現代アメリカにおける教育の古典的理念と
文化の多元性

--マーサ・ヌスバウム著、Cultivating Humanity*を評す--

伊勢俊彦(立命館大学文学部)

『立命館教育科学研究』第13号掲載予定

* Martha C. Nussbaum, Cultivating Humanity: A classical defense of reform in liberal education (Harvard University Press, 1997)


Multiculturalism and Classical Ideas of Liberal Education:
A review essay on Martha C. Nussbaum's
Cultivating Humanity: A classical defense of reform in liberal education (Harvard University Press, 1997)

Toshihiko Ise, Ritsumeikan University

Forthcoming in Ritsumeikan Educational Studies, 13.

I. 大学批判と文化の多元性

 それぞれの社会、それぞれの時代において、大学はさまざまな機能を果たすことが期待され、そして、その機能が十分に果たされているかどうかをめぐって、大学への批判が存在する。たとえば現在日本において大学審議会が提起している改革の方策も、こうした大学批判を背景にしているであろう。

 今日における大学への批判は、とりわけ日本においては、大学の効率性、言い換えれば、大学への投資の正当性をめぐって行われる場合が多い。しかしこのことも、大学が、社会にとって有用な人材をいかに形成しえているかということに関する批判とけっして無関係ではないであろう。

 翻ってアメリカの状況を見ると、大学の財政の厳しさという状況には、日本ほどではないにしろ共通性があるが、それ以上に目立つのが、大学でどのような内容を教えるべきなのか、いかなる人材を形成するべきなのかということをめぐる論争である。このような文脈で、大学や知識人を批判した書としては、アラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』(菅野盾樹訳、みすず書房1988)がある。ブルームのような保守派の大学批判は、おおよそつぎのようにまとめられよう。 「現代アメリカの精神的危機の責任は、高等教育機関に、なかんずく、60年代ラディカルのなれの果てである左翼的な教員層にある。彼らは、国民の大多数の感情に反した政治的目標のためにカリキュラムをもてあそんでいる。」

 このような大学批判において問題にされているのが、実は文化の多元性を大学の教育・研究の中でどう位置づけていくのかということである。多くのアメリカ諸大学で、主として白人男性によって担われてきた主流派の文化的伝統だけでなく、たとえばインドや中国の文化、アフリカ系アメリカ人の文化、女性研究、セクシュアリティの研究等を大学での研究と教育に取り入れようとする動きが進んでいる。ブルームら保守派は、こうした文化の多元性への注目が、逆に、アメリカ市民の大多数が共有するアイデンティティを学生が理解し自らのものとすることを阻害していると批判する。このような論争状況については、川本隆史氏も紹介している。(「愛国心とコスモポリタニズム」『思想』1998年3月号)

 Cultivating Humanityにおいて、著者のマーサ・ヌスバウムは、実際にこれらの改革を進めてきた大学人の一人として、その擁護をはかる。「改革の古典的擁護」と副題にあるように、ヌスバウムは西洋古典の研究者である。現在進められている改革がめざす教育の理念を、ソクラテス以来の哲学的伝統にもとづいて展開しようとする点に、彼女の論の大きな特徴がある。著者によれば、文化の多元性への注目は、手軽な文化相対主義につながるのではなく、「世界の市民」という西洋古代以来の普遍的な人間像の今日的なあり方を追求する手段であり、しかも不可欠な手段なのである。

II. 'Liberal Education'の理念と現代の大学

 こうした論争において注目すべきもう一つの点は、ここで問題にされている大学の機能が、専門教育や職業的スキルの教育ではなく、むしろその一般教育的な機能であるということである。本書の副題にいう'liberal education'が日本の用語で一般教育に当たると思われるが、それをヌスバウムはつぎのように言い換えている。

「市民としてあるための、また一般に生きていくための能力を全体としての一個の人間のうちに養う高等教育」(p. 9)

 ヌスバウムは、このような一般教育の理念がとられていることをアメリカ諸大学の、本質的な特徴であるとし、学生が一つの専門学科のみを学ぶ多くの諸国の大学とアメリカ諸大学とを区別するものであるとする。高等教育の目標をこうした市民的教養の涵養におくことについては、ヌスバウムと、ブルームら保守派の論敵とは一致する。しかし、アメリカにおいても、こうした高等教育のあり方自身について、固定した社会的合意があるわけではもちろんない。直接的な効果の定かでない教養教育にかわって、目に見える有用性のある、ビジネスやコンピュータに関する知識や技術の教育を行おうとする傾向は根強い。ヌスバウムは、改革に対する保守派の攻撃が、教養教育そのものに対する懐疑を一般に広げ、その基盤を危うくする危険性を指摘している。

 一般教育の理念を端的に表現することばとしてしばしば用いられるのが、本書の表題でもある「人間性の涵養」である。これは、ストア派の哲学者であり皇帝ネロの教育係でもあったセネカの著作からとられている。ヌスバウムは、この「人間性の涵養」において求められる能力を、つぎのように表現している。

「自分自身と、自身の属する伝統を--ソクラテスにならって「検討にかけられた生」ともいうべきものを生きるために--批判的に検討する能力」(p. 9)

「自分自身を、単に特定の地域や集団の市民ではなく、同時に、また何よりも、承認と配慮の絆で他のすべての人間と結ばれた人間として考える能力」(p. 10)

「物語的想像力[すなわち]自分とは異なった人物の立場に立つのがどのようなことかを考え、その人物の物語の思慮深い読者となり、そのような立場に置かれた人の感情や希望や欲求を理解する能力」(pp. 10f.)

1. 「ソクラテス的な自己の検討」

 「人間性の涵養」のこれら三つの構成要素は、本書の最初の3章でさらに展開され、それぞれの要素に焦点を当てた教育実践が紹介される。

 第1章は、「ソクラテス的な自己の検討」と題されている。ここで主張されるのは、合理的な議論による批判の能力が、民主主義的な市民にとって必要不可欠だということである。この主張がなされるとき、二つの側からの反論が想定されている。一つは、合理的な議論の強調が、既成の価値観への批判を促すことによって、社会秩序を危うくするといういわば右からの反論である。もう一つは、「理性」や「合理性」自体が白人男性の支配に普遍性の衣をまとわせる装置にすぎないとする「左」からの反論である。

 ヌスバウムは、プラトンの『国家』に描かれたソクラテスの対話を引きながら論ずる。伝統的な道徳の教えに無批判にしたがうことは、市民として十分な態度なのだろうか。たとえば伝統的道徳は、正義とは、真実を述べ、借りは返すことだと教える。しかし、正気を失った人がやってきて、貸したナイフを返せと求めたらどうするか。この場合どう振る舞うのが正義なのか。この問いに答えを出すためには、伝統の教える原理にただ従うだけではなく、自らの判断力を用いた自己決定が必要である。こうした自己決定の能力は、公正な社会の市民であろうとするものにとって不可欠である。たとえば、医師として、末期的な病状の患者に真実を告げるべきなのか。判事として、犯罪人の個々の経歴や行動に応じて、どのように情状の酌量を行うべきなのか。このような場合に一貫した根拠をもった判断を下すためには、認められた道徳の原理に対する知性的な反省が必要ではないか。

 他方、「ソクラテス的な自己の検討」は、高い知的能力を要求する。すべての市民に、ソクラテス議論によって自己の主張を根拠づけることを求めるとすれば、それは結局、一種のエリート主義であり、これまで抑圧されてきた人々の声を無視し続ける口実にならないであろうか。これが、ソクラテス的な合理性の要求に対する「左」からの反論である。この危惧は、ソクラテスの弟子プラトンの露骨なエリート主義によっても裏付けられるように思われる。しかし、ヌスバウムは、ソクラテス的教育とは、プラトン的な観想や、何かそうした特別な種類の知識を要求するものではなく、識字や、論理・数学的能力、事実的知識を前提として、すべての市民がもつ実践的推論能力の発達を目指すものであるとする。このとき、ソクラテス的教育の理念をより具体的に展開した思想として、ヌスバウムが提示するのは、プラトンではなく、セネカの「自由教育」に関する書簡である。このとき、「自由教育」によって意味されているのは、隷属する階級と対立する意味での、特定の自由な階級の市民にふさわしい教育ではなく、万人に開かれた、人間を自分の主人とし、自由にする教育なのである。

 また、「ソクラテス的な自己の検討」と民主主義との関係をどう考えるかは、民主主義自体をどう理解するかという問題につながる。これからの民主主義的な政治像にとって、文化の多元性の承認が不可欠であることをヌスバウムは認める。このことは、これまで抑圧されてきた非主流派、少数派の声が聴かれなければならないことを意味する。しかし、それが、それぞれの集団の異なる価値観を無批判に容認することにつながることに対して、ヌスバウムは警告している。こうした「アイデンティティの政治」は、民主主義を、利害の対立の調停を市場をはじめとする自然発生的な過程にまかせようとするものである。ヌスバウムは民主主義を、むしろ合理的な討議をつうじた共通の価値の追求と実現を目標とする過程とみなし、文化相対主義を退けようとする。

 こうしたソクラテス的教育の理念は、現実のカリキュラムにどう生かされうるであろうか。ここでヌスバウムが強調するのは、実践的問題に即した哲学的議論のトレーニングの重要性である。さまざまな大学における取り組みが紹介されているが、一例として、ここではハーヴァード大学のコア・カリキュラムについて要約的に提示しよう。多くの大学では哲学が必修とされているが、ハーヴァードでは、それに代わる科目として、「道徳的推論」と「社会分析」が1セメスターずつ必修として課されている。これらの科目は、歴史的な文献の理解、倫理学の基本問題、たとえば医療倫理など現代において論争の対象となっている問題に関する講義を含む。講義担当者は、アマルティア・セン、マイケル・サンデルらを含む著名な研究者である。問題は、講義規模が過大であることであり、受講者の数は時に千人にも近づくという。しかし、これらの科目は十分な財政的な補助を受けており、大学院生のTAが指導する討論グループの活動を通じて、学生の積極的な参加とコミュニケーションが図られているという。

2. 「世界の市民」

 第2章は、「世界の市民」と題され、「自分自身を、単に特定の地域や集団の市民ではなく、同時に、また何よりも、承認と配慮の絆で他のすべての人間と結ばれた人間として考える能力」に焦点を当てる。「世界の市民」という観念は、キュニコス(シニック、犬儒)派のディオゲネスに起源を発し、ストア派へと受け継がれた。ここでもヌスバウムは、主としてストア派の議論によりながら、教育の古典的理念を論じている。

 ディオゲネスは、衆人環視の中で食事し、自慰するという奇行で知られたが、その目的は、彼が暮らしたアテナイの規範と慣習が普遍的に妥当するものでないことを示すことにあったと考えられている。実際、公衆の面前で食事することは、当時のアテナイでは、大変破廉恥なこととみなされ、彼が犬(キュオン)と呼ばれたもは専らこの理由によるらしい。しかし、現代人の大半は、彼の悪名を高めたこの二つの行動を同列に考えることに困難を感じるであろう。彼は、こうした既成の規範と慣習に挑戦することを通じて、個々のポリスの市民ではなく、世界の市民であることを標榜したのである。

 とはいえ、「世界の市民」であるということが、自らの属する共同体の規範に対するこのように乱暴な侮蔑と攻撃を意味するなら、それを目指す教育が現代社会において共通の価値として受け入れられることはできないであろう。「世界の市民」という観念が洗練された哲学的理念の形をとってくるのは、ストア派の思想家においてであり、ヌスバウムは、キケロ、セネカ、マルクス・アウレリウスに依拠しながらその内容を提示している。その際、ポイントとなるのは、二つの点である。一つは、「自分自身を、単に特定の地域や集団の市民ではなく、同時に、また何よりも、承認と配慮の絆で他のすべての人間と結ばれた人間として考える」ということが、自分自身が属する地域や集団の規範や習慣を批判的に検討した上でそれに忠誠な態度をとることと相反しはしないということである。「世界の市民」は、いわゆる「どこからでもない視点」をとるのではなく、自分自身の属する伝統から出発しながら、たとえばローマの社会に大きな害をもたらした偏狭な党派への忠誠を超える視点の獲得を目指すのである。第二の点は、異なった規範や慣習を、いわゆる「不可共約」なものとみなすのではなく、人間に共通の欲求に根ざす問題への、異なった対応と考えるということである。「世界の市民」という理念は、抽象的な視点からの普遍主義や、普遍妥当性の観念そのものを退ける相対主義と区別されて、理解されねばならないのである。

 「世界の市民」の理念を現実のカリキュラムにおいて展開するにあたっては、自己自身の文化的伝統(アメリカの場合は欧米の伝統)の深い理解と、他の文化的伝統の基礎的理解が目指されなければならない。このためには、さまざまな文化に関する選択科目がばらばらにおかれるのでは不十分であり、多数の教員の協力によって統一されたコースを設計するのが望ましい。そのような例として、ヌスバウムは、ニューヨーク州立大学バッファロー校における「アメリカの多元主義と平等を求める運動」に関するコースを紹介している。こうしたコースの成功の鍵は、教員集団の専門的知識をもとに、人種、ジェンダー、民族、階級、宗派のすべてをカヴァーする幅広い内容を組織し、財政援助やセミナーの組織など、ファカルティ・ディヴェロップメントの計画を立て、方法上・教育上の問題を時間をかけて検討することだとされる。しかし、そうした野心的な計画をサポートできる大学は、アメリカでも決して多くはないようである。

3. 「物語的想像力」

 「物語的想像力」を扱うのは第3章である。ここでヌスバウムは、文学作品のもつ道徳的・政治的役割を強調する。たとえば古代ギリシアの悲劇『ピロクテテス』は、トロイア戦争の途中で、孤島に遺棄された兵士をめぐる物語である。ここでは、その兵士を単なる戦争の道具として再び利用しようとするオデュッセウスと、兵士の孤独と絶望に人間的な同情と共感を寄せるコロス(群衆)が対比して描かれる。また、現代アメリカの作家エリソンの『見えない男』は、人種的なステレオタイプの一例としてしか見られない黒人の経験を描く。ヌスバウムは、他者を、単なる道具やステレオタイプとしてみるのではなく、同じ苦しみを受ける可能性を持つ人間として、内面への想像力と同情をもって理解する能力が、民主主義的な市民にとって不可欠であると主張する。

 こうした能力を養成するためにカリキュラムにおいては、抑圧されてきた少数派の声を代表する作品が取りあげられ、道徳的・政治的な観点から共感的な読みと批判的な読みの両方が試みられるべきである。こうしたヌスバウムの主張に対しては、文学作品の理解と評価は、政治的基準とは独立した美的な基準によってなされるべきであるという形式主義的な美学の立場からの批判が当然予想される。ヌスバウムは、作品の道徳的・政治的側面を無視した読みは不毛であり、多くの場合不可能でさえあること、これまで非主流とされてきた作品を取りあげないで、主流の作品のみを取りあげ続けること自体が、一つの政治的選択に他ならないこと、をあげてこれに反論する。要するに、文学作品の理解が、社会的・政治的・道徳的な真空においてなされることはあり得ないのである。

 他方、抑圧されてきた人々の声を聴くというとき、再び問題になるのが、文化的相対主義である。たとえば黒人の経験を理解できるのが黒人だけであり、女性の経験を理解できるのが女性だけであるとすれば、そこから帰結する政治像は、対立する、不可共約的な利益をもつ集団が取引する一種の市場というものであろう。民主主義をこうしたしかたで理解する考え方は、「アイデンティティの政治」だけでなく、フリードマンらの新自由主義の経済学にも共通している。こうした傾向に反対して、ヌスバウムは、民主主義のあるべき姿を、人間的共感にもとづく共通の価値の追求として描くのである。

III. 抑圧された人々の声を聴く

 こうして、三つの要素に分けて検討された大学教育の理念が、文化の多元性のそれぞれの領域でどのように展開されているのか、あるいは展開する上でいかなる問題があるのかが、現状の紹介によりポイントを置くかたちで論じられるのが、本書の後半である。取りあげられる領域は、非欧米の文化、アフリカ系アメリカ人の文化、女性研究、ゲイやレズビアンを含むセクシュアリティの研究、そして最後に、宗教系の大学における宗教教育と大学教育の一般的理念の関係である。ここでは、積極的な実践例が紹介されると同時に、現在のアメリカ諸大学が抱える問題点も指摘されている。

 たとえば、アフリカ系アメリカ人の文化に関するコースにあっては、アフリカ系アメリカ人以外の学生が同等の立場で参加することが阻害されがちであること、アフリカ系アメリカ人の文化の研究が、たとえば哲学など、これまで確立された、時に「エリート的」と見られる学科とことさらに対立させられ、「アフリカ系アメリカ人は哲学など学ぶ必要がない」という雰囲気が作られがちなこと、またその反面、「アフリカ系アメリカ人のアイデンティティの理解などより、よりよい職業を得、社会的地位を上昇させるための教育こそ必要」という考え方が、学生の出身家庭や周囲の社会では根強いこと、科学的な根拠をもたないアフリカ中心主義が宣伝され、それが他の民族集団、とりわけユダヤ人への攻撃と結びつくことなど、多くの問題が存在する。ヌスバウムがこれらの問題を率直に指摘していることは、彼女が目標とするように、「文化の境界を超える」というしかたで文化の多元性の教育を行うことが、いかに困難であるかを示しているだろう。しかし、抑圧された人々の声を聴くとは、彼らを異なった種類の人間とみなし、彼らに勝手にしゃべらせておくということではない。それは、共通の人間的基盤に立って彼らの経験を理解するということでしかあり得ない。

 こうした困難な目標が、なおヌスバウムの議論において説得力を失わない一つの要因は、彼女が、アメリカ社会に現存し、民主主義的社会の成長のために乗り越えられなければならない文化的抑圧の実状を、自らの経験と結びつけて語っていることである。彼女は自分の少女時代についてこのように言う。

「黒人の人たちに出会ったのは、家内の使用人としてだけだった。私と同じ年頃の、ハティーという名の少女がおり、とりわけ裕福な近所の家で住み込みで働くお手伝いさんの娘だった。ある日、私が10歳くらいの頃、私たちは通りで遊んでいて、私は彼女に、家でレモネードを飲んでいかないかと誘った。私の父は、ジョージアで育った人だが、怒り狂い、二度と黒人を家に入れてはならないと言った。学校もこれと同じようなものだった。私の私立学校にいた黒人は厨房の手伝いだけで、勉強の時にはこの人たちのことを考えないようにさせられた。歴史の授業は奴隷制にほとんど触れなかった。高校でも、その後、ウェルズレイ・カレッジでもニューヨーク大学でも、黒人作家の作品を読む機会はなかった。[...]どこでもこれらの作家について学ぶのは不可能だった。全く教えられていなかったのだ。マーティン・ルーサー・キング・Jr.については、ニュースに出てくるので否応なく知ったが、父は彼のことを共産主義の煽動家と呼び、教師たちは彼について何も言わなかった[...]」(p. 151f.)  アメリカ市民の多くにとって、アフリカ系市民は、長い間「見えない」存在にさせられており、アメリカの多くの大学で、アフリカ系アメリカ人の文化に関する研究・教育は、'60年代末に、主として学生グループの圧力下でそのための学科が設けられるまで、全く行われていなかったのである。このような排除を続けることが不当なのは明瞭だろうし、アフリカ系アメリカ人研究が正当な学問領域として確立するための努力が、いまだその途上にあり、多くの問題点を抱えていることは、ある程度やむを得ないのである。

 同様の抑圧と排除の経験は、女性の問題に関しては、抑圧される側自身の立場から語られる。ヌスバウムがハーヴァードの大学院に進んだのは1969年であるが、当時、ハーヴァードの教員のうち女性は二人だけ、しかも女性はファカルティ・クラブの主室で食事することもできず、その数年前までは、学部学生用の図書館に入館することも認められていなかった。1972年に、彼女が女性として最初にジュニア・フェローシップを得たとき、ある著名な古典学者は、女性のフェローをなんと呼ぶべきか、ギリシア語で「ヘタイラ」と呼ぶのがよかろうか、と「ジョーク」を飛ばしたという。(「ヘタイラ」は「メカケ」を意味する。)

 このような状況を背景として考えるなら、「抑圧された人々が声を発すること」、「抑圧された人々の声を聴くこと」は、左翼的なエリートが大衆に対して行うリップ・サービスではなく、社会の全体、市民のすべてにとっての問題であることは、理解できるのではないだろうか。

 しかも今日なお、抑圧された人々が、その独自の経験を率直に語ることは、決して容易ではない。たとえばゲイやレズビアンの人々が、その経験を語ろうとするときに、「ストレート」な人々のどれほどが聞く耳をもつだろうか。こうしたセクシュアリティの問題に関しては、それについて語ること自身が、あるいはそれについて語ることに意味を認めること自身、何か特殊な個人的関心を持った人間とみなされかねない。それは、前任校のブラウン大学で、セクシュアリティに関するカリキュラム設置をすすめたヌスバウム自身に向けられたまなざしでもあった。

 ゲイやレズビアンについては、それを道徳的に悪とする立場から、彼らを不当に抑圧されている人々とは認めようとしない立場もあろう。しかし、自分と異なった人々の経験に耳を閉ざす姿勢は、その差異が民族的なものにあろうと、ジェンダーにあろうと、セクシュアリティにあろうと、同じ根をもつものではないのか。たとえば、哲学という学問分野は、圧倒的に男性に支配されている。この状況について、英国出身の、ヌスバウムとほぼ同じ世代の哲学者、コリン・マギンはつぎのように述べる。

「哲学はフェミニストの政治、そういうならいかなる政治の進展にも、大して影響を受けていない。よかれ悪しかれ、フェミニズムは今日多くの哲学科に位置を占めているが、哲学の中心領域[論理学、言語哲学、形而上学等]にはいかなる衝撃も与えていない。その核心においては、哲学は、物理学や数学と同様、完全にジェンダーに対して中立であり、生物学的な基盤を一切もたない問題群なのである。たとえば、心身問題は、いかに男性の精神がその身体に依存するかという問題ではない。」(Times Literary Supplement, March 20 1998, p. 13)

この発言は、哲学への女性の進出に関する、前後の文脈でのリップ・サービスにもかかわらず、典型的に白人男性である「哲学者」と異なる人々の特殊な経験を考慮に入れないことが哲学の「純粋性」であるという確信、こう言ってよければ盲信の存在を窺わせる。

 これに対して、たとえばヌスバウムは、女性研究が哲学にもたらした新たな視点として、正義論における家族の問題をあげる。伝統的な男の哲学は、家族を「正義を超えた」、相互の自然な愛情によって支配される領域をみなしてきたが、実際には家族の中で、多くの女性や子どもが不当に少ない財の分配や、発達の機会の阻害を被ってきた。このことへの注目は、女性研究が促したことであり、正義に関する哲学的な問題構成自身の見直しを迫っているのである。また、伝統的に女性的なものとみなされてきた情動、たとえば子どもへの愛、子どもの幸福に関する危惧、肉親の死への悲しみ等と、合理的な判断と関係の再考も、女性研究がもたらした新たな視点である。これらの指摘を前に、なおも、「フェミニズムは哲学の中心領域にいかなる衝撃も与えていない」と言い張るとすれば、それは、「具体的な人間の経験から離れた問題こそが、哲学の中心問題である」という、「第一哲学」に関する古びた考えの変型でしかない。そしてこうした、自分とは異なった具体的な人間の経験を無視する姿勢は、程度の差こそあれ、多くの既存の学問分野において存在しているのではないだろうか。

 ヌスバウムが提示する自由教育、一般教育の理念は、高等教育が「すべての市民にとってのもの」となりつつある日本でも、大いに妥当性をもつと、私は考える。しかし、日本において、「文化の多元性」の教育がいかなるしかたで行われ得、行われるべきなのか、については、これから多くの分野の研究者を巻き込んだ議論が必要であろう。しかし、日本における今後の大学教育もまた、既存の学問の系統的な提示にとどまらない、個々の人間の具体的な経験に即した方向を強めなければならないことだけは、確かであろう。