2001年8月31日(金)
●じつは月がかわったちょくごからかかれはじめる今月さいごのにっきのさいしょのわだいはごぜんの京都全日空ホテル(二条城前)でのうちあわせのこと。だが、なんだかしみじみとしたうちあわせだったなぁ(笑)と、このけんはそれだけ。
●そのあと三条通りをけいゆして上新電機京都1ばん館へ。まずは二かいの海外プラグ変換アダプタのコーナーでにほんのいわゆる「ひらば(平刃)」のコンセントけいじょうにせつぞくするアダプタをぶっしょくしてとりあえず「ない」よりはマシというモノを一コこうにゅう(つうじょうのかいがいりょこうようとはぎゃくだからね;で、じゅうぶんなものがなかったのでごごインターネットでけんさくして秋葉原のせんもんぎょうしゃにちゅうもん;これを3日[月]にしようするよてい)。そのあとおきまりのTSUTAYA西院店へ。せんじつかりそこねた『裁かるるジャンヌ』[8月23日(木)aをさんしょう]をVHSで、そしてあらたに(つまり『アメリカの夜』はやめて)トリュフォーの『ピアニストを撃て』をDVDで、それぞれレンタル。クルマをとめてある上新のディスクピアのCDうりばではひょうばんのラトル/VPOのベートーベン5+ブラームスVn協(チョン・キョンファ)。それと小澤/SKOのマラ9とシフのヤナーチェク[8月27日(月)bをさんしょう]。もちろんきょうはどれもみない/きかない。おたのしみだ。
●ちなみに上新電機のちゅうしゃじょうはこれまで二千えんのかいものをしてようやく一じかんぶんのだいきんがタダになったが(だからTSUTAYAとのおうふくはせわしかった)いつのまにかレシートがあれば二じかんまでタダにかわっていた。このはる円町にかいてんしたニノミヤ京都本店がむりょうちゅうしゃじょうでけっこうおきゃくをあつめているからだ。やはりなにごともきょうそうがひつようだといわねばならない。
●ごご。ひたすらさくじつのつづき。ゆうこくはそこにAVききのチェックがくわわってしんちょくがきゅうににぶる。きょうまでにすませておきたかったことの二わりはけっきょくできなかった。ビデオをみようとおもってもまずぶつりてきにそんなことはふかのうである。
●なんてかいておきながら『タイタニック』の前編をついつい(よこめ/せなかのめで)みてしまった。子が「おフネのなかにおウチがあるの、おもしろいなぁ」とつまらないかんそうをもらしてしんしつにむかっていったが(母はさいごまでみたかったようだ)父はそこそこたのしんだとこくはくしておきたい。市原悦子みたいなヘンなナレーションは「いよう」だったし(しんぶんのばんぐみらんにみえる「日本特別編集版」のゆえんなのだろうが)ディカプリオのえがくヌードもへたくそだったが(ピカソの《アヴィニョン》のミニ・ヴァージョンがあるのにはわらった)むかしみた『ポセイドン・アドベンチャー』といい「ちんぼつ」モノはみるものをものがなしくもしかしこうふんさせるなとおもう。さああした(後編)はジーン・ハックマン神父の「おおたちまわり」にまけないどんなラストがまちうけているのかな(みてるヒマはないとおもうよ)。[24:40]
2001年8月30日(木)b
●ひじょうにショッキングなことがはんめいした。シュタルケルがエルガーのコンチェルトをひく9月19、20両日のN響定期のチケットがすでにsold outであることがわかった(http://www.nhkso.or.jp/schedule/2001_09.html)。ウィーンフィルじゃあるまいしN響なんぞチケットは(ランクにこだわらなければ)いつでもあるとおもっていたじぶんがバカだった(9月28日のカザルス・ホールのリサイタルもあすチェックしなければ)。いや、すこしはあぶないとおもってはいたがそういうよゆうもなかった/9月5日になったらよやくしようとおもっていた。このなつのせいである(いや、くずさんをみならわねば)。
●というわけでこんやはこれから「ヤケざけ」である。[25:00]
2001年8月30日(木)a
●一にちじゅうしょくばのパソコンにむかっていろんなけいじぶつばかりさくせいした。あすもおなじようなしごとがいくぶんのこっているがそろそろ「じゅんび」[8月18日(土)aをさんしょう]はべつのステージにとつにゅうする。そのまえにあすはごぜんちゅう二条城まえの京都全日空ホテルにでむいて「しゅくはく」や「えんかい」にまつわるうちあわせも。それだけじゃつまらないからなにかおいしいランチでもたべてかえりにTSUTAYAにでもよってくるとしよう。もちろんここすうじつはみられないが七泊八日のレンタルののこり二日ぐらいはそれをみるよゆうがある。
●すうじつまえのしんぶんきじ(あるいはざっしのきじ)をさがしているがみつからない。二がっきがはじまった池田小でこうちょうが「いのちのとうとさ」を子どもたちにといたことの「ぐ」をしてきするないようで、じっさいそこでひつようなのはそのようなものではなくいのちをうばったものへの「いかり」をいだかせることにほかならない。あるいはそのことのぜひはおくとしてもああいったしゅるいの「きょういくしゃ」のくちをついてでることばの「じどうか」ときたらどうだろう(そういうマニュアルがあるんじゃないかとかいていたそのきじのひっしゃのぎねんはおおいにただしい)。もちろんたにんごととしてのみかたっているのではない。われ(われ)もまたさまざまなばしょやぶんしょでおなじようなじどうかしたことばをはなしている(「こんど」もそのようなことにならなければいいが)。――とりあえず文部科学省のかおいろをうかがってなんやかんやかんがえごとをしているうちはぜんぜんアカンね(笑)。
●マイカルがあぶない。ぼくはその「ぜんしん」であるニチイでそだったようなものだから(ちょっとおおげさだ)このきぎょうにはみょうなしんきんかんがある(北大路ビブレのおせわにもなっているしね)。がんばれ。[23:30]
2001年8月29日(水)b
●さっきニュース23(きらいな筑紫哲也がなつやすみなのはいいがのこりのメンバーではふまんもわきおこってこない)で広沢が「六甲おろし」(阪神のおうえんか)をうたうすがたがうつっていたな。たしかにやくそくはやくそくなのだけれど(このあいだ二はつうったときに「つぎは」といっていた)じっさいにゆうしょうしたわけでもあるまいし/まだ「さいかい」であることはかわらないのだし(大阪べんでいうところの)イチビリやね、ようは。[24:10]
2001年8月29日(水)a
●ひさしぶりの(きょねんはよくとりあげていた[たとえば2000年4月7日(金)をさんしょう])わだい――阪神が巨人にすばらしいかちかたをした。わかい井川がバカムスコ(カツノリ)のリードにもたすけられて四番バッター「たち」をおさえて、うつほうではぎゃくに巨人をクビになった広沢がレフトスタンドにけっしょうホームランをぶちこむ。これで一対零(巨人のぎゃくてんゆうしょうのかのうせいもこれによってたたれたもどうぜんだ)。この一ねんのにがいおもいをわすれてかれらをたたえるべきよる。
●ひるがえってこのにっきの「著者」は阪神のことをゆいいつのわだいとせざるをえないような一にちをすごした。でもここがぎたいされたにっきのばしょであるならば「読者に」なにごとかだいじけんが「本当に」あった「と信じこませよう」[きのうのbをさんしょう]とするどりょくの一つもなしえないのか。ん、阪神? いやこれはこんや「本当に」あったことであるのだから(すくなくともニュースはそうつたえている;だが「Must We Mean What We Say」[Cavell]?)。[23:30;24:47一部表現の修正]
2001年8月28日(火)c
●「テレザがプラハのトマーシュのところに思いがけずにやってきたとき、私がすでに第I部で書いたように、その日のうち、いや、一時間もしないうちにもう愛し合ったが、そのあとすぐにテレザは熱を出した。彼女はトマーシュのベッドに横になり、彼はその横に立った。そしてそのとき、彼女は誰かが籠に入れ、彼のところに流してよこした子供であるという強い気持ちを抱いた」(したのbと同)。えっ、「私がすでに第I部で書いたように」って? 「私」とはだれだ?
●それにしてもこのぶんしょうのリズムはなんだ? ほんやくしゃのさいりょうによるところがだいなのかそれとももともとのクンデラ(かならずしも「私」であるわけではない)によるげんぶんのリズムなのか、そのことをぼくはマタイがこうきなギリシア語によってかかれているはんめんマルコはいなかのほうげんでかかれているという(せいしょがくの)じょうしきをじぶんでたしかめることができないように、はんだんがつきかねる。[26:50]
2001年8月28日(火)b
●「もし著者が読者に、登場人物が本当にいたと信じこませなら、それはばかげたことである。その人物は母親の身体から生まれたのではなく、二つの暗示的な文のうちの一つ、あるいは、一つの根本的状況から生まれたのである。トマーシュはEinmal ist keinmal.(一度は数のうちに入らない)という文から生まれ、テレザはおなかがぐうぐう鳴ったことから生まれた」(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』より)。だが「著者」はむしろじぶんがじしんの「文」からうまれたようなきょうちをこそしんにもとめるのであってげんにわれわれはうえの「文」がクンデラによってかかれたとおもうのではなく(そのようなただせっきょうじみたものならばわれわれはそれをよむまい)トマーシュがEinmal
ist keinmalからそうであったといわれるようにその「文」から/によって「著者」がうまれたようにちょっかん(たとえかた[騙]られたものであるとしても)するのである。
●ひる。かいぎ。さくじつ(さくじょされなかった)aでかいたとおり。
●よる。だいがくない/がいのレストラン・マップのさくせい。どうしてこんなものを? いや、そのはんめんでたのしんでいる(笑)。[24:40]
2001年8月28日(火)a
●[削除しました。]
●[削除しました。][07:55]
2001年8月27日(月)c
●[削除しました。]
●[削除しました。][24:00]
2001年8月27日(月)b
●ひるましっかりとしごとをするとよるはダラける。というわけでさいきんかってきちんとよんでいなかったざっしなどをペラペラと――。
●せんじつ『サライ』のどうようのとくしゅうについてふれたが[8月24日(金)bをさんしょう]『男の隠れ家』というイヤなタイトルのざっしでもソバのことがとりあげられていてところがこちらはすこぶるこうきゅうな、しかももりソバでも一にち二、三十しょくぶんとかしかださないみせばかりである。これにはりゆうがある。「て」でうってきるのはとうぜんのこと、そのまえにまず「いしうす」でソバのみをひくプロセスがあるからである。やすくてそこそこうまいソバをくわせるたとえば「そじ坊」チェーン[2000年11月26日(日)bをさんしょう]のようなものもすてがたいがガンコなこうきゅうてんでしょうりょうのソバと(ソバがあまりできないからひつぜんてきにつくられることになるほかのしょくざいによる)さけのさかなできゅっとやるしあわせはなにものにもかえられない。
●つづいて『レコード芸術』9月号。はるにえいがにはまってからいぜんほどスミズミまでよまなくなった。が、よくよくみるときょうみぶかいディスクがつきない。――小澤/SKOのマラ9(二ばんの《復活》がすばらしかったからこれもきたいできる)、きょういのヴィルチュオーゾ、F・サイ(Pf)のチャイコン、スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン放響のブルックナーぜんしゅう(十二まいで六千えんだ!)、ブーレーズ/クリーヴランド管とゲルギエフ/(旧)キーロフ劇場管がきそってリリースするストラヴィンスキー、尾高/紀尾井シンフォニエッタの武満(このオケはうまいぞ)、そしてシフ(Pf)のひくヤナーチェク。これらは新譜。たほう再発盤ではわがあいするシュタルケルの首席チェロじだいのうつくしいソロがきける(ライナーノートのどこにものっていないはずだがみんなそのことをしっている)ライナー/シカゴ響/ギレリスのブラームス:ピアノ協奏曲第2番がながらくのぜっぱんじょうたいからふっかつ(新星堂さんありがとう)。これはもう4日(火)のしごとがおわったらつぎのひはJEUGIAやね。
●もう一さつ。『NAVI』(笑)。あんまりうれていないそうだが新型のスカイライン(日産)はいい。シーマもそうだがサイドヴューのちからづよさ(ルーフからリヤにかけてちからがみなぎっている)はトヨタのクルマにはないものだしマルがたのテールランプをすててもやっぱりぜんたいとしてスカイラインのでんとうをほじしている。たほううれにうれまくっているフィット(ホンダ)はヴィッツがはんばいだいすうでぬかれたからまけおしみでいうのではないのだけれどツリ目のヘッドランプがあまりにじりゅうにのりすぎていて「しんせんみ」がまったくない。――と、こんなかってなかんそうはさておくとしてこのざっしにはひひょうがあふれている(びじゅつざっしではとうのむかしにみかけなくなって『レコ芸』でもちゃんとしたものはめずらしくなったアレだ)。徳大寺有恒もいいね、あいかわらずガンコで。
●いじょう、つまらないことをだらだらとかいてしまいました。これからまたしごと(のじゅんび)にもどります。[22:54]
2001年8月27日(月)a
●みめい。しごと(のじゅんび)をしながらBGMとして中田のでるパルマのしあいのちゅうけい(フジTV系)、そのあと飯森範親指揮/読売日響のえんそうかい(日テレ系)を「みる」。やっぱり「たいいくかいけい」じゃなくて「ぶんかけい」やね、ぼくは。だがこうしゃももんだいありだ。メインのチャイコフスキーはさておき(とちゅうでねてしまったのだ;つまらなかったんじゃなくてただねむくて)小山実稚恵をソロにむかえた「皇帝」はじょせいえんそうかのこんなエクスタシックなアップばかりうつしてはほうそうコードにひっかかるんじゃないのというカメラワークのひんしゅつ。こういうのとくらべるとさすがNHKはまだマシだとおもう。
●そのご。あさからゆうこくまではたらいた。とかくと「そんなのあたりまえやろ」というどくしゃもあるだろう。そのとおりだ。だがこんなしごと(さぎょう)がなんかげつもつづくのならぼくはとうのむかしにだいがくをやめている。あと十日だから、がいまのささえである(笑)。
●ゆうこく。とてもうれしいメールをいただいた。おくりぬしは(まだ)このばしょのどくしゃであるかのうせいもあるかつての「おしえご」(とかいておこらないかな?)のひとりだが(だからここにくわしくしょうかいしないというのでもないのだが)立命のがくせいがそれをよんだらちょっとはきょうしをみるめがかわるかもしれないそんなメールだ。こういうときはこのしごともまんざらではないとおもう(でも「よびこう」じだいのはなしなんだなぁこうやっていいおもいでとしてかいこされるのはどれも)。
●あす。10:00から16:00までロングランのかいぎ。このじきにしんじがたい。こちらはへやのすみのほうで「ないしょく」(きょうのしごとのつづき)をしていますからともう「ぎちょう」にはせんげんしている。その六じかんが六ぷんでもいまはおしいとかいておきたい(でもかんけいしゃはよんでないよ)。[21:24]
2001年8月26日(日)b
●ごぜん。地蔵盆のつづき。したのaでふれた「ふくびきがかり」のことは「過去の日記」のさんしょうでかえようかとおもったがさくねんはどうやらそのことにふれていない。――いますんでいるいえにひっこしてきたとし(1998年)からなぜだかずっとつづいているのだが(いぜんのじゅうにん=おおやさんのじだいはそんなバカなことはしていなかったそうだ;ということはわがキャラクターがそれをいざなったのか?)わがやの二かいからおじぞうさんまえのテントふきんまでロープをわたしてそれをつかってふくびきであたった「しょうひん」をおろすのである。そのかずはねんねんふえて(「少子化」のじだいなのにね)ことしはあわせて三十五コ。テントのまえでよみあげられた「乳児男1」とか「小学校高学年女3」とかのことばにとっさにはんのうして細君が「しょうひん」をてわたしてぼくがロープのそうさをするのである。たった三十ぷんほどでアセだくとなる。ことしはあさからこさめまじりのてんきだったのでちゅうしかな(これをきっかけにしてらいねんからこんなしゅこうをこらすことはなくなるかな)といっしゅんきたいしたのだがそれくらいのてんきならけっこうするのだからみんなそこそこたのしみにしているということだろう。というわけであと二ねんほどは(それでこのいえのちんたいけいやくがきれる)おなじかかりを。
●しょうご。あとかたづけ。こうしてことしもぶじ地蔵盆がおわりいつものようにビールでかんぱい。とってもたいへんな二日かん(じゅんびもいれるとたいへんなひとはもっとたいへんだ)だがこのかんぱいのばしょをさりがたいかんがいはさくねん[2000年8月20日(日)aをさんしょう]とどうようである。ちなみにこのさいごのかんぱいのばめんにかおをだされるごろうじんのかずがまいとしすこしずつへる。なくなったかたもいればいえからでられないかたもある(そういういえにはおじぞうさんの「おさがり」をはこぶ)。なんじゅうねんにもわたってひそかにかわりつづける「ふざい」のこうけい。しかしそのへんかがここすうねんははげしいようだ。
●そのほか。ビールのよいにいざなわれるままのひるね(これはとうぜん「おりこみずみ」である)などといったこといがいにとりたててしょうかいするべきことがらはなし(だがにっきとは「しょうかい」のためのばしょなのだろうか)。TSUTAYAにでもいってテープをかりてくればちょっとはなにか「びてき」なことをかけるかもしれないがそれもいまはゆるされない。そしてこういうじょうたいはあと十日ほどつづくのである。[21:37]
2001年8月26日(日)a
●まえのひ(ただしくは)のひづけでかこうかそれともきょうのひづけでかこうかとなやむころにめがさめるというよくあるパターンのきしょう。なつまつりというのはそんなにたくさんのむのではないのに――と、ますますよわくなるじぶんにしょうしょうらくたん。
●そのなつまつりはしかしはじまるころこさめがふっていっしゅん「ぼんおどり」などがながれるかとあやぶまれたがそのごはなんとかもちなおしてぶじすべてのプログラムがおえられた。それだけでなくぼんおどりにはさんかもさせられた(Uせんせいがなかばきょうせいてきにぼくをおどりのわのなかにおしこんだ)。三にんほどまえにあたまにブーケをつけてとってもハワイアンなきぶんをただよわせる(しかしおどっているのはわれわれとおなじ炭鉱節[!]である)どうりょうのYせんせい(=ひもだYさん)をみとめた。いずれも(じぶんのもどうりょうのも)ほんのすこしショッキングなすがたであった。
●さかのぼっておひるのはなし。ちいきのじぞうぼん(しょにち)はつつがなく。だがもんだいはきょう(ふくびきがかりたんとう;さぎょうのなかみについてはべっとごほうこくする)である。すこしゆううつだ。前出Yせんせいは「こうかふこうかわたしのきんじょにはおじぞうさんがないのでじぞうぼんもない」といわれていた(なつまつりからかえるみちすがら)。そうか、ということはおじぞうさんをどこかにかくしてしまえば――なんてふきんしんなことはいってはならない(笑)。
●そのじぞうぼんとなつまつりのあいだ。子のスイミングきょうしつはやすんではならない「しんきゅうテスト」のひ。子にとってはうまれてはじめての(そしてこんごいろいろとつづくであろう)このしゅのもののさいしょのきかいだったのだがプールサイドからのとびこみ(すいちゅうでせんせいがうけとる)、すいちゅうでめをあけること、そして(ほんの二メートルほどだが)ひとりでおよぐこと、の三つのかだいがぶじたっせいされてめでたくしんきゅうがけってい。ちなみにしんきゅうのあかしはぼうしのいろの黄からピンクへのへんこう。それとトレーニングのばしょが「かんきゃくせき」(ほごしゃがじんどって子たちにせいえんをおくる)からとおくなる(「むこうぎし」とよびたい)。かつてかぶきかんしょうをするときにつかったオペラグラスをさがそうかというバカげたはなしがある。[05:40]
2001年8月25日(土)はお休みしました。
2001年8月24日(金)b
●ソバはさむくてとちのやせたまずしいいなか(山形の蕎麦街道などはそのようなところだ)か、そうでないならば門前がうまい(「精進」りょうりとしてのソバ)。比叡山のふもとは近江坂本に三百ねんちかくみせをかまえる「本家
つる喜」(「喜」とかいたのはほんとうは「七」を三つならべるりゃくじだがwordではでてこない)はいまだに延暦寺でおおきなぎょうじがあるときにはそこにでむいてソバをうつめいてんで『サライ』(2001年9月6日号)にけいさいされた「とろろソバ」ももちろんうまそうだったがはじめてのソバやでちゅうもんするときのおきまりメニューはざるソバ(大盛)(ただしノリはかかっていないので[これがただしい!]いわゆるもりソバじょうたいである)。ほかではたべられない「とびきりの」ものというわけではないが「ソバきりほうちょう」のきりあと・ふとさのふぞろいもこころうれしい、京都からかたみち一じかん(おうふく約五十五キロ)をかけるにあたいするあじとしょっかん。つぎにおとずれたときはぜひ「とろろ」に「うなぎのかばやき」もそえて、できればキュっとれいしゅなどをやりながら(京阪石山坂本線のしゅうてん坂本駅からほどちかいのでヴィッツはいえにのこして)。
●きょうはこれいがいについてほうこくしようとおもってもセッパつまったときになにをダラダラしているんだとけいべつされそうなことばかり。あしたこそといいたいところだが二日にわたる地蔵盆のしょにちであさの7:00からじゅんびがまちかまえていてゆうこくからはほいくしょのなつまつりがある。うちは「ヨーヨーつり」のたんとうにあたっているようだが父はポスターせいさく[8月5日(日)aをさんしょう]のじゅうだいにんむをはたしたのではやくからビールをのんであそぶつもりである。というわけでいろいろがんばるのは地蔵盆のあとかたづけ(のあとのビールでのかんぱいのよいがさめないとダメだが)がおわってから。[22:50]
2001年8月24日(金)a
●『2001年――宇宙の旅』ではなくて『2001年宇宙の旅』がただしい。タイトルの(つまりこゆうめいしの)ひょうきにしんちょうをきすことはわれわれのじょうしきなのにはずかしい(さいしょにかいたときにニュアンスのちがいにきがつかなかったかね)。――いじょう、きぶんをかえてひづけをかえて。[02:30]
2001年8月23日(木)b
●『2001年――宇宙の旅』はさすがにPCのモニタではきつい(二十インチをこえるテレビでもじじょうはさほどかわらないだろう)。MORO.S.さん[なんどもかくが「第2室」の名誉常連である]これはDVDでこうにゅうせずにえいがかんでみたおもいでをだいじにしたほうがいいかもしれない。
●[削除しました。][25:10;26:30削除措置]
2001年8月23日(木)a
●ごぜん。これから十日ほどは(きのうもふれたイヴェントのじゅんびで)しぬほどいそがしいのにとじぶんでもあきれながらもこうれいのTSUTAYA西院店もうで。せんしゅうレンタルした二ほん[8月16日(木)bをさんしょう](でもセバーグのはもしもセルようのがでているのならこうにゅうするつもりだ)をへんきゃくするのとひきかえに『裁かるるジャンヌ』と『アメリカの夜』の二ほんのVHSテープをもってカウンタへ。ぜんしゃは『女と男のいる舗道』のなかでナナがそれをみてなみだをながすしるひとぞしるめいさく(ほらねぼくはしばらくは「めいさくしゅぎ」だ)、こうしゃはむかし(ちゅうがくせいのころ)『ロードショー』というざっしをかいはじめたころじょうえいされていてそのヒロインであるジャクリーヌ・ビセットの大ファンになったおもいでのさくひん(いややっぱり「おもいでしゅぎ」だ)。ところがなんと「かいいんしょう」をもってくるのをわすれたことにきづいた。えいがなんかみているヒマはないだろというだれかの「はいりょ」かもしれないがせめてそのあくいにあらがうために(笑)上新電機京都1ばん館で『2001年――宇宙の旅』をついに(というのもずっとかうかかわないかでまよっていたからだ)こうにゅう。こうしていつもちゅうしゃりょうきんをうかせる「しゅほう」がはたしてこうりつてきなのかどうかうたがわしくおもわれることもあるがきょうのかいものはせんしゅうまで四千えんちかいねだんがついていたはずのものがキューブリックさくひんのリマスター盤八種(?)のいっせいプライスダウンで二千五百えんになっていたのだからとてもトクしたきぶん。そう、CDのレギュラー・プライスていどなのだがめいさくであればこそこうやってプライスダウンするところがしほんしゅぎてきでとってもヨロシイ。
●ごご。しごと。じぶんのためのでないのによくがんばったとホメてやりたいがただホメるのはむなしいからあすはひるまサボっておいしいランチをたべにでる。あるざっしでみつけてこれはたべにいかなければとおもわれたみせ。とうぜんデジカメもわすれずに。[23:00]
2001年8月22日(水)
●きょうもまたゆうしょくごにダウンした(まえにも二日にいっぺんこういうじょうたいになった)。で、にっきのひづけとしては「きょう」のできごととするか「きのう」のとするかをまようところだがいちおう「きょう」のうちに――。
●大阪大学での14:00からのうちあわせ[きのうのaをさんしょう]のために12:00にいえをでた。だとうなじかんだといいたいところだが亀岡けいゆとなるとギリギリかとおもわれた。しかしきょうはどうしてもひさしぶりに「季楽」(ソバ)[ちかいところでは4月6日(金)をさんしょう]によっていきたかったのである。たてものはあいかわらずプレハブだが(笑;でもたいふうちょくごだからいちおうしんぱいはする)あじもまたあいかわらずのびみである。それは京都からのおうふく二じかん+ゆうりょうどうろだいきん千えん(京都縦貫道の五百えん×2)をかけてもタマにしょくすかちがあるが(すこしヤマイモがはいっているのを「ソバつう」はげんてんするかもしれないがほかではたべられない「しょっかん」であることにかわりはない)きょうはそこからいつもとはちがうR423を「なんか」して池田市のほうへむかう。ソバに二十ぷんはかかっているわけだがそれでもそこからのみちのりはかいちょうで(ほとんどブレーキをふまずにかいちょうにやまをくだることができる十すうキロのみちのりがある)よそうどおり14:00には阪大にちゃんととうちゃくできた。おなじ国道でもきょりてきにずっとみじかいR171(京都〜向日〜高槻〜茨木〜箕面〜池田)だとぎゃくにじゅうたいにまきこまれて二じかんでもあぶないはずで、「びしょく」(というにはプレハブはマイナスだが[笑])とかいてきドライヴをかねたすばらしいルートせっけいであると「じがじさん」したしだい。[注:「季楽」のソバについてはいぜんにしゃしんをアップしたきおくがあったがそれはことしの3月、つまりこのにっきをおやすみしていた一かげつのあいだに「第2室」(3月4日投稿分)においてであった。]
●そのあとの阪大でのうちあわせはシンポジウムなどのきかくにまつわってはどこでもおなじようなプロセスがあるのであろうないよう。ただこのばしょでむかし(十五ねんほどまえ?)代ゼミじだいにわがじゅぎょうをうけていたというがくせいさんとさいかいした。とうじのことがかすかにきおくにのこるそのかのじょは代ゼミから東京の某美大のじつぎのコースににゅうがくしたあととちゅうでけんきゅうのほうにしんろへんこうをして(ま、ぼくとおなじだ)さいしゅうてきに阪大にこられてついさいきんはくしろんぶんをかきあげられたそうだ。ろんぶんのテーマはR.F.(とイニシアルをかくのみとする)というひひょうか。そうしてきくところではそのひひょうかのぶんしょうをはじめてよんだのが代ゼミのぼくの英語のじゅぎょうにおいてであったそうだ。しどうきょうかんであるK教授からは「つみつくりなことをしましたね」といわれた。まったくである。
●ゆうこく。阪大をたつ。かえりは立命のどうりょうのNせんせいをこうぶざせきにのせて中国道豊中ICから京都東ICまでこうそくりよう(のりいれるときにあやうく岡山方面[池田入口]にいきそうになった)。はやいがみちはつまらないね。というよりこのルートがいやなのは京都東をおりてからのR1のこんざつのゆえである。あんのじょうゆうがたのラッシュにまきこまれたが二条駅でNせんせいをおろしてぶじきたく。おなじころにほいくしょの「なつまつり」(こんしゅうまつの25日[土]のゆうこく)のちょくぜんのうちあわせからもどってきた母子とごうりゅうしてゆうしょく。のむ。そしてダウンして三十ぷんまえのおめざめ。これがきょう一にちのつつましいせいかつのながれである。(あたらしい「おわりかた」やね。)[27:58]
2001年8月21日(火)b
●あんまりながいかきこみがさいごにあるのもどくしゃにはプレッシャーかとおもわれるので(笑)。
●ふたりのオンナがいる――ピンクレディのミーちゃんとケイちゃん(ちゅうがくせいのころよくおどった)、キャンディーズのランちゃんとスーちゃん(ミキちゃんもおったで)、「モーニング娘。」(いったいなんにんやの?)、ウィンクのAちゃんとBちゃん(ちゃんとなまえがあったゾ)、XXXの亜美ちゃんと由美ちゃん(おいおいこのグループ名がおもいだせないのか?)、りんりんらんらん(おなじかおしてるよ)、ザ・ピーナッツ(同左)、ビューティフル・ペア(どこがビューティフルなんだ?)、そしてこのあいだのテレザとサビナ(笑;『存在の耐えられない軽さ』のなかのヒロインとわきやくです)。《聖テレザの法悦》と《サビナの女たち》の、びじゅつしをこととするにんげんがおもいうかべないではいられないイマージュとのれんかんをたちきるなら(そんなおおげさなはなしか?)ぼくはこうしゃがタイプやね。せいかくてきにも、また「みばえ」(もちろんえいがのはなしですコチラは)のてんでも。
●そんなくだらないはなしはどうでもいい。ひとつきになったのはやはりそれがアメリカえいがでとうじょうじんぶつがえいごをはなしたことだ。おなじげんごをしゃべるモーツァルト(『アマデウス』)もきもちわるかったけれど(とくにイタリアごではなくにちじょうご=ドイツごでオペラをせいさくすることのいぎがかたられるばめんもあるんだからいっそう)トマーシュはもちろんテレザなんかはすこしなまったチェコごをはなすべきでしょ。しょほてきなはなしだけどえいが「だから」こういうのはもんだいではないというたいどはぼくはきらいである(えいがファンがあつまるあるサイトでもこのてんがまったくろんじられていなかった)。[…]
●あっ、みじかくきりあげるつもりなのだった。こんやのところはこのへんで。[26:00;26:30一部追加]
2001年8月21日(火)a
●きのうはゆうしょくごにダウンした。そのまえのひがほとんどてつやだったせいだ。りゆうは――かくしようがない。いちばんちかいアップぶんにかかれている。『存在の耐えられない軽さ』をみてたからである(そのあともすぐねつけなかった)。
●よくじつのひるさがりにLaVie日記のほうにそのえいがにかんするつぎのかきこみ(げんぶんのママ)をしたがじじつごにんがあるようにおもったのですうじかんごにさくじょした。――「しごとのあいまにじかんができたのでオモテのにっきのほそくでも――『存在の耐えられない軽さ』はおわるのがあけがたもちかい4:00だったので(よくちょうはほいくしょに子をおくりとどけるしごともある)ビデオもまわしていることだしにっき[きのうのbのこと]をアップしただんかいでねようかとおもったのだがもしそうしていれば(よくあるように)けっきょくはテープをさいせいしてもういちどさいごまでみることはなくてげんさくとはずいぶんちがったあのラストについていろいろかんがえることもなかったであろうとおもう。ラスト(「結末」)をもじどおりのラスト(「最期」)としてきりあげる、あるいみでもっともひきょうな「て」をこのかんとくときゃくほんか(このひとはしらべるとふるいのでは『ボルサリーノ』や大島渚の『マックス、モン・アムール』、そして『ブリキの太鼓』や『勝手に逃げろ/人生』なんかでもシナリオをたんとうしている)はえらんだわけだがそれでもそのラスト(ストーリーとしての「結末」)がわかってしまって/「てがみ」というかたちでつたえられてしまってからなおそのそのじたいにいたるちょくぜんのユメみるようなじかんをえがくラスト(さくひんとしてのじかんてきわくぐみの「最後」)のえんしゅつは「あくしゅみ」だとおもいつつもそれによってあたかもじぶんじしんのやがてくる「さいご=死」のほうこうをみとおすようなふしぎなきぶんにとらわれたのもたしかである。ようするにナンデモアリということやね、えいがというものは(笑)」。さくじょしたのは(じじつごにんというのがてきとうかどうかはさておき)げんさくでもラスト(「結末」)はラスト(「最期」)ではなかったかとおもいおこされたからだがじっさいきょうそのげんさく(もちろんほんやくだ;もうすぐ二ねんがたつあるあきのひにいただいた;つぎのはる[つまり2000年やね]にザッとよんだ)をひっぱりだしてよみかえしたらたしかにトマーシュのラスト(「最期」)はえがかれている。そしてやはりそのあと(「さくひんとしてのじかんてきわくぐみの「最後」」)にそのラスト(「最期」)にさきだつうつくしいばめん(えいがにもでてくるバー/ダンスホールの)がえがかれるのである。しょうじきにかけばそれをよんだとうじはさくしゃ(クンデラ)のいとがよくわからずに二つのありうるラスト(「結末」)のへいちをもってラスト(「最後」)としたのかとさえおもったものだ。そしてこのことじたいをぼうきゃくしかかっていたわけだがこんかいえいがをみて(そしてひとばんいじょうたって)えいがはげんさくのプロットじょうのくふう(「最期」のあとにまだアル;しかもさくちゅうのだれかの「かいこ」としてではなくほかならぬさくしゃのけんげんにおいてじかんけいき[sequence]をせつだん/いれかえる)をなぞっているのだとりかいされた。あるいはクンデラがそこでえいがてきなしゅほうをもちいたというべきなのか(えいがをそんなにたくさんみていないからなんともいえない)。いずれにしてもこのにたようなしゅほうがうみだす「こうか」にかぎっていえばえいがのほうがせいこうしていたのかもしれないとかいておきたい。クンデラの「びてん」は(たとえばえいがであればふたりのかいわのかたちをとってひょうげんされるテレザがトマーシュよりもカレーニン(イヌだ)のほうをあいしているウンヌンのかしょを)カトリックの「しんぷ」のせっきょうともつかぬ三人称のことばでかたる、そのちょうえつてきなまなざしにあるのであってそこではコソクなじかんじゅんじょのいれかえなどはふようとおもわれるのだからである。
●じぶんでもよみかえすのがイヤになるながさだ(笑)。そういえばきのうはうえにさいろくしたぶぶんにくわえていかのぶんしょうもさくじょしていた。――「あいかわらずほんにんいがいのほとんどのひとがりかいしない(であろう)コメントのたれながしだがだれかのセリフをかりて「日記替わりに」――あっ、ここはにっきなのだった」。これもここにさいろくするかちがある。
●にっきみたいなこともかいておこう。たいふう。「暴風警報」がでたしゅんかんにほいくしょはきゅうえんになるのでヒヤヒヤしながらこうむ(「9月しょじゅんのあるイヴェント」[8月18日(土)aをさんしょう]のための機材チェックなど)をこなしていたが4:15ころまで注意報でふみとどまってくれたのでたすかった。あすはおなじイヴェントがらみのうちあわせのために大阪大学までクルマで。――てなわけであいかわらずじぶんのことはなにもできない。そういうなつだ。[22:55;23:08一部字句修正]
2001年8月20日(月)はお休みしました。
2001年8月19日(日)b
●ぼくがえいがについてかいたことをさくじょしようとおもってやがてそれをふみとどまるのは[8月17日(金)cをさんしょう]なにもりっぱなことをかいているとおもいなおすからではなくてごくごくつまらないへいぼんなかんそうをだれがひなんするだろうかとほとんどぜつぼうてきにひらきなおるからである。こんやもまたしかり――クンデラのどうめいのしょうせつをえいがかした『存在の耐えられない軽さ』(BS2)はいちめんでげんさくのまえではそのむりょくをさらけだすほかないえいがのげんかいをみせ、またたほうではえいが(えいぞう)によってこそえがかれうるものがあることをしめしているというあたりまえすぎてかくのもはばかられることを、ぼくはせかいのしんりをいまはじめてしったしょうねんのようにここにかくほかはない。
●それにしてもそのぼうとうでながれたヤナーチェクのチェロ・ソナタ(せいしきなタイトルはそうではないはずだ、それはソナタのけいしきをいつだつしてはるかにじゆうなしじょうによってつきうごかされているからだ)のうつくしさときたらどのようにひょうげんしえるというのだろう。それにくらべればしかしいかにもげきじょう(激情)てきなカルテットのせんりつがそのようにげきじょうてきなばめんの「こうかおん」のごとくもちいられるのはこのさっきょくかのてんさいをえいがおんがくのそれにさくげん(reduce)しかねない「かみひとえ」のせんたくであるといわねばならない。それにひきかえパリにすまうアンニュイなひとづまたちのびょうしゃのあいまにベートーベンの白鳥の歌(カルテットの第16番だ)をむざんにきりざんでもちいるゴダール[8月17日(金)bをさんしょう]がすばらしいとはいわないけれども(いやそれをマネてじょうきのチェロ・ソナタだけをカットアップしてもちいてもよかったかもしれぬ)ここはぶつりてきなおとがきこえないしょうせつのほうがはるかにおんがくてきであるとのみ、かいておきたい。
●――と、かきながらもじつはまだテレビのがめんじょうではえいがはしんこうちゅうなのである。こういうふきんしんなみかたをいつもしていることをリアルタイムで「ざんげ」しておく。
●そうそう、うえのチェロ・ソナタはこくないばんではほとんどにゅうしゅふかのうであるのであしからず。ついでにかけばヨーヨー・マのろくおんでその無伴奏チェロ・ソナタがゆうめいになったコダーイもじつはほとんどろくおんのないチェロ・ソナタ(これはこのタイトルがただしい)が「うれい」にみちみちたかくれためいきょくである。ヤナーチェクとコダーイをカプリングしてリリースするきとくなチェリスト(そしてプロデューサー)はいないものか。[27:13]
2001年8月19日(日)a
●めざめたとき(9:30すぎ)母子ががいしゅつするところだった。きょうはアッシーもふようだといいのこしていった(子もけっこうバスがすきである)。おひるに子がザルそばをほとんど一にんまえたべたということだけはきいたがあとはどこでなにをしてきたのかよくはしらない。たぶんきをつかってのことだろうが(かていないでもこういうことってある、ある)。
●そうしたきづかいのおかげもあって(?)さいてんはいちおうごぜんちゅうでひとだんらくついた。だが二百四十まいほどのとうあんと「さいてんほうこくひょう」をつきあわせながらひょうていを「てんき」し、あるいはひょうかのさかいめにあるものにかんしてはもういちどぜんたいをザッとみなおすさぎょうなどをしていると「てんき」しおわるまでにゆうに五じかんもかかってしまったのは(まいがっきのことであるとはいえそのたびごとに)ちょっとしたござんとおもわれるのだった。
●いずれにしても立命の「芸術論」(ぜんきの「こうぎ」はこれだけ[ゼミけいしきが三つ];こうきは「こうぎ」だけで三つある)のとうあんさいてんさぎょうはかんりょう。そもそも(じゅぎょうそのものはさておき)しゅつだいはほとんどげいじゅつてきだから(笑)これでひょうかはばんぜんである。とちゅうではかれるグチはよんでいてきぶんのいいものではないだろうが(とくにじゅこうせいがよんでいれば)はんき十四かいの、じゅこうしゃがたすうにおよぶこうぎにかかるせいせきひょうていを「かふそく」なくおこなうためには(というのもきょうしのネツがはいりすぎてもこまりものだからだ)これくらいの「ろうく」がひつようということだ――と、「ようりょうがわるいんだよ」とないしんおもっているどうりょうしょし(がいればのはなしだが)にあてつけるかのように(笑)。[23:50]
2001年8月18日(土)b
●さいてんをしながらBS2のベルリオーズ《トロイ人》。よそうしたよりはおもしろそうでビデオをまわさなかったことがすこしこうかいされたがとちゅうからフジTV系のK1にきりかえた(そのていどのおもしろさだったということだ)。すると冬にまけた桜庭がかった。みごとなふっかつというにはヒヤヒヤものやったけどね。ところでこのしゅのわだいはこのばしょでははじめてのはずだがじつはかつて(いまから二十五ねんほどまえに大阪府立天王寺高等学校で)レスリング部のそうぶをかくさくしたのにどうちょうしゃがすくなくてじつげんしなかったけいけんをもつにんげんなのである(笑)。で、これですこしげんきがわいてきた。さいてんもあと四かいせい(いじょう)の十五まいほどをのこすところまできてのこり一にちですむみとおしがついた。もちろんおおきくじょうきょうがこうてんするわけではないのだけれど。
●[削除しました。][27:03;翌朝削除措置]
2001年8月18日(土)a
●立命ぶんのさいてんけっかていしゅつのしめきりが20日(月)ということで(いやホントは7日[火]だったのだがそれはだれのめからみてもムリなせっていだった)こんやからあすにかけてが「しょうぶ」となる(あと三、四十まいといったところか)。しんじがたいがそのほかにも23日まですでにびっしりと「こうむ」(およびそれにじゅんずるしごと)がつまっていて(22日[水]には豊中の大阪大学まででむく)さらにそのようなハード・スケジュールはきほんてきに9月しょじゅんのとあるイヴェント[はじめてのわだいかとおもったら8月4日(土)に(そしてそれいぜんにも)ふれてますね]がすむまでつづくことになる。くわしいないようについてはおいおいこのばしょでもほうこくする(グチる[笑])ことになるはずだがここはほんにんもしばらくは(せめておぼんのあいだだけは)わすれようとつとめてきたことがらなのであったことのこくはくのみを。
●というわけでこんやはさいてんさぎょうが「きやすめ」となる、《浄夜》のしゅじんこうふたりのおちこみもこれほどではとおもわれるくら〜いよるである。きのうまでのみせかけのあかるさとのらくさがおおきいがいずれにしてもこんごもあかるくなる(よるのくらさがきよ[浄]められあさひがのぼっていく)ようなけはいがない。[24:05;翌日紫字追記]
2001年8月17日(金)c
●カウンタがまわっていなかったらそれこそさくじょしようとおもっていたのだがあいにく(ウソだ!)三ほどまわっていたのでむしろこくはくちょうをつよめて(こうやってよまれることですくわれているのだろ)――さいごまでみていないえいが[したのbをさんしょう]はなんぼんもある。たんにこのままおわってほしくないというセンチなりゆうのときもあるしつまらないラストはごめんだとおもうがゆえのこともあるしあるいはまたちがうりゆうのときもある。だがいずれにしてもこれはえいがをみるかまえとしてはふとうというべきである。そしてこのかまえでみることができない(それをじっせんしようとするならひんしゅくをかくごでツカツカとでぐちにむかうしかない)えいがかんはときにとてもつらい。あるいはぎゃくにマゾてきないみでここちよい。ちなみにそうやってさいごまでみていないさくひんをおもいつくままにあげるとすれば――『イルマ・ヴェップ』(マギーのよいんにひたるために[笑]?)、『そして僕は恋をする』[6月9日(土)とVAIO日記の5月18日(木)vaをさんしょう](にたせっていの『倦怠』[VAIO日記の同上分とむしろ同5月12日(土)vbをさんしょう][そのごレンタルがかいしされたがふしぎにすごく「かいてんりつ」がいい]のラストがあまりにもヒドかったから)、『アルファヴィル』[7月10日(火)をさんしょう](とちゅうでねた[笑])など。これらはビデオやDVDでかりたりこうにゅうしたりしたものだがこのてんえいがかんでみた(そしてにっきでもなんどもふれている)『花様年華』なんかでも(ただしこれもイギリスからPALけいしきのVHSをとりよせたものを「けんきゅうよう」と「(さ)しょう」してだいがくの教育研究システム課でNTSCけいしきにへんかんしてもらった「ひぞう」テープがある[笑];この「こくはく」ははじめだが『バイオニック・ジェミー』でこの課におせわになったことはすでにほうこくしている[7月16日(月)をさんしょう])あのアンコールワットだかでのわらってしまうラスト(トニー・レオンがかべにむかって「こくはく」する)はみなければよかったとおもわないでもないのだがいずれにしてもmpeg1でとりこんでしまうというこういは「いつでもみられる」ことをりゆうにして「いまはみない」ことをせいとうかするものとなっているかんなしとしない。もうすこしオトナにならなければならない?[25:50;翌朝大幅敷衍;翌夕一箇所修正]
2001年8月17日(金)b
●せんじつの「どっちの料理ショー」(NTV系)はなつのデザートたいけつでフルーツポンチのがわの「とくせんそざい」としてモモがしょうかいされていた。かみのふくろにつつんでだいじにそだてられたモモのそのかみのふくろをとりいれの一しゅうかんまえにとりはらっていっきになつのたいようをあびさせるとそれはまっかにいろづく(あじもすばらしくあまくなる)。――なんでこんなことをかいているかというとそのモモのようなじょうたいなのです、おとといのプール[8月15日(水)bをさんしょう]できゅうげきにひやけしたぼくのカラダが。
●さて、えいがにまつわってかいたすべてのぶんしょうをさくじょしたいとおもうことがときどきあって(じっさいに「たくさん」みているえいがファンからすればこどもじみたかんそうをたれながしているようにみえるのだろうと)ところがそんなときにかぎってさくじょのてつづきがかなわないじょうきょうにあったりするのだが(そしてそのあときぶんをもちなおしてけっきょくさくじょはしないのである)きょうおなじようなしんきょうにとらわれたときもまたデスクトップPCが「たにん」がしようしてふさがっていてやはりそれはじつげんしなかった(いまはきぶんがじゅうぶんにもちなおしたわけではないのだがさくじょすることのめんどうくささがさきにたっている)。ところでそれについていちいちかんそうをかくかいなかはべつにして(おそらくは)「いほう」なかたちでふくせいされたmpeg1データのさいせいというかたちでえいがをみるこういはほとんどにちじょうかしていてきょうもまたせんじつノートPCないにとりこんだ『彼女について私が知っている二、三の事柄』[8月11日(土)aをさんしょう]をだらだらと八わりがたかんしょうした(こうしてラストまでみることをちゅうちょすることがときどきある)。とうぜんそのかんそうがこんやかかれることはないが3ばいモードでろくがしたていどの(あるいは8mmえいがのような)せんめいどにすぎないmpeg1のコピーえいぞうがなんともすきだ。レンタルしてきたディスクがまだてもとにあるのにむしろふせんめいなコピーのほうをたのしむことさえある。こういう「せいへき」をどうりかいすればいいのだろう(笑)。
●ちなみにきょうは『ジュラシック・パーク』をさっきまでテレビでみていた(子もガッカリのラストがねぇ)。JEUGIA北大路ビブレ店(おひるをたべにでた)ではオーソン・ウェルズ『市民ケーン』(DVD)をこうにゅう。こうにゅうしたものでもコピーしてからみようかとおもうことがある(笑)。びょうきか?
●きのうのcのほそく。ジーン・セバーグの「さいご」は「ふりょのし」とかいているほんもあるがどうやら「じし」がただしいようだ。かのじょが四十一さいのときのことである。
●しごとは――しごと「も」せいぜいがんばっている。ただそれがなおさいてんさぎょうのだんかいにとどまっていることだけがさすがにしんどくなってきている。えいがはこのしんどさをやわらげてくれているてんでたんにプラスであるどころかいまやそれがせいかつのなかに「ない」ことはかんがえられない(いったいどうしたんだ?)。[24:10]
2001年8月17日(金)a
●あんまりだから(ナニが[笑]?)ひづけをかえてかくことにする。またしてもしょうかいすべきとうあんがあった。これも東北芸工大のもの(立命のは六十まいほどをのこしてさくやのいまごろからちゅうだんしている)。「モネの、畑にワラが積まれている作品。とても多くの色が使われている。ワラの色は茶色、影の部分は暗い色で、などと単純な色使いにはなっていない。明るい色も何色も組み合わせてできたような、複雑な色をしている。だからといって光と影が不自然には見えない。対象そのものの色が、うまい具合に色を変換させたかのようだ。/タッチも対象の形をはっきりとさせるのではなく、ぼやけたように見せている。涙がにじんだ時の風景のような。実物そっくりに描いているわけではないのに、風景がこんなふうに見えた時があったことを思い出させる絵だ」。さいごの二ぶんはただのががくせいでほうっておくのがおしまれるほどのうつくしさだ(なんと「のう」のないホメかただ)。だがこういうのをホメてるのをよんだらこのにっきのかきてを「けいべつ」するどうぎょうしゃもいるだろうな。だがぼくのじゅぎょうはこういうかんせいをはつろ[=ぶんしょうか]させることにせいこうするときにしんにむくわれるものでありたいとおもう(ひひょうもそのようなきょうちをめざしたいが[笑])。こんやはもうすこしさいてんをつづけよう(だがあすはほいくしょにフトンをはこばねばならないのでは?)。
●そうだ、あすはほいくしょがさいかいされる。めでたい。うちのアンファン・テリブルをどうかなんとかしてくれ。(ほいくりょうは「じゅえきしゃふたん」のげんそくにのっとっていえば五わりましぐらいにアップしてもいいとおもうね。そのかわりげんそくてきに「ねんじゅうむきゅう」[=やすませたいときにやすませる]になってほしいが。)[02:30]
2001年8月16日(木)e
●まだ、かく(笑)。――さいてんしているとうあんのなかにきになるぶんしょうがあった。「先生が『CG嫌い』といったとき正直、なんで?と思った。[…]マルチメディアではないですが、これから先の芸術作品でいろいろCGを使った作品が出てくるかもしれないのに『CG嫌い』の目で見られたら悲しい」(東北芸工大の、おそらくはじしんもCGせいさくにかかわっているのだろう××デザイン科のがくせいの)。そこで、ではないのだがもういちど『ダイナソー』をさいせいする(笑)。やはりすばらしい。だがいちばんすごいのはきょうりゅうたちのうごきではなくてゆうぐれのとおいそらにあめのように(そしてひきつづいてちかくにきょだいな)「いんせき」がふってくる、その「ふうけい」のびょうしゃにほかならない。ここでは(じぶんのおなじぶんしょうを三どかくのはさすがに「き」がひけるが)「うごきのなめらかさゆえのぎこちなさ」[したのbおよびcをさんしょう]などといったものはカケラもなくただただせかいのおわりはせめてこのようにうつくしくあってくれないものかとおもわせられる。うん、こういうばめんではCGもすごいね。でもそうじてCGはきらいだ(笑)。それに「教え手はいってはいけないと思うんです。授業をとってるひともマネして『CG嫌い』になってしまうでしょう」というふまんもナイーヴだ。「教え手」もいってもいいんです、それがこじんのいけんのひょうめいであることがことわられていれば。[25:30]
2001年8月16日(木)d
●こんやはもうかくつもりはなかったのだが(ホントか?)マリがひざのうえにのってきたので。おもえばニゴがわがやのぬしのようにふるまうようになってからというもの、このようなことはよほどさむいふゆのよるいがいにはありえなかった。そうしてまたなんともマアかるくなってしまって。いや、マリがかるくなったというよりもあとの二ひきがかってにおもくなっただけのことではあるのだけれど。[24:25]
2001年8月16日(木)c
●『ダイナソー』はつまらないにんげんドラマはないかわりにきょうりゅうたちの「きょうせい」のものがたりがてんかいされていたがこうにゅうしてだいせいかいのないよう。つまり「きょうせい」ものがたりはどうでもいいがただえいぞうだけとってもなんどもくりかえしてみるにたえる。したのbにかいた「うごきのなめらかさゆえのぎこちなさ」もまたディズニーえいがのれんめんとつづくアニメーションのけいふのそれにそぐいこそすれすこしもマイナスになっていない――そう、なぜににんげんがふざいのなかでにんげんのまなざし(を「ぎたい」したカメラ)の「ゆらぎ」や「ジャンピング・カット」がひつようであるだろうか。
●セバーグ。うつくしい。いかにも「かちき」でしかも「くらい」。そこがまたいい。それはかのじょのしせいかつ/じつぞうとむすびついていることがちょっかんされ(またそれは『…コンプリート』のなかでもじゅうぶんえがかれている)それがそのうつくしさをよりいっそうきわだたせる(マギー・チャンのしせいかつ/じつぞうにぼくがかんしんをもたない[8月6日(月)aをさんしょう]のはその[セミ・ドキュメンタリィさくひんの「えんぎ」のはしばしからうかがわれる]「あかるさ」のゆえである)。だがそれにしてもセバーグがいちばんうつくしいのは『勝手にしやがれ』のなかにおいてである。ついでにいえばせんじつ(といっても「ひづけ」てきにはまだきのうだが[笑])「こうしゃ[=『女は女である』]では「ほうが」にとどまっていたものがぜんしゃ[=『中国女』]でおおいに「はつろ」している」とかいたのはクロノロジー(せいさくねんじゅん)にただそっただけの「おくだん」にすぎない。りょうしゃよりはやくとられた『勝手にしやがれ』はこの「おくだん」するせいしんによってはみることができない。あっ、ここはゴダールではなくセバーグへのオマージュのばしょであった(笑)。
●しごとは――さいてんさぎょうはそこそこのしんちょくだがそのほか(ほんやくとろんぶんかいていさぎょう[すうねんまえにぼうだいがくのつうしんきょういくようテキストのためにかいた四十まいほどのぶんしょうを「しはん」ようにリライトしなければならない])はぜつぼうてきである(それとナニをかいてもいいからといわれて「えいがろん」をかくかのうせいをせんぽうにしさした[どこかでふれたきおくがあるがテキストがみつからない(笑)]ままになっているしごとは[そのごれんらくはないが]まだイキているのだろうか)。えいがのせい? にっきのせいだとはいわないでほしい。[21:33;23:07一部表記修正]
2001年8月16日(木)b
●「なあなあ、あしたはどこへつれてってくれるの?」と、さくや子がねるまえにきいた。コイツつけあがっている(笑)。やすみちゅうにまいにちまいにちどこかにおでかけするわけないだろ。しかたなく母子はあついなかおさんぽにでかけたがかくいう父もじっとはしていられずにTSUTAYA西院店までクルマをはしらせた。せんしゅうかりたぶん[8月11日(土)aをさんしょう]のへんきゃくついでにレンタルしてきたのは「ジーン・セバーグの日記」と「ジーン・セバーグ:アメリカン・アクトレス」の二ほんのたんぺんからなる『ジーン・セバーグ、コンプリート』とジャーマン『カラヴァッジオ』の二ほん(ともにDVD)。こうにゅうは『ダイナソー』をつめたくあしらわれた子のために。ちなみにむこうがおひるねしているあいだにこのディズニーがてがけたCG+じっしゃふうけいによるきょうりゅうえいがだけ「よしゅう」したが――うごきのなめらかさゆえのぎこちなさというCGえいぞうにつきもののぎゃくせつてきなじゃくてんはここでも(『ジュラシック・パーク』などにおけるのとどうように)あきらかだがよけいなにんげん(によるドラマ)がないぶんこちらのほうがおもしろそうにおもわれる。こんやは「おくりび」なんぞみにいかないでこれを。
●なにげなくきぶんてんかんではじめた東北芸工大ぶんのさいてんはかいちょう。できのわるいとうあんのヒドさときたらことばでひょうげんできないが(笑)それでも上位一わりは立命のそれをうわまわる(ないようてきに)。さすがにみずからせいさくするものたちだけあるといういんしょう。
●このままさいてんのこうちょうがいじされればこんやはジーン・セバーグ(かなりタイプである[笑])に「あう」ことに。あん?、そんなよゆうはないかな。[17:10]
2001年8月16日(木)a
●とうあんのさいてんは立命ぶんについてはなんとか20日(月)にはていしゅつできそうなみとおしがついた。ずいぶんと「もくひょう」(おぼんのさいちゅうにぜんぶすませるという)がこうたいしたものだがそれはさておきさくやはしたのcをアップしたあともなかなかねむけがおそってこなかったのでしかたなくさいてんさぎょうにいそしんだのだがこういうときによそうがいのしんちょくをみせるのである。あんまりねていないのにけさもかいちょう。立命ぶんでつかれたら東北芸工大ぶんにめをやる「りちぎ」さ。そうすると――やはり「ある」のですねぇ、つぎのようなすぐれたぶんしょうが。[以下、項をあらためて]
●――「シーツの上にこちらを向いて座っている白い体。片手を下腹部におきながらも女に瞳は何のてらいもなく真っすぐに『こちら側』に向かって射かけられている。女は全裸であるけれどもこの絵にはいやらしさとかそういったものが全く感じられない。ただ横たわっている、そんな感じだ。血が通っていることを疑わせるような白い肌は、他の絵の女の肌のように温かく柔らかそうで思わず触れてみたくなるどころか、触れたならきっと冷たく固くその手を、幻想を、拒絶することを予想させる。[…]他の絵の、全てを飲み込み、包み、許してくれるような女たちがイヴの娘たちだとしたら、この絵の女はまさにリリトの血を引いている。男がある(いる)ことを前提としてではなく、自分があることを前提として生まれた者の、男の甘さをかけらも残さず打ち砕き『男』という妄想に酔った一人の人間である自分を真っすぐに見つめる、あの黒い瞳を、きっと男たちは怖れたのであろう」。さいごの一文がたとえ「すいこう」のたりないあくぶんであるとしても(じっさいはそうではない)すくなくとも「この絵」をスライドでうつしながらおこなったこうしのかいせつをこのぶんしょうはやすやすとこえてしまっている。――と、「この絵」ですがこれはここではあかさないことにしておきましょう。[11:47]
2001年8月15日(水)c
●しごと(おぼんのまっさいちゅうにこうかくとなみだぐましくおもわれるが[笑])をさぼってこのじかんになにをしているかというと長岡鉄男氏[8月14日(火)b]を「みどく」している。このひとのぶんしょうはすばらしい(しかもいくつかのいみでフォーマリストだ)。そしてぶんしょうのかったつさがひととしてのいきかたとむすびあっていた。「(びじゅつ)ひひょう」や「けんきゅう」でよういにそのきょうちにたっしえるとはおもわないがせめてこのばしょでそのマネごとがかなわぬものかとおもう。スタイル=「ぶんたい」についてさいけんとうしたい。
●ひとつきになっているニュース――共同通信がウィーンざいじゅうのにほんじんしきしゃ(三十四さい)とにほんからのじょしりゅうがくせい(十九さい)の、ドナウ川での「しんじゅう」をほうどうしている。まだその名がしるされていないオトコのキャリアへのかんしんもさることながらそのようにしてふたりの「せい」をどうじにとじねばならないじょうきょうが(いまだ?)ありうることへのおどろきをじつはこのニュースにせっしてからきんじえないでいる。いや「おどろき」とここにかくのはぎぜんてき(?)であるかもしれぬ。ぼくがようしょうのころ(初代ウルトラマンをリアルタイムでみていたころ)にすでにそれにとらわれていた「死」のきょうふはうらがえせばそのもっともじかくてきなけいしきである「自死」へのかつぼう(?)にほかならずまたその一ヴァリエーションとして「心中」がありえることはじめいのことがらだからである。[最後の一文のみ削除しました。][26:05;翌朝削除措置]
2001年8月15日(水)b
●奈良ドリームランド[きのうのbをさんしょう]でのウルトラマンコスモスのショー(しゃしんはたぶん前シリーズのガイアのとうじょうのばめんのはずだ)はさすがにスーパーのきゃくよせイヴェント[たとえば4月29日(日)をさんしょう]とはひとあじちがったほんかくてきなもの。コスモスのルナモードはあいかわらずかいじゅうたちとの「きょうせい」をかたっていてわらえたが[8月10日(金)aおよび「第2室」への8月12日付投稿「Re: ウルトラマンが? 怪獣を「さとす」?」をさんしょう]ライティングにくふうをこらしてさまざまな「こうせん」るいをこうさくさせるラストのたいけつばめんはだいのおとなでもそこそこたのしめた。MORO.S.@岡山さん(「第2室」の名誉常連)とおなじく初代ウルトラマンでそだったにんげんだがおさなきひにはぐくまれたかんじゅせいはやすやすとくちるものではない。
●そのあとはプール。ビーチサンダルをもっていくのをわすれたのだが(というよりもプールなんてめったにはいらないのでひつようせいをにんしきしていなかった;母子はちゃんとじさんしていた)「こういしつ」からプールサイドへのみちすがらにあしのウラがやけどしそうになったのでいそいでショップにかけこんでこうにゅう。それから二じかんほどそのギラギラとてりつけるたいようのもとで母とときどきかわりながら子につきあったのだが(スイミングきょうしつのこうかでモグるのはへいき、あとわずかでじりきでおよぐこともかのうといったところ)みずからあがってつぎに「こういしつ」でかがみにうつしてみるとぜんしんがまっかにやけている。こんなのはたぶんちゅうがくせいのときいらいだ(つまり二十五ねんぶりである)。「メキシコ人みたいやね」という母(そういうかのじょもクビからしたは「ひやけどめ」をぬらなかったのでかなりあかい)のいつもながらのぶしつけなひょうげんはふとマネの《マクシミリアン皇帝の銃殺》のヒゲの皇帝をおもいうかべるとあながちふとうではないとおもわれもしたがいずれにしてもクーラーのきいたへやでワープロやとうあんのやまにむかうにはふさわしくない(やや)けんこうてきなふんいきになったのはたしか。もちろんいいわけ(ひるまだけでなくこんやからあすのあさにかけてもしごとをしないことの)である(笑)。
●したのaのぶんしょうについて。いちじは(プールにつかりながら)さくじょしようかとおもった。だが(「ひとふでがき」だから「い」をつくせてはいないが)そこでかかれているのはまぎれもないほんしん(のいちぶ)であるからさくじょするいわれはないしそれどころかそれはせっきょくてきにひょうめいされねばならないないようというべきである。そのさいりょうのばしょがにっきであるとはおもわないがきょうのところはここに。[22:50]
2001年8月15日(水)a
●15日になった(テレビでは『中国女』がはじまった)。ぼくはどちらかというとウヨクだからとうぜん小泉首相は中韓そして国内サヨクのあつりょくにくっすることになくきょうこのひにじこのしんねんをとおして靖国神社にまいればよかったとおもう(日本国首相は靖国にまいるべしというしゅちょうとはぜんぜんちがうからかんちがいしないでね)。ついでにいうとA級戦犯を分祀せよというしゅちょうはぐれつである。せんそうがいっしゅのきょうきのじょうたいであることはひていしないがそうであればこそすうめいの、とくべつにわるい「せんぱん=あくにん」につみをかぶせてじしんにはまったくおなじはんだんをくだすかのうせいがなかった(ない)かのようにそうていするのは「ようち」である。なんどもかいたことがあるがぼくは性悪説をとるものである。そうしてじじてきなもんだいにからめていえばりょうどもんだいにからんでかなりひれつなこうどうをとっている中韓の「ぜんい」をしんじない。ついでにいえばウヨクは(じしんのなかのそれもふくめて)「あくい」にびんかんなにんげんにほかならない。またこの「あくい」にみちみちたせかいで「ぐんたい」をもたないこっかは(くりかえしてこのことばをもちいるが)「ようち」である。「ぐんじん」のぎせいしゃをまつる靖国神社にはこうしてそんざいりゆうがはっせいする。ただしざんねんながらぼくの「こころ」にそこにまいろうというきもちはおこってこない。きょうこのひの石原慎太郎「都知事」の靖国さんぱいにきたいするゆえんである(ひきょうだが)。
●うえのもんだいにからめていわゆる「教科書問題」についてもひとことかかねばならないとはかんがえている。だがそのほんだいのまえにごくかんけつにかけば「新しい歴史教科書」にかんするわがふまんはむしろじゅうぶんに「こっかしゅぎ」てきになりえていないてんにある。それはずいぶんへいぼんにしあがっている(ビールとおなじでブラインド・チェック[もちろんなかみは「よむ」よ]をおこなったら東京書籍や光村図書のとくべつがつかない「じぎゃくしかん」ろんじゃもいるかもしれない[笑])。
●『中国女』は(こんやは[笑])そこそこおもしろい。VHSテープでなくBS2だから(笑)?――ではない。ひとつにはさくや『女は女である』をみたからである。こうしゃでは「ほうが」にとどまっていたものがぜんしゃでおおいに「はつろ」している。ちなみに『中国女』もまたあるしゅの「きげき」としてかんしょうされるべきである。共産主義の「そこ」がそのごワレたからではない。そもそも「きげき」としてつくられたということだ(ゴダールじしんがたとえそうおもっていなくてもかんけいない)。それとこのえいがはおんがくがすばらしい(ほとんどBGMなしだが)。とくに《マオ、マオ》[ただしいタイトルはしらない](笑)。もうすぐそれがながれるばめんである。[01:30;翌朝一部字句修正]
2001年8月14日(火)b
●こうちょう(といってもしょせんはさいてんさぎょうのことだが)は二日ともたない。きょうはきのうのはんぶんもすすまなかった。――よのなかのどうぎょうしゃ(とくにガイコクにパッとでていけるひと)はどうやっているのだろう。
●ひる。ゼスト御池にクルマをとめて紀伊国屋とJEUGIA三条本店へ(きぶんてんかんもあるが細君がしごとかんけいのほんをさがしたいというので)。とはいえこうしゃではなにもかわなかった。しゅうかくは『開拓者
長岡鉄男』(共同通信社;はるにはでていたほんだがかいそびれていた)とテツガクかんけいのほん一さつ(タイトルはさしひかえる)。りょうほうともほとんどよみおわったが(このせいである、しごとがすすまなかっただいいちのりゆうは)こうしゃにはわが友、かずすくない友・田島正樹氏の名が二どでてくる。いちどは「この国で例外的に哲学者と言える人々」のうちのひとりとして。もういちどはつぎの一せつのなかで。「大森さん[=大森荘蔵]も弟子が自分の理論を継いでくれることなど、まったく期待していなかった。『なんで先生の理論を誰も継がないのでしょう』と私は聞いてみたことがある。ただちに『私の理論を継ぐ人がいたら軽蔑します』という答えが返ってきた。本心からそうなのであろう。皮肉屋の田島正樹氏にも私は同じ質問をした。『あたりまえさ。間違っているからだよ』と彼は答えた。そうなのだ。私たちは寄るとたかると大森理論の『おかしさ』ばかり話していた」。田島氏がいいそうなへんじだが(ただし「くちょう」はちがうな)ちなみにこの大森氏こそがこのしょもつがじっしつてきにかれにささげられた「哲学者」にほかならない。――おなじようないみで「美術史家」、「美学者」、「美術批評家」はなんにんいるか。
●よる。さくやにつづいてBS2でほうそうされるゴダールは『中国女』。レンタルしてきたテープによってではなくみるとちがったかんそう[6−7月になんどかふれているがたとえば6月16日(土)aをさんしょう]をもつかなとおもわないではないがあすのことをかんがえるとこんやはちょっと…。
●その、あす。奈良ドリームランドへ。ウルトラマンランド(苦笑)とプールがもくてき。ほいくしょがやすみなのでこうでもしないとモタナイからだがところで奈良のじっかにたちよることはしない。たいちょうをくずしている(とくに実母が)のはわかっているがいまは「くるな」というのだから。――もちろんなにかあればとんでいくこころのじゅんびはしているが。[23:11]
2001年8月14日(火)a
●「とびぬけてすぐれたとうあんが三てん」としたのbにかいたが(ひりつてきにいえばぜんたいのなかにどうようのとうあんが十二、三てんあることになる)なかにはとうあんとして「すぐれ」てはいないがポンっとひざをたたきたくなるけいみょうしゃだつなエッセイというべきものにであうこともある。「《××××》[じっさいのぶんめんではしゅつだいされたせんたくしにふくまれるさくひんめい]をヴィジュアル化したい欲望に駆られるのが罪であるなら、それは許される罪であると思う。幼いころから聖書に親しんでいない私は、作者らに対する共感よりは感謝を覚える。しかし、もしも彼らのうちの誰かが『純粋なる信仰が私にこれを描かせたのだ』などというのならば、私は彼に失望するであろう。徹底して世俗的な言葉でいうなら『スケベ心』無しに、このテーマで筆は進まないであろうし、その過程における作者の悶えが美しいと思うからである」。すばらしいぶんしょうだ。だがしゅつだいのいと(さくひんのぞうけいじょうのとくちょうについてふれることをちゃんと「い」をつくしてもとめています)からハズれるのでこれもまた[きのうのaをさんしょう]マンてんはあげられない(きびしいがマジめにとうあんさくせいをしたほかのがくせいにたいする「せいい」ゆえである)。
●かくのごとく「きょう」にのって(笑)さいてんさぎょうがしんこうしている。このちょうしがいじできそうなきょうのうちにせめて立命ぶんだけでも。[10:14;夜、一字修正]
2001年8月13日(月)b
●ぐたいてきなすうちをかいたらおどろくかもしれないから(どういういみで?)かかないことにするがきょうはきょういてきなまでにさいてんがすすんだ。そのなかでとびぬけてすぐれたとうあんが三てん。ほかのとのあいだの「さ」がれきぜん。こういうのがなければじぶんのじゅぎょうにじしんがもてなくなるだろう。
●さっきまで。BS2でゴダール『女は女である』。さいきんビデオにとるのはみな三ばいモードなのにこれはひょうじゅんモードである。エコヒイキだ(笑)。だがなんかしょかでそのけいみょうなセリフにわらわされたしまたなんかしょかでそのえんしゅつにめをみはったが三ばいモードでじゅうぶんではなかったか。いや、これもまた「えいぞうび」でみせるのではないさくひんへのひとつのさんじとおもってほしい。
●あす。しごと(あすはほんやくとろんぶんも)にせいをだすけつい。よのなかは「おぼん」なのになみだぐましい。[26:40]
2001年8月13日(月)a
●あさ。二かいから(ぼくは一かいのダイニングでねいってしまった)三味線のおとがきこえてきた。子が母のかっこうをまねてひいたのだそうだ。義太夫ようの太棹(ふとざお)ではなく長唄ようの柄がほしやつを。高校までいちども三味線をひいたことがないにんげんが研修所にはいってなんねんごかにはぶたいにあがる「ごじせい」である(それくらいこのジャンルのこうけいしゃもんだいはせつじつである)。いまからはじめてこのみちでくっていくか(笑)?
●それにしても映画ではそういうことはないのに文楽だとじんわりとなみだがでそうになる(たかがネズミのはなし[さくじつぶんをさんしょう]でも/だからこそ)。やっぱり「なまみ」のにんげんの「えんぎ」にはじゅうぶんなかんじょういにゅうができないのだ、たぶん(いつものいいぶんとちがわないか?)。ところでキアロスタミのセミ・ドキュメンタリィ(とかいておくが)はこの「えんぎ」をはいじょするのではなく「もじどおりのえんぎ」(ときにはじっさいのじけんの「とうじしゃ」による?)として、むしろ「ろあく(露悪)てき」にきのうさせる(かんじょういにゅうが「ふぜん」なままちゅづりにされる)。ちかごろじゃはばかられるひょうげんをもちいるならようするにいっしゅのディコンストラクトなのだがそのディコンストラクトにもできふできがある(ただのデストラクトじゃないんだからとうぜん)。マフマルバフ(ムスメのほうの)をみてかんじたこと[8月11日(土)bをさんしょう]をまだこんなふうにいいかえようとしている(笑)。[…]
●きょうのさいてんさぎょう(はやくもちょうしょくごすぐにとりかかっている)のなかでであったみじかいぶんしょうをここに。「貝殻のなかでひと知れずひっそりと成熟したいびつな真珠は、完全な球の真珠よりも美しい。光の角度によって変化する輝き、影、形状――関わったひとによってそれは見え方を変えるからである。西欧において自然と対比される文化・芸術が、自然に歩み寄った瞬間である」。しゅつだい(ここにくわしくはかかない)の「いと」からすこしズレていてこのぶぶんだけでもマンてんはあげられないし、ほかのとうあんもできふできがはげしくて「優」にはならなかったがくせいのものだが、バロックのせつめいとしてだけよめば(というよりもおよそ非クラシックなるひょうげんのほんしつをいいあてたものとしても)それはきわめてうつくしい。きょうしがすこしトクしたきぶんになる「瞬間」である。[10:30;13:26一字修正]
2001年8月12日(日)
●あさからひるにかけて。大阪へ。がケイタイをもってでるのをわすれた。なので「ぶたい」がおわってからおちあうのがめんどうになるということで父も母子とともに文楽をみることにした(けいかくてきはんこうではない)。「夏休み親子劇場」とタイトルのつけられた第1部のプログラムは「金太郎の大ぐも退治」と「鼠のそうし[草子]」(チラシをさんしょう)。えんしゅつに子どもむけのくふうがなされているとはいえ義太夫はまさしく義太夫。ひさしぶりでシビレタ。が、親がシビレるのはかってだが子は? これがけっこうしんみょうにみている(さいしょの赤オニ、青オニがでてくるばめんではほいくしょでのトラウマのせいで[笑]あおざめていたが)。文楽だからか。それともそろそろクラシック(いちどたいへんなおもいをした[2000年11月10日(金)をさんしょう])でもだいじょうぶか。
●ちなみに「鼠のそうし」はネズミの「忠冑[チュウチュウ]権の頭」がにんげんのうつくしいオンナ浅香姫にこいをする、さいしょはラブロマンス(英文タイトルは“The
Rat’s Romance”となっている)。「『これ浅香どの、いこう疲れたであろう、大儀々々』と、いたわるにぞ わけて浅香は恥ずかしく、男の胸に顔寄せて『どうぞ千歳の春秋を、可愛がってたまわれかし、変わらぬ誓い立ててたべ、わが夫[つま]さまや』と、娘ごろろにせきかねて、消えも入りなんとりなしなり。『なんの、その誓いに及ぶべき、神かけて弥陀かけて、未来永劫変わらぬふたり、そなたは宿のいとし北の方』と、たがいに抱き抱かれつつ、諸屋の伏しどにあてられし一間へこそは入りにけり」(プログラム添付の床本集より)。こうして初夜の床までこぎつけるのにネズミであることがばれてこのこいがおわってからはラブロマンスをこえる(こえたからエラいのではないが)。「『…われは三界の鼠なり、二世、三世、未来永劫、三千世界の果てまでも鼠と生まれ鼠と死し、畜生道の煩悩を身に堪えてしのび、鼠が浄土極楽をこの世に出現させん、これぞいのちの本願なり』と、合掌すれば、不思議やな鼠権坊が五体より、清光にわかに晃曜し、妙なる楽音、山川嶮谷に谺[こだま]して、宇宙に散華しきりなり」(同)。これをみてハッとおどろくのがネコの上人[しょうにん]という聖人噺でございました。
●さて、ヴィッツによる大阪とのおうふく。R170からR1をけいゆして阪神高速守口線で市内にはいるルート(かえりも)。ややこんでいてかたみち二じかん。かたみち四じかんの富山行よりもつかれる(笑)。いっぽうつうこうだらけの大阪市内のこうつうじじょうもあっていっそう(ナビがやたらとレーンあんないしてくるりゆうもわかる)。ちなみにきょうのおうふく100km余でぜんそうこうきょり(さくねんの9月30日いこうの)が9000kmをこえた。9月しょじゅんの愛知県芸大のしゅうちゅうこうぎにもクルマをりようするからねんかんそうこうきょりが一万キロをこえるのはかくじつである。そう、まえのビストロはおなじきょりをはしるのに二ねんいじょうかかったのだが[2000年9月29日(金)をさんしょう]。
●よる。きょうのN響アワーは「N響in 沖縄」とだいして池辺晋一郎/壇ふみコンビによるグルメしょうかいもふくめるえんしゅつ。ほうそうされるきょくもそうしたトピックスにあわせて「がくしょう」たんいでコマギレにされる。ぐれつのきわみといいたいがそのなかでR・シュトラウスのめずらしい《町人貴族》のさいしゅうきょく「宴会」がとりあげられたのはしゅうかくだった。というのもチェロのトップそうしゃによるうつくしい、とにかくうつくしいソロのぶぶんがあって、ろくおんではシカゴ響しゅせきじだいのシュタルケルがそのうつくしいソロをひくめいばん(RCA)があるからである(ライナーノートのどこをみてもチェロそうしゃの名はでていないが「そのすじ」のひとはみな[たとえばNAXOSのしんろくおん盤とくらべてそのシカゴ響盤をぜっさんした『Grammophone』誌のひひょうかも]それがそのきょしょうのえんそうであることはしっている)。おしむらくはそんなばんぐみこうせいだからビデオはそもそもまわしていなかったこと。つぐないとしてこんどそのぜんきょくをほうそうしてくれないものか。
●さいてんさぎょうについて。ちちとしてすすまず(あたりまえだこんなせいかつをおくっていて/こんなにながいにっきをかいていて)。――とばかりもいっていられないのでこんやはせめて十まいでも二十まいでも。[22:58;翌朝一字修正]
2001年8月11日(土)b
●マフマルバフ(とパンフにはかいてある)はマクマルバフとかいてもおおきなもんだいはないはずだ。つづりをみるとMakhmalbafとなっているから。みなみ会館のばしょはしかし十条ではなく九条である。これはまちがい[したのaをさんしょう]。
●――と、よていがいのしゅうせいをしてしまったのでついでにかくのだが『りんご』にはちょっとらくたんした。イランえいがはキアロスタミのものしかしらないが(ただしそいつはたっぷりとみている)とてもその「でき」におよぶものではない。キアロスタミさくひんもいわゆるウェルメイド(たとえばカーウァイにたいするしょうさんとしてあたえられるような)なものではぜんぜんないのだが…。
●ついでにあすのよていも。国立文楽劇場(大阪、日本橋)で子どものためのこうえん(金太郎をだいざいにしたもの、ほか)があるというので子の母がよやくのでんわをいれていた。そのご、なりゆきでアッシーをすることになった。「いっしょにみる?」といわれたが「ふるほんややCDショップをまわってじかんをつぶす」とこたえた(さいしょはたまっているとうあんをもっていこうかとおもったが)。あまりけんぜんとはおもえない――なにが(笑)?[23:58]
2001年8月11日(土)a
●ごぜん。『パリ、テキサス』[さくやのbをさんしょう]のきになるぶぶんを「ぎょうし」するもくてきで二どめのさいせい(こういうみかたをたまにする)。トラヴィス/ハンターのおやこが母(ナスターシャ・キンスキーのキャスティングがいけんのわかれるところではあるだろう)をはっけんするプロセスがやはりややたんちょうにおもえたけれどそういうぶぶんでリアリティをついきゅうすることにいみをみいださないのだろう。ホテルの1520号室で母子がたいめんするばめんをトラヴィスがちゅうしゃじょうからかくにんするせっていもずいぶんとやすっぽい(そのたいめんのすうふんのあいだにゆうぐれどきのそらのいろはグッとくらさをましているべきではないか)。ぼくだったら(笑)ピーピング・ルームの二つ(二日)のシーンのあいだにハンターをうしなったウォルト/アンのようすをほんの十五びょうほどでもそうにゅうするのだが(そういうはいりょでえいがはつまらなくなるのだろうか)。…
and so on. まあこういう「なんくせ」のかずかずはけいいのひょうめいでもある。
●ひる。TSUTAYA西院店に『パリ、テキサス』ほか五ほん[8月5日(日)aをさんしょう]をへんきゃくするかわりにおなじかんとく(ヴェンダース)の『東京画』、ゴダール『彼女について私が知っている二、三の事柄』、アニメ『チキチキマシン猛レース』の第二巻(たぶん全三巻だが第一巻はすでにかりだされていた)の三さくひんをDVDでレンタル。おぼんやすみ(けっこういそがしい)のあいだにみるというよりも(みるかもしれないが)いつでもみられるようにデータ化してストックしておくために。
●よる(これから)。ひさびさに十条のみなみ会館へ。イランのマクマルバフかんとく(それともマフマルバフがただしい?;キアロスタミの『クローズ・アップ』[2001年6月14日(木)をさんしょう]のなかでもなまえがでてきたはずだ)のムスメが十八さいのときにとったらしい『りんご』(ゴダールもぜっさんしているらしい)をみるため。――ともかくもきょうは(きのうから)こういうひ。(かえってきたらせっせとさいてん。)[19:35]
2001年8月10日(金)b
●『パリ、テキサス』はラヴストーリーだときいていたから(もちろんそのまえにロード・ムーヴィーであるわけだが)それらしいシーンをもとめてがめんをみつづけたけどそうでなければさいしょの十ぷんくらいでみるのをやめていたかもしれない(笑)。それはけっかてきにいいはんだん(にんたい)であったとおもうが(浅田彰はケナしていたがなかなかどうしてたしかに「泣ける」イイえいがであった)ラヴストーリーとしてはしょうしょう「みたされなかった」(笑)といわねばならない。とってもゆうめいなのらしいピーピング・ルーム(といっておけばいいのかなアレは)での、「みる/みられる」のかんけいがはんてんするシーンにおいても。むしろラブストーリーとしてはハンターをうしなうことになるアンとウォルトのそれのほうがせつじつであるとかんがえるのはただの「あまのじゃく」かそれともえいがのみかたをしらないのか。
●そんなふうにしごと(さいてん)もせずにえいがをみているかたわらですこしたいちょうをもちなおした子がてもちのウルトラマンかんけいのフィギュアのかずかずをならべはじめた(ひだりはしのネコにみえるやつはたしかにネコである)。この子はこうやってならべるのがすきだ(一さいにしてカンヅメを五十センチいじょうつみあげたこともある)。インスタレーションさっかになればいいんじゃないか(カンドウしてやる[笑])。[21:15]
2001年8月10日(金)a
●子はねつがさがらずけっきょくしょくばにつれていった[さくじつぶんをさんしょう]。すこしのすれちがいでどうりょうの「ひもだYさん」から「けんきゅうしつでみていてあげる」というないようのメールをいただいたが(かのじょもまたさいてんさぎょうでくるしんでおられるようである)ピカチュウのDVDと「ちびっこくらぶ」というおべんきょうソフトをもっていったこともあってひとりでしずかにノートPCにむかって父の「うちあわせ」がおわるのをまっていてくれた。
●そんなこともあって(そしておとといの「ほうじ」[VAIO日記の8月9日(木)vaをさんしょう]のさいちゅうもしずかにしていた「ほうび」もかねて)ライフ太秦店(スーパー)にいってウルトラマンコスモスのルナモード(かいじゅうをやっつけるのではなく「さとす」[!]タイプ)のフィギュアをこうにゅう。おなじフロアのいんしょくコーナーでかるいしょくじをとってかえってきてからはクスリをのんでさっきからリビングのゆかでゴロゴロしている。オッと、そこにセリとニゴがやってきておなじフトンにこしかけたゾ――と、その「三びき」の図(子がもっているのがコスモスのルナモード[青]とコロナモード[赤;こいつはかいじゅうをコテンパンにやっつけるタイプ]のフィギュア)。あれっ、マリは? あいつは子どもがきらいだからぜったいこんなじょうきょうではいっしょにうつらないのでした。[13:16]
2001年8月9日(木)
●きせいさきの富山ですこしねつっぽかった子のたいちょうがけさからどんどんあっか。帰洛後、ひるねをさせたが三十九度くらいからすこしもひかないのでゆうこく林医院(小児科、北野白梅町)でしんさつをうけるとへんとうせんのハレがひどくてこうせいざいと(ねつをさげるための)ざやくをしょほうされた。あすのほいくしょはアブナイがそうなると母はどうしてもしごとをやすめないのでどちらかというとこうそくされるじかんも(一じかんていどと)みじかいしひかくてききらくな(ないようはウンザリするものだが)うちあわせしかない父がしょくばにつれていくことになりそう。のどのじょうたいがあっかすればしょうしょうざんこくではあるが。
●そんなわけで母子にとっては四泊五日の、父にとっては「ムコどの」としていちぞくにかおみせするための一泊の、このたびのきせいはさいごのほうはびょうきの子をつれもどすいっしゅのロード・ムーヴィーのようそうをていしたのであった(笑)。
●――とマエフリをしておいてこんやはこれからちゃんとしたロード・ムーヴィーをみようかそれともまじめにとうあんのさいてんさぎょうにもどろうか。[21:07]
2001年8月8日(水)は、コチラの日記はお休みしました。
2001年8月7日(火)
●さっきからBS2で『オスカー・ワイルド』(英、1999年)がほうそうされている。おとといのモーツァルト(『アマデウス』)、きのうのベートーベンにつづいて三夜めで「天才芸術家の生涯」との「とおし」のタイトルがつけられている。ナルホド。じつざいの「天才」たちをあつかったえいがはどうもにがてだがこれはビデオにろくがしていつかきっと。
●このえいごのセリフをききながしながら(といってもやっぱり「りかい」はできていない[笑])あすの富山行のためのちょっとしたにづくり。義祖父の二十五回忌は10:00からだというのでよゆうをもって5:00には京都をたとうと。
●そんなわけできょうのこと(いろいろかくべきことがあったようななかったような[笑])はきょうのところはしょうりゃくして…。
●ちなみにあすのVAIO日記(かくよゆうがないほどのみつぶれていなければのはなしだが)はひさびさにほんとうにVAIOから(このてんについては7月23日(月)をさんしょう)。
●あっ、テレビのがめんではやっぱりホモセクシャルのせかいがてんかいしている(笑)! はっきりとかく――ぼくは「だいのにがて」だ。[21:20;28:25一字修正]
2001年8月6日(月)c
●えいがについてふれるならばさいていげんひつようなストーリーしょうかいがあるだろう(じゅんすいな[つまりじぶんいがいがよまない]にっきではないのだから)。――と、きづくことでいよくをあらたにしたのではなくじせいしんがめばえたというわけ。ふと。
●ちなみにこんやBS2でほうそうされていた『不滅の恋・ベートーベン』をもろくがしわすれた。さいてんにねっちゅうして(ほんと?)。どうせつまらないげいじゅつかぞうがねつぞうされているのだろうとよかんされていたがそれをみてげらげらわらうたのしみがうしなわれたことだけはたしかである。[24:58]
2001年8月6日(月)b
●いまここにいない細君もいっていたこと――さいきんニゴをえこひいきていないか(笑)? きをつけねばならないとおもうがこの子はほんとうにひとなつっこくてカメラをちかづけてもまったくにげない(それとたしかにフォトジェニックではある[笑])からついつい。こんどマリやセリのきんきょうもけいしゅつしますから。
●『パリ、テキサス』はこんやはみるのをやめた。いっしゅんさいせいしてみたがしゅじんこうのおとこがよそうにはんしていわゆるイイオトコでなかったこともあってかんじょういにゅうがむずかしくかんじられたので(笑)。いやそれはじょうだんでこんやはさいてんさぎょうをゆうせんさせるために。[23:30]
2001年8月6日(月)a
●あさのいんさつさぎょう[したのbをさんしょう]はよそうどおりたっぷり一じかんはんほどもかかって(ハガキがつるつるすべってリソグラフにすいこまれていかない)どっぷりとひへい。だいがくにでむくいよくもこれですっかりなえてしまってようけん[同]はメールとファクスできょうのところはやりすごした(あすにへんこうしただけだ)。ただしそのあとはムダにじかんをすごさずにきょう一にちのこうどうけいかくあんをねりなおしてから「えいがかんしょう」と「さいてんさぎょう」におおいにせいをだした(りょうりつできるのだろうか)。母子のいないてんごくのような一にちのすごしかたとしてさいてきであったかどうかはさておきなかなかにゆういぎな一にちではあったとさいしょにことわっておきたい。
●まずさいてんさぎょうのほうはニゴのおかげでときどきおもわぬちゅうだんもあったがさくじつ(しょにち)にめざしたりょうの三ぶんの二ほどはすすんだ(そんなりょうでよろこんでいるのか!?)。このさいてんさぎょうとへいこうして(!)mpeg1データとしてダビングしながらBGMのごとくにしてながした『戦艦ポチョムキン』(ショスタコーヴィチのおんがくのせいである)は十四、五ねんほどまえにいちどみたときにはうっかりねむってしまって(笑)みられなかったゆうめいなオデッサのかいだんのシーンにやはりめをうばわれてさいてんのてをいちじとめてしまった。ごご。おひるをはさんでこれはきちっとみようとおもった『ロアン・リンユィ』はメーキング・シーンをほんぺんにおりこんだいっしゅのメタえいがで、だったらこんどマギー・チャンのひょうじょうをちゅうしんにランダムにみようととちゅうから『戦艦』とおなじダビングとBGMのへいこうさぎょうへといこう(ぼくの「じょせい」としてのマギーへのおネツはしゅとして『花様年華』のチャン夫人へのそれであることがすでにはんめいしているが[笑][VAIO日記の2001年7月7日(土)vaをさんしょう]それはさておきちがうさくひんをみるたびにこのひとの「じょゆう」としてのさいのうにもみりょうされている)。ゆうこく。きぶんてんかんにヴィッツのせんしゃをしたあとキアロスタミの『白い風船』を。よくもまあこれだけパターンとけいしきのにたえいががとれるとあきれるがまずしい「しょうじょ」によるこの、これもやはりそうよぶべきであろういっしゅの「ロード・ムーヴィー」はやはりきょうのところはBGMてきにみるほかはないといったかんじで、けっきょくきょうは3GBほどのmpeg1データのとりこみにしゅうししたかんはいなめないのである(どこがゆういぎな一にちなのだ/シネフィルをじしょうするしかくなどないというべきではないのか)。ちなみにけさねりなおしたけいかくではこれから四ほんめ『パリ、テキサス』をみることになっているのだが…。
●しょくじのことも。こまかいことはかかないがまずしい。ふだんよりも(笑)。じつはあまりしょくよくがでない。だがあしたはこのてんでかいぜんをはかるよてい(母子がいてはしょくせないものを)。
●[削除しました。][21:40]
2001年8月5日(日)b
●べつにほうこくしなくてもよいものをともおもうがとうあんのさいてんは三まいしかてをつけなかった。よていの十ぶんの一ではないかと? 一まいもすすまないしょにちもある(だがそれはまだしょにちともいわないのではないだろうか)のだからまだしもすくいがある。――と、だれもいってくれないからじぶんでひとことそうかいておいてからねむるとしたい。
●あす。子はいないはずなのにあさからほいくしょにでむく。ポスター[したのaをさんしょう](およびそれをりゅうようしたあんないようハガキ)のリソグラフによるいんさつのため。ほとんどまいとしのことだがこれがいじょうにアセをかくおおしごとだったりする(びちょうせつをしないといんさつがズレる)。そのあとはだいがくにいってまだのこっているざつむのせいり。ダメだ、そんなことではちっともあそぶけいかくがたたない。[25:45]
2001年8月5日(日)a
●四十さいになって二日めはそうちょうの母子のきせいのみおくりから。これにまさるおくりものはないといいたいふたりのるすのしょにちはしかしほいくしょのなつまつりのポスター(←デジタルてきにしゅくしょうしたつもりだがずいぶんアラくなる;ちなみにキューピッドのもつパンツにマルに「水」のマークがみえるけど? こたえはネふつうのしたぎにそのマークをかいて「みずぎ」とすることのいわれなのでした)にはんにちいじょうをついやすだいごさん。つまりモノクロ・コピーしかつかえない(したがってフチぎりぎりまでのデザインももちろんダメという)じょうけんないでいつもながらくろうをしたというわけ。(だったらポスターがかりをひきうけなきゃいいのに?)
●ゆうこく。ひさしぶりにTSUTAYA西院店でえいがのソフトをぶっしょく。キアロスタミかんとくの『白い風船』(パッケージをみてなきそうになった)とマギー・チャンしゅえんの『ロアン・リンユィ』の二ほんはVHSテープ、エイゼンシュテイン『戦艦ポチョムキン』とジャーマン『ヴィトゲンシュタイン』とヴェンダース『パリ、テキサス』の三ぼんはDVDで、それぞれレンタル。この五ほんはとりあえずmpeg1でダビングするのでOKだが(こうやってダビングしたあとCDどうようにほとんどランダム・アクセスでかんしょうするのだからいいかげんなシネフィルといわねばならない)CDほどでなくてもいいがそこそこいいオトでマイルス・デイヴィスをききたいルイ・マル『死刑台のエレベーター』だけはDVDをこうにゅう。レンタルぶんは「オンライン・クーポン」によってはんがくになる(きょうまで)とはいえ「ど」がすぎるんとちゃう(笑)?
●うえとはうらはらなようだがていきしけんのさいてんモードにもとつにゅう。とりあえずきょうは三十にんぶん、あすあさってはさいていでもそのばいりょうずつをこなしてから富山にたとう、と。
●これではせっかくのどくしんせいかつをおうかできないではないか。いや、あすあさってはさいてんとへいこうしてボチボチと。[22:54;翌朝一部字句修正]
2001年8月4日(土)
●ゆうしょくごにすぐダウンするのはもんだいだがこうやってはやおきするのだからいいんじゃないか(とかきつつきょうはもういちど[ひさびさにフトンによこになって]ねようとビールをのみはじめているが)。
●それはさておきすこしは「かいこ」と「てんぼう」も。きのうのひるま。一にちじゅうがっこうでざつむ(もじどおりざったな)をこなした。とくにきょうから二しゅうかんのやすみにはいるしょくいん(立命のしょくいんは」「おぼん」がある一しゅうかんとそのぜんごいずれかの一しゅうかんのごうけい二しゅうかんのやすみをとることができる)とそのまえにすませておくべきうちあわせなどがたくさんあったので。それと9月の「がっかいモドキ」[8月1日(水)bをさんしょう]のさいのしゅくはくしゃめいぼのさくせいも台湾/韓国かんけいしゃのなまえのかんじがなかなかでてこなくてくろうした(それでも二字をのぞいてぜんぶでてきたのからそっちのほうがおどろきだったが)。いずれにしてもこういうのもこなすのだから「うらかた」はツラいね(オモテにはもっとでたくないが)。
●ゆうこく。日本興亜損保から「せいきゅうしょ」がとどいていた。ヴィッツのしゅうり[8月1日(水)a]のけんはぜんがくがほけんでまかなえることになったはずなのにといっしゅんギクリとしたがよくよめばこっちが損保がわにする「せいきゅうする」ためのしょるいだった。ホッとするとどうじにトクしたきぶんになった。
●きょう。あす(5日[日])魚津にきせいする母子のにもつのにづくり(一にちはやくたくはいびんでおくる)。その子の母のコンタクトレンズのひきとり(きのうのあさ左目のぶんをふんしつしておおさわぎになった)のために堀部眼科(北区平野八丁柳)へでむく「だいこうさぎょう」も。そのあとスイミング(ぼくはみずはきらいだからとうぜん子のアッシーだ)。そのあとひるねをさせたあと(こっちもつきあう?)ゆうこく「しまだ」(嵐電妙心寺駅近く、ステーキ)へ。いっかでいくのもそうだがひとりでもさいきんぜんぜんいけなかった。それくらいこの「ぜんき」はいそがしかった。
●うえにもかいたとおりあした母子がきせいするとまる二日はかんぜんにかいほうされる(8日にはぼくも義祖父の二十五回忌[!]のために魚津まででむかねばならない)。そこでたまっているしごとをこなすかウカれてあそびほうけるかでにんげんがためされるだろう(笑)。[04:50]
2001年8月3日(金)
●こんやはこれでもまだめざめるのがはやいほうである。たいちょうはあいかわらずよくない(たいちょうのもんだいだろうか)。ていきしけんのさいてんもだがそのまえにほいくしょのなつまつりのポスターのしごともまだてつかずでのこっている。そろそろたいちょう(きぶん)をきりかえねば。[27:55]
2001年8月2日(木)
●またしてもゆうしょくごダウン。このところよるはニュースもみない(トリュフォーのえいがもろくがしわすれた)。ちょっとおかしい。
●ひるまはきのうよていしたとおり。そのまま。[28:30]
2001年8月1日(水)b
●まずはじむてきに――もぎこうぎはもちろんつつがなく。かいぎもまたいつものようにくら〜く(笑;はってんがまったくないナ)。オモテむきのこうむはいちおうこれでおしまい(8月20日すぎまでは)。ただしていきしけんのさいてんをのぞいてだが(コイツがあるからやすみがやすみにかんじられない)。
●あたらしいじてんしゃ[したのaをさんしょう]はすこぶるかいちょう(せいとんのなっていないけんきゅうしつでも四十センチしほうのスペースをつくればうまくおさまる)。だがあるくはやさとあまりかわらないようにかんじられるのはさっかくだろうか。それどころかかくあせのりょうはもっとおおいようだ。あしたネッツ五条カドノ店にむかうさいのみちのりはしかしきほんてきに「くだりざか」だからラクちんである。そうしてそこについたらこんどはリアシートにのせてきたく。そうだ、なまえをつけてやろうか。
●あすはさくねん12月にそつろんをだせなかったM君のはんとしおくれの「しもん」がひるから(あっ、やっぱりこうむがあるじゃないか)。そのあとだいがくいんせいIさんのそうだんごとをうけてからじたくにもどってクルマを全日空ホテルへ。9月しょじゅんにひかえる、またしてもやっかいな(とかくとしかられるが)「がっかいモドキ」のうちあわせのために。
●のみつづけながらまいにちフルにうごきまわっていたせんしゅう(山形)と、たいしてのんでもはたらいてもいないのにすぐダウンするこんしゅうの、らくさがはげしい。[22:00]
2001年8月1日(水)a
●じさボケではないのだろうけどゆうごはんをたべたあとおきていることができない。そのていどにはひるまはまだいそがしいということ。
●きょうはごごオープンキャンパスでこうこうせいむけのもぎこうぎをたんとう(そのじゅんび[いつもしようしないきょうしつでのPCせつぞくのかんきょうせってい]にもきのうはずいぶんてこずった)。タイトルは「人文学の新しい挑戦――美術史におけるジェンダー論的成果によりながら」だって(笑)。で、そのあとかいぎが一けん。なつやすみまえのさいごのかいぎでありますように。
●そのほかのきのうのわだい1。フロントガラスにひびのはいったヴィッツ[7月30日(月)をさんしょう]をしゅうりにだした。そのまえにブリヂストンの「おりたたみしきじてんしゃ」(トランジットコンパクト[M.ダークシルバー/TCP12];まえからほしかった)をこうにゅうしてネッツ京都五条カドノ店からじたくまではそのニューマシンで。けっこうつかれた。
●わだい2。「芸術論」のとうあん[LaVie日記の7月30日(月)laをさんしょう]がとどけられた(がくせきばんごうじゅんにならべかえてとどけられるのでこのてんはとってもありがたい)。これで東北芸術工科大学のぶんとあわせて四百まいほどのとうあんがそろった。まいとしのようにおぼんあけにむけてひたすらに…。[07:18]