2000年12月31日(日)
●せいかくにはすでに1月1日にはいっていてしかもあたらしいせいきになったとなれば「しんねんのごあいさつ」でものべるべきなのかもしれないがいちおうここはにっきなので31日のひづけのままで一ねんのはんせいなど。
●しごとはよていされていた「たんこうしょ」.のかんこうにむけたしっぴつが10月いこうまったくすすまなかった。それはこのばしょにもかいてぐちったとおり「こうむ」のいじょうなほどのかみつによるところだいであることはまちがいないがそれらをけっかてきにひきうけてしまっていることもふくめてなによりもせきにんがじぶんじしんにあることもまたひていしてはならない。しっているひとはしっているとおりこのにっきのしっぴつしゃはいちめんにおいてきわめて「きんべん」であるはんめんどうしようもなく「たいだ」なめんもゆうする。それじたいはべつにほこることもないとうぜんすぎる二めんせいでもあろうがそのバランスがおおきくくずれているとじぶんでかんじられるのだ。じぶんじしんのしごとにもエネルギーを――らいねんにむけたさいだいのはんせい。
●もう一てんのはんせい。うえとかんれんするがかなりのけついをもってはじめたHPがまったくこうしんできないうえに四しつもつくった「けいじばん」でもかんりしゃせきにん(?)をはたせなかった。HPぜんたいとしてはとりあえず「きゅうしつ」(かんぜんへいさではなく)のほうこうでかんがえているが「けいじばん」はひつようであれば「かず」をせいりしつつそんぞくのほうこうで(にっきはどうなる?)。
●さて、ちかばの奈良のジジババはなにやらあやしいしんこうしゅうきょうにきんねんハマッているのでしょうがつはその「おまいり」とかでがいしゅつすることになりけっかてきにわれらが「こうこう」もねんないにかんたんにすんでしまうことになる。したがってあすはこの京都のちでのんびりと。まさかこのまちでこうしてしょうがつをすごすなんて五ねんもまえにはかんがえもおよばなかったけれど…。[24:52]

2000年12月30日(土)
●さくやのにっきをアップしてからとんでもないことがおこった。15日にしゅうりをおえてもどってきたばかりのVAIOがまたおなじこしょうをおこしたのである。どこかのけいじばんにはマザーボードが「こうかん」されたようにかいたきおくもあるがただしくはここにかいたとおり「マザーボード回路部補修」がなされた[12月17日(日)夜のちゅうきをさんしょう]のでありその\35,700のたいきんをとって「ほしゅう」されたはずのぶいで(たぶん)またおなじようなもんだいがはっせいしたのである。しかもねんまつねんしでメーカーのサービスセンターもきゅうぎょうにはいっているとのことで(SONYの「しごとはじめ」は1月9日だという)しゅうりもいれると1月もこうはんにならないとマイVAIOははたらけないということになる。というわけでさすがにそのあいだじゅうふるいMebiusでしごとなどできないということでとしあけにVAIOがもちこまれることになる上新電機京都1ばん館(このはんばいてんにはなんらせきにんはない)にはしってあたらしいPCをこうにゅう。ふゆのボーナスをあてにして黒ヴィッツをこうにゅうしたものとしてはそんなにパソコンにおかねはかけられないというのでNECのひかくてきあんかな(「うすがた」でないきょだいモニターの)デスクトップ・タイプ(いつもノートがたしかかったことがない)とデスクをこうにゅうしてきょうもまたごごはセッティングにあけくれたのである。ちなみにこんかいそのあたらしいPCでこれをアップできているのはさきのこしょうでおおいにくろうしたきょうくんからつうしんかんけいのさまざまなデータをせいりしたから。そのいみではにんげんとしてじゃっかんはせいちょうをとげているわけだが(苦笑)いずれにしてもねんまつ、いや二十せいきまつにとんでもないさいなんであることだけはまちがいない。
●もう一てん。あたらしいPCでインターネットのせっていをしていてきづいたのだがアカデミック・サイトのすべてのページをわがやからはみることができない。立命のサーバのもんだいかとさいしょはおもったがほかのきょういんのこじんページはみることができる。いつかおこったようなふぐあいなのだろうか(だがそっちのサイトのほうはさいきんまったくこうしんしていない→だからこうしんじの「じこ」はありえない)。いぜんも(いろんなほうもんしゃから「みることができない」としてきされているときも)けんきゅうしつのLaVieからはみることができたというヘンなこともあったのであすはだいがくにいってチェック。ただしもんだいがあったからといってすぐに「ほしゅう」さぎょうにはいるというきぶんにはとてもなれない。ダメならもう「こうしん/ほしゅう」なしで「はいし」へいっちょくせんか。[24:15]

2000年12月29日(金)
●京都にもどった一にちめ(東京でたべすぎたためにカラダがおもい)はいろいろとあせるしんちゅうとはうらはらにへやのそうじやらオーディオききのはいせんのちょうせい(DVDプレーヤがふえたから)やらにぼうさつされるなどいかにもぼんようにすごされてここにとっきすべきことはみあたらない(そもそもとっきすべきことだけをかくばしょなのか?)。あすもねんまつのかいだしのためにクルマをだせとかいっているひとがいるがそれらさいていげんの「しょくむ」をまっとうしたらとっととけんきゅうしつにくもがくれするさんだん。そう、あすは『武蔵野美術』ようのげんこうのためにかきためているメモるいのせいり→うまくすればひさびさに「モダニズムの条件」のページのこうしん? [25:30]

2000年12月28日(木)
●東京から京都にむかうしんかんせん(ひかり267)しゃちゅうにてこれをにゅうりょくちゅう。ただししゃちゅうはでんぱがふあんていだしけいたいのでんちもかなりすくなくなっているのでアップはきたくごかと。
●きょうはさっきまでS氏[さくじつぶんをさんしょう]のアトリエでおいしいあかワインをあおっていた。氏がていねんをむかえて東京家政大学をたいしょくされることはがくせいにとってのそんしつであるばかりでなくそこをおとずれることでえられていたわがたのしみがひとつへることでもある。つぎは氏の2月の個展のさいのじょうきょうとなるだろう。これからひとつきあまりのうちにせいぜいりきさくをせいさくされることをこころよりいのる。
●そのS氏ほうもんのまえに新宿TOWERでまたしてもたいりょうのCDこうにゅう。きんがくにすると四まんえんちょっとだがさいきんはかこのなだかいディスクのあんかなぜんしゅうによるふっこくがさかんであるおかげでじゅんすいにまいすうでかぞえるとかるく五十まいはこえているのではないかとおもう(省スペースの「かみばこ」いりのぜんしゅうもふえているので「かさ」はそんなにおおきくはない)。そうするといつもながら「これをいつきくのだろう?」なんてじもんしたくもなるのだがCDはしかししょもついじょうに「であい」がだいじというそくめんもある。しかも(むかしとちがって)さいきんこうにゅうするのはもっていてぜったいそんはしないものばかり。いつ「たからくじ」でたいきんがあたってリスニング・ルームつきのいえをしんちくして(しかもだいがくもたいしょくして)まいにちまいにちCDをきいていられるひがこないともかぎらない。ひとからなんといわれようとも(うちの細君のいいところはムダづかいにたいしてはひとことももんくをいわないところだ)こんごも「であい」をだいじにしていきたい(笑)。
●もう一てん。きょうもまたしぬほどたべた。あさはコンビニのパンだったがひるは新宿ルミネ「築地玉寿司」(まえのじょうきょうじにオカクミさんときた→こうしゅうかいがんばってください。そしてつぎはまたのみましょう)でまんぷくになってそのあともなじみのソバやでもりを三まいもたべるやらS氏のもとでもチーズやウドン(笑)をしょくすやらでたぶんこのふつかで二キロはふとったのではないか。こうなるとけんこうのためには京都(「しょくぶんか」のてんでは東京にじつはおとる)のせいかつも(ぎゃくせつてきに)すてたものではないのかも、とも。[21:35→いちどアップをトライしますがダメなら京都から]

2000年12月27日(水)b
●東京たいざいしょにちによていされていたことはすべてすませていましたがたホテルにもどってきたがこんやはなんといっても板橋「いなば」(寿司)のあいかわらずの「びみ」がいんしょうてきであった。ほんとうにこのためにじょうきょうするかちがあるとおもう。
●だがいつもはこの「いなば」をともにおとずれるはずのS氏にしつれいをしたことはひていできない。あすは京都にもどるまえに氏のすきなイタリア・ワインでももってそのアトリエをおとずれなければ。
●きょうのCDのしゅうかく。朝比奈隆と準メルクルがともにN響にきゃくえんしたときのライヴのディスクとウルトラマンかんけいのDVDソフト(《ウルトラマンダイナ スペシャル》[総力特集ティガ・ダイナ BCBS-0312]ほかすうてん。だがこれならば京都でもでも京都にいてはじかんがない)。あすは新宿TOWERでゆにゅうばんをちゅうしんにぶっしょくのよてい。[23:38]

2000年12月27日(水)a
●きのうはゆうしょくのあときゅうにノドがいたくなってきたのできょうからのじょうきょうのためにだいじをとってカゼグスリ(PL)をのんだら(すこしまえにビールをのんでいたこともあって)きょうりょくな「すいま」におそわれてそのままあさまでねむってしまった。28:00くらいまではそのひのにっきとするのだけれどさすがにけさは…。
●さてあと四じかんもすればきょうはしんかんせんしゃちゅうのひとである。それにもかんれんしてかいておくのだがにっきではしばらくのあいだ「しごと」のはなしはかかないでおこうとおもう。かんたんにいってしまえば「ねんまつねんし」にくらいわだいはやめましょう(笑)ということなのだが「ゆうげんふじっこう」から「ふげんじっこう」へとモードがかわったとべつのかんてんからかんがえていただいてもいい。
●ということでつぎは一ぱくのたびのもくてきち東京から――。[06:43]

2000年12月26日(火)はお休みしました。

2000年12月25日(月)
●「ごもくとうばん」がきょうにかわったこと[12月19日(火)をさんしょう]をさくやはすっかりわすれていた。ねんまつでゴミかいしゅうしゃがくるのもおそくてごぜんちゅうのよていがおおはばにくるう。まるでじんせいそのもののようだ。
●くずさんとのオフかいは嵐電・妙心寺駅ちかくのなじみの「しまだ」で。むこうは四、五げんめにまだじゅぎょうがあるのにニンニクがばっちりきいたステーキとガーリックライスのランチで(しかもビールもやって)こっちはまんぞく。ただしそのあときたくしてからはしごとははかどらず。これもまたじんせいのようだ。
●よる。上新電機京都1ばん館にてテレビ(けっこんとうじにこうにゅうして十二ねんがけいかしてときどきおとがでなくなっていた)とDVDプレーヤ(これでおんがくソフトをみることができる)をこうにゅう。スペースてきにはぎりぎりだったがわが黒ヴィッツになんとかおさまったのでもちかえったのだがきょうあすはじかんがないのでセッティングのみとおしはたたず(細君は「「紅白」はあたらしいのでみたい」ときわめてぞくっぽいしゅちょうをしている)。
●あす(というよりこんばんもだが)はひたすらげんこうしっぴつにあてる「よてい」。よていはしていてもすすまないときはなまけていたということになるのだろうか――と、いまからよわきなしんぱい。
●ついでにあさってのじょうきょうについても。「常宿」のガーデンパレスが28−30日のあいだ「ぜんかんきゅうぎょう」するというふざけたことをいうので(しかもほかにあたるのもめんどうなので)こんかいは27日一ぱくだけのたびになるようなけはい。げんこうのしんちょくがはかばかしくなければただmontina13さんとのデートのためだけのじょうきょう、なんてことになりはしないか――ことほどさようにこんやは「うしろむき」のはっそうしかはたらかない。[24:12]

2000年12月24日(日)c
●さっきはじゅうだいなことをかきもらした。すなわち子が富山からかえってきてわがやのほんのいっしゅんのせいじゃくがみごとにやぶられたのである(ソウダそれもあって「しごと」のしんちょくがとちゅうからグッとおそくなったのだ)。ひにひにパワーアップするこのアンファン・テリブルを「しゅうよう」してくれるほいくしょが29日から一しゅうかんのあいだおやすみになるとおもうとこのかんのしんちょくぶりがいまからよそうされるほどだ。――マイペースでひびけんきゅうしつにだっしゅつしよう。そのためにはすこしはそこをそうじしなければならない。というわけで「ざつよう」はえんえんとつきず…というオチで。[25:45]

2000年12月24日(日)b
●さくやは「「こうきしけん」のもんだいさくせいにはずいぶんてこずった」と「かこけい」でかいたがじつはwordできれいにレイアウトするさぎょうまでふくめるとほんのすこしまえまでえんえんとこのしごとにかかっていたのだった。いや三かもくぶんもあっていちじはきがとおくなりかけもしたのだができあがったものをみるとたしかに「りょうもん」(+グッドデザイン)である(笑)。すなわちちしきのマルあんきによってとけるのではなくむしろただわがはやくちのじゅぎょうをぼうぜんときいていたものが「ウロおぼえ」でこそかいとうできるであろうというてんで(そしてぎゃくにいえばやはりしゅっせきしていなければなかなかかくのはきびしいだろうというてんで)そう「じふ」するのである。いますぐにでもHPじょうでこうかいしたいほどだ(笑)。
●あすはざつようがいくつか。まずはひにんしゅじゅつをしたセリの「ばっし」をすませてそのあと衣笠医院でのじぶんのじゅしん(ばあいによってはクスリだけ)。だいがくについたらまずはウエのしけんもんだいをじむにとどけて(一しゅうかんもおくれたのであやまって)それから「パラ産」のいみょうをとる「パラダイス」(のような)さんぎょうしゃかいがくぶ(同がくぶしゅっしんのフジテレビしんじんアナウンサーが倉木麻衣ちゃんがこうはいとしてにゅうがくするというのでウカれてそうひょうしていた)のゆうしゅうながくせい(ぶんがくぶとちがってとしあけにそつろんのしめきりがくる)のめんだん。「ドレフュスじけん」にいんしょうはのがかたちはどうたいおうしただとかの「なんもん」をよせてこられていてちょっとやっかい(笑)。
●で、そうしたようじがすんだあとは「第2室」でおなじみのくずさんとオフかい(おひるごはん)。まぁこのひとはなんやかんやほかのがくせいとはちがういきかたをしてきたみたいなので(?)ちょっとききだしてみようかと(笑)。
●そうしてだいがくかんけいのしごとやらしようやらがすむといよいよ27日のじょうきょうにむけたさぎょう。ぐたいてきには? いや「てのうち」はいまはおしえられない(まだよていがたっていない)。[24:34]

2000年12月24日(日)a
●じぶんがじょうほうていきょうしゃなのにみめいのクリスマス・オラトリオはみないでねてしまった。ビデオにはとったのでこんばん(イヴ)かあすのよるにでも(ってべつにキリストきょうにギリがあるわけでもないのだが[笑])。
●そのクリスマスのとうじつに「にこさん」はニューヨークにたたれる(ときどきこうしんされるそのにっきのふるいひづけぶんによればメトロポリタンかげきじょうでオペラもかんしょうされるようだ)。ということはこのにっきのどくしゃ(たぶん)がひとりへる(このよそうがはずれていても/はずれているならこそはずれているというじじつははっかくしない[笑])――というよりもそもそもこれによってわがにっきがかかれるりゆうのはんぶんくらいはなくなったもどうようなのだ。つまりこのにっきは(すでにいつかあんじしたことがあるように)かのじょがさるかきて(まあ「どうぎょうしゃ」である)のにっきをまいにちチェックされているらしいことにいくぶんかシットした(笑)ことにはっしているのだからだがいずれにしてもそのひとがかつて(1999年7月)オランダとイタリアをたびされたときには「かいほう」されていたそのけいじばんはいまはへいさされたままだしそのふざいちゅうにそこに「れんさい」(!)されたのちにいちどはすすんでさくじょしていただいたもののかんだいなしょちによってそのHPのいちぐう(「millenium」となづけられた)にさいけいしゅついただいていたわが「管理者のいない掲示板」なるダブン(もちろんおおいなるけんそんである)もまた2000年がまくをとじるということでまもなく(としがあけた1月10日ころに)ふたたびさくじょいただいてえいえんにひとめにふれないことになる。というわけでまだそれをよんでおられないどくしゃはわがアカデミック・サイトないのスペシャルのページからはいってぜひそのダブンをいちどは!――それとニューヨークりょこうがぶじに、そしてゆういぎなものでありますように(と、なおこれがよまれていないかのうせいをおもいつつ[笑])!
●さくじつのようびらん(「土」)のよこにいつものように「・祝」のもじをつけなかったりゆうにかかるわだい。さくやフトンにはいるときにはタマが逝かんとしていたひびのサクラちるこうけいをおもいだして(もうだいじょうぶとおもっていたのだが)マクラをあつくぬらしそうになったものだが[タマのさいごのひびについては2000年4月12日(水)から同4月17日(月)bまでをさんしょう]いまおそいあさをむかえてようやくN氏へのへんしんメッセージのないようがうかんだ――「コナちゃんはまだいいよ(N)センセイんちににわがあるから。うちなんかうめてやるばしょをさがしてクルマで京都のやまぞい/かわぞいをはしろうかともいっしゅんおもったのだけれど「かれ(=タマ)」じしんがいちどもきたことのないとちではさびしいだろうといまだにステレオのスピーカーのうえにその「お骨(こつ)」がのっかっている。コナちゃん、ごふさいがまいにちくさばなにみずをやるにわさきでやすらかにねむりたまえ」と。いやもちろんすぐにはこんなふうにかけない(笑)。いつかN氏がこのばしょでこれをよまれることをきたいしてかいたのだからである(ソウカこのような「ようと」をもってこのにっきはかかれつづける「いみ」がある)。[10:22]

2000年12月23日(土)
●母子のいない一にち。これでたまったしごともなければどこぞにパーッとあそびに/のみにでもでかけるところなのだがそうもいかず「ひぐらし」VAIOにむかってしかもそれほどのしんちょくはみせず。とくに(じむへの)ていしゅつきげんをすぎた「こうきしけん」のもんだいさくせいにはずいぶんてこずった(じゅけんしゃらはそんなことをそうぞうもしていないだろう)。だがこうしてさくせいだんかいでてこずっておくと(つまりりかいどの「さ」がよくでる=さいてんしやすい「りょうもん」をつくっておくと)あとからラクができるのではある。きょうだんにたちはじめてはやくも十六ねんたつがさいきんようやくはっけんしたコツ。
●そんなわけでひとにのんびりすすめていられるすじあいではないのだがこんばんBS2で「振付師」ベジャールにまつわるプログラム二ほん(「くるみ割り人形」とドキュメンタリィ)とさらにそのあとバッハのクリスマス・オラトリオのえんそうかいがほうそうされる。ぼくはどっちかというとこうしゃにかんしんがあるのだが(CDいがいできいたことがない)いずれにしてもじせつがらひさびさに「BSじょうほう」としてきすのもいいだろう、と。
●さいごに――せんじつ[12月18日(月)]このばしょでふれた山形のN氏んちのネコの「コナ」ちゃん(七さい三かげつと二しゅうかん)がきょうのゆうこく「てんにめされた」(ぼくのひょうげん→こういうときだけいっしゅん「キリスト者」になる)。ともにネコ(どうぶつ)ずきのよろこびとかなしみをしるものとして(またうちの故タマとおなじびょうきだったこともあって)メールのやりとりがあったのでなくなってすぐほうこくをいただくこととなったのだがこよいかなしみのただなかにあるN氏ごふさいにかえすなぐさめのことばもいまはみつからない。ここにきしてどうようのけいけんのあるどくしゃとともにそれぞれのよろこびとかなしみをほんのすこしおもいだすきえんとしたい(このばしょの「じょうれん」のかたならこのわがままなていあんをゆるしてくれるだろう)。[21:24]

2000年12月22日(金)
●つかれもピークにたっしたところでのねんないさいごのじゅぎょう(なんどもなんどもくりかえすがしゅうあけまでつうじょうのじゅぎょうきかんではある)はそれなりのこうふんをともなうものでありまたそのさいごをかざることとなった「西洋美術史II」もテーマがようやくせんもんの「きんげんだい」までとうたつしたこともあって「いんしょうは」などについてじぶんでもオカシイんじゃないかとおもえるほどのはやくちでベラベラとはなしつづけた(もちろんスライドをうつしながらではある)。
●そのあとはけんきゅうしつにもどることもなくすでによやくをいれていたヘアサロン「沙羅」(北区小松原)にむかってさんぱつ。すこしきはずかしいこくはくをすればじょせいのかきてが「きょうはごご××したかえりにかみをきりました」なんてにっきにかかれるのをよむのがとてもすきだったりするのだが(なんというかマア「なにかあったのかな?」という[笑])とすればつまり「いろけ」はないけどこっちもそのようなきぶんではあったということ。
●そのあともまたけんきゅうしつにもどることもなく(ソウダきょうはそつろんいりのダンボールのあるあのへやにかえりたくなかったのだ[笑])「イズミヤ」(白梅町)にむかってあす富山にむかう母子にたくす「おいっこ」祐介くんへのクリスマスプレゼント(スルーピーのキャラクターのはいったニットのぼうし)をこうにゅう。それからとおりをはさんだ寿司の「伝七」にはいって〈竹〉「にぎり」と「てっかまき」と両セットと「ざるそば」(セットの「あかだし」が二つならんでもしようがないのでりょうきんをプラスしてそのうちの一こをソバつきのセットに「かくあげ」したためである)をペロッとたいらげる。とうぜんビールものんでいるので嵐電にのってきたくするとそのまま「おむかえ」のじかんたいまでネコたちとおひるね。
●――と、そのあとはもうこのおそいじかんのにっきこうしんとなっていることからもよそうされるであろうとおりの「いつものてんかい」。かくまでもあるまい。
●あす。あさ8:00まえにクルマで母子を京都駅までおくる「しごと」。それがすんでよくじつのゆうこくまでやく三十じかんほどの「じゆうじかん」。しょうしょうおおげさだがこのじかんをどうすごすかで「にんげん」がとわれるのだ(笑)とかいておきたい。[27:00]

2000年12月21日(木)
●「21日(木)はおやすみしました」とほんとうはかきたいじこくなのだけれどいちおうだいじなひなので…。
●メインディッシュがレトルトのハンバーグという子のたんじょうパーティー(いちおうケーキはかった)は奈良と富山のジジババからのプレゼントもすでにほんにんにてわたっているためとうじつのげきてきなえんしゅつをかいたまましゅうりょう(ほいくしょのせんせいのてづくりのカードとそつろんしどうしたさるがくせい[このにっきのどくしゃであるとせんじつつげられた[12月18日(月)をさんしょう]]がくれたチョコレートがさいだいのめだまであった)。そのご23:00をまわって母が子をねかしつけるかかりをかってでたので(かってなせんたくだ)だいどころのかなりそうぜつなあらいものはひつぜんてきにこっちにまわってくることになりところがこっちももうねむくてねむくて三十ぷんかみんしたらおきようとステレオのめざましをセッティングしてはそれをけしてまたセッティングすることほとんど十かい。けっきょくいま28:00をまわってようやくめをさましてこれからあらいものをすませるけついをかためたところ(おふろもあたためなおさなければならない)。あすは一げんめ(ということはいまから四じかんはんごである)にねんないさいごのじゅぎょうがあるので(かいぎなどは25日まである)このこきざみの三十ぷんずつのかみんだけであさをむかえることになる。
●――と、まあヒサンなはなしでもにっきのネタにはなるということ。[28:17]

2000年12月20日(水)
●そつぎょうろんぶんはさすがにしめきりとうじつのしどうはなかったが(じゅぎょうのあとにかいぎが二けんつづいた)17:00にうけつけかいじょうのとびらがしめられるときにはいつもながらのドラマがあった(どんなにがくせいがなきついてもそのとびらをあけないのは副学部長のさいだいのしごとなのである)。わがゼミでは「かくしんはん」てきにりゅうねんするものが二めいすでにかくていしていたがドタンバで一めい(なんどとくそくしてもついにいちどもとちゅうけいかをみせにこなかった)がまにあわなかった。そう「ミからでたサビ」とはなかなかつきはなせないのである。かれよりもずっとたいだであるにもかかわらずずうずうしくきょうしのちからをりようしてかききる(これもだいじなのうりょくだ)つわものもあるからである。いずれにしてもじっかのりょうしんにほうこくしたりしゅうしょくないていさきにそうだんするなどのあしたからのドラマのだい二まくでかれがかれなりにつよくくきょうをのりきることをねがわざるをえない。
●さくじつもグチったことだが(「センセイはグチるのがおじょうずですね」とホメてくれたイヤミなどくしゃがいる)こうしてそつろんのていしゅつもすんだというのにわがだいがくはまだしゅうあけまでせいきのじゅぎょうきかんなのである。もういいかげんにやすませてくれません? ちなみにらいねんはさらにはんきにつき一しゅうずつじゅぎょうきかんがふえる(しけんきかんをいれるとねんかん三十四しゅうかいこうされることになる)。しんじがたい。
●あすは子の四かいめのたんじょうび。だが母はこのところずっとぜつぼうてきなざんぎょうつづきだしこのままではロクなおいわいもできないのではないか。「さくらいや」[2000年11月23日(木・祝)をさんしょう]のおそうざいじゃさすがにいやだよあしたは。いや、つよくいきるためにはこうしてよのなかのげんじつをはやくからしっておくのもまた子にとってこそヨシとゴマかすべきか。[22:00]

2000年12月19日(火)
●いまごろグランヴィア(京都駅ビルないのホテル)でのんでいるのだろうぶんがくぶどうりょうきょういん(みんながそうなのではない)のことをおもいながらのそつろんしどうはついにおおづめ。いやおおづめはほんとうはきのうのはずだったのがきょうのごぜんちゅうまでのびてけっきょくはいま、しめきりの二十一じかんまえにまでおよんだのである(あしたはしらないよ)。どこかへとうひしたいきぶんだがあしたの二げんめはじゅぎょう(「現代造形文化論II」)だしこのじょうきょうはあさって(「表象批判II」)もそのつぎ(「西洋美術史II」)もどうようなのだがあさって(木)にいたってはこうれいの「ごもくとうばん」[ゴミかいしゅうのひのそうじとうばん][2000年11月13日(月)bほかをさんしょう]がまわってくるというのでさすがにこれはおむかいのオジさんにげつようび(クリスマスとうじつ)とかわってもらうことにした。
●ちなみにこのままだとごかいされそうだからついきするならぶんがくぶのぼうねんかいをドタキャンしたことそれじたいはいささかもくちおしいことではなくむしろ「おさけはいっしょにのみたいひととのむ」をモットーとするものとしてはキャンセルのせいとうなりゆうができてよかったというのがほんねなのではある(山形のぜんにんこうのばあいとちがって二じかいにびじょをさそったりすると「がいや」がうるさいし)。そうだそれでなくともこのあきはいろいろときづかれする「えん」がいくつもあったのだがいずれにしても一かいの「えん」のためにつみたてしたおカネをつかう(だからしんせつなかたは「いかないとソンですよ」といってくださる)スタイルとはこんごもきょりをとりつづけるとしよう。
●もうひとつついき。いっさくじつ奈良のジジババこうこうをすませたからというのではないがこのしゅうまつは母子が富山にこうこうにでかけることになった。このあきたいちょうをくずしたオオオバアちゃん[2000年11月12日(日)aをさんしょう]のおみまいがもくてきなのだがオットのじっかにはカゼをりゆうにむりをしないくせにじぶんのほうのためにはすうじつまえから「しょうが」いりのナベをつくってたいちょうをととのえようとするのだから「けつえん」というのはたいしたものである(まぁそれでふつうであろう)。どっちにしてもたのしんできておくれ。こっちはそのかんにようやくじぶんのげんこうしっぴつのしごとにもどって27−28日のへんしゅうしゃSとのねんないさいごのたたかいにそなえるのだからである。[22:40]

2000年12月18日(月)
●そつろんしどうはアポなしの「とびこみ」のがくせいもいてきぼうしゃぜんいんのめんせつをおえたのは20:00をおおきくまわって(あさから十一かんはんにもおよぶ)。しかもそのうちのはんぶんのがくせいはあすごぜん(ごごはかいぎがひっきりなしである)もまたチェックすることになってつまりはピークがあすまでのびたということである(あさってのしめきりとうじつもそれなりのパニックとなるのだろう)。このちょうしではあすのぼうねんかい(ぶんがくぶぜんたいの)もパスすることになるだろう。
●そのがくせいのうちのひとりがフトこのにっきをよんでいることをこくはくしてきたのでおおいにてれた。まさにこのそつろんしどうのたいへんさをグチっているからということもあるがそれよりも(わだいがなんであろうと)きちんとスーツをきこんでいるのにパンツのガラがすかしみられているようなこのかきて/よみてのかんけいのろしゅつにあわてたのである。だからといってもちろんにっきがきゅうしされるわけでもないしこうやってそれじたいをまたネタにしてしまうのだけれど。
●もっともきらいなテレビばんぐみ(だったらみなければいいのに)のうちのひとつである「ニュース23」でまたしてもしょうねんしょうじょたちのふまんにみみをかたむけるとくしゅうをほうそうしている。「ほんとうのじぶんをわかってほしい」というかれら/かのじょらのじこひょうしゅつのえいぞうをながしそれへのやすっぽいきょうかんをかたってこのばんぐみはしゃかいをどうかえたいというのだろう。かってにやってくれたまえ。こっちは子をそのようなじこひょうしゅつをいさぎよしとしないにんげんにそだてるだけである。(にっきはじこひょうしゅつではないのかね?)
●とブツブツとふへいをかいている(うっている)わがヒザのうえにセリとニゴがのっかってねむっている(マリはひとりしんしつで母子とじゅくすいしている)。おもくてあしがしびれてきたのだが山形の元どうりょうN氏のうちのコナちゃん(六さい)がびょうきでちょうしがわるいときいたこともあってわがあしのしびれぐらいはがまんしてやろうというきになる。コナちゃんのかいふくをいのりたいとおもう(氏もときどきこのにっきをのぞいてくださっているようだ)。[23:45]

2000年12月17日(日)b
●ジジババこうこう[aをさんしょう]は母おやのほうがカゼでダウンしてしまったので父子ふたりでとよていへんこう。クリスマスとたんじょうび(21日)のおいわいをかねたつつましいプレゼントをかってもらいまたなんてんかのしょくりょうひんをもたされてさきほどきたくしたがコクリコクリとジュニアシートからおちそうになってねむる子をじょしゅせきにのせたクルマのそうこう(しかもかえりはおおあめだった)もあってしんしんともにグッタリの一にち。
●こうして一しゅうかんのつかれがとれるどころではないままにとつにゅうするあす、あたらしい一しゅうかんのしょにちはあさの9:00からよるの19:30までひとり三十ぷん×十八にんにおよぶ「そつろんしどう」のほんとうのピーク。グッタリどころではないかもしれない。
●そんなこともあってあすあたりによていしていた「るろうのにっき」ぶんをここにふくめるさぎょうはもうこんやのうちにすませた。このVAIOのデータがうしなわれていたらこのページもオシマイなんて「第2室」にはかいたりしておきながらこうしてすべてのにっきを一かしょにまとめておきたいのだからなんというかやっぱり「じこあい」(?)がつよいほうなのだろう。[22:20]

2000年12月17日(日)a
●ひさびさのにっきはてれる(カウンタのすうちからするとあきらかにどくしゃはへったのに!/ので?)。この「てれ」がますますぞうふくしないようにとにもかくにもまずはなにごとかをかきとめておこうと…。
●さくじつほいくしょの「せいかつはっぴょうかい」(「がくげいかい」とおもっていただければよい)はいつもはほんぽうきわまりない子がよそういじょうにひとまえでてれて(ちはあらそえない?)ほとんどうたごえもはっしていないのがしょうしょうふまんだったがまあそういうデリカシーはもっていてほしいものだとまたしてもうらはらなおもいがこうさく。だが一さいうえのひもだYさんちのヒロくんはだいねつえんだったな。
●きょうはひさびさに奈良のじっかへ。モンテディオ山形がたとえ天皇杯をかちすすんでいたとしてもmontina13嬢とのデートをことわってでもじつげんしなければならなかったひさびさのおや(ジジババ)こうこうなのだがこっちはそれよりもたった100kmほどではあってもひさびさにクルマでとおでできることのほうが(そのことだけが)たのしみ。
●――とマアこんなものでどうでっしゃろ?[02:33]

予想以上に時間がかかりましたがわがVAIOは昨日12月15日(金)の夕刻、データも無事保護されたかたちで帰ってまいりました。「マザーボード回路部補修技術料」ということで\35,700の修理代金が課せられていましたが、メーカー保証が切れてからも4年間有効な販売店の修理保証にオプションで入っていたため当方の懐は痛まずに済みました。さて日記ですが途中、書く感覚(笑)を忘れまいと掲示板等に「るろうのにっき」と称して雑記しましたが、やはりその場で「浮いて」しまったことは疑いえず、また何事もなかったかのようにすぐにここで日記を復活させるという感じでも、いまはありません(なにを繊細ぶっているのですか[笑]?)。ということで、まあボチボチと以前の状態に近づけることを目指し(誰のために[笑]?)、またその過程で、「るろうのにっき」のここ(下の12月3日夜の注記とのあいだ)への再録も果たすこととしましょう。[12月16日夜・記]→ぐずぐずしているのもなんなのでとっとと「るろうのにっき」ぶんのさいろくをすませました。[12月17日夜・記]

2000年12月12日(火)[VAIOこしょうちゅう→けいじばん「別館」に]
●るろうのにっきのだい五かいめ(四かいめじゃないよ)はまたしてもココ「別館」へ。
●よる。京都もドまんなかの六角新町へ。ぜんこくかくちからあつめたそれをほこるだけあってじつに「しょうちゅう」が(そしてもちろんりょうりも)おいしい「長寿庵孫助」でにゅうしかの宮下(三十五さい/きこん)&田島(二十八さい/どくしん)のふたりのしゅんえいだんししょくいんとのんだのだがこれはせんじつの「西陣魚新」におけるのとはちがってむしろ「せいじ」からとおざかるためのきかいにほかならなかった(「せいじ」をわらうはなしはしたが)。こういうしごとをしているとどうりょう=「きょういん」にらくたんすることもおおいがぎゃくにゆうのうな「しょくいん」とはらをわってはなせる/のめるきかいはほかのなにものにもかえがたい。そう、ひさびさに山形でのひびがおもいだされたのである(だがそこには「びじょ」がいたナ)。
●らいねんどのわが「しょくむ」をめぐってじょうそうぶがもめている。ありがたいことにふたつのセクションが「たんとうコマすうカット」+「とくべつてあて」のたいぐうつきのやくしょくをもってとうほうをむかえてくれようとしているのだが(そしてぶつりてき/ないきてきにそのけんむはむずかしい)ぎろんがゆきづまると「きみはどっちをえらぶのか」なんていうナイーヴなといをこちらにむけるのはやめていただきたい。そのようなことは「にんめいけん」がさいしゅうてきにどこにあるかの一てんにかかっているではないか。じょうそうぶでおきめいただきたいものだ。
●あすはごぜんちゅうのじゅぎょう、ごごのかいぎとがくせいめんだんでつぶれるはずだ。「みらい」をかんがえるしょくむがふりかかっているときに「よくじつ」のことをかんがえるのがむなしいヒニク。[24:53]

2000年12月11日(月)b[VAIOこしょうちゅう→K.O.さんかいせつのけいじばんに]
●おそまきながらしんやにビッグニュースをしったので「おことば」にあまえてせいしきに「るろうのにっき」だい四だんのしゅっちょう(ゆるされたのはあくまでもグチであってにっきほんたいではない?)。
●われらが阪神とハカリにかけたうえでいったいどこにいくのかとおもっていたら新庄クンやってくれたねニューヨーク・メッツがとつぎさきだなんて。タイプとしてはイチローよりもかつやくするとおもうよなんてぼんようなかんそうをいってもこのさいしかたないわけでそれよりもニッポンのさいかいきゅうだんの、しかもソイツをとったらそのチームはおわりじゃないかとさえおもえるせんしゅにしょくしゅをのばす(そのはんだんをくだす)バレンタインかんとくになによりもけいい(もちろんぎゃくせつてきだ)をひょうすべきだろう。(ちなみにおなじチームの藪というピッチャーもちょうしがいいときにはむしろメジャーむきだ。)
●あすのかいぎしりょうをさくせいするかたわらのテレビにヒーローVシネマの哀川翔しゅえんのえいが「修羅がゆく3・九州やくざ戦争」(1996年)がうつしだされている。せいへん/ぞくへんともにさいごまでみてしまったにんげん(けれども「たいりつ」のずしき[ストーリー]はよくわかっていない)としてはこんばんもおなじようにしてあけがたをむかえてしまうようなイヤなよかん。こうしてどんどんとくびがしまっていく。[26:52]

2000年12月11日(月)a[VAIOこしょうちゅう→けいじばん「第1室」に]
●るろうのにっきのだい三かいめはここ「第1室」へ。
●DGさんがおれいのメッセージをかきこんでおられるのはアルバン・ベルクQによるベートーベンのげんがくしじゅうそうきょくのぜんしゅう(コンパクトになったEMIの旧スタジオろくおんばん)をせんじつさしあげたことにたいして。これはこの「第1室」でレスをまたせてしつれいしていることのおわびとしてではなく(もうしわけないとおもっているが)DGさんからさきにグールドのビデオのおくりものをいただいたそのおれいとして。かくてかれのへやでは後期ベートーベンのしんえんなるアダージョがひびきわがへやではGGがかろやかにバッハやモーツァルトをひくえいぞうがうつしだされるているのである。(――とかいたとしてもレスのことをゴマかすつもりはないのではある。)
●ひにんしゅじゅつをおえたセリについて。かふくぶをみるとメスと「ほうごう」のあともなまなましいしあすまでしょくじもダメなのでまだまだかわいそうだがとにかくしゅじゅつはぶじしゅうりょう。パートナーからひきはなされてミャオミャオとうるさかったニゴ(ふだんはほとんどなかない)もときどきベッタリとからだをすりよせにいきこそすれいつものようにはげしくとびかかったりはしない。「いへん」にうすうすきづいているようである。
●あす。おひるにかけてまたもやがくせい(みとおしがついてきたものもチラホラ)のめんだんをすうけんすませたあとじゅうだいなかいぎが二けん(まだそのためのしりょうができていない)。そのあとはAOにゅうしでくらくをともにしたにゅうしかしょくいんとうちあげのためにまちにくりだす(あさって二げんのじゅぎょうのじゅんびもすこしはしておかねば)。
●それにしてもVAIOのしゅうりからのきかんはいつだ(もう一しゅうかんたっている!)。ふべんだフベンダあんまりふべんでおもわずあたらしいマシン(DVD-ROMないぞうの)をかってしまいたくなる。[22:46]

2000年12月10日(日)[VAIOこしょうちゅう→けいじばん「第2室」に]
●VAIOがしゅうりからかえってくるまでのるろうのにっきのだい二かいめ(二.五かいめ?)はここ「第2室」で。
●ほぼ一かげつぶりにヴィッツにきゅうゆしたがねんぴがついに9km/lをわりこんだ(カタログ・スペックのやくはんぶん)。へいきんじそくが20km/hにもみたない京都しないをいっぽもでないでおうふく十キロていどのそうこうばかりチマチマつづけていればまあこんなものかもしれないとあきらめきぶん(ほんとうならきょうはモンテディオ山形のおうえんのために神戸までとおのりしてねんぴこうてんのざいりょうとしたところなのだが)。
●そのヴィッツでごごは北山の京都コンサートホールでのえんそうかい(14:00〜)へダッシュ。ここ「第2室」へのくずさんのかきこみ(13:20すぎによんだ)のおかげで金子建志氏/マラ5のえんそうかい(オケは京都フィロムジカ管というアマチュア)のじょうほうをしったからである。こまかいかいしゃくのことはけんきゅうぶそくなのでふれぬが「ぶんせきてき」なしきであることはちょっかんされたししかも「じょうねつてき」。だがいまいちまんぞくできないのはアマチュアといえどもオーケストラにたいするこっちのようきゅうがたかいせいだろう(プロによるこのきょくのじつえんにせっしたことがないくせに)。いずれにしてもプロのしかも一流オケを金子氏がふるのをぜひみたい/ききたいものだとせつにおもった。
●あすはあさいちでセリをびょういんへつれていって(ひにんしゅじゅつをうけさせる)そのあとがくせいのめんだんラッシュ。ごごにはこうむがらみでいくつかうちあわせがあるがそのためにひつようなぶんしょのさくせいはげんじてんでまったくてつかずである(これからがんばる)。ゆうこくはしゅじゅつをおえたセリをひきとりにいってそのあとじぶんのカラダをみてもらいに衣笠医院へ。せんしゅう「みほん(しきょうひん)」を一しゅうかんぶんだしてもらったホクナリンというクスリ(これを「はる」とちょうしがいい)をおそらくせいしきにしょほうしてもらうことになる。
[削除しました。][22:46]

2000年12月7日(木)[VAIOこしょうちゅう→けいじばん「別館」に]
●フリーのけいじばんとはいえなんにもりようしないのはもったいないからVAIOがかえってくるまでのあいだだれもおとずれることのないこのばしょをにっきちょうとしてつかおうか。
●せんじつしょほうしてもらった(とはいえいまはまだ「みほん」をつかっている)じょうはんしんにはるタイプのクスリがよくきいているのかたいちょうはすこぶるいい。こちょうでもなんでもなくこのあきはじめて「しんこきゅう」をしているというかんじである。ただしあるきゅうにゅうタイプのクスリとへいようすると「しんていし」のふくさようのかのうせいがあるというおそろしいデータがけいさいされていてしかもそのクスリが(いつだったか「きゅうじつしんりょうしょ」でしょほうしてもらって)たしかにわがやにそんざいする。ちょっとぶきみではある(笑)。
●じつはいまあしたのじゅぎょうとめんだんのためのじゅんびをしつつ「ゆどうふ」をしょくしている。いいコンブでだしをとって(うちのさいくんはフットウちょくぜんにコンブをひきあげるというデリカシーがない)すきなもめんどうふをぐつっとにたてるともうほかになんの「あて」もいらなくなる。ビールとゆどうふ。けんこうかいふくにかんしゃ。
●とうしょはあすセリのひにんしゅじゅつがよていされていたのだが金ようびのあさはふうふともどもしごとでどうぶつびょういんにいってるヒマがない。ぜんや(つまりこんや)からあずけてもいいといわれたがひとりでまっくらなよるをすごさせるのはさすがにしのびなく月ようびへとへんこうしてもらった。ちなみにニゴもおしょうがつあけにはどうようのしゅじゅつのよてい。ネコを「ペット」としてかっていていちばんうしろめたいけつだんのしゅんかん。[24:51]

2000年12月4日(月)からしばらく(VAIOのしゅうりがかんりょうするまで)のあいだ、にっきはおやすみします(ただしほかのマシンからアップする「しゅほう」がかくりつされればそのかぎりにあらず)。[12月3日夜・記]

2000年12月3日(日)
●VAIOにじゅうだいなトラブルはっせい[詳細にかんする説明文書は削除しました。]。いまこのぶんしょうをかいてアップするさぎょうもじかんとのたたかいのなかで…。ということでこんやのじてんであすいこうすうじつかんのにっきのきゅうぎょうよこくもけいしゅつしておきたい。[23:25]

2000年12月2日(土)c
[削除しました。][25:10]

2000年12月2日(土)b
●さきのアップぶんのなかの梅原氏のがくちょうしゅうにんきかんにあやまりがあった(ていせいずみ)。
[削除しました。]
[削除しました。]
●ついでに――じたくと京都芸大のおうふくにようしたきょり/じかんはおおよそ二十五キロ/一じかん。すると龍安寺道のあるいて五ふんたらずのつうきんにすでになれすぎてしまっているみからするとこれくらいはなれていてクルマもつうきんだけでコンスタントに四百キロ/ひとつきぐらいはしるのがちょうどいいようにすらおもわれたのである。(そういえば子のどうきゅうせいのきょうこちゃんのおかあさんは同だいがくのとしょかんにつとめておられるのだっけ。)
[削除しました。][24:53]

2000年12月2日(土)a
●きょうのドライヴ[さくやのさいごのきじをさんしょう]のもくてきは「こうむ」もかねた京都市立芸術大学ほうもん。エライせんせいのだいり(すなわちわがだいがくのだいひょう)としてさる「しゅくてん」にしゅっせきしたのだが(井上流家元[五世]による祝舞「柱立」はあったがざんねんながらオケによる「大学祝典序曲」[ブラームス]のえんそうはなかった)「ろじょうきょうしゅう」でもんぜんをとおったことがあるだけだったそのだいがくのもんのうちがわにはコンクリートせいのゆるやかにくちつつあるたてものがりんりつするなかにらくようじゅがはえる東京・上野にあるわがぼこうのそれにもにたみょうにおちつけるくうかんがひろがっていた。
●そのふゆじたくをはじめたふうけいのように「ばんねん」をむかえつつある梅原猛氏(かつて立命館から同だいがくにうつってから「がくちょう」を三き九ねんにわたってつとめた)の「きねんこうえん」はさっか=どうりょうきょういんとのこうりゅうをかいこするぶぶんはいかにもありがちであったがそのマクラとしてかたられた自民党から共産党にいたるすべてのしぎかいぎいんにねまわししていまの沓掛校地をかくとくした四半世紀まえの「せいじ」のわだいがきょうみふかくきかれた(氏はそのあとときの中曽根首相にはたらきかけて国際日本文化研究センターをつくったのである)。
●その「しゅくてん」しゅうりょうごのレセプションは(そういうのはにがてなのでとうぜん)パス。じつはひそかにさいかいをたのしみにしていた「にこさん」(同だいがくでじょしゅをつとめておられる[2000年6月1日(木)をさんしょう])のすがたをしゅくてんかいじょうにさがしたがみあたらないしそとのふうけいをみてもきょうはでてきておられないのだろうことがちょっかんされたので(!?)あさやってきたみち(国道9号線)をそのままぎゃっこうしてひるすぎにはきたく。
●きたくしてやく十四じかんぶりにVAIOにむかうとなんということであろう(!)じぶんで「第2室」のカウンタの10000のすうちをふんでしまった。したがってそのあとの白梅町「伝七」(寿司)でのちゅうしょくはその「しゅくてん」とみなすこともできなくもないが(笑)いずれにしてもかぜ/ぜんそくのぶりかえしで三日間ひかえていたビールもおなかにこたえてそのごはゆうこくまでじゅくすい。ようやく一しゅうかんのつかれがすこしとれてこんやとあすはちょっとはじぶんのしごと(そしてとどこおっているけいじばんへのレスのしっぴつ)ができるかなと。[22:00]

2000年12月1日(金)
●おねだり[さくやの二つめのきじをさんしょう]するときにはしてみるものである。
Kenneth Burkeianという(筆)名のわが「どうりょう」からやさしいいたわりのメールをいただいた(えいごのぶんめんなのだけれどほんとうは「あまえんなヨ」のメッセージだったりして[笑])。かんしゃにたえない(これにはうらのメッセージはこめられていない)。
●このおなじげんいんにきそうとおもってもせけんはそんなことをゆるしてくれない「しったい」をしでかした。ちょうないのさるごろうじんがなくなられてその「おつや/こくべつしき」のよていをつたえる「かいらんばん」のそんざいをその「おつや」もすんだ「こくべつしき」とうじつのけさまでわすれていた(げたばこのまえにおそらくおとおいのゆうがたからずっとたてかけてあった)。あさ一げんめのじゅぎょうがはじまる十ぷんほどまえだったのでとりあえずふかぶかとむかいのおじさん(かいらんばんがつぎにまわっていく)にあたまをさげてとうこうして(でもじゅぎょうのさいちゅうにもどうやってあやまろうかというおもいがときどきアタマをよぎった)ひるのめんだんがおわってからとんでかえってもういちどあやまりなおした。がっこうをでるまえにいちおうおわびのてがみまでかいたのだが「アンタらつとめていそがしゅうしてはってわすれてしもうたんはもうしようがない。こんどからきぃつけてくれたらみんなもうええから」とおじさんは(
Kenneth Burkeianさんとおなじようにやさしく)おっしゃってくださった。てがみはむだになったがきもちはすくわれた。
●けいじばん「第2室」のカウンタがまもなく10000にたっする。ひそかにあるしゅのかんがいをおぼえつつあるが「かんりしゃ」としてあまりにたいまんなひびをこのところすごしているのでそのことにふれるのがすっかりうしろめたい。たいちょうときぶんがいますこしかいふくしてからそれへのかんしゃのメッセージを(とかいたしゅんかんからカウンタのかいてんがストップしたりして)。
●あすは洛西ほうめんにちょっとしたドライヴにでかけるよてい。かえりにはまた「Pur Brun」[11月17日(金)bおよび25日(土)bをさんしょう]によっておいしいコーヒーをのんでこよう。ソウダ11月ぶんをかこのにっきのコーナーにうつすこともわすれぬように。[22:42]