西洋近世哲学における心の理論--感情論を中心に--

立命館大学学外研究員 学外研究C(短期・国内) 研究報告書 『立命館大学学術年鑑(別冊)研究報告書 1998』 (予定)
 ルネ・デカルトが心の本質を思考であるとしたことに代表されるように、西洋近世の哲学者の多くは心の働きの中心が知性にあると考えてきた。しかし、デカルトがすでに、人間の具体的なあり方を心身合一の次元に見いだし、心は舟人が舟に宿るように心に宿るのではないとしたこと。また、身体と合一した次元において成立する心の受動である感情(情念)に特別な注意を払ったこと。これらに見られるように、感情をふくむ心の感受的な働きは、決して忘れ去られ、無視されてきたわけではない。本研究は、西洋近世哲学の問題構成のうちに、感情論を正当に位置づける考察の端緒を作るものである。

 デカルトとならんで、感情にかんする体系的叙述を行った代表的哲学者が、デイヴィッド・ヒュームである。ヒュームの感情論(情念論)は二つの点でとくに注目に値する。第一に、知性の働きにもとづく限りでは、人格の同一性、すなわち自我の観念に整合的な説明を与えることができないとしながら、情念論の文脈では自我の観念が常に判然と意識されているとしていること。第二に、ヒュームが道徳感情説の立場に立ち、その情念論を道徳論の基礎として提出していることである。

 本研究では、ヒュームにおける感情と自我、感情と道徳の関係に着目することにより、つぎの知見を得ることができた。1. ヒュームがその情念論において集中的に考察している間接情念すなわち誇り、卑下、愛、憎しみは、他者の存在を前提として成立していること。2. 知性論の範囲内で自我の観念が説明できず、情念論においてはじめて自我の観念が明確に確立したものとして扱われる理由は、自我のそもそも基礎が他者との感情的関係だということにあること。3. この他者との感情的関係は、人間のもつ生物学的必要にもとづく共同生活から発生するが、自我の観念が明確に焦点を結ぶのは、財貨の占有と支配をめぐる他者の自由と自己の自由の対立においてであること。これらの知見にもとづく研究の展開方向としては、ヒュームと同じ自然主義的道徳論の系譜の先行者であるホッブズとの比較が有効であると予想される。

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