2001年9月29日(土)と30日(日)はお休みしました。

2001年9月28日(金)
●シュタルケルのカザルスホールでのコンサート(9月15日(土・祝)cいこうたびたびふれてきた)のとうじつ。まんいんのかんきゃくはこんや七十七さいのマエストロの、もしかしたらさいごになるかもしれない/いやいやまだまだらいにちがあることをよかんさせるじつえんによいしれたことであろうが(プロコフィエフ9月26日(水)aをさんしょう]はほんとうにききたかった)ところがこっちはといえばよそうどおり[同]子を「おたふくかぜ」からまだかんぜんにかいふくしない母にかわってむかえにいって(おひるねようのフトンもきちんともちかえったぞ)そのあとはライフ太秦店にかいものにいって…と、しっかりイエにしばられていた。というわけでこんやはかれがフィルクシュニー(Pf.)とえんそうするマルティヌーのソナタ9月20日(木)b]でもききながらしみじみと。
●あすはそのシュタルケルがそこできゅうそくをとっているはずの東京に一にちおくれでむかう(こんかいのらいにちはひかくてきスケジュールがゆったりしていてそのおかげでつぎのコンサートは二日[火;トッパンホール]ということになってとうぜんこっちはそんなウィークデイにききにいくことはできない)。このたびのもくてきは30日(日)のある「たいだん」(
9月15日(土・祝)cにチラとふれている)にしゅつえんするため。――へーっ、「うらかた」でないのってひさびさやね(笑)? ――うん、このところあんまり「じみ」にいきてるからたまにはいいかとおもったんよ。――ではせいぜいこうかいせえへんようにがんばってな。――うん、ありがと。[というわけであしたはたぶんVAIO日記として。]
●そのわだいにふれるべきときにかぎってあさまで「かみん」をとってふれえなかったから(笑)やや「おちこみぎみ」であるとはいえおきてはいるこのよるに――こうきがはじまってまる一しゅうかんがけいか。じゅぎょうはひかくてきかいちょうである(火・IIの「現代造形文化論II」
9月24日(月・祝)のさいごのほうをチラとさんしょう]だけちょっとくらかったが)。きょう(「西洋美術史II」)はこれまであつかったことのなかった「マリア信仰」のもんだいにたちいった。じゅぎょうがいままでよりたのしい。愛知県立芸術大学のしゅうちゅうこうぎからつづいている9月14日(金)aをさんしょう]なんだかふしぎなかんかく(笑)である。[23:26]

2001年9月27日(木)
●さくじつぶんのようびが「(木)」となっていましたのでていせいしました。ほんとうは「2001年9月25日(火)はお休みしました」とかくべきじかんなのですが(ようするにまたねてしまったのです)いじょうのていせいだけを。[29:45]

2001年9月26日(水)c
●「(ついでに近鉄のことも)」とさっきはかいた。が、むしろこいつをじゅぎょうのイントロダクションとしてもちいよう。えいぞうそざいとして「すぽると」(フジTV系)をへんしゅうした。ついでにテロかんけいのわだいもえいぞうをもちいたいのだがあいにくビデオにとってはいなかった。ふきんしんだがここでえいがさくひんをもちいるとしよう。いぜんダビングしてあった『インデペンデンス・デイ』からリンカーン・センター・ビルやホワイトハウスがばくはされるばめんを。あんまりにもふきんしんではないか? たしかに。だがわが「表象批判II」はじぶんを「たかみ」においてなすひょうしょう(表象)=メディアのひはんなのではなくむしろひさんなこうけいをも「しょうひ」してしまうわれらにまつわる「じこひはん」のこころみであるのだからそのふきんしんをこそいきねばならないのである。[25:50]

2001年9月26日(水)b
●「どうやらこんやはダメかな」とかいたのにエラいぎゃくてんげきを近鉄はみせてくれました。代打・北川の「ぎゃくてん・まんるい・サヨナラ」ホームランで三てんさはいっきにひっくりかえったわけですがその一打がどうじにゆうしょうをきめるものでもあるといったことはいままであったでしょうか。ところでニュースステーションでキャスターがいう「マンガのような」というひょうげんがまとをいているとすればそのようないみではわれわれはこの9月にまさにそのような「マンガのような」(あるいは「マンガにしたらバカにされるほどげきてきな」)ばめんに二どでくわしたといわねばなりません。その一つはいうまでもなくワールド・トレード・センターのほうかいげきですが――あすの「表象批判II」ではないようてきにとうぜんそのことにふれないわけにはいきません(ついでに近鉄のことも)。[22:12;23:50大幅字句修正]

2001年9月26日(水)a
●シュタルケルはすでにらいにちしているようだ。こんかいもまたマネージメントをてがける神原音楽事務所のHPではあいかわらず「現在のところ予定通り行なう方向」のテロップ9月18日(火)bをさんしょう]がながされているがさくじつのトッパンホール(東京)におけるコンサートで堀込ゆず子らと「大公」(ベートーベン)ほかをえんそうしてそれを皇太子夫妻がきかれたらしいことがすでにいちぶのしんぶんでほうどうされている。ピアノはたぶんデュオのパートナーである練木氏だろうが三にんで「あわせる」のだからすくなくともすうじつまえには成田についてれんしゅうはかさねていたのだろう。いずれにしてもここはもう(ごぜんちゅうのじゅぎょうがおわってからしんかんせんにとびのればそのばしょにかけつけられないではなかった)28日のカザルス・ホールでのコンサート(そこではプロコフィエフのチェロ・ソナタがかかる)のチケットがとれなかったからといって「うらみぶし」をのべるのではなく(いやもしもチケットがとれていてもこのたびは子を「おたふくかぜ」の母9月24日(月・祝)をさんしょう]にかわってほいくしょにむかえにいかねばならなかったからどっちにしてもコンサートはきけなかったのだ)このマエストロのぶじのとうちゃくとけんこうをしゅくふくするべきであろう。ただねがわくばまた二ねんご(神原は二ねんごとにシュタルケルをしょうへいしている)の2003年の十五どめ、七十九さいでのらいにちのあらんことを。
●うえではそう「なっとく」したいから金ようびまでながびいているものとかってにきめてしまった子の母の「おたふくかぜ」はどうやら「とうげ」をこして「(まだしも)みられる」かおになってきた。ほんにんはできたら金ようびにはしゅっきんしたいみたいだが(ハレがひいたらいいらしい)さあ、あす一にちでおさまるものかどうか。
●こんやゆうしょうをかけてたたかっている近鉄
9月24日(月・祝)をさんしょう]はげんざいオリックスに三てんさをあけられている。どうやらこんやはダメかな。というわけでこのあとぎゃくてんでもすればまたきょうのうちにこのばしょで。[20:48;23:50一部字句修正]

2001年9月25日(火)はお休みしました。

2001年9月24日(月・祝)
●きのうのにっきが(そのあまりの「ふこう」のゆえに)はしゃぎすぎであることはめいはくだが(そしてじっさいなんどもさくじょをおもいたったのだが)ほごしゃが子(しかもじぶんのではなく)から「おたふくかぜ」をうつされることが「ほいくしょライフ」におけるさいだいのわらいばなしであることはひていできない(そんなネタをさくじょするのではどくしゃしょしに「もうしわけ」がたたない)。あるいはぎゃくにいえばもっともしあわせなエピソードであるのかもしれぬそのかのうせいにもかんがみてそれはそこにとどめおかれた。そう、やまいはわがやのせいかつにおおきなえいきょうをあたえているし(そのおかげでぼくもよていされていた二つのうちあわせをキャンセルした;そうだきょうは立命はきゅうじつではなくへいじつとどうようにじゅぎょうもかいぎもおこなわれたのだ!)わがやの「おたふく」(笑)のしゃかいじんとしてのたちばも大ピンチのままというべきだがいつかわらっておもいだされるひがくるとしんじて…。
●そんなふこうを(うちけしはしないが)やわらげてくれるニュース(あくまでもぼくにとってだが)。近鉄が西武にげきてきなかちかたをした(中村が松坂からぎゃくてんサヨナラ・ホームランをうった)。まさか「そんなこと」はないだろうとおもっていたのできょうまでふれなかったのだがこれでわがあいするバッファローズ(じつは近鉄南大阪線えんせんのじゅうにんであったしょうがくせいじだいからのファンで、つまりタイガースびいきよりもれきしがながいのである)のリーグゆうしょうまでのマジックが一となった。これでおもいだされるのがいまから二十二年まえの、江夏の「二十七球」(だっけ?)でいまもきおくされるパ・リーグの「はしゃ」近鉄が広島のまえにやぶれたひのことである。こうこう三ねんせいだったぼくはそのひ大阪・帝塚山のさるきっさてんでどうきゅうせいのおんなのことデートをしてまさにその江夏の「かいとう」による近鉄の「はいせん」と(ほぼ)どうじに(というのもみせのマスターが「にほんシリーズ」をみていたからだ)「しつれん」のいたでをけいけんしたのだからである。ちなみにそのこ(娘)は神戸のだいがくにいってそのちでけっこんして(ときいた)だから六ねんまえの阪神大震災のときはなんにちもしんぶんの「しぼうしゃ」らんでその名(みょうじはふめい)をさがしたものだが(もちろん名があってはこまるのだが)それにしてもあのとし(どうけいさんしてもそれは1979年のことだ)のことをこのたびの近鉄のリーグゆうしょう(まだきまったわけではないが[笑])がこうしておもいださせてくれるとは――こういうのをホロにがいおもいというのだろうか(照笑)。
●きのうのうんどうかいの「だいきゅう」のため子はじたくで母とすごすことになる、あす。二げんめにじゅぎょう(「現代造形文化論II」)。ごごからかいぎが三つれんぞくしてさらにそのあとがくせいのめんだんがつづく(そろそろそつろんのことであわてだすきせつだ)。そうしてじたくにかえってからゆうしょくをつくることになるのやら、そのころには「おたふく」がすこしはかいふくしてこっちはただたべればいいのやら。[22:10]

2001年9月23日(日)
●ビッグニュースだ――とかくとなにかいいことがあったみたいだがじっさいはそのはんたいである(いちめんでこれが「たにんのふこう」としてつきせぬおかしみ/しあわせをわれわれの「たにん」にあたえるかのうせいもあらかじめきんじようとはおもわないが)。そう、さくやのしんさつ(きのうの削除ぶんでふれていた)でわかったのだが子の母が「おたふくかぜ」にかかったのである! わが御室保育所の「ようじ」クラス(うえから「ぞう」、「きりん」、「うさぎ」)でこのなつ「だいりゅうこう」したものがおさないときにそのびょうきにかかっていないほごしゃのすうにんをもおそったその一れいというわけだが(げんざいのところ六にんめときいている;ちなみにぼくは子どものころにすでにかかっている)じつはいっさくじつおなじ「きりん」ぐみのあるおとこのこのお父さんがそれにかかったというニュースを(しょうじきなところをかけばあるしゅのおかしみをもって)きいていたのである。それはそれでおおいにはんせいもしたいがそれにしても「よぼうせっしゅ」をしていたために「ぶじ」だった子がかかっていたのでもイタいのはイタいがその母のはおそらくはもっとイタい。「かんち」までのやく一しゅうかん(と、いしゃはいう)のほいくしょのおくりむかえがこっちのしごとになるくらいはなんとでもしたいが(それでもゆうこくのいくつかの「せんやく」(かいぎをふくむ)はキャンセルしなければならない)それよりもかのじょのしょくばがちょっとしたパニックになるのはめにみえている。一しゅうかんは「一しんとう」のにくしんの「きびき」とおなじほどのロスになるのだから「しゃかいじん」には一しょうに二、三どしかしょくばのどうりょうにかけられない大めいわくだが(しかし「としうえ」のにくしんの「死」のほうはもっとたんぱくにやりすごされるひがやってくるだろう)それいじょうにかのじょは「かんご」にかかわるにんげんなのだからね…。まあでもそんなことはほんにんがいちばんわかっていることだ。「わかっている」をとおりこして「どうせにっきにかくんでしょ」と子の父に「おすみつき」までくれた。これでまたにんげんがひとまわりおおきくなったことはまちがいないのである(もうあまりおおきくならないでほしい)。
●さてそんななかでのうんどうかいである(あっ、このじょうほうもついでに
削除してしまっていたのだった)。さくやびょうめいがはんめいしただんかいで「ほいくし」のせんせいにはでんわをいれ、きょうもそうちょう(7:00)からのじゅんびに父がさんかするだんかいからしたしいひとびとにはひそかに「いやぁ、うちのお母ちゃんがおたふくにかかってね」とうちあけて「おどろき」や「どうじょう」(そして「よろこび」)がいっきにほごしゃのあいだにひろがらないようにはいりょしておいたので「だいじ」にはいたらなかったが(笑)「だいりゅうこう」のなみはさったとはいえどうどうとかんきゃくせきにじんどるわけにはいかないのでえんぽうから子のすがたをおわねばならないその母のすがたは(ひじょうにふきんしんでごかいをあたえかねないかきかた[*]であることもしょうちでしょうじきにかくのだが)さながら「かくり」されたハンセン氏病かんじゃのようにおもわれてなみだをさそったのだった(「なみだ」はもちろんうそである)。[*=しゅうちのようにハンセン氏病のばあいはそれがふとうに「かくり」されてきたのであることがすでにかいめいされているのであるからわが「れんそう」はもちろんふとうであり、しかしよのなかのつうぞくてきなへんけんをレプリゼントしていることもまたひていできない。]
●いずれにしてもそんなわけで(とくにあすいこうのことをおもうと)うんどうかいでとったしゃしんのなかからベスト・ショットをけいしゅつするようなきぶんにはとてもなれない。そのわりにはながったらしいにっき(ほうこく)だともおもうけれど。[26:17;27:40一単語修正;18:38一部表記修正]

2001年9月22日(土)
●一にちおくれのバースデイ・ショットとなるが七さいむかえたマリのすがたをこのばしょにけいしゅつしておきたい。あとからやってきたものたち(とくにどんどんでかくてやばんになっていくニゴ)のせいでしばしばやすらぎをやぶられている、にんげんでいえばすっかり「ちゅうねん」のいきにたっしているかのじょも「あるじ」との一たい一のばめんではいつまでも子ネコのままであるかのようなしぐさをみせる。さいきんは「ろうがん」まではいってきた、それこそ「ちゅうねん」のおじさんがかくのはなんだが――ほんとうにかわいい。
●BSじょうほう。BS2でこんやグールドをあつかうプログラムが四ほんれんぞくでほうそうされる。きっとソニーからでているビデオ・シリーズだろうが(そしてほどなくDVD化されるだろうが)きょうみがあるならと(録)っておくかちはある(でも「ひょうじゅんモード」だとテープをとりかえるよゆうがあるかどうか[それにねむっているかもしれない]ふあんだから「三ばいモード」でやむなしやね)。いずれにしてもこういうじょうほうがあるひのにっきはいつもよりはやめに。
[削除しました。]18:50;21:28削除措置]

2001年9月21日(金)c
●れいのごとくゆうしょくごにねてしまったのだが――やはり「きょう」のこととして。マリの七さいのたんじょうび。ということはまたまだいきていればタマ(このにっきがはじまってまもない2000年4月17日(月)に「死」んじまった)が十さいをむかえたはずのひ。(もっともセリとニゴ[ともに一さいとちょっと]もふくめてうちのネコたちはみなボロボロのじょうたいでひろわれた子たちなのでたんじょうびはせいかくなものではなく、あくまでもひろわれたじてんから「だとう」なにっすうをさかのぼって「かり」にたんじょうびとしているのだけれど。)マリについてはきょうはあまりいいしゃしんがとれなかったのでごじつあらためてフォトジェニックなすがたを。
●ごご。ひさしぶりの、ほんとうにひさしぶりの「ぜんそく」のちいさなほっさ。ごぜんちゅうのじゅぎょうのさいはかいちょう(?)だったのだけれど「きこくしじょ」(とさいきんはいわないはずなのだが)のとくべつにゅうしのしょるいしんさをしているさいちゅうに、つまりとくにうごいているわけでもないのに「そと」のてんこうのへんか(そしてまさにきせつのかわりめである)をうつすかのようにすこしずつ「いき」がくるしくなってきた。まあ、さいわいメプチン(ほっさをおさえる「きゅうにゅう」やく;かわいい名だろう)でおさまるていどのもので、ゆうしょくのさいにはきっちりとビールをのんでねてしまったのだがきょねんのあきはとてもくるしんだ(やはり
2000年9月20日(水)そして9月26日(火)あたりのちいさなほっさからあのくるしいひび2000年10月31日(火)をさんしょう]がはじまっている)ずっとつきあっていかねばならないびょうきである。ゆだんをしてはならない。
●「あす」(といってももうとっくにひづけはそうなっている)。あさから「だいがくいん」のにゅうし。あさのしけんかんとくからはじまってごごのさいてん、そして(めんせつはめんじょされるが)「ごうひはんてい」までほんのすうにんのためにまる一にちこうそくされる(なのでせんしゅうおやすみだった子のスイミングは母がしょくばからタクシーをとばしてきてすべりこむパターンだ)。おめでたいことだ。[28:25;翌夕一字修正]

2001年9月21日(金)b
[削除しました。]08:53;09:04削除]

2001年9月21日(金)a
●おととい19日(水)のよるサントリーホールでのN響BプロのようすがいままさにBS2でほうそうされている。シュタルケルがひくはずだったエルガーはわかきボルケスくんがひいていて9月18日(火)aをさんしょう]さすがに(すでにかれのレパートリーとなっていたのであろうとはいえ)一しゅうかんほどのうちにこんかいのじゅんびをととのえたのはりっぱといわねばならないが(とくに第二がくしょうのはやいパッセージにおけるひだりてのうごきはみごとである)七十七さいのシュタルケルがひくすがたをみられないかなしみがそれらかんそうをうちけすようにこみあげてくる。そう、われらがマエストロはもっとたんたんとこれをひいたことであろう。それに広上がどうあわせるかをみたかった。ちなみにこのしきしゃは(かみのけのかずもどんどんとげんたいさせながら[うまいひょうげんがみあたらないな])ユーモラスさをましてきているがつぎのマラ1ではおもわぬきょくのイメージをひきだしてくれるかもしれない。たのしみである。
●――とノンキにかいているが10:40からはじゅぎょうではないのか? テレビは(あと十ぷんもかからない)このエルガーのさいしゅう(第四)がくしょうをきいたらとりあえずおしまい。[08:42]

2001年9月20日(木)b
●こんやはまずヤナーチェクのCDからきいたがすごくせつないきぶんになったので(カップリングされているマルティヌーもこんやはおなじようにきかれた)とちゅうからブラームスにきりかえた(このヤナーチェク/マルティヌーをフィーチャーしたディスクについてはごじつかならずふれるだろう)。ながらく「はいばん」にちかいじょうたいだった(かつて輸入盤ははいってきていたようだが中古ショップをめぐってもてにはいらなかった)ギレリスの、ゆうめいなヨッフムがぼうをふったヤツではなくライナー/シカゴ響のサポートによるP協第2番。このレア・アイテムを新星堂がたった千えんでふっこくしてくれたわけだが(カップリングはチャイコフスキーのP協第1番)なにがまちどおしかったかといって、つまりわがあいするチェリスト、シュタルケルがそのオケのトップそうしゃとして第三がくしょうのゆうめいなソロをひいているのだからである。いやそんなことはこのたびのふっこくされたディスクのライナーのどこをさがしてもかいていない。しかしほんにんのしょうげんもふくめてこれはファンのあいだではながらくしられていたことだしそれになによりスピーカーからきこえてくるたんせいなチェロのひびきがそのえんそうかのなをものがたってあまりある。ブラームスのP協としてはむしろ第1番のくらさをあいするものであるがこの第2番の第三がくしょうだけはこんご「べっかく」としてあつかいたい。
●じゅぎょうのじゅんびは――まったくしていない。あしたはまずイントロだし、あさのてんきをみてからかんがえたい。[26:00]

2001年9月20日(木)a
●15:00すぎのしんかんせんにのるまでのはなし。どこかのてんらんかいかいじょうにあしをはこぶでもなく新宿と銀座でグルメとショッピングのかぎりをつくす。――と、せいぜいおおげさにかいたがないようはつつましいものだ。「だいほうさく」のCDとDVDについてはかんしょうのたびにずいじほうこくしたいが(はやければこんやのうちにだい一ぽうを;だがだれがそれをまっているだろう)しょくじについてはきょうのうちにかいておけば(こっちのほうがもっとまたれていないようなきがする)まずは西新宿の新宿郵便局ちかくの「渡邊」でもりソバ(しながきでは「かさねせいろ」)を、ついで銀座の「つな八」でてんぷらていしょくを、ともにランチとしてしょくした。とくにぜんしゃはここすうかげつでくちにしたかずかずのソバのなかでいちばん「びみ」とおもわれた(しょくにんさんのソバをうつ&きるようすのすがすがしさもとくひつにあたいする)。「りょう」のてんではこの「かさね」(おおもり)でもちょっとしたみせの「ふつうもり」ていどだが八百えんで「わりだか」かんはないし(いや、むしろやすい!)ソバ&ツユのそうほうに(ほかにいいひょうげんがないのでこうかくのだが)「あいまいなところがない」のでこの「りょう」でまんぞくできるのである。ちなみにこの「まんぞく」がただぶつりてきなものでないしょうこに二じかんごにてんぷらていしょくをしょくすことができたのであった。てんぷら七品がついたていしょくが千三百えん(ビールをのんでも二千えん)。ねだんいじょうにトクをしたきぶんになる、すばらしくリーズナブルなみせである。(こうしてどんどんとつまらないグルメ・ページにだ[堕]しているようなきがする[笑]。)
●さて「第2室」のとうこうにもあるが(ほかのがくせいからもどうようのメールをもらった)あすからこうきのじゅぎょうがはじまる。このなつはじつはほとんど「やすんだ」きがしないのだがそんなことよりもすでにぼくのすべてのじゅぎょうをとりつくしたかのようにおもっていた、ほかでもないくずさんがまだ「西洋美術史II」をとる(とりのこしていた)なんて(笑)! ぼくにどんな「げい」がまだのこっているだろう。[22:42]

2001年9月19日(水)はお休みしました。

2001年9月18日(火)d
[削除しました。]
●それにしても「にづくり」のためにあさ6:00にきしょうするなんていうことはかのうなのだろうか。[27:15;翌朝削除措置]

2001年9月18日(火)c
●「めいし」なるものをつくっていた。立命館とはふしぎながっこうでそこにしゅうしょくしてもめいしをつくってはくれない。だから三ねんかんそんなものをもたなかった(スミマセンめいしをきらしていましてというセリフはなんどももちいたがそのていどのいいわけですんだ)。だけれどもあすはひつようらしいということで(笑)(しかしさすがにでいりのいんさつじょは一にちではたいおうしないので)ニノミヤ本店(円町)でソフトとせんようペーパーをかってきて「じさく」したのである。がくないのいろんなやくしょくをかきこんだひじょうにげひんなやつができた。これだけではかなしいのでなまえとしょぞくのほかにメール・アドレスだけをいれた(そして「はいけい」にMODERNistのロゴをあしらった[笑])やつもつくった。ふしぎなものでつくってみるとだれかにあげたくなる。やはり「ね」はつうぞくてきなにんげんだ。[25:10]

2001年9月18日(火)b
●もんだいのキャスターの名は「美山」ではなく「真山」であった[したのaをさんしょう]。いちおうていせい。
●シュタルケルぞくほう。神原のトップページで28日のカザルスホールこうえんは「現在のところ予定通り行なう方向です」と。だがどうじによまれる「アメリカ合衆国テロ事件により来日が懸念されております…」のひょうげんはぶんぽうてきにただしいのだろうか(「来日が危ぶまれて」か[すこしおかしなきがするが]「来日不能が懸念されて」がただしいのではないか)。それともこのコピーのさくしゃ「も」らいにち「を」けねんしているのか。
[うえのトップページはとうめんそんぞくするでしょうがとうぜんじょうほうはこうしんされることになりますので…。]
●あす。文部科学省(したしみと×××をこめてこれからは「モンかショウ」とよぼう)でのそうだんごとは15:00から(東京駅には13:00まえにつくので山野楽器[銀座]でかいものをしてから「つな八」[同]でてんぷらでもたべよう)。そのまえに14:30には「ひかえしつ」にはいっていなければならないのだが(あんまりじかんはないな)そのばしょはじつは「モンかショウ」ないにはなく新橋ほうめんから「モンかショウ」(しつこい!)をのぞんでひだりがわの国立教育会館の一かいにあるとおしえられた。ああ、なつかしい! そこは二十一さいのなつから四、五ねんもバイトをしたばしょだ(ちょっとしたロマンスもあった)。赤坂にほんぶをおく日伊協会なるだんたいがかいこうするイタリア語こうざのために17:30ごろその「会館」にはいって十すうしつのへやのカギをあけて「うけつけじょう」ならぬ「うけつけボーイ」をこなすのである(ほらね、シチュエーションが)。イタリア語をべんきょうするはずだったのに(せんぱいの)アルバイトぼしゅうのことばにツイつられて「ミイラとりがミイラ」(ちょっとちがうかな)になったのである。でも(カギをおいてある)「かんりにんしつ」をあのオジさんたちは――もうやめてるだろうな、というよりももう「死」んでるだろうな(じっさいのところ)。
●そのあと(ゆうこく)。新宿区内某所でてんらんかいをみてそのあとおなじばしょでよくしゅうかかわらなければならないあるイヴェントのうちあわせ。そのあと東京にと(ど)まることができるかどうかは「モンかショウ」でのそうだんごとがうまくいくかどうか(うまくいかなければよくじつは京都であさから「ひとしごと」となりそうである)にかかっている。ま、こんなあやふやなよていだからこんかいはと(ど)まったからといってせいぜいうまいものをひとりでたべにいくくらいしかできないが。[23:20]

2001年9月18日(火)a
●「きのう」(とかいておくが)はまたしてもゆうしょくごにねいってしまった。子が二かいにあがっていったのもしらない。たいしてはたらいてもいないのに。ダラクしている。
●したのシュタルケルもんだいについてほそく――N響きゃくえんはキャンセルとなったがプログラムにへんこうはない。エルガーをひくのはせんしゅうのAプロでボッケリーニのコンチェルトを(ゆうめいなへんきょくばんによってではなくボッケリーニのさっきょくしたままのつまらない「げんてんばん」で)ひいてけっこうおんていのわるいところをみせていた二十五さいのボルケスくん。それだったらいっそ「しゅせき」チェロの藤森くんをソロにたてちゃえばいいのにとおもうが。
●テロ。日テレ系の「やじうまこんじょう」まるだしのほうどう
VAIO日記の9月13日(木)vaをさんしょう]がほんかくかしている。ひるまやゆうこくによくかおをみる美山なるキャスターがきわめてげひんなしゅざいをてんかいしている(さくゆうのニュース)。こういうやからはいまからでもテロのしゅうげきをうけるべきである。
●「きょう」のよてい。あさ。ヴィッツの十二ヶ月てんけん。ネッツの高橋くんにけんていする「ねんぴ」すいいグラフ(笑)もかんせい。そのあとひるからはかいぎ。「あす」の文部科学省そうだんのための。[05:10;9:00一字修正]

2001年9月17日(月)
●「テロのえいきょうもなくちゃんと「らいにち」はできるのだろうか」とかいたシュタルケルについてだがN響のこうしきページの「出演者変更のお知らせ」[えんそうかいとうじつをすぎるとこのリンクはむこうになることでしょう]でやはりキャンセルとなったことがこくちされている(HPじょうのこくちはきょうからのはずだがせんしゅうのていきこうえんちゅうにすでにNHKホールではけいじがなされていたようだ)。うんこうしているひこうきのびんすうやその「こうれい」をおもうならばだとうなはんだんだとおもうがならばマエストロがひくエルガーのじつえんにせっするまれなきかい(CDではスラットキン/フィルハーモニア管をバックにろくおんしたRCA盤があるが)にもかかわらずチケットかくほにはしらなかった(これまでではかんがえられない)「たいまん」はこのキャンセルをよかんしてのことではなかったかとひそかにおもわれたりする(ということはカザルスホールのコンサートもキャンセル?;神原音楽事務所はまだそのこくちをだしていないが)。もちろんキャンセルもそのちょくせつてきなげんいんとなったテロもよろこばれるべきものではありえないがささやかな「あんど」(えんそうかいとうじつに虎ノ門まできているのにそのまま帰洛するかなしみからかいほうされるという)がわがこころにきょらいしていることはここに(ここだから)かくさずかいておきたいのである。[17:43]

2001年9月16日(日)c
●ひじょうにふきんしんなことをかけば(やはりいんようではかきたりないのだな)このたびのテロによる「こう/ざい」の「こう」はこうくうきへのとうじょうてつづきのさいのチェックがこれまでよりいっきにきびしくなることだ。ぼくはあののりものがほんとうにコワイ(むかしからそれにのるまえにはかならず「いしょ」をかくのだから)。なぜ「てつ」のかたまりがというそぼくなぎもんはさておきとなりにすわるじょうきゃくがいつそのみっしつないできょうきをあらわにするかとおもったことはいちどや二どではないし(そのいみではこのたびのテロのしゅほうはぼくにおおきなおどろきをあたえなかった)それをいうならハイジャックがないとしてもパイロットそのひとのことをそもそもじゅうぶんにしんようすることができない(しかしこれはもうとうじょうまえのチェックのもんだいをこえている)。そう、このことがふきょうにはくしゃをかけることはめいはくだが(あすのニューヨークしじょうのねうごきがコワイ)「よ」のツーリズムはこれでおおいにそのきぼをしゅくしょうすることになるだろう。これにウィルスのきけんのぞうだいによるネットしゃかいのいしゅくがくわわってせかいがいまよりもとおく、そしてひろくなることはいちめんで(ほんのいちめんでだが)ぼくにはよろこばしくおもわれる。
●しんや(いま)。はなびたいかいをみにいってまんいんのほどうきょうで子をなくされたいっかをしゅざいしたドキュメンタリィがほうそうされている(関西TV)。ぼくがそのとうじしゃ(親)であれば「ほうふく」にでたいところだが「はんにん」のすがたがはっきりとみえるのではないてんでげんじてんでのアメリカとビンラディンのかんけいといくぶんにている(にていないかもしれない)。いずれにしてもこの明石のじこ/じけんや新宿歌舞伎町でのかさい/じけんにおける「死」がいっきにわすれられつつある。ひげきてきな「死」のそのひげきてきのどあいにゆうれつはない。[26:40]

2001年9月16日(日)b
●なにもかんがえないのではやはりむなしいので(いや「にゅうし」かんけいのさぎょうもアタマはつかっているのだが)とあるほんからのいんようをもってしさくにかえたい――。
●”As a moral idea, an abstraction, Manhattan has a place in everybody’s thinking throughout the world. Manhattan represents: opportunity, the power of capital, white imperialism, glamour, poverty?depending upon the world view of the one who is thinking. Manhattan is a concept. It also exists. In its streets a visitor is at first astounded by both the power and the weakness of his previous imagination. From this astonishment comes a paradox. They are, at one and the same time, streets in a dream and the most real streets (offering nothing behind what is) that he has ever seen. / [...] / The skyscrapers establish their norm. one’s eye wearies of making the distinction between vertical and horizontal; the right angle no longer reads as such; what might recede flatly into the distance recedes instead, upwards, at an indeterminate angle into the sky. The principle of the horizon is broken. If you picture the experienced space of other cities as being sheets of paper laid out more or less flat on their sides; here the sheet of paper has been twisted into a paper-funnel bag. The loss of the essential right angle within perception is compensated for by the proliferation of nearby rectangles?doors, windows, walls, steps, grids. The paper funnel-bag is made of graph paper with squares printed on it. It is filled with faces, languages, cars, bottles, trees, fabrics, machines, plans, stairs, hands, threats, promises, reports from all over the world. The density of the working population of central Manhattan is a quarter of million per square mile. With such density there is little space to look through. To find space one must look up. There are more jewelers than I have ever seen in a city. As many rings on show as inhabitants. / [...] / From the Empire State Building, at about 1,000 feet, the shape of the entire island is visible. Every American schoolchild, who can be, is taken there. ‘Look at the people in the streets, look, they’re small as ants.’ All around, regular as formes
[ママ] of type at a printer’s, other skyscrapers reach approximately the same height. Fifty feet below, men are laying concrete on a new tower. The 1,000 feet have been achieved and built foot by foot. To the south the recent Trade Towers are higher still ... / Within the history of capitalism, Manhattan is the island reserved for those who are damned because they have hoped excessively.” (John Berger, “Manhattan”(1975), in his The Sense of Sight. New York: Pantheon, 1985, pp. 63-67.) [25:45]

2001年9月16日(日)a
●「にゅうし」かんけいなのでくわしくはかけない(ソウダここはセミ・パブリックなばしょだからだ)そんなさぎょうでほんとうにまる一にちがつぶれた(ほんのすこしまえまで)。それいがいでかくにあたいするのはどうぶつえんにいった母子のアッシーだけで、テロのこともソバのこともシュタルケルのことも×××のことも(笑)かんがえなかった。そうしてあすもまたざつようがさんせきしている。こういうじょうたいのまま「こうき」にとつにゅうするとおもうと「おうと」しそうになる。[24:30]

2001年9月15日(土・祝)d
●じゃっかん二十五さいのチェリストがN響にきゃくえんするようすをBS2でみながらこくはくする――したのcでかいたのはただの「やせがまん」である。シュタルケルはやはりナマでききたかった、たとえしょうしょうおとをはずそうが。[25:40]

2001年9月15日(土・祝)c
9月28日(金)カザルスホールでのシュタルケルのコンサート[えんそうかいとうじつをすぎるとこのリンクはむこうになることでしょう]のチケットがうりきれていた。ざんねんであることはまちがいないがこの19−20両日のN響定期へのきゃくえんのチケットのうりきれがわかっただんかい8月30日(木)bをさんしょう]ですぐに「て」をうたなかったのだからはんぶんはすでにあきらめぎみだったのかもしれない。それにそもそも東京でのこうえんだし? いや、19日(水)には文部科学省へそうだんにいく「こうむ」があって、また30日(日)には東京某所でのさる「たいだん」にひっぱりだされるということで、それらにあわせればりょうほうのコンサートとも「こうつうひ」はうく。いや、こうつうひなどなんということはない。このチェロのきょしょうの、「ろうきょう」といえばきこえはいいがもしかしたらしょうしょうムザンであるのかもしれない「おい」のすがたをみたくなかったのかもしれない。すくなくとも二ねんまえの京都(1999年10月1日、コンサートホール・ムラタ)における練木繁夫氏とのデュオでは(そのすうじつまえのカザルスホールのコンサートをキャンセルさせたゆびのこしょうのえいきょうもかんじさせない)かったつなえんそうをきかせてくれたし(とくにアンコールのバルトークのなんきょく《ルーマニア民族舞曲》はすばらしかった)、つづく岡山(同10月16日)での《ドン・キホーテ》もまたながいプレイヤーじんせいをあゆんできた「たいか」ならではのシブくてかんどうてきなえんそうであったとおもうがことしはすでに七十七さい。アイザック・スターンのもじどおりのムザンをひきあいにだすまでもなくじゅうぶんに「きけんすいいき」にたっしている。というわけでことしはBS2で広上/N響をバックにエルガーをひくこうけいにえんぽうからおもいをはせるのみで(とかいたもののテロのえいきょうもなくちゃんと「らいにち」はできるのだろうか)。[23:56]

2001年9月15日(土・祝)b
●したのaのもんごんのいちぶを(そのままではいかにもしたたらずなので)いかのようにかいていする。――「サヨクのれんちゅうがそのきのうていかをかた(騙)る「こくみんこっか」のわくぐみをふまえ、かつまたかれらサヨクのそうぞうりょくがおよばないかたちでそのわくぐみをいつだつするものなのである。ここではげんしょてきな〈悪〉をそうてい(そうぞう)できない「きょうせい」やグローバリズムの「びじれいく」はまったくのむりょくである」。
●ソバはけっきょく
[さくやのcをさんしょう]本家つる喜」(坂本)におちついた。『サライ』8月24日(金)bをさんしょう]でもしょうかいされていたとろろソバはとろろいもをすったなかにウズラのたまごのきみがおとされているのかとおもいきやふつうのニワトリのだったのでギクリとしたがソバにイモときみがあわさったのうこうさにまけないしたざわり/こしがそなわっているのできわめておいしくたべられた(これがものすごくぜいたくなしょくじであったじだいもあったろう)。ちなみにきょうはこのおひるできぶんをよくしたのとムダなじかんをすごしたかったよくぼうがあいまってケーブル(日本一ながいという)で比叡山のうえまでのぼることとなった。そのしゅうてんのケーブル延暦寺駅はなんどもヴィッツではしった比叡山ドライブウェイのちゅうしゃじょうからもほどちかいので「いなか」によくある「代行業者」があればうえまでクルマをはこんでもらうのだがしかたがないので「こくほう」の根本中堂だけをみておなじケーブルで「げざん」(そういうかんこうきゃくがおおいはずなのにとおくはなれた東塔、西塔、横川地域[おみくじがそこからはじまったといわれる元三太師堂がある]もセットにして「はいかんりょう」をとる延暦寺はしゅうきょうほうじんのかざかみにもおけないあくしつなてらである;いやしゅうきょうほうじんこそそのようなものである)。そのあとは湖西道路(坂本北IC〜真野IC)、途中峠、大原、静原をけいゆしてきたく。てきどなきょり(「ゆき」の比叡山中越えをあわせて六十キロ強)のショート・ドライヴだったというべきである。[17:05]

2001年9月15日(土・祝)a
●「米国の戦争に巻き込まれてはならない」。民主党のさるぎいんがかたったということばだがその「こんてい」になお自民党てきメンタリティをもつ鳩山とうしゅがかろうじて「テロ問題では政府に協力する」とはつげんしているとはいえこの擬似平和主義せいとうはまったくアテにならないことがこんかいはんめいしたというべきである。あるいは「憲法の範囲内で」といっている小泉氏ほか自民党かんぶのけんかいもようちであるというべきで、つまりこのたびのテロにまつわるもんだいはサヨクのれんちゅうがそのきのうていかをかた(騙)る「こくみんこっか」や「けんぽう」のわくぐみさえをこえたものなのである。テロへのぶりょくによるほうふくをきょようしないものがかたるかなしみはこのさいは「ぎぜんてき」である。
●それにしてもさくじつひらかれたあるかいぎのせきじょうでわがどうりょうとみとめねばならないきょういんのひとりがあのテロのぜんじつにワールド・トレード・センターにつっこんだのとおなじ「びん」にのりこんで「なん」をのがれたことをろうろうとかたったのである。かれがそれをじまんばなしとしたのであることはめいはくであるがあるいは「けいじ」のごとくにしてかれをしらべあげればおなじ「びん」であったというしょうげんがウソであったとはんめいするとはおおいにありうるはなしである。きのうはテロをこのめでもくげきしたという宮本亜門をニューヨークのスタジオにまねいてインタヴューするぐれつなばんぐみにであっておもわずスイッチをきったが(じゅぎょうの「きょうざい」としてろくがしてもよかったなといまではおもう;いや、こんごもかれはそれをかたりなおすだろうしおなじようなやからがでてくることもおおいにありうる)「そうさ」や「きゅうじょ」のなんのやくにもたたないものがくちをつぐむこともこうしたさんじ(カタストロフ)にたいする、あるべきたいどであるとかいておきたい。
●マイカルがけっきょく
8月30日(木)aをさんしょう]とうさんした。テロにたいするそれの一パーセントにもそれはみたないとはいえぼくはこの一けんを「かなしむ」。だがこうなってしまったいじょう(どうして一きぎょうが一ちょうえんをこえるふさいをかかえることができるのだ?)あとは北大路ビブレほかの「ゆうりょうてん」のえいぎょうをけいぞくしながらなされるじみちなさいけんどりょくにきたいするしかない。がんばれマイカル。[05:54]

2001年9月14日(金)d
●したのcにあげたしゃしんについてちゅうき。ふといほうはふつうもりでほそいほうはおおもりである。ふといほうもしゅうちゅうこうぎのしょにち(10日)におおもりをちゅうもんしていたがデジカメをみせにもっていくのをわすれたのでさいしゅうび(13日)にほそいのをちゅうもんしたときにむかいのYせんせい(日本彫刻史せんこう)のちゅうもんされたふといのをとらせていただいたのである。――いじょう、はなはだつまらないちゅうきでした。[29:00]

2001年9月14日(金)c
●テロのわだいがおおくてなんだかすこしくらいのでソバのしゃしんでも。愛知県立芸術大学からすこし東にいった、こんど万博がひらかれることになっているこうえんのちかくにある「安江」のじまんはふといのとほそいのとがよういされたソバきりだがふといほうはいかにぼくがそうした「いなかふう」のがすきだとはいえちょっと「すぎる」んじゃないのとおもいたくなるほどで(しかも山形のソバなどとちがってまるまるしていてまるでかためのウドンをたべているようだ)たほうほそいほうがせけんいっぱんのソバのふとさでできればこの二しゅのふとさのちゅうかんぐらいがぼくにはとってもありがたい。で、あじは?――どちらかというと(こむぎのがんゆうりょうがおおい)ほそいほうにぐんばいがあがる。ほとんどソバこでできたふといほうにしっかりとした「こし」があるのはしょうさんにあたいするがソバのあじはその「みょうぎ」だけではきまらないからである。
●そのソバをあす(ひづけはとっくに「きょう」になっているが)はいずこか「ちかば」にでかけてしょくすつもりである。うえの「安江」で県芸のせんせいがたとたべながらはなしているとなんげんもぼくもしらない京都の「めいてん」の名がでてきておどろいたのだがそのアドヴァイスにみちびかれてあたらしいなじみのみせをかいたくするようなよゆうは、しかしあしたはない。「権太呂」(衣笠)か「本家田毎」(新京極三条)か
4月14日(土)aをさんしょう]、せいぜい「本家つる喜」(坂本)9月7日(金)をさんしょう]か「季楽」(亀岡)8月22日(水)をさんしょう]か「永昌庵」(朽木)[みせの名はあがっていないが5月21日(月)aのドライヴのもくてきちである]で。[28:43]

2001年9月14日(金)b
●トルコやインドがほうふくかつどうのきょてんとしてじこくのきちをしようすることをアメリカにきょかした。すばやい、せいとうなはんだんである。小泉氏もようせいされるまえにそれくらいのことをひょうめいするべきでだがもっとも日本がけんぽうのきていにてらしてグズグズとしているあいだにかってにアメリカは(これまでも[たとえばげんに湾岸戦争のおりも]そうであったように)そのきちをそのようにりようしているにちがいないが。
●さてアメリカじしんもまたこんかいのテロへのたいさくとしてはやくも四兆八千億ドルのりんじししゅつをけっていした。そのうちのおおくがほうふくについやされるかのうせいについてはやはりおどろかずにおれないところがあるが(ニューヨークとペンタゴンのふっこうのためにはまたついかししゅつがけっていされるだろう)おもえば阪神大震災のおりにも日本はなぜに(おなじように?/あるいはアメリカとはことなって?)しへいをきゅうきょ「いんさつ」するようなたいおうをとれなかったのであろうか。あるいはざいむしょうのかかるけんげんのことはさておくとしても「とうじしゃ」がていこうしようのない「しぜんさいがい」や「じこ/じけん」(テロをふくむ)のひがいしゃへのえんじょについてはたとえそのきばんせいびのためにぜいきんがなんわりかアップするとしてもいまよりもてあつくへんこうされるひつようがある。「とうじしゃ」になったしゅんかんにあまねくそれにどういするであろうようなけつだんをじぜんにせいびすることこそ「せいじ」のひとつのきのうである。
●――と、よなかにめがさめてテレビをつけたらながれてきたニュースによりながらひとことふたことのみ。[27:35]

2001年9月14日(金)a
●きのうは名古屋からもどるとゆうしょくをたべてすぐにねた(LDKのゆかに)。むこうではしんしんともにいたってかいちょうだったが(ソウダじゅぎょうがとてもたのしかった)イザおわってかえってくるとやはりドッとつかれがでた。というわけできょうもごぜんちゅうはダラダラと(ほんとうであれば15:30からのかいぎもサボりたいところ)。
●VAIO日記のほうにかきなぐったわだいにまつわってせいりがてらに――すでにあんじしてあるとおりぼくにはテロなるものにたいするきょうかんがほんらいそなわっている。それはたとえばにくしんがふとうな「死」にまきこまれたにもかかわらず(そしてその「はんにん」がはっきりとしているにもかかわらず「せいしんしょうがい」もふくめたありうるりゆうのかずかずによってかれに)あるべき「ほう」のさばきがくだらないのであれば(みずからじかくてきにせいしんにはたんをきたしめてでも)テロリズムのしゅほうをとることがおおいにありうるだろう、といったしゅるいのものでそのいみではそれはこのたびのアメリカせいふ/こくみんの「ほうふく」のいしひょうめいこそへのきょうかんでもあるのだがならばしかしこのたびのテロのしゅぼうしゃたちにそのような「せいとうな」りゆうがないともかぎらない。もちろんこれはげんり・げんそくをかたっているのであってしりうるはんいないでこのたびのテロリストたちにきょうかんをよせるこんきょをぼくはまったくゆうしていないがいずれにしてもすべてのテロにけんおをひょうめいするナイーヴなせいしんをはぼくはもたないということだ。ついでにいえばこのたびのほうふくは「アメリカ」の名においてなされるのではなくいかり/かなしみをきょうゆうする、しかも国際連合にぞくする「せんしんかっこく」の名においてなされ、そしてそこに日本もさんかするべきである。なぜといってもしもこのくにで(「きぼ」はさておき)どうようのこくさいテロがおこったばあいにもたんどくではいかなるほうふくのしゅだんももたないのだからである。[11:20]

2001年9月10日(月)から13日(木)の間はお休みしました。

2001年9月9日(日)b
●にっきのひづけがめちゃくちゃである――すでになおしたがまずはしたのaのがぜんじつのひづけになっていた。LaVie日記の9月7日(金)laのばあいは20日(金)となっていた(した[9月7日(金)をさんしょう]でもふれているのでここにもていせいのほうこくを)。こんごしんちょうをきしたいとおもいます。
●ついでなのでかくと母子はきょう四条河原町まで宮崎アニメのしんさくをみにいくそうだ。しゅうちゅうこうぎのじゅんびでこれからへやじゅうがこんらんするよていなのでありがたい。とっとといってほしい。[08:30]

2001年9月9日(日)a
●きのうはいかのぶんしょうを23:00すぎにかいたもののアップしわすれてねてしまいました。こんやのものからはまたVAIO日記で(とはいえじっさいにもっていくのはBibloですが)――。
●たいふうのせっきんがウソのような「なつび」。だがそれはちゃくじつにせっきんしつつありまさに月ようびあたりに近畿から東海ちほうにかけてじょうりくするかのうせいがあるのだという。ますますもってわが名古屋へのたびをちょくげきせんとしているようにおもわれる。ヨシそちらがそのつもりならこちらも(といってもなにもうつてがない)。
●その名古屋でのしゅうちゅうこうぎのじゅんびはほとんどてつかずである。せんもんとするせいようきんだいびじゅつのとくしゅこうぎだからめをつぶってもでもできる――なんてウソでも(ウソにきまっている)いってはいけない。[06:50]

2001年9月8日(土)はお休みしました。

2001年9月7日(金)
●たいふうが二つもきている。ひるまもLaVie日記のほうにかいたのだが日ようびから名古屋(愛知県立芸術大学でのしゅうちゅうこうぎ)にいくのにしゅうあけまでてんきがあれもようということですでにきがおもい。ルートについていもいっそ名神はつかわずにR1をずっととおっていこうかとさえおもっている。それくらいおおあめのこうそくどうろはいやだ。だがしんかんせんでいこうというきもさらさらない(笑)。
●この「たび」のことをわすれてきのうはTSUTAYA西院店でビデオを二ほんもかりてしまった。『フェリーニの81/2』(よこがきのワープロじゃあちゃんとひょうきができない)とパゾリーニほかの『ロゴパグ』。へんきゃくきげんの13日(木)はこうぎのさいしゅうびで京都にもどったそのあしでへんきゃくできないこともないがそれならばあしたへんきゃくするのもおなじである。ということでさっきから二ほんをmpeg1データとしてPCにとりこんだ。えいがとの、ゆがんだかんけいというべきである。
●きのうのことをもう一てん――ソバをたべにとおで。といってもおうふく五十キロあまりの坂本(滋賀県、比叡山麓)へのドライヴで、ただしもくてきちはせんじつの
「本家つる喜」[8月24日(金)bをさんしょう]ではなくそのならびにみせをかまえる「Hそば」。いまここでただしいなまえをあげることをひかえるのは「つる喜」にくらべるといかにもおきゃくのすくないそこ(「みせがまえ」はそんなにちがわぬりっぱなものだ)のそのすくなさのりゆうがはっきりとあじの「さ」にあらわれているとだんげんせざるをえないから。にほんぜんこくのどこのえきまえでもたべられるありきたりのソバのためにおうふく二じかんをかけるランチタイムはむなしい。
●その湖西とのおうふくのみちのりでBGMにえらんだのは小澤/SKOのマラ9[8月31日(金)をさんしょう]。はじめにことわっておくならクルマのなかでpppのおとなどまったくきこえはしない。だがフォルテのがっそうぶぶんではこのバカテクしゅうだんのちから(うまさでいえばせかいのトップクラスだ)はじゅうにぶんにりかいされる。ただこの二まいぐみCD、一まいめに「はくしゅ」と(四がくしょうあるうちの)ぼうとうのがくしょうだけがおさまっているのだがわがヴィッツはCDを一まいえんそうしおわるともういちどぼうとうからさいせいするようになっていて(ちがうモードもえらべるのだろうが)なので第一がくしょうのあとにはくしゅがはいってナントこれだけでしんそこおどろかされた(一つのがくしょうだけできょくのりそうてきなぜんたいをおもいえがきうるなんてもちろんいわないがただちょうしゅのしゅうかんとはおそろしいものだとはおもわされた)。きょねんはつばいされたマラ2(「復活」)のばあいとどうよう八十ぷんをほんのすこしこえるために二まいぐみになったてんがすこしおしまれる(いわゆる「めいばん」のなかに一まいにおさまったものもいくつかあるしブーレーズだったらむりをしてでも[笑]七十ぷんだいにおさめたはずだ)。それと柴田龍一というさいていのおんがくひょうろんか(というかネぶんしょうがたんにめちゃくちゃヘタなの)をライターにつかっているてんも。[24:22]

2001年9月6日(木)はお休みしました。

2001年9月5日(水)b
●したのaのひづけとようびがちがっていた(もうなおした)。どこかボーッとしている。
●7月末にしゅうちゅうこうぎでおとずれた東北芸工大のさいてんけっかほうこくのしめきりのことをすっかりわすれていた。しめきりはあさっての7日(金)。さくねんまではおぼんあけだったがことしからネットによるにゅうりょくがきほんとなったのでおそくなった(しかしトクしたきぶんにはなれない)。二百数十にんのとうあんのおおくはさいてんずみだが「もんだい」のあるとうあん三十まいほどがのこっている。このひょうかにケリをつけてぜんぶにゅうりょくする――ギリギリといったところである。[22:47]

2001年9月5日(水)a
●ねつくのはおそかったが(とはいえそのthresholdがいしきされたわけではない)あさはちゃんとおきて9:00にはいろんなぶしょへのきざいへんきゃくをかいしした[ちょっかのcをさんしょう]。それは一じかんほどですんでそのあとレイアウトのしごと[同]も小一じかんほどでかたづけた(こういうのをやらせるとじむスタッフ四、五にんぶんのさぎょうのうりょくがある)。そのままいたらまだしごとがはっせいしかねないのでそれでごぜんのしごとはきりあげ。
●そのご、きのすすまないメールを一つう。そうしんボタンをおしてからきをとりなおしてランチは「伝七」(寿司、白梅町)へ。ランチの「竹」セットは「か」もなく「ふか」もなく(「いたさん」のひとりがなじみのきゃくに「ウチは『あかじ』でこのランチをだしている」とじまんしていたが東京にすんでいたとき十五ふんでいけた「福助」[寿司、銀座]のどうようのランチとはくらべものにならない)。「生中(ナマチュウ)」をいっぱいのんですこしアカらがおになって西大路どおりをはさんでむかいのJEUGIA白梅町店へ。DVDのコーナーでは『タイタニック』
[8月31日(金)から9月2日(日)にかけてのいくつかのアップぶんをさんしょう]をかおうかどうかすごくまよったが(笑)ふみとどまった。ふみとどまることができたのは『パピヨン』[8月22日の「第2室」へのとうこう「レンタルを!」をさんしょう]をみつけたから。このさくひんのなかのダスティン・ホフマンのえんぎはほんとうにすばらしい。だがなにをえんじてもいつもおなじ(ということはえんぎがへたな)マックイーンはもっとかっこいい。そう、このえいがはぼくのベスト2だ。おきにいりすぎてかんたんにさいせいすることはためらわれるだろう。そのかわりにこんやはこのあいだまさにきょうこのひのためにかりた二ほんのえいが[8月31日(金)をさんしょう]をみる(ダビング/コピーする)つもり。ちなみにきょうはCDも一まいこうにゅう。シュワルツコップがうたうモーツァルトの「かきょくしゅう」(ピアノはギーゼキング)。いつきくことになるやら。でもジャケットのシュワルツコップとめがあったから。きょうはこういうひだ。
●はなしがぜんごするがJEUGIAをでてからさっきわたったおうだんほどうをぎゃっこうして「ケンタッキーフライドチキン」(白梅町店;くどい[笑])へ。「むのうやく」のホップをつかったいやなビール(ぼくはのうやくをたっぷりつかったむぎ[=イエスの「どくむぎ」(笑)?]でできた「ふけんこう」なビールがすきだ)とポテト(小)とコールスローをちゅうもん。「きょうはチキンはけっこうですか?」って、たのみたかったらさきにいうってとすこしムッとしてちゃくせき。かったばかりのDVD/CDのふうをきる。こういうパッケージもののこうにゅうにまつわるよろこびのしゅんかんだがそれにしてもDVDソフトにおけるライナー(とよんでおけばいいかな)のふしんせつはどうしたことだろう。DVDはがぞうをみればいいということか(メニューがめんでさまざまなじょうほうをえることもできるし)? きょうのはまだマシ(きほんてきなデータがあがっていた)だがパッケージものにはほねのある「よみもの」がひつようだとかいておきたい。
●ところでこれをパチパチうつかたわらのTVで『総理と呼ばないで』のさいほうそうぶんがながれている。これはすばらしいシリーズであったとあらためておもう。山形の芸工大のさいごのとし(1997年)のとあるこうぎではこのシリーズのぶんせき(とくに「てんさい」三谷幸喜のこうせいりょくと服部某のポストモダン・ミュージックの)をいくつかふくめてじゅぎょうをしんこうしたがこれがDVD化されるなら立命でもそれをヴァージョンアップしててんかいするかちがある。
●まっぴるまからビールを二かんぶんほどもあけてじゅうぶんあかいかおをしているのにひるねのけいかくをじっこうにうつさずにこうやってにっきをかいている。すこしおかしいといわねばならない(きょうのぶんしょうにみだれはないであろうか)。[16:13]

2001年9月4日(火)c
●ねむれないのでネットでニュースをみてそのあとじぶんのにっきをひさしぶりにブラウザしてみたらそのいちばんちょっきんのヤツに「つうじない」ぶんしょうがみつかった。なのでなおした(したのはもうなおったあとだ)。いや、ほんとうはさくじょしようかとおもったのだがまちがいのふくまれたぶんしょうをよんだどくしゃがあるかもしれないのでよっていてもそれくらいのミスにはきづくのだということをしめそうとおもった(つまらないいよくだ)。ちなみにそのしたのabにあったようなミスはみあたらない。よっていてもぶんしょうりょくにちがいはないというあかしである(ミスにきづかないのがよっているしょうこかもしれない)。
●あすのよていをすこし。あさ一できょうのシンポのためにかりだしてきたきざいのへんきゃく。そのあとべつのれんぞくこうえんかいのチラシ(そのうらめん)のレイアウトあんのさくせい(こうしてていあんすると「いっそそれをつかわせてくれませんか」というつごうのいい[それこそ]「つかわれかた」をする)。おひるはおいしいランチでも。ビールをひるからあおってひさしぶりに、ほんとうにひさしぶりにひるねをする。たまっているしごとはひるねからさめてから。[25:19]

2001年9月4日(火)b
●もうねようかとおもったのですがやはりこんやのうちにけいしゅつしておこうとおもいます(あしたになったらしないでしょうから)。こんやのうちあげの一コマです。(もんだい:このにっきのちょしゃはこのなかのだれ[どれ]でしょう?)[24:20;25:10修正]

2001年9月4日(火)a
●「フランス人は一人一人違っている。しかし、世界の俳優という俳優は、パリでも、プラハでも、もっとも場末の劇場でさえ、お互い似ている。俳優とは子供のときから名前のない観衆に、生涯を通じて自らを見せることに同意している人である。この基本的な同意は、才能とは関係もなく、才能よりも深いものなので、それなしでは俳優として立つことはできない。同様に医者も全人生を通じ、細かい所まで徹底的に人間の身体をこねまわすことに同意している者である。この基本的同意(けっして才能とか器用さではない)が一年目に解剖室に入り、六年目には医者になることを可能にさせる」。きのうきょうとかいさいされたさるこくさいシンポジウムでぼくはこのクンデラ(『存在の…』)のただしさをあらためてみとめた。つまりせかいかくちからやってきたけんきゅうしゃたちはわが「場末の」だいがくにおいて「お互い似てい」た(もちろんおおいにちがってもいたがそれは「才能」のじげんのもんだいである)。ところでそうであるならばぼくはそのなかにふくまれるのだろうか。こんかいはかんぜんなるうらかたとしてうごきまわったからこのprofessionにかんするといにこたえることはかいひできそうだがちょうきてきには(とはいえなんどもかいているとおりここ十ねんのうちにであらねばならないが)けつろんをださねばならないもんだいではある。
●だがここまでかいてフトあの小泉ジュニアのことがおもいだされるのである。こんやのニュースではかれのCMデビューのことが「しょうかい」(「ほうどう」というべきではない)されていてそこでかれはそのしょうひん(ビール)がうりだされたらそのときにちちおやといっしょにそれをのみたいといっていた。「いっていた」からといって「Must We Mean What We Say?」
[8月29日(水)aをさんしょう]という「はんしょう」がありうることはもちろんしょうちしているがこのたびのは「子供のときから名前のない観衆に、生涯を通じて自らを見せることに」ひとしれず「同意してい」た、そのむいしきがここにきていっきにはつろした「しょうれい」といいたいところがある。だがまたこんやのぼくはもっとはっきりとかいておきたいとおもう――かれのはつげんもこのジュニアをぜっさんしている和田アキコのはしゃぎぶりもおなじていどにはずかしい。「『じょゆうさん』になるのがもうひとつのゆめだったので」とのセリフをはいてげいのうかいいりした元すいえいせんしゅ(銀メダリスト)のかんちがいよりはましであるにしても。
●ぶんしょうがみだれているかもしれませんがこんやもまたつかれているのですいこうしないでしつれいします。[23:55]

2001年9月3日(月)
●きのうのようびがまちがっていました(もうなおしました)。きょうはとぉってもつかれているのでこのけんだけでしつれいします。[21:55]

2001年9月2日(日)c
●ひとりでマージャンにいそしむもの(りろんてきにはオトコでなくてもいいはずだ)とじょしこうせい(すがたのオンナ)をヒザにのせるオトコ/そのオトコのひざにのるオンナがいたときにぼくはけっしてこうしゃをけいべつすることはしない。そのつもりだ。だが「みうち」がそのくべつが「そと」につたわらないかたちで「死」んだら(というよりもワタシほんにんがその「死」ぬとうにんであるとしたら)そのくべつをあきらかにすることをのぞむ/あるいはのぞまない、だろうか?――なんてかんがえることをけいべつするアナタがそこにいるならワタシはそのアナタをけいべつするとしよう。にんげんにはこんなじょうきょうで「死」にたくないというばしょ、すがた、じょうきょうがあるからである。
[削除しました。][25:30]

2001年9月2日(日)b
●かなしむこととかなしみについてかたる(しかもかなしかったよるがあけてから)ことはちがう。こんなことをかくのはかなしいはなしもえほんなどをよんでしっていてとっくのむかしにそういうかんじょうが子のなかにめばえているとのたまう(ワケのわかっていない)にんげんがおなじやねのしたにすんでいるからである。ちなみにオトナになってからワタシハカナシイなんてやすやすとくちにするにんげんにろくなやつはいない、これはたしかである。
●あした(ついにやってきたというかんじである;はやくすぎさってほしいともおもう)のためにはやくねようとおもうのにめがさめてしまうのであさのつづきをかいたのである。だがてんきよほうによるとあめでしかもときどきつよくふるみたいだ。ああワタシハカナシイ。[24:48]

2001年9月2日(日)a
●けさのかいわ――「なあなあ、なんできのうのばんあんなに『おおなき』したんや? そんなこわかったんか?」(ネエキミ、キノウノヨルハドウシテアンナニハゲシクナイタンダイ? ソンナニコワカッタノカイ?)。「ちゃうわアホ、かなしかったんや!」(バカナコトヲイッテハイケマセン、タダカナシカッタダケデス)。なるほどカナシカッタということばがじぶんのいがいの「み」にふりかかったことにまつわって(つまりおもちゃをとられたからとかのりゆうでなく)キミのくちからはかれるのはあたらしいてんかいといっていいがそれはただのカナシミなのではなくオソレなのでもある。なににたいする? だからかいているでしょ「死」にたいするそれであると。[09:00]

2001年9月1日(土)c
●もうひとつオプション[したのbをさんしょう]をつけくわえよう――すなわち「しょけい」。イエスの「死」がなぜこころをうつかというとそれはそのおしえのゆえではなくそのじゅうじかのうえのひごうの「死」のゆえである(だからせいようしゃかいのじゅうじかしんこうはおおいにただしい)。あるいはジャンヌ・ダルク(かぞえられないくらいえいがかされえている)。そしてまた「裁かるるジャンヌ」をみるナナ[7月12日(木)aをさんしょう]のあのラストの「死」もまた「しょけい」でなくてなんであろう。それはどこまでも「すくい」がないことがぎゃくにみるものの「すくい」となることのひとつのじつれいである。
●なぜ『タイタニック』のこうはんがつまらないか
[こんやのaをさんしょう]についてひとことだけかいておこう。ふねがしずんでからのあのしずかなうみにそうなんしゃ(=dying men;「死」につつあるひとびと)がみっしゅうしているびょうしゃのやすっぽさがまずい。『フェリーニのアマルコルド』(これはTSUTAYAではビデオもDVDもみないけどでてないのかな)のあのうみのシーンのようにてっていてきに(三島のかぶきのように)じんこうてきであればまだしも「きげき」としてはみるにあたいしたかもしれないが(じょうだんだ:だがじっさい「死」をきげきてきにえがくことはむずかしい)あれはほとんどノリのようしょくぎょうしゃがそだちぐあいをみにふねをだしているようなこうけいにほかならなかった。ちのみ児をてばなさずにいのちたえてうかんでいるおんなのびょうしゃも(コレばかりがえいがにとってひつようというわけではとうぜんナイのだが)「しんじつみ」にかける(ふみころされた子とともにいのちたえる『戦艦ポチョムキン』のあの母のすがたとはにてひなるものであるといわねばならない)。えいがかんのだいがめんでみたらはくりょくがある? そうとはおもえない。[25:10;翌朝一部追記]

2001年9月1日(土)b
●じつはすでになんども(ここやけいじばんなどで)かいているとおり[きょうはそのかしょをしらべてここにしょうかいするじかんてきよゆうがない]「死」をどのようにめいせきにみつめるかがわが「生」のひとつのかだいでありそのひとつのかいとうが「自死」であるといわざるをえないのであってみれば(タイタニックをおそったような)「なんぱ」や「ついらく」そして(まさにきのうのいまごろ新宿で四十余にんのひとびとをおそったような)「かさい」のアクシデント/カタストロフへの「とうじしゃ」としてのかんよがオプショナルなかいとうとしてあることはひていできない。ドアをあけたときのばくふうでいっしゅんにしてふきとばされてしまったらつまりそれはほとんどギロチンのようなもので「死」のじかくもなにもあったものではないだろうが「たいろ」をたたれたなかでこくえんにおわれるときにひとはタイタニックのなかでジャックたちがそうしたであろうように「生/死」のさかいめ(threshold)について、ぼくがいまこののんきなばしょでむそうしているのとはちがったリアルさをもってかんがえるのである。「かんがえる」?――そう、これはおさないころからやがてくるそのひのことをおそれ/(ぎゃくせつてきに)あこがれてきたものにゆるされる/かされる「しこう(思考)」である。
●なんてかくと(しかもいちどや二どではないからね)よっぽど「死」にとらわれたヘンジンのようにおもわれるかもしれないが(たいめんしたことのあるひとはじゅうぶんりかいしていだろうとおり)このにっきのちょしゃはだからこそ「生」(そして「性」)についてもしつようなのだからね――と、ささやかなほそくをおこなっておきたい。[24:21]

2001年9月1日(土)a
●『タイタニック』のこうはんのてんかいはしょうしょうふまんだった。だがほうそうちゅうにおもいがけないことがおこった。きょうりゅうモノでもへいきになった子が10:25、まさにタイタニックのせんしゅのぶぶんがしずむそのしゅんかんにごうきゅうしだしたのである(あしたは日ようびだからとくべつのよふかしである)。どうやらかれはさいごにはウルトラマンがたすけにくるとおもっていたのかもしれぬ。いや、こんやかれのうちにおこったのは「死」へのいしきである。というのもいちどおさまったなみだがジャック(ディカプリオ)がうみのなかにふかくしずんでいくそのしゅんかんにまたおおきくあふれだしたのだからだ。そのごもかれは「なきっぱなし」である(いまはフロのなかでおおごえで「みたくなかった」となきじゃくっている)。へんないいかただがたとえばこれでいま父がきゅうにい(逝)ってしまったとしてもかれは(死なるものをほんのちょっとのあいだのおわかれではないものとほんしつてきにりかいして)なみだをながすことができるだろう。[22:55]