哲学は何度やってもいいものだって?
学園への一口メッセージ 京都勤労者学園40周年記念誌 05/1997
京都労働学校で哲学の講座を担当して、少し驚いたのは、哲学の講座に何度もくりかえして参加している受講者が、何人かいたことです。しかし、べつに驚くにはあたらないのかもしれません。哲学には、どこで終わらなければいけないとか、一つのことをし終えたら、別のことをしなければいけないというきまりはないからです。工藤直子さんの「ひかる」という詩があります。(詩集『てつがくのライオン』理論社)「わたしは だんだん/わからないことが多くなる//わからないことばかりになり/さらにさらに わからなくなり‥‥」何もかもわからなくなってしまっては、ちょっと困るかもしれませんが、哲学するということには、あたりまえと思っていたことがわからなくなるという要素がふくまれています。なぜわからないのか。どうしてわかる必要があるのか。哲学の歴史は、ある意味で同じ問いのくり返しです。してみると、何度くり返して受講してもかまわない、この講座のほうが、卒業の年限のさだまった大学などよりも、哲学することを学ぶのに適した場なのかもしれません。「ついに/ひかる とは これか と/はじめてのように 知る//花は/こんなに ひかるのか と/思う」インデクスへ戻る
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