2001年4月30日(月・代休)
●ごぜん。こくべつしきでよまれる弔辞はときにきはずかしく、じぶんのしき(!)にあってはぜったいにそのぎしきをもちこむなとゆいごんしたいきもちをあらたにするものだが(いやそもそもそうしきがひつようだろうか?)きょうのWせんせいの、おなじせんこうきょうがくにかかわるどうりょう、おなじがくもんぶんやのライヴァル、おなじだいがくでまなんだせんぱいとしてのそれにはなけた(なみだはこらえたけどね)。なかでも「むこうではすきなクラシックをききながらぞんぶんにワインをたのしんでください」のことば…。なくなったY・Yさんはいまから十三ねんまえに三十四さいのわかさで立命にちゃくにんされたときはドイツりゅうがくからきこくされたばかりの考古学界の「きたいのほし」であったらしいがすいそくするにそのりゅうがくさきでほんばのクラシック[ぞくなひょうげんだ]にせっしまたそのへんしつをはだでかんじとられたのであろう(二どかいわをかわしたことがあるそのさいしょのきかいにひかえめにかたっておられたのがそのしゅのカルチャーショック[これもまたぞくっぽいが]のけいけんだったことがいまでははっきりとりかいされる)。それにしてもそのときにいかにもおいしそうにのんでおられた日本酒よりもワインになにより「め」がなかったとは…。かえすがえす三どめ、そしてそれいじょうのコンタクトをとりえなかったことがおしまれた(「らしく」ないセンチメンタリズムだろうか?)。
●ごご。がくせいのめんだんのあとよていどおりネッツトヨタ京都へ。じつはきょうのメンテのついでにトヨタがしゅっするKDDIでのマイラインけいやくを高橋くん(たんとう)からたのみこまれていてしかしガンコだからそういうセールスはむしろ「ぎゃくこうか」であること(つまり「しょくぎょうがら」[?]ひかくけんきゅうをしてなっとくしてからでないときがすまない)をつたえねばとおもってそこにむかったのだが4月(きょうまで!)のノルマがたっせいできないむねの、いわば「なきおとし」にまけてついつい市外、県外、国際の三カテゴリでKDDIをえらんでしまった。つまり市内はブロードバンドふきゅうまでにやはりフレッツISDNにかにゅうするかのうせいがあるとふんで(そのばあいはNTTとのけいやくがひつようであるらしい)KDDIをせんたくしなかったのだがそのようなてんをきちんとせつめいしてくれるのだから高橋くんはりょうしんてきであるといわねばならない(やはりきょうはおセンチだ!)。
●あす。がくせいのめんだん一けんとかみをきるけいかく(だが「沙羅」[北区小松原]はあいているのだろうか)があるがそのほかはしごと(こうしにわたる)にうちこむつもり。なぜといって母子がつうじょうどおりしょくばとほいくしょにある、このゴールデンウィーク中のかずすくないひとりのじかんなのだからである。[23:45; 27:40に「過去の日記」に送ってから若干の修正]

2001年4月29日(日)
●ごぜん。京都ファミリー(ショッピングセンター)で「仮面ライダー アギト」ショーをかんしょう(とうぜんのことながら「こどもダマシ」のぶたいだがアチラのおもいどおりといういじょうに子はぜっきょうしていた)。しごとでつかうしりょうをかりたいという細君のようせいでそのごは「京都市こども みらい館」(烏丸丸太町)にいどうしてそのしりょうたんさくのあいだプレイルームで子のつきあい。おひるにラーメンをたべてきたくしてすこしひるねをして…――すなわちまったくかくにあたいしないきゅうじつ(と、そのことをかくおろかしさ)。
●ゆうこくいこう。さくやちゃくしゅしたにゅうしかんけいのかいぎようしりょうさくせいはちちとしてすすまず。こんなのにながくかかずらわっているわけにはいかないのにとアセりながらキイをたたいているうちにカラヤン/BPOコンビの「はつらいにち」じのきちょうなえいぞうのろくがをしわすれたことにきづいてショック(そのじかんたいにくだらないドラマ[「日曜劇場・ラブストーリー」]をみていた細君がわるいとこのばしょにはかいておきたい)。きぶんをあらたにするためにこのあとはれんきゅうあけのじゅぎょうのためにパゾリーニ「奇跡の丘」のへんしゅうさぎょう
4月24日(火)をさんしょう]をおこなうつもりだがけれどもきぶんてんかんでしごとがすすまないじじつがかわるわけではいささかもない。くらい。
●あす。10:00からおそうしき
[さくやのaをさんしょう]。クロの、というよりもスーツをきることそれじたいがほんとうにひさしぶり(ズボンもなんとかはいった)。そのあとおひるからがくせいのめんだん(やすみちゅうでもしゅうしょくかつどうようのぶんしょうしどうにやすみはない)とクルマのメンテナンス(ポリマーシーラントかこうかんけいの)。一にちがすぎていくそのさまがすでにこうしてまえのばんにすかしみえる。[23:15]

2001年4月28日(土)b
●ふゆからはるやすみにかけてあれほどマイブームであったワインをひさしぶりにのむ。コルクのせんをぬいて一にちに二、三ばいのんで二日で一ぽんをあけるゆるやかなながれるようなじかんがいまはまったくない(はるやすみものんびりしていていいというわけではなかったのだが)。そのじかんをこのれんきゅうのあいだとりもどそうというのはあまりにキケンといわねばならないのだがすこしビールとはちがうアルコールをのまないではいられないきぶんではある。
●ちなみにそのきぶんをぞうふくするりゆうのひとつに朝比奈のベートーベンがあるのは(したの
aのかきようからすると)ひにくだ。だがこんやのさいしょのプログラム第四番のできはなかなかによかったしエロイカの「葬送行進曲」もさすがに(というとちゃかしているみたいだが)さきだつゆうじんらをなんどとなくこのおんがくでおくっただけあって「わかて」(このせかいでは六十くらいまでそうよばれる)がふるのとはひとあじちがってかんじられた。そうして大フィルはそうとおくないひにこのきょくを朝比奈そのひとじしんのためにえんそうすることになるのであろう(って、やっぱりちゃかしているようにきこえるだろうか)。
●しかしこの、やがてだれもにおとずれる「死」を「生」とのたいひではなく「性」とのちかしさにおいてとらえようとするてんであのえいが「もういちど」
4月23日(月)のVAIO日記をさんしょう]はやはりもんだいていきてきであったといわねばならない。いや、あまりにひさしぶりでえいがなんかみたからあのくらやみのさいみんさようによわされているだけだ(いまはワインでよっているが)。[27:17]

2001年4月28日(土)a
●どうりょう(おなじがくぶ)のまだそんなにおとしでもないあるせんせいが急逝された。立命につとめるようになってからの三ねんかんで二どしかかいわをかわしたことがないがその二どがせんめいにおもいだされるのは考古学をごせんもんとされているのに二十せいきしょとうのおんがくにつよいかんしんをもたれていることをしっておどろいたからである。チャンスがあればまたとおもっていたのに(あちらもそうおもわれていたはずだ)こっちがこんしんかいをサボってばかりだったので4月10日(火)をさんしょう]それはじつげんしなかった。ざんねんである。いまはただごめいふくをおいのりするばかりである。
●ひる。あるひつようにかられてカラープリンタをこうにゅう。三ねんまえにこうにゅうしたきしゅ(けんきゅうしつにある)とくらべるとしゃしんなどかくだんのうつくしさだがPCのモニタ上でじざいにしゃしんがえつらんできるりべんせいをきょうじゅしていると「かみ」のうえにプリントしてそれをせいり・ほぞんすることの「おっくう」はもはやうごかしがたい。ちょうきかんしようしないためにプリンタヘッドがれっかするじたいをさけるためにたまにはつかってやろうとしょにちにしてすでにもったいないけつい。
●これから。BS2ではせんしゅうにつづいて朝比奈ベートーベン・チクルスのだい二だんがほうそうされる(こんやでかんけつ)。そう、せんしゅうは「ろうじんげい」はすきではないといいながらあさがたまでつきあってしまったのだが
4月21日(土)aとよくじつのVAIO日記をさんしょう]それが「ろうじんげい」かどうかはさておくとしてえんそうがおわってぶたいからそうしゃたちがさってもなおこのしきしゃをそこによびもどさなければきがすまない(それはどんなえんそうのあとでもルーティン化しているらしい)朝比奈フリークともいうべきものたちのえんえんとつづくはくしゅはあきらかに「ろうじんイジメ」である。ゆがんだあいじょうひょうげんにたいしてはてきとうなだんかいでライトをおとすなどのたいこうしゅだんをかんけいしゃもまたこうじるべきである――と、そのイライラをついたいけんしたいがためにこんやもまたそのほうそうにつきあう? [24:07]

2001年4月27日(金)
●もうつぎのひのたいようがのぼりそうなじかんになってようやく「かみん」からめがさめた。せんじつはこういうばあい「2001年4月25日(水)はお休みしました。」とかいたのであるが…。
[削除しました。]
●せけんでは「あす」からながいれんきゅうになるところもあるらしい。いや、うちのがっこうじたい九れんきゅうにとつにゅうするというのがたてまえである。じっさいおしょうがつやすみよりもながいきゅうかになるじむのひとたちのうちのなんにんかは「よいおとしを」とあいさつしてかえっていったのだがさまざまなる「しゅくだい」(つぎは「ぶんがくぶかいかく」をうけた「にゅうし」のようこうかくていのさぎょうだ)をだされているワレはこうつぶやかねばならない――ぎぜんだ!、と。
●その「あす」子はほいくしょのぎょうじとして「レンゲつみ」にでかける。いいな、つかれきったおとーさんもつれてっておくれよ(笑)。だめだったらひそかにクルマでおいかけようか(広沢池のちかくらしい)。いや、もう十日ほどもあらっていない黒ヴィッツは黄砂と小雨がくるかえされたここすうじつのてんこうのためにドロドロである。はるやすみには三日とあけずにそれにのってそのたびにやさしくせんしゃしてやったのに(このしゅんかんに黒ヴィッツがじつは「じょせい」であったことがはんめいする?)。かなしみをぞうふくさせる、これもまたげんじつ。[29:00]

2001年4月26日(木)b
●したのaをアップしたちょくごににっきが「あぶない」とにっきにかくとはどういうことかとじもんしていったんはさくじょしようかとおもった。が、そうかんがえることがすでにじいしきかじょうである。そんなにたいしたことではない。
●しごとは――じゅぎょうはしんどくてもまだすくいがある。すくいのないほうは? れんきゅうなどかんけいなくつづく、つづく。[22:16]

2001年4月26日(木)a
●きのうはゆうしょくのあとダウン。かいぎ三つが二日つづいた(+じゅぎょう)だけでなくてもちろんそのまえのドリーム号のけんもえいきょうしているのだろうからただしごとについてグチることはゆるされない、これはわかっていますので…。
●きょうはゼミけいしきが二コマとあすのじゅうだいかいぎにむけたうちあわせ+しりょうさくせいがあるのでこんやも(きのうのようにかみんとしょうしてねむりつづけるわけにはいかない)にっきのほうはおおいにあぶない。[08:23]

2001年4月25日(水)はお休みしました。

2001年4月24日(火)
●ひさびさにのったドリーム号[そうなったじじょうについてはVAIO日記のさくやぶんをさんしょう]はけっこうたのしかったような、ただくつうであったような…。ただそのバスをおりてタクシーをつかまえようとトコトコあるきだしたらぐうぜんやってきたのでとびのった市バス(26番;御室・仁和寺方面山越行;始発)がほとんどタクシーとかわらぬはやさでじたくちかく(妙心寺北門前)まで「かいそう」した、ひるまのじゅうたいがウソのようなそうちょうの京都のまちはうたがいなくしんせんであった。
●さて、じたくにつくといつもよりはやくめざめていた子がいきなり「おみやげナニぃ?」とげんき(ん)なおむかえ。こんかいのはちいさなネズミのキャラクターによるとくさつモノ「Stuart Little」のDVDだったのだがちょうしょくをたべながらさっそくみようとする子をせいしてこいつはよるまでのおあずけ(こういうじょうきょうではほんのすこしまえまでならききわけないでなきわめいたものだが)。その子のほいくしょへのおくりとどけは母のほうがたんとうしてこちらはほんのいっしゅんのかみん。一じかんほどでおきるとがっこうへかけこんでさきのしゅうまつに(こういうことになるとよそうせずにやくそくした)がくせいのめんだんを一けんすませてそのごはかいぎが三けんれんぞく。ゴールデンウィークちゅうはあいだにはさまれたへいじつもやすみにしてしまうがっこうだからそのまえのかいぎラッシュはしかたないともいえるがあすもどうように三けんとなるとさすがにかんがえただけでひへいする。いや、ゴールデンウィークちゅうにこなさねばならない「しゅくだい」もいくつかかされる。きのうのごごをとおいかこのようにすでにおもいかえしている。
●あす。そのかいぎ三けんのまえにまず一げんめのじゅぎょう(「芸術論」)。二しゅうかけてよんだせいしょのテクストをうけてパゾリーニがかんとくしたえいが「奇跡の丘」(マタイ書にもとづいている)をみようかとかんがえて二じかんをゆうにこえるテープ(三ばいモードでとっているうえになんどもさいせいしたのでかなりがぞうがれっかしている)をPCにとりこんだのだが「がしつ」のてんでさらにおとるmpg1にあっしゅくしても2GB(ギガバイト)をこえるデータりょうでカット&ペーストがおもうようにできない(CPUのスペックのもんだいもあるがそのまえにどこをえらぶかをきめるだけでずいぶんかかりそうだ)。ということでこのしちょうかくしりょうのりようはれんきゅうあけにへんこうして(また「しゅくだい」がふえたわけだ)あすはスライドをもちいたおんとうな「じゅたいこくち」ろんを。[24:20; 24:40一部修正]

2001年4月22日(土)−23日(月)はコチラの日記はお休みしました。

2001年4月21日(土)b
●ひづけがかわってだいぶじかんがたつが21日づけで――そう、「きょう」はセリ(いまグッスリねているところをフラッシュをたいておこすのはかわいそうなので一かげついじょうまえのしゃしんをけいしゅつしておく)の一さいのたんじょうびなのだった。きづくのがおそくてかのじょにはなにもとくべつなことをしてあげられなかったけれど故タマやマリやニゴにすこしもおとることなくわがやであいされていることをここにめいきしておく。[27:00]

2001年4月21日(土)a
●父母がともにやすみの土ようび。なのに子はほいくしょにあずけられる(土ようびのタイムリミット16:00までたっぷりと)。子のいぬまにあいびきというわけではイマサラない。それぞれにしたいことをしてまたカラダをいたわりたいひであるわけだが(日ようびはそうはいかない)母のほうはひさびさにキモノをひっぱりだしてきてひとりで上七軒〔かみしちけん〕歌舞練場に春のふうぶつし「北野をどり」をみにいった。東京・本郷にすんでいるときもしょっちゅうじぶんで「きつけ」をして歌舞伎をみにいって三越あたりでかいものをしてかえりに甘味処によってくるマイペースなひとだったがひさしぶりにかのじょの「ほんりょうはっき」といったところか(だいぶストレスがたまっていたしょうこでもある)。
●それにくらべるときょうの父に「とっき」すべきことがらはない。きのうにかぎらずひんぱんにストレスをはっさんしているから(笑)? いや、あすのおひるにはげんじつにそこにむかう新幹線にのっている東京にきもちがすっかりとんでしまっているのである。きのうもかいたようにささいなもくてき(しょうさいはヒ・ミ・ツだ)のためのじつにあわただしいたびなのだがすこしでもスケジュールによゆうができたら(iモードでけんさくしてでも)コンサートにあしをはこぶつもり(日ようびならひるでもよるでもどこかでなにかやっているはずだ/月ようびはかえりの新幹線のじかんをかんがえるとキツいが)。
●ついでにおんがくかんけいのわだい。G・シノーポリがベルリンでヴェルディをふっているさいちゅうに急死した(20日、享年五十四歳)。メディアはおおさわぎだがそのかいしゃく・「しき」ぶり・インテリぶりをこのまないこっちにとっては16日に(これもとくにけんこうふあんがほうどうされていなかったから急死のぶるいにはいるだろうがむしろ)「てんじゅ」をまっとうした(といいたい)P・マーク(享年八十一歳)の、四日おくれの「ふほう」のほうがはるかにじゅうだいである。六〇年代にDECCAにのこしたメンデルスゾーンほかのめいえん[オケはロンドン響]がゆうめいだがきんねんもスペインやイタリアのマイナー・オケをふって/マイナー・レーベルから旧盤をしのぐほどハツラツとした十八番〔おはこ〕の「イタリア」やベートーベン・チクルスのディスクをリリースしてマニアックなファンをよろこばせていたのだからである。ちなみに「てんじゅ」といえばそれをゆうにこえて(?)なお「しきだい」にたつ朝比奈隆/大フィルの、やはりベートーベン・チクルスのようすがこんやBS2でいっきょに(らいしゅうと[?]二しゅうにわけて)ほうそうされる。いや、しょうじきいって「ろうじんげい」そのものにはきょうみはないのだが(たとえばシュタルケルはいまだじゅうぶんわかわかしいからオッカケるのである)さすがにこのしゅのプロジェクトとしてはこれがこの「せかいさいちょうろうしきしゃ」(九十三歳だっけ?)さいごのものとなるようによかんされるので三ばいモードにして百八十ぷんようテープ一かん(つまり九じかんしゅうろくかのうとなる)にそのゆうしをおさめるつもり。もっとも、どうせあとからさいせいすることはないだろうともよかんされるのだが。[24:00]


2001年4月20日(金)b
●「G太呂」のソバについてほそく、あるいはていせい。あれは「きかいうち」[したのaをさんしょう]ではないだろう。「て」でうっているがキるのが「きかい」なのだ。たぶん。いましがたまでしていた「かみん」のさなかにゆめでそのような「おつげ」があった(笑)。
●もうひとつあったおつげをうけて22日(日)に「じょうきょう」することをけつい。こうむもまっているのでもちろん一ぱく(げつようびは「けんきゅうび」
[4月8日(日)、16日(月)bをさんしょう]だからだいじょうぶ)で一けんのしょようをすませるだけのあわただしいたび(「いなば」[板橋、寿司][3月にたずねているが日記は休んでいたので読みうる近いところでは2月27日(火)をさんしょう]にもたちよれそうにない)。東京でのんびりすごせるのはいったいいつのことか。[26:10]

2001年4月20日(金)a
●ソバはたべたし、さりとてクルマをだすきりょくもなし――ということでおひるはせいきょうのたなにならんだばかりの『レコード芸術』5月号をかってからトコトコと七、八ふんあるいて「G太呂」(木辻馬代上ル)へ。いかにも「きかいうち」のめんで「やせいみ」にはかけるがコシもじゅうぶんにあるじょうひんなあじ・かおりで、ついついひるまからカラクチの「加賀鳶」を「ひや」でいただきながらてんざるをしょくしてしまった。ちなみにこのみせの「なんてん」はふつうもりだといかにもしょうりょうでおなかをまんぞくさせてくれないてんにあるのだがおきまりの「ついか」でオオモリをたのむとそっちはたんぴんでそれをたのむばあい(1000円)よりもずいぶんとやすい「おかわり」りょうきん(600円=300円+300円)だったのでとてもトクしたきぶんになった。いずれにしてもそうがく2835円(しょうひぜいこみ)はしょうしょうおたかいが一しゅうかんのさいごのじゅぎょうがおもいどおりにはこんだのでこういうおひるもまたいいかと。
●そう、そのかえりみちにおいしいコーヒーをのんでますますしあわせなきぶんになってがくないをあるいているとどうりょうのYせんせい(けいじばんでは「ひもだY」のハンドルネームでけんぴつをふるわれている)とすれちがったのだがおさけがかおにでているカナとおもったらそのことでいっそう「せきめん」してしまった(ようにかんじられた)。すこしやましいきぶんになったのでそのごはだれともめをあわさないようにしてすぐにきたくした。
●ゆうこく。ひるまはすきなことをしておいてナンだがきのうのつかれがありまたカゼもすっきりしないこともあってぐったりしている(ぶんしょうもサエない)。こんやははやくねることになるだろうからにっきもはやめのアップ。[19:55]

2001年4月19日(木)
●たいちょうふりょう(きょうはホンモノのカゼ)。じゅぎょうちゅうもずいぶんセキこんだ。いまもすこししんどい。子にうつらなければいいが。
●その子とふたりきりのよる
[さくやぶんをさんしょう]はよていどおり「しまだ」のステーキから(ほいくしょのかえりにさっそくたちよった)。いつもはおおめのグラムすうをちゅうもんして子のぶんをすこしとりわけていただくのだがいずれにせよ「うつわ」を一セットよういさせることになるのでこんやは二人ぶんちゅうもんして父がつまり一・五人前をたべることにした(しゃしんはさいごにオプションでちゅうもんするガーリック・ライス。そのおいしさがしゃしんではつたわらないのがざんねんだ)。おかげでとうぜんまんぷくだが(すこしムネやけもする)むかしならペロッとたべられたりょうだともおもわれた。「とし」をまたかんじた。まあ、ことし四十になるのだからいたしかたない。
●このムネやけとカゼのダブルパンチはしかしねるまえにえほんをよみきかせるしゅうかん(ふだんは細君がちゅうじつにつづけている)をちゅうだんするこうじつとはなりはしない。かこくだがこのげんじつはうけいれなければならないので「ジャックと豆の木」と「親指トム」の二ほんをおもいっきりコくよみきかせてやった(とうじょうじんぶつはみな大阪べんである)。「かみしばいや」になるさいのうもあるのではないかしらん。いや、まいしゅうかみしばい(スライド・ショー)をやってるじゃないか。
●こうしたつつましい父おやぶりをえんじたはんどうでつぎのひはこのストレスをはっさんしたくなる(笑)。あすは二時限めのじゅぎょう(「外書講読」)をおえたらまたしてもソバもくてきのドライヴにでも。[23:22]

2001年4月18日(水)
●まずはゆうこくからついさっきまでひきづっていた「もんだい」から――すなわちPCにもじどおりのトラブルがはっせい。かくとうのすえにようやくふっきゅうしたが[vaio日記もさんしょう]こうしたことがあるたびにマニュアルるいのひょうげんのふしんせつにいらだち、そしてひへいする。
●うえよりもすこしはやくに『武蔵野美術』誌のさいしゅうごう(第百二十号)がとどく。わがテクスト「モダニズムの条件」(しめんじょうでは「フリードからグリーンバーグへ」をタイトルとしている)はHPないでけいしゅつしている「はん」(ver. 2)からさらにじゃっかんのかいていがなされているものだがいつもどおり(いつもいじょうに)「はんどうてき」なそのないようはさておき(さておいてはいけないのだが)じつはそこからさらにかいてい・ぞうほがつづいたけっかこそがいまHPないにけいしゅつされているはずであったとうしょのもくひょうがまったくはたせないままきょうのひをむかえたことをここにめいきしておきたい。いや、このプロジェクトは「これから」だとなぐさめることもかのうではあるだろうがいずれにしてもこの「きかんし」(=武蔵野美術大学がしゅっぱんする)といい『みづゑ』といい『FRAME』といい、おもいでぶかいざっしのさいしゅうごうにテクストをきこうすることができたのはこうふく/こううんであったといわねばならない(ほんしんはもうすこしふくざつだが)。
●かこをふりかえらずあしたをみつめよう(笑)。ゼミけいしきのじゅぎょうが二コマ(三、四かいせいごうどうのゼミでは「そつぎょうアルバム」ようのしゅうごうしゃしんをさつえいする)。それはいいがもんだいはゆうこくから――細君がつとめさき(がっこう→だがちかいしょうらいヤメるようなよかんがする)のけんしゅうりょこうのいんそつでいえをあける。よって子とふたり。こんやのひへいもあることだしとうぜんゆうしょくをつくるきりょくなどはない(奈良のじっかにかえるてもあるがほいくしょにかくじつにまにあわせるためによくちょう7:00すぎにむこうをしゅっぱつするのはいかにもキツい)。というわけで父子で「しまだ」(ステーキ)でおいしいおにくなどをのんびりと。これもまたよし。[24:05]

2001年4月17日(火)
●タマがしんでちょうど一ねん。きょねんはまだサクラがちりきっていなかったときおくするがことしはこのあたりのきぎのえだはすっかりしょんりょくにとってかわられている。もっとも、「おそざき」でゆうめいな仁和寺の御室桜はきのうくらいがまんかいだったらしいし大阪・造幣局の「とおりぬけ」もきょうからなのだが。
●さて「ブライト動物病院」(竜安寺道駅南)でその「しぼう」がせんこくされたじこく15:13には一ぷんかんの「もくとう」をささげた――というのはまったくのウソだがいちおうわがやでは三つのしゅだんでありしひのタマをうやうやしくおもいしのんだ。(1)8mmビデオにとってあったかれとかのじょ(マリ)のなかむつまじいすがた(「なか」がそんなによくなかったふたりだが1996年1月にしゅうちゅうてきにさつえいしたれいがいてきなえいぞうがある)をPCにMPEG1データとしていったんとりこんだうえでへんしゅうしてビデオCD(約20min.)としてヤイて「じょうえいかい」をひらいた(ゼミでウルトラマンガイアのさいしゅうかいのいちぶをじょうえいしてひんしゅくをかうなどした[笑]
[4月11日(水)および12日(木)aをさんしょう]それらいちれんのこうどうはすべてこのひのためのじゅんびさぎょうであった[もっとひんしゅくかな])。(2)タマの「だいこうぶつ」だった「坂角〔ばんかく〕のゆかり」(愛知県東海市のメーカーがつくるエビをねりこんだゆうめいな「せんべい」)をわざわざ高島屋(四条河原町)でかってきてたべた(タマがしんでからはじめてたべたのでこのときはみななみだをうかべんばかりであった)。(3)まっしろだったタマにちなんでしろいショートケーキをたべた(たんに子がすきだからというウワサもある)。
●こうしたぎしきのさなかにも三びきいるわがやネコたち(セリとニゴはごぞんじのとおりタマがしんでからやってきた)はいつものようにはしりまわっておもちゃやしょるいやCDをけちらしている。いや、オバさんになったマリはひとりめんどくさそうにわかいネコたちをみている。かのじょのこのきぶんをきょうゆうすることもしばしばだが、まあしかしネコたちのことがなやみのタネであるうちはかいぬしであるにんげんはしあわせといわねばなるまい。[26:30]

2001年4月16日(月)b
●クルマをはしらせようとすると京都市内はどこもじゅうたいしているが(このじきはかんこうバスのかずがげきぞうする)じてんしゃでほいくしょのおくりむかえをするにはいちばんきもちのいいきせつ。といいながらひるまは比叡山までドライヴ。そこそこじゅうじつした「けんきゅうび」[4月8日(日)をさんしょう]
●きょねんのきょうはしかしタマのぐあいがどんどんあっかしてしんしんともにひへいしきっていた。そしてちりょうとかんびょうのかいもなくかれははっしょうから六日めにあたる2000年4月17日(月)のごごにそのてんめいをまっとうする。というわけでこんやはあすの「一しゅうき」のためのささやかなじゅんびを。[25:50; 26:26修正]

2001年4月16日(月)a
[削除しました。]
[削除しました。]
[削除しました。][03:56]

2001年4月15日(日)
●とくにかくべきことがみあたらないぼんようきわまる日ようび。またいつものようにざつようであけくれるだろうウィークデイにむけてこんやはこれからちょっとやっかいなしごとを一けん(ひるまヤればいいんだけどそういうきにならなかったのでたぶんあけがたちかくまで)。[22:32]

2001年4月14日(土)b
●よる。たいちょうふりょう(ものは「かきよう」だが)。おかげでBS2のBPOのコンサート・ライヴのろくがもしわすれてしまった。
●なのでひるまかったギトリス/アルゲリッチのクロイツェルをきく。おんていはなんどもはずすしスピードについてこれないところもあって「ききよう」によってはほとんどアマチュアだが、にもかかわらずぜんたいてきに/あっとうてきにプロフェッショナルなしごとにしあがっている(かいじょうできいていたらナミダをきんじえないだろう)。なによりもアルゲリッチが「ひっし」になっている。はんぶんはこのろうきょうのヴァイオリニストのおとろえをたすけようとするあまりであることはめいはくだがもちろんそればかりでない。もじどおりの「おんがくせい」におけるきっこう。これとくらべると「じょおうさま」ムターが「げぼく」オーキスをしたがえてひくベートーベン――いまBPOのプログラムのあとにBS2でながれている――のほうがふけんこうにおもえる。あるいはトルストイ/ヤナーチェクてきなエロティックなもうそうをゆるすならばここでギトリス(八十歳ちかくであるはずだ)とアルゲリッチ(かのじょももう六十歳でしょ、たしか)のふたりはデキてしまっている(こっちのほうがふけんこうというひともいるかな[笑])。いずれにしてもこんなえんそうのあとにつづけてフランクのソナタをつづけてきくなどということはできない。ほとんどマーラーをきちんと(BGMとしてでなく)きいたあとのようなしょうもうである。
●あと三十ぷんもしたらそらがシラんでくるであろうこんなじかんから「にくじゃが」ののこりでビール(+ワイン?)を。「あす」にえいきょうしないことをねんじたいとはおもうが(笑)こんなおんがくをきいたよるにシラフでいることはたえられない。[28:50]

2001年4月14日(土)a
●あさ。ますいからすっかりさめたニゴは二日まえまでとかわらぬようすで、けれどセリにはいごからのしかかろうとするポーズ(さいきんひんぱんにみられた)はとらなくなった。めでたい(とはたんじゅんにはおもえない)。
●ひる。JEUGIA三条本店でCDを(たった)三まいこうにゅうして(ギトリス/アルゲリッチの「クロイツェル」とフランクのライヴ、高橋アキの武満、フェイスフルがうたう英語版「七つの大罪」[ワイル])そのあとむかいの「田毎本店」(そば)でてんぷらソバと(クルマだったけど)日本酒をしょうしょう。このみせといい立命ちかくの「権太呂」といい京都にはうまいソバやがないというにんしきのあやまりをこのところおもいしらされている。山形でいうと「梅そば」(だったはずだ)、東京なら「藪」(上野)や「小松庵」(池袋)のそれにつうじるじょうひんなあじで、ついついてんぷらなどをつつきながら日本酒をなめたくなるタイプ。というよりも「とし」をとったからだというせつもある(笑)。いや、へいじつがあまりざつばつとしているので土ようび(つぎのひのように子がいてとってもめんどうだったりしない)はこういういきぬきがひつようなのだというほうがかなりせいかく。[16:30]

2001年4月13日(金)b
●ニゴはぶじしゅじゅつをおえてきたく。だがまだ「ますい」がすこしきいているのでめがトローンとしている。こんやはひさびさにダイニングのゆかでかれに「そいね」――するとまたそのかんびょうのためにおなじように「そいね」したタマのことがおもいだされる。17日の「一しゅうき」まではちょっとしたことでセンティメンタルになるこうしたじょうたいがつづくとおもいたまえ。[23:36]

2001年4月13日(金)a
●サクラのきせつに逝ったタマのわだい[したのbをさんしょう]のあとにニゴの「きょせい」のことをかきつけるのはひにくだがきょうはこれから(二時限めのじゅぎょうのまえに)かれをタマがさいごをみとられたびょういんにあずけにいく。はんとしでもうりっぱなオトコのこで、ひろわれたじょうきょう[2000年7月24日(月)a いこうをさんしょう]がちがっていればオモテでどんどん「こい」をすることができたのかもしれないことをおもうといっしゅんかわってやりたいきぶん(苦笑)になる。いずれにしてもゆうがたびょういんにむかえにいったときにはかれの「こかん」にはあのかわいいタマタマがない。さびしい[09:25]

2001年4月12日(木)b
●ちょっとみただけではきづかれないていどにグラマラスになってヴィッツがかえってきた。だがつややかにポリッシュされたしゃたいにつめたいきりさめがふりそそいでいる。いや、これがやんだらまた黄砂がまいおちてきてひどいばあいはまたワニガワのごときひょうひ(笑)をみせるのである。で、それがイヤだからまたせんしゃ。イタチごっことはこのことである。
●ゆうがたのこの「さいかい」のまえにひさびさに嵐電にのるチャンスがあったのだがそこではじめて竜安寺道駅のホームわきのサクラ(安吾の「桜の下の…」のせかいをおもいおこさせる)も鳴滝のサクラのトンネル
[2000年4月9日(日)をさんしょう]もことしはめでることをわすれていたことにきづいた(どっちもすっかりちっていた)。と、さくねんのにっきをよみかえすとことしのほうがじゃっかんサクラがかいかするのもちるのもはやかったことがわかるとともにそのちりゆくサクラのはなとともに逝ったタマのことがいやおうなくおもいおこされたのである。そう、さくねんのまさに4月12日(水)にかれの急性腎不全がはっしょうしたのであったから。
●ところで京都のサクラがちるころに山形ではそのかいかをむかえる。こんやそのちからとどいたメールによれば前任校(東北芸術工科大学)のまえのがいろじゅの一ぽんがようやくはなをつけた、と。そこにつとめていた日日、というよりもじたくがあった東京とそこの二かしょでそのはなをたのしむことができた日日がなつかしくおもいだされる。[24:12; 25:12大幅修正]

2001年4月12日(木)a
●さくやぶんにかいたじゅぎょうけいかくはじゃっかんへんこうになった。というよりもココはじゅぎょうけいかくをかくばしょではないはずだ。さくじょするとさいきんのにちじょうでひかくてきおおくのじかんをしめているこうどう(キャプチャリング)のわだいまでかくしてしまうことになるのでとりあえず(みんせいようとしては)あたらしいテクノロジーをくししている(ふりまわされている)と。[08:15]

2001年4月11日(水)
●とりためたアナログ・ビデオをキャプチャでPCにとりこむさぎょうをこのところくりかえしている(これがいじょうにじかんがかかる)。MPEG2は「がしつ(せいさいど)」のてんですぐれるがバカみたいにHDのようりょうをくううえにへんしゅうようソフトが「こうきゅう」なので(すこし「やすい」[ねだんもつかいがってのてんでも]のでトライしてみたがそれでもつかいこなせない)せんじつはやばやとあきらめてMPEG1にのりかえ。がめんのざらつきかんはもちろんきになるがハード、ソフト、そしてりようするにんげんののうりょくのてんでもいまはこのていどがにあっている。そうしてそのりようもくてきのひとつがじゅぎょうでのしちょうかくきょうざいとしてのそれ。まずあすは「基礎講読」というかもくで、かつてにこさんの「掲示板」(きゅうしつちゅう)にかきこんでこのふゆ「第1室」にもさいろくしたウルトラマンガイアのさいしゅうかいのきょだいなかいじゅう(つうじょうの四、五十メートルのそれの「つうねん」をおおきくいつだつする)とのたいけつばめん(ほんの六ぷんほど)をとりあげていわばその「かいじゅうてきいか(異化; de-familiarization)」のもんだいをろんじ、さらに『薔薇の名前』(えいが)をダビング・へんしゅうしてそこでのアリストテレスのあつかいにもろんきゅうする(エーコのげんさくはもちろんよくできているがえいがとしてもこうかてきなく「ふくせん」や「しかけ」にみちあふれている→だからといってえいがとしてすぐれているかはべつもんだいだが)。いったいどういうじゅぎょう(ゼミけいしきなのだがまだイントロだんかいなのでしゅさいしゃがみほんをみせている)なんだ(笑)? いえネ、えいぞうにまつわるごくありきたりなフォーマリズムのじっせんにすぎません。
●あすはこのあとゼミもこなしたあとほんのすこしドレスアップしたわが黒ヴィッツ
[4月6日(金)をさんしょう]をおでむかえ。で、どこにくりだすかというとこんやのぶんでストックがなくなった子のオムツのかいだしのためにライフ(スーパー)にでも(笑)。[24:42]

2001年4月10日(火)
●こんやは立文会(ぶんがくぶきょういんのこんしんかい)があったのだがいつものようにサボった(年二回かいさいされるこのかいはこれで四回れんぞくけっせきである[ちかいところでは2000年12月19日(火)をさんしょう])。さくやのえんかいがなければじじょうもちがったかもしれないが二日つづけてきをつかうおさけはカラダにもよくないとおもわれた。さてつぎのとき(ぼうねんかい)はどういうりゆうをでっちあげよう(笑)。
●さてもう二十四じかんがたとうとするのですこし「きょり」をおいてさくやのえん(わが立命とはかんけいのないところからおカネがでているのでごあんしんを[笑])についても――ほんの一ぽんのでんちゅう・でんせんにもじゃまされないで大文字(右)がみえて、そればかりかその「おくりび」のほのおがうつるいけのおもてをみながらおいしいわしょくにしたつづみをうつことさえできるざしきがあって、ざんねんながらそこはフランスの元首相ご一行がりようされることになっていたので一行がくるまえにそのえんがわでシャンパン(おいしかった)をのんでしょくじはほかのざしきでとったのだが、そのことじたいよりもそういったばしょやじょうきょうがさしてとくべつでもないしゅるいのにんげんがいることがちょっとしたおどろきであった。桂離宮なんぞしりもしないが「あかちょうちん」はこころからいあいするといった安吾ではないが大文字のしたに「やすりょかん」のひわいなネオンでもチラチラとみえるほうがわれもまたあんしんするとここではめいげんしておきたい。
●えんかいをサボったりゆうをこうせいするもうひとつのよういんとしての、あすあさ一限めのじゅぎょう(「芸術論」)。第二回め(はやくも!)からすうかいにわたるきょうつうのテーマは「ぶんがくとしてのせいしょ」のよみかたで、まずそのどうにゅうにあたるあすの一かいめは「きゅうやく」ぼうとうのアダム&イヴ&リリトの「さんかくかんけい」、そしてらいしゅうが「しんやく」のマタイ&マルコ&ルカの「きょうかん(共観)ふくいんしょ」をあつかう(もちろん「おまけ」でヨハネにも)。まあしかしほんとうのところは「はいふしりょう」もマスターコピーをつかいまわしできる「ていばん」の、ゆえにこんやのけっせきのりゆうとはならない「らくしょう」のじゅぎょう。[20:35]

2001年4月9日(月)
●ほんとうのにっきならかくであろうのにここがこうかいのばしょであるがゆえにかいていないことがここすうじつで三けんほどある。かかないけれどしかしちゃんとわすれずにいるべきことがらなので「うらちょうぼ」のようにもうひとつのにっきをかこうかというきもちにいっしゅんなる(もちろんひこうかいだとなにもかかないことがこの3月にりっしょうされたのでかきはしないのだが)。まあこんなことはこれまでにもなんどもあったのだしこれからもまたちょくちょくあるだろうが。
●それにややにかよったわだい。こんやは銀閣寺ちかくのあるやかたでエラいかたがたすうめいとせきをともにしなければならない。そこでなにがどうはなしあわれようとこのばしょではもはやいっさいふれることはないはずだがとにかくきょうはそのことでもうあさからずっときぶんがおもい。どこかへとうひしたいくらいだ(けれどもヴィッツはあさディーラーにあずけられた)。こんやはあまりにしずんだきもちになってもうにっきはこうしんされないだろう。それがどうした。いや、それだけである。
●このままではあんまりこのばしょがくらいのできのうさつえいした長谷寺のカメ(その「こうら」にサクラのはなびらがまいおちている)のしゃしんでも。[15:35]

2001年4月8日(日)
●長谷寺はめいぶつのボタンをめでるにはまだすうしゅうかんはやいのだがサクラはみるにはきょうがさいこうだったろう(まんかいをすぎてかぜにはらびらがまいはじめていた)。「さんきゃく」つきの一眼レフ・カメラをもつアマチュア・カメラマンたちにまじってデジカメもてる「しゃしんこぞう」(笑)ももちろんまたしてもボンヨウなしゃしんのかずかずをとったのだがきょうこのばしょにけいしゅつすべきはその「花の寺」からのかえりみちにたちよった桜井のとあるみせでしょくした「にゅうめん」(そうめんをあたたかいツユでしょくす、このちほうのメジャーなメニュー)のしゃしん。さすがは三輪そうめんの里だけあるとおもわせるいっぴん。
●月ようびは「けんきゅうび」のめいもくでなんのよていもいれないはずのひなのだがあすは土日がつぶれたぶんさまざまなるこうむ・ざつようのおくれをとりもどす一にちとなる。ランチもつつましくビールものまずに。[25:50]

2001年4月7日(土)はコチラの日記はお休みしました。

2001年4月6日(金)
●あさ。きのうの入園式(しょにちの「しき」はざいえんせいもこうよんでしゅっせきする)は母おやまかせだったので父おやがとうえんするのはひさびさ。するとこのあいだまでウメのはながさいていた[おやすみちゅうの3月のにっきのページでしゃしんをけいしゅつしていた]そのとなり(こんどは「もんぴ」のうちがわ)ではサクラがかいせいのそらをはいけいにうすピンクにはえていた。というわけであさはデジカメをもっていってなかったのでひるまこっそりしのびこんでさつえいしたまんかいのサクラを。
●ごぜんちゅうの「外書講読」(三かいせいむけ)。じゅこうしゃがよそういじょうにすくなくてしょうしょうラクタン。すうねんまえに「ひっしゅう」にしなくなってからのきなみとうろくしゃがへっているがことしたんとうするクラスはわがインスティテュートのがくせいはたった二めいで(しかもそいつらはしょかいサボった)それにくわえてほかのせんこうからなんとか三めいがしゅっせきというありさま。とうろくゼロのクラス(いくつかでそう)のこともかんがみてじねんどはかいこうすうをへらせとじむサイドがことしもいってくるのはじゅうぶんよそう・なっとくできる(「ひっしゅう」にもどせばいいというぎろんはただの「はんどう」である)。
●ごごはさくじつの「おもいつき」どおりにソバをたべにクルマでとおで。京都市内から市外北部および西部にぬけでる峠でゆいいつ「そうは」していない府道733号(柚原向日線)をゆくけっしんをして京都市芸大てまえから大野原のほうにはいるも16:00まで「つうこうどめ」のきせいがしかれていたので「ゆき」は京都縦貫道で亀岡にはいってずいぶんスムーズにやまあいの「季楽」
[ちかいところでは2月23日(金)aをさんしょう]へ。いつものようにオオモリ二まいをたべおわったのが15:20すぎだったので「つうこうどめ」のばしょまでちょうど四、五十ぷんかかるだろうとふんで「かえり」はとうしょけいかくした柚原向日線を亀岡から京都ほうめんへぎゃっこう。たいがいのちずではクルマがそうこうふのうであるようなひょうきになっているだけあってとちゅうからみちはせまい、とにかくせまい。十すうキロの「なんしょ」でスレちがったクルマが三だいだけだったのはさいわいだったがさすがにこのルートはもう二どととおるまいとかたくけっしん(笑)。ちなみにきょうの二まいめはそのけわしいやまみちのしゅうばん、義峰寺(京都市西京区)をすぎたあたりでめのまえがきゅうにひらけたところでさつえいしたボンヨウきわまるとうげのしゃしん(しょうめんにみえるのは洛西ニュータウンから京都市芸大にかけてのあたりのハズ)。
●あすは滋賀の某ホールでなかなかじつえんにせっするきかいのないきょくがえんそうされるきょうみぶかいコンサートがあるがざんねんながら「いちぞく」にかかるもんだいのために奈良にむかわねばならずちょうしゅがかなわない(にっきのアップもできないだろう)。そのかわりあさっては吉野まであしをのばしてようやくチラホラさきはじめたらしいそのちのサクラをめでてこようか(つぎのしゃしんはきたいしてほしい[笑])ともかんがえている(どうろはどこもこんざつしているようなのできびしいかな?)。そうして三日つづけてのながたびからかえってきたらよくじつ(9日[月])からヴィッツは三日ほどディーラーにあずけられて六かげつめのちょっとしたせいびとドレスアップ(フロントスポイラーとサイドマッドガードのそうちゃく)をほどこされる。きょうのドライヴのとちゅうネッツの高橋くんにぐうぜんであったこともあっておねがいすることになった、これもまあ「おもいつき」。[23:00; 24:18&33:15一部修正]

2001年4月5日(木)
●ほいくしょがはじまった。子は四さいじクラス(きりん組)にしんきゅう。たんにんはニゴ(ネコです)のきょうだい二ひきをひきとってくださった田中センセイ(「よそう」はハズレた)。あちらはバニラとチョコとかわいいなまえをつけてもらっているが[このあたりのナマエにまつわるじじょうについては2000年8月12日(土)aおよび30日(水)aをさんしょう]いずれにしてもこれからはいっそうせいちょうぐあいなどにかんするじょうほうこうかんがひんぱんになされるだろう。そう、まずは「きょせい」のスケジュールにまつわって…。
●きょうはまた三、四かいせいごうどうのゼミ(および二かいせいのゼミけいしきの「基礎講読」)のしょにちでもあった。こうぎのすすめかたにはもはやまったくマヨイはないが(ホント?)ゼミけいしきの(つまりじゅこうせいとの「たいわ」がある)じゅぎょうのうんえいについてはそれなりにアタマをなやませる(クラスによってずいぶん「いろあい」もちがうし)。だがきょうつうのかだいはきょういん=「しゅさいしゃ」としていかにはつげんのりょうをひかえるか(笑)。じつはきょうもたくさんしゃべったのだがそれでもひかくてきおさえられたほうではあった。あすの「外書講読」[がいこくごのせんもんてきなテクストをよむ]もきょういじょうに「かもく」に(ヘンなけついだ)。
●せんじつ
[4月2日(月)をさんしょう]あすはソバをとけついしたのにじかんがなくてはたせなかった。あすはごぜんちゅうのじゅぎょうがすんだらそのかだいをはたすためにクルマをだそう(亀岡へ、それとも朽木へ?)。らいしゅうからはウィークデイにそんなゆうちょうなことをしているヒマはないだろうからである。[25:40]

2001年4月4日(水)
●さくやはゆうしょくごにながい「かみん」にはいってめがさめたらしんやの、サーバのりんじメンテナンスでアップができないじかんたい(02:00〜08:00)だったのでにっきはかかなかった。こんげつはBIGLOBEのつごうでこういうメンテがあと三かい(いつだっけ?)ある。いつもそのじかんたいまでかみんしているとはかぎらないが…、いずれにしても(ないようにかんするしゅうとうなじゅんびをするわけでもないのだがフィジカル/メンタルのりょうめんで)きょう4日1限目の「芸術論」なるじゅぎょうにしょうじゅんをあわせようとしたけっかちょっとした「じさボケ」(笑)じょうたいにおちいっているわけであってこんやのこのおそいアップもどうようのりゆうによる。だがこんやのはさすがにもう「かみん」とはいえないのではないか? いや、よういしてある「やしょく」をたべるためにもあけがたすこしはビールでねむりたいとおもうのだが…。
●その「芸術論」(すうひゃくにんの一かいせいがおもにじゅこうする)のしょかいはあいかわらずのおしゃべりでツツガナクすんだというべきである。じゅぎょうとはいつになってもイヤなものだがそこらへんはさすがにプロであるとひそかにジフ(笑)。ひるがえってあす(といってももう二、三じかんでそらがシラんでくる)はゼミけいしきのじゅぎょうがごごに二コマれんぞくで。これからそのじゅんびにとりかかるのだがサアなにをはなそうかな――ではなくてゼミけいしきなのだからことしはじゅこうしゃによりおおくをかたらせるようにとねんどしょとうにさくねんどのはんせいなど。
[削除しました。][27:35; 29:45一部修正]

2000年4月3日(火)はお休みしました。

2001年4月2日(月)
●ひさびさにフルタイムで「はたらいた」というかんじである。だれかをさそってのみくいにでかけるのもおっくうなじかんなってようやくきとにつくことができたのだがいえはとうぜんまっくらでげんかんをあけるとネコのめが六コひかってみえていっしゅんぶきみにおもわれた。クルマでがいしょく(あるいはかいもの)にでるきりょくもなくれいぞうこのなかにあるものだけでまずしい、あまりにまずしいしょくじ。
●いそがしかったにっちゅうのことなどもしょうしょう。きょうかいさいされることになっていた(らしい)あるかいぎのしらせ(メール)がとどいていなくてきゅうきょよびだされてかけつけることとなったのだがそれでちょうしがくるった。一かいせいむけのガイダンスでのじこしょうかいもすこしスベったかなとおもう(それをいえばみんなスベっていたが)。ゆうこく。はんとしかんのサヴァティカルからきこくされたばかりの鶴岡真弓センセイ(ケルト美術のスペシャリスト)にこのかんのさまざまなるほうこく。というよりはこれはほとんどこっちのグチをきいてもらったようなものだ。はなしながらこのかこくなるはんとしかんのことがおもいおこされたがそのまましょくじにでなかったのがしっぱいだった。センセイもきこくちょくごでロクなしょくじをとっていなかったようなのにそのときはどうしてもみつけたい一さつのほんのことがきにかかっておさそいしなかったのだ。またちかぢか。
●あす。じゅぎょうかいしぜんじつ。じゅんび? ソンナもったいない。ソバだ、ソバをくいにでかけよう(笑)。しゅうりにだしているビデオデッキ(3月ちゅうじゅんにきゅうにでんげんきょうきゅうがふのうになった)をひきとりにいくひつようもある。とりためたビデオテープをデジタル・データ化するためのキャプチャもついでにこうにゅうしたい。よるは富山からもどってくる母子をむかえに京都駅まで。へいおんな(はずであった)三日かんがこれでおわる。[23:40; 24:50一部修正]

2001年4月1日(日)c
●したのbのつづき。ひさしぶりにステーキにしようとおもって「しまだ」(嵐電・妙心寺駅近く)にむかおうとしたがヒレよりもきょうはロースかなとワケもなくこころがわりして「ヤマ」(等持院南町)のほうへ。だがまたそのとちゅうでめったにひるま「のれん」がかかっていることのない「竹下」(割烹、龍安寺斎宮町)があいていたのでおもわずとびこんでおひるの点心(1800円)+ビールにへんこう。おなじようにちいさな子をもつ板さん(ひとりでみせをきりもりするオーナー)とは「ほいくしょ」や「ふきょう」、そしてきょう立命ににゅうがくした歌姫K嬢のわだいなどでもりあがる(とうぜん『女形の運命』[bをさんしょう]をよむどころではなかった)。そのごはネコたちとひるねをしてゆうがたノソノソとがっこうにいってけんきゅうしつでぶんけんさがし、そしてきたくしてまたぶんけんさがし。ちなみにゆうしょくはここにかくほどのものでもなし。
●あす。あさはまたまた「ごもくとうばん」
[ちかいところでは2001年2月14日(水)aをさんしょう]。そのあととうこうしてごごのしんにゅうせいむけガイダンスのぜんごに、ぜんきのじゅぎょうのこうそうをねったり文部科学省ようのじゅうようぶんしょのかいていさぎょうをおこなったりと。だが母子のいないきちょうなじかんをそんなふうにゆういぎにすごしていいのか(笑)。[23:08]

2001年4月1日(日)b
●歌右衛門がしんだ(昨31日)ことをちょうかんをひらいてしる。三島がいれこんだわかきひのこの「おんながた」(「女形」と書いて「おやま」とよむほうがいっぱんてきだがもじどおりに「くんどく」するほうがすきだ)のすがたはしらぬがいまから十ねんほどまえまでの、よわよわしいとはいえまだじざいにたちいふるまいをみせることができていたそのろうきょうのびはしっかりめにやきついている。なかでも歌舞伎座の「まくみ」に三どあしをはこんだ『吉野川』(「
妹背山婦女庭訓」[いもせやまおんなていきん])の定高のめいえん。すうねんまえにすでに梅幸をうしなっている歌舞伎界はこんご十ねんはかれらがしめしたような「しげい」をわれわれにみせてくれはしないだろう。
●ちょうしょくは母子を京都駅におくったあとマクドナルド宝ヶ池店で(なんでそんなにとおくまでいくの?)。一かげつおくれ(?)でめくった『諸君』4月号ではあいかわらず福田和也がぜっこうちょう。「すくなくともタリバーンは、仏像を「活物」として扱っている。だから、壊さなきゃならないわけです」(p. 288)といい、さらにかえすかたなで「文化財派」平山郁夫(ら)をけちょんけちょんにキるわけだが(p. 289)こういう「せいろん」はじつはびじゅつのきょうどうたいのないぶからこそはっせられねばならない(がくない・がいにひろがりつつあるヘンなじんみゃくのためにいいたいクチがどんどんとじつつあるのにネ)。
●ちなみに同誌には後藤田正晴のインタヴューもけいさいされていて「あれがどうして危機管理だちゅうんだよ。あれは重大事故だよ」と「えひめ丸」問題にまつわって。「危機管理というのは社会全体、国全体がどうなるかっていう話だ。どのように起きないようにするか、起きた時、どのようにして被害を最小限に食い止めるか、これが危機管理だと。[…]あの場合は外国の、しかも追突事故ですから。気の毒だと思うよ、亡くなった人はね。遺族の立場は察するに余りあるものがある。アメリカの対応は充分とは言えないよ。しかし、それは重大な不幸な事故だと理解すべきだ」(p. 50)。八十歳のさか(というひょうげんはたぶんまちがっている)をとうにこえているのにこのけんじんのことばはほかのかしょでもあいかわらずくもりがない。
●母子のいないこのきちょうなにちようびのごご。クルマをうんてんせずにでかけられるきょりのおいしいランチ(+アルコール)をしょくすためにこれからじてんしゃでいえをでる。カバンのなかにはわかき渡辺保がかいためいちょ『女形の運命』(紀伊国屋書店、1974;これは「おやまのうんめい」とよむべきなのだろうな)――歌右衛門にかんするうつくしいしょうがいくつかある――を。[12:30; 23:25一部改訂]


2001年4月1日(日)a
●一ねんのうちでいちばんのんびりできてもいいはずの3月があっというまにすぎた。いつになってもしごと(こうむ)からかいほうされなかったこともあって(これはいいわけでなくホントだ)しごと(こじんの)はぜつぼうてきなまでにすすまなかった。HPのかいていさぎょうもてつかずである(シラバスも2000ねんどのままだ)。これで4日からじゅぎょうがはじまる。おそろしすぎる。
●そんななかでひとつひょうかすべきことは黒ヴィッツのそうこうきょり(笑)。しっかりけいかくされた「とおのり」があったわけでもないのに一かげつで千二百キロほどはしった。京都しないをはずれることはおおいので(もくてきはたいがいソバである)ねんぴもそこそこのすうちをだすようになった。ささやかなよろこびである。
[削除しました。]
●きょうはあさはやいれっしゃで母子が富山・魚津にきせいする(3日よるまで)。2日にこうむがじゃっかんはいっているがじゅぎょうがはじまるまでのほんのみじかいじゆうじかんである。[00:25]