2001年10月31日(水)はお休みしました。
2001年10月30日(火)
●よるになってますますかぜがあっか[きょうのLaVie日記をさんしょう]。というわけでゆうしょくのときのアルコールがさめたころにPL(かぜぐすり)をのんだがこんどはそのくすりのこうりょくがさめたころだろうとかってにきめこんで(じっさいはそんなはずはないが)すこしまえにまたビールをあけてしまった。カラダにいいわけがないが(クセになってしまうとそうとうにあぶない)こんなひでもすんなりねつけそうにないのだからしかたがない。
●――とかきながら(まったくぶんみゃくはかんけいないが)あることをおもいだした。あすは山形からけんしゅうりょこうで京都をおとずれている元どうりょうのN氏(そしてかれがいんそつしてくるがくせいすうめい)と河原町あたりでのむことになっていたのだった。すこしでもたいちょうがよくなってくれればいいが。[24:50]
2001年10月29日(月)
●一しゅうかんのしょにちなのにしょくじのあと「かみん」をとらないともたないじょうたい。ひるまはたしかに大学院課に「ゆうへい」じょうたいだったとはいえしごと(こんやは「ざつむ」とよんでおきたい)にさしたるしんちょくもなくただもうたいはいてきなきぶんである(ちなみにすいみんぶそくじたいはわが「すいみんしょうがい」[10月27日(土)c]がしゅたるげんいんではある)。こうしたきぶんはごごにかいぎが四つもつづくあすもおなじだろうが(こんやもこれからそのかんけいのぶんしょさくせいにとりかからねばならない)そうなってくるときほんてきにはキライであるはずのじゅぎょうが「たのし」[9月28日(金)をさんしょう]くなってくるという「ぎゃくてんげんしょう」(ほかにいいことばがみあたらないので)がおこってくる。あす(二げんめの「現代造形文化論II」)はしかもデュシャンがテーマなのでしゅくしゅくと「ていばん」のないようをかたるなかにあたらしいこうさつをじゃっかんくわえて。(じぶんでろくおんしておこう[笑]。)[26:13]
2001年10月28日(日)
●おとといあたりからすこしかぜぎみだった子のたいちょうがすぐれなかったので新ソバをもとめてのとおではやめにしてちかく(太秦教習所となり)の「フォルックス」でえいようをつけた。狂牛病さわぎですいているかとよそうしていたがてんないはけっこうこんざつしていた。ごきんじょの「しまだ」(ステーキ)もせんじつランチをたべたさいにきいたところではすこしはえいきょうはあるがじょうれんのあしはとおのいていないとのこと。
●そのゆうしょくのまえに「フォルックス」のとなりの「アシーネ」(しょせき&CD)にはいってふとせんじつも「第2室」でふれた『FM-FAN』誌[10月21日(日)付「ロックのことはわからない」]をてにとるとわがシュタルケルの(せんげつのらいにちじになされた)インタヴューがのっていてらいねん(2002年)にはえんそうかつどうのだいいっせんからしりぞく(いんたいする)と。「ねがわくばまた二ねんご(神原は二ねんごとにシュタルケルをしょうへいしている)の2003年の十五どめ、七十九さいでのらいにちのあらんことを」[9月26日(水)aをさんしょう]とかいたわがゆめははやくもやぶれた/いまからおもうと二ねんまえ(1999年)の京都コンサートホール(練木繁夫氏とのデュオ)と岡山シンフォニーホール(N響へのきゃくえん)がさいごのシュタルケルたいけんのばしょであった、ということである。これにまつわってはつとめてれいせいに(しじょうをおしころして?)「たんぶん」をかきたいとおもうが(まだこうかいそちをとっていないあたらしいにっき[10月27日(土)aをさんしょう]はそういうこころみである)こんやはMP3さいせいせんようきとなったVAIOでしみじみとシュタルケルのひくベートーベンでも。[24:06;翌朝一部字句修正]
2001年10月27日(土)c
●どうやらほんとうに「すいみんしょうがい」(「ふみんしょう」とどうちがうのだろう)らしいのである。ねむるときはそりゃ三じかんくらいつづけてねむることもあるがねむりはあさいしいまなどはねむたいのでねむれないでまたこうやってにっきなどをかいている。ちなみにいまこれをかこうとおもいたっているのは「故郷を離れて」[したのaをさんしょう]がクレメラータ・バルティカではなくサイモン・ラトルをあつかったドキュメンタリィ(シリーズものの六かいめ)であったことのほうこくのため。そういえばこういうシリーズがあるらしいことをなにかのじょうほうしでよんだな(ちゃんとチェックしないにんげんなので;ただしクレーメル/クレメラータ・バルティカにはたしかに同名のアルバムがあったはずだからね)。さいしょからとっておけばかなりゆうえきな(じゅぎょうしんこうのための)そざいとなったのにざんねんである。[27:22]
2001年10月27日(土)b
●やくどうかんのとぼしいベートーベンの第七こうきょうきょく。これもひとつのびがくであるかもしれないがN響のプレーヤーたちによゆうをもって/くいいるように「ぼう」をみることなくえんそうさせてはいけないのではないかしらん(>サヴァリッシュ翁)。ただしそのまえのシューマンP協は園田「高弘」翁(やっぱりあいちゃくがわいてしまうね[笑])のねんれい(とうぜん七十だい)をかんじさせないえんそうがすばらしかった。四どめのカーテンコールがおわってかいじょうのはくしゅがよわまったときにぶたいじょうのプレーヤーたちがほとんどみぶりでそのけいぞくをようきゅうしているようですらあったのはおおいにりかいできたがそういえばせんじつほうそうされたおなじN響のコンサート「2001夏」でもドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》のすばらしいえんそうにたいしてカーテンコールがなかったっけ。いかにさいしょのプログラムである(しかもきょくもじみではある)とはいえぼうとうのソロをふくフルーティストをたたえるれいぎもしらないかんきゃくにはアゼンとせざるをえない。――と、こんやはずいぶんほしゅてきなないようのかきこみだ。
●よていではこのまま「故郷を離れて」もみてしまうはずだったのだがもちこたえられそうにない。くりかえすがサヴァリッシュ翁のせいである。[26:17;27:30一部字句修正]
2001年10月27日(土)a
●かくべきことがないので(笑)「まだしも」と、あんまりやくにたたないBS2じょうほうを。24:45からのN響(しゅうりょうじかんが「みてい」とある)はどうせ(といってはわるいが「みため」がつまらない)サヴァリッシュだろうがそのあとのプログラムは「故郷を離れて」とある。もしかしたらクレーメルがひきいるクレメラータ・バルティカにかんするえいぞうであるかもしれない。となると三ばいモードで(つまらないサヴァリッシュからつづけて)とらねばならない。しかたがない。
●つとめて「みない」ことにしているそのとなりのWOWOWのらんについ「め」がいってしまったのだがほぼおなじじかんたいに「娼婦ベロニカ」のもじがある。WOWOWをけいやくしていなくてよかった(どっちかまよっただろうから)。
●ついでにかいておこうかな。まだこうかいしていないがあたらしいけいしきのにっき[VAIO日記のさいしゅうかい=10月23日(火)vaをさんしょう]をすうじつまえから「かどう」させている。だがまだじぞくできるかどうかじしんがない(といったかんじのこころみ)。もうしばらくつづいたらこのページの上フレームからリンクをはるよてい。
●あす。母子がそろっておいしい新ソバをたべさせろと「がっしょう」している(子はすでにソバずきである)。てんきがわるそうだしそうやってようきゅうされるとやるきがうせてしまうのだがさいきん「…らしい」サーヴィスをしていないのでしかたないかと。[22:10]
2001年10月26日(金)はお休みしました。
2001年10月25日(木)c
●近鉄がまけた。きょうりょくだせんをうりものにするチームはえてしてモロいものだがこんなにもかんたんにやられてしまうとはね。いずれにしてもおさけがいっきにマズくなった。
●[削除しました。][23:48;翌朝削除措置]
2001年10月25日(木)b
●まずはあまりにはらだたしいのでにっきでもふれなかった一けんにまつわって――けんきゅうしつでしようすることにかくていしたBibloのMF7/700[LaVie日記の10月16日(火)laをさんしょう]がじつはふざけたマシンでメモリを128MBから256MBにアップできるのはいいがスロットがひとつしかない(「ぞうせつ」ようのスロットがない)のでさいしょからついている128MBのをムダにして256MBのこうかなものをこうにゅうしなければならなかった(くやしいけれどそのさぎょうをなつにすませた)。そのあまったメモリをこのFIVAにとうさいしてみた(ほんたいのおもさははんぶんちかいのにこっちはスロットがちゃんと二つある)。するとみてのとおりちゃんとうごいている(コンパネでかくにんしてもちゃんとアップしている)。しかもはやさのちがいがたいかんできるほどサクサクと。IO-DATAとかのカタログをみるとメモリの「たいおうひょう」がいちいちきしゅごとにかかれているのにこんなおもいつきがうまくいっていいのだろうか。いずれにしてもトクしたきぶんだ。128MBのメモリなんて五千えんほどだがメーカーのサポートで「じゅんせいひん」をつけたら三万えんほどもかかるとおもうとますますよろこびがます。(いやMF7/700のしゅっぴがあるから「そうさい」されるやないかって? よけいなことをいわんでよろしい。)
●そんなこともあって(それになによりさくやガマンしたこともあって)こんやはビールがいちだんとおいしい。ついでながらじゅぎょうでのあたらしいこころみ[きのうのaをさんしょう]も(もちろんじこまんぞくのぶぶんもおおいことをじかくしたうえで)せいこうしたといいたいしごごのゼミせいのはっぴょうでダイジェストでみたえいが「カリガリ博士」もけっこうたのしめた(もう一かい「とおし」でみよう)。ビールはすでに二かんあけたがあと二かんぐらいはおおめにみよう。[20:52]
2001年10月25日(木)a
●アルコールはがまんできたぞ[さくやのaをさんしょう;きょうはそれを「かいきん」したよろこびをアップしなければならないからこれもかくじつにaだ]。というわけで二げんめのじゅぎょう(のじゅんび)にさしさわりがでないように一げんめのけんこうしんだんはこれから一ばんのりで。[08:30]
2001年10月24日(水)b
●こんやもあすのじゅぎょう(「表象批判II」)のためのえいぞうのへんしゅうがおわらない。もうなんねんにもわたっていくつものがっこうでとりあげている「ていばん」五嶋みどりのヴィルチュオーゾがだいざいで(というのもこのえいぞうをみるとほんとうにみなアッとおどろくのだからである)そのためにへんしゅうしたテープもあるのだがPCからしゅつりょくするためのデータ化にあたってれいによってあらたにへんしゅうをおこなうのにいじょうにじかんがかかるのである。しかもあすは「おと」もじゅうししたいのでいくつかのばめんはマスターテープからそのままさいせいする(このちょうせいでまたじかんがかかる)。しんどいなぁとおもうけれどもこんなふうにすきなことをはなしてきゅうりょうがもらえるのだからしあわせといわねばならない?
●ちなみにあすはごごのゼミではIさん(西洋史専攻)による「カリガリ博士」にまつわるはっぴょう。さいわいDVDがみつかったので[10月20日(土)bをさんしょう]それをかのじょにかしてじょうえいようのタイムテーブルをつくってもらってこれもさっきPower
DVDでブックマークをつけた(これをつけるとメーカーによるチャプターわけとちがったばしょにジャンプできる)。ぶきみなえいがだがこのはっぴょうはじゅんすいにちょうしゅうとしてたのしませてもらうつもり。やっぱりしあわせといわねばならない。[26:42]
2001年10月24日(水)a
●えんそくはとてもキツかったようだ。ゆうしょくをたべたらとっとと二かいでねてしまった。子だけでなく母も。(そんなわけでにっきもはやばやと?)
●しょうしんしょうめいA5サイズのあたらしいノート・パソコンはまだまだミスタッチはおおいけれどはやくもだいぶなれてきた(とくにさいしょはおもったばしょにそれをはこぶのにくろうしたスティックしきのポインタが)。いまもデスクトップPCが「惑星ソラリス」[10月20日(土)bをさんしょう]のコピーのためにふさがっているのでじゅぎょうでもちいるパワーポイントぶんしょもこれでさくせいしている――せんしゅう「しゅっせきちょうさ」(はんきのうちに一、二どおこなう)がわりにおこなった「バーンスタインかカラヤンか」のとい(りょうほうのえいぞうしりょうをつかったじゅぎょうを二しゅうにわたっておこなったあとの)へのかいとうをなんてんかえらんで「恋のから騒ぎ」におけるモニターのひょうじのごとくかこうしているさいちゅう。してみればきょうだんにたつきょうしは「さんま」ちゃんか? それもまたよしとかいておきたい。
●あすはあさはやくに「ていきけんこうしんだん」。というわけでこれまでのにがいけいけんをふまえて[「さいけつ」にまつわるじけんについては2000年7月26日(水)をさんしょう]アルコールをひかえる。つもり。しょうみきげんがきのうできれたギョウザがれいぞうこのなかにあるのにたえられるかな。[21:00]
2001年10月23日(火)b
●あすのえんそく[さくじつぶんをさんしょう]のしゅうごうじかんが8:00といつもよりずいぶんはやいのと、それよりもそのこうてい(嵐山のおくの愛宕山)がきわめてハードだというので母子は21:00にはしんしつにむかった。いつもより一じかんはんもはやくてぎゅくにこっちのちょうしがくるう。というかそもそも三じかんほど「かみん」をとったあとねむらずにきょう一にちをすごしたためにぐったりしている。なのにねむれない。やはり「すいみんしょうがい」[きょうのアップぶんでそのやくわりをおえたVAIO日記の10月13日(土)vaをさんしょう]なのかもしれない。[23:46]
2001年10月23日(火)a
●じゅぎょうのじゅんびとしょうしてたったいま「タイタニック」(195min.)をさいしょからさいごまでみ(なおし)てしまったきょうしはどこのどいつだ(笑)? だがこのあいだ二夜にわけてほうそうされた「日本特別編集版」(あれはナレーションがひどかった)[8月31日(金)、9月1日(土)のaおよびbをさんしょう]よりはるかにこんやのほうがたのしめた。たのしめたし、なけもした(すうかしょで)。れいの「ワタシそらをとんでるわ」のばめんではじぶんもとんでるようにさっかくした(笑)。えいがをみるさいのうにやっぱりかける? いいさぼくはえいがひょうろんかではない。ただのアマチュアだ。
●いまからねるのかな(たにんごとのように)。いやそもそもねむれるのかな(じぶんがいちばんわかっている)。だがいずれにしてもせめてあさ(まだくらいからよるだ)までにアルコールがさめますように。[05:15]
2001年10月22日(月)
●ごぜん。よていどおりPHSカード(AirH”用)[ちょっかのbをさんしょう]をこうにゅう・けいやく。(パケットつうしんとはいえ)32kはさすがにおそいが(笑)いくらせつぞくしてもいっていりょうきんというのはこころがやすらぐのでもういまはこのにっきのアップもこれまでつかっていたでんわかいせんによっていない。ということは――にっきの「かいかく」[同上]がいそがれる。かくてまずあす(じゃなくていまでもいいのだがこころのじゅんびができていない[笑])さいごのVAIO日記を。
●ごご。AOにゅうしのさいてんなどもろもろのざつよう。月ようびは「けんきゅうび」(としょうしてじゆうになるひ)のはずだがさいきんちゃんとまもられたためしがない。このシステムとげんじつについてはいぜんもおなじようにふれたことがある(グチったことがある)が [2001年6月10日(日)をさんしょう] …そのひのにっきをよみかえしておもいだした。けさもおなじように「ごもくとうばん」[同上]がまわってきていたのだった。かんそうその(1)、ゴミかいしゅうしゃがさるまで「つとめにん」をあしどめにするこういうシステムはなんとかならないのかね。かんそうその(2)、にっきもこうやってよみかえす「いぎ」(?)があるからおおはばな「かいかく」はかんがえものやね。
●よる。かぜぎみの細君がただただじぶんのためにそれをしょくすることにきめた通称「ポパイなべ」(なかみはそうぞうせよ)。かのじょがそうやってかぜをなおすことにやっきになっているのはあさってのえんそく(愛宕山登山)にばんぜんのたいちょうでつきそいたいがためだが(じっさいそうとうキツイとざんとなる)ところがきょうはいふされたプリントには「上田(父)」がそのやくわりをつとめることになっている。これをよんだほごしゃたち(ひもだYさんをふくむ)は「ああ、お父さんがいきはるんや」とおもうだろうがこっちはそのひはちゃんとあさからこうむをこなしている。さすがに「れんらくもう」でていせいするほどのことではないがちょっとムッとした(この「いきどおり」にはちょっとしたふくせんがあるがそれもここにかく「ほどのことではない」)。
●そのご。おフロにもはいらずに「かみん」。めざめてからきょうかった『レコード芸術』11月号をペラペラめくってこれから(まずはフロにはいってそれから)あすのじゅぎょう(「現代造形文化論II」)のじゅんび。じゅんびなどというさぎょうがにあうガラではないのだがなんどもふれているとおりじゅぎょうスタイルがかいかくされるその「かとき」 [10月12日(金)aをさんしょう]にいまはある。といわけでなんらかのえいぞう(えいが)しりょう(でもすでに10月19日(金)にかいてしまっているね[笑])をもちいようかとこんやもまたゴソゴソと――。[25:35]
2001年10月21日(日)b
●ひるねは(ねるにはねたが)ややねぐるしかった。てんきがわるいうえにそうじ[したのaをさんしょう]でホコリにまみれたために(ぜんそくのほっさとまではいかないが)「きどう」がすこしせばまっていたようなのだった。一にちがもうこれでかんぜんにくらくなった(このさぎょうをめいじたにんげんとはそのごくちをきかなかった)。ゆうしょくごにはじめたノートPCへのソフトのインストールさぎょうもさいごのさいご(IOデータ社製の「CBMLX2」というスグレもののディスプレイ・アダプタのだん)になってワケのわからない「ふぐあい」にみまわれてついにコントロール・パネル/システム/デバイス・マネージャのこうもくから「!」(しようふのう)マークをけすことができないままにさっきそのさぎょうをだんねんした(BibloではもんだいがないのだからもはやあたらしいPCほんたい[Cassiopea
FIVA 206-VL]のほうにもんだいがあるとしかおもえない)。というわけでつかれた。せいさんてきなことはなにもしていないのに。
●あす。さいごにもんだいはのこしたがほぼソフトるいのインストールをすませたPCにあらたにとうさいするPHSカード(AirH”用)[10月1日(月)をさんしょう]をこうにゅう・けいやくするよてい。このけいかくをはなすと「32kbs」というつうしんそくどをさしてpppせつぞくよりおそいことをちゅうこくしてくれるちじんがなんにんもいたがおおきなサイズのファイルをダウンロードするつもりもないし(ひつようだったらがっこうのパソコン・ルームがしまっているじかんたいにけんきゅうしつでじっせんすればいい)「しゃくや」ででんわかいせんをいじるこうじもわずらわしいからこれがげんじてんでのベスト・バイなのだろうとかくしんするのである。こうしてそのカードによるメールのやりとり、ブラウザ、HPのアップロードがかのうとなったら11月からは(というのもどうせせっていとかに一しゅうかんほどかかるだろうから)このにっきのしくみじたいもいっしんしようかとかんがえている。「第2室」にもかいたとおり[10月18日(木)投稿の「Re: 気になる今度のお買い物」をさんしょう]「VAIO日記やLaVie日記という区別もある意味で不要になって」くるからである。[25:26;25:37一部字句修正]
2001年10月21日(日)a
●きのうのしんや。サヴァリッシュ/N響と岩城宏之/OEK(オーケストラ・アンサンブル金沢)のえんそうかいふうけいがBS2でながれていた。だがひるまラトルを「見」たあとではふたりともずいぶん「みばえ」がしなかったことはひていできない。あさ。LDKにホットカーペットをしきたいからゆかにつまれているほんやCDをどけろというめいれいにしたがってもとめられる「さぎょう」にせいをだしながらMP3でアーノンクール/COE(ヨーロッパ室内管)[だったとおもう]のベートーベン第五ばんをだいおんりょうで「聴」く(めいれいしたものへのイヤガラセてきないみもある)。するとラトルはめちゃくちゃすごいというじゅばくからかいほうされる(ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管のをきいてもおなじようにおもうだろう)。おもいかえせばきのうのひるのBS2のほうそう(なんとそれはライブなのだった)は堀内修(オペラひょうではとてもわかりやすいぶんしょうをかくことがある)のかいせつがただただわかきマエストロにひれふすだけのないようのないものであったことが「つみつくり」であった。それともNHKにそうしたひひょうせいしんをもとめてもムダか。
●うえの「さぎょう」のさいちゅうにかったきりできいていないCDやとったきりでさいせいしていないビデオ・テープなどがなんてんも「はっけん」された。だからといってそれをすぐにきこう/みようとできるわけではないが。
●これからひるね。あさからはたらかされてとてもつかれたから。[12:53]
2001年10月20日(土)b
●ごぜん。TSUTAYA西院店へ。DVDで「カリガリ博士」と「惑星ソラリス」をレンタル。ぜんしゃはこんどの木ようび(25日)にゼミでIさん(ほんとうのしょぞくは西洋史専攻)がそれをもとにしたドイツ文化史にかんするはっぴょうをおこなうから(このやすみのうちにみておかねば)。こうしゃはいぜんさるけいじばんでわだいとなっていた(いほうコピーしてじっさいにみるのはずっとあとかな?)。それにしてもさいきんはえいがかん(といえばそれはぼくにとって「みなみ会館」のことだ)にいっていない。かいいんようの「タダけん」があと五まいものこっているが「ねんどない」につかいきることができるのだろうか。
●ゆうこく。ラトルのベートーベンは第五ばんもやくどうてきであったがとちゅうからみた第二ばんのほうがこれまでけいけんしたことのないしんせんさをもってきくことができた。ぼうをふっているすがたに「はな」(あまりうまくない小澤がセクシーにみえるというのもようはそういうもののゆえなのだろう)があるしやはりタダモノではないというかんじである(ただしあのぎんぱつのパーマあたまはこんごとしをかさねるにつれてどうかわっていくのだろう?)。
●よる。この一しゅうかんもへいきんすいみんじかんが四じかんほどだったこともあってまずは「ひる」ね。そのかん母子はきんじょの住吉神社のおまつりへ。その母にきょうはゆうしょくをつくるいよくがまったくなかったのでそのご北区小松原の「八丁よしむら」(和食)までじてんしゃで。せんじつ鈴木一誌のせったい[10月16日(火)と17日(水)aをさんしょう]でりようしたときにとてもおいしくてしかもリーズナブルなねだんだったのでその「こうかん」をじかにこうどうでしめそうとおもったわけだが――うん、やはりこんやもおいしかった。こういうあじをウチでなせないものかね。[22:36;24:37一部字句修正]
2001年10月20日(土)a
●なにごとにつけけいかくてきなおんがくファンにはまったくふようなとうじつあさのBS2じょうほう。きょうは15:00からラトル/ウィーン・フィルの「らいにちこうえん」のようすがほうそうされる。アバドのあとをおそってまもなくベルリン・フィルの「じょうにんしきしゃ」ともなるこのマエストロの、おそらくはこんご三十ねんはつづくであろう「おうごんじだい」をうらなうぜっこうのチャンスである。
●だがちょうどそのほうそうがはじまるころ子は中立売のスイミング・スクールにいて父はそのおむかえのためにクルマをはしらせている。ビデオはもちろんまわすがとったテープはおうおうにしてそのままうもれてしまうからそうならないためにもスイミングのあとのいつもの「かいだし」はきょうはやめてこうはんのプログラムにはまにあうように。
●BS2のろくがといえばこのあいだからチャップリンのえいががいっきにほうそうされていたので「そのき」にもなったのだがあんなにいっきにほうそうされるとカラダもテープもハードディスクももたないとうことでさいしょから「もくさつ」した。あるいはチャップリンさくひんのばあいはDVDでコレクションするべきアイテムであろう。――とかんがえてショップのDVDのたなをみると「鉄腕アトム」や「サスケ」なんかもBOXででていてこういうのにハマったらたいへんだともおもわれた。
●あさおきてすぐによくダラダラとかくね(笑)。――ハイでももうすぐほいくしょにおくらねばならないのでこのへんで。[08:07]
2001年10月19日(金)
●きのうのうちにかいておくべきだったわだいから――とくべつゲストによるゼミはっぴょう[10月17日(水)aをさんしょう]はきたいしたとおりにうちのゼミせいにショックをあたえたようだ。ぼくじしんもかのじょがけっこんしてから四十ねんいじょうもイエのなかでじっとしておられたというじじつをあらたにしっておどろいたのだが(ずっと「こうがくしん」をもってべんきょうしつづけてこられたのかとおもっていた)とにかく六十五さいをすぎたいまスリリングなけんきゅうがはじまろうとしているのである。そう、そのないようは――軍港・舞鶴のある小学校のせんせいが「死」ぬまでずっとほぞんしてあったおしえごたちのたいりょうの「絵」(そこにはじつにしょうさいなそのせんせいほんにんのコメントまでふされている)のはっけんとそれにまつわるカルチュラル・スタディーの一じっせんとでもよびたいもので…。いやこれはそのそつろんのかんせいをまってからあらためてべつのかたちでの「こうかい」をてだすけしよう。
●そのはっぴょうががくせいたちになにかをもたらしたであろうようにぼくのきょうのじゅぎょうにもなんらかのへんかがあったか?――いや、あったとしてもそれはせんしゅうじゅぎょうちゅうにおこなった「かだい」(じゅぎょうのないようをうけ、またいくつかのじょうけんをみたしながら「絵」をかく)[せんしゅうの木ようびはにっきをサボったのでさんしょうしてもムダです]へのがくせいしょくんのおうせつの「たよう」さのゆえである。じっさいまたその(けっしてびじゅつけいだいがくのがくせいのようにうまくはありえない)「絵」のかずかずにコメントをふすこういもまたどれほどおもしろかったことか! もちろんそれがじゅぎょう(「西洋美術史II」)の大テーマからそれず/そのこうかてきなしんこうにきよするものとしたのはプロだからあたりまえだがいずれにしてもできたらこれも(きょう「こうひょう」をおこなった二十てんほどは)WEB上で「こうかい」したいほどだ。――うん、きょうはハイだ(笑)。
●こんなにハイな、しかもあきばれのごごがAOにゅうし(じこすいせんほうしきの)のさいてんでつぶれたことはくやんでもくやみきれない。そのくやしさはそのあとたちよった「せいきょう」のCDうりばで「タイタニック」[このなつテレビでほうそうされた「日本特別編集版」については8月31日(金)、9月1日(土)のaおよびbをさんしょう]のDVDをこうにゅうさせたほどだ(笑;だがどういうかんれんがある?)。ちなみにこのさくひんでえがかれる、まだむめいであったころのピカソがらいしゅうの火ようび(23日)の「現代造形文化論II」のマクラとなる。たのしそうでしょ(はんぶんヤケみたいなところもあるのだけれど)?
●ゆうがたきたくしていっきにこんなにかくなんていうことはひさしぶりだ。いいやもうアップしちゃえ。[17:40;18:50一字修正;翌日一部情報追記]
2001年10月18日(木)
●げんざいちょうせいちゅう(じゅぎょうでどうがをさいせいするためにはもう「きょう」の「表象批判II」でしようしたが)のあたらしいノートPCについてはいきがかりじょう「第2室」でふれてしまったのでここに(じっさいは「きょう」から「あした」へのさかいめを四じかんいじょうもこえてしまってから)かくわだいはないかな? いや、ひとつだけ――子が「えんそく」でイモほりにいってきたその「せいかぶつ」が夕食のしょくたくにならんだ。とくにげいがあるわけでもないてんぷらとしてだがさすがにそのひのあさまでつちのなかにうまっていただけあってそれはそれはおいしいのである。おかげでこんやのたのメニュー(というほどのものか)はこのシンプルなりょうりのまえにぶっとんでしまった。ちなみにきょねんのせいかぶつをえがいた「おイモのえ」をさんこうまでに。[28:05]
2001年10月17日(水)b
●鈴木一誌氏にまつわってていせいをひとつ――「『知恵蔵』のレイアウトのちょさくけんにまつわって朝日新聞社とけいそうちゅうである」とかいたけれども[さくじつぶんをさんしょう]じつはさいばんはとっくに(1999年に)おわっている。けっかは東京高裁における「はいそ」である。最高裁までもっていかなかったりゆうについてまでここで氏のいけんをだいべんすることはすまいとおもうがいずれにしてもそのさいばんとうそうのぜんぼうをあつかった『知恵蔵裁判全記録』(太田出版、4700円)はそのオビにそうしたことがひょうぼうされているとおりおよそデザインにかかわる/かんしんがあるすべてのにんげんにとってひっけんである――たとえそれをよみとおしてさいしゅうてきに朝日がわにつくことがあるとしても。[27:07]
2001年10月17日(水)a
●じゅぎょうには九十五パーセントの(きいてソンはしなかったとおもわせる)じしんはあるがしかいしんこうはにがてである。きょうのこうえんかいもこうしの鈴木氏が九十てんのデキであるのにたいしてぼくのほうは七十五てんくらいのデキであったろう。ただ、その二十五てんのげんてんのうちのはんぶんはこうえんそのものがおわってからのかいじょうからの「しつぎ」のすくなさにゆらいするしかいしゃのおしゃべりのゆえなのだからぼくばかりがせめられるもんだいではない。だがそれにしてもきょうはそれでもおしゃべりをおさえたのである。いっそぼくがじざいにかたりかけるインタヴュー(たいだんといわないまでも)とするてもあったかもしれない。そういうほうめんでよそうされないさいのうをぼくははっきするかのうせいがある。なんてまたいつもとどうように「かるくち」をたたいているがいずれにしてもそうした(あるかないかわからない)さいのうがはっきされるひにはぼくはすくなくとも「ひひょうか」ではありえないだろう。つまりひひょうはかくもこどくなさぎょうである。
●[削除しました。]
●(すこしだけ)「き」をとりなおしてあしたのことを。二じげんめにじゅぎょう――きょうの鈴木さんのおはなしにもふれながらしかしわだいはせんしゅうのバーンスタインからカラヤンのほうへとせんかいしていくだろう。ごごの四げんめのゼミ――ゼミにせいしきにとうろくしていないがこのところいろいろとアドヴァイスをしているじょしがくせい(しかしじつはぼくのははおやよりもとしうえのかただ)のりんじ・とくべつのはっぴょう。よこくしておくがこのひとのけんきゅうがスゴイ。ゼミせいはおそらく「め」をムくだろう。――といったことをかんがえてまえむきにあしたのあさをむかえたい。くらいこのよるをこえて。[23:21;23:35一字修正;27:00また一字修正;翌日削除措置]
2001年10月16日(火)
●ごぜんちゅうのじゅぎょうのあと二つのかいぎと二つのうちあわせ(「四つのかいぎ」とかくとものがなしいのでわけておこう)でごごのたいはんのじかんがつぶれた一にち。それなのにそのあきじかんにあたらしいノートPCをいじってさらにひへいをふかめている。ちかぢかげきてきなかたちで「うんよう」をかいしするよていのこのマシン(そのときにはメーカー/きしゅめいとともにはればれとそれをこくちするだろう!)はしかしきょうもゆうしょくごいくつかの「しゅうへんきき」のせつぞく(ドライバのインストール)でぼくにくろうをかけた。――とかくとなにかPCのほうがわるいみたいだがもちろんそんなことはない。いつものくりかえしであるにすぎない。
●あす。ごぜんちゅうはいくつかのひっぱくしたざつよう(笑)。ひるからはかいぎ(わがせんこう[インスティテュート]のかいかくのための)。そのあとゆうこくからブックデザイナー鈴木一誌氏(『知恵蔵』のレイアウトのちょさくけんにまつわって朝日新聞社とけいそうちゅうである)をまねいたこうえんかいで「しかいしんこう」(こういうのスキではないのだけれど)をつとめる。そうしてよるはそのこうしを「ごせったい」(というほどのよさんてきよゆうはないのでだいがくちかくのちょっとしたわしょくのみせでだが)。「ふんきざみ」というほどのかみつスケジュールではないがあいまになにかべつのことをしようとおもうにはちゅうとはんぱな、にえきらないあきのひ。いっそ「あきばれ」になどならずにうっとおしい一にちであることを。[23:40]
2001年10月15日(月)はお休みしました。
2001年10月14日(日)b
●千本丸太町で子をおろしたあと三条へ。JEUGIA三条本店がすぐちかくのパーキング(しかもあのあたりではとてもつかいやすい)とていけいして三千えんぶんのかいものをすれば一じかんのちゅうしゃがタダとなったのできょうのようにちょっとおもいついたときにりようしやすくなったのだがそれでももくてきのモノがすぐたなにみつからないばあいにはなかなかにきびしいせいげんじかんであるといわねばならない(ここではそれをオーヴァーしたさいの二百五十えん/三十ぷんくらいいいじゃないかというぎろんはさいしょからたなあげにしている)。六千えんぶんで二じかんというふうに「ばいばい」でふやすひつようはないがむかいの「田毎」でのしょくじもポイントになるとか「くふう」してくれたら三条でのかいものがずっとたのしくなるのに。(注:ちかくのゼスト御池だと三千えんで二じかんがタダになるがあの「しなうす」のショッピングセンターで三千えんをつかおうとするとそれだけできぐろうがある。)
●ところできょう「ちょっとおもいついた」モノは木ようびに「表象批判II」[10月12日(金)aをさんしょう]でその第五がくしょうのこうはんをじょうえいしたバーンスタイン/ロンドン響のマラ2《復活》でソプラノをたんとうしていたシーラ・アームストロングのCD。たとえばクリスタ・ルートヴィヒがシーラの「びぼう」をゆうしていれば(シーラがクリスタの「せいりょう」をゆうしていればといいかえてもいい)じょせいかしゅの「ちせいず」がいまとはことなったものとなったにちがいないそのひとをフィーチャーしたCDは(てっていてきにさがせばキャストのひとりとして名をつらねるオペラはあるのだろうが)よそうどおりそこにはなくそのかわりにちかくのたなで「私のウィーンよ――オペレッタ名曲集」というオムニバス盤をこうにゅう。いろいろかいたって[きのうのVAIO日記のvbをさんしょう]つぎのひに(さすがにさくひんとしての《微笑みの国》を「とおし」できこうとはおもわないが)そのハイライトがおさめられたCDをかってしまうのだからじぶんでもウブ(笑)だとおもう。ちなみにこのCDで「君はわが心のすべて」をうたうのはルネ・コロ。さくやのキャストとは「かく」がちがうといいたいところがあるがざんねんながら(これもたしかにひとつのもくてきであった)「かし/やくし」がついていない(千三百えんの「れんかばん」だからもんくはいえないがこうやってまたべつのCDをかって「やすものがいのゼニうしない」をじっせんしてしまうのである/だがちゃんと「かし/やくし」のついたりっぱな「げんえき/こくないばん」はあるのだろうか)。こうにゅうひんはそのほかになんねんかまえにボックスででたクロノス・カルテットの「けっせい二十五しゅうねんきねん」の十まいぐみセット。なかみは(いちぶの「しんろくおん/さいろくおん」ものをのぞいて)もっているものばかりだがかんぜんにダブるディスクについてはちょっとした「おくりもの」にすることもできるしそれいじょうにボックスはやはりこうにゅういよくをかきたてるのである(しかもバーゲン・プライスなっていた)。コレクターの「さが」というやつである。
●いじょうがおひるまでのはなし(もうすぐやめるから)。かえってからTSUTAYAでかりだしちゅうの三ぼんのうちの一ぽんをmpeg1データ化しつつ「かんしょう」。きのうタイトルをあかすのをひかえた[同vbをさんしょう]そのさくひんはロッセリーニの「ドイツ零年」。タイトルをあかしたからといってちゃんとかんそうをかくつもりがあるのではないのだがビールのにがさがますようなクラさはあの「裁かるるジャンヌ」[2001年9月1日(土)cをさんしょう]のそれとどうるいのものだ。いや、ちがうかもしれない。こんやはけつろんをいそがないことにしよう。[20:40]
2001年10月14日(日)a
●日ようびなのにあさから子とふたり。母はしょくばで「がくえんさい」がひらかれるのでごぜんちゅうその「かんり」にかりだされているわけだが(がくせいたちでかってにやらせればいいのにとボヤいていた)おなじようにごごからかりだされるどうりょうのせんせいがうちのとおないどし(五さい)のおんなのこ「さえちゃん」をつれてくるというので子もつれていってそこでの「さいかい」をえんしゅつすることになった。そう、うちの子にとってその「さえちゃん」は(ほいくしょの「もえぎちゃん」とトップをあらそう)マドンナなのであって(かこのにっきではどうやらそのことにふれていないようだが)きょねんもおなじがっこう(たがいの母おやがそこにつとめる)でちょっとしたロマンスにはなをさかせたのだからである。というわけであと二じかんほどしたらクルマで千本丸太町まで。
●ところで(もうレハールのことはさておいて)《ロミオとジュリエット》はプロコフィエフさっきょくのもの[さくじつぶんをさんしょう]なのであった。ただしオケのぶぶんはカラオケ(小澤/ボストン響のと、たしかハイティンク/クリーヴランド響のもつかわれていたようだ)ですませたスタジオでの「げんだいバレエ」でロミオはなんとホームレスのせいねんというせっていになっていた(いっぽうのジュリエットはふごうのむすめでこうやって二つの「きぞく」のあいだのあらそいを「ひんぷ」のさにおきかえたのだという)。で、はたしてそのこうかは? もとのきょくがすぐれているからそこそこたのしめたが(でもとちゅうでねてしまった)できたらでんとうてきなえんしゅつがよかったな。[09:45]
2001年10月13日(土)
●ばんぐみじょうほうはできるだけはやいにこしたことはない(はやくてもせいぜいそのひのちょうかんをひらいてからだ)。BS2でレハールの《微笑みの国》がほうそうされる(24:45〜)。おおくの名コンダクターそしてちょうしゅうをみりょうしてやまない《メリー・ウィドー》ばかりがしられるさっきょくかだがこんやのオペレッタにも「君はわが心のすべて」というヒットナンバーがある。CDもあまりでていないはずだしいちおうひっけん/ひっちょうのプログラムであるとかいておきたい。ちなみにそのあとはバレエ《ロミオとジュリエット》(27:04〜)。オーケストラけいしきとことわられていないからほんとうにバレエのぶたいがみられるのであろうがはたしてだれのさくひんかいな? プロコフィエフの(オーケストラけいしきのなら名盤にめぐまれている)なら「み」てみたいが。[09:25]
2001年10月12日(金)b
●ひづけをかえてかくべきじかんたいだとはおもうけれども「きょう」のうちに――。
●こうしてこちらでしたの(しかもおなじひづけの)aのないよう(「あるべき/そしてせいぜいかのうなかぎりをつくした一じっせん…」)とひかくしてしまうと「きょう」のじゅぎょうの「しっぱい」[きょうのLaVie日記をさんしょう]はかかる「かしん」にたいするけいこくであったとかいすることもできる。――マルチメディアなるのうりょくをほこるせつびやじゅぎょううんえいはしょせんはワケのわからないちょっとしたふぐあいによってはたんしうる、と。もっともこちらはプロだから(いまだマルチメディアにどくされてはいないから)「どうが」しりょうはむろんスライドやこくばんやマイクがテロでやられたのだとしても一セメスターぶんをまるまるおしゃべりしつづけることだってかのうなのである。そしてそのいみできょうのじゅぎょうは「しっぱい」であったどころか「せいこう」であったのだ(がくせいにとってはらいしゅういこうもそのようなものでありつづけるほうがゆうえきであるかのうせいだって[ひくいが]ひていできない)。
●いずれにしてもこんなことをかんがえながら「ひるね」[同上]などできうるはずもなくよるをむかえそのままゆうしょくはきんじょの「克」(お好み焼き;竜安寺商店街北端)でたべることになってそのあとようやくいつものパターンの「ダウン」(ほんのすこしまえまでリビング・ダイニングのゆかで)。
●ちなみにこんやほいくしょでひらかれていた「語ろう会」というあつまりにはそういうわけでさんかしなかった。さんかしゃがすくないようなのでせんせいをたすけるためにもとおもってはいたのだが――だって「テーマ」がはっきりいってワルい;「なぜじぶんの子がかわいいのか?」(笑)だもの。せめて「なぜダンナはにくたらしいのに子はかわいいのか?」とか「なぜとなりの子のほうがかわいいのか?」とかさいていげんのヒネりがあるならいいのだがそれさえもないのはナンボほいくしょのあつまりでもゆるされない(笑)。ほいくしょでの「ぎろん」にしんぷうを。ひもだYさん「ほいくしょまつり」のせきにんしゃとしてがんばってね。[28:17]
2001年10月12日(金)a
●ぜんやてつや(じゅぎょうでもちいるえいぞうのへんしゅうのためにおもいのほかじかんがかかった)するとさすがにつぎのひはもたない。ゆうしょくごそうそうにダウン(そういえば「コスモスばたけ」へのえんそくでロクにおひるねができなかったらしい子はゆうしょく「まえ」にねていた)。だがきのうの「表象批判II」のじゅぎょう――それを「すっごくマゾてきだった!」とけいようし(てくれ)たじゅこうしゃがいた(笑)――はあるいみで「きねんひてき」であった。マルチメディアになりきれない「かとき」をいきるわれらがきょういんの、あるべき/そしてせいぜいかのうなかぎりをつくした一じっせんであったはずだ(じぶんでかいていてもすごいじふだが[笑]じゅぎょうにでておられないどくしゃのみなさまにはおわびもうしあげます)。
●さてきょうは六じかんごに「西洋美術史II」のじゅぎょうがある。どうにゅうはこのあいだみてきたチャルトリスキ・コレクション展[10月8日(月・祝)bをさんしょう]のわだい。きょうこのひのためにみてきた一まいのつまらない(でもぎゃくせてきにとてもきょうみぶかい)さくひんをとりあげたあとにそこにしゅっぴんされていることをしらずにみすごしたじゅうような(どうぎょうしゃはみんなしっている)マルカントニオ・ライモンディのはんがさくひん(このさくひんをナマでみるためにもういちど京都市美術館にはあしをはこぶことになるだろう)にふれる。そのあとはひさびさに(笑)こくばんをしようしたこうぎ。そう、スライドやえいぞうをもちいて九十ぷんかんおしゃべりしつづけるパターンがこのところつづいていたのだがきょうはいまいちどびじゅつしのきょういんのほんらいのすがたにかえって。[05:00]
2001年10月11日(木)はお休みしました。
2001年10月10日(水)
●おもいのほかみちがすいていましたものでおうふくともに一じかんもかからずしょくじのじかんをいれても二じかんちょっとで近江・坂本の「本家つる喜」のソバをたのしんでくることができました。でコレがいつものおおもりのしゃしんですがサテ8月24日(金)bでけいしゅつしたものといったいなにがちがっているのでしょう? こたえ――なかみが「新ソバ」です。ツウぶるのはすきではないのですが(いやソバについては「ぶらせて」いただきたい)やはり「ちがう」のでございます。しかもとうぜんのことながらこのじき、うまいみせほどそのちがいがつうかんされる…。てなわけで「ぞくせ」のわずらわしさやこのページをときににぎわしてきた「いさかい」ごとのことなどをわすれることができたしあわせなおひるどきのほうこくをもちましてこんやのところはしつれいさせていただきます。[23:20]
2001年10月9日(火)d
●[削除しました。]
●[削除しました。][26:50;翌日削除措置]
2001年10月9日(火)c
●ねむれないので(といってもあさはたぶんほいくしょのおくりがあってしかも9:00にがくせい[ぼくの母よりもねんぱいのしゃかいじんのかた;こんどあらためてかきたいがこのひとのけんきゅうがスゴい]のめんだんがまっているのに)もうひとこと。あすは(ほんとうはだいがくいんせいのためのきょうどうたんとうのものはあるがこじんのせきにんによる)じゅぎょうはないひである。なのであさのおしごと(上)とゆうがたのおしごと(がくせい[このこは二十歳すぎだ]のめんだん[15:15〜]ととあるこうえんかい[16:30〜]の「うらかた」がまちうけている)のあいだにまたしてもちょっとしたランチ・ドライヴをこころみるつもりである。こういういっけんムダなじかんがないとやっていけない「がくえんせいかつ」をひびおくっている――とイエではいいわけをしている。
●[削除しました。][26:15;翌日削除措置]
2001年10月9日(火)b
●[削除しました。]
●これは「ついで」だけど奈良県立美術館(?)でマネのてんらんかいがひらかれている。ぼくのあいまいなきおくがまちがっていなければ東京・府中にできたびじゅつかん(せいしきめいしょうはわすれた)の「かいかんきねんてん」がじゅんかいしてくるもののはずだ。「これでもうしばらくはてんらんかいにあしをはこぶことがないであろう」[10月8日(月・祝)bをさんしょう]とかいてはみたもののあいてがマネだからそういうわけにはいくまい。[25:46;翌日削除措置]
2001年10月9日(火)a
●ひさびさの「第2室」に「教壇では意識的制御を超えたおしゃべりマシーンだから」とかいたのである。だがきょうのじゅぎょう(「現代造形文化論II」)はそうではなかった。こえをだしはじめて五ふんほどではやくもしんどくなってきた(このあいだからセキこみすぎた「こういしょう」だ)。そのあとはつぎのしゅんかんになにをはなそうかとかんがえながらはなした。きっときいているがくせいたちもしんどかっただろう。――と、ひそかにらいしゅうのリベンジを。
●この二じかんほどのあいだあさってのじゅぎょうでその「ぶぶん」をみせることになるだろうバーンスタインのドキュメンタリィさくひん(かつてBS2でほうそうされた)をPCにとりこんでいた。じつはきょねんもビデオのダビングによるへんしゅうをおこなってじょうえいしたおなじそざいなのだが[2000年10月25日(水)cおよびdをさんしょう]いつくかのぶぶんはなんどみてもなけた(そしてかれの《タヒチの事件[トラブル]》と《静かな生活》の二つのオペラのじつえんにはなんとしてもせっしたいとおもった)。ちなみにそうしたもののなかに第二次(?)中東戦争のさいにイスラエルのぜんせんきちでかれが《復活》をふったきろくえいぞうがあってこれなどは「はんべい」(あるいは「けんべい」)のれんちゅうからみたらおんがくをもってへいしたちに「死」のいみをとく/そしてまさに「死」ぬことをすいしょうするイデオロギーてきなこうけいとえいじるであろうとおもわれた。だがこのドキュメンタリィのさいご(最後)まさにバーンスタインじしんのさいご(最期)をえがくばめんにたどりついたときにそうしたずしきてきなよみはなおもゆうこうでありつづけるだろうか。たぶんきょねんもおなじことをかんがえた、せいちょうのないかんそうであるはずである。[25:17]
2001年10月8日(月・祝)e
●どうあがいてみたって「あとあじ」のよろしくないよるはテロなんかあったものかとクッタクのないひょうじょうでねむるニゴのしゃしんをけいさいして…。[24:12]
2001年10月8日(月・祝)d
●まだかきたりないの(笑)?――いやむしろテロ(とそれへのほうふく)にかんするいちれんのぶんしょうのうちのいくつかは(しゅとしてそのひょうげんのせっそくのゆえに)さくじょしたいよくぼうにかられさえしているのだがそれをしてしまうと「かいしん」したいんしょうをあたえかねないのでそれはふみとどまって(しかしこういうばしょでふれるわだいじゃないよねそもそも)ただしせめてヒキンなわだいでしめようかと――。
●せんしゅうのなかばからのかぜのしょうじょうがようやくおさまったとおもったら(しんどいのにソバをたべにやまあいまでとおで[きのうのaをさんしょう]していたのかい)さくや「ねちがえ」たせなかのいたみがどんどんましてきていまはひだりこうほうにくびをふることができない。ちゃわんをもつだけでもひだりの「けんこうこつ」のあたりからひじにかけてジーンとしびれる。なのにこうやってにっきはかいているのだからそのていどのいたみということだがいずれにしてもあすの二げんめのじゅぎょう(「現代造形文化論II」)のじゅんびをするきがまったくおこらない。ようはこのことをかいておきたかった。ちなみにあすはそのじゅぎょうのあとかいぎがよるまで四つれんぞく。「ねちがえ」たくらいではさすがにけっせきするりゆうにはならないかね。[22:00;23:20一部字句修正]
2001年10月8日(月・祝)c
●したのaへのちゅうしゃく――このクニのいずこかでじぶんのにくしんがテロのひがいにあったのだとしてもなおほうふくにはんたいするものがあるならばそのひとにたいして「どうじょうする」のことばをさしむけることはしないつもりである。そこまでのけっしん(それがあるならばへいわのためにじしんのしんたいをさしだすことも「く」ではあるまい)をもつことはそれはそれでたっといことであるとおもわれるからだ(もちろん「そこまでのけっしん」をもたないものへのこれはひにくなのでもある)。[16:27]
2001年10月8日(月・祝)b
●じゅんじょはぎゃくになる(したのaをアップするよりもさきのできごとになる)が――じゅぎょう(「西洋美術史II」)でしょうかいしたいたった一まいの絵をみるために京都市美術館でかいさいちゅうのチャルトリスキ・コレクション展へ。てんらんかいをみるなんてひさびさだが(笑)いくらレオナルドの《白貂を抱く貴婦人》(これがもくてきの一まいのなのではなかった)がきているからといって「こみすぎ」ではないかね(そもそもこのち京都にこんなにびじゅつにかんしんがあるひとがいるとはおもえない)。「かいそうこうじ」ちゅうであるらしいとはいえいかにもみすぼらしい「つうろ」もきょうざめであったしそれいぜんに岡崎公園のちゅうしゃじょうがまんしゃじょうたいでゼスト御池までひきかえしてちかてつにのりなおすてままではっせいしてホトホトつかれたことをこくはくしておきたい(じゅぎょうでしょうかいすることになる一まいもこのくろうにむくいるものではなかった)。これでもうしばらくはてんらんかいにあしをはこぶことがないであろう。
●そのあとJUEGIA三条本店でバーンスタインのマラ2《復活》のDVD [きのうのaをさんしょう]をこうにゅう。だがいまから四半世紀まえにしゅうろくされたものであるじじつにかんがみても「がぞう」のせんめいどがイマイチで(小澤/SKOのほうそうろくがのダビングのほうがまだきれいだ)そのうえ「じまく」がついていない(たいまんだ!)。これではじゅぎょう(「表象批判II」)でつかえそうにない。きょうはそういうひだ。[16:12]
2001年10月8日(月・祝)a
●おこりうるさまざまなごかいもおぞれずにかくならばこのたびのどうじ・たはつテロはニューヨークではなく東京(いや京都でもかまわない)ではっせいすべきであった。そのときにはじめておこるぎろん/そうでなかったからいまだかいひされたままのぎろんをそうきすること――。ひるがえってそのテロがニューヨーク(アメリカ)だからおこった(このクニではおこりえない)とかんがえるちせいのことはただただそのそうぞうりょくのけつじょをどうじょうするほかない。[15:13]
2001年10月7日(日)b
●ついさきほどアメリカ(ほか)がアフガニスタンへの「ほうふくぐんじこうどう」にでたようだ。このこうどうをぼくはきほんてきに(このじゃっかんのりゅうほについてあらためてかくひつようがあるだろうか?)しじする。そればかりかどうじにハイジャックしたひこうきで「まてんろう」にとつにゅうするという「こうとうむけい」が「パンドラのはこ…」のありがちなひょうげんをそれにてきようするべきものであるならばそうであればこそそういったことがこのクニにもおこりうることのかのうせいとそれへのぼうぎょ/ほうふくのうりょくのひつようせいもめいきしておかねばならないとおもう。ちなみにこのたびの「ぐんじこうどう」にまつわるアメリカ(ブッシュ)のけつだんになんらのふめいてんもないがイギリス(ブレア)のそれはじゃっかんのけんとう(もちろんポジティヴな)がひつようである。いじょう、とりいそぎ。[27:00]
2001年10月7日(日)a
●京都にきて一ねんめはネコたちをしんしつにいれることをしなかった。子がまだちいさいうえに(ぼくにややそのけいこうがあるように)アレルギーはんのうがあるかもしれなかったからだがいずれももんだいでなくなった二ねんめには故タマとマリはふゆはふかふかのベッドでねることをゆるされた。タマが死んだ三ねんめにセリとニゴの二ひきがわがやにやってきたがしんしつにはいることができたのはマリだけだった。それはベッドだとついニゴがおもらしをしてしまうからだったのだが(かれひとりをおいだすのはかわいそうだからセリもいっしょにでてもらった)[2000年11月16日(木)をさんしょう]四ねんめのことしはそのわるいクセもなくなったので三びきのうちマリだけがゆるされるりゆうはなくなった。――と、こんなことをかくのはゆうがたベッドによこになっているとマクラもととあしもと、そしてあしの「あいだ」の三かしょをかれ/かのじょらによってせんきょされていることにきづいたからである。もちろんこうふくなはっけんであった。
●そのひるねにさきだって――さくや「やまあいのうまいソバや」とかいたじてんですでにおもいえがかれていた朽木「永昌庵」とのあいだのおうふく九十キロのランチ・ドライヴ。ふりかえってみれば5月21日(月)いらいとなるこのみせもおだやかなあきのきゅうじつということもあってこれまでにけいけんしたことのないこんざつぶりだったがおうふく二じかんはんのどうちゅう(+まちじかんの三十ぷん)をおもってもあしをはこぶかちのあるソバであることをあらためてかくにん。ただ一てんくやしいのはクルマをうんてんするみだからアルコールをそのばでのめないこと。にほんしゅをのんでからちゅうしゃじょうでひとねむりしてよいをさましてというパターンもOKとみせからきょかをもらっているので(笑)「ねっしゃびょう」にかかるおそれのない、このあきのへいじつにぜひとも一どは。
●これをうっているかたわらのテレビ(NHK教育)ではいま小澤/SKOによるベートーベンの第四こうきょうきょくがなっている。おなじオケとマーラーえんそうにしんきょうちをひらいている小澤だがベートーベンはひかくてきへいぼんにきこえる(あつくなれない)のはどうしたわけだろう。オケがうますぎるのかな。それにひきかえおなじチャンネルでそのまえにほうそうされていたデュトワ/N響のプロムスでのこうえんふうけいはアルゲリッチのソロ(プロコフィエフのピアノきょうそうきょく第三ばん)にオケが「あわせる」のにひっしで(そりゃSKOとくらべればN響もメカてきにはおちるよね)でもそれゆえにはるかにおもしろかった。いやそんなことよりももんだいはことしのサイトウ・キネン・フェスティヴァルの「めだま」であったヤナーチェクのオペラ《イェヌーファ》がいつほうそうされるかだ。プーランクの《ティレジアス》におとらぬ、げんだいおんがくファンへのおくりものとなるはずだからだ。
●あす。バーンスタインのマラ2《復活》のえいぞう(DVD)を木ようびの「表象批判II」のためにぜひともにゅうしゅしたい。TSUTAYAにないのはしかたないとして上新電機京都1ばん館のディスクピアにもなかったのでひさびさにJEUGIA三条本店にでも(ついでにむかいの本家田毎でまたソバでも?)。[23:30]
2001年10月6日(土)
●にっきを二日もやすませるほどの(とかくのもじつはきはずかしいが)かぜはきょうはだいぶマシになった。ひるまどうしてもクルマをだすひつようがあったのであさからクスリをのまずそのかわりにクルマをだすようじがすんだあとはこの二日かんガマンしたビールをのんだ(おいしかった)。そうしてひるねをしてアルコールがぬけたあときょうさいしょのクスリをのんでいまはそのおかげですこしぼんやり。このクスリがれんきゅうちゅうのぶんまでだされているがこんなのをのみつづけたらなんにもできない。できればこんばんねるまえのをさいごにしてあすからはシャキっと。
●そういえばそのあすはちいきのうんどうかいのひなのであった。つきあいで母子はそれにかおをだすようだがこっちはそんなものはごめんこうむりたい。うんどうかいシーズンはどうじにエアコンがいらないいちばんドライヴにふさわしいシーズンなのでもある。母子からものがれてやまあいのうまいソバやにでも。[22:10]
2001年10月4日(木)と5日(金)はコチラはお休みしました。
2001年10月3日(水)
●こんやもえいがじょうほう(なのではやめのアップ)。さいきんは『テレパル』(ばんぐみじょうほうし)をかっていないので(というのもけいやくしていないWOWOWのプログラムをじぜんにしってくやしいおもいをするのがイヤだからだ)どうやらBS2はジーン・セバーグとくしゅうでもくんでいるらしい。さくやの「アメリカン・アクトレス」につづいてこんやはサガンげんさくの「悲しみよこんにちは」がおなじじこく(25:00)から。ただ「アメリカン・アクトレス」のほうはきのうは「すぐれている」から「ひっけん」とかいたけれども二どめともなるとすこし「かんめい」がうすかった(さいごはねてしまった)。あきっぽいだけかもしれない…。
●「第2室」にくずさんがかかれている(2001年10月3日付)わだいについて――きのうはこうれいの(笑)『フランダースの犬』のひ。「こうれいの」とかくのはすでにこのなつ東北芸術工科大学[VAIO日記の7月27日(金)vaおよびvbをさんしょう]と愛知県立芸術大学[同9月10日(月)va;じっさいはそのよくじつ=テロのあったひにじょうえい]でもとりあげているからだがすこしもいいわけとしてでなくそのテレビ版と劇場版(のヒカク)は「ぶんがく」、「びじゅつし」、「しゃかいがく」、「アニメろん」、「リメイクろん」(笑)といったかんてんでかっこうのそざいをていきょうしてくれるとめいげんしておきたい。ちなみにこっちはこうやってなんどもみているから「かんめい」はうすくなっているがはじめてみせられるがくせいたち(とくにテレビ版の「さいほうそう」はほとんどのものがみているが劇場版[じつはネロのかおつきもかわっている;いっそうかなしくなってもいる]はぎゃくにほとんどみられていない)はたまったものではないかもしれない。そう、まさにくずさんが「それにしたってあんまりだ」とコウギされているとおり。
●もうひとつさくやのわだいについてもほうこく――Bibloはけっきょく「だいじ」にはいたらなかったがそれでもフリーズしたじてん(18:12)のシステムのふっきゅうはできなかった。だからといってどういう「ふぐあい」があるのか/ないのかもわからないのだが(だからでんしききはきらいだ)。[20:30]
2001年10月2日(火)
●「たび」に「じゅぎょう」にとだいかつやくのBibloがピンチである。ゆうこく、あるせっていをいじっているときにフリーズしてしまってそのごはセーフモードでしかきどうできず「システムふっきゅう」もふちょうつづきである。というわけでいまスキャンディスクをじっこうちゅうなのだが(とちゅうで「はそんしたぶぶん」がどうのこうのというぶきみなひょうじもでた)はじめてから二じかんほどもたつのにまだクラスタのチェックをはんぶんほどものこしている(えいぞうデータとかもみなチェックしているのだろう)。このままいって23:00ころにチェックがすんだあとどのようなそうさをおこなえばいいのかもけんとうがつかない。再セットアップをよぎなくされるのだろうか。
●そんなわけでそのほかのわだいはブッとんでしまったじょうたいなのだがつぎのだいじなわだいについてだけは(じたいがひっぱくしてそれどころではなくなるまえに)かいてはやめにアップしておこう――こんやBS2で「ジーン・セバーグ:アメリカン・アクトレス」がほうそうされる(25:00〜)。このドキュメンタリィさくひんのなかでこのアクトレスはただうつくしいだけでなくくらく、そしてじつにものがなしく[8月16日(木)bおよびcをさんしょう]またなによりドキュメンタリィさくひんとしてすぐれている(セバーグ役の「やくしゃ」がとうじょうする「ジーン・セバーグの日記」[DVD『ジーン・セバーグ、コンプリート』に「…アメリカン・アクトレス」とカップリングされている]もそのえんしゅつゆえによそうされるほどにはわるいできではないが)。ひっけんである。
●――と、かいているさなかにもスキャンディスクはしんこうしているが…。くらいなぁ。[21:20]
2001年10月1日(月)
●「ポリチカのヤコブ教会鐘楼上で幼時を過ごしたマルチヌー[ママ]は、はじめヴァイオリンを習っていたが、1902年地上の家に降りてからは自宅でピアノの練習にもはげみ…」と名古屋をすぎたころからききはじめたマルティヌーのCD[VAIO日記の9月29日(土)vbをさんしょう]のライナーにかいてある。これじゃまるで『海の上のピアニスト』だが(笑)その三まいぐみのCDには「どうしようもない生徒」としておんがくがっこうを「ほうこう」になった二十歳(1910年)のころからばんねんのピアノ・ソナタ(1954年)までしゅようなピアノきょくのほとんどがおさめられていてひとりのおんがくかのせいちょうをみみでおうことができる。だがどんなにせいちょうしたってかれのきょくはいかにも東欧(チェコ)のといいたいかおりをうしなうことがない。あるいは1938年に「ここく」をはなれてパリでさっきょくしたというしょうひん「庭に面した窓」の、すこしナマったドビュッシー(笑)のようなきょくそう。しばらくはきらくなBGMとしてたのしめそうだ。[20:00]
●うえはずいぶんはやくにかいたのにサーバのふちょうのせいか(でもBIGLOBEの「しょうがいじょうほう」のページではほうこくされていない)なんどもアップできなかった。なのでそのことにふれたついでにかくのだがADSLというのはいまつかっているアナログかいせんをりようするというのだからウチのような「しゃくや」(二ねん半ごにはでていかねばならない)でもとくにおおやさんにことわらなくても「こうじ」かのうなのだろうか。ざっしとかをよむといろいろとややこしいことがあるみたいなのでとりあえずDDIポケットのAirH''「ワイヤレス・つなぎ放題コース」(4930円/月;ただし32kpbsパケットつうしんということでつうじょうのアナログかいせん[56kpbs]よりもそくどのてんでまける)のけいやくをかんがえているのだけど…。[21:20;ただしアップできるのがいつのことであるのか不明]