言語的意味と社会的行為にかんする18世紀英国道徳哲学と
現代の言語哲学の議論の対比

立命館学術研究助成 若手奨励研究 研究成果報告書 『立命館大学学術年鑑(別冊)研究報告書 1997』 (予定)
 18世紀英国道徳哲学者のうち、この研究で中心としてとりあげたのはデイヴィッド・ヒュームである。ヒュームは、自他の所有の区別や約束のもつ拘束力の根拠が、社会の成員のあいだの合意にあるとする。合意においては、ある枠組みにしたがった行動の意図が表出され、理解される。注意すべきなのは、この場合の意図の表出が、自然な表出ではなく、非自然的な、それ自体として意図的な表出であることである。表出しようとする意図(コミュニケーション的意図)の理解をつうじて、その表出が意図されている内容が理解されるというこの複合的な構造は、言語的コミュニケーションをささえるものとして、20世紀後半から、グライスら、言語哲学者らの注目を集めてきた。ここに、ヒュームの道徳論と、現代の言語哲学の問題との強い結びつきが見出される。

 本年度の研究では、とくに、約束にかんするヒュームの議論と、サールによる社会的な行為との分析の対比をおこなった。サールの見方は、約束のような社会的行為は、構成的な規則によって成立するというものであり、社会的行為の構造を、言語ゲームとしてとらえる考え方に近い。社会的行為を支配する規則は、むろん多くの階層に分かれるが、サールによれば、そのうちでもっとも基礎的な階層は、言語の意味論規則である。しかし、ヒュームの議論の分析からは、約束の成立にとって、言語の意味論的規則の存在は、必要条件でも、十分条件でもないという可能性が示される。ただし、この可能性が現実となるためには、約束の拘束力の根拠となる合意におけるコミュニケーション的意図の理解が、構成的な規則に依存しないのでなければならない。ところが、言語の意味論的性質を、言語を前提としない意図など、自然な心のはたらきに還元しようというグライスらの試みは、これまでのところ失敗している。逆説的に聞こえるかもしれないが、このことが示すのは、コミュニケーションという言語的活動を、言語という構造物を支配する規則とはいったん切り離して理解する必要があることである。

 現代において、言語哲学の社会哲学への影響は、ハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論などに見られる。ヒュームの社会哲学における言語の位置の分析は、逆に、現代の言語哲学の言語観を、根本的に見直す必要があることを示している。

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