれの言語ゲームがもつ「文法」によってきまり、一見同じことばであっても、それがどの言語ゲームのなかに現われるかによって、その用法は異なる。したがって、「存在する」ということばの用法が単一であり、常に同じであるということはない。たとえば、「1000より大きい素数が存在する」という場合と、「音の反射でものの位置を知覚する動物が存在する」という場合とでは、「存在する」ということばは、異なる「文法」にしたがう。[Putnam 1997, pp. 209ff.]

 前期のヴィトゲンシュタインを含めて、多くの分析哲学者は、多様な言語表現を、論理分析を通じて、基本的な形式に還元することを試みてきた。後期のヴィトゲンシュタインは、これに対するアンチテーゼとして、言語ゲームの多元性に注目した。この多元性は、しばしば、ローティ流の相対主義を支持するものと理解されがちであるが、そのような理解は、ヴィトゲンシュタインの主張の重要なポイントを見落としている。というのは、一つ一つの言語ゲームは、それぞれに異なる本質をもって、たがいに断絶し、孤立して存在しているのではなく、たがいに重なり合いながら、少しずつ異なっているというしかたで、いわゆる「家族的類似性」をもって、連続的に関係しあっているからである。一方で事実の記述、他方で価値の評価という、本質的に異なる活動が、たがいに断絶したしかたで存在するというような二元論は、ヴィトゲンシュタインの見解によっては支持されないはずである。

 言語ゲームの多元性と連続性という観点から、真理認識と人間的価値の追求という哲学の二つの目標を見直してみると、二つの点が確認できる。一つは、当然のことだが、一つの現象は、多様なしかたで記述できるということ、もう一つは、事実の記述と価値評価とのあいだに、絶対的な断絶はないということである。

 第一の点は、たとえばある現象を生命現象として記述する場合と、その基礎となる物理的過程を記述する場合というように、異なったレヴェルの理論的記述のあいだの関係にもあてはまる。哲学的認識論との関係で、よくとりあげられるのはいわゆる第二次性質の問題である。もののあり方のうちで、空間的な位置や運動は客観的にものそのものに属するのに対して、人間の感覚がとらえる色とか匂いとかは、人間の主観のうちにあるだけで、ものそのものに属するのではないという考え方がある。このとき、ものそのものがもつ性質を第一次性質、人間の主観のうちにあるだけの性質を第二次性質という。たとえば、トマトは赤く見えるが、客観的にあるのは、トマトの表面がある周波数の光を選択的に反射するという事実だけで、赤い色というのは、人間の主観が生み出したものにすぎない、と言われる。しかしそうであろうか。「赤い」というのと、「ある周波数の光を選択的に反射する」というのとでは、確かにレヴェルはちがうけれども、どちらも、人間がある概念を用いて、実在するものについて語るしかたなのではないか。ものの色について語ることと、光の周波数について語ることとは、確かに異なった目的や文脈で行なわれる事柄であり、いわば異なった言語ゲームに属する。しかしいずれも、現実に存在するものについて語る語り方であるという点で結びついている。こう考えると、第二次性質についても、それは単なる現象であって、その背後にある実在は、現象のあり方とは根本的に異なっていると考える必要はなくなる。するとこの考え方は、知識の表象説からの知識観の転換とも、うまく調和することになる。

 第二の、事実と価値という問題について述べるに際して、まず、ヴィトゲンシュタインの「文法」という概念に注目しよう。「文法」とは、ある言語ゲームのなかで、何が適切なしかたで言えるかを決めている概念枠組みのようなものである。そうした概念枠組みのなかには、論理も含まれる。しかし、文法に含まれるのは、前期のヴィトゲンシュタインや論理実証主義者が考えたような、単なるトートロジーとしての論理というような、無色透明なものばかりではない。たとえば、畑に植えたトマトの実が熟れているかどうかを目で確かめているときに、「このトマトは赤い」という文が発話されるとしよう。このとき、「このトマトは赤い」という発言は、言い換えれば、「これはまだ青くて食べられないトマトではなく、収穫に適している」ということであり、この場面において適切である。このときに、「このトマトの表面は、しかじかの波長の光を選択的に反射する」という発言がもしなされたとしたら、それは、たとえ「このトマトは赤い」ということと同じ事実の記述であったとしても、ポイントを外した、不適切な発言ということになる。こうしたしかたで発言の適切さ、不適切さを決定する「文法」は、トマトが収穫できるかどうかという関心が話し手と聞き手のあいだで共有されていることをはじめとして、発話のなされる状況の多様な側面を反映している。さてこのときに、つぎの三通りの発言を考えてみよう。

これらはそれぞれ、言語表現としては異なった形式をもっており、その点からは、トマトの色という事実の記述、収穫という目的を前提とした価値評価、収穫行動をうながす命令と区別できる。しかし、現在考えているような場面では、この三通りの発言を、いずれも同じ目的のために用いることが可能であろう。そうすると、「このトマトは赤い」は事実の記述、「このトマトは取り入れてもいい」は価値評価として、本質的に異なる種類の活動に属するというのではなく、実際の言語ゲームのなかでは、事実の記述と価値評価が、連続的で一体をなす場合があると言えるのではないか。「カリグラは暴虐な皇帝であった。」事実と価値が相互に浸透し一体になっていることを示そうと、こんな拍子抜けするような例が挙げられる場合もある。[Putnam 1995, p. 57] しかし、「カリグラって誰?」と問われて、「ローマの皇帝だよ」と答えるよりも、「ローマの暴君だよ」と答える場合、確かに話し手の価値判断を伝えていると同時に、より多くの事実を伝えているというのは、言われてみれば当然のことである。

 こうして、第二次性質、および価値が、人間が実在の世界を言語化して表現するときの表現様式に織り込まれており、その意味で、単に主観的なものではなく、客観的な実在の一つの側面として把握されることがわかる。価値の実在ということは、非常に大きなテーマであり、細かい議論やそれに対する反論で、検討しなければならない点は多い。[Cf. 美濃 1999]ここでは、事実と価値の二元論を乗り越えることもまた、パトナムやマクダウェルが展望する哲学の方向性の、重要なポイントであることを確認しておくにとどめる。[Putnam 1997, p. 218]


 分析哲学の伝統を継承する新しい哲学の方向は、還元主義的な一元論と、とめどのない多元主義、相対主義とのあいだの、第三の道に見いだされる。多元性の承認と、相対主義の批判、克服を両立させるという課題は、また、最初に紹介したヌスバウムが構想するliberal educationの理念においても、中心的な位置を占めている。

 ヌスバウムは、liberal educationの理念を端的に表現するものとして、'cultivating humanity'(「人間性を涵養すること」)というセネカのことばをあげ、それを著書の表題ともしている。ヌスバウムは、この「人間性の涵養」において求められるものを、三つにまとめている。

 その第一は、「自分自身と、自身の属する伝統を--ソクラテスにならって「検討にかけられた生」ともいうべきものを生きるために--批判的に検討する能力」である。

 第二は、「自分自身を、単に特定の地域や集団の市民ではなく、同時に、また何よりも、承認と配慮の絆で他のすべての人間と結ばれた人間として考える能力」である。

 そして最後に、「物語的想像力[すなわち]自分とは異なった人物の立場に立つのがどのようなことかを考え、その人物の物語の思慮深い読者となり、そのような立場に置かれた人の感情や希望や欲求を理解する能力」があげられる。[Nussbaum 1997, pp. 9ff.]

 そして、この三つの目標のいずれも、相対主義的傾向を克服することなしに、十分に実現することはできない。第一の目標であるソクラテス的な自己の検討は、二つの方向からの批判にさらされる。ヌスバウムは、合理的な議論による批判の能力が、民主主義的な市民にとって必要不可欠であると主張する。これに対して右からは、合理的な議論の強調は、既成の価値観への批判を促し、社会秩序を危うくするという非難が起こる。そして「左」からは、「理性」や「合理性」自体が、白人男性の支配に普遍性の衣をまとわせる装置として糾弾される。すべての市民に、ソクラテス議論によって自己の主張を根拠づけることを求めるとすれば、それは結局、一種のエリート主義であり、これまで抑圧されてきた人々の声を無視し続ける口実になるのではないか。ヌスバウムは、ソクラテス的教育とは、プラトン的な観想や、何かそうした特別な種類の知識を要求するものではなく、識字や、論理・数学的能力、事実的知識を前提として、すべての市民がもつ実践的推論能力の発達を目指すものであるとする。ソクラテス的liberal educationとは、隷属する階級と対立する意味での、特定の自由な階級の市民にふさわしい教育ではなく、万人に開かれた、人間を自分の主人とし、自由にする教育なのである。また、これまで抑圧されてきた少数派の声を聞くということは、それぞれの集団の異なる価値観を無批判に容認することではない。相対主義に立脚する「アイデンティティの政治」は、利害の対立の調停を、市場をはじめとする自然発生的な過程にゆだねるものである。ヌスバウムは、合理的な討議をつうじた共通の価値の追求と実現を目標とする過程として民主主義を理解し、そのような民主主義のあり方を危うくするものとして相対主義を批判する。

 特定の地域や集団の一員である前に、一人の人間として自己を理解するという第二の目標は、「世界の市民」の理念を表わす。ヌスバウムは、キケロ、セネカ、マルクス・アウレリウスら主としてストア派の思想家に依拠してその理念の内容を示している。ポイントとなるのは、二つの点である。第一に、特定の地域や集団の一員である前に、一人の人間として自己を理解するということが、自分自身が属する地域や集団の規範や習慣を批判的に検討した上でそれに忠誠な態度をとることと相反しはしない。「世界の市民」は、いわゆる「どこからでもない視点」をとるのではなく、自分自身の属する伝統から出発しながら、たとえばローマの社会に大きな害をもたらした偏狭な党派への忠誠を超える視点の獲得を目指す。第二の点は、異なった規範や慣習を、いわゆる「不可共約」なものとみなすのではなく、人間に共通の欲求に根ざす問題への、異なった対応と考えるということである。「世界の市民」という理念は、抽象的な視点からの普遍主義や、普遍妥当性の観念そのものを退ける相対主義と区別して、理解されねばならない。

 最後に、物語的想像力にかかわっては、文学作品を通じて、自分とは異なる人々、とりわけ、抑圧されてきた少数派の立場を理解することが求められる。このとき、たとえば黒人の経験を理解できるのが黒人だけであり、女性の経験を理解できるのが女性だけであるという主張が持ち込まれるなれば、そこから帰結する政治像は、対立する、不可共約的な利益をもつ集団が取引する一種の市場というものであろう。ヌスバウムはここで再び「アイデンティティの政治」に反対し、人間的共感にもとづく共通の価値の追求としての民主主義を主張する。[Nussbaum 1997, chs. 1-3]

 大学が、かつてのエリート養成機関から、急速な大衆化の過程を経て、ユニヴァーサル化と言われる段階に達している現状は、日本とアメリカに共通している。大衆化に伴う学生の出身階層の変化が、少数派のグループがキャンパスに姿を現わし、盛んに権利要求を行なうという状況をもたらしたことは、日本に見られないアメリカの特徴である。少数派の人々が求めていることの一つが、自分たちの経験の文化的表現が、大学の教育・研究のなかにしかるべき位置を与えられることである。ヌスバウムの議論は、現代の大学に突きつけられたこうした要求に、liberal educationという教育理念を土台にして応えようとすることを通じて、liberal educationの内容そのものをも豊かにする。liberal educationのあり方は、ソクラテス以来の、真理と合理性を追求する批判的思考の伝統を引き継ぐと同時に、現代における民主主義政治と市民のあり方に適合するしかたで、変化、発展することが求められる。大学での教育・研究に対するこうした要求に対して、アメリカにおけるアカデミックな哲学の主流は、依然としておおむね無関心である。サールは、アカデミックな哲学の一つの特徴について述べる。「目につくことの一つは、分析哲学が、その知的なあり方に完全な確信をもっている、ただその結果として、こうしたこと[人文系の現状、とくに相対主義的言辞の氾濫]の大方は、哲学の人たちの目に入らないということです。哲学の人たちにはわからないのです。そんなものを批判して時間をつぶす理由が。要するに笑い事なんです。脱構築とか何とかは。アカデミックな哲学では大した問題にならないのです。」ローティは、その点に同意しながら、こう述べる。「その一方で、分析哲学は、分析哲学者以外にはどこでも大して問題にされていません。哲学は、専門的な学問として非常に大きな自信をもっていますが、大学のなかでは、他分野から見てますます何をやっているかわからないものになっています。」[Rorty and Searle 1999, p. 58] ここで指摘されているのは、哲学が社会とのかかわりを失い、哲学の立場からの公の言論が聞かれない現状である。そこで、政治的志向をもつ知識人に、哲学に代わって利用されているのが、文芸批評の諸理論であり、それを通じて、相対主義、ブルームの言う「左翼化されたニーチェ主義」の蔓延が起こる。こうした状況のなかで、哲学が、その公共的機能を回復することが求められている。この課題に答える哲学は、一方で真理と合理性、他方で民主主義的、人間的価値の追求を理念とするものでなければならない。長らく科学主義に埋没してきた戦後アメリカ哲学の流れ自身のなかから、この方向への転回が生じつつあるという見通しの検証を、今回は試みた。その転回が、パース、ジェイムズ、デューイらのアメリカン・プラグマティズムの再評価に結びついているということも、文化的伝統と普遍的な人間理解との関係を面白いしかたで示しているのではないだろうか。

 こうして、アメリカの大学の状況を検討してきて、もう一度日本の状況に戻って考えてみると、相違があると同時に、やはり根底においては共通の面があると感ずる。それは、質の多様化した学生の一人一人が、自らの経験を理解し、表現する手段を与えることができるかどうかが、大学に問われているということである。民族性やジェンダーによって色分けされた学生グループが、それぞれに文化的アイデンティティを主張するというような状況は、日本の大学には見られない。しかし、既成のアカデミックな文化のなかに、自らの生活経験に応えるものを見いだすことができないという点では、日本の多くの学生も、大学のなかで、声を聴かれていない存在だと言えるのではないだろうか。「改革」の圧力という不幸な理由からにせよ、大学の社会的役割が問われている現在、哲学が何らかの役割を果たしうるとすれば、ソクラテスのように、たとえ歓迎されなくても、市民、すなわちポリスの人々に直接問いかけることからはじめなければならないだろう。


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