2000年5月31日(水)
●細君がしょくばでトラブったとかでいえのなかがくらいくらい。こんやはゆうしょくをつくるげんきもなく子どももレトルトのカレーであった。ぼくはといえばちゅうしょくがおそかったのでゆうこくはなにもたべずけんきゅうしつにもどって「第1室」にかきこみなどしながらかしパンをかじった(笑)。このぶんだとまだあすもおをひいているものとよそうされるがぼくはコンサート+バーでむかんけいをきめこむのである。でも子どものしょくじくらいつくるようにね(なんてかいたってかのじょはよんでない)。
●『FMファン』のさいしんごうをひらいて長岡しのぶんしょうをよむ。ぜっぴつがあるとすれば次号あたりだろうがそれにしてもとてもまもなくなくなるひとのもののようによめない。いつもとかわらぬけいみょうなかたりくちでかなしみがいっそうます。
●もうしゅうせいしたがさっきまでさくじつぶんのひづけがまちがっていた。一にちさぼったようにおもったどくしゃもいたであろう(ほんにんがそうであった)。いやそれほどこだわってよんでいるどくしゃなどいないか(笑)。
2000年5月30日(火)
●さくじつぶんをみめいにアップしたちょくごにネットのニュースで長岡鉄男がなくなったことをしる。いっけんかけはなれたりょういきだがグリーンバーグしぼうのほうにせっしたときとにたショックをうけてすぐさまさくじつぶんについきするきもちもおこらなかった。どんなりょういきにもそのようなたかみにたっしたひとがいるということだがその長岡しがかつてコントさっかをなりわいとしていたとしってふにおちたことがある。なによりもかれはぼくにとってたついのぶんしょうかでかけがえのないけいみょうなウィットのもちぬしであった。こころよりめいふくをいのる(こういうきもちになることはまれである)。
●あさおきてごぜんちゅうにさんぱつ。すいぶんさっぱりとしたがヒゲとのコントラストがきわだちいっそうやひなふうぼうになった。あつくなってほほからあごひげのあたりにあせがたまるようになってますますそりたいきぶんになるところをぐっとこらえる(だがなんのためにこらえるのだ?)。
●ごごは13:00からえんえん21:00まえまでだんぞくてきにかいぎやらちいさなうちあわせがつづく。せきにんがあるからとかいぎにでるとまたへんないいんかいのメンバーににんめいされてどうしようもないあくじゅんかんにおちこでいることをつうかんする。ことしはこうつうじこにでもあったものとあきらめなければやってられない。
●よるのスポーツ・ニュースで遠山葛西遠山葛西の野村マジックで阪神がかったことをしる。長岡しすのかなしいしらせではじまった一にちがすこしはあかるいきぶんでとじゆく――といったところかな。
2000年5月29日(月)
●ほんらいならゆいいつこうむがなくてマリとのんびりひるねすらできるはずのげつようびなのにあさからこまかなざつむでぼうさつされてはやくもこの一しゅうかんのてんかいがおもいやられている。とくににゅうしかんけいはこれではやくもさいしょのやまをこすがところがつぎはだいがくいんかんけいのしんせんりゃくのてんかいがまっていたりする。あすはあすでひるままたちがういいんかいがあってゆうこくにはアート・リサーチセンターのかいごうもある。ウィークデイはほんとうにしごとにならない(しごとをしてるのだけれど)。
●そのだいがくいんかんけいのかいごうがおわったあとけんきゅうしつにもどるとまたしても「第1室」にせんじょうてきなかきこみがあって(笑)ついそのばしょでモダニズムろんをてんかいするなどとかるくちをたたいてしまった。おいおいそんなよゆうどこにあるんだとかえりみちのくらがりでだれかがたずねてきたようなきがした。
●阪神のしあいけっかにいっきいちゆうしなくてもすむげつようのよるなのでおそいゆうしょくのあとひさしぶりにシンフォニーけいのCDをならす。ドボ8(ケルテス/ウィーン・フィル)はもくようびのコンサートのよしゅうもかねて(笑)。ビールがからっぽのいぶくろにはいるときのようにだい三がくしょうでおとがカラダにしみいってくるのはたぶんそのてのうつくしいメロディをちかごろいしきてきにとおざけてきたから。
2000年5月28日(日)
●[2000/5/28 04:10] 「第1室」へのひかくてきながいかきこみのためにキーをたたきながらみみは朝比奈隆/N響のブルックナー第九へ。同響2ndVnそうしゃの根津義昭氏がそのHPであかすあぶないばめんはゆえにめでたしかめることはできなかったが(もちろんみみでもわからない)それにしてもこの大曲を九十二さいのじいさんがさいごまでふるというのはそれだけでもうきょういにはちがいない。そうだこれはいささかもおんがくてきでないはなしだ――ぼくのようなぜんそくもちはまあながくて七十だな(笑)。ちなみにいまはおなじBS2のチャンネルでヨーヨー・マのれいのバッハ(第三ばん)にまつわるえいぞうをながしている。いつもながらわらえるかしょがたたある。バッハにあのふりつけというのではバッハほんにんがおこるのではないかな。
●うえをにゅうりょくしてねいったころこどもがねごとで「タマしんじゃいややいやや」とないたのだという。ふだんはひかくてきへいぜんとしているのに。またそのついとうのためのページまでつくったぼくはまったくゆめでタマとであわないというのに。かぜのせいかもしれない。
●[2000/5/28 17:21] こどものかぜはよそうどおりピーク。とはいえしょうじょうはずいぶんかるいのである。かるいのだが三さいはんにもなるとじぶんがかぜをひいているということをいしきかしてむしろ(たぶん)じっさいいじょうにしんどそうにふるまう。こっちもたいへんだがまたみていてたのしくもある。
2000年5月27日(土)
●きのうOffice2000(standard)をインストールしてからインターネットえつらんとぶんしょさくせいのいずれのはんのうもめにみえておそくなったのでいわゆるこうりゃくぼんなどによりながらそくどこうじょうをはかったのだがさしたるこうかなし(そのくせハードディスクのさいてきかさぎょうには一じかんいじょうをようした)。あるいはぶんしょさくせいやブラウザしようがつづいたあとだとホームページビルダーがたちあがらないことがあるしそればかりかふつうのフォルダがひらかないことさえ。これがいわゆるメモリぶそく?
●さくやぶんのほそく――森しゅしょうをようごするつもりはまったくないのでごかいすることなかれ。そのふてきにんろんはれいの「かみのくに」はつげんがこんきょとなっているとすればむしろおそすぎたといわねばならないくらいなのだから(四がつしょじゅんいこうのかこのにっきをさんしょう)。
●こどもがかぜぎみ。かつてよりずいぶんつよくなったのでげつようびいこうまではおをひかないだろうとはおもうがあすはたぶんしょうじょうのピークでちょっとくらいにちようびになるな。
2000年5月26日(金)
●[2000/5/26 20:08] ほいくじょのこんだんかいで母子ふざいのゴールデンタイム。どくしんじだいのふっかつといいたいなんとしずかなゆうべであろうか。かくてこのしずかなじかんにしごとをするでもなく一にちのつかれをいやすビールをのみながらよやくろくがしたN響ていきこうえんのビデオをみる。諏訪内晶子がシュニトケVn協4をねつえんちゅう。このかんそうはべつのばしょにかきたいがいずれにしてもいつもよりずいぶんとだいおんりょうでもだれももんくをいわない(笑)。
●またしてもおんがくのわだい。あさのじゅぎょう「げいじゅつろん」でブリュッヘン/十八世紀オーケストラによるモーツァルト《レクイエム》と小澤/SKOのバッハ《マタイ》をダイジェストでみた/きいた。ほとんどしゅみのせかいだねとひにくをいうちじんがいるがこれがこうひょうなんですヨ。にゅうもんこうぎとしてのようけんをみたしていることはもちろんひつようだがなによりも立命せいきょうのぐれつなCDだながすこしはまともなものになる日までクラシックのしとのしごとはつづく(笑)。
●ひさびさにせいじてきわだい――森しゃくめいかいけんはしゅやくのかおからあのいつものわらいがきえていた一てんにおいてすでにゆうえきである。しゅしょうであろうとなんであろうとそれがほんにんのしんねんであってみればきょうのかいけんいこうにやとうやマスコミがなお「てんのうをちゅうしんとするかみのくに」うんぬんにこだわりつづけるのはぐれつである(そのていどのぼうげんだ)。もちろんよとうにもどったしゅんかんによわよわしい森ようごしゃとなるほしゅとうのれんちゅうもなさけないけれど鳩山・土井・藤井[じゆう]等等のおにのくびをとったごとくでみにくいことこのうえないひとびとはそれほどのもんだいというならもくぜんにせまっているせんきょでどうぞ「けっか」をだしておくれ。ぼくはむしろそのようなしそうせいよりもそれにつづく「(こくみんのみなさんに)しょうちいただく」のもんごんがあのふくみえがおでもってはっせられるヴィジュアルなじょうきょうそれ「だけ」がたえがたいのであった。
2000年5月25日(木)
●[2000/5/25 00:21] 十五かいをたたかって阪神やぶれる。こういうこともあるよとわれわれはかんようになることができるしまたそうでなければならない。せんしゅたちよやすらかにやすめあすのたたかいのために。
●[2000/5/25 17:03] せんしゅうもおなじことをかいたきがするがゼミけいしきが二じげんれんぞくするもくようびはおわるとぐったりくる。きょうはあまりべらべらしゃべらなかったのにだ。しゃべらなかったからだといううわさもある?
●これはHTMLがめんへのちょくせつにゅうりょくなのでじこくをじぶんでかくならいまはもう二十八時をとっくにまわっていてつまりじっしつてきには二十六にちのあさである。かこはふりかえるまいが(笑)せんしゅうもたしかおなじだったのではないかな――ゆうしょくのあとこどものつきあいをしてようやくねてくれるころになるとこちらもカラダがもたずについ(かみんとしょうして)あさがたちかくまでねてしまうのである。「せいしきレス」をまたれている「第1室」のどくしゃよこういうじじょうだからこんやはゆるしておくれ(笑)。かくてまもなくてにとるちょうかんでさくや(アレこんやだろ)の阪神のしあいけっかをしってそれでいっきいちゆうするかつてのきょじんファンなのであった。
2000年5月24日(水)
●[2000/5/24 10:10] けさひさびさにスポーツしんぶんをかうとさくやのサヨナラげきのしゅじんこうハートキーがホームインしたあとでむかえのせんしゅたちのあつい「かんげい」によってはなぢをだしたのだと。たしかにしょうしょうてあらくもなりたいげきてきなかちかたではあったがさすがに阪神かんさいのきゅうだんだけある?
●[2000/5/24 21:13] だいがくいんせいほかのかんげいかいでがくないでのむ。このじかんたいにがくないにいることはもちろんあるがいつもとおらないくいきをとおってきろをいそぐやかんぶのがくせいにでくわししんせんなおもいに。にゅうしかんきょうのげきへんはあるにもせよこのやかんぶがらいねんどからぼしゅうをていしするというのはだいがくとしてつみいがいのなにものでもないとおもう。
●[2000/5/24 23:38] さっきからネットのそくほうをみつづけているのだが阪神がまたえんちょうのそうぜつなたたかいをしている(げんざい十三かいウラ)。このけっかにはきょうはふれないことにするが(まけたらそれにふれるのがしんどい)ところできゅうかいのめいしゅきょじんでガルベスと清原がどうやらあまっている(つかいものにならない)らしい。それなら阪神にくれないか。ほんにんたちのためにも(四番とエースだ)。
2000年5月23日(火)
●[2000/5/23 02:45] きょうからiモードによるにゅうりょくのれんしゅう(笑)。ほんばんではこのhtmlがめんじたいがiモードがめんにとってかわられるのだがそれはさておくとしてかきこんだじこくがこうしてめいきされるのはいっきょうかと。
●[2000/5/23 08:47] あさおきてこれもけいたいから(笑)。FFFTPによるめんどうなアップがふようとはいえさいしゅうてきにはたのページにいちどはりつけるのだからりべんせいこうじょうもそこそこだがとにかくにゅうりょくはどこででも。だがこれがにんげんをりっぱにするともおもえない(笑)。
●[2000/5/23 10:52] だいがくにとうちゃくしてこれはけんきゅうしつのPCから。ようするにウレシガリというやつかもしれないなこれは。
●[2000/5/23 15:00] これはきょうじゅかいのさいちゅうのかきこみ。だからどうということもないのだが(笑)こういうげいとうもいつかやくにたたないともかぎらない。
●ようやくいつものしっぴつモード[よる]。いちにちiモードがめんにかきこみをしてもうすでにあきてしまったような(笑)。へんこうけいかくじたいをさいけんとうするか。
000年5月22日(月)
●さくやは「このひろうかんをひきづってあすからあたらしいしゅうにはいる」なんてかいたがかんがえてみればげつようびはウィークデイでゆいいつこうむにしばられないひ(せいしきには「けんきゅうび」[笑]という)だったのでいちにちのんびりすごしたのである。すなわちごぜんちゅうはさくやのうちのメモにもとづいてだらだらとすうぎょうだけげんこうをかきごごはきっさてんでほんをたっぷりよんだあとすしおりをかってかえってビールをのみつつそれをしょくしてそのあとマリちゃん(ひとりのこされたねこである)とおひるね。
●ところがゆうしょくごだいがくにもどってからはいってんしてもくもくとさぎょう。といってもなんてことはないただiモードようのHPのけいやくをしてけいじばんのせっていをするのにてこずったのである。よこくする。このにっきはおそくともこんげつちゅうにiモードによるかきこみけいしきにげきてきにいこうする。いやせんじつこのばしょにそういうほうほうはかのうだろうかうんぬんとかいたらさる「どくしゃ」からひらがながおおいからてっきりさいしょからそうだとばかりおもっていたといわれた。ひながながおおいのにはそれなりのべつのりゆうがあった(?)のだがこんごはずいじメモがわりにiモードでにゅうりょく(ほんにんのみかのう)したものを二十四じかんいないにべつのぺーじ(これもiモード)にうつしてそれをこのにっきのページのしたフレームにもってくる(これまではひるまメモったものをよるにゅうりょくしてそれをFFFTPでアップしていたのだがそれがとてもめんどうでところがこんどのほうほうはいっけんめんどうくさそうにみえてもはるかにそのときどきのリアルタイムの「ざっかん」がかきとめられるのだ!)。ただもんだいは一件につきじすうのじょうげんが百五十じであること(笑)。つまりこんなだらだらとしたぶんしょうはありえないということだ。
●ひるまはいとてきにインターネットへのせつぞくをひかえていたのだがゆうこくすこしながめのぶんしょうを「第2室」にかきこもうとしたらそのさいじぶんで5000のきねんすべきすうじをふんでしまった。ひとのけいじばんのことばかりきにしていてこれにきづかずはなはだうかつであった(こっちでどきどきかんをあじわうことができなかった[笑])。こよいはもうひとつのへやのおおだいとっぱのこともあるしひとりワインのせんをぬいてかんぱいでもしよう。
2000年5月21日(日)
●「第1室」(なんどもかくがもうそろそろニュアンスでりかいしてねコレはかつてのです)のカウンタがまもなく10000にたっしそうでもうなんにちもまえからひとりどきどきしている。ところがそのカウンタをいちばんたくさんまわしているのがほかならぬぼくであってみれば(九わりがたまちがいない)10000オメデトウなんてとてもかけないからどうしようかとまよっているのである(笑)。
●遠山葛西遠山葛西――野村かんとくはストッパーがおらんからくにくのさくやとあとからインタヴューにこたえていたがこういうかちかたをしてくれるならじゅんいじたいはいまのままでもいいね阪神は。
●よていどおりのんでたべてまる一にちがつぶれた。このひろうかんをひきづってあすからあたらしいしゅうにはいる。
2000年5月20日(土)
●たいちょうふりょう。さくやのあめでほいくしょのおやこえんそくがちゅうしになったのはきょうのところはむしろすくいであったがあすのそうかいはやすめない。しかもそうかいのあとのひるまのやきにくパーティーはまいとしおそろしくくってまたのむのでまるいちにちがつぶれてしまうのである。ひかえめになんていまからおもっていてもむだだから(それにこじんてきには二ねんかんのやくいんからかいほうされるうちあげのいみがある)さいしょからそんなことはかんがえないかんがえない。
●『レコード芸術』誌にシュタルケルのかんとうインタヴュー(さくねんあきのらいにちじにしゅうろく)。れいのごとくいたってめいかいなかいとうぶりだがこのたびはシカゴ響じだいにトップそうしゃとしてライナーのぼうのもとにひいたきょくがれっきょされていてコレクターじょうほうとしてもきわめてゆうえき。ギレリスをソロにまねいたブラームスP協二ばんいがいはしょゆうするがこのディスクだけはどうしてもちゅうこでもみあたらない。あるひとはこのだい三がくしょう(あんだんて)をピアノとしゅせきチェロのための二重きょうそうきょくというくらいである。シュタルケルとギレリスのともにごうきなねいろがたいわをかわすさまをしぬまでにはぜひ(笑)。
2000年5月19日(金)
●さいきんしゅうまつのつかれかたがはげしい(ぜんきたんとうの五かもくぶんがすいよういこうにしゅうちゅうしている)。それにくわえてこんやは子とのるろうのたび。このあめだとあすはちゅうしかもしれないけどとりあえずえんそくのよていもあるので(あさってもやはりほいくしょのほごしゃかいそうかい+やきにくパーティーでれんちゃんである)きょうはちんぼつをきめこみたい。六れんぱいの阪神とともに。
2000年5月18日(木)b
●2かいせいのゼミ(きそこうどく)でよんでいるサイードの『音楽のエラボレーション』(みすず書房)がかなりおもしろい。もとはこうぎろくでしかもサイードは譜例によりながらじっさいにちょうしゅうのまえでピアノをひきながらこうぎしたのだという。こうやってほんになるのもいいがビデオかなにかでそのサイードのえんそうつきで「みたい/ききたい」ものだ。とあらためてかくのは金ようあさの芸術論ようにCDからMDにダビングしてきょうざいをつくっているじぶんがいるから。
●あすは細君がざんぎょうでかえりがおそい。またしても子とふたりのゆうしょく。でもつくるのはしんどいな。またるろうのたびにでよう。
2000年5月18日(木)a
●きのうはいちにちじゅうすいまにしはいされていたので二つのじゅうようなきねんびであることをわすれていた。
●その一。タマがしんでちょうどひとつき。ぼんようなひょうげんをもちいればながくもありみじかくもありだがそのかんにそのついとうページをさくせいしそこそこのらいほうしゃをえているのはよろこぶべきことといわねばならない。さらにぼんようをおそれずにいうならばしゃしんはともかくもことばによってタマのそんざいはこのせかいにきざみつけられるのだからである。
●その二。「第1室」(かつての)にはじめてかきこんだのがちょうど一ねんまえの五月十七日であったはずだ。ということはそれまでメールくらいしかつかわなかったぼくのWEBライフ(笑)もまたその日からはじまったのである。かくて一ねんがけいかするちょくぜんにわがHPがたちあがったのだがいまだによこくずみのぎょうせきページにちゃくしゅもできていないいいわけではなくかくとすればぼくのきほんはやはり掲示板にある(笑)。ただしざったでありながらいくつかのぎろんがへいこうしてけいぞく・はってんするようなばしょというのはなかなかにむずかしいとしる。[あさ]
2000年5月17日(水)
●いちにちおくれできょうつかれのピークがやってきた。こんやはひづけがかわるよりずっとはやくにしゅうしん。阪神のしあいのけっかはみずに。
2000年5月16日(火)
●しごとがひとつやまをこす。いやほんとうにやまをこしたわけではないがしゃかいてきしんようはなんとかほじできた(笑)。つぎは七がつじょうじゅんの九割がたのだっこうと八がつのおぼんまえのにゅうこうにむけて…。
●森しんそうりの「ぼうげん」がまたわだいに。けんぽうにてらしてどうのこうのとかいっこくのしゅしょうとしてどうのこうのというぎろんがマスコミのおもなろうちょうだがはつげんするひとのこまかなことばづかいやあるいはこえやかおがちがうだけでもずいぶんいんしょうがちがうだろうとおもうな(つまりしんねんそのものとしてはかならずしもせめられるべきではないということだ)。じっさいぼくがなによりもイヤなのはそのことばのないようよりもそれをかたっているさいちゅうのかれのかお(いわゆるはなでわらうタイプの)が小渕こうけいけっていとうじつのうれしくてたまらないかおとおなじであるてんだ。いやいやこのひとはいつもおなじかおでわらっているのだった。
●こんやもまたおしいまけかたをした阪神について。まけてもいいよ。やきゅうとはこういうスポーツだというじつにお(い)しいまけかただ。ひとつきほどまえにかいたはずだ阪神はことしかちかたもまけかたもすべてめにやきつけておくかちがあると。
●しゅうまつからのすいみんじかんはへいきんするとやく三じかん。なのにこんやは(またしても)せいしんがたかぶっているためかねむくない。よくたかぶるタイプだ。
2000年5月15日(月)
●こじんてきにうらみもおんぎもないがよそうされた小渕物語のはんらんはやはりマスコミのてきとうさをかったてあまりある。ちなみに氏のせんきょくから次女・秘書がほけつせんきょにでるみたいだがかのじょが二世であるとかどうのこうのというかんてんからではなく公人であるにもかかわらずそのびょうじょうのはっぴょうをプライヴァシーをたてにこばんだ(とされる)パブリック&リーガル&ポリティカル・マインドのかけたかぞくのいちいんであることをわすれてはならない。
●きょうはかんぜんにちゅうやぎゃくてん。ねむいがあすまでにさいていげんかきすすめておかねばSをごまかすこともできないそのしつとりょうにはまだたっしていない。でもやはりねむいのですこしかみんしよう。
2000年5月14日(日)
●みめい。ねいるまえにめぐすりをさそうとしてあやまってO2ケア(せんじょう&ほぞんえき)をみぎめにそそぐ。すぐにめをせんじょうするもあかくはれあがってねられたどころではない。けっかてきになみだがあふれつづけるみぎめをぬれタオルでおさえつつまたしばらくプリントアウトしたげんこうチェックにむかったのだが「なきっつらにはち」とはこういうきぶんかと(すこしちがうようなきもするが)そうおもっておかしくなった(もちろんすぐまたかなしくなった)。
●三日まえから細君がのこったマリ(めすねこ、五さいはん)のブラッシングにやっきになっている。きせつがらおどろくほどけがぬけてアンパン三つほどのおおきなけだま(かんしょくもアンパンのような)ができた。ところでそれをふくろにいれてためこんでいるぼくはそれをつかっていつかセーターでもあもうとおもっているのだろうか。
●このにっきはふつうのhtmぶんしょとしてまいにちかきつぎそれをFFFTPでアップするのだがそれがじつはひじょうにめんどうでもある。ゆうりょうBBSのアルバム・モード(たにんはかきこめない)をにっきにつかうてはまえからかんがえてはいたがどうなのだろう。いいようなきもするはんめんこのめんどうくささがあっているのだというきがしなくもない。(まいにちにっきをあっぷしているひとはどうしているのだろう。)
●ゆうこく小渕さんせいきょ。このしがこんごどのようにりようされるのかされないのかはさておきかこのあるじてんにおける森/野中らによるけんりょくだっしゅのいかがわしさはこんごどのようにあきらかにされるのかあるいはされないのか。
2000年5月13日(土)
●ひさびさに阪神のはなし。藪というピッチャーはきょねんまでだったらどこかのやおやのアンチャンみたいだったのにこのごろはたのもしくていちにんまえのこうせいねん否エースのふうかくをそなえている。そのこうとう藪を遠山にかえたちょくごのさくやの高橋のさんしんげきはこれぞ野村野球といいたいみせばであった。これはもうさいしゅうてきになんいにおわってもいいとおもうね(おもってはいけない)。[あさ]
●クルマを十二かげつてんけんにだす。ついでにあきによていしているしんしゃこうにゅうのしたみ。げんゆうVivio Bistroのあたらしいきかく(軽の)になってからのこうけいしゃプレオ・ネスタでほぼきまり。4WDのスポーツタイプでこんどはついでにアルミホイールまでオプションをつけてやるとカローラのひょうじゅんクラスよりはるかにたかくなる。九わりがた京都しないしかはしらないのにこれでカーナヴィまでつけたらただのおっちょこちょいである(だがもともとおっちょこちょいなのだからヤルかもしれない)。
●こんなことをかくとさくじつのしっぴつモードせんげんがうそみたいだがクルマをせいびにだしているあいだにディーラーのきんじょのマクドナルドでしごとがはかどったのである。十六日にあうへんしゅうしゃがきたいしているほどのしんちょくではもちろんないがじつはなつやすみあけのだっこうをひそかによていしていてこんかいはへんしゅうしゃのごきげんをとれればいいとかんがえている身にはじょうじょうのしんちょく。[ひる]
●ゆうこくだいがくにわすれものをとりにいったらきゅうにらいう(しかもきんじょにズドンズドンおちるタイプの)がやってきてあしどめをくった。さあけんきゅうしつでなにをするかとおもいきやじぶんのやらたにんのやらのけいじばんにつごう五ほんほどもかきこんだのである。するとすごくひまにしているようなさっかくがおそってきた。せいしんてきにこういうのがいいのかわるいのかよくわからないがいずれにしてもけっきょくよていりょうほどにしごとははかどらずかめにおいぬかれるうさぎのしんきょうのうちにきょう一日がおわっていく。[よる]
●ついき一。京都はうえのごとくゆうがたから九じころまでずっとあめだったのに甲子園では巨神戦があったではないか。で阪神零敗。 あさとはせいはんたいのきぶんでとりあえずおめでとうと長嶋ファンにはいっておくがそれにしてもどうしてあのじゃくしょうチーム(ちょきん二)がしゅいから〇・五さでたんどく二いなのだ?
●ついき二。ネットのニュースによれば小渕ぜんしゅしょうが昇圧剤でも血圧があがらぬもじどおりのきとくじょうたいと。栗本慎一郎のよげんどおりにことがはこぶかどうかはさておきぼくにはタマのさいごのすうふんのすがたがめにうかぶな。
2000年5月12日(金)
●さくじつこんらんのなかでこどものべんとうばことおもっててにとったのはじつはプラスティック製のおろしがね(りにゅうしょくをつくるのにつかうザラザラのぶぶんとおろされたやさいがたまるぶぶんがあってしかもフタつきの)であることがはんめいした。どうりでザラザラのぶぶんがあってしかもそのそこのぶぶんがすいへいでなかった。わがこは仁和寺でそれをおべんとうばことおもってひらいたのであるがそのはこのしんのようとにきづいたほぼさんもいたことであろう。
●とおくのたとえばいまだあったことのないへんしゅうしゃのひとからときどきにっきをはいけんしていますといったメッセージをうけとるといっしゅんにしてかおがあからむ。けれどだからといってこのスタイルはかえるつもりもない。こうしてほんらいがプライヴィット/パーソナルであるはずのものをパブリックでもある(ありかねない)ばしょにかきしるすことはさまざまなじたいもそうていしてえらばれたのだからであり(笑)またそのことによってぼくはうまれてはじめてにっきなるものを一しゅうかんいじょうつづけられているのだからである。ふしぎなものだ/とうぜんだ。
●さあ一しゅうかんのおわりだつぎはよこくどおり十六日までしっぴつモードにはいる(といいつつさっきゆうごはんのあとのあらいものをしたしあすもげつようもほいくじょおくりむかえがあるが)。
2000年5月11日(木)
●あさ。ほいくじょにこをおくりにいくとみなえんそくのためのおおきなリュックをせおってとうえん。うちのこはいつもどおり。ふくしょくいりのべんとうがいるのにべんとうばこはいつもどおりしゅしょく(はくまい)のみ。まっさおになってきゅうきょスーパーでかいものをして二十ぷんくらいでつくってしゅっぱつにまにあわせる(ソーセージ、たまごやき、かまぼこ、しろみのフライ、アスパラガス)。ついガッツポーズをしながらとびこんだらほぼさんたちが「おとうさんガッツポーズするかね」とわらっていた。ちなみにおもいおこせばべんとうをつくったのはろうにんじだいいらい二十ねんぶり。そのあとこちらはひとつきぶりのちょうないのゴミかいしゅうのあとのそうじをしてとうこう。
●ごご二じげんれんぞくしてしょうしゅうだんクラス(ゼミけいしき)。そうゼミけいしきなのにまたずいぶんとひとりしゃべってしまった。おしゃべりびょうかもしれない。いずれにしてもがくせいはけさのわがしせいかつをしらない(こうやってあかしている)。
2000年5月10日(水)
●ぼしゅうようこうるいのぶんしょうをかいた。ざつぶんですらないといったかんじでじどうてきにかけるがつかれる。きのうはたくさんかきすぎたこともあるのできょうはこのへんで。
2000年5月9日(火)b
●てつやをするとさすがにつぎのひはカラダがもたないとしになってしまったようだ。ゆうしょくごまたダウン。ちなみにさくやの「かんぺき」なはずのぶんしょにミス。げんいんははっきりしているがぐちるまい。ただそうしたこまかいりゆうによってではなくかなりことしのこうむはエネルギーをしょうもうせざるをえない(はっきりいってなげだしたいくらいだ)。あさって(げんみつにはもうあす)までのにゅうしパンフ・ようこうかんけいのさくぶんなどがなぜこっちにまわってきたのか天のはいりょをうらむ。
●ちなみにそのあさって(くどいがもうあすだ)までのしごとがすんだら十六にちゆうこくまでしっぴつモードにはいる。その日あるまとまったりょうのげんこうをへんしゅうしゃにみせねばならぬ。「本」というパブリックなかたちをとって陽のめをみることとなるであろうこのしごとにまつわるべっしゅのいらだちについてはいつかあらためてきすこともあるだろうがそれでもこうむでしょうもうしかねない日日のせいかつのなかではやはりひとつのすくいといわねばならない。
●「第1室」(きょうふれるコレはわがアカデミック・サイトのほうの)にスペシャルのページの坂本龍一論にまつわるとうこうをみとめる。パブリックないんさつぶつとなりそこねたテクストがこうしてちがうLIFE(とうぜん「かけて」いるのですねコレは)をいきはじめることをよろこばねばならないとおもうが(さらにぼくいがいのどくしゃのレスがつくことがもっとのぞましいが)みとめたのがたったいま[27:42]でさすがにきょうはまたねむりについてしまうのである。すなわちかかるゆういみなかきこみについてはできるだけはやくレスポンスしたいとおもうけれどきょうのところはじゃっかんのタイムラグもまたこういうばしょのとくせいのひとつだといいわけしてカラダのようじょうのほうをゆうせんする。
●ちなみにあす(もうきょうだ)の二じげんめのがいしょこうどくのじゅぎょうがすんだらごごはすべてのざつむをパスして「ステーキしまだ」でランチをしょくしてついでにビールものんでひるねをする。こういうのがいちばんのいきぬきになるこうふくとふこう(笑)。
2000年5月9日(火)a
●よそうどおりいっすいもしないのにそらがしらんできた。そのかわりこれだけかんぺきなものをつくればだれからももんくはでないゾというぶんしょにはなった。このこうむ/ざつむにそそぎこむエネルギーをじしんのかきものになぜそそげないのかといつもながらおもう。かなしいせいかくである。
●ひさびさのせいじネタを。こうがんむちのしゅしょうはがいゆうからもどってますますうかれているが『諸君!』誌に福田和也がかれをけちょんけちょんにけなすろんをきこう。だがきわめてまとをいたひはんなれどあまりにまっとうすぎてこのたびはてきなし福田もぼんようにみえる。ようはそれくらいむのうなしゅしょうをわがくにはいただいているということだ。ちなみにさくねんのうこうそくでたおれた栗本慎一郎のHPがおもしろくてつまりそこで小渕の「死」がせんきょにりようされるかのうせいなどについて(ぼくのようにちょっかんでではなく)きわめてろんりてきなぶんせきがしめされていて七〇ねんだいに『現代思想』のじょうれんだったころにもどったのではとすらおもわせる。
●みめいのうちにじょうきぶんにゅうりょく(きぶんがこうようしていた)。二十じかんちかくたってどうじつのにっきをついかきにゅうするのもきょうざめするだろうからとりあえずアップ。[11:54]
2000年5月8日(月)
●れいのI_LOVE_YOUのばくだんメールは一つうもなし。しょうじきいってギャグのせいしんで一つうくらいとどいてもいいのにとおもうのだが(笑)こちらもそうしたせいしんをはっきしていないのだからふまんをいってもしかたないか。
●「第1室」(くどいがかつてそうよんでいたほうである)はおそれていたもっともはずかしいつっこまれかたをした(ちかぢかリンクのページでしょうかいすることになればぼくのはずかしさはしゅうもくのものとなろう)。だがこういうはずかしいおもいもまたちめいしょうにならないのがかかるWEB上のコミュニケーションのとくせいだなどとわけのわからぬひらきなりかたをしてついでにタマのページもアップ。エントランスで"YES,
I LOVE CAT!"とさけんでからはいるべし。
●はやりのAO(アドミションズ・オフィス)にゅうしのたんとうしゃとしてらいねんどようパンフのためのしゅざいをうけるもなぜだかぼくがプロのカメラマンのひしゃたいとなる。めんのセーターにベストのひげづらおとこ(というのもこういうじたいになるなんてきかされていなかったから)にさいしょはあぜんとしていたディレクター/コピーライターもどうしたわけか「ぶんがくぶのイメージチェンジといきましょう」とのりきになってフィルムまる一ぽんぶんほどもとらせたのだがこちらとしてはなんというにゅうしせいさくかとおもわざるをえない。それにしてもいままででいちばんちゃんとしたしゃしん(うでのいい)になるかのうせいもあるな(笑)。
●そのAOいいんとしてあすのきょうじゅかいまでにしりょうさくせいのひつようあり。ひづけがかわってからちゃくしゅしてへたをするとあさまでかかるかのうせいも。こうして一しゅうかんのはじめにはやくもしょうもうするのである。
2000年5月7日(日)
●れんきゅうさいしゅうび。ここすうねんおなじパターンだがこのあとはもう八月しょじゅんのやまがたでのしゅうちゅうこうぎがすむまできほんてきにしんのきゅうそくがないとおもうとじつにかなしい。
●アカデミック・サイトのかんとうげんのさしかえようげんこうをさくせい。これはどうということのないないようであすにはこうしん。パーソナル・サイト用のタマのページはほぼだっこう。あとはこうしたセンチメンタルなないようのけいしゅつがはずかしくないか一日ほどれいせいにかんがえてみる(笑)。
●あけがたさるけいじばん(かつて「第1室」とよんでいた)に『ローマの休日』をみたかんそうをかきこんだがこれはほぼ一日たっていまはとてもはずかしくよまれる。こういうことがあるから…。
2000年5月6日(土)
●ひさしぶりにしごとがはかどる。ほんとうにひさしぶりでずいぶんつかれた。
●そのかわりわがやはほとんどぼしかていじょうたいである。
●チョン・ミュンフン/N響の「きょじん」のろくがをしそこなう(きっさてんでげんこうかきしていた)。とちゅうで第三がくしょういこうをろくがせずリアルタイムでみた(きょうはなまほうそうだった)がチョンのめはほとんどあっちのせかいにいっているようにみえた。これはほんとうにてんさいてきなしきしゃだとおもうがとうようじんのハンディ(まだあるんだねこれが)をこれからどうのりこえるかはよだんをゆるさない。
●みぎめのおくがいたい。あしためばちこがでてあさってまでおをひく。ながねんのけいけんでこれはまちがいない。(なんととりとめのないにっき!)
2000年5月5日(金)
●こんなことをしているばあいかというもうひとりのじぶん(またでてきた)のこえもむししてきょうはタマのためのトップページをさくせいする。ねこぎらいにはいってきてほしくないものね。ということで「Do_you_like_cat?」のといへのかいとうしだいでおきまりの「ENTER」と「EXIT」のせんたくしへ。
●あろうことかすべてのプロやきゅうかんけいのニュースをみのがしてしまったのでけっかしかしらないのだがきょうの阪神は九回にすごいぎゃくてんげきをえんじたそうな。さあこれでここ十六しあいを十しょう六はいペースでたたかってきたことになって巨人にも一ゲームさ。まだまだすてたものではない。
●かまびすしいバスのっとりじけんへのしきしゃのコメントのるいについてはみみをそばだててどうでもいいけっかろんをくべつしききすてよ。
2000年5月4日(木)
●小一時間ほどかみんをして五時におきたらそのちょくごにれいのとつにゅうげき。それいぜんにぎせいしゃもでていることだしせろんはわかれるだろうがぼくはといえばさくやふれた六歳のおんなのこがぶじきゅうしゅつされたその一点だけでもうけっかよしとしなければならないとおもう。
●ちなみにもう三年ちかくまえになるだろうかあのペルーのにほんたいしかんじけんのとつにゅうげきがふとおもいだされた。あのときはやまがたのしゅくしゃでのてつやあけのやはり五時台(にほんじかん)でテレビのラジオたいそうをみていたらとつぜんがめんがきりかわったのだった。いまこれをかくのはひじょうにふきんしんではあるけれどとつにゅうげきはリアルタイムでみるにかぎる。
●ひる双ヶ丘(ならびがおか)にのぼる。タマのほねをうめるのにてきとうなばしょはいくらでもみつかるがかんがえてみればずっといえのなかでかわれていたねこだ。こんなところにうめたらさみしかろうとだんねん。
●しごとはほとんどしんこうせず。れんきゅうあけをおもうとくらい。
2000年5月3日(水)
●しゅうばんをむかえている「卒業論文の栞」のかいていさぎょうでこまごまとしたぶんたいとういつやどうりょうきょういんらのこべつのようぼうをいかすきじゅつにあたまをなやませる。とかくといかにもこれにじかんをようしたようだがじっさいはきょういちばんのしごとはタマのしゃしんのせんていとスキャナでのよみこみさぎょう。こんなことをしているばあいではないというおもいもあるがこれをすませないとなにもすすまないというのもじじつ。というわけでひとあしはやくforthcoming(きんじつこうかい)のよこく。
●バスのっとりじけんははんにんにほうちょうをつきつけられているのが六歳のひとりたびのおんなのこであるというじじつによってひつうさがます。ふだんはとっくにねむりについているのだろうこのじかんにかくせいをしいられているそのことだけですでにかなしい。ぶじにたすけられてもおおきなトラウマをせおうであろうこの子がどうにかなるようなことがあればいまけいさつがとっているしんちょうなしゅほうもすべてけっかてきにせめられるべきものとなる(25:30)。
2000年5月2日(火)
●JEUGIA本店とTOWER_RECORD河原町VIVRE店でCDをかうもいぜんよりずいぶんとこうにゅうまいすうがへったものだとかえりみちにライナーノーツをぺらぺらめくりながらおもった。いまきけなくてもいつかというきもちがこれまではあったがいまきけないものはいつまでもきけないようなよかんとたとえたっぷりとひまができてもきかないようなさとりのようなものがいまはある。すこしもじょうだんでなくいましょゆうするCDをぜんぶ二どほどききとおしたらそのときはじんせいそのものがおわりにちかづいているだろう。
●さくやもおなじようなことをぐちったがせけんではあすからゴールデンウィークというのにわがやはこどもがほいくじょにいってくれないのでふだんのウィークデイいじょうにたいへんだ。しゅくじつでも月から土まではこどもをあずかってくれるこうせつほいくじょがちかくにあればぜったいにあずけるのだがな(笑)。
2000年5月1日(月)
●またタマのわだい。死のぜんごのしゃしんすうまいがあがってきたのでスキャナでよみこむ。ひろわれてきたちょくごからうえのものにいたる20余まいのしゃしんでついとうアルバムをさくせいしきんきんにアップのよてい。ってそんなことしているヒマがあるのかともうひとりのじぶんのこえ。じかんのあるなしのもんだいじゃないだろと第三のじぶんのこえ。
●あすはひさびさに河原町界隈にでてうまいランチでもしょくしてそのあとCDをしこたまかいあさるよてい。あさってから5日れんぞくで子とすごすことになるそのまえにせめてえいきをやしなわねばやっていられない。ささやかなレジャー。