2001年2月28日(水)b
●したのa4月いこうにこのにっきのスタイルのへんこうをかんがえているむねをかいたがいざそうかいてみると(というよりもかいたことによって「もんだい」がいしきかされて)そのしあんのために3月いっぱいをかけるというよゆうのあるかまえかたじたいがしらじらしくおもえてこないでもない。しゃしんけいしゅつというあたらしいようそはさいきんくわわったが(笑)テクストとしてのクオリティ(この「ひとふでがき」にそのようなひょうげんをもちいることがかのうであるとすればだが)がおちていることはあきらかである(つかれによる「もうそう」そしてのちに「きゆう」であったとおもわれればいいとおもうが)。なぜにっきをかいてそれをこうかいするのか――ひいてはまたよせてくるなみのようなといであるにすぎないのかもしれないがいずれにしてもいまそのなみがきゅうそくにこちらによせてきているのはたしかである。――ホラすでに「…おもえてこないでもない」、「…ことはあきらかである」、「…のはたしかである」のながったらしいぶんまつのれんぞくがさくぶんのうりょくのていかをものがたっている「ことはまったくもってうたがいようがない」。[23:18]

2001年2月28日(水)a
●2月もさいしゅうび。さくじつまでのじてんでにっきは82KB(ただしHTMLのしょしきじょうほうもふくむ)。しんきろくをつくったせんげつが88KBだからさすがにこんげつはすこしすくなめですむにちがいない――とおもったらおおまちがいである。じっさいは三日にっすうがすくないうえにVAIO日記のほうでおそらく20KBぶんほどもかいている。ちゃんとしごとをしているのかどうかしんぱいしてくださるかたがいる(笑)のもどうりである。
●だからというのではないがじつは3月いっぱい(かきはじめてちょうど一ねん)をもってすこしにっきのスタイルをかえたいともかんがえている。にっかんのメルマガのようにすればというちじんもいるが(笑)そこまでピエロをえんじるつもりもない。なんというか…そのつきのぶんをいちいちぜんぶアップしなくてもすんでしかもしゃしんのけいしゅつ(やっぱりつづけるんじゃないか)もラクでこうかてきなそんなほうほうがあればこの一しゅうねんをきかいにのりかえたいということ。ネットでいろいろさがすのだけれどいまのところt-cupのゆうりょうけいじばんをかんりしゃのみかきこみかのうなモードとするのがいちばんてっとりばやいかとも(ジオのはこうこくがはいるのとサーバのふぐあいがおおいらしいのとで二のあしをふんでいる)。
●これから「かみん」を四十五ふんほど。おきてチャーハン(あさごはんにとつくっていったやつ)をたべてかいぎ[さくやぶんをさんしょう]とさくやおそくにそうだんがあったがくせいのめんだん。ないようはしゅうしょくかつどうようのエントリーシートのしどう。ワタシらこういうのもヤルんですのよ(笑)。[10:50]

2001年2月27日(火)
●しゃしんは一にち一まいという「げんそく」(いつきめたの?)にはげんみつにいえば(VAIO日記もあわせると)ていしょくするのだけれどおおめにみて都内某所の「K庵」(けいしゅつのきょかをとっているわけではないのでこうかいておく)でおひるにしょくしたメニューを。ここのソバはめんそれじたいとしてはとびぬけたものではないがカラめの、そしてなによりぜつみょうのコさのツユとであうとウマさがばいぞうする(けっしてタップリつけてはならない)。ふつうはしないのだがソバのまえにてんぷらなどをとって日本酒とそれで「した」をなめらかにするという江戸歌舞伎のせかいにもつうじるしょくしかたをしたくなる。「したくなる」ではなくきょうはまっぴるまからじっせんした。しゃしんはシバエビのかきあげと日本酒(新潟の「月不見[つきみず]」のれいしゅ)でホロよいきぶんになってきたところにタイミングよくモリ(大)がとどいたところ。びみであった。ただしできればランチ・タイムははずしたいところだ。せわしいからというよりも「ひるまからこのひとなにやってるんだろ?」といわんばかりのまわりのおきゃくのまなざしがすこしきになる(ひるさがりのじかんたいにはおなじようなにんげんがポツポツといる)。
●きょうはこのあと新宿のTOWERでしこたまCDをかいこんでからルミネ七かいの「築地玉寿司」にも(ざんねんながら板橋の「いなば」[ちかいところでは2000年12月27日(水)bをさんしょう]はランチタイムはえいぎょうしていない)。ソバから二じかんほどしかたっていなかったのでやすあがりですんだがそれでもいつもの玉(ぎょく)のセットにおこのみで数ネタくわえてそれこそまえかがみになるのがくるしいくらいになってそれで京都への「きろ」へ。ちなみにそうしてしんかんせんにのってからしゃちゅうでおこったちいさな「じこ」についてはそのばでVAIOのキィをたたいたぶんしょうがこのオモテぶんとぜんごしてアップされるかもしれないのでどうぞそちらのほうを。
●あす。いきなりげんじつにかえる。まず3月ぶんのおやちんのふりこみ。ひるからまたいつもアタマをなやませるあのかいぎ[ちかいところでは2月23日(金)aをさんしょう]がある。そのあとはさすがに3月2日のべつのかいぎようのしりょう[2月24日(土)a 、25日(日)bをさんしょう]をさくせいしなければならない。そういったもろもろのことがあるのでこんやははやめにしゅうしん。[23:50]

2001年2月26日(月)はコチラの日記はお休みしました。

2001年2月25日(日)b
●かいぎようのしりょうさくせい[さくじつのcをさんしょう]はよていしていた五ぶんの一のりょうにもたっしなかった。だがこういうしごとの「だいごみ」はぜんやイッキにしあげることにあるというきがするし(こうむのたいはんはそれでのりきってきた)またそもそももくひょうをとうしょかんがえていたはんぶん[あるいはレジュメていどのもの]にげんじてかまわないしごとであるようにいまはおもわれる(いいわけ)。
●というわけであすはじょうきょうするかくごをきめた。東京家政大学での六ねんかんの「ひじょうきんこうし」じだい(1992-97年)をいつもたのしいものとしてくれた「おんじん」というべき画家S氏の、ざいにんちゅうのものとしてはさいごのこてんがこんしゅういっぱいひらかれていて(銀座、みゆき画廊)しかもこっちはしゅうまつにむけてどんどんいそがしくなるのだからである。となるとあすはとうぜん氏のおしえごの「げんえき」じょしだいせいあるいはOGのしょくんらとのむことになる(このセンセイはほとんどまいばんそうやってのむのでうえの六ねんかんはこっちもまいしゅう月ようびはのみあるいていた)。ひがえり?――さすがにちょっときついので(まだJRチケットもホテルもとっていないけど)にっきもどこかからVAIOで。
●ちなみにこのじょうきょうけっこうによってさくやおそくにあけたワインをこんやのうちにのみきるひつようがでてきた(ひるのワイン[したのaをさんしょう]もこのことをみこんでのものだった)。これはなによりもじゅうようかつせっぱくしたしごとである。
●ついでに――「過去の日記」をだいがくのサーバ(むりょう)にうつした。さすがにいまのようなペースがつづくことはないだろうがさいきんけいしゅつしはじめたしゃしんがこんごちくせきされていったらプロバイダ(BIGLOBE)のこじんようスペース(もちろんゆうりょう)はそうばんいっぱいになってしまうだろうからである。いずれにしてもそのページにブックマークをつけてくださっているどくしゃ(そんなひといるかいな[笑]?)はURLのごへんこうを。[24:10]

2001年2月25日(日)a
●ごぜん。母子ががいしゅつして(うけもっているがくせいの「こっかしけん」ごうかくきがんのために北野天満宮にでかけた)しごとをするぜっこうのかんきょうがととのったのに(さくやのせんげんもくつがえして)ドライヴへ。ルートは上賀茂から府道61号をほくじょうしてとちゅう雲ヶ畑から同107号にはいり杉坂口で周山街道(国道162号)にごうりゅうして京都しないにもどる三十五キロほど。で、きょうのしゃしんは府道107号の「みほそう」のけわしいやまみちをかけあがったところの持越峠(カーナビによれば北緯35-06-38、東経135-42-54)から東に雲ヶ畑のしゅうらくをのぞんだふうけい。これがしないからたった十五キロほどのちてん(しかも立命館があるのとおなじ北区)なのだから京都はやはりいなかであるといいたいがそれよりもそのとうげのな(「もちこし」というところ)がわがライフスタイルにそぐうところがあって(笑)きにいったのである。
●ごご。PCにむかっているがこうしてにっきをかいているようではしごとのすすみぐあいがしれようというものである。しかもおすし(スーパーの)とビール+ワインでひるねのたいせいにすでにはいっている。こんやにかける――というよりもたまにはこうしてのんびりするごごのひがあっていい。[14:35; 15:20じくしゅうせい]

2001年2月24日(土)b
●父がだいがくでだいがくいんにゅうしのめんせつかんをつとめているころ母は子をほいくしょにむかえにいっておなじく子(ヒロくん)をむかえにきたひもだYさんとあって父のかえりがきょうは22:00ころになるかのうせいもあること(じっさいはしたのaでかいているとおりじゅんちょうなしんこうで20:00まえにはきたくしたのだが)をはじめてしったらしい。家人よりもにっきのどくしゃのほうがわがスケジュールをはあくしている(笑)。
●そういうふうにして夫のきたくじかんをはあくしたのにいったんはコンブで「だし」をとろうとそれをみずにひたしてそのだんかいでソウカこんやはおそいのかとほうちしたものがあったので(じょうきょうがわかるかな)その「だし」をつかってさっきユドウフをつくった。トウフじたいはイズミヤでうっている〈京とうふ藤野(株)〉の「京木綿」(かなりおいしいがときどきできのわるいやわらかめのがあるようにおもう)だがひかくてきじかんをかけてと(ることにな)った「だし」のおかげもあってとっても「びみ」にできあがった。ちなみにうえのしゃしん(けっこううつくしいとおもわない?)はもちろんたべるまえのじょうたいをうつしている。そのかたわらにあるワイングラスもうつしたけれどそれまでアップしたら大阪弁にいう「イチビリ」になるのでそれはやめた。
●しごと(AOにゅうしのそうかつにかかる)はあらすじをあたまのなかでかんがえてそこでちゅうだん。やはりせっぱつまらないとうごかないタイプである(笑)。[26:40]

2001年2月24日(土)a
●ながびくのではとしんぱいしたかいぎ[したのaをさんしょう]は19:30ころしゅうりょう(そのごもこうそくされたどうりょうきょういんたちがなんじまでのこったかはしらない)。そのまえのだいがくいんのにゅうしのほうもへいおんにはんてい(せんこうないぶのもの)まですすんだ。ゆうしゅうろんぶんのせんこう(これもせんこうないぶでの)ではわがゼミのがくせいのもの(ポロック論)が二ほんのうちの一ぽんにえらばれた。これはじゃっかんのかいていを3月ちゅうにすませて『学生論集』というさっしにけいさいされる(できればわがHPないの「ゼミ」のページでのけいしゅつもけんとうしたい)。
●さくやはデジカメがうれしくてばかげたことをかいたが[したのcをさんしょう]すぐにこういうネツはさめるだろうからこんやもゆるしてほしい(笑)――けさちょうしょくをとったマクドナルド金閣寺店の二かい(おくが「とくとうせき」)。がめんのみぎがわに西大路通のわら天神まえのこうさてんがみえるがそこをひだりぜんぽうにいけば立命のほうにでる。ひだりてまえがわ(白梅町ほうこう)に西大路通をくだるとすぐにひもだYさんもりようされる「ビストロ・ポンパドゥール」[2月8日(木)va(VAIO日記)をさんしょう]がある。ソウみぎはしできれているやまのさんろくに左大文字の「大」のじがよまれる。――とコンナことをかいてなんのいみがあるのだ(笑)。
●すうじつらい京都はわりとあたたかくてクルマをはしらせるときはまどをはんかいさせるほどであったがまたふゆがたの「きあつはいち」にもどりつつあるという。じゃあドライヴもやぁめた。あすは一にちかけてAOにゅうしのそうかつ(3月2日の「文学部拡大集中調査委員会」[あさからばんまでのロングランのかいぎ]でしよう)のためのぶんしょさくせい(これはそれくらいたいへんなしごと)。それがあすじゅうにかたづけばあさってはVAIO日記をかくしかない「たび」にでるかも。
[23:39]

2001年2月23日(金)c
●したのaでUSBとすべきところをUBSとしている。なおさないでここにこうめいきしてはじいることにする。いうなればSKO(サイトウキネン・オーケストラ)をSKD(松竹歌劇団)とまちがえるようなものである。
●くだらないはなしだがゆるしてほしい――aにかいた「季楽」いがいでもこんごデジカメでアップしていくことになるであろうしゃしんのかずかず。マクドナルド金閣寺店、こじんけんきゅうしつのしつない、黒ヴィッツ、御室保育所、ステーキ「しまだ」、おいしいワイン、三方五湖の湖岸、寿司「いなば」、ふゆの広沢池、京都芸大のろうか、…etc.[25:55]

2001年2月23日(金)b
●ためしに――こんやはわがやのマリだけをとくべつに。[25:04]

2001年2月23日(金)a
●あさ。せんじつちゅうししたドライヴ[2月21日(水)aをさんしょう]をけっこう。山科まではすでに9:00すぎにしてすこしじゅうたいしていたが西大津バイパスいこうはかいてきそうこう。比叡山から白川通にくだってからはまたこんざつするなかを丸太町通川端東入にむかい某ギャラリーでK氏のこてんを「かんしょう」(ほんの一ぷんぐらいでもそうかいていいのかな)。京都にきて三ねんめがおわろうとしているのにギャラリーはほとんどしらない。げんじてんでのびじゅつへのかんしんのほどをよくものがたっている(ただし京都芸大[同16日(金)aをさんしょう]の[てんじふうけいよりもそのかたわらの]ざつぜんとしたアトリエやロウカのこうけいがわすれかけていたなにかをおもいおこさせてくれた[センチなかきかただが]というかんじはここ一しゅうかんほどつづいている)。
●そのあといつもの「トミナガ」でまたしてもワインを五ほん+ビール一ケースをかってから上新電機京都1ばん館へ。そこでねんがんのデジカメ(笑)をこうにゅうしたのだがしょうひんせんたくにまよいにまよった。すなわち「こうきのう」をとるか「かるさ」をとるかでけっかてきにそこそこりょうほうをみたすもの(F社製)をえらんだとはおもうがどっちかといえば百五十グラムという「かるさ」におもきをおいたせんたく(つまらないギャグだ)。
●さて14:30〜16:30のかいぎ(ひもだYさんがどうせき――もじどおり「となり」にすわられた)はねむくてしかたがなかったがなんとかめをさますためにデジカメのマニュアルをちらちらのぞいてはじぜんのオべんきょう。だがこうしてあたらしい「じょうほうきき」(とよんでいいだろう)をにゅうしゅするといつもしょにちにあじわうくろうはやはりまっていてつまりきょうはUBSでせつぞくをしてもさいしょはいっこうにあたらしいデバイスとにんしきしてくれないのでいちじはこうにゅうしたとうじつにおクラいりさせようかとおもったほどであった(二じかんほどかかってなんとかうまくいったがwindows MEようのきじゅつがマニュアルにないのがわるい)。
●いずれにしてもこれでわがライフスタイルに「しんきじく」(笑)がもたらされることはまちがいない。なんとなればどこにでもこれをもちあるいてこのとりとめのないにっきにヴィジュアルないろどりをあたえることがかのうとなるだろうからである。さしあたりつぎに「季楽」[ちかいところでは2月16日(金)aをさんしょう](せんじつあるどくしゃからこんどたべにつれていってくださいといわれたがそうしたデートにふさわしいばしょではすくなくともない)でおひるをたべたときにそのもっちりしたソバとりっぱなたてもの(笑)をさつえいしてこのばしょにアップするなどの「あん」がうかぶ。乞うご期待。
●あす。ごごにだいがくいんのめんせつを二めいぶんたんとう(はんていなどのためのかいぎはよる[さくねんは22:00すぎまでかかった]にズレこむ)。そのまえにしゅつがんにさいしてていしゅつされたろんぶん(これは二めいぶんにとどまらない)をよむじかんをつくらねばならない。あいかわらずいそがしいな(といいながらけっこうクルマははしらせているではないか)。[23:40]

2001年2月22日(木)
●あさ。ひたすらりょうしゅうしょのせいり。このじきのきょういんのだいじなしごと。
●ひる。リービ英雄『日本語を書く部屋』。そのひょうしにもちいられているしつないしゃしんがかれのへやのものであるならなんときょうかんのかんじられるばしょであるだろう(かれのでなければとんでもないサギだ)。とにかくコントン(笑)。もう一てんのきょうかん。かれのにほんご、というよりもひらがなへのこだわり(まだよみはじめでじゅうぶんしゅだいかされているのかどうかはさだかではないが)。このばしょのひらがなへのこだわりもすなわちにほんごへのそれであったのかと(すくなくともいっしゅんは)おもわされる。科研費をつかいきるためのほんのこうにゅうの「よはく」にえられたメッケモノ。
●ゆうこく。おむかえはまた母がいくことに。せいぜいムリをしたまえ。こっちはラクさせてもらってありがたいだけだから。
●よる。N氏とのむ。よそうされたとおりネコちゅうしんのわだい。それとかれのよげん――ぼくはあと十ねんほどは「がくないせいじ」にまきこまれてそのごはだいがくきょういんをやめるだろうと。するどいよげんである(であったといつかおもわれるであろう)。
●よる2。反町・松嶋けっこんのニュース。げいのうかんけいにはけっこうメがないくせに(笑)これはどうでもいい「けったく」のひとつである。
●あす。こじんけんきゅうひのよさんがすこしあまっているので(あきいこうはつかうヒマがなかったのだ)デジカメをこうにゅうしようかとおもう。プリントアウトするテマをおもってちゅうちょしてきたのだがひたすらCDにやいてほぞんしていけばいいとおもうとラクである(ほぞんしてどうするのだろう)。
●そうとうのんだのにへいきでにっきをかいている。かんぜんににちじょうのいちぶになっている。[23:25]

2001年2月21日(水)e
●TVドラマ『青い鳥』は夏川結衣えんじる「香織」[字はふたしか]があっけなくしんだ。なんぼドラマでもかなしすぎる。ちなみにむじつの豊川悦司えんじる「駅長さん」はちょうえき八ねん。たえがたいきゅうてんかいでむねがくるしいが(こんなのをみたひにはねむれないんじゃないか?)それにしても「終着駅」とだいされたきょうのほうそうぶんがさいしゅうかいだったのか(でもだい七わである)?
●と、こんなにっきをかきつづっているきょういんはあまりいないだろう。[26:40]

2001年2月21日(水)d
●あすのよるはのむときまるとしごとのすすみがはやい。あさってのかいぎようしりょう(あすのよるさくせいするつもりだった)はかんせい。やはりおいこまれるとつよいタイプである。(だからNセンセイ[山形にもどられてからこのにっきをよむかのうせいがある]えんりょすることはないのだからね。)
●だがあすはそののみかいのまえにおむかえのぎむがはっせいしている。きのうきょうと子をむかえたのは母であったがそうとうなムリをしてしかもタクシーをりようしている。まいにちタクシーでほいくしょにかよわれてこたえないようなゆうふくなうちではないのである。[24:30]

2001年2月21日(水)c
●よる。すこしまえに山形の元どうりょうN氏からでんわがあり「ちょうさ」でいま和歌山にきていてあすは京都泊とのこと。河原町あたりでのむことになった(「招猩庵」[三条、旬の和食]をよやく)。氏にはさくねんあきのけんしゅうりょこうのいんそつのさいはたいちょうふりょう(ぜんそく)でしつれいをしたし[2000年11月3日(金・祝)をさんしょう]ねんまつにはその愛猫コナちゃんの死のほうにせっしてそのかなしみのいちぶをきょうゆうした[同12月18日(月)、23日(土)、24日(日)aをさんしょう]。のみながらはなすべきないようはつきない。
●なのであすのよるはとうぜんしごとをしない。ひるましっかりとはたらく。もちろんドライヴもない。[21:55]

2001年2月21日(水)b
●ゆうこく。さくじつアップしたわがやのネコたちのしゃしんのキャプションにあやまりがあった。ニゴとかくべきところをセリとかいたのでセリの名のネコが二ひきいることになっていた。さっそくていせい。[20:00]

2001年2月21日(水)a
●しんやにけいかくしたドライヴはちゅうし。りゆうは二つ――(1)三条〜山科〜西大津バイパスはしょっちゅう「じゅうたい」する。(2)子は母がじてんしゃでおくってかのじょもそのまましょくばに「じりき」で(じてんしゃはほいくしょにおいて)むかったからアッシーとしてクルマをだすひつようがなくひいてはねんぴこうじょうのためのロングドライヴ(笑)のひつようもなくなったから。こうしゃのりゆうはふくごうてきである。ふゆのあさのじゅんびはおくれがちでいつもぎりぎりになるしまたゆうがたはゆうがたでしごとのつごうでむこうのかえりがおそいのでついついめんどうで父がクルマをだしてりょうほういっきにおくりむかえするパターンがつづいていたのだがおとといのよるにベッドで子が母にそっと「おかあさんにおむかえしてほしい」といったらしいのである。母はそれでいたくはんせいしてそのためにまずはさくゆう17:00にしごとをきりあげてほんとうにひさしぶりにおむかえのにんをはたして(ひもだYさんとそうぐうしたはずだ)けさもまたいつもよりも十五ふんはやくじゅんびをすすめてじてんしゃででかけたというわけである。めでたいことだ。だがここでおもうのである――あさはねむくてもクルマをだし(そのうえねんぴのためのドライヴまでかんこうし[笑])ゆうがたもどんなロングランのかいぎもとちゅうでぬけてほいくしょにむかっていた父のたちばはどうなるのであろうか。子にしても「おかあさんに…」のもんごんはもちろん「いつも」そうせよということではなく「たまには」といういみなのであろうがいずれにしてもひとことでかわるかねぇというのがわがそっちょくなぎねん(笑)である。
●このちゅうしをうけてなにをするか――こじんけんきゅうひのりょうしゅうしょのせいりでも。[08:45]

2001年2月20日(火)c
●あす。11:00にがくせいのめんだん(きのうも一けんあったのだがこのじきこんなにめんだんをやってるきょうしはあまりいないようだ)。11:30から15:00ころまで「てんせき」のしんさのためのめんせつなど[2月8日(木)a、14日(水)aをさんしょう]。ということは子のほいくしょへの(そして母のしょくばへの)おくりをすませたあと一じかんはんはよゆうがある。ということでルートけってい(笑)――三条から蹴上をへて山科にはいり西大津バイパスへ。そこから比叡山の山越えルートをとって下賀茂神社のほうにでて北大路どおりけいゆでじたくへ。ノンキだねぇ。イヤしごとはせっぱつまってからヤルしゅぎ(サガ)なのである。[25:36]

2001年2月20日(火)b
●ひる。かいぎがまた二じかんはん。じゅぎょうとどうように九十ぷんをかいぎのじょうげんとしてもらえないものか。それになにかをかいけつするとつぎのしごとがふえる。このしごと(なんどもグチってきているものだ)にくわえて3月2日(金)のあるじゅうだいなかいぎではAOにゅうしにかかるわがぶんがくぶの「そうかつ」もせねばならなくなった(とうぜんぶんしょさくせいがからむ)。まるでありじごくである。
●よる。スキャナのふちょう[2月18日(日)dをさんしょう]のげんいんがわかった(こういうばあいいつもそうだがかんたんなそうさミスがあった)。さっそくスキャンしたいとおもっていた二まいについてさぎょうをすませてそのうちの一まいはサーバにアップしてタマのページの上フレームからリンクをはった。げんざいわがやにいるネコ三びき(マリ、セリ、そしてニゴ)がみなそろってこっちをみているめったにとれないしゃしんである。そうしてもう一まいは子がえがいたサツマイモのえ[1月9日(火)a、20日(土)a、21日(日)a]。これはどこにおいたものかみょうあんがうかばない(笑)。いいばしょがうかんだらそちらでいずれ(プライヴェートなしゃしんもイイものだとさいきんおもったから)。
●いま。せんじつかいこんだ「120」というチリ産ワイン[2月8日(木)bをさんしょう]をのんでいる。すこしかるすぎるかなとおもうがこれもちゃんとしたレストランなどでは\5,000はくだらないだろう――とクラダラナイことをかんがえながらのむといっそうおいしい(笑)。のみながらのしごとはこんやはあまりすすまない。ワインのせいではない。ふとかたわらのちずにてがのびてしまうのである――つぎはどこを「ぼうそう」しようかと(笑)。とりあえずかんがえているのはまた「季楽」(亀岡・犬甘野)[ちかいところでは2月16日(金)aをさんしょう]でソバをおおぐらいしたあとに府道733号(とちゅうで「みほそう」の一しゃせんのけわしいやまみちになるようだ)をたどって洛西ニュータウンのほうにぬけるルート。なんらエるところもないドライヴだろうがそういうのがげんざいのわがみにはこのましい。はやければ23日(金)のかいぎ(14:30〜16:30;どうせのびる)まえに? もしもおくれたらマズいか。イヤ「かくしんはん」てきにおくれてしまうテもある(笑)。[24:10]

2001年2月20日(火)a
●さくや。にっきをサボるとたしかにほかのしごとがすすむというかんじがすこしはする。そうでないようなきもする。よくわからない。
●けさ。かいぎはひるからなのでマクドナルド(国際会館前店?)でほんをよみながらちょうしょくをとったあと四十キロほどの「ねんぴ」こうじょうのための(笑)ドライヴ。すなわち鯖街道を北にのぼって大原・寂光院手前から府道40号にはいって静原をぬけて上賀茂にぬけるルートでとちゅう叡山電鉄をこえたところ(市原駅あたり)からちずにもないあたらしいみちがかいつうしていたのだがそこもまたこうらくシーズンや土日はこんざつする大原あたりまでもふくめてであうクルマはきわめてすくなくとてもかいてきなそうこうであった。こんごはたんきょりのそうこうがつづいたあとにはときどきこのルートできばらしをかねて…。
●だがじつはほんしんはといえばそのままほんの一じかんほどもかいそうすれば日本海側にでてしまうことをおもってきょうのひるからのかいぎをのろったのである。イヤ、かいぎがなくても「ほかのしごと」のことをおもうとその小旅行にふみだすことはなかっただろうとおもうのだがいずれにしてもきもちがすこしフワフワしていることはまちがいない。ひざしに「はる」のよかんがかんじられるようになったからだろうか(これくらいのあたたかさであればクルマのメンテナンスさぎょう[2月18日(日)cをさんしょう]もきがラクである)。[11:40]

2001年2月19日(月)b
●さくじょしないというただそれだけでいいきになってもしかたない。さくじょしない(できない)のならさいしょからかかなければいい。ということでこんやはこれだけで(けいじばんにエネルギィをふりむけるとするかな?)。[22:30]

2001年2月19日(月)a
●さくやのアップぶんがはじいるべきないようであることはじぶんでもすでに(あらかじめ?)きづいているがことしはそれはだんじてさくじょされない。だがそれにしても二十八にちしかないつきの三ぶんの二がけいかしたじてんでペースとしては一かげつぶんとしてのしんきろくをこうしんしそうないきおいである(これでVAIOぶんをたしたらどうなることであろう!)。こうしたじょうきょうをみるにつけ「げんこう」もにっきけいしきでかけばしゅびよくすすむのではないかというげんそうにまたしてもとらわれる。もっともそれをためしたといえなくもない「モダニズムの条件」のほうはいまいちせいこうしたとおもえないのだが。
●サアねむいのですけどもうすぐほいくしょに子をおくりとどけてまいります(って、こうなるともはやにっきではない)。[07:55]

2001年2月18日(日)d
●愛知県芸大のシラバスはくじゅうのすえに「留意事項」らんのウルトラCのきじゅつ(はるのHPこうしんをおたのしみに)できりぬけた。なのでメモがわりにざっきをしょうしょう――。
●あるしゃしんをHPにアップしたいのでスキャナをひさびさにひっぱりだしたのだが(もう三日ほどまえ)ちょうしがわるい。せいど(dpi)もひくいしそろそろかいかえようかナ。しかしこうやってムダなししゅつをふやしていくのである(もちろんそうやってかんきょうはかいをしんこうさせる)。
●ひとしごと(うえのシラバスただそれだけのこと)をおえたあとのワインはおいしい。おいしいりゆうのもうひとつはひさびさのペイントシーラントのメンテナンス[したのcをさんしょう]をすませたことだ。いいしごとをしたひ。
●くだらないげいのうかんけい。いぜんアヤちゃん(さてダレでしょう[笑]?)と清水寺のさんどうをデートしていたときに三井ゆりがレポーターとしてロケしていてみためがとても(テレビでそうぞうしていたいじょうに)キレイであったのでおどろいたことがある(ただししゅみではないが)。それが野口五郎とけっこんした。なにをかんがえているのだろう(笑)。
●げいのうかんけい(その2)。深田恭子&加藤あいの堀越高そつぎょうしきのようすはふたりともふつうのこうこうせいでわらえた。できれば立命館宇治の倉木麻衣ちゃんもしゅざいしてほしい(と、しんがくするさきの立命のきょういんがかいてはマズいだろうか)。
●せいじかんけい。森首相のウツワについてはさくねんはるいらいいっかんしてネガティヴにかいてきたが(2000年4月とうしょだけかな)このところの与野党のくべつのない「たいじんろん」はただただヒステリックなものといわねばならない(「えひめ丸」のけんはそれはそれとしてひげきてきなできごとではあったがやはり「危機」というよりも「事故」であるといわねばならない)。
●こんなことをかいているヒマがあったら(げんこうのことはいまはわすれていたいとしても)たとえばけんきゅうひのししゅつにかかる「りょうしゅうしょ」のせいり(とどけでは2月末とせまっている)などすることはいろいろあるだろうに。でも子もねしずまったしあわせなよるのじかんにそんな「ぶすい」なことをするきぶんにはみじんもならないのである(ではにっきはなんなのかのもんだいはのこる)。
●おんがくかんけい(BGM)。「第2室」でわだいのマラ3。MORO.S.@岡山氏がきくのとおなじバーンスタインばんねんのライヴばんからMP3データ化してハードディスクにかくのうしたものをPCのスピーカで。ルートヴィヒはさすがにイイ。だが「表象批判II」であつかった二ほんのビデオではいずれにもかのじょのインタヴュー(いずれもきょうえんしたカラヤンとバーンスタインにかんする)がとりあげられていてそれはほとんどどちらのカリスマとも「ねた」オンナというふぜいであった。ひょうげんとしてはわるいがそれは(たとえまんがいちそれがしんじつであったとしても)げいじゅつのもんだいとしてはいささかもわるくはない。でも「白眉」(きょくとしての)はやはりだい五がくしょうのあかるいでだしじゃないかな。だい四こうきょうきょくのさいしゅうがくしょうでもどうようのしゅほうがとられる、きょうきのあかるさ。
●おんがくかんけい(その2)。3月14日(水)に東京のJTアフィニス・ホールでひらかれるえんそうかいにしゅつえんしゃごほんにんからしょうたいじょうをいただいた。もちろんいきたい。が、その二しゅうかんまえにも上京しなければならないし(たぶんひがえり)すこしキツイのはたしか。こまった。
●ざっきとしてひらきなおってかくとこんなものである。ひるがえってかけばふだんのはそれなりに「こうせい・ろんし」にきをつかっているということだ(ほんとかね)。[25:08]

2001年2月18日(日)c
●ごご。ヴィッツのせんしゃはけっきょくそれだけでにとどまらずポリマーシーラントかこう(五ねんかんワックスふよう/みずぶきだけでOK)のメンテナンス(ほとんどワックスがけにひとしいさぎょうをようきゅうするのでごぎむじゅんというよりサギにもひとしいとすらおもわれる[2000年10月4日(水)をさんしょう])にまでてをだして二じかんほどをそれにようすることとなった。このさぎょうは三、四かげつに一かいはやらねばならないのだが(このてんでもワックスどうようだ)そとがさむいとついついヤルき(またつかっている)がでないでほうっておいたものだったのでそれはそれでゆういぎなじかんのつかいかたをしたといっていいのだがものごとにゆうせんじゅんいというものがあるとすればほかにやることはあったかなというはんせいのねんはきんじえない。でもにんげんにとってはんせいこそがじゅうようであるならそのまえにまずはんせいされるべきもんだいをおこさねばならない。そのいみでひじょうににんげんてきなごごであった。
●ゆうこく。きょうじゅかいはじつはじゅうだいなことがずるずるとなしくずしてきにきまっていくといういんしょうがなきにしもあらずだがそんなことよりも2月しょじゅんのじてんではよていされていなかったりんじのかいごうがいつのまにかいくつもスケジュールにのぼっていることにガクゼンとする。こんなちょうしではやすみもなにもあったものではないか!? だがそれでもふだんのがっきちゅうよりははるかにラクである(とにかくじゅぎょうはないのだから)ことをつよくいしきしてまえむきにいきていかねばならない(このひょうげんがすでにすこしうしろむきである)。
●よる。愛知県立芸術大学のしゅうちゅうこうぎ(前期にあたる2001年9月)のいらい(けいぞく)をいただいたのでシラバスのかいていにちゃくしゅしているのだがなかなかかきすすまない(きょうどうたんとうしゃ[後期]の丹生谷貴志氏のさくねんぶんをよんだ[さくねんはたがいにはじめてのたんとうだったのでそういうさんしょうもできなかった]ためにヘンにバランスをかんがえようとしていることもりゆうのひとつではある)。じぶんのしらないディシプリンのシラバス(もどき)をでっちあげるしごと[たとえば2月14日(水)aをさんしょう]だったらひとばんで十も二十もやっつけてしまうのにネ。(ひるがえってこのにっきをかくじかんをそれにあてたらというどくしゃはいないものとしんじたい。)
●あす。あさは子とおひるねようのフトンをほいくしょにはこばねばならない(ついでに子の母をしょくばにはこぶしごとがはっせいするかのうせいがたかい)。そのあとはまたしても(そしてことしさいごの)にゅうしのさいてん。だがそれはおそらくごぜんちゅうでおわるだろうから(だったらしょうしゅうするきょういんのかずをさいしょからさくげんせよというのがわがいけんである[2月13日(火)aをさんしょう])そのあとにがくせいのめんだんを一けん。そのごよくじつのかいぎようしりょうのさくせい(うえとおなじ「でっちあげ」にかかるものである)。それを一、二じかんでやっつけたら――ほらカラダがあくではないか。ほいくしょのつぎのおむかえまできっと一じかんほどはヒマができる。なんとめぐまれていることであろう! [23:10]

2001年2月18日(日)b
●11:30をすぎてめがさめてこのあと15:00からきょうじゅかいがあるとおもうとなにもヤルきがおこらなくなった(こんなにたんじゅんにうきしずみするのか?)。はやくにおきて「ガオレンジャー」もみているはずの母子は父にきたいすることなくどこかにでかけていてたぶんおひるもたべてくるだろう(メモくらいのこしていってほしいものだ)。すこしはやくけんきゅうしつにむかってかいぎかいしじかんまでソウジをするというのもひとつのてだがそのきがおこらないていどにすでにしつないがこんらんしているときはどのようにふるまえばいいのだろう。せんしゃ――くらいかな?、できることといえば。[11:45]

2001年2月18日(日)a
●ひづけをどちらにするか(きのうにするかきょうにするか)なやむじかんたいだが(そしていつもだったらむしろきのうにするはずだが)bはないといいきったつぎのかきこみであるのでやはりひづけをあらためてきょうはきょうのひづけで(きょうはさすがにもういちどアップがあるだろうからaとして)。
●のんでかえってきてフロにもはいらずLDKでよこになって(母子もどうようのようだ)めざめてみるとベルリオーズはちょうどおわるまぎわでいまこれをかいているしゅんかんはヴェルディの「ナブッコ」がかかっている。けっこうおもしろい(すくなくともskmtよりは[笑])。
●さて、ほいくしょ。子たちがいつもはしりまわったりおひるねをひたりしているへやで親たちが五じかんほどにわたってのみつづけるのだからやっぱりおおいにストレスかいしょうのいみもあるハレのひであるのかもしれぬ。じきてきなもんだでかいつもよりもけっせきしゃもおおかったがこんやは「たたいてかぶってじゃんけんぽん」というていぞくなゲーム(笑; しらないどくしゃのほうがおおいだろう)でひとしきりもりあがったしまたヤミ鍋としょうしてじっししたナベはかくかていからもちこまれたしょくざいのほうふさ(こうとうむけいさ)によってもじどおりせんごの「ヤミ市」のようそうをていしてぎゃくに「ひ」にちじょうてきなしょくよくをかきたてた。まあしかしこんなものをまいにちたべていたらカラダがおかしくなるだろう(笑)。
●あす。おそいしゅうしんにもかかわらず子はあたらしくはじまる「ガオレンジャー」(ワレワレがまだしょうねんだったころの「ゴレンジャー」からえんえんとつづくテレビ・シリーズのさいしんばん)をみるけついをかたっていたがこっちはもちろんそうはいかない。あさはゆっくりとしてそれからあさとひるをかねたしょくじをとりにどこかにでかけるだろう。さくじつはいっしゅんソバの「季楽」[2月7日(水)a、16日(金)aをさんしょう]まであしをのばそうかというあんもでたが「プレハブやで」のせつめいでかんたんにそれはながれた。いずれにしてもそうとおくにでかけられないのはごごににゅうしのはんていにかかるりんじのきょうじゅかいのかいさいがよていされているからである。だいがくにゅうしのかんきょう(とりわけぶんがくぶのそれ)はげきへんしている。がくぶないでの「かちぐみ/まけぐみ」のげんじつのごうかくしゃすうへのはんえいのこともふくめてあすはかなりシヴィアなぎろんもてんかいされるはずである。
●ヴェルディの「ナブッコ」はしきりに「神罰が下ったァ」とうたうので「ふかい」になって(笑)チャンネルをかえるとSMのせかいでいきるじょせいたちをしゅざいしたドキュメンタリィ(関西テレビ系「煩悩天使」)がほうそうされている。くわしくかくことはしないが六本木のそのてのみせでNo. 1(Sのほうで)だったというじょせいのちじんがいる。もちろんここをよんでいるはずもないのでかくのだがとてもそうしたスターであることをかんじさせないフツウのチャーミングなじょせいであった(がめんのなかのなんにんかもおなじようにみえる)。
●よってアタマがいたいとはいえ(ビールがつづくとこうなる)やはりたべんである(笑)。[04:00]

2001年2月17日(土)
●すでにあんじてきにかいたことがあるがさくねんのなつの十日かんほど(いや二しゅうかんほどかな)でいっきにかきすすんだもののそのごまったくそれにかかることができなかった「たんこうしょ」のしごとはこの1月のなかば(ちょうど『武蔵野美術』のげんこうのしめきりのあたり)に「おりる」ことをもうしでた。それはへんしゅうしゃSとの「やくそく」のしめきりがげんじつをちょくしすればとてもはたせるはずもない「すうしゅうかんご」にいつもせっていされていてそれがげんにはたせないひにはまたつぎのしめきりをせっていしてのくりかえしでそれがもういいかげんにつらくなったからだったのだがそのもうしでにたいするSのたいおうはこっちのスケジュールにまかせるから(ただしもちろんぜんめんてきにではなくそこそこたんきてきなスパンでだが)「おりる」ことだけはふみとどまってくれというものだった。ひじょうにそんだいないいかたをすればそのしゅんかんにSとの「ちからかんけい」がかわった(あいては「おおて」だしそれまではむこうがつよかった)。しかしだからこそ「まかせ」(スケジュールだけでなく「ないよう」めんにもかかることばだとおもっている)られたときにこそ「せきにん」がぞうだいすることはいうまでもない(さくやからまだ「せきにん」ろんがつづいている[笑])。
●そのていたいしたままのじぶんのげんこうをさっきほんとうにひさしぶりによみなおした。「美術史」プロパーのほんとしてはおおいにもんだいがあるが(たぶんアカデミズムからはもくさつされるだろう)そこそこにおもしろい(笑)。いやSが「おりる」なといったりゆうがほんとうにりかいされる(そして「ないよう」てきにはむしろかれがみちびいたろせんをとうしゅうしようとおもいなおす)。Sがではなくじぶんのいしでせっていしたしめきりは3月ちゅうじゅんである。2月は二十八にちしかないし(はやくもいいわけするのではないが)らいしゅうも「かいぎ」や「さいてん」や「だいがくいんにゅうし」や「けんきゅうひ」のしっこうや「かけんひ(科学研究費)」のほうこくしょ(サヴァティカルで外留中の鶴岡真弓センセイのだいりを2000年度後期につとめた)のさくせいやらがあるのでじっしつてきには三しゅうかんをみこんでいる。じゅうぶんなじかんてきよゆうである――と、きょうのところははったりをかましておこう(笑)。
●さくやかいたようにこんやはほいくしょのこんしんかいでたぶんbのアップはない(どんなはげしいのみかいなのだ[笑]?)。ちなみにこんやのBS2はベルリオーズの劇的交響曲「ロミオとジュリエット」をふくむプログラムだがこのいぎょうのさっきょくかのさいかくはあの「きょうき」にみちみちた「幻想交響曲」でつきているというのがわがじろんなので(笑)ビデオのセッティングはしない。いじょう、はやめに(のみかいまでまだ四じかんもあるのではやすぎるのだけれど)。[12:56]

2001年2月16日(金)c
●したのはきょうの二つめのアップだからbなのにaとなっていた。なおしたが、そのことをこくちするために三どめのcを。
●あすしごとをさいかいするというけついはこんやはなにもしないというけついのうらがえしである。やしょくようにかっているのはカンパチのさしみだけれどあけるのはやっぱり赤ワインできょうのめいがらは1998年イタリアはピエモンテ州産のCastello del Poggio(もちろん千えんほど; あっ、ゆにゅうぎょうしゃはサッポロビールだ)。ミディアム・ボディだとするするとみずのようにノドのおくにながしこんでしまいそうになるのでセーヴしながらにほんしゅのようにちびちびと。
●ついでについき。はるやすみのこうはんにこうこうせいむけのキャンパスツアーの「もぎじゅぎょう」をたんとうすることになった。きのうだしんがあったときにはいそがしいのでとそくとうはさけたが八百にんあつめることがもくひょうときいてガゼン(ひそかにだが)「ヤルき」をだしてしまっているのである。じゅぎょうはだいきらいだが数百にんをまえにしてベラベラと「さぎし」のようにはなすのはじつはすきだ(笑)。ちなみに入試課ないで人文系のこうほしゃにかんするぎろんになったときにわが名をだしてくださったかたがたのうちのひとりがこのパーソナル・サイトにブックマークをつけてくださっているらしい。ならばこのにっきのどくしゃでもあるかもしれない。たすうのオーディエンスもみりょくだけれどそういうパーソナルなかんしん(きたい)にこたえねばという「せきにんかん」(笑)がOKのへんじのさいだいのりゆうであることをあかしておきたいとおもう。(ぜひいちどけいじばんにもおいでください。)[23:17]

2001年2月16日(金)b
●どくしゃはすでにきづいているだろうとおり(ほんにんはいまきづいたのだが)きょうはまったくしごとをしていない(あさゆうのおくりむかえいがいは)。へいじつのまっぴるまにやまのなかまでソバをたべにやってきてしかもオオモリを二まいもちゅうもんする[したのaをさんしょう]ヒゲづらのおとこがどのようにうつったかもそうぞうにかたくないのだがじつはあさ綾部のおんせんゆきをひそかにあきらめたときに「じゃあきょうは『しまだ』[1月21日(日)aをさんしょう]のステーキランチでにもしよっかな」とついコゴエでいってしまったらそのしゅんかんにリアシートの母子がくちをそろえて「アッ、ズルーイィじぶんだけおいしいおにくをたべにいって」とひなんのこえがあがったので「ハイハイやめときます」と(べつにギリだてするひつようもないのに)こたえてしまってそのてんソバなら母子がうらやましがらないというじじょうがそのせんたくにかげをおとしているのではあった。いずれにしても立命からだとおうふく六十キロはあるちょっとしたドライヴになるがふしぎなほどひょうめんに「保水力」がある(とかいてそうぞうできるかな)そのメンはいちどたべてみるかちがあるからソバずきのひとは「季楽」[もういちど2月7日(水)aをさんしょう]まであしをのばしてごらんなさい(笑)。
●さて、あしたのこと。ほいくしょのこんしんかいがある(17:00〜)ことはすでにしたのaにかいた。この「えん」あとはもうしごと(ひろいいみでの)にならない(にっきのこうしんもあやぶまれる)。なのですべてはその「まえ」にかかっている。あしたからしごと(じぶんのための)をさいかいする。きょうのドライヴ+ソバ+てんらんかいでずいぶん「えいき」がやしなわれた(ずいぶん「やすあがり」やね)。あさって18日(日)にはにゅうしはんていにかかるきょうじゅかいがあるしそのよくじつ19日(月)はべつのにゅうしのさいてんだし…とまたらいしゅうもそこそこ「こうむ」はつまっているがあきからのさつじんてきなスケジュールからかいほうされたのはたしかである。このじきにさぼったらじぶんのせきにんである(じこひはん[self-criticism]はモダニズムのハードコアである)。これはこのにっきにおいてもここすうかげつかかれなかった/よまれなかった「ヤルき」であるはずである。[22:08]

2001年2月16日(金)a
●さくや「六十キロほどはしって」とかいたヴィッツはあさの「おくり」のさいにはやくも五リットルみまんのけいこくランプがついたのですぐにきゅうゆ。あとからけいさんするとねんぴは10.7km/lほど。せんじつの彦根おうふくだけなら12、3はいったとおもうのだけれど嵐山や高尾のきんぺんをふりょうのようにはしってもしょせんは京都しないなのであった。
●だがそれにもメゲずきょうは京都しがいへとでた。さいしょは綾部のひがえりりょかんというあんもあったのだがつかれがとれきっていないので(つかれをとるためにこそいくべきだというかんがえもある)せんじつの「むっちりとした歯ごたえ」のソバ(このみがわかれるだろう)がいんしょうてきであった「季楽」[2月7日(水)aをさんしょう]どまりとすることに。あさごはんをロクにとっていなかったのでオオモリでもまんぞくができずにさらにおなじものを一まいついか。みせのひともおどろいていたが山形の「板そば」(いなかふうのカタめのそばが三、四にんまえも「いた」のうえにのせられている)とくらべたらマダマダというのがこちらのじっかんである。
●その亀岡にむかうとちゅうの沓掛ICまえで京都芸大にたちよってがくせいのてんらんかいをかんしょう。じつはそのまえ(細君をおくったあと)にも岡崎の京都市美術館でも同だいがくのおなじしゅしのてんらんかいをみていたのだがひさびさにがくせいのさくひんをみて「アアこういうけいこうなんだな」となっとくしたりあるいはなかに二てんほどそこそこかんめいをうけたさくひんがあってやはりめんどうでもこういうイヴェントにあしをはこぶこともすてたものではないとおもいなおした。
●ちなみに京都芸大では「どうぎょう」のよしみもあるし芸術学のけんきゅうしつを(ゆうきをだして[笑])たずねてみようとおもいたってクルマにつんであったCD一まい(ショスタコーヴィチのカルテット二きょくがカップリングされた)を立命のふうとうにいれておみやげのようにみせかけて(笑)そのばしょ(講義棟4F)をたずねたのだがあいにくじょしゅのかたもふくめてどなたもおられなかった。ざんねんだなとおもいつつ、だったら図書館のキョウコちゃん(ほいくしょでの子のどうきゅうせい)のおかあさんにコイツ(CDのこと)をあげようか(笑)とおもってむかったらそこもきゅうかんびだった。なので亀岡までのみちのりをそれをききながらはしった。
●そういえばあすはほいくしょの「うさぎ」組のこんしんかい(ここでのはげしいのみかたについては2000年7月14日(金)をさんしょう)なのであった。キョウコちゃんのあかあさんには「いやぁ、きのうイッたんですよそちらのがっこうに。アトリエ棟なんかにはいるとナンカそのキタナクってこころがおちつくなぁ」とでもほうこくすることにしたい。[16:40]

2001年2月15日(木)
●さくじつぶんのようびのひょうきがまちがっていた。しゅうせいずみ。おなじようなことをせんじつVAIO日記でかいたようなきがする。
●ちかい(すべてがとほ十五ふんけんないにある)といったって一にちに三どほいくしょに、二どがっこうにでるとやはりつかれる。というよりも「第2室」にもかいたのだけれどこのつかれはきのうまでのがドッとふきだしてきたというかんじだ。
●そんななかでしかしほいくしょでのほごしゃめんだんはひじょうにたのしかった。センセイからのしつもんがまず五つほどあってそれにランダムにこたえるのだけれどネがおしゃべりだからだいがくせい(立命生)の「せいたい」にもふれながらほとんど「こうぎ」のようにベラベラとしゃべってしまった。ちなみに子のもんだいてんもきいたようなきがするがらくてんてきないっかにあってはすべてはこの子のちょうしょとしてりかいされるのである。ごめんねT森センセイ、でもたのしい四十ぷんだったでしょ?
●でもたのしかったがカラダのシンはどんよりしている。アタマもアタマでなくてそのどんよりしたカラダの「肢」のひとつにすぎないかのようだ。そのしょうこにヴィッツをうんてんしていてもそれはほとんどベンツのようにかんじられる(クオリティがではなくデカさが→でもベンツなどうんてんしたことはない[笑])。そのヴィッツであすはすこしとおでをしたい。もちろんたいちょうがすこしもどったらだけど六十キロほどはしってきゅうゆをしたらこんかいのねんぴはずいぶんイイだろうとおもう。もくてきち?――とダレかがたずねたとせよ。ヒ・ミ・ツ(どうせあしたこのばしょにかくさ)。[23:40]

2001年2月14日(水)b
●ついき――新潟県の湯之谷からちょくそうされてきてスーパー「ライフ」のチェーンてんでかえる「越後とうふ」のしょうみきげんがきょうまでであることにきづいたのでさっきからユドウフにしてたべている。もっかのところ京都でてにはいるいかなるものよりもこのカタめのもめんどうふがわがくちにあう。キュっとビールをあけたあとさくやあけたワインをのみついでひじょうにしあわせなきぶんになる。フトみるとテレビでは筑紫哲也のニュース23で「幸福論」というとくしゅうをやっている(さくやから)。あいかわらずこのばんぐみのヒューマニズムろせんはくだらないとおもうがそうかんがえながらがめんをみているにんげんがちいさなクダラナイしあわせにひたっている。マルセルのあのプチット・マドレーヌのようにうしなわれたときをたどらせてくれる「きえん」となるものではないけれどクチのなかでもめんどふの「ひょうひ」がやぶれてやわらかなタンパクしつがひとがるかいらくはメル友とのコミュニケーションにいやしをもとめる「わかもの」たちのそれとどれほどにことなっているのか。――イヤぜんぜんちがってこっちのほうがはるかにすてきだ(笑)。
●ところでしたのaでかいた「だいがくじんであることをやめたい」はほとんど「びじゅつ(し・ひひょう)プロパーであることをやめたい」と「どうぎ」である。「駅長さん」をやめてしまった豊川悦司(笑)? イヤじょうだん。だがじんせいのこうはんにさしかかってこのようなろせんへんこうをいしきすることになろうとは(すくなくともバイトだいのすべてをついやしてやみくもにカタログるいをかっていたころにはまったく)おもわなかった。マいろいろあるサ。
●ユドウフがもうすぐたべおわる。ああおいしかった(ワインはいますこしのみつづけよう)。[23:54]

2001年2月14日(水)a
●あとからおもえば(あるいはすでにかきながらかんじるばあいもあるが)どんなにはずかしいぶんしょうであっても[さくやのdをさんしょう]ことしはいちどアップしたものはさくじょしないというけつい(笑)はまもられているようだ。べつにそれじたいがすばらしいともおもわないが(むしろぎゃくかもしれない)。
●さてきょうまでのしごとはさくじつのきぐ[おなじくcをさんしょう]にはんしてなんとかよていりょうをぜんぶしあげて「すべりこみセーフ」[2月13日(火)aをさんしょう]。ないようもそれなりにまんぞくのいくものでただざんねんだったのはふつうならおなじかいぎにしゅっせきするはずのYせんせい(けいじばんでおなじみの/このにっきのどくしゃの「ひもだY」さん)がけっせきされたこと(にゅうしのさいてんのはずだ)。やはりcでグチった「れいじ」ふのうせい(un-illustratability)がかのじょのかいぎしゅっせきによって一かしょのホコロビとなってそれによってわが「ひろう」もすこしはやわらいだであろうはずだからだ。つぎのWG(ワーキンググループ)のかいぎは2月23日(金)14:30〜16:30ときまりましたから(またメッセージボードですね)それまでにいちどてにとってネ(でもそのひはしゅっせきしゃによってそれがタタかれるひなのだが)。
●こうしてあるしゅのたっせいかんはあるにもせよまたしても「だいがくじんであることをやめたい」ムシがモゾモゾとくびをもたげてきたのもたしかである。五十さいになったじてん(いまから十ねんとはんとしご)ではだいがくとはちがうところにいたい。もちろんこのよにはまだみれんはあるのでこのせかいのかたすみのどこかですこしのんびりとキィでもたたいて(PCはやはりイるの?)。
●わだいかわって――カウンタが4000をこえた。すこしはずかしいほんしんをかけばちいさなかんがいはある。きょうのしごとのたっせいかんよりはすくなくともおおきな…。
●あすのよてい。まずあさのほいくしょのあとに「ごもくとうばん」=さいきんどくしゃになられたかたのためにかけばそれはゴミかいしゅうしゃがいったあとのせいそうとうばんのことなのです[ちかいところでは2000年12月25日(月)をさんしょう]。そのあとは「てんせき」きぼうしゃのしょるいせんこう[2月8日(木)a]。ごごは14:00からほいくしょでめんだん。おひるねのあいまをぬってオヤがセンセイからいろいろとおはなしをうかがうのだがそれがすんでだいがくにもどってからはこんどはこっちがセンセイとなってがくせいのめんだんが二けん(他だいがくの「院」をじゅけんするがくせいのけんきゅうけいかくしょのしどうとそつろんていしゅつがならなかったがくせいのおそまきながらのしどう)。そのあとにおむかえ。さらにこんやはしんどくてムリだが「第2室」へのレスをそれらのよていのどこかのあいまで。[22:55]

2001年2月13日(火)d
●「ほんとうにオヤスミ」とかいてからなお一じかんいじょうにわたってキィをたたき、というよりもそのことをこうやってここにほうこくしようとするせいしんはどのようにかいしゃくすればいいのだろう(このようなしゅだんがなかったならばどのようにしてこれは「しょうか」されたのであろうか)? ひさしぶりにあくるあさにさくじょすることがよかんされるぶんしょうである(とかきつつおもう)。[28:09]

2001年2月13日(火)c
●さっきしたのbで「よていりょうのはんぶんほどがまとまって」とかいたのはおおいにアマイにんしきだったといわねばならない(じぶんの「ふえて」のぶぶんをのこしたしんちょくだったからだ)。すいまにかんぜんにしはいされるこのちょくぜんになってようやくただしいいみでの「はんぶん」ほど。あすのかいぎではフカクにもふかんぜんなしりょうをはいふしなければなるまい。かっこわるいな。でもさすがにきょうはあたまがはたらかない。オヤスミ。
●――とかきながらモドカシイのはこのにっきの「どくしゃ」にはここで(またさくじつまで)グチっていたしごとのなかみを「れいじ」できないことなのである(イヤやろうとおもえばぎじゅつてきにはかのうなのだが[笑])。「第2室」ではしけんもんだいにまつわってかいたがいまここでとりくんでいるしごとのなかみが(これがこのじきに一きょういんにかされることのグレツまでふくめて)ここで「こうかい」できればむしろそのほうがどれほどきぶんてきにラクチンであるだろう! にちじょうてきにこのばしょをおとずれてくださっているひとはこのふかのうも「ひゃくもしょうち」だろうとおもうのだがそれにしてもインターネットなるツールはことほどさようにむしろ反ツールてきなかたちであたらしいもんだい(よっきゅうふまん?)をあるしゅの「とうじしゃ」にかしているのである。
●うえの「きじ」もふくめてここすうじつのぶんしょうのできがわるいようにかんじられる。いかにひとふでがきとはいえもうすこしハイソ(笑)であるべきだとおもうけれど――まイイヤここはタレナガシである。
●オヤスミとかいてからまたかきついでしまった。なんだかメがさめてきた? イヤほんとうにオヤスミなさい。[26:50]

2001年2月13日(火)b
●こんやはかぞくとゆうしょくをたべてそのまま子がねる23:00ちかくまで「だんらん」をすごしているよゆうはまったくないのでVAIOをかかえて(にっきのためではないよ[笑])きっさてんをわたりあるいた。そのいどうのためというもくてきをいつだつしてよるの京都のまちをクルマで二十五キロほどもとばしているとすこし「ふりょう」みたいなきぶんになったがこれでこころもちしごとがはかどるのならほとんどオジさんのかわいいレジャー(ことばのほんしつてきないみでの)となっているというべきである。
●さてVAIOのでんちがあぶなくなってきたのでちゅうだんしただんかいでよていりょうのはんぶんほどがまとまってこれがフツウならばハミガキをいやがる子をおいかけているじかんたいだとおもうととてもトクしたきぶんになる。そうしてそのごフロにもはいったしあとのはんぶんはワイン(帝国ホテルにはいっているとかというフランスさんでそこではやすくても四、五千えんでレストランにおかれているのであろうモノをまたせんじつ千えんくらいでかったのだがコレがなかなかにおいしい)をやりながらである。かいぎようしりょうをさくせいするのにふきんしんだとひとはいうであろうか? イヤそうでもしないとやってられないしごとなのである(笑)。
●ちなみにいまのBGMを。アルゲリッチ(さいきんかのじょのものをきくことがおおい)のいちれんのコンセルトヘボウでのライヴ盤よりプロコフィエフのだい七ソナタ。せんじつの「戦争と平和」[2月9日(金)およびよくじついこうのVAIO日記をさんしょう]はさすがにプロコ・ファンでもずっときくにたえないものだったが(きっすいのオペラ・ファンはまたべつだろうが)この二十せいきさいこうのソナタ(とブーレーズのソナタなどをさしおいてモダニストにあるまじきひょうかをくだしておこう)はこんやわれらがアルゼンチンしゅっしんのアラクレおんな(ワァなんというひょうげん!)のしなやかなピアニズムによってたたかうもの(フフフこのにっきのしっぴつしゃのことである)を「こぶ」しないではおかないかがやきをまとわされている(ちんぷなしょうさんだ)。というわけでイイネやっぱりおんがくは――というオチで。[24:30]

2001年2月13日(火)a
●けっきょくていきしけんのさいてんにかかるすべてのさぎょうがすんだのはあけがたの05:10。二じかんはんほどかみんをとってこんどはにゅうしのさいてんにむかったが(そのまえに文学部じむしつでさいてんけっかをてわたしてグチのひとつもこぼしたのはいうまでもない)ぜんにっていのうちできょうがいちばんたいへんといっていたわりにはごぜんちゅうでかいさんとなって(しゅつだいにかかわっているがっか・きょういんや「わかて」はのこっていたが)すこしひょうしぬけ。ありがたいそちだろうとふんでおられるのかもしれないがひとにはけいかくというものがあるのだからきちっとみとおしてしょうしゅうしてほしいとおもうのだが(エラそうにいえたクチか)ただしこちらはおかげで13:30すぎにはきたくしてからついさっきまですくなくともあけがたよりはながいかみんがとれたのではある。サアこれでぞんぶんにあすのかいぎのためのきんきゅうのかだい[2月8日(木)aをさんしょう]にとりかかることができるゾ(笑)。アアなんとつまらないよろこびであることか。
●あさのきょうくん。子のおひるねようのフトンのはんそうもあることだし母もしょくばにちこくしそうだしということできゅうきょクルマをだすことになったのはいいがほいくしょについてみるときょうによていされている「おみせやさんごっこ」のさいもちいる「エプロン、三角巾、紙袋(なまえとマーク[うちのはヒコウキ]のはいった)」の三種の神器をわすれてきた(イヤそもそもよういしていなかった)ことにきづく。とはいえ母もちこくしそうだし父も文学部じむしつでさきにワビをいれたうえでさいてんかいじょうにむかわねばならないということで「そっこう」で母を千本丸太町のてまえまではこんで(ペナルティのいみもあって[?]きょうはそこから十ぷんほどあるかせた)クルマはいまきたみちをぎゃっこう。こうしてじたくでエプロンと三角巾とてきとうな紙袋をひっぱりだしてふたたびほいくしょにとびこんで(そしてそのままだいがくにむかって)ことなきをえたのだがそれにしてもセンセイにかりたふといマジックペンをつかってえがいたヒコウキのえがそれはそれはみごとなできでおもわずすべてのことがらについてこうして「すべりこみセーフ」てきなのりきりかたをするのではないかとフトおもわれたのであった。
●うえはなんだかとってもつまらないないようのようなきがするが(笑)よなかはかいぎようしりょうにかかりっきりになるとおもうのでこのゆうがたのはやいうちに。(ちなみにもうすぐ「おむかえ」がまってマアス。)[17:00]

2001年2月12日(月・祝)
●きょう一にちがぶじにすぎようとしている。あまりにめでたいのでやはりきょうのうちに。というのも北陸自動車道の魚津(もくてきち!)ちょくぜんで29km/hオーヴァーのスピードいはんで「げんてん+ばっきん」をかせられて[2000年11月12日(日)aをさんしょう]からちょうど三かげつが「むじこ・むいはん」でけいかしてそのときのげんてん三てんがまっしょうされるのだからである(ばっきん一万八千えんはかえってこないが)。ただほんしんをかけば「りこん」をしてほこりたかきバツイチとなったのにいつのまにかそのバツがきえたみたいで(そういうけいけんはないが)すこしさびしくもある。
●ちなみにさいてんはオオヅメをむかえているとだけかいておこう(ぜんぶさいてんしおわってから四百五十にんぶんのひょうかを「てんき」するさぎょうがほんとうのオオヅメだという「せつ」もあるがそのようなひかんろんはここではとらない)。ということでどくしゃのみなさん、こんやはこのへんで(にっきというよりもメッセージボード[けいじばん]でんな)。[23:25]

コチラは2001年2月10日(土)〜11日(日)の間、お休みしました。

2001年2月9日(金)
●こんやのうちに「表象批判II」のさいてんだけはすむだろう(すませなければならない)。それでのこりは「西洋美術史II」と「現代造形文化論II」をたしたやく三百まい(三かもくのごうけいすうはいまからおもえば五百五十まいをゆうにこえていたのだった)。たびさきにまでとうあんをもっていく「ぶすい」なことをしないならばあすごご彦根にたつまえに六十まいほどこなしてのこりはあさってきたくしてからの一日半で。きゅうけいをとらなければマアらくしょうである(ねたりたべたりはできるだろう)。
●こんなききてきなじょうきょうがつづくのにBSのクラシックばんぐみのチェックはかかさないのである(笑)。けさはいぎょうのピアニスト、ルイサダがショパンにふんしてひらいたいっぷうかわったえんそうかいのほうそうがよていされていてビデオをセッティングしたのだがいつのまにかこっかいちゅうけい(KDSもんだいでゆれる)にへんこうされていたのはハラがたった。あすのよる(これもビデオにとるしかない)はプロコフィエフの「戦争と平和」。じしんかなにかでまたとくべつばんぐみがはいらないことをいのるのみだがけれどこうやってろくがしてじっさいいつこれをみるのだろう?
●サアげんじつもんだいとしてはこうしてにっきをかくすうふんのじかんもおしまねばならないじょうきょうにあることはまちがいない。13日にせいせきひょうをだしおえるまで(あるいはよくじつのあるかいぎ[さくじつのaをさんしょう]がすむまで)にっきがこうしんされるほしょうはない。[24:03]

2001年2月8日(木)b
●こんやあけたワインについて。チリ(ゆうすうのワインさんしゅつこくである)のサンタリタというじょうぞうしょでボトリングされた「120」というめいがら(たしか\900ほど)。チリのどくりつせんそうのときに百二十にんのへいしがそのじょうぞうしょにたてこもった(どうせしぬのならワインをのみながらとおもったのかナ)のがそのなのゆらいとかいてある。めったにかわないミディアムボディだったのだがヘタなフルボディよりもむしろほうじゅん。あさっての彦根行に「どうこう」させるべくあすワインショップでまたしても五ほんほどこうにゅうするけつい。
●ついでにBGMについて。アルゲリッチのコンセルトヘボウでのいちれんのライブをディスクかしたもののさいしんばん。かきならべるだけでもうつくしい「夕べに」、「飛翔」、「なぜ」、「気まぐれ」、「夜に」、「寓話」、「夢のもつれ」、「歌の終わり」のタイトルをもつしょうひんがこのラテンの「ち」のながれるピアニストのかれいにしてまたちからづよいえんそうによっていぶきをあたえられる。このあとはラヴェルの「ソナチネ」となんきょく「夜のガスパール」。これがおわったらさいてんもちゅうだんしてねむるとしよう(せいしんがたかぶってねむれない?)。[27:00]

2001年2月8日(木)a
●さっきおこった「じけん」のことから。せんたくきがこしょうした。いや、三十ぷんほどいろいろいじっているうちにワケのわからないままなおったのだがプログラムのいじょうだかなにかのじじょうで「スタート」ボタンをおしても「はいすい」じょうたいのままでつまりえんえんとじゃぐちからみずがながれるだけなのだった。ITというほどのものではないがすべてがでんきてきにプログラムされたなかでのこしょうはじっさいいっしゅんは「おてあげ」→「あたらしいヤツのこうにゅう」をそうそうにけついさせそうになったのだがそれをおもいとどまってなんとかいろんなモードをためしたのは(そのうちにいつのまにかなおったのである)すくなくともすうじつかんはさむぞらのもとコインランドリィとのあいだをなんどもおうふくするわが「えず」をありありとおもいえがいたからにほかならない。いずれにしてもこの「かいふく」のほうがいちじのマボロシでないことをいのらざるをえない。
●ごごのかいぎについて。またひとつやっかいなかいぎようしりょうのさくせいをひきうけるハメになった。さいてんはほんとうのリミットの13日(火)までかかるみとおしだからそのせいせきひょうをていしゅつしてからよくじつ14日(水)のかいさいにむけて一にちでてがけなければならないしごと。じぶんでもイヤになるスケジュールだがしかしここでこれをひきうけておかなければまたしても「キズぐち」[1月23日(火)をさんしょう]がひろがりそうなもんだいであるから。だいがくやましては「じょうし」(笑)のためでなくただじぶんじしんのための「くぎょう」として――。
●あす。あさからにゅうしのさいてん(だからこんやのていきしけんのさいてんはてきどなところでちゅうだんしなければならない)。そのあいま(たぶんちゅうしょくじ)にしょぞくする人文総合科学インスティテュート「人間と表現」領域への「てんせき」をきぼうするがくせい十三にん(!)のしょるいせんこう(このだい一じせんこうにのこったきぼうしゃのめんせつが21日(水)にある)。ゆうがたは母をきんむさきでピックアップして子のまつほいくしょにすべりこんで「さくひんてん」のいっしゅんのかんしょう。いや、モダニストとしてかけばてんらんかいなどつねにいっしゅんのかんしょうでいいのではある(どういうろんり?)。[24:00]

2001年2月7日(水)b
●10日(土)からよくじつにかけてあるようけんで彦根にでむくことになった。ファミリィにかかわることがらなのでここでくわしくはふれないが父はただただゆきかえりが百五十キロほどのドライヴとなることだけがうれしい。だがそのたびをゆううつなものとしないためにもそのまえにできるだけさいてんをおおくすませておくひつようがある。三日ごなのによわきなはつげんだが三かもくあるうちのさいしょの一かもく(これがじゅこうしゃすうもいちばんおおいのだが)のはんぶんがようやくすもうかというだんかいなのだからつよがってもしかたがない。ひたすら「忍」である(といいながらやまのなかにソバをくいにいったのはだれだ?)。
●あす8日(木)。ごぜんはねているとしてもこんやのしごとがすすんだからだ。そのご12:00に「沙羅」(北区小松原)でかみをきる。けんきゅうしつはさいてんをするスペースがないのですこしそうじなどをして(まああるいてもじたくとはおうふく十ぷんだが)そのご15:00からさるかいぎ。しゅさいしゃがよんだらおこるだろうがこのかいぎがせいさんてきでなくてけんこうにわるい。それでたいちょうをくずしたとしてもそのあとは(子そだてもわすれて)さいてんにいそしまねばならない。なんとなればよくじつ9日(金)はあさからにゅうしのさいてんなのだからである。[24:14]

2001年2月7日(水)a
●ほいくしょへのおくりをすませたあとにもういちどねむろう[さくやのaのけついをさんしょう]とおもっても(そしてじっさいねむいのであっても)なかなかねられないときはあるのであってしかたなくマクドナルド金閣寺店でちょうしょくをとりながら小一じかんほどどくしょ(ファイヤアーベント[1月21日(日)aをさんしょう]のつづき)しているうちにもうこのままクルマをどこかにはしらせたくなってきゅうきょしょてんにはいってガイドブックのるいをぶっしょく。ちずの昭文社がはっこうする「まっぷる情報版」の〈京都・丹波・丹後〉編をみていると丹波(といってもずいぶん京都より)のやまのなかにうまいソバをたべさせるというみせがのっているのでまよわずそこにけってい。沓掛ICから京都自動車縦貫道にはいって二つめの亀岡ICでおりて国道423号(摂丹街道)を十ぷんほども大阪方面にのぼっていくとある犬甘野営農組合直営の「季楽」がそれ。ガイドブックにある「香りがよく、粘りとコシがあるむっちりとした歯ごたえで美味」のひょうげんはそこそこただしく七十パーセントのまんぞく。これでいかにものうきょうのけいえいというのがマルわかりのプレハブづくり(「地域の農作物も販売している」のもんごんにピッタリ)でなければまんぞくどは八十五パーセントにはたっしたであろう。(ちなみにこうそくりょうきん+ガソリンだいをけいさんすると一まい二千えんのソバということになるが。)
●こうしてそこそこのはらごしらえをして(とはいえソバではやはりまんぷくにならなかったのでかえりに沓掛をすぎたところのファミレスであらためてわしょくのランチもしょくした)もどってくるとこのひのそうこうきょりは六十キロ強で、しかしこれがぜんかいのきゅうゆいこういちばんのとおのりというありさま。一かいにつき十キロにもみたないそうこうのくりかえしで二百キロ余(+きょうのぶん)をはしったあとにきゅうゆしてねんぴをけいさんしてもやはり9km/lほどできょうのおうふくこうそくりようも「やけいしにみず」というやつ。というわけでこれからまたあめのなかひるのきゅうゆいこうはじめてのそうこうとしてほいくしょへのおむかえ(おうふく一キロ)に。[17:30]

2001年2月6日(火)c
●こんやはたっぷりすすんだというかんじをいっぽうでいだいているがたほう二百五十まいをこえるとうあんのたばをまえにすればたべてもたべてもメンがのびるのでちっともりょうがへらないラーメンみたいにもかんじられる。だがいつかうつくしいラーメンバチの「そこ」がすけてみえてくるひのことをゆめみてなげやりにだけはなるまいとおもう。
●――とかくとあたかもひたすらさいてんばかりやっていたみたいだがじつはさっきユドウフをたべた。あすのゆうしょくようにかっていたはずのもので京都の「ユドウフ用」とかかれているものにきょうつうするヤワさだけがなんてんだったが(チンはハシでつきさしてとることのできるカタめのもめんをこのむ)だれにももんくをいわれずにダシのとりかたやタイミングをはかってしょくすしんやのこのアラカルトメニューはやはりぜっぴんであるといわねばならない。きのうあけたワインとのとりあわせもよろしくてこのてんではおおいにまんぞくしたことをめいきしておきたい。
●そんなにゆうちょうなことをしているばあいかとのありがたいちゅうこくがあるならばしかしこのにっきこそどうなのだといういつもながらのもんだいをさきにといなおさねばならない。たとえば『武蔵野美術』にはわるいがひびいきていくにあたっては(しょくぎょうてきなものかきのはしくれとしてはさておき)そこにきこうしたテクスト(あののうてんきなないようをどんどんと「かいてい」していかねばならない)もここにひとふでがきされるおぼえがきも(あるいはあと一しゅうかんもすればまたとりかかることになる「ほん」のげんこうも)ほとんどかわるところがないというのがしょうじきなところである。それじゃああまいヨとだれにひはんされようともこれはさいきんますますつよまってきているかくしんである。
●そう、あす(きょうだけど)のドライヴ[aをさんしょう]、いくことだけはけっていである。[27:17]

2001年2月6日(火)b
●この一じかんで十六まいもさいてんがすすんだのでちょっときゅうけい(ホラネこうしてまたペースがおちてへいきんかされていくのです)。BGMにヴァイルの『三文オペラ』[たぶん1月29日(月)あたりのVAIO日記でふれているはず]をかけたのがよかったのかもしれない。なぜあのようなきょくが? すきずきでしょ(笑)。それにドイツ語はみみから「イミ」としてはいってこないので。さてつぎのCDは? えいがおんがくだけをあつめたクレーメルの『ル・シネマ』でも。[25:15]

2001年2月6日(火)a
●ひる。ぶんがくぶのほこりたかき「じむちょう」[11月16日(木)をさんしょう]とみちでバッタリあってたちばなし。ことしはていきしけんのせいせきていしゅつ(なんどもかくがきょうがいいわたされている「しめきり」である)がおおはばにおくれているらしい。とくにせんにんきょういんにおおくなかにはシラバスがまだのひともあると。2月ちゅうじゅんににゅうしきかいが一かいふえたことし一ねんだけのへんそくスケジュール(がっかしんせつによる)のとうぜんのしわよせ。みなムリがあることをしっているのである。
●そうやってあんしんしてゆだんしたからではないがこんやのすすみかたはいっそうおそい。どんなにしゅつだいにくふうしてはりきってとりくんだって一じかんに十五まいいじょうはぜったいにこなせない(ところが十五まいもこなそうものならつぎの一じかんにえいきょうがでる)。こんやはそのはんぶんほどである。ことしだけのスケジュールのもんだいとしないでこんぽんてきになにかかいぜんさくをかんがえねばならない。
●あすはにゅうしのさいてんはよていされていないので(たとえ子のおくりがはいったとしてもそれをこなしたあと)ごぜんちゅうはねているつもりでこんやのさぎょうにかけよう。――どくしゃはなにかほかのわだいはないのかとおもっているだろう。それが「ない」のである(笑)。
●いや一てん。こんやげきてきなしんちょくがあったら(この「しんちょく」ということばのないクニにいきたい[笑])あさごはんとしてどこかすこしはなれたレストランのランチでも。すこしクルマで「とおで」するのがいちばんのきぶんてんかんとなるだろうからである。[24:08]

2001年2月5日(月)
●ひる。ごぜんちゅうのさいてんのすすみぐあいがおもわしくなかったのでランチはまずしく(カロリーはたかく)。おもいかえせばあさもまずしかったので(さくやもどうようというウワサがある)だいぶきぶんがふさぎがちである。これでパーッといかないのはきぶんてんかんしたからといってげきてきなへんかがおとずれるとはおもわれないから。ひたすらクラい(笑)。
●あす。ていきしけんのせいせきていしゅつのしめきりびにしてにゅうしのさいてんのしょにち。こうしゃはしゅつだいにかかわっていないわれわれヒラきょういんは2月13日までのかんに四日ほどさいてんかいじょう(がくせいのにゅうかんをきんじたとしょかん)にしょうしゅうされる。まだ三百まいをゆうにのこしてぜったいにまにあうはずのないぜんしゃがかたづくのもしゅうあけのよていなので(じむかたがよんだらおこるだろうが)こうしてこれからまだ一しゅうかんほどがひたすらさいてんにあけくれるひびとなるであろうというたしかなすいそくがみちびかれる。
●――と、ネコのおもらし[さくじつのa、b、cすべてをさんしょう]というのもかんがえてみればあかるいはなしだったのだとおもわれるよるなのであった。[23:10]

2001年2月4日(日)c
●アケテェとどんなにたのんでもドアをアケてくれないのでやむなくおもらしをしたマリのむねんがよなかにおもわれてなかなかねつけない。細君などはどうせするのだったらフローリングのゆかにしてくれたらいいのにとホザいたがトイレをもとめるさけびとノック(まえあしによるはげしいやつ)にもかかわらずだれもきてくれずにほとんどせかいのしゅうまつをおもいえがいたかもしれぬマリがならばさいごはいちばんきもちよかったばしょでとおもいきってやわらかなウモウフトンのうえにジャーッとかいしんのほうにょうのなしとげたことはおおいにそうぞうできる。ならばかのじょのばつのわるそうなひょうじょうはおもらしをしたことそれじたいにまつわるというよりはせかいのしゅうまつがこなかったことにたいするそれであるのかもしれぬ。てつがくはネコのひたいにもそんするといわねばならぬ。[27:22]

2001年2月4日(日)b
●ベッドにおもらししたマリではあるがそれくらいではかのじょのとっけんはみじんもゆるがず三びきのなかでこんやもひとり(一ぴき)だけしんしつにいれてもらってしゅうしん。ちなみにそこにいれてもらえないほかの二ひき[そのあたりのじじょうについては2000年11月16日(木)をさんしょう]はLDKのゆかのマットのうえ(まもなくかいぬしもそこによこたわることになる)でカラダをひっつけてねている。この子たちにはこの子たちのかいらくがある。
●さいてんはもしもにんげんてきなせいかつをおくりながらおこなうとすれば二しゅうかんはたっぷりかかりそうなけはいである。もちろんがっこうのためではなくじぶんじしんのためにとっととかたづけるべくヒにんげんてきなせいかつをおくるつもりだがまいがっきごとにどうにかしなければというおもいをあらたにするばかりである。
●さいてんのさぎょうにPCはつかわないのでそのかんにショスタコーヴィチのカルテットぜんきょくのMP3データかをおこなった。がくしょうかんにスペースがないきょくのおおいショスタコのばあいどうしてもファイルかんのせつぞくにいっしゅんのだんぜつをハラむMP3かのそんしつはちいさくはないがこれもまた十五きょくノンストップ(さいてんのロングランか+スピードアップのためである[笑])などというこうとうむけいをじつげんさせるメリットとくらべたらちいさなそんしつというべきである。[26:10]

2001年2月4日(日)a
●あさからひるにかけてのいっかそろってのがいしゅつのさいにマリ(メスネコ、六さい五かげつ)をしんしつにとじこめてしまって「にょうい」をもよおしたかのじょはどうしようもなくなったみたいでベッドのうえにたっぷりとオシッコをすることになってしまってそのあとしまつでいえじゅうがごごパニックとなった(おかげで父はこんばんはLDKでいつもの「かみん」じょうたいでねることになる)。やんちゃなニゴならまだしものできごとのだいいちのせきにんはマリにはないがオバさんのとしごろになってほんにん(というひょうげんもナンだが)がいかにもバツがわるそうできのどくである。
●こうしていえじゅうが(とはいえじっしつはひとりが)バタバタしているよこでひさびさにたまっていたメールへのへんしん。山響の石井万里子嬢(1st vn.)にはえんそうかい[VAIO日記の1月28日(日)あたりをさんしょう]のよくじつさっそく「みちょう」のシベリウスのきょくのCDをかいこんだこと、サヴァティカル(ごほうびの「ゆうがく」)でパリ在の鶴岡真弓女史(ケルト美術)にはらいねんどのじかんわりのうちあわせ(笑)などを。だがメールはさいきんにっき(ココ)のようにパチパチとオートマティスムのようにかけない。じかんをかけたわりにはないようがとぼしいきがしたので(じかんをかけないけどココのなかみがこいなどとはおもっていない)その「さきっちょ」がひびわれしてキィをたたくのがいたい「みぎて・なかゆび」のせいにする。
●のんびりしているひまはないしそのつもりもなかったのだけれどけっかてきにそのようになってしまってこれからどのようにばんかいしようかとていきしけんのとうあんのヤマをみてとほうにくれる。いずれにしてもあさって6日のしめきりにていしゅつできるわけなどない。「こうぎ」のいみもこめて(?)こんしゅうまる一しゅうかんをかけるくらいのつもりで。
●あす。せんしゅうまつにすませていなければならなかった「やちん」のふりこみ。さいてんさぎょうがげきてきにすすんだらランチはすこしリッチにしてごごはさいてん。よるももちろんさいてん。[23:28]

2001年2月3日(土)
●細君はけっきょくデスクトップのぶんしょをちゃんとかくのうしないまま子とねてしまった。ひとがつかっているときにわりこまないでといわれるかもしれないがVAIO+けいたいでのこうしんとアップをひとばんに二どはめんどうなのでこんどはこちらから――。
●R・シュトラウスの歌劇『ナクソス島のアリアドネ』はてんけいてきなメタシアター。メタシアターにせよメタフィクションにせよそのしゅほうをとるだけであるていどほしょうされる「せいこう」はたしかにあるといわねばならないがこいつはなかなかにじょうしつ。おもわずさいてんのてをとめてしまう。こういうユーモアにせっするとかれシュトラウスのライヴァル、マーラーとのこんにちてきなひょうかのらくさのふとうにあらためておもいいたる。また坂本龍一がオペラをつくろうとけついするにいたったときあのようなPCシアターでおちゃをにごすのではなくいちどはまっしょうじきな(つまりオペラのしゅほうにないざいした)さくひん(ごげんてきないみでのオペラ)のそうしゅつをこころみるべきであったとも。
●さてしかしこのままオペラがおわるまではなしにつきあっているわけにはいかない。「こんち」のいっぽてまえでかかさずのんだカゼクスリとワインがここちよくまじりあってぜんしんにまわってきょうこそ「めいてい」にちかいじょうたいにあるのとあすはあさからあるところにかぞくででむくひつようがあって(この「ようけん」はさすがにこのこうかいにっきにも/こうかいにっきだからこそかけない)さすがにすいみんをとらないわけにはいかないからなのだがそうするといまじゅんちょうにうごいているビデオデッキのせっていを三ばいでなくひょうじゅんのモードとするべきであった(そのためにはさいてい百四十ぷんテープをよういしておくひつようがあったのだが)とのくいがのこるところではある。ひょうじゅんモードでろくがしたこのさくひんをかいそうされるしちょうかくきょうしつでじょうえいできたらきょういくこうかとしてもそうとうなものがえられたであろうはずだからだ。いや、じだいはハードディスクろくが+DVD-RWへのダビングだな。PCならそこそこのものしかかえないねだんでハイスペックなろくがかんきょうがかくりつできるげんきょうにびんかんになろう。
●こうしてキィをたたいているみぎがわのテレビのモニタでは『アリアドネ』はだい二まく(げきちゅうげきのだい一まく)にはいってとんでもなくこうとうむけいなばめんがしんこうしている(もちろんえんしゅつ+おおどうぐ、こどうぐはげんだいのものだ)。坂本がきらったタップリふとったじょゆうたちによるおおぎょうなうたがなりひびきまたそのしんたいてきパフォーマンスにもフランクフルト・バレエ団のそれのようなうつくしさのかけらもないがオペラとしてはもちろんメタオペラとしてもこれがクオリティにおいてあの『LIFE』にまさることだけはひていしようがない。南無阿弥陀仏(あらタン・ドゥンでしたねコレは[笑])。[25:45]

2001年2月2日(金)
●あけがた。しもんがよていされる六めいぶんのそつろん(りきさくが二てんある)のよみなおしをおえてサアねようかというとき(04:50ころ)にサイフ(こぜにいれにめんきょしょうやクレジットカードもはいったじゅうようなやつ)がないことにきづいて(なにもそんなときにきづかなくてもいいのに)それから一じかんはんほどさがしまわる(よなかにコーラをかいにでたじどうはんばいきのあたりにかいちゅうでんとうをもってでたりした)。けっきょくげんかんのすみ(げたばこのした)でみつかったがどうやらわがやのニゴ(オスネコ、六かげつ)あたりがじゃれてあそんでいるうちにそこにおしこんでしまったらしかった。
●そんなこともあって(またこうれいのほいくしょそうげいもあったので)けっきょくすいみんは一じかんほどで(さくやすうじかんのかみんはとっている)きょうもとうこう。六めいのしもんはごぜんちゅうでおえてひるには『武蔵野美術』のちょしゃこうせいのてつづき(ゆうそう&ファクスそうしん)もおえてようやくきたくしてじゅくすい。ゆうしょくをたべたあとはいつものかみん。そうしていまごろようやくかいふく。こんなときにふとラーメンなどをたべにでることができないばしょにすまっていることをすこしくいているところ。
●あす。すいみんをとったこともあってようやくカゼもおさまってきたかなというかんじだがますます天パ[さくじつぶんをさんしょう]のほんしょうをさらげだしてきているかみをきりにいくほどのげんきはまだあしたはないだろう。そろそろていきしけんのさいてんにうつらねばじぶんのくびをしめるいっぽうだがあした一にちくらいはのんびりと。かくしてひさびさに土ようびにやすめる細君もたまっているしごとをこなしたいらしいので(この新PCのあすのオーナーはかのじょである)子はひとり(父母はまたしごとにでているのだとなっとくしながら)16:00までほいくしょにあずけられるのである。[24:50]

2001年2月1日(木)
●つきがかわったけれど1月ぶんを「過去の日記」のページにおくるげんきはない(げんきがなくてもできそうだが)。なのでこんやもにっきをアップするだけで十五びょうほどもかかるじょうたいがつづくのである(笑)。いずれにしても1月はよくかいたものだ。あらためてスクロールしてみるとバカじゃないかといっしゅんおもえる(いっしゅんだけそうおもうにとどめるようどりょくしている)。
●このようなにっきをひかくてきたんねんによんでくださっている(らしいことにきょうきづいた)あるひとから「ところでにくばなれ[せんしゅうまつの「VAIO日記」をさんしょう]はもうなおられたのですか?」ときかれた(メールでのじむてきれんらくへのついきとして)。とてもはずかしい(はずかしかった)がきかれたのでかくならセキこむとまだすこしひびくかんじはするがふつうにしているかぎりはなんらのいたみもかんじなくなりはした。そつろんのしもんをうけるがくせいもそういうしょうじょうをかかえていることにはきづかなかっただろう。
●そのそつろんしもんはあすがいよいよさいしゅう。十めいほどのきょういんが「しゅさ/ふくさ」のチームをくんで(ひとりあたり十五〜二十ぷんていどとはいえ)そつぎょうせいぜんいんぶんのしもんを三、四日でおこなうのだからわれらきょういんもずいぶんまじめではある(スケジュールちょうせいだけでなんにちもかかる)。これがすんでもまだていきしけんのさいてん[1月25日(木)aをさんしょう]がやまほどのこっているがとりあえず衣笠医院にいってクスリ(PLおよびこうせいざい)をついかでだしてもらいたい。かみのけもきりたい(じつは天パ[=天然パーマ]なのである「閾(イキ)」をこえるとどんどんカールがかかってくる)。うまいものをたべたい(細君もがっこうのにゅうしぎょうむでかえりがおそいのでゆうがたはまたしても「ふしかてい」じょうたいである)。けんきゅうしつのそうじをしたい(ほんとうはあまりしたくない)。そしてじぶんのためのぶんしょうをかきたい。[24:00]