論理形式:ラッセルからヴィトゲンシュタイン『論考』へ


ラッセルの記述理論:
見かけ上の単称命題の論理形式を明らかにし、存在命題に還元する
そのことによって、個物が命題の構成要素でないことを示す

論理形式:知性によって把握可能な対象、一種の普遍

ラッセル:私はこちら側にいて、あちら側に対象があって、私は対象の中に意味を見てとる

ヴィトゲンシュタイン:一つ一つの対象の意味が成り立つことを見てとる、その時同時に、私にとっての世界全体が成立していることが見出される
私と世界、というのは、こちら側に私が、あちら側に世界が、という関係ではなく、いわば一体である

ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)
研究者としての訓練と無関係に活動した、最後の哲学者

有意味なことを考え、語るとき、すでに論理形式の中にいる
論理形式そのものを思考の対象にするためには、論理の外に出なければならないが、それは不可能である

ラッセル、あるいは従来の多くの哲学が、いわば神々の世界をうたった詩でありながら、真実の物語という姿をとっていたとすれば、
ヴィトゲンシュタインの『論考』は、それらの「物語」が、虚偽ですらなく、そこには語られるべきことが何も存在しないことを示した
しかし、「何もない」ということは「ある」に対して「ない」のではなく、「ある」とか「ない」とかいうべきことがないのであるから、『論考』は、真実の言葉ではなく、それ自体が何も語らない空語である

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