2001年11月21日(水)la
●ひるますこしじかんがあいたのでいえにとんでかえってクルマをだして坂本の「つる喜」までソバをたべにいった(ワンパターンだが)。新ソバのかおりただようおおもりのよこにきょうはすったとろろいもをだしじるでといてそのなかにたまごのきみをわりおとしたとろろじるをたのんだ(とろろソバはこのみせのめいぶつだが[オモテの9月15日(土・祝)bをさんしょう]ぼくはソバそのものはやはりふつうにツユにつけてたべるのがすきなので)。するとワインではないがつちのかおりがするようで(もちろんわるいいみでいっているのではない)じつにほのぼのとしたあじわいであった。
●――と、あたかもとつぜん「じかんがあいた」からのようにかいたがじつはこのごごのじかんてきよゆうはさくやのうちからわかっていたのでつい「いってこようかな」といったらすでに五さいちょくぜんにして「ソバつう」になっている子が「おとうちゃん、ひとりでおいしいおソバをたべにいったらズルいで」とにらみをきかせるので「わかったわかったまたこんどおたんじょうびにでも」(アレっ?、たんじょうびはまた「しまだ」じゃなかったの?)[同11月17日(土)をさんしょう]とごまかしたといういきさつがあって、つまりけっこうりちぎにこのにっきをよんでくださっているらしいどうりょう(がっこうとほいくしょのそうほうの)の「ひもだYさん」がおむかえのときにうちの母子とでくわしてきょうのこの「ぬけがけ」のことをつげぐちしないでくれればいいな、と(だったらかかなきゃいいのに[笑])。
●それにしても京都はいまかんこうきゃくでいっぱいである。そんなときに京都人(ということになるのかな?ぼくも)はむしろ京都をだっしゅつするのである。というようなことをかんがえながらきょうはひさびさにヴィッツをはしらせましたとさ。[19:07]
2001年11月9日(金)la
●きのうのよるのにっきのやすみかたはひどかったが(やっぱりああやってかくところが「よって」いたのである)そのすうじかんまえのおいしいしょくじのしゃしんをとりいそぎこちらで(というのもPHSはやはりアップにじかんがかかりすぎるのだから)。北野天満宮ちかくの「越路」(和料亭)のやきフグはそのままサシミとしてだせるフグを板さんがいちまいいちまいやいてくれてこうやってポン酢しょうゆのさらにはこんでくれる。で、しゃしんはマズいがモノはなんともいえなくウマい。アナゴのしらやきなどほかにもびみなるさらをなんてんもたいらげたがさくやはしかしこのフグにゆびをくっするということで。
●なんてきょうのこうむがようやくおわったのですこしのんびりかいていたらほいくしょのむかえをかわれというでんわがはいった。いそいでかたづけることにします。[17:30]
2001年11月5日(月)la
●このあいだオモテのほうにはかいたことだが[11月3日(土・祝)をさんしょう]CEマシンのいりょくをいまごろさいにんしきしている。おもさではそのしゅのものにまけないくらいかるいcassiopeia
FIVAをカスタマイズしてメインマシンとしてりようしはじめたころにこのことにきづくのだからひにくだがとにかくピッとキーをおしたら一びょうもまつことなくエディタのがめんがあらわれるかんかくはどうしたってwindowsマシンではあじわえない。それはほとんどさいしんのCE3.0マシン(これだとAirH"の「つなぎほうだい」もつかえる)のこうにゅうをけんとうさせるほどだ。いやいやそうやってかっていたらほんとうにPCビンボーになってしまう。たんなるむそうだ。
●だがそうやってそれぞれにとくちょうあるマシンにいろけをだしてもCEマシンにはできないことがあるからやはりFIVAはげんじてんでのベストバイであったことはまちがいないのだがただしさくやあのたかだか五、六十キロバイトていどのしゃしんをアップするのに一ぷんいじょうもかかったのにはへいこうした。というわけで二日つづけてのアップとなるきょうのしゃしん(だいして「二ひきのふくろう」)はこちらのLaVie日記のほうに。そう、せいかくにはきのうからけさにかけてのさぎょうになるのだがこのしゅうまつ(11日)にひらかれるほいくしょのバザーのための「てづくり」のしななのだがウチのにんげんはきほんてきに三にん(+三びき)とも「ぬいもの」とかがにがてなので母子がかみねんどでつくったふくろうに父がちゃくしょくをほどこすといういっけんなかむつまじいさくせんにでた。だがこれはじっさいのところこのくつうきわまる「かんしゅう」をさいていげん(どんなそしりをうけようと)のていしゅつをすませたことでのりこえたというよろこびいじょうのものをわがやにはもたらしていない(むしろテーマえらび[というほどのものか]でなんどモメたことか)。ああ、でもほんとうにこれでスッとした。とうじつこれがどれほどひさんなねだんをつけられ、どれほどのながきにわたってうれのこったのだとしてもそれはわれわれ一かのかんちするところではない。[18:42]
2001年10月30日(火)la
●VAIO日記はへいさされてしまったしたまにはこちらにかこうかな――ごぜんちゅうのこうぎ、そしてごごはかいぎ四つ(だいたいこの火ようびはこのかずをこなす)にあけくれた一にちがくれようとしている(おもてはもうすっかりくらいが)。その二つめのかいぎあたりからセキこむようになり、しかもあきらかにかぜのしょきしょうじょうのそれで、げんにいまはすこしゾクっと「おかん」がする。どうみても子のがうつった[オモテの10月28日(日)をさんしょう]というかんじのタイミングだがその子はといえばすっかりかいふくしてきょうもげんきにほいくしょにいっていた。こっちはもうすこしながびくところがなさけない。クスリをのんでようじょうしようということになるとこんどはアルコールがのめないのがつらい。いや、ほんとうはふだんのんでいるぜんそくようのクスリのばあいもけっしてすすめられたことではないのだけれどしかしこんやはたぶんゆうしょくどきにはビールはかかせないだろう(かいぎづくしのあとにのめないなんてゆるせない)。そうしてまたきのうのように「かみん」してしまうのである。きっと。[18:25]
2001年10月16日(火)la
●このLaVie日記をかき/アップするマシンが「うよきょくせつ」[このいったんをしるためには当LaVie日記の6月11日(月)la、同12日(火)la、同13日(水)laをさんしょう]のすえに富士通のFM-Biblo(MF7/700)でおちつきそうである。つまりさいきんそのためにつかっていたVAIO(たびにもときどきじさんしている)はWindows
Meにアップグレードしてからのさまざまなトラブル(たとえばスタンバイにすると「きょうせいしゅうりょう」したあとであらためて「きどう」するしかないのでモバイル・マシンとしてのりべんせいがガタッとおちた/ソニーもつれないものでアップグレードしたものにかんするしつもんはうけつけない)や300MHZという「どうが」をさいせいするにはげんかいいかというスペック、そして(うえとはむじゅんするが)けんきゅうしつのデスクでつかうにはふべんな「ちいささ」…にかんがみてステレオ・コンポにくみこんでMP3データのさいせいせんようのマシンとすることとした(といいながらきのうはひるま「花様年華」のサウンドトラックのおんせいをさいせいして[コマおちするがぞうはむししちゃえばいい]へやにBGMとしてながしてあそんだりした[笑])。となるとモバイル・マシンは? きのうその「かくしゅせってい」にかかったじかんがオモテのにっきをかくじかんをうばった(こんやも?)ニューマシンがちかぢかデビューする(フフフ)。あるいはそれはわが「日記ライフ」(笑)をおおきくさまがわりさせるかもしれない(そんなにかわらないかもしれない)。いずれにしてもオモテの日記をかくヒマがないかもしれないじたくにかえるまえにけんきゅうしつから――。[19:19;翌日一字修正]
2001年10月12日(金)la
●きょうはじゅぎょう(二げんめ「西洋美術史II」)のさいちゅうに二つのアクシデントがあった。(1)Windows
Media Playerの「どうが」がモニタにしゅつりょくされなかった。きのうの「表象批判II」のばあいとおなじきょうしつ、おなじパソコン、おなじせってい、おなじソフト、おなじファイルけいしき(mpeg1)なのにダメ。ちなみに「どうが」いがい(パワーポイントぶんしょ)はもんだいなしにうつった/きのうじょうえいできたmpeg1ファイルはやっぱりダメ。で、きゅうきょ「おしゃべり」(笑)でじかんをつぶした。もちろんこちらはプロだから(さいきんこのセリフがおおい)がくせいにとってはBS2のドキュメンタリィにまけないくらいゆういぎであったはずだがそうしてそのごもともとよういしてあった「かだい」(じゅぎょうちゅうにおこなうミニ・レポート/しょうさいをかいているヒマはいまはないのできがむいたらよなかにオモテのほうで)をかしているあいだにもういちどでんげんをおとしてせつぞくしなおすとこんどはうまくいった。よくわからないがそのようにかいけつされるもんだいがあったということだ。
●だがもうひとつアクシデントがつづくと「なにかある」のかなとおもいたくなるのがにんじょう(笑)ではないか? (2)じゅぎょうをはじめて十ぷんほどしてとつぜんマイクが「死」んだ。なので二百名ほどのがくせい(キャパが六百名ほどのへや)をあいてのおしゃべりはマイクなしとなった。もちろんプロですから(また)へいきですけどネこんしゅうはあんまりねていない(ここすうじつのへいきんは三じかんほどやね)のでやっぱりつかれはした(ミニ・レポートをかす約三十ぷんほどですくわれた)。というわけでごごのかいぎもすんだのできょうはこれからむねをはってひるねをしにかえる。ただただうれしい。いじょう。[15:40]
2001年10月11日(木)la
●きょうもまたこちらに?――だがとってもねむいよなかにアルコールもてつだってかるくちをたたいてしまう(そして[かいしんしたわけでもないのに]あとからさくじょなんかする)よりもこうやってじゅぎょうのあとのフトおちついたじかんにストレスのないがくないLANでアップするのもまたこのましいじょうけんといえはしまいか。――なんてどうってことのないはなしだ。
●そんなことよりもせんじつ=一しゅうかんまえ[10月4日(木)laをさんしょう]にこのばしょでふれたわだいにまつわって――きょうはてんきにめぐまれたので子らは一しゅうかんくりさげたかたちでせんしゅうのもくてきちだった亀岡(あたり?)の「コスモスばたけ」にえんそくにでかけている(いまはおべんとうもすんでほいくしょへの「きろ」のとじょうだろう)。そのころ父はじゅぎょう(二げんめ「表象批判II」)でマーラーの《復活》をとりあげるというふけんこうなじかんをおくっていたわけだがただしいっておくがコスモスばたけなどいまにどうにでもよくなってしまって、しかしまたさいごはそのようなところにめされていくのだヨにんげんというやつは(――と、クロプシュトック/マーラーをわざとおもいっきり「ごどく」している)。
●サアテひといきついたら四げんめはゼミである。きょうはまいとしこうれいのあるかだいをだす。とうぜんくずさんなどもこれでシボることになる。フフフ、たのしみである。[12:50]
2001年10月10日(水)la
●どうしてキミはよるになるとテロ&ほうふくにかかわる、ソコにかいてもしかたないステートメントをはっしてしまうのかねぇ(笑)。はっきりいってよむにたえないよ。なのできょうばかりはさすがに「さくじょ」をかんこくしておきたい。いいかね。ばんごはんをたべたらそのまま「かみん」してしまうまえに「しょり」してしまうんだよ。[16:20]
2001年10月5日(金)la
●きのうのぶんをかきこんだあともかぜがどんどんあっかしていまもとてもしんどい。いや、とくによるがひどかった(「勝手にしやがれ」どころではなくもじどおりに「A
Bout de Souffle」[このえいがの「げんだい」でやくすとすれば「いきもたえだえに」となる]だった)。それはこんなにアルコールがすきなにんげんなのにそれをのまなかったほどだ。つうじょうのぜんそくのぶんとあわせると六しゅのクスリをのんだからということもあるがいずれにしてもガマンしたのではなくカラダがそれをほっしなかった。しかしそれでもとうぜんのことながらじゅぎょう(二げんめ「西洋美術史II」)はこなし、かいぎにもでた(すこしまえまで)。さあこれでじたくにかえってベッドにカラダをなげだしてもだれももんくはいえまい。――というわけでよる(またしんどくなるんじゃないかな)オモテのにっきをかくげんきがないかのうせいもあるので「よりょく」があるうちに。[15:55]
2001年10月4日(木)la
●ひさびさにこちらにかきこむからといってなにかいいことがあったわけではまったくない。それどころかあめでうっとおしいうえに二、三日まえからかぜぎみだったのがけさになっていっきにあっかしてじゅぎょう(二げんめ)もとてもしんどかった(このあとの四げんめにはゼミもある)。くわえてきょうは子の「えんそく」(ただしほごしゃはついていかない;10月はわが御室保育所は木ようびごとに「きかく」がはいっていて母さんたちはおべんとうづくりがたいへんなのである)のとうじつですうじつまえから「コスモスばたけ」(亀岡ほうめんらしい)にいくことをたのしみにしていたのにいつものへやでのしょくじとなって子はさぞがっかりしたことだろうとおもう(いまはおひるねのじかんだがあめのひはたいりょくがあまっていつものようにねむれないでいるかもしれない)。――と、こんなつまらないことをかんがえたというわけ。
●ついでにオモテにかくべきかもしれないわだいも――こんやのBS2は「勝手にしやがれ」。もちろんゴダールさくひんだがいっさくじつからのセバーグとくしゅうのなかでこれがほうそうされるのであることをめいきしておこう。そしてまたじっさいこのさくひんのなかでこそセバーグはいちばんかがやく[2001年8月16日(木)cをさんしょう]/たとえばアンナ・カリーナだってほかのゴダールさくひんのなかでこんなにもかがやきはしない、のである。
●ちなみに「勝手にしやがれ」はDVDから「よこくへん」(フランスでじっさいつかわれたものが「とくてんえいぞう」としてしゅうろくされている)をmpeg1データとして(いほう?)コピーしてじゅぎょう(「表象批判II」)でせんでんしたが「よこくへん」としてはそのあと「ダイナソー」のもうつして(りゆうは近鉄優勝のばめんのBGMとしてフジ系の「スポルト」でつかわれていたから)さらに「ウルトラマンガイア」のさいしゅうかいと小澤/SKOの《復活》のダイジェストじょうえいもおこなって…というトンデモナイてんかいにきょうはなった。もちろん(いつもかくことだが)こちらはプロだからなんのりゆうもみゃくらくもなくそれらがモンタージュされるのではない。あたりまえか(笑)。[14:00]
2001年9月20日(金)la
●さくやはゆうしょくごにダウンしたのでこのあめのごご、さぎょうのあいまにけんきゅうしつからひさびさのLaVie日記を――。
●あいかわらずいそがしい。なにがかといってはんぶんほどはじぶんのしごとにかかわることだからまだしもけんぜんであるといえるがそれでもおいしいコーヒーでものみながらしばしものおもいにふけるといったじょうきょうはほとんどゆめものがたりである。
●そんなたぼうのちいさなりゆうのひとつとしていまはあってところがらいしゅうはそれいっしょくでぜんせいかつがそまってしまうところ愛知県立芸術大学のしゅうちゅうこうぎがせまってきた(10日[月]〜13日[木])。山形のばあい[7月24日(火)から28日(土)のVAIO日記をさんしょう]とどうようにあさからゆうがたまでじゅぎょうをしてよるはのむというかこくなひびがくることはいまからわかっているのだがそれでもいまはそのようなしゅるいのかこくさがまちどおしい(まったくことなったしゅるいのかこくさのためにすっかりしょうもうしているからだ)。さくねんは東海地方をおそったあのきろくてきな「しゅうちゅうごうう」[2000年9月11日(月)から12日(火)にかけてのかこのにっきをさんしょう;さくねんはまだモバイルのにっきをわけていなかった]のえいきょうであまみずがしつないにしんとうしてきた(にっきをよみかえすと「ひがい」としかかいていないが)藤ヶ丘えきまえの安ホテルとはちがう(もうちょっとうえの?)ホテルもよやくずみだし――とかいてフトことしもたいふうがきているらしいことにおもいいたる。あめの名神をかんがえるだけですこしゆううつなきぶんになる。
●ちなみにかこのにっきをよんでいると「(名古屋)ICのてまえでようやくわがBistroのそうこうきょりが一万キロをこえた」というもんごんとであった[9月10日(日)b]。じつはことしもどうやらかえりの名神のとちゅうで一万キロをこえそうである。ただしBistroは二ねんかかったところをこんどのヴィッツは一ねんではしったことになる。カーライフがおおはばにかわったことをつうかんする。
●それにしてもあいかわらずあまあしがつよい。そんなこともあってきょうはひさびさにヴィッツでのおむかえである。そうだあめのなかをひるねようのフトンもはこびださねばならない。あしたはほいくしのせんせいたちのけんしゅうでほいくはおやすみだからである。しゅうちゅうこうぎのじゅんびにあてるつもりだった土ようびのごぜんちゅうが子のあいてでつぶれる。いたっ! [15:35]
2001年8月20日(月)la
●[削除しました。]
●[削除しました。][14:25]
2001年8月17日(金)la
●子がほんとうにひさしぶりにほいくしょにいってくれた。さあしごとを――とおもったがアセっているのはその母のほうもどうようらしくけっきょくじたくのPCはきょうはかのじょにあけわたすことになった。なのでこちらもひさびさにとうこうしてけんきゅうしつのPC(といってもきょうは[そしてこれからしばらくのあいだは?]たびさきでかつやくすることのおおいVAIOである)にむかい、ついでにこうしてこのマシンからひさびさのLaVie日記をアップするといういささかむじゅんしたてんかい(笑)。そう、ウラのにっきの「めいしょう」と「じったい」(しようマシン)のカイリはすでにいつのじてんからかはじまっていたことであり、なのでじたくにもどってなお子の母がPCをつかっていたらこんどはBibloからVAIO日記をアップするというじたいがはっせいする。――いや、きのうのにっきのりょうはいじょうだったからきょうはすこしはじせいしたほうがいいんとちがう(笑)?[10:50]
2001年7月30日(月)la
●しゅうちゅうこうぎからかえってきてさっそく一げんめにしけんかんとく(「芸術論」)。そのあとはさるきかくにかかるポスターのうちあわせ(デザインりょうをまったくふくめないほどケチりにケチったしごとなのであすぎょうしゃにせいしきにはっちゅうするまえに「そあん」[ワープロでもこれだけできるんだからアナタたちはもうすこしまともなのをつくってネというみほん]をつくらねばならない)。8月1日のオープンキャンパスの「もぎこうぎ」のレジュメの「とくそく」もきているし(同日にはまだかいぎも)翌2日には「ぜんきそつぎょう」のがくせいの「そつろんしもん」もある。いや、もっともたいへんなのはしけんのさいてんである(二かもくぶんで四百五十まいていど)。いつものとしとおなじふうにすすめればコレが「おぼん」あけくらいまでつづく。――とかくと「いつものとし」とちがうようにすすめるアイディアがあるみたいだがそんなものはまったくない(苦笑)。「なつやすみ」とはむじゅんしたひょうげんである。
●おっとそのまえにきのう東京から京都にもどるとちゅう、そしてかえってからおこった二つの「だいじけん」――それへのたいしょにつかれたためにオモテのにっきもかかずにねむるこけてしまった――のわだいは? それはやはりこんばんにでもオモテのほうで。[12:13]
2001年7月17日(火)la
●きょうじゅかいをとちゅうでぬけてこれからがくせいとコンパ。そのまえにいえをでるちょくぜんにとったきょうのニゴのしゃしんを。もうまもなく一さいいになろうとするこの子のこのところのかわいさはめにあまるものがある(とワザとへんなにほんごで)。[17:12]
2001年7月9日(月)la
●きのうニゴにくびわをつけた。故タマもふくめてわがやでかう四ひきのネコでははじめてのこと。かつてタマやマリにこころみたことはあったもののくるったようにていこうしたのであきらめたのだったがニゴはやんちゃさのどあいがほかの三びきとはちがううえにさいきんは子のともだちがいえにあそびにくることなどもおおくなってふとしたはずみでげんかんのドアがあいたスキにそとにとびでないともかぎらないからおもいきったのである(というわけでくびわのうちがわにはでんわばんごうをかきこんである)。ちょっとかわいそうだが…と、きのうはおもったものだがきょうはホラこのようにきにもとめないでのんびりとすごしている。
●いじょう、あとからオモテのにっきでふれようかともおもったのだがよるはぐったりしているだろうとよそうされたのとちょっとしたいきぬきといういみもあってコチラのほうで。[16:00;18:45すいこう]
2001年7月4日(水)la
●さっきじたくにもどったついでにかきこんだオモテのにっきに「ごじ」(ひらがなばかりだからおかしなひょうげんだが)とぶんぽうてきなあやまりがはっけんされた。でもがっこうにもどってきたのでなおせない(かたみち五ふんとはいえこのうだるようなあつさのなかをそれをなおすためだけにもどることはかんがえられない)。しかもアップしたじこく(かきおわったじこく)もぬけている。――と、コチラにかいてきやすめにしている。まあそういうもくてきでもここはつかえるということだ(オモテのほんのすうにんのどくしゃのうちのなんにんがここをのぞくのかこころもとないが)。[12:56]
2001年6月26日(火)la
●きのうのぶんに「ごじ」がたくさんみつかったのでなおした。
●ついでに――あいかわらずねむいがあしたのごごの二つのかいぎにむけて「しゅくだい」が二つ(「しゅくだい」のかされていないかいぎがもう一つ)。もちろんそのまえにはじゅぎょう(一げんめの「芸術論」)も。こんなのですいみんぶそくからかいほうされようはずがない。
●それでもきょうはごぜんちゅうにTSUTAYA西院店までクルマをはしらせてきた。へんきゃくのついでにかりてきたのは死にそうな「ろうば」のもとにかけつけてその死のしゅんかん/ぜんごをドキュメンタリィとしてとろうとおもったのになかなか死なない、そのかんにロケたいにおこるへんかをだいざいとしたいわばメタ・ドキュメンタリィもの。とうぜんかんとくはへんきゃくぶんとおなじだ。アキたといいながらまだみようとしている(笑)。[17:35]
2001年6月25日(月)la
●オモテのほうには23日(土)のよるにぶじしゅうりょうしたむねをほうこくしたさるシンポジウム――ないようについてまったくふれないというのもまたきみょうなのだけれど(笑)――だがじっさいはけさいくつかのぶしょにきざい[したの22日(金)laをさんしょう]をへんきゃくしてようやくすんだのである。いやじつはまだせいさん(教室使用料、清掃代、お弁当代の)のほうがすんでないといえばすんでない。もっといえばこんかいのことでいろいろあとへとひきずらねばならないことがはっせいしている。「終わりなき日常を生きろ」ってこと(笑)?
●ここすうじつかんどこにもかきそこねていたわだいをわすれないうちにこのばしょに――21日(木)にじょうきょうした[VAIO日記の6月21日(木)vaにくわしい]そのよくじつの帰洛のさいに東京駅にかけつけるタクシーのしゃちゅうにケイタイをわすれた。りょうしゅうしょをとっていたのですぐにでんわするとみつかったもののすでにこちらは「のぞみ」1号のしゃちゅうのひとであったので宅配便のうけとりにんばらいのかたちでそうふしてもらってそれをきのう(24日[日])うけとった。そんなわけでシンポジウムのじゅんびのさいちゅうになんどかふべんをしたこともあったが(細君のがあったので「かける」ほうはだいじょうぶだった)いまおもえばこの「こうしんふのう」によってすくわれたケースもあったようにおもう。こんごも「ふんしつ」はつかえる「て」(笑)であるかもしれない。[10:45;翌日、誤字等を修正]
2001年6月22日(金)la
●よるはオモテのほうにかけるかどうかわからないのであすのシンポジウムにまつわっていまここに――こまかなしんこうについてはまだこんやかんがえねばならないが(ししゅつにかかるけいさんもあすではおそい)がくないかくしょからいろんなきざいやぶひんをちょうたつしてくるさぎょうはいちおうすんだ(あすは「かりおき」しているこのばしょ=こじんけんきゅうしつからすうひゃくメートルはなれたかいじょうまでヴィッツやじんりきでうんぱんする)。で、きょうはもうすぐしたらパネリストのひとりである鶴岡真弓氏(たいちょうがすぐれないのでヤサイをたくさんとりたいという)とゆうしょくをたべにでることになった。まあ、シンポジウムそのものよりもわれわれのかいわのほうがたのしいことはうけあいだがこんやはたがいにあすのためにちからをセーヴして。[19:12]
2001年6月19日(火)la
●オモテのにっき[6月17日(土)aをさんしょう]でふれていたAOパンフの「こうせい」いらいぶんしょう(十二ある「せんこう」にいらいするのだが「あくぶん」へのひにくもチラっとこめるのはいうまでもない)とあさって21日(木)の東京での「こうえん」(とはいえ「こうこう」や「よびこう」のかんけいしゃがすうじゅうにんちょうこうするだけのこじんまりしたものだが)のレジュメのさくせいにさくやからけさにかけてずっとかかった(「大学教育における〈学び〉のグローバル・スタンダード」というはずかしいだいめいはもちろん入試課がつけたものである)。そのまえは(ということはここはさくじつのにっきのかわりなのだな)ゆうこくまで土ようびのシンポジウムのいろんなうちあわせやおねがい「あんぎゃ」でつぶれた(たてかんばんのせっちいらいや「ながいす」や「やかん」のちょうたつなどもふくめて)。「こうむ」はんぶん、あとのはんぶんはそうよぶこともできないようなざつようばかりである。ふぅっっっ(ふかいためいきのつもり)。
●きょうこれからのこともかいていい(苦笑)? まず12:30からくら〜いかいぎがひとつあってそのあとはきょうじゅかい。けんきゅうか(だいがくいん)いいんかいにもつづくそのかいぎをとちゅうでぬけたらうえのシンポジウムの「当日ボランティア学生」(うちのゼミから五めい、産業社会学部のN先生のゼミの院生が五めい、O大学の[おそらくは]院生が十めい)のうち立命生十めいの「かおあわせ」(あっ、まだそのためのメモをつくっていない!)のしかいしんこうやく――ああ、こんなじょうたいがきっとちょくぜんまでつづくのである。こうしてまだにっきをかく「よゆう」があるではないかというどくしゃがあるとすればのろってやりたい。[12:27]
2001年6月13日(水)la
●あたらしいBibloからのアップのじっけんです(そのまえにダウンロードしています)。さてこうなってくると「なまえ」をどうするかですね。かえるとなるとしかしリンクからなにからふくめてたいへんなのです。あんちょくなのは「かえない」こと。げんにいまそうしているのです。
●ところでこうしてみるとノート型だけでMebius(シャープ製;じっかの父にゆずった)、LaVie(NEC製;きのう四さいはんの子にゆずった)、Vaio(ソニー製;こいつつは[バッテリィの「もち」がよくないのがもんだいだが]モバイルのにゅうりょくマシンとしてとっかしてしようする)、そしてこんかいのBiblo(富士通製)と、ひとつとしておなじメーカーのものをかっていない。つまりそのたびごとに「もとめるきのう」と「よさん」などをはかりにかけてしんちょうにえらんだけっかがこうなのだが、いずれにしても一ねんに一だいというのはエコロジーもなにもあったものではないというのがじっかんである(ひやくしすぎ?)。こんかいだってDVD/mpeg2のさいせいのうりょくさえマシンにそなわっていればかいかえるひつようはなかったのだが、まあこういうふうにしてヒトはしぜんをこわしているのである(やっぱりひやくしてる)。
●こんやはこれからのみにでるしあしたはあさ一げんめにかいぎがあって(!)ごごにゼミけいしきのじゅぎょうがふたつつづく。おやすみするかもしれないオモテのにっきにかえるかのうせいもふくめて――。[17:06]
2001年6月12日(火)la
●かいぎのあいまに上新電機京都1ばん館にいってノートPCをかった(ストレスによる「しょうどうがい」っていうヤツか?)。きしゅはしたのさくじつぶんの1.7kgのヤツ。かるいほうはがめんがちいさくて、それだけならべつにもんだいないのだけれどプロジェクタをつうじてとうえいされるがぞうのせんめいどのてんでもおとることになるというので(こじんてきにはRGBしゅつりょくにがめんのおおきさはかんけいないのではとおもうのだが)B5ファイル・サイズの、もちはこぶのはすこしストレスになるがはんのうのはやさがそのストレスをおぎなってあまりあるものにおちついたのである。このせっていにまつわるさまざなまこんなんはこんごもかきつづられることとなるだろうがしかしこのこうにゅうによってけんきゅうしつでしようしていた、まさにいまこのにっきをかいているLaVieはいまそのしめいをおえて子どものあそびどうぐとしてだい二のじんせいをあゆみはじめることになる。ということでLaVie日記というのもほんの三しゅうかんのいのちであった。で、つぎからBiblo日記(笑)? いや、こいつはヘタをするとVaioのモバイルようのきのう(とくにりょこうちゅうの)もうばいかねない、そういういいいみで「ちゅうとはんぱ」なおおきさだ。そこではしかし「がくないLAN」か「がいしゅつさきのpppせつぞく」かのちがいによってウラのにっきはやはり二つのファイルにわけられねばならないだろう(じたくでのつうじょうのアップはとうめんValueStarからだ)。だったらこれまでのかつやくをきねんしてなまえはともにのこそうか…。ハイハイ、どくしゃにはどうでもいいはなしでした(笑)。[19:10]
2001年6月11日(月)la
●いちどはだんねんしたニューPC(ノート型)のこうにゅうだがまたムクムクとそのよくぼうがあたまをもたげてきている。というのもDVD-RAMドライヴをかったりしたのだがだいがくでそれをせつぞくしてもちいようとかんがえていたVAIOじたいがDVDディスク(あるいはmpeg2のデータ)をさいせいするにはスペックてきにむりがあることにきづいたからである(CPUのクロックが450MHZいじょうがさいていラインらしい)。そこで「こうほ」にあがっているのが富士通のFMV
BibloのMFシリーズ(オール・イン・ノートで1.7kg!)か同社のLooxのコンボ・ドライヴ付Tタイプ(同1.5kg)――VAIOのようなAVへんしゅうのうりょくはいらないしLaVieはバッテリーくどうじかんがみじかいのでデザインてきにはカッコわるいがうえのようなせんでこうほがしぼられてきているのである。いや、ここにきてちいさくてコンボ・ドライヴがついたマックの新iBookというのもせんたくしにはいってきている。そう、マック(山形ではそっちのユーザーだった)も一台ほしい。だがwindowsかんきょうのなかの一台はとってもムダであるようなきもする。なやむ(そんなばあいではないのに)。
●ちなみにおんとうにwindowsマシン(うえのでいうとBibloのMF)をかったらそれをふだんはけんきゅうしつ(いまこれをそのなかでうっている)でつかうことにして四ねんめにはいるLaVie(まさにいまこのLaVie日記をにゅうりょくしている)は子どもよう(ドラエもんのおべんきょうソフトをつかう[笑]?)にすることになる(こうすると細君からのえんじょがじゃっかんえられる)。あるいはLooxをかったらそのミニ・ノートがこんどからVAIOのかわりになる(VAIOが子どもようになる)。いずれにしてもウラのにっきのタイトルへんこうがおこる。どうでもいいか(笑)。[16:38]
2001年6月8日(金)la
●なんだかかいぎにあけくれた一しゅうかんがようやくおわった(とにかくじゅぎょうふたんよりもかいぎかんれんのそれのほうがおもいのはいじょうといいたい)。さあこれからほいくしょのおむかえである。「ざつむ」(笑)からかいほうされることはないということである。[17:33]
2001年6月6日(水)la
●つよきなしたのはつげんにはまたしてもふくせんがある。「はんき十五しゅうかいこう」もんだいである。あるべききゅうかをけずり、きょうがくスケジュールにもむりをきたしながらそれをじつげんして「たいめん」(がくせいにたいするものなのか、それとももんぶかがくしょうにたいするものなのか)をつくろうよりもきちんとじょしゅせいどをせいびしてじゅぎょうが九十ぷんフルにてんかいされるほうががくせいにとってもはるかにゆうえきなのである。いうまでもなくぼくはじょしゅにひつよういじょうにオンブしてもらうつもりはない。が、たとえばプロジェクタのせつえいじにプリントをはいふするほじょがあるだけでもどれだけきょうしはすくわれることか。しかしそのようなことは「立命館資本主義」のもとではじつげんされようはずがない。たとえてんちがひっくりかえっても――。
●キレちゃったの(笑)?――いや、LANでじょうじせつぞくされてしゅんじにアップがかのうであるこのじょうたいが「かるくち」をたたかせている(?)。[11:26]
2001年6月6日(水)la
●したのさくじょはどこかからクレームがついたとかそういうのではない。さいしょからひとばんだけとおもってちょっとはしゃいだのである。
●さて一げんめのじゅぎょうをおえてこれからちょっとざつようをこなしたらそのあとかみをきりにいく(北区小松原の「沙羅」)。そのあとはきょうはこうむをサボってソバかステーキをたべてひるねをする(うったえたいものはうったえたまえ、きょうはまだきのうのつよきだけはひきずっている[笑])。とうぜんひるまからのむ。それをじぶんにゆるしたいくらいにけさのじゅぎょうはエネルギーをつかった(あめのなかのきざいのうんぱん、パーツにまつわるトラブルへのたいしょ、そしてじゅぎょうそのもの)のだからである。ではまた(てがみみたいだ)。[10:56]
2001年6月5日(火)lb
●[削除しました。][18:17]
2001年6月5日(火)la
●[削除しました。][17:40]
2001年6月4日(月)la
●四日ぶり、6月さいしょのこちらのにっきでは、まずはまさにこのにっきをかこのページへとおくるタイミングについて――VAIO日記とどうようにふくすうのつきにわたるぶんしょうをまとめてということに。
●さてほんだい――いやなことがあった。せんたくきのしゅうり(けっきょく15時になった)をまつあいだにひさびさにヴィッツのせんしゃをしているときみぎがわリアドアにちいさな(ゆびさきだいでうっすらとした)ヘコミがあるのをはっけん。かなりよごれていたのできづかなかったのだがあきらかにドアをぶつけられてできたもので、さいわいコーティングのおかげでみがくと「いろ」や「つや」はわからなくなったが「かくど」(こうせんとまわりのじょうけいのうつりこみ)によってはひょうめんのへんけいにきづかないわけにはいかない。こういうヘコミはちいさかろうがもうすこしおおきかろうがしゅうり(「だせば」のはなしだが)のねだんはかわらないのであってみればせっかくせんたくきのほうがかいかえることなく一まんえんちょっとのしゅうりだいですんだラッキーも「ちょうけし」である。いや、きんせんめんよりもぶつけられたことそれじたいがくやしい。だがそんなことをいってたらどこのスーパーにもとめられないことをわれわれはしっているわけで、ならばいつものように「もっとおおきなじこをおこすかのうせいがあるところをこのヘコミによってすくわれたのだ」といいきかせて(いつもそんな「かいしょうほう」でのりきっているワケ[笑]?)まえむきにいきていく(オモテのにっきではふれない)ことにしよう。いじょう、このけんはこれでオシマイ。[18:12]
2001年5月31日(木)lb
●木ようびはじつにじつにあわただしい。ごぜんちゅうはさくじつしめきった小レポート(三十五めいぶんほど)をよんで「基礎講読」(三げんめ;二かいせいむけ)ようのしりょうをさくせいして(といってもプリントにする八にんぶん[A3版両面分]をえらんでリソグラフをまわすだけなのだが)それでじかんがつぶれてそのままおにぎりをほおばっただけでゆうこくのゼミしゅうりょうまでやすむひまなし(がくせいのはっぴょうがちゅうしんになるのでしゃべりっぱなしではないが)。で、そのあとめんだんを二けんこなしたあとあすの「外書講読」(ナショナル・ギャラリーしょぞうのヤン・ファン・アイク《アルノルフィーニ夫妻の肖像》にかんするテキスト[英文]をよむ)のためのずはんのダウンロードをたったいまかんりょう(こうやってじゅぎょうでもちいるばあいの「ちょさくけん」もんだいはどうなるのだろう)。ねんれいのせいもあるんだろうが(いずれちゃんとほうこくするがすこし「ろうがん」[笑]がはいってきたきがする)このじかんにはぐったりとなる。いや、きょうはまだおむかえにいかなくてすんだだけマシなのだが。
●そうしてさあそろそろかえろうかとなるわけだがゆうしょくをとったらそのあとおきていられるかまったくじしんがない。じっさいきのう(あさ一のじゅぎょうのあとにかいぎが三つつづいた)はダウンした(にっきはそれでやすんだ)。そう、「のまない」けついはきたくごしゅんじにしてゆらいだのであったがこんやはぜったいにのまない(あすがけんこうしんだんさいしゅうび)。さっきでんわ(カエルコール)でもそのようにせんげんしたらしょくばでイヤなことがあったらしい細君は「ワタシはかってにのませてもらうわ」といっていた。つらいよるになりそうである(笑)。
●カエルコールをかけてから十ぷんほどもキーをたたいている。かいもののことづて(ちょうみりょうをしょうしょう)をされたのにしかられそうである。[19:05]
2001年5月31日(木)la
●したのさくじつぶんのひょうき二かしょをなおした。[12:51]
2001年5月30日(水)la
●オモテではなんどもわだいにしている「めばちこ(かわいい)」もしくは「ものもらい(いやしい)」あるいは「めいぼ(とってしまいたい)」がひだりめをおそっている。まえかがみになるとすでにそれだけで「いたい」。くらいなぁ。しかもそとはあめ。かさはあるけど(くだらないダジャレだ)いえにかえってもアルコールをのめない(のまないとやくそくした)。あさってのけんこうしんだんのため(しんけいしつなようだがきょねんは「さいけつ」による「けっとうち」でひっかかってさいけんさをうけるはめになってそのとき二日アルコールをたつことをきょうせいされた[そのあたりのじじょうは2000年7月18日(火)bでふれている。ちなみにさいけんさのとうじつ[同年7月24日(月)]にはニゴとそのきょうだいのごうけい三びきのすてネコのだいじけんがって「それどころではない」じょうたいであったことがしれる。とうじつのa、b、c、dをさんしょう])。かなしくてかなしくておもわずのみつぶれてしまいそうだ。
●せんじつLaVieの再セットアップをじっこうしてそこそこかいちょうなコンピュータかんきょうにもどったのにまたあたらしいパソコンのこうにゅうするかどうかであたまをなやませている。DVDもさいせいできるいわゆるコンボ・ドライヴないぞうのA4ノート・パソコンだとじゅぎょうしんこうにあたってべんりだしりょこうもたのしくなるだろう、と。いや、じっさいはDVDをさいせいしたいとかんがえているのはもっかのところ二かいだけだし(そのうちの一かいはゴダールさくひんのじょうえい[ばっすい]だ)たびさきのホテルでDVDをみることもほとんどかんがえられないのだが(笑)。[17:00]
2001年5月29日(火)la
●むなしいかいぎが一けん――ざいがいけんきゅう(いわゆるサヴァティカル)にでることができるきょういんのひりつがほかのがくぶとくらべてすくないからというのできょういんのきゅうりょうからまいつき二千えんを「てんびき」して「ききん」をつくって一めいぶんのわくをしんせつするのだそうだ。ほかのがくぶとのふきんこうをぜせいするどりょくいぜんにそのようなさくをこうじるのはすじちがいである。じっさいまたきゅうよやけんきゅうひのすいじゅんはわがだいがくはけっしてたかくはないのである。いかりがこみあげてきたので(いつもは「うえ」と「した」のいたばさみになるやくまわりだが)きょうはきわめてつよいちょうしではんたいいけんをのべた(げんりげんそくろんとしてのはんたいと、さんせいしゃたすうなら「さんせいしゃ」だけでそういうせいどをつくったらどうかというぎゃくていあんをふくむ)。にもかかわらず十めいほどのしゅっせきしゃからはわがいけんへのさんどうのこえはあがらなかった(ひとつのりゆうはこちらのいいかたに「けん」があるからだ)。らいしゅうはこのていあんがきょうじゅかいにかけられる。おなじはんたいいけんをよりつよいちょうしでのべることをせんげんしておいた(笑)。(りっぱながくぶちょうだとそんけいしていたが「ちょうけし」である。)[17:52]
2001年5月28日(月)la
●さくやにっきがわりにかきこんだ第2室(いやにっきそのものもかいているだが)の「コンサートひょう」がチケットをタダでいただいた(がくないをあるいているときにしらないがくせいさんに)にんげんのそれにしてはよそよそしすぎるとおもわれていっしゅんさくじょをおもいたった。が、すでにカウンタが十五ほどもまわっているのでかんねん。リップサーヴィスこそがよそよそしいかんけいをつくるといったこともおおいにありうるので。
●きのうもかいたようにこちらのにっきはチャットのようにアップすることもかのうなのでまとまりがつかなくとも「ひとりごと」のように(ちなみにオモテのモットォはきほんてきにすいこうなしの「ひとふでがき」である)。[15:00]
2001年5月27日(日)la
●さくやオモテのにっきにかいたLaVie(いまつかっている)のTCP/IPのせっていがすんだ。これでけんきゅうしつではLANによる「じょうじせつぞく」のかんきょうがふっかつ。となるとダラダラとかきながらしゅんじにサーバにアップすることもかのうである。これがのぞましいにっきのありかたかどうかはべつにしてそろそろオモテのにっきの上フレームからのリンクもせっていするよてい。
●ちなみにけんきゅうしつにきておもいだしたのだがきょうは15:00から京都コンサートホールで立命館大学交響楽団のていきえんそうかいがある。ヴェルディの《ナブッコ》のじょきょくにはじまってブラ2でしめられるプログラムの第二きょくめがベートーベンのVn協。じつえんにおけるソリストのひやひやもののパフォーマンス(オケもきょうはアマだぞ)をみるのがけっこうすきなにんげんとしてはかけつけないわけにはいかない? いや、よるはよるでまたえいがをみにいくよていではなかったのか? おんがく/えいがざんまいしていられるみぶんでないことはたしかなのだけれど。[12:27]
2001年5月25日(金)la
●けんきゅうしつからもひびのざっかんをアップできるようにLaVie日記のページをつくった。とりあえず「ひこうかい」ですすめて、いつかひとしれずオモテのにっきを上フレームからリンクをはることにしよう。――以上、とりあえずかいせつのじ。[12:50]