2001年10月23日(火)va
●きのうオモテのほうにかいたとおりVAIO日記はこれをもっておわりとなる。モバイルPCによるにっきをこれでおしまいにするというのではなくきほんてきにオモテのほうもモバイル(どういつのマシン[Cassiopeia
FIVA 206-VL]による)にきりかわるのである。その「きりかえ」は32kパケットじょうじせつぞくのPHS用カード(AirH”)をこうにゅう・けいやくしたきのうのよるのうちからじっせんされているが(そのマシンをいまきょうじゅかいかいじょうにもちこんでうしろのほうのせきでパチパチとやっているのである)あるいはVAIOの「な」と「じったい」のズレということでいえばすでに6月にBibloのMF7/700をこうにゅうして[LaVie日記の6月12日(火)la]うんようしはじめただんかいでけんざいかしていた。ついでながらかけばけんきゅうしつからアップするLaVie日記のほうはなおもLANによる(そのしゅのものとしてはかなりおそいというべきだがそれでもPHSよりははやい)じょうじせつぞくのゆえになおそんぞくするいぎをゆうするのだがいずれにしてもそれをとうしょアップしていたLaVieがいまや子のおあそびマシンとして「よせい」をおくっているのであってみればそろそろそれら「なまえ」のこともふくめてにっきのしくみじたいをさいけんとうするじきにきているといっていい。ぐたいてきにはこれまでとどうようの「ひらがな日記」(仮称;笑)とないようはさしてかわらないだろう(ただアップしやすいのと「二枚舌」をときにはつかいたいがための)「研究室日記」(仮称;いろんなせんせいがやってそうでイヤなネーミングだ)の二ほんだてをきほんとしつつそこに(しせいかつについてふれることはしないで)じじてきなもんだいにできるだけすばやくレスポンスをはっする第三のにっき(これはげんざいでは仮称もうかんでいない)をついかしようかとおもっている。いや、これは一つのあんであって「たいきょく」にはにっきじたいをへいさするあんもある(にっきをなのらないページをこうしんするだけでHPをとじることは[こんなHPであっても]かんがえていない)。あるいはメール・マガジンけいしきにするのはどうか(笑)とカラカイはんぶん/ぎじゅつしどうのもうしではんぶんのていあんをしてくれるがくせい=どくしゃもあるのだがいずれにしてもにっきでにっきについてこれだけクダクダとかくのだからこの「メディア」(おおげさだ)がずいぶんきにいっていることだけはたしかだろう。――VAIO日記のさいごにふさわしいわだいであったとかいておこう。[16:00;翌朝一部字句修正]
2001年10月13日(土)vb
●レハールの《微笑みの国》[きょうのオモテの日記をさんしょう]はさすがにあまりじょうえんされないだけある(笑)といったかんじのさくひんだが湖上のとくせつステージをみいるかんきゃくのきぶんになってなにもかんがえないというのはなかなかわるくない――と、もちろんこれはいいわけ。ちなみに「サクリファイス」のとりこみはおわったのだがきょうかりてきたテープのしょりをひきつづきおこなっていてなおデスクトップPCがふさがっているのでこちらからそのいいわけをアップすることになる。で、アップしたらねむろうか。だがこの「わく」がおわったら27:00すぎにはつぎの《ロミオとジュリエット》[同上]のためにデッキないのテープをバレエようのそれにとりかえるひつようがある(デスクトップPCのえいぞうへんしゅうソフトもストップさせねばならない)。こうやってますます「じょうきょう」をあっかさせている。――あっ、そういっているうちにテレビから「君はわが心のすべて」がきこえてきた。なんやかんやいってもきいててよかったネ/これがおわったらほんとにもうねむるしかないかな。[26:16]
2001年10月13日(土)va
●べつにたびにでているわけではないのだがゆうこくちょっとしたさがしものをしているさいちゅうにいつろくがしたのかまったくおぼえがないタルコフスキーの「サクリファイス」のテープがでてきたのでそれをさっきからmpeg1データにへんかんしていて(150min.ほどもかかる)それでデスクトップPCがふさがっていてこちらのノートPC(ここのどくしゃにはすでにおなじみであろうがVAIO日記の名がかんせられていてもげんざいおもにもちいるのは富士通のFM
Bibloである)からアップしようとしているしだい。
●いやこうして(いっけん)セいているからといってたいしたわだいではないのだがじつはさいきんのぼくのあまりのふきそくなせいかつはほとんど「すいみんしょうがい」というちゃんとしたびょうきにきすることができるほどであるとうちの「いりょうかんけいしゃ」にさっきいわれたのである(まじめなかおで)。じっさいつづけてねむるじかんが四じかんをこえることがないうえに(そのじかんたいもさまざまだ)そのあいだもじゅくすいしているのはそんなにながくはないようなきがする/そとからもそうみえるようだ。せいしんはひかくてきいつもたかぶっているのに(りゆうがしゅとしてじゅぎょうの「ストレス」[いいいみでも]にあることはたしかだ)かおにはいつもひろうのいろがにじみでている。ふけんこうきわまりない。
●なのに(という「ふりかた」はてきとうでないきもするが)きょうはTSUTAYA西院店にひさしぶりにいってとってもくら〜いのを二ほん(笑)ととってもあかる〜いのを一ぽんの、あわせて三ぼんのえいがのテープをかりてしまった。そのタイトルをあげることがなぜだかきょうはとてもきはずかしいのでふせたままとするのだがどうせまたこれらもまたmpeg1データにへんかんされるだけでじっくりかんしょうされることもなく一しゅうかんごにはへんきゃくされることになるのだろう(だってこの一しゅうかんはつうじょうのこうむにくわえてAOにゅうしのさいてんがくわわって「死」ぬほどいそがしい)。そうかんがえるとますますくらくなる。あくじゅんかんのただなかにいる(むりをしてそこからぬけでたいともおもわないが)。[24:01]
2001年10月1日(月)va
●つぎのひのじゅぎょう(10:40〜)とかいぎ(12:30〜)のことをおもんばかってこんなはやいうちからのりこむとはなさけないとおもわざるをえない13:37発のしんかんせんのしゃちゅうより――ゆっくりとあさのじかんをすごしておそいチェックアウトをすませたあとほんのすこしたちよることをかんがえたときにえらばれたのはやはり山野楽器のほんてん(銀座)であった。丸善のカードがあると「こくないばん」が一わりびきになるがゆえについついじょうきょうのよていをにらんで京都でのこうにゅうをかいびかえていた一れんのCDのうちブーレーズがふる《グレの歌》と《モーゼとアロン》(ともにシェーンベルクさっきょく;ついこのあいだまでこくないばんは「しなぎれ」だった)、ノーノ《断ち切られた歌》、安永徹+市野あゆみのデュオ・コンサートのライヴばんの四てんをこうにゅう。こんかいはプレーヤをもってきていなかったので数寄屋橋のソニープラザでCDウォークマンもかって(単3アルカリでんちで三十六じかんももつのだからその五ぶんの一ももたないふるいきしゅとはちょうどかいかえどきだった)いまは《モーゼ》をきいている。でも「ざつおん」だらけのしんかんせんしゃちゅうできくようなおんがくではないな(笑)。ということでもうすこししたらHDのなかにmpeg1のかたちでほぞんされているえいが(《カラヴァッジオ》か《ポール・ボウルズの告白》)のいずれかを。[13:08;電波安定後にアップ]
2001年9月30日(日)va
●「たいだん」はぶじしゅうりょう。あいてはレヴィナスほかをけんきゅうされている熊野純彦氏(東京大学)。びじゅつかんけいしゃがおおくあつまるところでそれをせんもんとするにんげんをあいてにきぐろうもおありだったろうが(ぼくもずいぶんとタイプがちがうかたなのですこし「えんりょ」した)さいごにいわれた「たのしかった」ということばがウソでないことをいのる。――なんてずいぶんとこんやは「しゅしょう」だ(笑)。
●そのあとはいぜんからあるきかくをもちかけてくださっているへんしゅうしゃと神楽坂でかいしょく。後楽園ちかくのかれのかいしゃにばしょをうつしてしごとのはなしをして(らいねんそのきかくがしどうすることになった)そこをあとにするとときあたかも東京ドームでは長嶋監督の「ゆうたい」セレモニーがおわったちょくごでおもわぬかたちでひとごみにのまれることになった。あめもけっこうつよかったのでずぶぬれになったが「ひとしごと」すんだかんかくがみょうにここちよくて「ちかてつ」にもタクシーにものらずにホテルまであるいてかえった。そのせいでいまはすこしカラダがひえている。しっぱいしたかな。[23:13]
2001年9月29日(土)vb
●よる。「じょうしゅく」にしている東京ガーデンパレス(御茶ノ水)からほどちかいのでカザルスホールまでプラプラとさんぽ。もちろんそこにさくやのプレーヤー[きのうのオモテの日記をさんしょう]のすがたがあるはずもないのだが(そのかわりよるの「ブロードキャスター」[TBS系]の〈お父さんのためのワイドショー講座〉でせんじつのトッパンホールでのコンサート[同9月26日(水)aをさんしょう]のもようがチラとうつった)――ぼくのめにはさっそうとチェロをひくシュタルケルのおもかげがたしかにおもいうかべられたのだとかいておきたい。
●そのあと。ディスクユニオンのあたらしくなったクラシック館でマルティヌーのピアノきょくしゅう(三まいぐみ)とヤナーチェクのかんげんがっきょくしゅう(二まいぐみ)のCD(ともに中古)、そしてジョン・ケージのドキュメンタリィのビデオ(新品、輸)をこうにゅう(ケージじしんによるのではないがプリペアド・ピアノのじつえんのようすもおさめられているようだ)。きょうはそれいじょうどこかにでるきぶんにはならなかったがあしたは「たいだん」をおえたあとにできたらTOWERにでも。
●それにしても「またしても」[9月19日(水)vbをさんしょう]たいふうがきている(笑)。まだ「ちゅうしん」からはとおいようだが「あきさめぜんせん」がしげきされてあすはごごからあめになり帰洛よていの月ようびは「おおあれ」になりそうだと。「あめおとこ」をとおりこして「たいふうおとこ」とじしょうしようか。[23:40]
2001年9月29日(土)va
●13:00すぎにじたくをでていまはしんかんせんのしゃちゅうのひとである(アップはまたしてもずいぶんあとのことになるかもしれない)。じつはちょくぜんまでヴィッツで名神・東名をはしるたびとどちらにするかでなやんだのだが「かえり」(いちおうつきがかわった月ようびとなるよていである)に静岡やら名古屋やらのびじゅつかんにたちよって…という「こうじつ」がなりたたない(だって月ようびだから)ことがさいしゅうてきなりゆうとなって(つまらないりゆうだ)しんかんせんにとびのることとなった。そうしてきらくなれっしゃのたびにおちついたのはいいがとうちゃくするじこくは一じかんほどしかかわらないし(クルマでも18:30にはホテルにはいれるだろう)うんてんのきんちょうからかいほうされたこのしゅんかんにもなにごとかあすの「たいだん」のじゅんびをするわけでもなくこうやってにっきをかいているしまつなのである。まあでもきょうはこうそくのどこかで「じこ」にまきこまれそうなヘンなよかんがしたから、とでもくだらないりゆうをつけてますますのんびりと。[15:00]
2001年9月19日(水)vb
●たいふうがきているようだ。またしてもというかんじである。と、このことをいまかきたかった。
●ついでに長寿庵のもりソバ(しながきでは「せいろ」となっている)のしゃしん[したのvaをさんしょう](できはよくない)をこよいのうちに。ちなみに二まいちゅうもんしてもこの一まいめがちょうどたべおわるころにつぎの二まいめがでてくる。このうれしいはいりょについてかいておきたかった。[24:23]
2001年9月19日(水)va
●おひるにつぎのぶんしょうをかいてアップしようとした。がプロバイダが(たぶんじぜんにつうこくすることなしに)りんじのメンテナンスとしょうしてアップやHPのブラウザをふつうにしていた。小田原をすぎてからなんどもなんどもアップをこころみて(というのもffftpソフトをつかっているかぎりメンテナンスじょうほうははいってこないのだから)ケイタイのつうしんりょうをかさませてしまったせきにんをどうとってくれる? いずれにしてもボツにするのもかなしいのでいかにそのままいんようしておく。――「東京にむかうしんかんせんのしゃちゅうである。おもいっきりしごとがすすむ。さりとてそれは15:00からの「モンかショウ」そんだんになにごとかかかわりのあることではいっさいなく「じぶん」のほんらいのしごと――そしてらいしゅうのとあるイヴェントにかんけいする――をさす。とうぜんだ。このために名神〜東名の500kmをヴィッツでとばす「かいらく」をすててこのれっしゃでのたびをえらんだのだからだがこんなに「すすむ」のであれば「ていきけん」でもこうにゅうしてしょっちゅう名古屋あたり(せめてそれくらいのきょりがあかないとね)とのあいだをゆききするのがいいのではないかしらん(そのこうつうひの「もと」がとれるしごとかどうかはさておき)。いや、かんがえてみれば立命にちゃくにんするいぜんの東京〜山形のにじゅうせいかつはにたようなじょうきょうにおかれていたのではなかったか? ならばそこでしごとはしんにしんちょくをとげたか? ぜんげん(「ていきけん」さくせんにかんする)はてっかいしなければならない。[11:40;いま熱海あたりなので電波が安定してから送信]」[この部分、翌朝一字修正]
●さて「モンかショウ」そうだんはまったくよそうしたとおりのないよう。だったらこれから「うちわ」でそうだんゴッコですませましょう(もちろん「もんぶぎかん」やくはぼくだ)。
●そのあと(ゆうこく)。むかしよくあそんだ赤坂(アルバイトさきのほんぶがあった)にたちよって名店「長寿庵」でソバを二まい(このみせには「おおもり」というのはない)。つかれていなかったらしゃしんをアップするところだが(というのもむかしのふるいつくりのみせはそこになくすっかりモダンにかいそうされていたからだ)いずれにしても「きかい」できった(「うつ」のも「て」ではないかもしれない)メンなのにこのみせどくとくのおいしさがあってまんぞく(とくにそのままでものめそうなくらいにあっさりしたここの「めんつゆ」がぼくはすきだ)。そのあとはいつものごとく板橋の「いなば」で、しかしきょうはきゅうきょつどうことになった東京家政大学のせんせい二人とすしを。はなしはぜんごするがおひるに(「つな八」がこんでいたのではいった)「福助」のすしがきょうはいまひとつだったのでよるの「いなば」でちょうけし。
●その「長寿庵」から「いなば」にむかうとちゅうで旧・新宿区立牛込原町小学校へ。ここでいま「アートイング東京2001」というてんらんかいがひらかれている(かいきがおわるとがっこうのたてものはとりこわされる)。そしてある「あくい」がぼくをこのばしょでひらかれるあるイヴェントにひっぱりだすことになった。きょうはそのうちあわせも。ゆうえきな上京だったというべきかもしれない。[23:42;翌朝、一部表記変更]
2001年9月13日(木)vb
●[削除しました。][13:53;翌日削除]
2001年9月13日(木)va
●四日かんのしゅうちゅうこうぎのさいしゅうびの、さいごの一じかんをあとにのこしたごごのさいしょの一じかんはいつも「しけん」ときまっている。で、いまがくせいしょくん(ごうけい十めい)はとうあんさくせいにいそしみ、こうしはこうやってパチパチとにっきをこうしんしている。ふきんしんだ(笑)。だがきのうわがHPのURLをしょうかいした(スペシャルのページのセザンヌろんにかんけいするじゅぎょうないようだったのでかんしんがあるひとはさんしょうしてくださいと)のにそのページにアクセスできなかったとのほうこくをうけたのでじゅぎょうがおわって名古屋をたつまえにかいけつしておこうとこのしけんのさいちゅうにけいたいでんわでアクセスをこころみることになったというわけ(ついでににっきをこうしんするりゆうにはならないが)。
●いずれにしてもじゅぎょうはじゅんちょうでごぜんちゅうにはなしたいことははなしおえた。こうしてごごの二じかんめ=さいごの一じかんはこれもまたいつもどおりにスライドをもちいて「ほそく」をおこなう。なぁんだ「はなしたいことははなしおえた」というのはウソではないか? いや、そうではない。はなしおえたところからはじまるオプショナルなわだいこそがしんせいなる「post-script(ついしん)」なのであってここではきたいされている「せいよう/きんだい」というわくぐみをおおいにいつだつしてここんとうざいのさまざまなるわだいにジャンプ(あるいはワープ)できるのだからである。
●そうしてじゅぎょうを16:00におえたらそのあとはみちくさをくうことなくヴィッツで帰洛するよてい。さくねんもそうだったが「ゆうひ」をおいかけながらにしにむかう名神のドライヴ。とかくとすこしロマンティックだがまぶしくてじっさいはうんてんしずらい。あんぜんうんてんをきしたい。
●もうひとつついき(post-script)。いやこれをかいたらこんやはオモテにかくわだいはなくなるかもしれないがアメリカの「どうじ/たはつ」テロのえいぞうがはやくもマンネリ化してきた(かなしいがわがこころのなかでも)。とくに「みんぽうほうそう」はおとくいのBGMつきドキュメントのオンパレードで(阪神大震災のときもそうだったがとくに日テレ系がひどい)こういうときにはまたしても「こくえいほうそう」の(まだしもの)「びてん」がきわだってくる。きのうもおなじようなことをはなしたしかきもしたが[さくやのvaをさんしょう]うえのマンネリ化/このエンタテインメント化のしんこうのさなかにあってあらためてこのいんしょうをかきとめておきたい。[13:47;20:30(帰洛後)一部字句修正]
2001年9月12日(水)vd
●ブッシュが「これはせんそうだ――〈善〉と〈悪〉のあいだの」といっていた。ただしい。だがそのあとにつけくわえた「そしてさいごはかならず〈善〉がかつ」のもんごんのしんぎはおおいにあやしい。
●もうひとりのべつなるはつげん。「よくやったとおもいますよ」と。はつげんのぬしはぐんじひょうろんかの志方某氏(元・自衛隊の統幕議長とかではなかったか)。もちろんごかいもかくごでかたった、テロリズムのしょきのもくてきがみごとにたっせいされたことをきょうちょうするいいかたであるはずだがこのきょうちょうされたないようにはたしかにしんり(真理)のだんぺんがふくまれている。じっさいかれらテロリストはよくやったのである。これは〈善/悪〉のかちはんだんをこえている。[25:18]
2001年9月12日(水)vc
●たとえばいちやたってもかえってこない父おやをおもって母とともになきじゃくっている子がニューヨークに何十、何百といるであろう。そのここのかなしみをおもうこと。はなはだナイーヴなかなしみのひょうげんであるといわねばならないがそれでもなにごともスペクタクルとしてしょうひしてしまわざるをえないわれらがかなしい「さが」をのりこえるためにはこのこべつのかなしみへのそうぞうりょくがひつようである。[24:17]
2001年9月12日(水)vb
●アップしてからよみなおしてぶんしょうがおかしいことにきづいたのでしたのいちぶのひょうきをしゅうせいした。カウンタがまわっていなければだまってしゅうせいだけしていたがすでにまわっていたのでねんのため。[24:00]
2001年9月12日(水)va
●せかいがまだそんざいしていたので(苦笑)ヴィッツのそうこうきょりはよていどおりに10000kmをこえた。ひそかにカウントダウンしたかったが「こうぶざせき」にどうしゅくのTせんせい(東京芸大;工芸史)をのせていたのでできなかった。20000kmとっぱのおりにはかならず。
●じゅぎょうはせかいになにごともおこらなかったかのようにつうじょうどおりすすめられた。いや、すこしウソがある。ぼうとうでやはり「じけん」=テロについてふれられた。きほんてきにはさくやのvbにかいたようなないようだがとくにテレビのニュースをつうじてしょうひされたであろうあのスペクタクルがどこか「きしかん(デジャヴュ)」にみちみちたものであること(つまりさまざまな「とくさつ」モノによってどうようのえいぞうをみてきたこと)がふきんしんをかくごでかたられた(はずだ)。そうしてそのあとびじゅつにかんする「ほんだい」にはいった。はんげいじゅつ(反芸術)のわだいをとりあげたがはなしながらどうでもいいことのようにかんじられた。だがそれはしゃかいからきりはなされたものとしてのじこのありかたをおいもとめたあるしゅのモダンアートについてのあるべきいんしょうとおもわれた。あすはせんごのげんだいびじゅつまではなしをすすめてそれでこのしゅうちゅうこうぎはとじられる。ますますどうでもいいトピックスとかんじられるであろう。
●それにしても数千あるいは一万をこえるみんかんじんがせいめいをうしなったのかもしれないこんかいのできごとのかげでにくしんがそのできごとにまきこまれたのかもしれぬひとびとのここのかなしみがあまりうつしだされないのは阪神大震災のおりにぎせいしゃのここの「死」のイメージ(そして「なきがら」)がうつしだされなかったのとおおいににている。ようはそのこべつのじげんをこえたビッグイヴェントであるということなのだがしかしこういうときこそひとりのにくしんの「死」が、「数千あるいは一万をこえ」てるいせきしてなったかなしみやいかりが(そのスペクタクルをこえて)われわれによっていだかれるべきであるときょうちょうしておきたい。そうしてもうひとこと――このじんるいのひげきをほうどうするのにコマーシャルのそうにゅうはやめたらどうなのだ(こういうときはこのしほんしゅぎてきないとなみからきりはなされた[ようにみえる]「こくえいほうそう」はひつようであるとおもう)。
●よるのにちじょうせいかつについてほそく。ゆうこく。Mせんせいのしゅくしゃ(愛知県立芸術大学のしきちないにあるロッジのような)でさくやとほぼおなじメンバーでかいしょく。そのばでもビールをのみながらニュースをみつづけた。かってなかんそうやおくそくをかたりあった。だれもじしんにおなじようなさんげきがおそうかのうせいがありうることをいしきもせずに。だがにんげんとはそういうものだ。かなしいけれども。[23:47;24:00一部字句修正]
2001年9月11日(火)vb
●こんなときだからこそあえてへいせいをよそおいつつかいておこう。ヴィッツのそうこうきょりが9995kmをこえた。あすあさの愛知県芸大へのいどうのさいちゅうに10000kmをこえる。もっともあすあさのじてんでせかいがまだあればのはなしだが(せかいはまだあったとしてもじゅぎょうはふつうにおこなうのだろうか)。
●ところでこれいじょうこのにっきをこうしんしようにもバッテリののこりが二十パーセントをきった[したのvaをさんしょう]。これをせかいのしゅうえんへとるいひすることはいかにもふきんしんだがいずれにしてもバッテリがつきるのをいまけいけんするのはあまりにもたえがたいからここでこんやのこうしんをきゅうしする。[24:58]
2001年9月11日(火)vb
●テロだ。しかしさきにけつろんてきにいってしまえばこの、いまテレビにうつっているじょうけい(のちにかこのできごととなったときになんのことかわからなくならないためにかいておくならワールド・トレード・センターのほうかいじこ/じけんのけんだ)すらをぼくはスペクタクルとしてしょうひしている(だってワインをのむてをとめていない)。こまったものだがこのじけんのえいきょうはそうばんわれわれのせいかつにもおよんでくるだろう(あす「きょうこう」がおとずれることだってあるだろう;だが「かぶしきしじょう」はあすひらくのだろうか)。いや、えいきょうをおよぼすどころかこうしたぶつりてきなさんじがわがみにふりかかってこないほしょうはない。そしてそのようなありうるばあいにおいてこそはじめてたんなるスペクタクルとしてではなく「いま・ここ」でおこっているじょうたいをにんしきできるのかもしれない。これはぎゃくせつてきにいえばすべてをスペクタクルとしてしょうひせざるをえなくなっているにんげんにとって「ろうほう」であるのかもしれない。もちろん「たち」のわるいブラックジョークとおもってもらいたいがしかししょうちのとおり「はめつがんぼう」がぼくにはある。じしんのはめつのしゅんかんがせかいのそれとどういつでもあることはひとつのりそうであるのかもしれない。そのいみでぼくにはテロリストのししつもそなわっているとおもう。こうしたことをあらためてにんしきすることはいままさにこのしゅんかんに「死」につつあるひとびとがあるであろうことをおもうとつらい。
●だがそれにしてもいままだめにとびこんできているえいぞうはげんじつのものであるのだろうか。われわれはたとえばウルトラマン・ガイアのさいしゅうかいにおいてつうじょうのかいじゅうのじゅうばいいじょうもあるような(つまり数百メートルもあるような)かいじゅうがこうそうビルをとうかいさせるじょうけいをみた(そしてそのかんどうをかつての「第1室」でもにっきでもじゅぎょうでもかたってきた)。ならばこれはゆめではないのか。だがゆめであるというならばかつてこのようなじょうけいをぼくはむそうしたことがあるようなきがする(きのせいかもしれないが)。
●もうひとつのむそう。1999年のあるひ、そらから「だいおう」がふってきてせかいがほろびるというよげんがあった(あるいはそのようにあるしょもつをよんだものがいた)。それが二ねんおくれてじつげんした。しんじつ(そのようなものがあればのはなしだが)はよくわからないがそのようなむそうをひていするそざいはすくなくともいまはない。[24:45]
2001年9月11日(火)va
●ことしの名古屋は(というのもさくねんはあの「東海集中豪雨」にまさにきょうこのおなじひにそうぐうしたからだ)たいふうのさしたるえいきょうもうけずごごからはせいてんにめぐまれた。じゅぎょうもさくじつのきゅうこうぶんをとりかえすべくたっぷり17:00まで。なかみについては「またおなじことをはなしているな」とおもう立命生のどくしゃもあるかもしれないからふれないことにするが(笑)いたってかいちょう(ほんまかいな)。あと二日かんもたのしみ。ほんむこうであまりにざつむにぼうさつされているがゆえにほんぎょうのじゅぎょうがおもしろくなってしまっているというおもわぬてんかい。
●よるは藤ヶ丘駅ちかくのビヤホール「香味麦酒」でえんかい。きょねんもそうであったがはからずも(いや、はかられたように)ぼこう(東京芸大)のしゅっしんしゃがつどう「どうそうかい」じょうたい。あまりこういうのはすきではないはずなのだがきょねんとどうようにこういうのもいいと(また)おもった。
●さてきょうはだいがくにこのPC(VAIO日記とここをよんでいるがじっさいにこれをかいているのはFM-Bibloである)のACアダプタをおきわすれてきたのでいまはバッテリくどうじょうたいである。このPCをえらぶときにバッテリのくどうじかんのながさ(じっさいSONYやNECの同スペックのPCの二ばいの「もち」をほこる)をこんきょとしたのだが「死」のきょうふにとらわれたもの(笑)にとってみればこくいっこくとバッテリのようりょうがへっていくのはたえがたい(じゃあなんのためにこのきしゅをえらんだのじゃ?)。なのでもっともっとかくことがあるけれども(笑)このへんで。
●うえのぶんしょうのはしばしにいつものようにかこのにっきのさんしょうページをちゅうきすべきトピックスがあるがかこのにっきのファイルをもってきてないしつうしんでバッテリをくいながらブラウザするのもなんなのできょうはちゅうきなしで(ちゅうきなどだれもふだんからりようしていないとおもうけれどもようはじこまんぞくなのである)。[21:25]
2001年9月10日(月)vb
●ワインとビールでいいきもちになっていたとはいえひるまはじょうぜつ(「じょうひつ[饒筆]」ということばをぞうごしたい)にすぎたきがする。さくじょするかどうかまようところだが――ま、のこしておきたいないようもあるし(どこが?)あらたにかきなおすのもめんどうなのでそのままに。
●さて、すこしまえに食事のためにホテルのそとにでてきた(とほですぐきんじょに)。日ようびにはにぎわうにちがいないホテルないレストランの、しかしへいじつよる(しかもたいふうがおそう)のかんさんとしたさま(あくまでもそうぞうである)はこんやはかんがえただけでしのびなかったのとヤサイをたくさんとりたかったから。だがさくやめをつけていた「くしあげ」のおいしそうなみせは(おそらくはたいふうをりゆうにしてだろう)おやすみだったのできゅうきょそのとなりのパスタのみせにはいってナスとトマトのスパゲッティ(しゃしんにとったがけいしゅつするほどのけっしゅつしたあじではない)と梅肉ソースのかかったサラダ(これは高知県のどこだかのキュウリをつかっていてとてもおいしかった;だがさいしょにしゃしんをとるのをわすれた)をちゅうもんした。そのあととなりのローソンでヤサイ・ジュースほかをかいこんでホテルにきかん。ちなみにスパゲッティをたべながら、そしてかえりのよみちをあるきながら「びじゅつしのじょうけん」(笑)についてかんがえた。これいじょうでもいかでもない三つのじょうけんがせいりされた。こんごきかいがあればきちんとぶんしょうかするだろう。
●それにしてもニュースで豊橋などのえいぞうをみるとそうとうにふううがはげしいようだがこちら名古屋はまだたいしたことはない。こんご「ぼうふういき」にはいるというよほうだがそれならばきょうのごごのはやいじてんでのけいほうはつれいははやすぎたのではないか。ヘタをするとあすの7:00のじてんでまだけいほうがかいじょされていない(したがってごぜんちゅうのじゅぎょうがながれる)かのうせいのあるノロノロぶりをみるにつけこのちの「きしょうだい」のはんだんとごごのうしなわれた三じかんがうらめしくおもわれるのである(だがそのけっかゆうえきなしさくにふけることができたわけだが)。[20:50]
2001年9月10日(月)va
●オモテのにっきをこうしんした。なんということはない、10日から12日のあいだこうしんをやすむことをちゅうきしただけなのだが――だったらがいしゅつさきでもふつうににっきがこうしんできるではないか!? とうぜんだ。ほんのわずかヴァージョンかんりにちゅういをはらうならばそうして一げんかするほうがいいともいえるだろう(LaVie日記のほうはLANのじょうじせつぞくでラクだというごうりてきなりゆうがある)。だががいしゅつさきではモバイラーとしてべつのファイルとしてにっきをこうしんしたい。ささやかな、あまりにささやかなよくぼうである(笑)。
●さて「第2室」へのひさびさのかきこみでもふれたのだが名古屋地方にはつれいされた「ぼうふうけいほう」のためにしゅうちゅうこうぎしょにちのじゅぎょうはごぜんちゅうできりあげになった。これで二コマぶんのロスである。あすあさ7:00のだんかいでかいじょされていなければさらに二コマ、10:00でもまだならさらに二コマ。こうして全十六コマ(これでつうじょうの十四しゅうぶんにかんざんする[ちょっかのvbをさんしょう])の三ぶんの一がながれでもしたら「しきりなおし」させてくれとおもうのがしんじょうであろう。だがかわりにいつまた十六コマぶんのじかんをとる?
●じゅんじょはぎゃくになるが(だったらかえればいいのにかえないのだからこれでただしいのである)二コマぶんをしょうかしたじゅぎょうについてもふれておこう。まずじゅこうしゃはたった九めい。そのうちのはんぶんはこのがっこう(愛知県立芸術大学)にことししんせつされた「芸術学科」のがくせい(五めいぜんいん[!]がとうろくしていてきょうは四めいがしゅっせきしていたので九めいのうちの「はんぶん」というひょうげんがおおいにただしい)。もう「ほうわじょうたい」なのにしんせつしていいのだろうかというどうぎょうしゃとしてのふあんはあるが(苦笑)それでもぼくじしんがおなじなまえのがっかにみをおいたにんげんとして「やはりこういうじんしゅはいるんだ」とうれしくかんじるところなしとしない。せけんのやくにたとうなんておもわないで(笑)せいぜいあいするげいじゅつについてのしさくにふけってほしい。
●そう、じゅぎょうのなかみについてであった。一じかんめのイントロダクションではティントレットの《スザンナと長老》ただ一てんだけをとりあげてジェンダー論てきかんてんからそれをろんじて「近代美術史」ないし「現代美術論」とだいされたじゅぎょうがげんだいてきながくもんせいかをもってこてんさくひんをろんじることのだとうせい(ひつようせい)をろんじた。ぼくはたとえば『イメージ&ジェンダー』誌に「すくっている」じょせいけんきゅうしゃよりもはるかにのうべんにジェンダーをかたるじしんがあるが(でもマッチョながいかん[?]がそうおもわせないだけなの)いずれにしてもこうしてしょかいに「いいわけ」をきちんとしておくとこのあとなにをどうろんじてもゆるされるのである。もう「ていばん」になってしまっている、びじゅつしのじゅぎょうのはんぶんちかくをおんがくしのわだいでしょうかする「いはん」のこともだれもひなんしない(この「ひかくげいじゅつがく」てきしてんはわれわれのせかいではぜつぼうてきなまでにふそくしている)。じっさい「ぼうふうけいほう」がでましたのでじゅぎょうをちゅうししてくださいとじむしょくいんがきょうしつに「つうほう」にこられた三げんめはバードの「五声のミサ曲」をながしおわってこれからバッハにはなしをすすめるところだった(とばしてしまいましたが二げんめにはグルーズやシャルダンといった十八せいきびじゅつしの「せいか」をとりあげつつプレモダンのぶんせきとしたのでした)。平均律クラヴィーアのさっきょくをつうじたおんがくしてきこうけんについてふれつつマタイ受難曲を「上映」(小澤/SKO)するのは立命でもていばんかした、しょがくしゃ(とくにびじゅつしかんけいの)むけにかんがえられたこうせいである。ついでにかけばそのあとの四げんめもさいきんていばんかしつつある『フランダースの犬』の(やはり)「上映」がよていされていた。とくにここは立命ではなくてびじゅつだいがくだからアニメのそのさくひんのなかでえがかれるネロしょうねんの「絵」のぶんせき(びじゅつよびこうの「こうひょう」にちかいといっていいだろう)もおこなう。この児童文学のトピックス化は高島直之氏からのパクリだがこのぶんせきはどくじのものである。とりわけおなじアニメでもテレビ版と劇場版ではずいぶんちがう(ネロしょうねんのかおつきもちがっている)。ちなみにウィーダのげんさくとのひかくでいえば…。
●――と、ここまでかいていったんちゅうだんする。じゅぎょうがとつぜんちゅうしとなったものでひるまからビールとワインをのんでいてそうしたおりにこうしてダラダラとにっきをかいているとはかなしいが(たのしいよ)それでも「ど」がすぎているようにかんじられる。いや、それはおもいすごしで「どくしゃ」(でもここはカウンタがないのでどくしゃがいるのかどうかもさだかではない)はつづきをきたいしているかもしれない。だがいずれにしてもたしかなのは(さめたじぶんもふくめて)だれかがとめてくれないとえんえんとかきつづけるだろうということだ。アイドリング・ストップ(笑)![16:42]
2001年9月9日(日)vb
●あすからの四日かん、じゅぎょうはそれぞれ四コマずつある(ぜんぶで十六コマになってしまうがあさの一げんめはじかんてきには半コマなのでこれであわせてつうじょうの十四コマとなる)。その十六コマぶんのしんこうがおおまかにおもいえがかれた。シラバスのないようとはぜんぜんちがっているが(このてんをことわるのがしょにちのイントロダクションのじゅうだいなかだいである)それをいうならこのぜんやのよていもまたそのとおりにはじつげんされない。だったらなんのために「おもいえが」くのか。やきゅうの「すぶり」とおなじだ。もっというならばシャドースゥイングといったところですかね。
●ところでたいふうはやっぱりきているようだ。てんきほうでは「ぼうふうう」になっている。だがこうかくとあたかもじぶんひとりがこのさいなんにみまわれているようだがこのおおがたのたいふうのまえでは名古屋も京都もないといわねばならない。おおあめがふったらおひるねようのフトンはあおいビニールぶくろ(ゴミをだすときの)にいれてかさをさしてはこぶのだろうか。それよりももしも「ぼうふうけいほう」がでてほいくしょがやすみになったら子の母はしごとをやすむことができるのだろうか。[24:08]
2001年9月9日(日)va
●名古屋には19:30すぎについた。16:30にじたくをでるときにそれまでもちこたえていたそらがとつぜんくらくなってどしゃぶりがおそってきてこれから四日かんのさきゆきがおもんばかられたがそのごはあめはたいしたことはなくこうそくもそこそこかいちょうだった(ただ蹴上[東山区]ふきんのこうじのえいきょうで京都東ICで名神にはいるまでに一じかんもかかった)。やどは東京の中野サンプラザとおなじけいれつの名古屋サンプラザでなかはそこそこきれいなのでいいけれどもどことなくしっぱいした「としけいかく」といったふぜいがただよう(日ようびのごごなどはけっこんしきでにぎわうのだろう)。ちなみにわがへやはトップページのしゃしんのむかってひだりがわにある。
●さてあすからはきっとのむひがつづくからこんやはこのツインのへやのいっぽうのベッドをつぶしてまじめにじゅぎょうのじゅんび。とかくといかにもまじめそうだがしょうじきなところをこくはくするならばこんかいは(スライドやビデオやPC/CD-Rディスクをにもつにつみこんだいがいは)まったくじゅんびをすることなくこのちにとうちゃくしたのである。じまんしているのではない。つうじょうの九十ぷんのじゅぎょう一かいぶんとはわけがちがって四日かんで「はんき」ぶんをすませることをおもうとあまりにもひどいじゅんびぶそくといわねばならない。とするならこのじょうたいからなんとかのりきることが「りょうしん」なのかそれともそうしたゴマかしこそがせめられるべきなのか。[21:50]
2001年8月9日(木)va
●富山・魚津。じゅうぶんによそうされたことではあったがきのうはすざまじいくらいにのんだためによるは八じすぎにねいってしまった(まえのばん二じかんしかねていなかったこともあって)。それにしてもこのちの「ほうじ」はたいそうなものでしかもこのたびは義祖父の二十七回忌(二十五ではなかった)にそのちちうえ・ははうえのそれぞれ五十回忌、四十三回忌とまだけんざいの義祖母の「べいじゅ」のいわいがかさなったものだからちかくの天神山の温泉旅館のおおひろまをかりきった、いちぞくそうしゅつえんのだい「えんかい」になったのであった。そう、「ひろうえん」をひらかないつもりだったのにちょっときせいしたらいちぞくがみなあつまって大カラオケたいかいとなった十三ねんまえのことがおもいだされる。
●きょうはあと一じかんもしたら京都にむかってたつ。むこうをでるまえにマリとセリのたいちょうがいまいちだったからちょっとしんぱいだがこっちはいまあめがふっているので五、六じかんかけてゆっくりと。[08:20]
2001年8月7日(火)va
●ねむるまえに(ねむれるだろうか)あしたのためにVAIOからのアップのしけんを(いぜんしようしていたのとはことなったモデムつきのコードをつかってのけいたいけいゆのアップということで)。
●「一日が一年に思え、そんな日々の一年は長い」と、いま『オスカー・ワイルド』のラストちかくで「めいもんく」がながれた(いまはきょうかんできないが)。こういうもんくをたどりなおすためにこのえいがをやはりみなおすことはむいみなことではない(だがそれにしてもえいがをみるさいのうはますますもってうたがわしい)。[22:55]
2001年7月28日(土)va
●しゅうちゅうこうぎはぶじしゅうりょう。はんせいてんは? きょうはそれもできないくらいつかれている。おわってから東北道を東京まで(約四百キロ)はしってきたこともあって…。
●それにしても「しょたいけん」となる首都高速はやはりそれなりにコワかった(笑)。だがなんともぐうぜんにも隅田川の花火大会のかいさいじかんたいにそのふきんをとおったものだからそれはそれはうつくしいこうけいにでくわすことができた。もっともそのおかげでクルマはディズニーランドあたりまで「うかい」することをよぎなくされたのだが。
●あす(くりかえすがこんやは「いなば」(板橋;寿司)にあしをはこぶよりょくもない)。ちょこっと銀座あたりにでてかいものをしたらすぐ京都にむかう。きょりにすれば五百キロほどなのだが北陸道や東北道のようにスイスイとはいかないだろうから。[23:32]
2001年7月27日(金)vb
●ごかいがあるといけないからほそくを――あさからゆうがたまでのじかんわくのすべてを『フランダースの犬』のためについやしたわけではもちろんない(それはたった一げんぶんのはなしだ)。むしろきょうはちゃんとしたげんだいびじゅつプロパーとして二十せいきのしょもんだいをじゅうおうにろんじた。テープにとっておこせばそのままほんになるくらいのないようだったとおもう。うん、おいしいものをたべてるときもちもおおきくなる(笑)。[23:12]
2001年7月27日(金)va
●こんやは「たせ」。このみせもまたほんとうにうまい。きょうの「めだま」はおこめでいえば魚沼産にあたる吹浦(ふくら)産の「いわがき」。たっぷりとした「み」をもちながらけっしておおあじでなくくちにふくむとじつにせいみょうなるあまさがひろがる。ここのみせにくるためだけにまた山形にこようとおもう。
●あす。さいしゅうび。プロだからあさからゆうこくまでのじゅぎょうのしんこうはすでにわがあたまのなかにある。そのあとクルマで東京へ。だが(ちゃんと「てんきよほう」もみられないくらいにまいばんのんでいるのでくわしいことはしらないのだが)「たいふう」がきているらしい。あめのこうそくどうろはコワイ。せいぜいきをつけて(Nせんせいはあしたのうちに新潟けいゆでかえったほうがいいのではとすすめるが)。
●そうだすこしはじゅぎょうのなかみのことも。きょうは『フランダースの犬』のテレビ版と劇場版のそうほうをピックアップしてじょうえいした(もちろんぼくのうるさいかいせつつきで)。ウィーダの「げんさく」もよんだうえでしかしきょうのもくてきはその二つのヴァージョンのひかくにあった(笑)。むかしテレビ版でなみだをかろうじてこらえることができたひとも劇場版ではそれをこらえられないだろう。そんなトピックスをあつかったじゅぎょうをした。「現代芸術論」というなのじゅぎょうなのだ。おおいにゆるされるさ。[22:25]
2001年7月26日(木)va
●なんとシンプルな(きどったもりかたもしない)もりソバであろう! 山形にきて三日めにしてついにおとずれることができた三津屋駅前大通店(通称「出羽路庵」)ではさすがに五にんまえがもられた「大板そば」はちゅうもんしなかったがたった一まいのソバ(おおもり)がここすうかげつでしょくしたいかなるソバよりもおいしくゆうこくのくうふくのいぶくろにしみわたった。いっさくじつの「清寿司」[7月24日(火)vaをさんしょう]といいきのうの「小野」(割烹)といい京都でのここすうかげつのまずしいしょくせいかつをうめあわせてあまりあるびみ。ことしの山形はかいちょうである。
●ちなみにきょうは三津屋のあとは二ねんぶりにバー「mel rose」にかおをだした。あいかわらずママのミチコさんはきれいであった。そのあとは山形交響楽団1stヴァイオリンの石井万里子嬢とすずらん通の「プルマン・サン・ジャック」でしょくじ。バチがあたりそうなてんかいである。
●あす。おひるは節ちゃんとランチ(どこへつれていてくれるのかな?)。よるはおなじじきにしゅうちゅうこうぎにこられている肥田路美せんせいもまじえてきゅうゆうN氏(ほかのひとはなまえをかいているのにかれだけイニシャルなのか[笑]?)と「たせ」(割烹)へ。あいかわらずのみかいがつづく(しかしあさってはゆうこくに山形をたつからあすがさいしゅうびだ)。
●ところでじゅぎょうは?――こっちはプロなんだからきちんとやってますとも。[23:05;のちに一部字句修正]
2001年7月25日(水)va
●じゅぎょうはかいちょう(と、じしんあふるるほうこく)。もちろんあさからゆうがたまでしゃべりつづけるのだからシンドイことはシンドイが。
●よそうされたことだがよるはまたのんだ。これはあすもあさっても。よくカラダがもつとじぶんでもおもう(もしかしてさいしゅうびまでもたなかったりして)。[23:15]
2001年7月24日(火)va
●じつはきょうのひるま、つぎのようなぶんめんをかいたのだけれどあたらしいマシンでffftpのせっていをするのをわすれていて(つまりパスワードをひかえてくるのをわすれていたために)アップできなかった。そのご、ひんしゅくをかいながらも細君からそれをつたえてもらって(くわしくはかかないがパスワードがかいてあるつうちをさがしてもらってでんわでつたえてもらうことがどれほどたいへんであったか)いまようやくアップ。なのでなかみをよんでそれだけくろうしてかきこむないようかなんていわないでね。――「あさ06:30にじたくをたってから六じかんあまりをへてげんざいは北陸道のしゅうてんもほどちかい黒崎PA。きょりてきには「ぜんこうてい」の四ぶんの三はすぎたがこうそくをおりたら新潟県ないのこくどう(R7とR290)をはしったら山形県への「やまごえ」(小国街道)に約四じかんほどかかるよてい。やっぱりけっこうキツイ。と、アップしたいできごとがどうちゅうはっせいするかもしれないとおもってせっかくじょしゅせきにつんだBibloなんだから(これでVAIO日記とは[オモテのさくやぶんをさんしょう]わらわせるが)いちおうこんなわだいでもアップしておきたい。(まるでじつげんされるためにはっせられるせいしょの「よげん」みたいやね)。[13:04]」 おわかりいただいているであろうとおり、つまりはこの「よげん」はじつげんしなかったのである。
●よる。西蔵王にドライヴ。そのあと山形駅ふきんで二けんをはしごしてのむ(おすし[「清寿司」]はおもわぬびみであった)。二けんめではしかしみずわり一ぱいものめず。一けんめのビールだけできょうはもうダメ。
●あすのじゅぎょうのじゅんびはまだふかんぜん。でもすいみんじかんが二じかんなのできょうはとりあえずねてあすはやくにおきて。[22:58]
2001年7月15日(日)va
●4.1GBから30GBへとHDDのかんそう(換装)[オモテの7月12日(木)aをさんしょう]をおえてVAIOがもどってきた。13日(金)はっそうからさぎょうびとなるきのう14日(土)を一にちはさんだだけでみごとなしごとぶりというべきで、というのもHDDをまるごととりかえたはずなのにメールのアカウントからデスクトップのアイコンまでことごとくいぜんのじょうたいのままほぞんされているのだからである(しかもこれでそうりょうもふくめて\36,000しかかからない)。ノートPCだからCPUのクロック(300MHZ)はどうにもならないので(それでもさいしょきのVAIOは200MHZまでのアップなどがかのうなようだ)mpeg2のえいぞうのじょうえいなどはかなわないが[おなじくオモテの6月4日(月)をさんしょう]じゅぎょうでつうじょうりようするmpeg1データをかくのうしてもちはこぶモバイル・マシンとしてはじゅうぶんすぎるのうりょくをかくとくしたといわねばならない。らいしゅうにせまった東北芸術工科大学のしゅうちゅうこうぎはこのVAIOじさんでけっていである。
●うえをかきこむさいにしたの7月7日ぶんの「ようび」がまちがっていたのでしゅうせいした。[18:44]
2001年7月7日(土)vb
●したのvaのいかにもおかしかったひょうげんをなおしたついでにこうもくをかえてついき――『イルマ・ヴェップ』のかんとくであるフランス人アサイヤスはマギーのじつのパートナーである(そうであったはずだ)。したで「げんめつ」をかたっておきながらなんだがゆるしがたい(笑)。[26:40]
2001年7月7日(土)va
●さくやみたえいがについて。『イルマ・ヴェップ』はまさしくメタえいがである。マギー・チャンふんするマギー・チャンへのフランスじんジャーナリストのインタヴューがいわゆるヌーヴェル・ヴァーグふうのフランスえいがをインテリむけ/エリートむけといってコケにするがとうのこのえいがじたいがそのような「たいしゅう」からりはんしたようそによってみたされている(インテリ/エリートかどうかはさておきぼくはおもしろかったが)。そのインタヴューにたいしておずおずと/しかしいつわることなくはんろんするマギーは(このばめんにかぎらず)えんぎいぜんのじこをみごとにえんじきっていて(とくにけしょうをおとしたひとりのさしてあかぬけない「中国女」にすぎないばめん)たんに『花様年華』いぜんのさまざまなヴァリエーションのひとつをしることができたといういじょうのしゅうかくであった(そしてぼくがすきなのはまぎれもなく『花様年華』のなかの「チャン夫人」であることがきょうはんめいした[笑])。ちなみにマギーがげきちゅうでえんじるボンデージすがたのおんなギャングはざんねんながらきたい(笑)していたほどではなかった(ナイーヴにもそのタバコをすうすがたにちょっとしたげんめつをかんじたりした)。チャイナドレスがやはりきょうれつだったということである。[22:38;のち大幅に字句修正]
2001年6月25日(月)va
●[削除しました。][24:25]
2001年6月21日(木)va
●11:03、東京駅着。母子はそのまま国立劇場へ、父は新宿へ。ひさしぶりに、ほんとうにひさしぶり(おそらく十ねんぶりくらい)にアルタ裏のアカシアのロール・キャベツをしょくす。十八さいでじょうきょうしたときに『アングル』という「じょうほうし」をてがかりにしてはじめてそこをおとずれたときに三百九十えんだったそのメニューがいまは六百九十えん。その十八さいのときにやはりはじめてけいけんしたアルバイトのじきゅうが四百五十えんだからだとうな「ねあがり」だというきがするがいっぽうでとうじから三百五十えんした「ぎゅうどん」はいまでもそれくらいのねだんでがんばっているのだから「がいしょくさんぎょう」ぜんぱんはやはりがんばっているのだとつまらないかんそうをいだいたりした。ちなみにりょうりそのものはいまではすこししょっぱすぎるきがするがとうじ(目黒区洗足の四畳半ひとまのへやでげしゅくしていた)はそのしょっぱさがなみだがでるほどおいしかったことをまざまざとおもいだす。そう、きょうおもいだされたのは十ねんまえのひのことではなくいまから二十一ねんまえの、ぼくがまだ「せいねん」だったころのことなのであった。
●16:00、大手町サンケイプラザ。立命館フォーラムとだいされた「つどい」におけるわがこうえんはちょっとしたかんちがいでよていの四十ぷんを五ふんほどオーヴァーしたが「あること/ないこと」をふくめておおいにわがだいがくのせんでんをてんかいしえたはずだ。それにしても一まいのメモでよくしゃべるネ、あれだけべらべらと(笑)。
●そのご。銀座・山野楽器と新宿Tower Recordをはしご。CDは巌本真里弦楽四重奏団の『日本の弦楽四重奏曲』、アムランがひくブゾーニのピアノ協奏曲ハ長調(世界初録音?)、ブーレーズ/シカゴ響のヴァレーズ、アルノルト・シェーンベルク・トリオのモーツァルト三重奏曲ほか、のたった四てんのみ。東京での「かいだし」ではいちばんすくないまいすうであろうりゆうの一つは国立劇場で母子とおちあうやくそくがあったからでもあるがもう一つのりゆうとしてさいきんはDVDのコーナーでじかんをさくようになったからということもとうぜんある。で、そちらのほうのきょうのしゅうかくは『ひとめ惚れ』(キャストにはふれないでおこう[笑])とパゾリーニの『奇跡の丘』。とくにこうしゃはこれまで十ねんちかくにもわたっていろんなじゅぎょうでとりあげてきてもうその百五十ぷんあまりのフィルムのすみずみまでしっているはずなのにいまさらDVDをこうにゅうすることがたしかにすこし「きい」にかんじられた。いや、これまでは三ばいモードでろくがして、あるいはさらにPCにとりこんでますます「がしつ」のれっかしたえいぞうをみていたのだからこのさい「きねん」のいみもこめてそれをこうにゅうすることはそれなりにだとうなはんだんなのではあるが、それでもどうしたわけだかじゅぎょうでもちいることがこんごあるとしたらそれはいままでどおりのアラいえいぞうで、などとおもってしまってもいる。ふん、じゃあなんのためにDVDをこうにゅうするの? DVDはすばらしいメディアだがコレクションへきのあるにんげんにはしょうしょうやっかいだともいわねばならない。
●20:40、ぶたいがハネる。20:30までにハネたら板橋までタクシーをとばして「いなば」(寿司)にいくつもりだったがあすのこと(6:00の「のぞみ」始発にのる)をかんがえて(また一にちつれまわされた子のことをおもい)麹町の和食料理屋でのしょくじによていへんこう。いや、じっさいこっちもおおいにつかれたのだがそれでもあまりにもたぼうなる立命館でのせいかつからいっしゅんでも「とうひ」(とはいえがっこうのせんでんをしてきたのだが[笑])できたということではきょうのひはムダではなかったとおもわれる。
●――と、さいごはいささか「じこぎまん」てきなオチ。それともう一てん、それにしてもよく「かく」ねぇこんなによっていても(笑)。[23:33]
2001年6月17日(日)va
●『倦怠』というえいがの「日本語吹き替え版」のそんざいにふきだしたはなしはきのうのオモテのにっきでふれた。が、きょうはそのような「吹き替え」のトラックがついたDVDをこうにゅうした。さくひんは『ラヴソング』[5月12日(土)vaおよびvbをさんしょう]。われらがマギー・チャン(笑)がかのじょのもの(けっこうひくい)とはにてもにつかぬこえではなしている。トラックをかえてオリジナルの広東語できくこともできるからいいものの(もちろんビデオだとそうはいかない)このそちによっておんせいがステレオでなくモノラルになっているのだからくやしいといわねばならない。ま、それでもマギーのえいぞうにいつでもふれることができるメリットは「えがたい」というべきだが(わざわざVaioをけんきゅうしつまでとりにたちよったりゆうはこのこくはくだ[笑])。[22:24]
2001年6月4日(月)vc
●こんしゅう木ようびの「基礎講読」でそのいちぶがじょうえいされる『フリークス』をさっきから「よしゅう」ちゅうなのだが――うーん、やはり「えいが」というものはおもしろい。しかしぎゃくせつてきにかけばえいがとしておもしろくあるためには一ぽんのさくひんとしては(かんぜんにではダメだが)そこそこ「たいくつ」でなければならない。ここでぼくはたいくつなメディアとしての「おおもじ」のえいがをろんじることにかけた、さくねんどにていしゅつされたあるそつぎょうろんぶんをねんとうにおいていることになるのだがそれにしてもフリークス(いわば「きけい」なるひとびとだ)にかんれんして「まかりまちがえば諸君もこのようになりかねなかった」などといったセリフをへいぜんともりこむえいががいませいさくされえようか!? なにせめいさく『砂の器』からハンセン氏病のコンテクストがすっかりさくじょされるごじせいなのだからね。そうかいているさなかにも「フランスには彼らを処分する法律があったはずです」のセリフが。しかしこれが「えいが」だ。(ゴダールだけでいいとおもっているのはどいつだ。)
●それにしてもデスクトップPCがあいているのに(いやそっちでいま『フリークス』が「じょうえい」されているのだが)こちらでこういうわだいをかくということはとうとうこのVAIOにっきはえいがにっきになってしまったのかな(笑)?[26:07;26:20および翌朝、一部字句修正]
2001年6月4日(月)vb
●いみがあるのかどうかうたがわしい「ほそく」――とうぜんのことだがよのなかのすぐれたえいがをぜんぶデータとしてしょゆうしたいというよくぼうをもっているのではない(「おおがねもち」ならやってみたいが)。わがせまい「りょうけん」のなかで「もんだいさく」とにんじたさくひんをかのうなものからじゅんにと、ただそうかんがえるだけ。だがそれがぶつりてきせっしょくによる「まもう」のしんぱいをしなければならないテープではダメなところがぼくらしいとおもうね、じぶんでも。[25:10]
2001年6月4日(月)va
●せんしゅうかりてきたビデオのへんきゃくとひきかえにまたビデオをかりてきた。これはタイトルをあかすことができる(笑)――デプレシャンの『そして僕は恋をする』[5月18日(木)vaをさんしょう]。それをいまPCにとりこんでいて(178ふんものながさなのでとうぜんmpeg1だ。→だがなんどもとうがちょさくけんてきにどうなのだろう?)デスクトップPCがふさがっているのでコチラにかいているのだがいきなりそのぼうとうの、しゅじんこうポールにかんするナレーションがわらえた――「ポール、29歳。パリ大学の哲学科講師。心ならずも教職についた彼は、腰掛け仕事と考えて2年前から辞める算段をしている。教授になるのに必要な博士論文さえ書いていない。人間的生活を望みながらも安月給の中途半端なくらしに甘んじている。[…]十年越しのつきあいのエステルという恋人がいるが相性が悪くて別れようと考えている。じっさい彼は2年前に浮気をした。親友の恋人だった。ここから悩みが始まった」(メモ[笑]をもとにかいたのでもんごんはふせいかくだ)。またかい? すきだねぇフランスじんはこういうせっていが(といいつつひそかにきょうかんをかんじているヤツはだれだ[笑]?)。
●それにしてもこうやってデータ化してDVD-RAMにおさめるいっぽうでDVDがしはんされているものについてはそれをこうにゅう(きょうはアラン・レネとゴダールのしょきのたんぺんえいがをあつめたディスクをかった)もして、とつづけていくとこれまではかんがえられなかったりょうのデジタル・データがわがやのデスクトップPCのしゅうへんにしゅうせきされていくことになる。べつのひょうげんをとるなら「どろぬま」にはまりつつあるということか。しかしそのぬまのそこにあるのが「えいが」という、かつてそのみちをめざしたことがある(といってもちゅうがくせいのときだよ)せかいであるのならばわるくないかな。いや、やはりえいがは「えいがかん」でみたい![24:30;25:02一部字句修正]
2001年5月27日(日)vb
●したのvaをアップしてからしょかい[オモテの5月5日(土・祝)bをさんしょう]にみたときにこうにゅうしていたパンフをひっぱりだしてきてよんだ。なるほどそうですかみなさんはぼくがさいごにこだわったてんについてそのようにかいておられるのですね(あるいはまったくふれておられないのですね)。あるいは「採録シナリオ」のぶんしょうにまちがいがありますね。が、いずれにしてもやっぱりふかくみるとひひょうもふかくよめてくるとはつうかんされる(チャウがかくのが武侠小説[笑]であることの野崎歓氏のしてきだけでもゆうえきだ。というのもこれだけでトヨエツのケース[5月26日(土)vaをさんしょう]とのちがいはぜつだいだからだ)。いや、でもぼくがいまかいているえいがろんのほうがたぶんおもしろいとおもうな(ホンマかいな[笑])。
●と、かきながらフトおもった――このえいがが淀川長治氏がぞんめいちゅうの日曜洋画劇場にかかったとしたら氏はなんとコメントしただろうか、と。
●あいすべき淀川氏のかたりくちのことをおもいだしたらついでに長岡鉄男氏のぶんしょうのこともおもいだされた。氏がなくなってはやくもまる一ねんがたとうとしている[オモテの2000年5月30日(火)をさんしょう]。にっきもいいけどこのようにおもいおこされるテキストをかかねばならない。
●そうだ、わすれないうちにもう一てんかいておこう――トニーよりもマギーのこえのほうが「ひくい」ってしってた? きょうなんどかめをつぶってきいていてきづいたノ(笑)。[25:38]
2001年5月27日(日)va
●よる。『花様年華』はこんやで三どめ。ひさしぶりだったねマギー(笑)。いや、きょうはただ一てん、ふにおちなかった(さくじつおもいうかんだ)もんだいをかくにんしたかったのである。そうだ、ことによったらこれまでのこのウラのページでかいたそれへのコメントをすべてさくじょしなければならないかもしれないじゅうだいなろんてんのかくにんのため。で、――なるほど。やはりそうであったか。どっちかというとさくじょにあたいするみおとしをしていたとこくはくせねばならないところもあるのだが(いやはんぶんあたっていた)ならばぎゃくにそうしたふめいかくさ(エーコてきにいえば「ひらかれopenness」でもあるわけだが)をのこすかんとくのえんしゅつ(プロット)のもんだいにもぎろんをスライドさせることもかのうである、ということでさくじょはしないでおこう。――って、いったいなにがもんだいだったのだ(笑)?
●それにしてもさすがにこのせつないラヴストーリーも三どめとなるとぼうとうからよゆうをもってわらえた(どういうろんりだ[笑]?→だがじっさいとちゅうまではなんどもおかしくてわらいをこらえるのにひっしだった)。だがいちばんかなしいばめんはやはりかなしかった。えいがをみるにはまだウブなのかもしれない(笑)。[24:15]
2001年5月26日(土)va
●しょうせつかがえがくせかい(ラヴストーリー)のそとがわにしょうせつかじしんのすまうせかいがあってしかもその「いれここうぞう」のさらにそとがわにワレワレのせかいがある――日ようヨルのドラマ「ラヴストーリー」のおおきないみでの「せってい」はそのようなものである。そこではいちばん「うちがわ」とワレワレの「そとがわ」はつながっているというべきだが、みかけのしょうてんはいうまでもなくトヨエツふんするところの「しょうせつか」でありその、さまざまなるとうじょうじんぶつをじざいにあやつるはずの、キリストきょうてきな「かみ」にもるいひされるべきものの「むりょく」が、みるものの「あはれ」のかんじょうをひきおこすのである。この「あはれ」がほんしつてきにわれらオトコどものそれであるのとくらべるとミポリンふんするところの「へんしゅうしゃ」はすくなくともドラマのなかではしょうせつかよりもはるかにどんかんにそのせかい(ラヴストーリー)をいきている。たほう、げきちゅうもっともえいびんにえがかれているオンナはいっけんぐどんなキャラクターを与えられている優香であることはめいはくである。で、このみたてがただしいとして――So
what?[19:39]
2001年5月23日(水)va
●『花様年華』について「「ふりんがおこなわれなかった」という「しょうげん」[…]が「しんじつ」であるとさいしょからぜんていするのは[…]ナイーヴにすぎる」とかいたのはほぼ一しゅうかんまえのことである[5月17日(木)vcをさんしょう]。でもこれこそがナイーヴなうたがいであるともいまはおもえる。たった九十ぷんほどのくらやみのなかでなぜその「しょうげん」にかけようとしないのだ(笑)?
●――なんて「ふるきず」をいとおしむようにかんがえたのはさくやのオモテのにっきに「おんがくろん」をかこうかともらしてしまったことがきっかけ。つまり「えいがろん」だったら、と(笑)。なんねんかぶりにえいがをみたものによってかたられることばはきほんてきにアマチュアのそれにすぎないとあえてきめつけてかかっておこう。ただしアマチュアのことばがプロのそれにおとるものではない(びじゅつについてもおなじセリフをはいてごらん[笑])。[23:17]
2001年5月19日(土)[オモテの日記から移動しました。]→va
●『ポントルモの日記』(白水社, 1991;[新装版]2001)はこのがか(1494〜1555?)のばんねんの二ねんはんほどのあいだにけんこうにたいするふあん、かれをさいなむ「死」のきょうふからかかれた。「この畸人の自ら調理したけちくさい食事や、断食日や、かなり立ち入った健康上の配慮や、たまさかの交友」しかかかれていないこのテキストを、そうひょうしたホッケ(『迷宮としての世界』)は「おそらくかつてヨーロッパの芸術家の遺した最も注目に値する」ともだんじた。なるほど。だがなによりもきょうみぶかいのはそれじたいがかかれた「ひづけ」もめいきされない「じょぶん」(もっともしゅっぱんされることをいとしていない)における「かくご」――「1554年11月5日のことは覚えておく必要があると思う。胃とか頭とか脇腹とか足や腕とか歯とかどこかが痛んで具合が悪い。[…]/1555年の3月に始まって4月21日まで続いた一ヶ月の間に[…]」(日付の漢数字表記はアラビア数字にかえて引用)といったちょうしで、それはほかのにっきのなかみとはあきらかにちがっている。「2001年5月19日のことは覚えておく必要がある」とどうようにかくことができる(ここは「じょぶん」ではないが)とすればそれはにっきがほんしつてきに「死」のじゅんびのためのどうぐであることがかくしんされたひであるからである。
●ならばげんだいにあってにっきのちゅうだんはげんに「かきて」の「死」のかのうせいをかんじさせるがゆえにこころをしめつけるものがある。いや、これは「げんだい」というよりもここもそうであるような「WEBにっき」のたんじょうにおいてけんざいかしたとくせいというべきであって(「ふあん」のてんでこれにかわりうるものがあるとすればせんじょうのこいびとからまいにちかきおくられてくるラブレターくらいなものであるだろう)ならばこのばしょの「さくしゃ」はもっともおおくみつもっても十五にんをこえることはない(じっさいには六、七にんだろう)「どくしゃ」にかたときもそのふあんをあたえないためにひびキイボードにむかっている。ほんとかな(笑)。ほんとうである。[16:26]
2001年5月18日(木)va
●オモテにもいまかいたのだがねむれないのでがくせいのそつろんをよむ。ことしではなくさくねんのはるそつぎょうしたがくせいのえいがろん。デプレシャン『そして僕は恋をする』は三にんのじょせいとひとりのおとこポール(二十九さい、だいがくきょういん)のあいだのいびつなれんあいをえがく。せんじつみた『倦怠』[5月12日(土)vbをさんしょう]といいこのしょくぎょうはこういうれんあいの「へんけい」とむすびつきやすいのかもしれないが(笑)それはさておきもうすこしえいがをみるにんげんだったら(っていまでもたんに一かげつに五ほんみたことでこうふんしているだけなのだが)すこしちがったアドヴァイスもできただろうにとくやまれたりもする(ろんぶん=エッセイとしての「ちょうしょ」と「たんしょ」がいまではずっとハッキリみえる)。ん、でもいまのゼミにはえいがろんをかくがくせいはいたっけか?[25:08;翌日の午後、一部修正]
2001年5月17日(木)vd
●オモテのにっきがかかれているのにこのウラがわまでチェックいただいているどくしゃがいるなら(カウンタがついていないのでまったくわからない)オモテとこちらをあわせるとこんげつはいじょうににっきのりょうがおおいのにきづかれるだろう。こんなにたくさん、しかも二かしょにわけて(笑)。まあしかしこれがいまかろうじてせいしんてきなけんこうをたもつことができているひとつのりゆうであるとおもえなくもない(ほんとはどこかにとうひしたい)。
●そのいみではVAIOサマサマといいたいところもある。だがこのマシンもwindows meにアップグレードしてからむしろそくどめんでふまんがかんじられることがしばしばである(95からアップグレードしたけんきゅうしつのLaVie[NEC]など「再起動」のしょりがうまくいかないといったスペックてきなもんだいがぞくしゅつしている)。もうすこしはやくてしかもDVDのさいせいがかのうなマシン(これだとじゅぎょうのじゅんびがひじょうにラクになる)がほしいのだがいまは「こがた」マシンでは富士通製のものしかない。そのときはLOOX日記とかになるの? いや、VAIOはにっきせんようにとっかして…。[26:24]
2001年5月17日(木)vc
●ねんのためにかいておくのだがしたのvbでは「ふりんがおこなわれなかった」という「しょうげん」にたいしてそれがウソ(フィクション)だとホンキで「はんしょう」しているのではない。ただそれが「しんじつ」であるとさいしょからぜんていするのは「ひひょうてき」たらんとするもののたいどとしてはナイーヴにすぎるということだ。
●したがっていずれにしてもアノふたりのあいだにあったのが「じゅんあい」であるのかどうかはさておかざるをえないとして、しかしたしかなのは「じゅんあい」のかのうせいをほじするにはふうふであってはならないということだ(笑)。そしてそのようにたがいにもとめつつもむすばれることのなかったふたりがおよそ四十ねんのさいげつをへてさいかいするこうけい――くりかえしになるが[二十四じかんあいだがあいているがいちおう「きょう」のvaをさんしょう]『もういちど』というえいがはそうした「おきてやぶり」をおかした、そのいみで反ラヴストーリーといわねばならないのだ。
●「そういうくだらないえいがだんぎなんぞヤメちまえ」とだれもいってくれないからズルズルとかきつづけている(笑)。「ながすぎたはる」のようなこうしたじょうたいをたちきるにはほんのすこしでいいからきちんとじかんをとって「『花様年華』論――不倫なき不倫」をかくことだな(笑;かけたらひさびさにスペシャルのページの坂本論のとなりにおくかいな?)。[00:14]
2001年5月17日(木)vb
●それにしても『花様年華』でしゅじんこうのふたりがほんとうにいっせんをこえることなくつつましいかんけいをまもりとおしたといった、いわば「聖句」(かたられたことばとしてさいだいげんにそうちょうされるものといういみで)によりかかったエッセイがさんけんされるのはうんざりである。それはたんにあの「せいき」てきなまじわりをたったかんけいこそがもっともいんびであるといういじょうにげんにふたりはまじわっているにもかかわらず(アノじょうきょうで「ない」のはやはりいじょうなのである)「わたしたちは「ふりん」をおかしているわけではないのに」ということばがげきちゅうのほかの三つのかしょとどうように「げきちゅうげき」のセリフとしてはかれるとかんがえてやればいいのである。げんにパンフレットにしゅうさいされたあるテクストちゅうにラヴシーンをじつはさつえいした(つまりボツになった)というマギー・チャンのしょうげんがいんようされている。かんとくのウォン・カーウァイはけんめいにもいかなるにくたいてきなラヴシーンよりもベッドのあるへやでチマキをともにしょくすことのほうがはるかにエロティックであることをせいさくしつつりかいしたのであり、ならばまたエロティシズムのてんではそれにおとるとはいえげんにおこなわれたまじわりをいんぺいするかのごとくにして第四の「げきちゅうげき」をそのようなものとしてめいじもあんじ(すら)もしなかったのはかんとくのせいいっぱいの「あくい」であるとかんがえることもかのうであるだろう。
●いやしかし「げきちゅうげき」がげきちゅうで四どあったといってそれですませていいほしょうがどこにあるだろう。かつてしょうせつかにあこがれたしんぶんきしゃがじぶんのせつないこいをきっかけにしてしょうせつをかきはじめたらすぐにそれがみとめられて…といったあんちょくなストーリーてんかいにしてからがすでにたんにえいがというフィクションだからといういじょうにえいがのなかでもまたフィクションであるかもしれないのだからである。そのような「むげんはいしん」てきなぎねんがつねにえいがをみるさいにゆうえきであるともおもえないがそれはひとつのかのうなる「しざ」として『花様年華』をみるさいに*かせつされるべきである。(*『ラヴソング』『ひとめ惚れ』にしてもどうよう。)
●なにをあさから(笑)? いや、ほいくしょのそうげいのまえにフトおもいついたのでぼうびろくとして。[08:25]
2001年5月17日(木)va
●「つうしん」のせかい(こういうひょうげんももしかしたらもうはやらないのかもしれない)にあしをふみいれて二ねんとなるきねんび(こんきょは「ひとく」される→ならばこのばしょにかかれるのがふさわしい)。一ねんめのきょねんはHPをたちあげたりしてそれなりにそのせかいをかくちょうしているかんがあったがそれはざせつしたもどうぜんだ。まあ、いくにんかのじょうれんのかたたちがもりあげてくれている二つ(一つはんかな?)のけいじばんと、そしてこのにっきでほそぼそと(にっきはほそぼそとしていないというはなしもある[笑])。
●ついでにえいがにかんするコメントのつづきを――「はげしい「かんじょういにゅう」のあとにそのよいんをたちきるためのひとつのしゅだんがとうじょうじんぶつはそこで「死んだ」のだとりかいすることにしている」とせんじつかいた[5月13日(日)vbをさんしょう]。つづけてはんせいてきにかいたとおり「ようちな」かいけつほうほうにちがいないがそれにしてもそれはたちきれられたラヴストーリーのとうじしゃたちがしばしばとるせいしんてきなしゅほうでもあるのではないか。その「死」んだはずのあいてからの一まいのてがみからはじまる「おいらくのこい」。そのいみでえいがにまつわるこのたびのマイブーム(笑)をつくるちょくせつてきなきっかけ(かんせつてきなきっかけはやはり「つうしん」のせかいにいざなってくれたひとである)となった『もういちど』[4月23日(月)vaをさんしょう]は(これもまたむしろしょうさんのいみあいをこめてB級えいがとよんでおきたいがそれよりも)反ラヴストーリーとしなければならないのである。(かいていてよくわからないろんりだ[笑]。→いつかせいりすればいいさ。)[00:00]
2001年5月14日(月)vb
●またしても非ほんらいてきなVAIOのりようである(笑)――いや、しばらくはこちらのキィをたたくことをすまいとおもっていたのだがさくやのvcがあまりにあくぶんであることにきづいたので。ようはほかのさくひんをみてからチャンの「さいしんさく」としてそれをみたかったということだ。ただそれだけ…。
●ところで「かぶき」のばあいとどうように二どみるとさすがにえいがもストーリーてんかいがカメラワークやじかんの「かんきゅう」とともにあたまのなかにおさまるものだ。ましてパンフにシナリオが(かんぜんにではないにしても)さいろくされているとほとんど百ぷんほどのおなじじかんをかけてすべてをかいこできそうなかんじがする(もちろんそんなことはしないけど[笑])。そこにカメラそれじたいのいちとそれらをすべてみわたす「かんとく」のしせんをくわえよう(ひつぜんてきに「じかんわく」もひろがる)。あるいはプロデューサーてきまなざしを。「かんじょういにゅう」から「しがく(poetics)」へ? いや、いらない――ぼくはこんかいはあのせつなさをきょうゆうするだけでいい(笑)。[26:50]
2001年5月14日(月)va
●ひる。『花様年華』をまたまたみる(笑)。東京で「かぶき」をあいこうしていたときはおなじえんもくを二どみることはめずらしくなかったがえいがははじめて(ちがうさくひんを三日れんぞく[しかもおなじえいがかん!]というのも)。だがこの「さぎょう」のひつぜんはさくやしたのvcをかいたじてんでめいはくであった。そう、こんかいはとくべつであってけっしてわかれたオンナへのみれんからストーカーをするようなしんきょうなのではない(もっともえいがかんのうけつけのひとからみればそのようにみえたかもしれぬが[笑])。おかげでじっさいさいしょにみたときにその「び」にみほれてみのがしていたてん――たとえばかれらが「げきちゅうげき」をえんじたのは二どではなく[オモテの5月5日(土・祝)cをさんしょう]たがいのはんりょらがふりんをおかすさいしょのきっかけのさいげんのばめんをふくめると三どであったことなど――をさいはっけんするなどのしゅうかくがいくつもあった。そしてこのえいががいまいち「けっさく」になりえていないりゆうも(「けっさく」をほっしているわけではかならずしもないが)。
●それにしてもしんやデスクトップPCがちゃんとでんわかいせんにつながっているのにそのコードをはずしてこのVAIOにつなぎかえウラのにっきをアップすることははなはだこっけいであったのだがきょうはちがう――かえりのみちすがらたちよったきっさてんからけいたいでんわをせつぞくしてのアップ。VAIO日記ほんらいのありかた(笑)。[16:25]
2001年5月13日(日)vc
●えいがをみたよるはじょうぜつになる(笑)。ふしぎにもこんやおもいだしているのはさっきみたえいがではなく一しゅうかんまえにみた『花様年華』のことである。マギー・チャンのむかしからのファンできょうみた(そしてきのうみた)えいがをすでにみたうえでこの「しんさく」をみたのであったならそれはまたちがったみられかたをしたことであろう。とりわけあの二十ちゃくにわたってちゃくようされるチャイナドレスはかなしみとよろこびがいりまじったひょうじょうにこそチャンのさいだいのうつくしさがあるのにもにていっけん「みもち」がかたそうなのにすぐあいてのきゅうあい(ほとんどしょうどうてきというべき)をうけいれてしまう(とはいえそれはけっていてきなあいてだからだが)そのかのじょがじょゆうとしてえんじてきたオンナの「ありよう」をふうじこめるものとしてもきのうしているのであるからだ。
●[削除しました。][26:56]
2001年5月13日(日)vb
●それにしてもどうしてどいつもこいつもラヴストーリーなんだ? いやオマエがここ一かげつのあいだにみた五ほんがたまたまそうだっただけさ。それにまたチャンがでる非ラヴストーリーなどかんがえられるのか(もしそのようなものがあるとして[じっさい「ある」のだろう]オマエはそれをみたのか)? もっとたんじゅんにきこう――オマエはこれから『旅芸人の記録』(BS2でほうそうされる)をみるのか(笑)?
●さて、ラヴストーリーかどうかはさておきはげしい「かんじょういにゅう」のあとにそのよいんをたちきるためのひとつのしゅだんがとうじょうじんぶつはそこで「死んだ」のだとりかいすることにしている、わが「ようち」なかいけつほうほう(笑)をここでこくはくしておこう。いや、「死」はげんていてきなじくうかん(とはいえそれはかいがのばあいよりもながいが)をせんきょするこのメディアにこそふさわしい「ひょうご」であってじっさいまたびみょうにことなったいみでもあのくらやみでひとりがめんをみつめる「こどく」はひとがひとり(ひとり)このよをさるときのそれにたとえたいきもちにぼくはあらがいきれないのである(そのいみではしかしこれから(も)えいがをみることは「死」のレッスンであるといってかまわない)。
●じつにつたない「えいがろん/えいがかん」である(しかしこれはまだ「ほうが」である)。だがつたないといえばラヴストーリーのパンフレットによせられたテキストのたいはんもそのようなものではないのか(笑)?[24:55]
2001年5月13日(日)va
●じつはきょうもまたえいがをみた(きょうはレイトショー)。さくひんは『ひとめ惚れ』でしゅえんはまたしてもマギー・チャン。さいしょの『花様年華』のばあいはやくしゃのなまえなどまったくしらないでいったのだがきのうの『ラヴソング』ときょうのはチャンもくてき(笑)であったことはひていできない。
●だがえいがとしてはどうなのだろう(笑)。とうじょうじんぶつのせっていやストーリーのあるしゅのパターン(香港えいがはとくにそういうのがつよそうだ)のことはさておくとしてもいずれのさくひんでもこうはんになんどかかんじられたせっそくといういじょうにぎくしゃくとしたばめんてんかいは「わざと」のこされた、いわばさくひんの「ひらかれ」であるのだろうか。びじゅつにあってはもはや(あるいはそもそも)そのようなしゅほうはゆうこうとはおもえないがえいがのばあいもてっていてきにつくって(へんしゅうして)そのような「ひらかれ」(としていとされたものなら)は「とじ」てしまってほしいものだ。
●とエラそうにかいているが(くりかえすが)えいがをひひょうするさいのうはじぶんにはきたいしてはいないのである。きょうもてきどにマイクやくのレオン・ライに(そしてエレンやくのチャンにさえ[笑])かんじょういにゅうしながらたのしませてもらった。ラヴシーンもきょうがいちばんノルことができた(キスシーンはきのうがよかった[笑])。まんぞくである。
●そう、チャンはすてきであった(『花様年華』のかんぺきな「び」だけではこうはかけなかっただろう)。だがこくはくしておくのだがムリやりじかんをさいてえいがかんにあしをはこんでそこでくらやみにこうそくされるそのことじたいにもまたたしかにぼくはみりょうされつつあるのである。そのしょうこにきょうのところでとりあえずチャンのえいがをまとまってみるきかいはおわったにもかかわらずこのさいごのひにこのえいがかんの「かいいん」(年七千円で七回えいががみられる+?)となるもうしこみをすませたのだからである。[24:00]
2001年5月12日(土)vb
●しかしじぶんでもまだはんぜんとしないのはきょうのばあいえいがをみたかったのかマギー・チャンにあいたかったのか(笑)そこいらへんである。あるいはレイキウをえんじたのがチャンでなかったらきょうのえいが――なんとまあ『ラヴソング』というはずかしいタイトルである――はみるにたえるものであったのか…。
●それはさておきチャンのうつくしさはきょうのさくひんのなかではせんじつの『花様年華』[そこではタイトルをだしてはいないがオモテの5月5日(土・祝)bでふれているやつだ]におけるようなちかづきがたいそれではなかった。アレくらいならありうるといった、いわば「あんしん」できる「び」。ちゃんとにくたいてきなラヴシーンもあったし(笑)? いや、そのにくたいてきラヴシーンのえがかれかたはそれじたいとしてはたんじゅんなものだったが(そういえばフランスえいが『倦怠』[同・5月1日(火)cをさんしょう]のそれはもっとひどかった[笑])二どあった(かいすうとしてはもっとあった?)キスシーンはいんしょうてきだった。そう、これだけでモトがとれたとおもえるような。
●えいがのわだいはおとずれるひとがオモテよりさらにすくないだろうコチラで?――べつにVAIO日記のあたらしいようとときまったわけではない(笑)。[23:15]
2001年5月12日(土)va
●ごぜん。またえいがをみた。はずかしくてオモテのほうにはかけない(笑)。デキすぎた「ぐうぜん」によったたかだか一じかんはんから二じかんのメロドラマ。わかっちゃいるけどかんじょういにゅうがつよすぎてついついいろんなとうじょうじんぶつになってがめんのないぶからえいがをみてしまっている(そのときそれはもはやえいがではない)。あるいはえいががちょうどそこでおわるあの1995年5月8日いこうにふたりはどのようなせんたくをなすのかについてかえりのクルマのなかでかんがえをめぐらせたりすること(こんどはかんぜんにえいがのがいぶだ)。はっきりとしているのはえいがをみる=ひひょうするさいのうがないということだ。[16:50;25:05一部修正]
2001年5月2日(水)va
●奈良のじっかに「ぎり」をはたすのはごごのはやいうちにすませていまは京都市内のぼうしょ。かくれが、といいたいところだがかぞくどうはんではそのようなロマンティックなそうねんもおこりようはずはない。ただしすこしふんぱつしてしょくした「かいせき」りょうりはびみであった。そのなかでこんやここにけいしゅつするのはコースもさいごのほうにつつましげにだされた飯蒸(いいむし)。もちごめをむしてダンゴにしたものをしるにうかべるシンプルなかたちのなかにこのみせ(「H作」)の板さんのうでまえがぎょうしゅくしている。
●しごとはきょうもじつはもってはきているのだがおいしいおさけもじゅうぶんにまわってとうぜんそのようなことにかかずらわっているきぶんではない。だがそんなときでもにっきはかかれつづける(笑)。[23:20]
2001年4月23日(月)va
●たびのもくてきのひとつであったあるかいけんはごぜんちゅうにあっさりとしゅうりょう。(あいにく/さいわい月ようびだからびじゅつかんはやすみなので)「きらく」するまえになにかいいイヴェントでもとおもってじょうほうしをかうとアルゴスQ(でんせつてきな巌本真里四重奏団の第二ヴァイオリンそうしゃであった友田啓明氏がしゅさい;
山形交響楽団の石井万里子さんをかいして氏ごほんにんや美智子夫人からなんどかおはなしをうかがったことがある)のすごいコンサート(津田ホール)のじょうほうがのっている。ハイドンの《十字架の上の七つの言葉》の弦楽四重奏版にオラオリオ版をかさねて「じょうえん」し、しかも声楽パートに菅英三子(小澤/SKOのマラ2のソプラノ・ソロのねつえんのきおくはまだあたらしい)ほかのそうそうたるメンバーをそろえる。ということでしんかんせん(さいしゅうの下りは21:30発)はあきらめて、さりとてあすはごぜんちゅうにがくせいのめんだん二けんがよていされていて(ごごはえんえんとかいぎだ)キャンセルがかなわないのでひさびさに、ほんとうにひさびさに(たぶん十七、八ねんぶりだ)ドリーム号で京都にもどることにした(ビジネスきっぷはむだにならないようにしなければ)。そしていま東京駅でそれをまっているのだがコンサートはそのくろうにむくいるだけのすばらしいないよう。カルテットだけならクレーメルやズスケらにひきいられた「めいばん」があるがぜひともこのカルテット+オラトリオ版でだれかリリースしてくれないものかとねがわれてならない。
●もう一てん。きのうとおなじ松屋・銀座店の、きょうは「福助」(すし)でおひるをたべてから(やっぱりイくとおもった[笑])コンサートまでのあいだ、むかいの山野楽器で十まいほどCDをこうにゅうして(さくじつふれたシュッツの「マタイ」はシュライアーの「コイツが『ていばん』なんだろう」とおもわせるものがあったのでそれもこうにゅう)それでもじかんがあまるので、うらのシネ・スイッチ銀座2にはいった。そう、えいがかんにまたしてもすうねんぶり(たぶん四、五ねんぶり)にはいったのである。みたのはオーストラリアえいが『もういちど『(原題は「innocence」)。くわしくはかかないが「ろうじん」の愛、というよりも性(sex)をえがいた、とうぜんそういうことがあるんだろう(あらねばならない)とおもわせるさくひんだったのだが(七十歳にとどこうとするかつてのこいびとどうしがセックスするばめんはやはりそれだけでそこそこショッキングである)銀座とはいえへいじつでかんさんとしているえいがかんの、そのかんきゃくのおよそ三ぶんの二ほどがろうじん(さらにそのはんぶんは「ろうふうふ」;いや、「ふうふ」のかんけいにない「おいらく」のカップルもあったろう)であったのはわらえなかった。いや、わらうことがそもそもふさわしくないテーマであることはわかっているがリアルタイムでじぶんたちのもんだいとしてとらえるにはこのえいがはあまりにざんこくである。ちゅうねん[=ぼくみたいなの]がここから三十ねんかんのことをおもいやりながらみるべきなのだ――とかいたしゅんかんに、しかしぼくはこれをえいが「さくひん」としてみる「きょり」をすでにうしなっている。モダニスト/フォーマリストだろ、きみは(笑)。
●いずれにしても京都ではなかなかあじわけない「ごご」だったようでかくべきことはまだまだつきない――山野楽器でこうにゅうした音楽記号学の大家ナティエの『音楽家プルースト』はバントゥイユ(『失われた…』のなかの「かくう」のおんがくか)の七重奏曲ほかのげんじつのソースをたんさくしたがる「あいこうか」の(あく)しゅみをわらうような、もじどおり記号学的なぶんせきをそのしょうせつにたいしてじっせん。かとおもえば(まもなくロードショーされる?)「見いだされたとき」(『失われた…』のなかのいちぶ)のサントラ盤というのもおなじCDショップのたなにならんでいて、こちらはつうじょうソースとかんがえられがちなフランクよりももっとセンティメンタルなおんがくがでっちあげられているのだろうとよそうされる。バスのなかできいてみるつもりだが、でもそういうのってじつはキライではなかったりする(笑)。もっとしょうじきことをかけば松屋でみたイッセイ・ミヤケのじょせいむけの「しんさく」はとてもかわいかった。あんなのをすきなこにきせてあそびたい(笑)。いささか、すぎただっせん。
●東京駅地下のビアホールでくるったようにパチパチとキーボードをたたいて、まわりのきゃくはふしんがっているだろう(笑)。ぶんしょうもおおいにみだれているはずだ。ま、いいや。たのしかった(ほんのいっしゅんにがにがしいばめんもあったが)東京滞在のとりいそぎのほうこくをこのままそうしん――。[22:21]
2001年4月22日(日)vb
●ブリテンのオペラでも、なんていうきらくなかんがえかたはあまかった。チケットはとうじつぶんもふくめてとうにかんばい。ほんば大阪でくうせきがめだつ文楽が東京にいけばまんせきであるように、いいプログラムのチケットはそうだつせんになるのがこのとしであることをおもいおこせ!
●というわけではやめにじょうしゅくの東京ガーデンパレスにチェックインさせてもらったはいいがあとはゆうこくまではCDのぶっしょくにあてられた。アーノンクール三どめの「マタイ受難曲」ほかの新譜やそのきょくのためにけっせいされたタッシ(P・ゼルキンやR・ストルツマンら)のメシアン《世の終わりのための四重奏曲》の再発盤にくわえて、《タヒチのトラブル》と《静かな場所》の二きょく(げんじつにはぜんしゃがこうしゃのいちぶにくみこまれるのだが)のバーンスタインもの、野中裕指揮/シュッツ《マタイ受難曲》(アカペラだ!)など、こうふんしながら二十まいほどこうにゅう。これだけでこんかいのじょうきょうのモトはとれたというかんじ。
●そのご、あるやくそくのじかんまで小一じかんほどあったので松屋・銀座店八かいの「つな八」で上天ぷらていしょくなど。てんぷらもすしにまけないくらいこうきゅうなみせはこうきゅうだがここくらいでじゅうぶんというリーズナブルなおしいさでまんぞく。ちなみに「福助」[すし]はこんでいてはいれなかったのでうえのしょようをすませたあとはべつのみせですしおりをかってホテルにもどってあすの、こちらこそがだいじなしょようのためのうちあわせなどをしょうしょう。マタチッチ/N響のめいえんもテレビでたんのうしたしこれからシャワーをあびておすしをたべながらきょうかったCDのしちょうでも(かったそのひのうちにきかないとそのごずっときかないディスクのなんとおおいこと!)。
●[削除しました。][22:15]
2001年4月22日(日)va
●ひかり114号のしゃちゅう。(『ぴあ』の首都圏版をかいそこねたので)ふあんていなでんぱじょうたいのなかネットでけんさくすると14:00から都内ずいしょできょうみぶかいコンサートがひらかれているのがしれる(きわめつきはでんせつてきなブゾーニのピアノきょうそうきょくの日本初演[オペラシティ;
ちなみにソリストはアムランだ!])。だがこのしんかんせんの東京とうちゃくが13:14。せわしいのはイヤだな(せわしいにんげんとおもわれがちだけど)。ん? 15:00からのもある。ブリテンのオペラ《ねじの回転》の、これも日本初演(新国立劇場小劇場)? なんのじゅんびもなしにオペラのげんだいものもつかれそうだが。いいさ東京駅までなやみつづけよう。[11:55]
下記のトラブルですが、「明朝」を待つことができずいろいろ手探りで設定をいじっているうちにほとんど偶然に復旧がなりました。なので日記は(さすがに24:00までには無理だけど)「きょう」の日付でのちほどオモテのほうに。[2001年4月18日(水)
23:52]
ふだん使用している自宅のデスクトップPCが、メーカー(NEC)のインフォメーションデスクからのメールの指示にしたがって通信モデムの更新措置をとったところ、まったく通信できない状態に陥りました。ヘルプのトラブルシューティングにしたがってシステムやモデムのプロパティを調べるとおおよそ「症状」は理解できましたが、「治療」の方法がわかりません。明朝、インフォメーションセンターに電話をして復旧につとめたいと思いますが、とりあえず気分が沈んで日記どころではないので、今夜のところはvaio日記の頁におけるこの事情説明を記すのみでとどめます。[2001年4月18日(水)
22:20]
2001年4月8日(日)va
●さいきん「いちぞく」のじじょうでおとずれることがおおい奈良では、しかしせっかくきたからには「いちぞく」のじじょうとはかんけいのないばしょをおとずれるようにしている。きのうはありきたりだが興福寺。子をジジババにあずけてそこについたときには17:00をまわっていたのでわがオアシスとでもよぶべき寺宝館はすでにしまっていたがいまをさかりとさくしゅういのサクラがそれをおぎなってあまりあるうつくしさであった。そしてまた五重塔をはいけいにして、ひっそりとさくツバキとともに、そしてシカたちのアップのすがたのはいけいにと、デジカメですうじゅうまいもそのはなをとりまくったのだが(もちろんそれらはどれもボンヨウなものである)あいにくPCにそれをてんそうするためのUSBケーブルをもってくるのをわすれた→ゆえにここにもアップできない。ざんねん。
●さてきょうは――じかんてきに吉野まであしをのばすのはちょっとむずかしい(サクラのきせつはじゅうたいがひどいらしい)。長谷寺にでもチラとたちよるのみではやいうちに京都に。[09:12]
2001年3月15日(木)va
●いろいろかくべきことはあるが(デジカメをくしして二、三十びょうたんいのムーヴィーをたくさんとったなかにも「めいさく」はあるがそれをネットでこうかいするすべがよくわかっていないのでヴィジュアルはつまらないオヤバカしゃしんでおちゃをにごしておく)子とふたりたびでしんしんともにとぉってもつかれた。さくやのえんそうかい(こいつはなかなかのものだった)のことはあらためていずこかのけいじばんのほうで。ということで、また…。[24:15]
2001年3月14日(水)va
●ひさびさのにっきである。それらしきものはけいじばんになんどかかきなぐったがべっとよういした「しんきじく」のばしょにはついぞいちどもかきこんでいない。がんらいがにっきなど三日ともたなかったにんげんのやっていることである。ようは「ね」がexhibitionistであるということだ(笑)。
●さて子とふたりしてのじょうきょうはしんかんせんのしゃちゅうでじゃっかんの父子のいさかいがあり(しかもトイレで子がオシッコをしっぱいするという「だいさいじ」もあった)かなりくたびれてホテル(東京ドームホテル)にチェックインしたがコブつきということをはいりょしてくれたのか「みはらし」のいいデラックス・ツイン(りょうきんはもちろんシングルだ)をよういしてくれてそのおかげでホテル・ライフはすこぶるかいてきである(子はなにをかんちがいしたか「このマンションだいすき!」となんどもくちばしっている)。いまかれはおひるねちゅうでそれからめがさめるとキッズ・ルーム(同ホテル内)にしばしあずけられることになる。このぶんだとそこもけっこうかいてきなのだろう。かくしてだったらあすもはんにちほどおまかせしてこっちはひとり銀座でグルメなどしてこようかなどとかんがえるふらちな父なのであった。[16:50]
2001年2月27日(火)vb
●いまはしんかんせん(なんごうなのだろう)のなかでこれをかいているがアップはきたくしてからしんやになるだろう。あるいはオモテのにっきのほうもべっとアップされるかもしれないが「いま・ここ」でなければかかれえないエピソードもある。おおげさにかいているがなんのことはない――ミミにひっかけるタイプのヘッドホンをかったのだがみょうにイタいうえにリモコンのたんしにせつぞくするみじかいやつだったので(リモコンなんかないよ)ひだりてでプレーヤをもち「ふべんだなぁ(でもイヤホンよりはよくきこえるし)」とおもっていたらプレーヤをゆかにおとしてミミがちぎれそうになった。しゅういのじょうきゃくがいっせいにこちらをみたということはそうとうおおきなこえをだしたのかもしれない(クレンペラー/バイエルン放響のマラ2をきいていたのでじぶんのこえはきこえなかった)。
●きぶんをかえてTOWERでかったR・シュトラウスのオペラ「ナクソス島のアリアドネ」[2001年1月のにっきのどこかでBS2でほうそうされたそれについてふれたはずだ]をきく。四十だいのカラヤンがフィルハーモニア管をふるモノラルばんだが(プリマドンナ&アリアドネはシュワルツコフだ[嬉])ドイツごができないのでこまかなてんかいはぜんぜんよめない(よめるフランスごでもオペラのセリフなどわからないだろうが)。ということであらためてかくにんする――ホフマンスタールのメタシアターてき「だいほん」はきわめてきょうみふかいがシュトラウスのおんがくじたいはすくなくともわがミミ(まだすこしイタい)にはあまりあわないということを。まあしかしいま名古屋をすぎたところなのだが京都まではあのユーモラスなぶたいをおもいうかべながらこれをききつづけるしよう(もうこれいごきかないかもしれないし)。[18:50]
2001年2月27日(火)va
●どうということのないこうけい。ちなみにひだりはしにうつっているまどからはみぎは上野ほうこう、ひだりは(かつてすんでいた)本郷ほうこうがみえる。東京ガーデンパレス741号室より。[09:15]
2001年2月26日(月)vb
●S氏のこてんかいじょう――T美大で日本画をおしえるH氏ともおもいがけずひさびさにさいかいすることができた――ではなんまいかしゃしんをとったが「ちょさくけん」やら「しょうぞうけん」やらのことをおもうとそうおいそれとこのばしょにけいしゅつはできない。ということでこんやけいしゅつされるのは(ホテルのしつないもサマにならないので)ここで「しょうぞうけん」をおかすことがもんだいとならないゆいいつのそんざいがさいきんかったデジカメをもってじしんをとっている――しかもそのとうにんによってここにアップされることになる――モダニストのほんりょうはっきというべき「じこげんきゅう」てきなしゃしん(笑)。
●あす。いろいろやりたいことはあるがしんかんせんにのるまえにかくじつにこなすであろうことはTOWERでのCDたいりょうこうにゅうとグルメ・ランチ。
●グルメといえばうえにかきわすれたがこてんかいじょうをでたあとS氏およびH氏夫妻+びじんのいちこちゃん(笑)とともに「アペリオ」(銀座1丁目、欧風料理)へ。たべすぎ、のみすぎでアタマがはたらかない(といってうえのわるふざけのしゃしんのべんめい)。[24:35]
2001年2月26日(月)va
●ひさびさのVAIO日記。そうか二しゅうかんまえにもいきぬきをしていたのであった。なおさまつなこうむにおわれているとはいえやはりじゅぎょうきかんちゅうよりははるかにラクであるといわねばならない。
●あさ。月ようびこうれいのおひるねようフトンと細君の「はんそう」をすませたあと高雄は栂ノ尾(とがのお)までおうふくやく十二キロのショート・ドライヴ。じょうきょうするためのにづくりもしていないせわしいはずのあさなのにとじぶんでもすこしあきれるがうっすらとゆきがつもったやまあいのけいこくのけしきはなかなかのもので(とうしょはねんぴこうじょうのためにはじめたあさのドライヴ[笑]であったがこのおかげで京都のしがいちのはずれにすんでいることがさいきんたのしくなってきた)あまりにきゅうにおもいたったがゆえにデジカメをもってこなかったことがおおいにこうかいされた。
●ちなみにそのまえにちょうしょくをとりにはいったマクドナルド金閣寺店でなんにちかまえにオモテのにっきでけいしゅつしたてんないしゃしん[たしか2月24日(土)ではなかったか]にマチガイがあることにきづいた。あさはつうじょうあそこにうつっている二かいフロアはへいさされているのである(ひるまりようするときはいつもあのかいだんうえのシート)。――とかいたところでだれかになんらかのメリットがもたらされるわけではない(笑)。
●さて13:10にとびのった「のぞみ14号」はしんがたの500系(やりのようにとんがったやつ)でひさびさにこどものようによろこぶ(こんどはデジカメはもっていたがとっさのことでカバンからだせなかった)。もっともなかはすこしムラサキがかったはいしょく(そうだVAIOイロでみたされているじょうけいをそうぞうしてほしい[笑])でオトもあいかわらずうるさいし(ヘッドホンしきでないイヤホンだとほんとうにおんがく[ジョン・ケージのプリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュードほか]どころではない)へいじつのひるまとはおもえないこんざつぶりだしここでもしごとははかどらなかった。ちなみにモデルの長谷川理恵さん(このひとがレポーターをつとめるしんやばんぐみ[CSの京都チャンネルのプログラムのりゅうよう]をみたがなかなかアタマのいいひとである)がのっていて(となりのグリーンしゃであろう)すれちがったがやはりハッとするきれいさであったことをほうこくしておく。[以上、14:00]
●うえをきにゅうご銀座・山野楽器でCDをすうまいかいこんでそのあとチェックイン(いつもの東京ガーデンパレス(湯島)になんとかくうしつがあった)。というわけでこれから銀座にひきかえしてS氏のこてんかいじょうにあしをはこぶ(デジカメをわすれずに)そのまえにホテルのへやからアップ。[17:50;
25:40じくしゅうせい]
2001年2月11日(日)vb
●したのvaのひづけがまちがっていた。しゅうせいずみ。
●ついでに――プロコフィエフのオペラ「戦争と平和」はよそうどおり帝政ロシアをぶたいとしたはんどうてきなしゅだいをあつかったものでただこの擬モダニスティック(でもスキだけど[笑])な「うた」だけがさいてんのさいのBGMとしてちょうどよかったがしんぶんをみてほうそうがあることをしってきゅうきょそのプロコフィエフのさいせいをやめてろくがをはじめた維新派の(ジャンジャン・)オペラ「流星」はもっとつまらない。こういうアヴァンギャルディズムにせっすると坂本龍一の「LIFE」のせんれんどがよくわかる。イヤ浅田彰とちがってそれを二どみたいとはおもわないけど。
●「西洋美術史II」のさいてんは十五まいほどをのこしてちゅうだんである。めのあたりがパサついてコンタクトレンズがときどきうきあがる。ぶつりてき・けんこうてきなげんかいである。
●オモテにもかいたがあすはそのオモテのにっきをふっきゅうさせたい。それはひいてはすべてのさいてんをおえるというけついのあらわれでもあるのだがそれよりもこうやってじたくからけいたいをつかってアップすることのこうりつのわるさがさすがにつうかんされるからである。VAIO日記はやはりがいしゅつさき(だいがくをふくむ)からにげんていするべきである(笑)。[27:10]
2001年2月11日(日)va
●ていきしけんのさいてんがすむまではせめてにっきはウラがわだけにしよう。くりかえすのだがじっさいそうするといわんばかりのせんげんをしたのだし[2月9日(金)vaをさんしょう]オモテだけよんでくれているどくしゃはそれはそれとして「アアいそがしくしているんだろううな」とおんしんのふざいこそをもってなっとくされるだろうから(ココまでよんでくださっているどくしゃはぎゃくにかかないのではなっとくしてくれないだろうと?)。
●ほんじつのりょてい[きのうのvcをさんしょう]のへんこうのけっか――琵琶湖ゆうらんせんは多景島ゆきがこのきせつはうんきゅうしていたので竹生島までいってしまった。能のせかいでひょうげんされるゆうげんなふんいきまではさすがにかんじられなかったが秀吉がほうのうしたという竹生島神社(国宝)はそのてきどなクチかたがフレスコ画のそれをおもいおこさせた。そのゆうらんのこうていで二じかんあまりをついやしてからかえりは(あっ、そのかんに彦根「かんぽの宿」でのにゅうよくがある、とてもカラダがひえたので)やはりきのうとおったみちをひきかえすことに。湖岸道路の60km/hそうこうがきもちよかったからだがところが琵琶湖大橋にさしかかるてまえ二キロさきからじゅうたいとなったのはそこそこよそうされたとはいえそこをわたりきってから大津あたりまでのじゅうたいをさけてはいったはずの「ゆうりょう」の湖西道路までがきっちりこみあっていてこれにはおおいにへいこう。けっきょく京都東ICまでこうそくでとばしてというへんこうしたけいかくじたいをまたへんこうしてさくじつきた比叡山越えのルートをぎゃっこう。いずれにしても「ねんぴ」てきにはイイくかんとワルイくかんがあってこうかとしては「そうさい」といったところかなと。
●サテきたくしてみると三びきのネコたちはトイレをうんちまみれにしてエサもからっぽにしてカラダのしんをさむくしてまちかまえていた。だがこういうときは「かなしかったわ〜ン」とかスリよってくるかとおもいきやむしろシラっとした「ワタシたちをみすてたんじゃなかったノ?」といわんばかりのめをもってむかえてくれるというのがこれまでのけいけんで(マリと故タマのばあい)ところがこれがはじめてのけいけんとなるニゴとセリもやはりすぐにはいつものすりよりかたをもってむかえてはくれなかった。このてんイヌだったらちがうのであろう。
●こんや。こうしてひといきついたらきゅうにすいまがおそってきたのでついさっきまでねて(クルマのうしろでねていればよかった母子は「ホームアローン2」をみてゲラゲラわらっていた)さあこれをアップしたらもちろんさいてんさぎょうに「ふっき」である。こんやのもくひょうはまずこれから(!)「西洋美術史II」ののこりやく六十まい。もしもそれがたっせいできたらとうぜんあすはごぜんちゅうがねてつぶれるだろうからさいごの「現代造形文化論II」(やく七十まい)はごごからつぎのひのみめいにかけて。四百五十にんぶんのひょうかをせいせきぼに「てんき」するさぎょうもあるからギリギリである。ということで「第2室」へのレスもおあずけということで…。[23:26]
2001年2月10日(土)vc
●じつはのみすぎたこともあって21:00ころから二じかんほどねむってからおきていまはねむれないでいるのだがさいてんすべきとうあんがないとやることがなくて(とてもきれいなホテルでりょうりもおいしかったがBSがはいらないのでプロコフィエフもみられない)ついついこのにっきのこうしんにむかってしまう(笑;だがこんなにヒマなよるはほんとうにひさしぶりだ)。イヤあすのよていについてちょっと――彦根港から琵琶湖ゆうらんのフネがでている。さすがに竹生島まであしをのばずじかんてきよゆうはないがちかくに多景島というちいさなしまがあってそこへのフネがひんぱんにでているようならのってみてもいいかなとおもう。あと多賀神社というところにとってもおいしいダンゴがあるそうだ。よくはしらないが細君がそこでそれをかいたいといっている。その「ようけん」をすませたらあしたは名神でいちろ京都へ。
●したのvbのアップのさいにまたきづいたのだが第2室にまたあたらしい「かきて」のとうじょうがあった。(このVAIO日記までよんでくださっているらしいのでここにメッセージをかいてしまうのだが[笑])おしゃべりな子のこともふくめてあすのよるにでもレスをかきこみますのでおまちくださいませ。[25:18]
2001年2月10日(土)vb
●したのvaのアップのさいにけいじばんをあわせてチェックしておどろいた。子がきょうのこの「お泊り」のことをペラペラとしゃべりまくっている[第2室のひもだYさんの「証言」をさんしょう]。じつはほいくしょのおむかえのときにはせんせいごとに「つれていってあげる」と「あげない」のしゅんべつまでしていてとてもはずかしいおもいをした。かくておもうのである――いまかたわらのベッドでねているこの子のこのおしゃべりはだれににたのだろう(笑)。いずれにしてもかれにとってみればじつは「べっけん」があろうがなかろうがすべて「お泊り」であることにはかわりない。めったにあるきかいではないので「お泊り」のかえりにもせいぜいたのしいおもいでをつくってあげようゾ。[24:45]
2001年2月10日(土)va
●たびさきにはけっきょくとうあんをもってくることはしなかった。あたりまえである。そんなことをするくらいであればさきにトイレにもってはいっているさ(ごぜんちゅうにはじっさいそれくらいのちょうしでよていよりおおい七十まいほどのさいてんをこなした)。
●さてドライヴィングはれんきゅうしょにちということもあってか琵琶湖大橋までがけっこうじゅうたいしたのがよそうがいだったがそのごの湖岸道路(守山〜彦根)は三十キロほどにわたってほろんどしんごうにひっかからない60km/hそうこうというじゅんちょうさであった(ぎゃくにねむくなりさえした)。これでこんかいの「ねんぴ」はけっこうイイせんをいくかもしれない。いつも「だんきうんてん」ていどでちっともモエあがっていないヴィッツにとってこそイイうんどうであった。
●ホテルのまどからは彦根城のおホリとそのむこうにてんしゅかくがみえるぜっこうのロケーション。ゆうしょくの近江牛もびみであった。これがただのきゅうそくであればこれほどすばらしいしゅうまつはなかったであろう。
●それにしてもこんなときでも(とうあんはおいてきても)VAIOはもってくるんヤネ(笑)? うん、せっかくしゅうりしてやったんヤカラ。ホンデモつかうのはこのVAIO日記のためだけヤロ?、おもたいのに。じゅうぶんすぎるりゆうヤとおもうデ。[23:30]
2001年2月9日(金)va
●オモテのほうで「にっきがこうしんされるほしょうはない」とかいたてまえウラのほうで(だがこうしんされないともだんげんしていない)。
●よていどおり、というよりもむしろじゃっかんはやく「表象批判II」のさいてんがおわろうとしているが(とはいえあと一じかんほどはかかる)のこされたまいすうはオモテにかいた三百もなくて(それはじゅこうしゃすうであった)二百余まい。そうすうは(オモテのほうになかばウロタエながらかいたのはまちがいで)とうしょのカウント(四百五十)がほぼあっていた(こころがやすらぐあやまりのはっけんである)。いずれにしてもしかしスケジュールてきにみてきけんなじょうたいにあることにかわりはない。「ぶすい」ではあるがあすはまいすうがいちばんすくない「現代造形文化論II」のとうあん(八十まいほど)をたびさきまでもっていくつもり(さいてんができるほしょうはない[笑])。
●それにしても(かずはすくないはずだが)このきょういんのグチをよんでいるがくせいのどくしゃはどのようなかんそうをいだいているのだろうか? イヤべつにそれをかきおくってほしいとおもうのではまったくないのだが(笑)。
●すこしたのしいはなし(?)を。あすの彦根ゆきのルートをおもう。京都東ICから東名にのってしまうルートなどはやめて北白川から比叡山越えのルートをとろう。比叡山ドライヴウェイをとおって雄琴にでてそこから北上して琵琶湖大橋をわたり守山がわにはいったらそこから湖岸をゆっくりと北上。
●ついでにげんざいのBGMについて。アーノンクール/ヨーロッパ室内管によるベートーベン「ミサ・ソレムニス」。りゆう? PCないにMP3データとしてかくのうしてからいちども「とおし」できいていないから(りゆうになっていない)。
●どんなにいそがしくてもどうやらかくことだけからははなれられないようにみうけられる(笑)。[27:00]
2001年2月8日(木)va
●よていどおりかみをきってランチをたべてつぎのかいぎ(15:00〜)までにじかんがすこしあるので(そしてさいてんすべきとうあんをがっこうまでもってきていないので)ひさびさにけんきゅうしつからのVAIO日記。といってもランチくらいしかわだいはないのだけれど――。
●「沙羅」(ヘアサロン)のならびにあるイタリアン(なまえはドわすれ)はいきなりガラスばりのテラスのくうかんにでくわしたくないひとがいたのでそそくさとてったい(笑)。じてんしゃだったのできびんに「リップル」(欧風料理、国際平和ミュージアム前)にいどうするもそこはていきゅうび。それでくじけなかったのはやはりじてんしゃのおかげで(笑)ならばといつもはあさクルマでたちよることばもっぱらであるマクドナルド金閣寺店(とはいえ金閣寺からはほどとおい「わら天神前」にある)のほうにむかってしかしはいったのは西大路通りをはさんでむかいの「ビストロ・ポンパドゥール」。ここをおもいたったのはいつかひもだYさんがどっちだかのけいじばんでしょうかいしてくれていたからなのだが「カジュアル・フレンチ」とうたわれているだけあってメインのりょうりはおはしでしょくすきらくさでしかもあじもなかなかによろしく二しゅるいえらべるデザート(プルーンのプチケーキとアールグレイのアイスクリームをたのんだ)までじっくりとあじをまんきつ。とどうじにかえったらまちうけているかいぎやさいてんがなくてゆっくりとアイディアがじゅくせいしてくるのをただまてばいいじゅんぜんたるものかきとしてそのあとゆっくりと平野神社あたりをさんさくできるのであればどれほどしあわせだろうかとげんじつがかすかにうらまれたのであった。[14:40]
2001年2月7日(水)va
●法学部や経済学部ではあるときくじゅこうしゃが六百にんをこえるこうぎなどのばあいしけんのさいてんはどうやっているのだろう。あるいは文学部のスケジュールどおりに2日(金)にそつろんしもんをおえたきょういんがりちぎに6日(火)のせいせきていしゅつのしめきりにまにあわせようとして「かろう」でしんでしまったらだいがくはどのようにきょういんをぐうするのだろうか。いったいに日本ぜんこくできょういんはこのじきおなじようにくるしんでいるのだろうか。――てなことをグチりながらしんやにドラマをみているにんげんにはどのようなてんばつがくだるべきなのだろうか。[26:45]
2001年2月5日(月)va
●オモテにはすこしかきづらいウラバナシ――さいてんにあたってはわがインスティテュートしょぞくきょういんは「びじゅつし」をせんこうしようが「ぶんがく」をせんこうしようが「にんちしんりがく」をせんこうしようがじどうてきに(きわめてらんぼうに)「せかいし」のさいてんたんとうとなっていろんながくぶのやっぱり「せかいし」にわりふられてしまったきょういんと五にんくらいで一グループをくんでひたすらおなじ五もんのさいてんを(そうごにチェックをしながら)くりかえすのである。さいてんをはじめてさいしょのうちはきょうかしょによって「べっかい」がありうることなどがわかってそれなりにあついぎろんがあったりもするが(もちろんしゅつだいたんとうしゃがちゅうしんである)あとはぎろんはあったとしてもこの「メ」は「ナ」にみえるとか「ー(音引き)」がないからダメだとかのこまかなそれになる。なかなかにきのめいるさぎょうでこれならばじぶんがたんとうするかもくのしけんのさいてんをこどくにモンモンとつづけているほうがマシかとおもえてくる。このじきにふたつのさいてんがかさなるのはそうした「そうじょうこうか」(笑)をねらってのことではないのかしらん。いや、だいがくがわのそうていではあくまでもていきしけんのさいてんがすんでつぎににゅうしのさいてんとなるのではあった。[23:47]
2001年2月3日(土)va
●新PCのほうはまだデスクトップに細君のぶんしょがおかれているのでこんやは(まず?)こっちで――テレビのしゅうろくがあるからということもあるのだろうがさくやのメータ/イスラエル・フィルはアンコールを三きょくも。が、そうやってえんそうされるみじかめのきょくのあつく、あるいはロマンティックで、あるいはメランコリックなせんりつにさいきんとくにヨワイ。つまりるいせんがゆるむ(笑)。たんに「とし」をとったからかもしれないがいずれにしてももうじょせいとのデートでコンサートなんていう「て」はつかえないということだ(笑)。ちなみにさくやのくりかえしになることをいとわずそれらアンコールもやはりにほんのオケではまねができないクオリティにあったことをふきする。
●「第1室」にもかいたがこんやはBS2でR・シュトラウスとヤナーチェクのオペラがたてつづけでほうそうされる。かじつ[1月13日(土)だったはずだ]のヘンツェ(バリバリのげんだい)ほどではないが20世紀モノをほうそうしてどれくらいのしちょうしゃがそれをみるのだろうか。らいねんどのじゅぎょうで「オペラはかのうか?」というタイトルのかいをよていしている(立命の某講義と東北芸工大の集中)ものとしてはあつかうかのうせいのあるだいざいがふえてじつにありがたいけれども。[21:45]
2001年2月2日(金)va
●さっきオモテのにっきの1月ぶんを「過去の日記」のほうにうつしたのだがこのVAIOぶんのあつかいはサテどうしてくれたものか。まだそうしなければアップしにくいほどに「おもたく」なっていないということもあるけれどそれいぜんにオモテぶんとくべつなくくみこまれせいりされてしまうのがとくさくでないのはあきらかである。ここにはちゃんとウラのにっきのせいかくをあたえてそれなりのぐうしかたをするとしよう(ぐたいてきなほうほうはそこそこのりょうになっただんかいで)。
●それにしても――と、いきなりオモテのひはんなどをしてしまうのだが(笑)――さいきんのにっきのしめっぽさときたらなんだ? ほとんど「闘病記」じゃないか。ああやって「どくしゃ」によんでもらうことでけっきょくシンドサをやわらげている? 「過去の日記」がどんどんふくらんでいこうとそれじたいはいささかもめでたくはない。
●だからというのではないがいまついでにこっちのページでおんがくのわだいにふれておこう。いまメータ指揮/イスラエル・フィルのえんそうかいがほうそうされている(BSではなく朝日放送[大阪]ローカル)。さっききいたシェラザード(リムスキー=コルサコフ)はもともとていひょうのある弦のみならず管もべらぼうにうまいのでおどろいた(こじんのぎりょうではVPOをぬいてBPOにいならぶのでは?)。ただがっそうりょくにおいてすぐれているだけでなくリズムをとる「さいぶ」でほとんどジャズてきとすらいいたいやくどうかんがいきづいている。さいきんのN響がいかにこうちょうであってもこんなえんそうにはであえない。いまえんそうされている(もちろんナマじゃないよ)ショスタコの五ばんもしっぽりとぬれたようなびおんでなりひびいているがただしこのひびきがこのショスタコにふさわしいものかどうかはいけんがわかれるかもしれない。さてこのだい四がくしょうをメータはつうじょうのこうそくでしきするのかそれともロシアの「げんてんは」のようにゆったりとしきするかがたのしみである。[26:45]
2001年1月29日(月)vb
●サアこんどこそねるぞとおもったのにこちらのページをいちべつするとしたのvaにおかしいところが二かしょあった(もっとあるかもしれない)。なのでなおした。それをまたけいたいをかいしてアップする。でんわがあるしつないなのにとヘンなきぶんだが新PCにしっかりせつぞくしているコードをはずしてこっちにつないでまたもとにもどすことをかんがえたらこっちのほうがマシなのである。と、こんなふうにかいてもこの「なおし」はただのじこまんぞくでしかないようにすでにおもっている(それもいいさダッテぶんしょうをかくことはきほんてきにそのようなまんぞくのためなのだからである)。[25:20]
2001年1月29日(月)va
●まずはきのうのこと。けっきょく東京でいっぱくすることになるかなとはすでにのぼりのしんかんせんのなかでおもった。きがえも「くみあいいんしょう」(「ろうそ」のではない;
東京ガーデンパレスは「私大」のきょういんはやすくなる)もなかったがもはやかんけいなかった。しんかんせんのなかでは14:00からのぶんらく(『心中天網島』の河庄の段)のろくがのセッティングをしわすれたことにきづいたのでいえにでんわをいれたがるすだったのででんごんでそのむねを「せつぼう」した。しっぱいしたとあとからでんわがあった(細君はビデオデッキないのチューナーのチャンネルをあわせないとのぞむばんぐみがろくができないことをまだのみこんでいない)。もう二どとろくがはしてやらない。
●そのぶんらくがほうそうされているころ「すみだトリフォニーホール」では山響のうつくしいねいろ(おせじではない)がなりひびいていた。「フィンランディア」ちゅうかんぶのなんどきいてもなみだをきんじえぬメロディはいつもいじょうにあいしゅうにみちていたしシベリウスのさいごのこうきょうきょくとなっただい七ばんもとてもしょうへんせいのオケ(やく四十めいのがくだんいん+十五めいほどのエキストラ)のそれとはおもえぬあつみがあった。ついでながら「恋する人」、「恋する人の散歩道」、「おやすみ、愛しい人」のひょうだいをもつ三きょくからなる「弦楽のための組曲『ラカスタヴァ(恋する人)』作品14」ははじめてきいたが(CDでもたぶんきいたことがない)グリークのしょうひんにもつうじるすてきなきょくであった。村川千秋氏(かれがこの山響をつくった)の常任指揮者さいごのぶたいにふさわしいえんそうかいであった。
●きのうのよる。えんそうかいのあとはじょうきのホテルにチェックインしてそのままダウン。かぜはピークでせっかくもってきたVAIOのキィをたたくきもおこらない(だからそのいみではきょうはだいぶかいふくしている)。こんなくらい東京のよるは(京都にうつってからのじょうきょうじのものとしては)はじめてであった。[09:35; ちょうしょくをたべながら]
●きょう。M善にまつわるウルトラCとは日本橋のそのほんてんのてんとうでちょくせつほんをかいつけるというもので京都支店のH氏は(よろこびはしなかったが)イヤなかおもしなかったので(とはいってもでんわだから「こわいろ」によるはんだんである)よていどおりのきんがくぶん(ン十まんえん)のこうにゅうをぶじしゅうりょう。こんなことでいいのならいねんどからはいつもこのほうほうで。
●カゼはまだとうぜんなおっていなくてPLものんでいるみだけれど銀座にくるといつもの「福助」(寿司;松屋八階)にたちよらずにはおれなくなってそこでビールなどものみながら京都までもつくらいのはらごしらえ。クスリをのんでいるのでいつもよりずいぶんアルコールのまわりがはやくかんじられたがここにきてこの「福助」か「つな八」(てんぷら)にたちよらずにかえることもまたかんがえられない。となるとむかいの山野楽器でのCDこうにゅうもどうようで(いつもはCDをかってからしょくじをするが)そこではロッテ・レーニャが「ジェニー」をえんじたヴァイル『三文オペラ』のれきしてきろくおんの初CD化ディスクやさくじつ山響できいたシベリウス「恋する人」ほかがはいったCDほかすうてんをこうにゅう。東京にきてこれほどCDこうにゅうまいすうがすくなかったのははじめてだったがいいかいものだったのでそれなりになっとく。そうしてこれをかえりのしんかんせんのなか(もうのっている)できいていくよてい。
●まもなく新横浜。京都まであと二じかんちょっと。で、せっかくなのでけいたいでアップするつもりだけどでんぱのつごうによっては京都についてからということも? [17:50]
2001年1月28日(日)va
●山響のコンサートはちゃんときいたがさっきやってきたみちのりをきょうのうちにひきかえすきりょくがなかったのできゅうきょじょうしゅくの東京ガーデンパレスによやくをいれることになった。というわけでこれはホテルのへやから(とうぜんけいたいによるアップではない)。あすによていされていたM善とのうちあわせは(うまくいくかどうかわからないが)ウルトラCのワザでのりきるつもり。ちなみににくばなれはあさはさくやにもましてげきつうをはしらせていたがゆうこくいこうすこしマシになってきた。こんやもういちどシップやくをはると(アラやくにたった)あすはだいぶラクであろう。[22:40]
2001年1月27日(土)vb
●さっきのvaはじつはデスクトップPCでさくせいしてアップしたもの。このvbからVAIO+けいたいでんわによるアップとなる。で、これにてじっけんしゅうりょう。[19:30]
2001年1月27日(土)va
●あしたのじょうきょうでげんじつにしようするかどうかわからないがこんごじたくのデスクトップPCいがいからにっきをアップをするひつよう(よくぼう)がはっせいしたときのために…。[18:40]