まとめ:分析哲学における「意味」の問題の展開


* 「意味」のさまざまな側面:客観的確定と主観的把握
言語が機能するために、言葉の意味は、社会的に共通のものとして確定していると同時に、個人個人によって理解可能でなければならない
フレーゲのBedeutung(客観的に確定している指示対象)とSinn(言語の使用者ひとりひとりが把握する意義)
言語の使用者は、言語表現のSinnを把握する心の作用によって、言語表現をそれが意味するモノ=Bedeutungと結びつける

* 「意味」の客観性と主観性の内在的矛盾
現実に存在するモノは、認識者の心の作用によって余すところなく把握されることはなく、理解可能な意味(意義)によって余すところなく表現されることはない
意味は直接経験に現われる見知りの対象から構成されなければならず、必然的に個人個人によって異なった経験のあり方に依存する(ラッセル)
言語表現の正しい分析のあり方はひととおりに確定しない

* 「意味」とその外部
言語表現の内部構造を分析するだけでは、それが現実の状況でどう機能するかは明らかにならない
状況の含む要素:話し手や聞き手の知識状態、社会的関係…
文と使用の区別、使用タイプは状況に依存して決まる(ストローソン)
意味と力の区別、力の決定のしくみは状況に依存する(オースティン)

* 「意味」の内部からの解体と再構成
言語表現の「意味」がまずあって、それが機能を決定するのではなく、人間が言語をいかに使うかという実践にもとづいて、「意味」が立ち現われる
存在論のプラグマティックな選択(クワイン「何があるのかについて」)
「所与の神話」批判、理由づけや正当化という実践のプライオリティ(セラーズ『経験主義と心の哲学』)

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