2001年7月31日(火)はお休みしました。

2001年7月30日(月)
●まるいちにちおくれ(いやほとんど二日おくれの)のほうこくとなるがまずはそのぜんじつそこそこコワいおもいをした首都高速VAIO日記の7月28日(土)vaをさんしょう]はつぎのひ(日ようび)はじゅうたいもまったくなくすばらしいドライヴ・コースとかんじられた。もちろんそれは(ちじょうではしばしばとんでもないみちをさししめす)ナビのおかげあってのことだったわけだがほんのすうふんのうちにとおりすぎる上野、銀座、青山、渋谷のまちの、かつてみなれたビルのおくじょうやちかのあいまをとおりすぎるのはたしかに「かいかん」であった(いまも首都圏にすむみであればときどきはもくてきなしにそこをぼうそうしたかもしれぬ)。
●そのご1。東名にはいってからちょっとしたじこ/じけん。そうこうちゅうに「ピキッ!」という異音がした。で、そのしゅんかんはきづかなかったのだけれどすうびょうごにひだりがわのサイドミラーをみようとしたときにフロントガラスのひだりじょうぶに三十センチほどのヒビがはしっていることをはっけん。ようするに「飛び石」だ。足柄SAでクルマをとめてガラスのそとがわからヒビをかくにんしてさっそくネッツの高橋くんにでんわをするとガラスのとりかえには工賃こみで九まんえんほどかかるというのでまっさおになって、そのあと「ほけん」のランクによってはいちぶ免責(じこふたんアリ)かぜんがくほしょうとなるときかされてすこしあんしん(けっきょくむりょうでとりかえてもらえそうだ)。そのごはまんがいちのことをかんがえてほうていそくどをまもりながら京都までそうこうしてとるものもとりあえずネッツ京都五条カドノ店へ。たぶんスーパーのちゅうしゃじょうでぶつけられたあのちいさなデント(「えくぼ」の意)
6月30日(土)bをさんしょう]もふくめてこのところヴィッツにさけようのないさいなんがふりかかってくる。
●そのご2(こちらはかんたんに)。細君がコロッケをあげようとしててんぷらあぶらでひだりてのゆびを二ほんヤケド。こおりみずでひやしてもいたみがひかないというので休日診療所にでんわをしてきんじょでヤケドにたいおうしてくれるびょういん(川端病院[帷子ノ辻])をしょうかいしてもらいクルマにてはんそう。さいわいだいじにはいたらなかったがそのごのすいじ・せんたくがこっちにまわってきたのはいうまでもない(コロッケは「ていおん」であげてしまったのでほとんどがバクハツ[なかみがとびでた]してしまった)。おうふく1725kmのながたびからかえってきていきなりコレである。
●というわけできょう(30日[月]のことです)のことはLaVie日記のほうにかいたすこしのわだいだけで。[30:25;33:45(かんぜんにつぎのひだ)一部字句修正]

2001年7月24日(火)から29日(日)までの間、コチラの日記はお休みしました。

2001年7月23日(月)
●六じかんごにはもう山形にむけたたびにでているはずなのにまだじゅんびがすまない。いつものことだがあしたはしかしクルマによる九じかんにおよぶたびである。にづくりをいそごう。
●というわけであすからしばらくこちらのにっきはおやすみである。もはやVAIOからアップされるのではないのになおそのなをかんしつづけるモバイルようのにっきでときどきはほうこくを。[23:50]

2001年7月22日(日)
●25日(水)からはじまる(そのためにあさって24日[火]のそうちょうにそこにむけて京都をたつ)東北芸術工科大学(山形)でのしゅうちゅうこうぎのためのじゅんびとそのまえにしあげておかねばならないしごとのためにきょうもまたじつにあわただしく…。とくにきのうからきょうにかけてはさまざまなえいぞうそざいをBiblo――パワーアップしたVAIOVAIO日記の7月15日(日)vaをさんしょう]をもっていくけいかくはまさにそのパワーアップのためかほんたいがあつくねつをおびすぎるのであんぜんさくをとってへんこうした――にコピーするのにやたらとじかんをくい、きょうはまたやはりそれなしですませることはできないスライドのせんたくにてこずっている(びじゅつについてふれる五、六かいぶんのそれをえらぶのだからそれはそれはたいへんだ)。しゅうちゅうこうぎというのはやはりいろんないみでムリがある。
●じかんがない。いそごう。あすのわだい。ゆうがたにかいぎがひとつ。だがそのまえに四、五けんもざつむをこなさねばならない。いやそのまえにまた「ごもくとうばん」
[ちかいところでは6月10日(日)をさんしょう]がまちうけている。ほいくしょのなつまつりのポスターのげんあんもさくせいしなければならない。めがまわりそうだ(もうだいぶのんでいるビールのせいかもしれない)。[23:53]

2001年7月21日(土)
●いろいろとかくべきないようにはことかかない一にちであったがめずらしくもゆっくりとにっきをかいているじかんがいまはない。なのでとりいそぎきょうがニゴのたんじょうびであったことのみをいまここに。[23:35]

2001年7月20日(金・祝)
●まずはれいぞうこ(笑)。かでんせいひんうりばにいくと「こうきのう」をうりものにしたりっぱできょだいなせいひんがいくつもならんでいるが――とはいえそれらはせいぜいひょうじゅんてきなPCていどのねだんである――親子三にんのかていにはいたって「ちゅうよう」なものがふさわしい。とにかくきょうじゅうにほしいということでざいこがあるものからえらんだ(きのうのはなしだ)二百五十リットルほどのようりょうのピンクがかったホワイトのそいつは「ぜんにんしゃ」もそこにいたキッチンのかたすみにおかれるとおおきさはさほどかわらないのにやはりへやのなかを、そしてなによりもきもちを、あかるくしてくれる。ビールのひえかたもちょっとちがうようだ(ホントかね)。
●そのゆうこくのできごとにさきだつわだい。あさのしけんかんとくは一かいせいはいとうのフランス語しょきゅうのそれであった。ああ、なんとカンタンな! だがそのはんめんでぶんぽうてきにはもうわからないもんだいもあった。でもこまかいぶんぽうはわすれてもやくせればいいんだよ、ごがくというものは――と、ほんしんとはウラハラなことを。
●ひる。しけんかんとくしゅうりょうご『ウルトラマンコスモス』をみにいった母子のおむかえ。JEUGIA三条本店でおちあうまえにこちらは三かいクラシックうりばにむかってオペラのDVDを一まいこうにゅう(ブーレーズがふったベルク《ルル》のゆうめいなライヴ盤)。そのごは三にんでむかいの本家田毎(そば)にはいって父は穴子丼とザルとビールをしょうしょう(クルマをゼスト御池にとめているのにワルいやつだ)。まんてん(三千えんぶん)になってしかもきげんがきれそうなTOWER RECORDのカードがあることにきづいたのでそのご母子をドトールコーヒーにのこしてすうまいのCDのこうにゅう。そのあときたく。
●ゆうこく。セゾンカードのひきおとしができなかったむねのでんわアリ。ぎんこうこうざのざんがくがたりなかったばかりかそのことのハガキによるつうちもみおとしていた。さっそくぎんこうふりこみがかのうないちばんちかいひ(月ようび)をまつことなくセゾンのカウンタがあるいちばんちかいばしょである西友の桂店(はじめていったがいなかのデパートみたいにざつぜんとしているのでびっくり)にでむいてにゅうきん。そうしてきたくするとれいぞうこがとうちゃくしていたのだった。
●よる。こうしてさいしょのわだいにもどってきて、つまりひさしぶりにいえでのむビール――。しょうじきにかけばおもてでのむほうがずっとすきなのだがきょうばかりはてをのばせばすぐにつめたいカンをてにすることができるよろこびをまんきつ。まんきつしすぎてそのあとふかい「かみん」におちていまごろおめざめ。これからしごと。山形にいくまえにどうしてもしあげなければならないものがあって…。[25:45]

2001年7月19日(木)
●れいぞうこ。くわしいじじょうがぼくにわかろうはずもないがともかくもいちばんおこりやすい「ぶい」にふぐあいはみつからなかった。となるとつぎはそのようなかでんせいひんにもついているコンピュータの「きばん」を四、五日かけてとりよせてつけかえてみてそれでもダメならコンプレッサそのもののとりかえというてじゅんをとる。そういうことになるらしい。が、なつだ。さいていでも四、五日、ながければ一しゅうかんもれいぞうこがないなつのせいかつ(しかもらいしゅうになると父は山形のひとである)はわがやのじゅうにんにはたえがたい。ということでそのしゅんかんにしゅうりはちゅうししてあたらしいれいぞうこをこうにゅうするけっしんをかためた。そのあたらしいブツはゆうこく上新電機京都1ばん館でちゅうもん。はいたつはあすのごご。いたいしゅっぴだが「うんめいろんじゃ」はこのようなことではくじけない。
●ごご。四かいせいのめんだんはよていしていた十余めいぜんいんがほんの一ぷんもちこくすることなくしゅっとうしてきた(ということはコチラのしどうもよていどおりの二十ぷん/ひとりのペースをまもったのだ)。ふだんからじかんにはウルサイしどうきょういんではあるがいまどきのだいがくせいたちとしてはきせきてきといわねばならない。
●あす。せけんはおやすみであるらしい。うちのだいがくはしけんしゅうかんのしょにちでぼくはあさ九じにしゅうごうしてしけんかんとく(ほかのせんせいのおうえん)をひとコマたんとうする(母子は河原町まで『ウルトラマンコスモス』をみにいくらしい)。ちなみに「はんき」のうちに十五しゅうのじゅぎょうをかんぜんじっしすることがかくていしたらいねんどはこくみんのしゅくじつのうち三日がへいじょうじゅぎょうかいこうのひとなる。その三日とは「みどりの日」、「建国記念日」、「天皇誕生日」。ハッピー・マンデーによってじゅぎょうがすくなくなる月ようびのぶんをそうしておぎなわなければならないというのはりろんてきにはわかるとしてもその三日のゆらいをおもんばかるならばあるとくしゅなイデオロギーをもつだいがくとみなされてもしかたがないというさるどうりょうきょういんのきぐはおおいにただしい。ついでだからいっそメーデーをかわりのきゅうじつにしたらいかが(笑)?[22:57]

2001年7月18日(水)
●こんやものんだあとなのににっきをかいている。せつどがあるというべきかそれともぎゃくなのか。
●だがかかれるわだいはたいしたものではない――まずはきのうかきもらしたこと。火ようびごぜんこうれいのTSUTAYAもうではDVD一てん(『勝手にしやがれ』)のこうにゅうというささやかなしゅうかくのみ(らいしゅうはへんきゃくするヒマがないかもしれないから)。で、さくひんはれいによってDVDのとくせいをりようしてチラチラとすうばめんをみただけだが…、ゴダールはもうしばらくはいい(「いらない」の意)かなというかんじ(笑)。
●つぎのわだい。れいぞうこ
[さくじつのbをさんしょう]。クーラーのとりつけでいそがしい上新電機のカスタマーセンターにたのみこんであすのごぜんちゅうにしゅうりにきてもらうことになった。さくやのないようをくりかえすがとにかくこのあつさのなかでいちばんイタイこしょうなのでせいぜいていねいにたのみこんだのである。もっともきてくれたからといってすぐになおるほしょうはないのだが。
●あすはその一けんのあと四かいせいのゼミせい十余めいのめんだんがゆうこくまでびっしり。がくせいにとってもタイトなスケジュールなのだがこれをやすみまえにやるとやらないとでは9月じてんのそつぎょうけんきゅうのしんちょくぐあいがぜんぜんちがう。そしてそのいみではこれはあきにすこしでもラクをしたいしどうきょういんほんにんのためのさぎょうなのでもある。すがすがしいあきのひのためにあすはせいぜいきびしく、そしてやさしく。[24:28]

2001年7月17日(火)b
●だいぶのんでかえってきたのでほんらいならにっきをかかずにねむるところなのだがかえってみるとれいぞうこがこわれていたのでやっぱりかいておこうとおもった。ついせんじつもせんたくきのちょうしがおかしくなったから(とはいえそれはかんたんなぶひんこうかんですぐなおった)6月3日(日)aおよび4日(月)をさんしょう]そろそろどのかでんせいひんもガタがきているということなのだがいずれにしてもこのなつばにれいぞうこがこわれるのはつらい――まずはれいとうしょくひんがぜんめつである。れいぞうしていたものもさすがにあすはもうアブナイ。子がのむぎゅうにゅうはひつようなときにコンビニにかいにはしらねばならない。まあビールにかんしてはこんやもそしてあす(またべつののみかいがある)もガマンできるとしても…。[23:25]

2001年7月17日(火)a
●きのうのぶん(とはいってもほんの一じかんはんほどまえにアップしたばかりなのだが)にかいた「バイオニック・ジェミー」だがそれはぼくのしょうがくせいではなくちゅうがくからこうこうにかけてのころにほうそうされていたはずだ。いや、ほんとうはないようてきにVAIO日記のわだいなのでさくじょもかんがえたのだがこの一じかんはんのうちにすでにカウンタがまわっていたのでうえをていせいだけしておきたい(このじじつにかかるていせいによってほんとうならばないようめんでのしゅうせいもひつようになるのだが)。
●ちなみにせんじつ「ぴあ」がだしているえいがのデータブックをかったら『イルマ・ヴェップ』
7月12日(木)bをさんしょう]のかんとくも「アサイヤス」でなく「マサイヤス」ででている。たぶんぼくのまちがいなのだろう。あわせてこのきかいにていせいしておく。
●きょうはがくせいたちとのコンパがあるのでよるのアップはこころもとない。このこともあらかじめ――。[06:00;11:30一部字句修正]

2001年7月16日(月)
●あさ。ほいくしょに子をおくりとどけたあとおおあめのなか羽束師――「はつかし」とよむだけですでになんとなくきはずかしいのはとっても「たかん」なぼくだけであろうか――のうんてんめんきょしけんじょうへ。どうしてひとつのまどぐちですませられないのだろうとおもいたくなる七つほどのまどぐちをめぐりながらこうしんのてつづきをすませて「こうしゅうかい」かいじょうへ。九十ぷんちかくもダラダラとしたせつめいやビデオをみせられてつまらないじゅぎょうにでているだいがくせいはこんなきぶんをあじわっているのだろうとおもいやった。
●さてその「こうしゅう」しゅうりょうごにおきまりのようにこうしから一まい一まいありがたそうにてわたされる新めんきょしょうにはとうぜんのことながらこれまでの(三ねんまえのめんきょしゅとくじの)とはちがってくろぐろとヒゲをたくわえている四十のオヤジがうつっていてこれでヒゲのないしゃしんとヒゲのあるほんにんをじろじろと(もちろんひそかにだが)みくらべられることはないだろうとのちいさなあんしんがえられたのではあったが、といいながらじつはさくばん、こんご三ねんかんにわたってけいたいするしゃしんなのだからこのきかいにいっそヒゲをそろうかとかんがえたのもたしか。四十になってもまだみだしなみやしゃしんうつりにはこうこうせいとおなじくらいにきをつかうのであることをここでめいげんしておく。
●ひる。教育研究システム課にでむく。このばしょにそのなをしるすのははじめてであるがきょういく・けんきゅうにしようするさまざまなしちょうかくメディアにかかるラボがふせつされるそこにせんじつさるテレビばんぐみのよやくろくがをもうしこんだのである。ばんぐみめいは「バイオニック・ジェミー・スペシャルII」。アアなつかしいとおもったどくしゃがあればそうとうなねんれいであるはずだが(笑)かつてリンゼイ・ワグナー(えいがでは『ペーパー・チェイス』という「かひん」へのしゅつえんがある)をヒロインとしてにちべいりょうこくでヒットしたテレビ・シリーズのリターン(かえってきた…)ヴァージョンでそれがうつらなければみられないというのでおもわずテレビ大阪がはいるケーブル・テレビにかにゅうしようかといちじおもったほどそのほうそうはむねおどらせるできごとなのであった(だから「はつかし」さをしのんで「教研システム課」でたのんだのだ)。だがさいしょのすうふんだけさいせいしてみたがかつて日テレ系でほうそうされていたときのいかにもな「じんこうおんせい」(「いかはごくひじょうほう、…」うんぬん)がきこえてこない。そのむかしまだビデオがいっぱんてきでなかったころだったのでまいかいの六十ぷんのおんせいをカセットテープでとったにんげんにとってははなはだふまんであるといわねばならぬ。もっともしょうがくせいとうじからコレクションへきがあったことのさいはっけんはゆうえきではあるのだが[笑]。
●しょうごすぎまでのわだいでこんなにかきつらねてしまった。こよいはこのへんでじしゅくしたい(というよりもごごからはまたいつものようにすなをかむようなざつむにおわれただけなので)。
●おふろにはいるまえにうえをかいたもののそのごいつものように「かみん」してしまいました。「きょう」はさすがにけすのはしのびないのでおおはばにひづけへんこうせんをこえてから…。[28:30]

2001年7月15日(日)b
●「ふつかよい」というわけではないのだがそれでもまる一にちぐったりしていたのがあつさのせいだけではないことはあきらかである。こんしゅうは火、水にもえんかいがある。ぎゅぎょうはすんだが――そう、かきわすれたが13日(金)の「外書講読」でぜんきぶんはすんでいたのだった――せっせいしないことにはしごとのしんちょくはのぞめそうにない。
●あす。ごごにはだいがくでいつもながらのこうむ(ざつよう)がまちうけているがごぜんはめんきょしょうのこうしんのために伏見区羽束師[はつかし]のうんてんめんきょしけんじょうにでむく(たんじょうび[四十さいだ!]まえにはんにちのじゆうじかんがとれるへいじつがほかにあるかどうかわからないから)。ちなみに「更新のお知らせ」とかかれたつうちの「最新違反内容」のらんには「速度30未満」のもじがある
2000年11月12日(日)aをさんしょう]。あの一かいのオカゲで「優良運転者」のタイトルをえられないのはしかたないのだがなにもそのような「かこ」までしっかりつうちいただかなくてもいいのに。ま、三ねんごには。[24:56]

2001年7月15日(日)a
●わが御室保育所ではこのところまいとしいちばん「のんべぇ」のクラスがいれかわる。三ねんまえが「あひる」、二ねんまえが「うさぎ」、きょねんが「りす」、そしてことしは「きりん」なのだがなまえがこうしてことなっていてもなかのメンバーは(ほとんど)かわらないというのはふしぎといえばふしぎである。そのきりん組のさくやのえんかいは「肉のヤマムラ」(天神川御池ちかく)でしいれたしょくざい(+かくかていからもちよったやさい)によった大やきにくパーティーで子たちのつかれなどまったくきにせずよなかの23:00あたりまでえんえんとたべそしてまたのみあかされたのであった。そのあとのことはおしてしるべし――とりあえずいじょうをそくほうとして。[08:17]

2001年7月14日(土)
●さくじつぶんのおやすみのことわりとどうじにいまこれはかかれている。――クーラーのきいたへやでビールをのんでゴロンとなるともうあさまでたちあがれない。はやばやとやってきたもうしょ、しっかりとたまったつかれ、そしてねんれい…。これらがそうじょうこうかをうんでだいの「にっきずき」(笑)にそのこういをきんじている。と、かいておく。
●ちなみにこんやはほいくしょのきりん組のこんしんかい=だいえんかい。ぜんかいそれがひらかれた3月にはにっきをまるまるおやすみしていたのでそのまえの、さくねんの7月ぶんをみると
2000年7月14日(金)、15日(土)、16日(日)あたりをさんしょう]、…どうやらやはりはげしくのんでいる。こんやもまたよるのにっきはおやすみになるかのうせいがたかい。
●ちなみにさくねんどのそのじきのにっきをみるとやはりなんども「お休みしました」のひょうげんにであう。やはりつかれが――。だがそこではなつかしい「へんしゅうしゃS」とのたたかいのことなどがかかれている(「9月しょじゅんのだっこう」
[同14日(金)をさんしょう]なんていうことがかかれている)。そのご「しめきりをせっていせずにまて」といったようなことをぼくはいったわけで(ここにもはっきりとかきとめていないそれはこの1月のことだ)それをかれはちゅうじつにまもっている(とかんがえたい[笑])のだがそれはさておきそういうじぶんのしごとでくるしむことができたきょねんはまだしもさいわいであったというのがげんざいのいつわらざるほんね。だがもうしばらくはどうにもならない。[07:17]

2001年7月13日(金)はお休みしました。

2001年7月12日(木)b
●ついきを――しゅうちのとおりアンナはゴダールのさいしょの細君である。そこにもみられるとおり「かんとく」が「じょゆう」とデキてしまってなるものいじょうにすばらしいけっこんはないと(ぼんようとしりつつ)おもわないではいれないしゅんかんがある。わがくにの篠田正浩や大島渚のことをおもっている? いやじつはマギーのばあいがそうなのだ。『イルマ・ヴェップ』[オモテだと7月3日(火)をさんしょう]をとったアサイヤス(だっけ?)がかのじょを「めとった」(ふるめかしいひょうげんだ)。だがアサイヤスがどんなふうぼうのオトコかしらないがあのとうようてきな「び」にはにあわないとめいげんしておく。
●あすのあさ二げんめにじょうえいする《ティレージアスの乳房》
7月9日(月)をさんしょう]のじょうえいかしょがまだきまらない。えいぞうをきょうざいにせっきょくてきにつかうようになってからぎゃくに(というのもふつうはラクになるとおもわれるはずだからだ)じゅぎょうのじゅんびがタイヘンになった、そのことをみにしみてかんじるよる。[26:47]

2001年7月12日(木)a
●子の母のたいちょう7月6日(金)をさんしょう]がまだかいふくしない(ながいっ!)。クスリがきれた(なんてかくと「ヤクチュウ」みたいだが[苦笑])きのうはたいへんでおもわずゆうしょくのじゅんびもせずにいしゃにかけこんでいた。きょうもえんてんかにびょういんとほいくしょ(うけもちがくせいのじっしゅうさき)のあいだをおうふくしていまはしんしつでダウンしている。じっくりやすめないいまのじょうたいではしかたあるまい。
●母がダウンしたので子とふたりでしょくじをとった父はさっきからコンピュータ(さいきんまでけんきゅうしつでつかっていたLaVie)をつかったきょうざい(といってもほんのおあそびでかずをかぞえたりするやつだが)にとりくむ子につきあわされている(ちょうしよくいっているあいまにこうしてデスクトップのValueStarにむかうのだがまたときどきよびもどされるのである)。それにしてもおどろくのは十日ほどまえにはまだヘタくそだったマウスのクリックのどうさがいまやずいぶんとすばやくせいかくになっているてんである。このちょうしではまもなく父をおいこすであろう(というのはおおげさか)。[09:25]
●うえをかいてからはみがきをさせてむかしばなしをきかせてねかしつけるまでずいぶんかかってそればかりかそのままいっしょに「かみん」までしてしまった。あやうく二日れんぞくでにっきをやすむ(うえをボツにして)ところであった。
●きのうはしかし母のたいちょうふりょうがげんいんでにっきをやすんだのではない。むしろこちらがさきにダウンしたのである。しかもこっちはびょうきではなくただつかれているだけ。一しゅうかんのというよりものこりわずかとなったこの「がっき」のつかれがたまりにたまっているといわねばならない。
●そのはんめんでくだらないことにじかんをさいたりしている――すなわちVAIOをパワーアップするためにさるぎょうしゃにそれをおくりとどけるその「こんぽう」さぎょうをすこしまえからおこなっているのだからである。そう、パワーアップのなかみはHDDのとりかえ。4.1GBから30GBへといっきにぞうだいさせる。ほとんどのぎょうしゃがムリとしているPCG-505Vマシンにそうしたさぎょうをほどこすことがかのうであるとしってそれだけでヘンにかんどうして「きょうりょくモバイル・マシン」としてなおながき「よせい」をいきてもらうけっしんをしたのである。
●おとといのわだいの「つづき」も。ゴダールはわがきょうしつではあまりウケなかったようだ。カットのざんしんさや「あいまい/ぐうぜん」のりよう、そしてちんもくやざつおんがじゅうようなやくわりをはたすいわゆるソニマージュ(Son-Image)について「せつめい」してもきょうしつではシラけてしまうというわけである。ただ『女と男のいる舗道』における、えいが『裁かれるジャンヌ』のジャンヌ・ダルクをみてなみだをながすナナ(アンナ・カリーナ)のうつくしさだけはちいさなきょうしつのくらがりのなかでもきわだっていたといわねばならない。いいじょゆうであるとおもう(『花様年華』のしゅえんじょゆうのばあいのように「かんじょういにゅう」まではしないが[笑])。
●一にちあくとずいぶんなりょうをかいてしまうものだ。よみかえすのもシンドイ(笑)。ごじ・だつじ・ぶんしょうのみだれなどがあればよくじつにでも。[25:14;26:40一字修正]

2001年7月11日(水)はお休みしました。

2001年7月10日(火)
●とてもイヤなことが二つあった。だがかかない。ここはやはりそのいみで(すこしは)パブリックなばしょだからである。
●TSUTAYA西院店(ちかくにいいレンタル・ビデオ屋がないからクルマでわざわざ十ぷんもかけていかざるをえないのだ)でのきょうのかりだしは『新ドイツ零年』と『ベトナムから遠く離れて』(ともにVHS)、ちゅうしゃりょうきんをむりょうにするための上新電機京都1ばん館でのこうにゅうひんが『アルファヴィル』(DVD)。おっと、これじゃまるでゴダール・フリークみたいじゃないか(笑)。[つづく?]
●――と、ここまでかいたところでいじょうにねむくなってきたのである。すこし「かみん」しよう(いっそそうちょうまで?)。にっきのとちゅうでというのは(そのようにこくはくされるものとしては)はじめてのパターンかな。[22:50]

2001年7月9日(月)
●しゅうのはじめにすでにぐったりとしたよるをすごしている(ひるまはニュースレターのぶんしょう7月2日(月)aをさんしょう]をゆうせんされるレイアウトにあわせてみじかくきりつめるさぎょうとていきしけんのもんだい[「芸術論」の]のさくせいでつぶれた)。あすはごごにかいぎが三けん+うえのニュースレターにまつわるぎょうしゃとのうちあわせ。あいかわらずクラい。
●ごぜんちゅうにはしかしれいのごとくTSUTAYA西院店へのビデオへんきゃくのたのしみがある。こんしゅうは木ようびの「基礎講読」のさいしゅうかいにTさんがゴダール『中国女』によったプレゼンテーションをおこなうことになっているので(しかもほんにんはほかのゴダールさくひんとのひかくもこころみようとしてざせつしたというので)できればこちらでそれとれんどうしうるちいさなプレゼンテーションをよういしようかとも。かりるかかうか、いずれにしてもあすはこのかんとくのさくひんをたずさえてきたくするよてい。
●さいしゅうかいといえば金ようびの「外書講読」のそれではプーランクのオペラ《ティレージアスの乳房》
2000年10月12日(木)]のじょうえいをよていしている。というのも二十せいきのびじゅつしにかんするがいせつしょのシュルレアリスムにかんするしょうをりんどくしているのだがそのことば(シュル…)がさいしょにもちいられたのが1917年、うえのプーランクのきょくがのち(1940年代)につけられることになるアポリネールの「ぎきょく」のげんさくにたいしてであること(ただし《ティレージアス》のタイトルまではあがっていないが)がチラとしょうかいされているのだから。ちなみにじゅこうしゃ四にん(じっさいにじょうじしゅっせきしているのは三にんだ)のうちお二人が「しゅふ」のかたなのでいつも「ベーコンを、ベーコンを」とねだる(笑)しかのうのないおっとをみかぎってしゃかいしんしゅつしようとするじょせいテレーズのはなし(さまざまなる「こうとうむけい」なすじがきもさることながらこのじょせいの「じりつ」こそがとうじは非げんじつてき[surreal]といわれたのである!)はそこそこおもしろいものとえいじるであろう。
●どうでもいいけど「にっき」とはおもえないないようである。[25:25]

2001年7月8日(日)
●朝日新聞のぐれつなるへんしゅういいんのひとりが『新しい歴史教科書』について「問題は書かれなかった部分にある」としてさらに「中国や韓国の人たちと友好を求めない保護者や先生は、これを選べばいいが、そうでない保護者と先生は今立ち上がり、この教科書はいやだと声を上げたほうがいい」とはつげんしたこと(6日[金]のニュースステーション)がこんしゅうもんだいとされるはずだが(放送法のかんてんからばっせられるべきだ)れきしにせよにっきにせよそこにかかれなかったことに(も/こそ)「もんだい」があることはいっぱんてきにはただしいといわねばならない。だが「ここ」は――そのような「もんだい」がかくされているのならむしろうれしいというべきだが。
●せいぜいかきうるきょうのできごと。母子の京都こどもみらい館(烏丸丸太町近く)とのおうふくのアッシーのあいまにゼスト御池にクルマをとめて三条あたりへ。「本家田毎」(これまではあやまって「田毎本店」とひょうきしてきたはずだ)でまずは「みそぎそば」をしょくす。一番粉をつかったいわゆる更科系のざるそばにちいさなエビてんが三つついてくるこのメニューはゆうがたにはいつもうりきれじょうたいだがいざしょくしてみると「ふうみ」や「こし」のてんでむしろふつうのザルのほうがびみとかんじられた(それにしても「れいしゅ」のいっぱいものめなかったことはざんねんではあった)。そのごブックファースト(河原町)でレヴィナスを二さつとえいが『欲望の翼』(カーウァイかんとく)のパンフをこうにゅう。さいごにたちよったJEUGIA本店ではおめあてのDVD(ある二十せいきもののオペラ)がうりきれでなにもかわずに(こういうことははじめてだ)ちゅうしゃじょうへ。母子をピックアップして平野神社まえの「生鮮館なかむら」でかいもの。おひるにはビールがつきもの(どれほどしごとがたまっていても)。ひるねをしたかどうか、そしてそのあとのてんかいはかかずにそうぞうにおまかせしたい。[23:05]

2001年7月7日(土)b
●「過去の日記」へとおくったページのしゃしんへのリンクにふぐあいがおおくみつかったのでなおした(たぶんなおっているはずだ)。せかいになんらのえいきょうもおよぼさないさぎょう。[25:16]

2001年7月7日(土)a
●にっきのひづけをみてきょうがたなばたであることをしる。だからどうということはないが(笑)。
●いずれにしてもきのうとはいってんしてなにもはたらかなかった。いくらしごとがたまっていてもウィークエンドのしょにちはウィークデイのはんどうでなにもやるきがおこらない。ただしやるきがおこらなくてもほいくしょ&しょくば&スイミングへのアッシーはおこたらない。けなげというべきである。
●そのあさのアッシーのあとひさびさに高尾・栂ノ尾までショートドライヴ。かえりのきゅうゆのあとのけいさんではねんぴはガタっとおちて10km/lそこそこ(この一かげつのあいだはまったく「とおで」しなかったしクーラーもつかいはじめたからね)。ひる。ほいくしょ&スイミングのまえにこれもひさびさのせんしゃ。三かげつにいちどおこなうことをすいしょうされてているにもかかわらずすでにぜんかいぶんから五かげつちかくほうちしてあるからポリマーシーラントのメンテナンス
2月18日(日)cをさんしょう]までおこなうよりょくはなし。つぎはあき?
●あす。せめていまはなにもかんがえたくない。[23:52]

2001年7月6日(金)
●よくはたらいた一にちであった。けれどもさくやよそうしたいじょうのできごとはなかった。つまらない。
●細君がたいちょうをくずしている。いつものちょうしでいけばあすがたいちょうふりょうのピークとなる(にもかかわらずしごとはやすめないらしい)。 このよそうもあたるはずだ。
●そのつまらないきょうとあしたのあいまのこれからのすうじかん、えいがをみる(mpeg1けいしいデータとしてPCにとりこみながら)。だがさいごまでおきていられるだろうか。さて、じしんがない。[23:52;翌日、一部字句修正]

2001年7月5日(木)
●「その時 歴史が動いた」[ちょっかの7月4日(水)cをさんしょう]のなかでしょうかいされていた「桃太郎の海鷲」そして「桃太郎、海の神兵」の二ほんのアニメ(ともに太平洋戦争後期のせいさく)はおりしも『パールハーバー』がこうかいされているこんにちてきじょうきょうにあわせるかのように鬼ヶ島にみたてたそのちを「きしゅう」するゼロ戦パイロット桃太郎をえがくてんがまずはいんしょうてきだったがそれぬきにでもかんしょうにたえうるアニメーションぎじゅつ(もちろんCGなどまったくつかっていない)のことはさらにとっきしなければならない(さくしゃの政岡憲三はせいさくとちゅうにディズニーのアニメ[ミッキーマウスがでる『ファンタジア』]をみてそのレヴェルのたかさにきょうたんしたというがあるいみで[リアリズムのひょうげんのてんでは]「桃太郎」のほうがすすんでいる)。つづく『オサムとムサシ』は「ぐんじんさん」にじんるいのへいわのみならずムシたちとの「きょうせい」すらをかたらせてしまう手塚眞(原作・監修)のやすっぽいイデオロギーがはなについたがいわゆる無声えいがのしゅほうをとって(言葉は三かしょにおける「じまく」だけだ)そこに富田勲のよくできた「かんげんがっきょく」(ソナタけいしきをきほんてきにとうしゅうする「こうきょうきょく」とたいひされる、もじどおりじゆうなジャンルとしての)がふせられているてんがおもわぬしんせんさをうんでいた。ますますえいがというものがおもしろくかんじられる――と、アニメえいがをみてのかんそう。
●ちなみにあいすべきオアシス、京都みなみ会館では鈴木清順やらコクトーやらのきょうみふかいさくひんがたすうかかっているがとうぶんそこにあしははこべそうにない。うらめしい。
●そのたぼうなるあす。ごぜんちゅうはじゅぎょう。ごごにかいぎが二けん。そのあと、きょうでてきたニュースレターのしょこうゲラのデザインをめぐってぎょうしゃとうちあわせ(なかなかにむずかしいもんやね、デザイナーのしゅたいせいもそんちょうしたいし)。いつごろそれがおわるかわからないがそれがすんだらこのしゅうまつはあるほんやくにぼっとうする。土日で三十まいほどやくさねばならない。えいごとはいえきがとおくなりそうである。
●もう一てん。二かげつほどのちにきかくされているある「たいだん」へのしゅつえんをもとめられている。いくつかのれいがいをのぞいてそういうばしょはさけてきたのだがこのたびはにげられないテーマでのいらいなので(そしてしんらいのおけるひとのさしがねでもあるので)ひきうけようかとかんがえている。けつだんしたらまたこのばしょでかんたんにほうこくはしたい。[25:42;26:35句読点を一箇所修正]

2001年7月4日(水)c
●あすの「基礎講読」(二かいせい)のテーマは手塚治虫。KくんがNHKの「その時 歴史が動いた」というドキュメンタリィばんぐみと『オサムとムサシ』というたんぺんアニメえいがをそざいにして「にゅうこん」のはっぴょうをするよてい(レジュメがちからがはいっている)。つづくゼミはMさんによるフランシス・ベーコン論(こちらもA3三まいにおよぶレジュメ)。
●これまでの三ぶんの二のおもさ(六十三グラム)になったケイタイがかいちょう。ポケットにいれてもおもさをかんじる「いき(閾)」をしたまわっているというかんじである。まあそのちいささのおかげでもじのうちまちがいがはっせいするのはごあいきょうといおうもの。――いじょう、つまらないわだいでした。[24:51]

2001年7月4日(水)b
●あさのじゅぎょうはまたベラベラとしゃべりまくっておわった(きょうはついにはんズボンできょうだんにたった)。そのごゆうびんぶつをださねばならないいっけんをおもいだしてきたくしてついでにいまPCにむかっていて、そして――
●しんやにかいたしたの
aのさいごのほうのぶんしょうがないようてきなてんもさることながらぶんしょうのてんでもけっこうヒドイのでいったんさくじょすることにした。このないようはじゅうぶんにぎんみされてかかれつつあるえいがろん(ホンマかいな?)のなかにもりこまれるだろう。[11:30;夕刻、字句修正]

2001年7月4日(水)a
●「ききてき」だ「ききてき」だとくりかえしてこのみになにもおこらないのはオオカミがくるぞくるぞといいつのったあのしょうねんとかわりないではないか。ここはウシどし、Bがた、ししざ、三ぺき木せいのらくてんしゅぎてきヴィジョン(笑)をかたるべきではないのか。
●6月ちゅうじゅんにこのち京都でのこうかいがおわるまでにじつは三どもみた『花様年華』
5月のVAIO日記をよむがよい]がなんとあとすうじつのちにようやく山形のちでこうかいされる。しかもそのちに7月24日から四泊のよていでむかうのである。四どめのゆうわくにかてるか(笑)?
●それにしてもあるひとのにっきではそのえいがをみてなみだをながしたらしいライター(ひひょうか?)のはなしがしょうかいされていたがぼくはといえば(三どみたというにしてはむじゅんするようだが)むしろなんどもわらいをこらえるのにひっしだった。とくにホテルで「しょきのもくてき」がはたせなかったときのオトコのばつのわるそうなひょうじょう。トニー・レオン(あきらかにマギー・チャンのうつくしさにくわれていた)はまさのそのホテルでのむごんのひょうじょうでカンヌのしゅえんだんゆうしょうをとったといいたいところだ。
[削除しました。]
●――と、こんなことをかんがえているとすこしもあさのじゅぎょうのじゅんびがはかどらないのではある。[02:17]

2001年7月3日(火)
●こんしゅうTSUTAYA西院店でレンタルしてきたビデオは『イルマ・ヴェップ』。ついでにクルマをとめている上新電機京都1ばん店でケイタイのきしゅへんこうをおこなった(もはやアウトレットというべきF209iだがiアプリなどひつようないにんげんにはなによりもそのちいささ[六〇グラムだい]がいい)。いそがしいいそがしいといいながらけっこうヤッているではないか、と? だがえいがはどうせきちんとみるヒマがないからPCにとりこむだけとなるのはめにみえているしケイタイだって三〇グラムほどかるくなっただけでなにごとかひやくてきにかわったわけでもない。ただ西院あたりまでクルマをはしらせて小一じかんプラプラするそれだけでちいさなきやすめになるという、やはりどうかんがえてもききてきなじょうきょう。これでけんこうしんだんでなにもわるいところはでないのだからそれこそヤッてられないきぶんではある。
●あす。あさ一げんめの「芸術論」はいつのまにかのこすところ二かいとなった。マネのあたりでせんしゅうはじかんぎれとなったので(アレちゃんとびじゅつしもやっているの[笑]?)あすはそこからいっきにげんだいまで。だがそれにしてもなつやすみこうはんにひかえるあるイヴェント(そしてそのまえにつぎのしゅうまつにしあげねばならないほんやく)がひかえているのでちっともなつやすみがまちどおしくない。やはりききてきである。[25:05]

2001年7月2日(月)b
●「かみん」はけっきょく一じかんほど。まあ、てつやといっていい。で、げんこう二ほん(なんてかくとひょうろんのしごとのようだ[笑])はぶじにていしゅつした(にゅうしパンフのほうだけじゃっかんのなおしがはいるがそれはあすのあさかたづけるよてい)。そのあとのきょだつかんがしはいするカラダにビールがしみいる。なのにねむれない。それどころかこんなにっきをかいている。よほど(すくなくともさくやひとばんかかったそれよりは)だいじなさぎょうであるのだろう。
●ついでに――ケイタイをかいかえようとおもう。いわゆるiアプリつきの503iではなくメールそうじゅしんにきのうをとっかしたきわめてかるい210iがおめあて。ただしさいけいりょう(六〇グラムをきる!)のP210iはつうしんケーブルがこれまでのがつかえなさそうなのできょうはふみとどまった(しごとがおわったあとの生協でね[笑])。――と、じゅうようなへんこうのようにきこえもしようがじっさいはただじょせいがかみをきるときのように(?)ただきぶんてんかんがしたいだけ。ヒゲでもそる?[21:58]

2001年7月2日(月)a
●ひさびさのかんぜんなるてつやである。ニュースレターのげんこう6月30日(土)cをさんしょう]はデキはたいしたことはないが(モトがそれなりのものであるというだけのことだ)それでもしょかいにデザイナーにてわたせるていどのぶんしょうはできた(ただレイアウトのためだけのダミー・テキストよりはマシということだ)。さあ、すこし「かみん」をしたらつぎはひるから入試主事とパンフ[同上]のさいしゅうチェック、そうしてそのあとうえのにゅうこうである。きょうもながい一にちになることはまちがいない。(ちなみにきょうはほいくしょへの「おくり」のとうばんではないので「かみん」のためにいまビールをのんでいる。)[06:57]

2001年7月1日(日)
[削除しました。]
●じぶんのためにまったくならないぶんしょうをかかねばならないことはつらい(ときにそれはそれとしてたのしいこともあるが)。たとえそののうりょくをほめたたえられることがあったとしても(いやそれゆえにこそいっそう)。「20世紀が積み残した問題」だとか「大学に期待される使命」だとか「核心にある倫理的な問い」だとか「アジアの芸術」だとか、このようなことにぼくはまったくかんしんがないのだとここで(は)はっきりとかいておきたい。[16:28;24:24一部字句修正]