HOME  TOP  M.Yさん

旅行記_img

 R.Iさん  【中国旅行は美味しい!!

≪はじめに≫

まず初めに、今回参加したメンバーを軽~くご紹介したい。
これが無いと何も始まらない!

≪愉快な旅の仲間≫

Hモトさん
今回の旅の仲間で一番の年長であったが、足を引っ張るなんてとんでもない。みんなを引っ張っていけそうなほど元気なお方であった。
Yムラ先生
とにかく写真を撮りまくり、この旅の仲間のなかで一番元気だった。まさに先生パワー。
Hワラ先生
何かと色々忙しそうだったが、私のどうでもいい質問に答えてくれたり、とにかく優しかった。ツッコミ担当。
Hダ先生
仕草や喋り方、全てが可愛らしく、私をメロメロにした先生。東洋史のお方であるが、中国文学のマスコットキャラにしたい…。
Kセ先生
一番多く学生に接してくれた心優しい先生。なお、Kセ先生の抜群の中国語力がこの旅で大活躍したのは言うまでもない。
Sタニ先生
とにかく面白くて、冗談も寒いギャグも完璧にこなす先生。さらに、学生からの無茶な注文にも応えてくれる男らしさも持ち合わせている。
Aカワさん
四回生のAカワさんは、一回生の私から見ればかなり大人!前回もこの旅に参加しており、色々と教えてもらい、感謝感謝です。
Fダくん
Oノくん
Iセくん
Wバヤシくん
とにかく元気で、この旅をとっても明るくしてくれた二回生の男の子四人。この四人がいなかったら、あれほど先生たちと打ち解けられなかったと思う。
Yっち
私と違い、とにかくしっかりしていて、ダメな私を全面的に面倒みてくれた。本当にYっちがいて良かった…!

 


<8月19日(日)>

とりあえず、六時に京都駅集合だったので、四時起床。眠くて仕方なく、関空までの電車の中で思わず爆睡してしまった。その上、飛行機が大嫌いな私は飛行機の中で大騒ぎして、様々な方に迷惑をかけた。この場を借りてお詫びしたい。

北京空港でまたまた飛行機を乗り継ぎ、一気に済南に行きたかったが、時間の調整など色々あり、北京空港で三時間ほど待った。そこで会ったのがガイドの金さんで、この旅に終始同行してもらった。金さんの話す日本語はとても上手で、さらに色々なところで私たちの面倒をみてくれて、とても素晴らしい方であっ た。

北京空港はものすごい人で、サイフやパスポートを盗られやしないかと、ずっと怯えていた。するとだんだん自分を見ていく全ての人が「お前のサイフは俺のも の」と考えているように見えてきて、ますます怯えてしまった。実際、何が珍しいのか知らないが、よく私たちをじろじろ見てる人は多かった。…怖いよー。

三時間後ようやく飛行機に乗って済南にたどり着いた。中国の国内線はバカみたいに中国語の歌が大音量で流れ続けており、降りる頃にはすっかりその歌が頭に染みついていた。

その後バスに揺られて、私は初めての中国に触れた。済南空港は少し田舎にあったのか、バスは空港を出たのにも関わらず、森の中を走った。その後は、一面のとうもろこし畑。すごく雄大で、大陸の香りがした。でも、どこまでも続くとうもろこし畑を誰が管理しているかは謎である。とりあえずヤギを連れたおばあさんや、細い道を後ろに何やらいろいろ乗せて走っていく三輪車のおじさんなどをみているだけで楽しかった。

ようやく済南についたが、とにかく車とバイクと自転車が多い!!!(バイクなんかは正直何でもアリの状態で、親子三人で乗っていたり、人数制限なんても のは存在しなかった)もう一つ言いたかったのは、信号があるんだから守ってくれ!!(みんな信号があるにも関わらず完全無視で突っ込んで行くから、一人で 道路を横断したら確実に死ぬ、と思った。だったら、信号なんて設置しなくてもいいのに…)

そのままバスに揺られていたが、どうやら道に迷った。(迷ったというより、道路が補修中で、道なき道をドカドカ走っていたら、どこが道か分からなくなっ た、と言った方が正しい。オリンピックのために、らしいが、あれほどの量の補修が来年終わっているとは到底思えなかった)とにかく、レストランへの到着時間が一時間近く遅れた。が!そのレストランがどこの豪邸ですか、というほど、キレイで(というかギラギラで)、

i_img_1

 

それにとても料理が美味しかった。後ろに常に従業員の人が立っていて、お茶がなくなると、すぐに注いでくれた。でも、この食事よりも感動したのが、次の日の朝のバイキングである。

 


<8月20日(月)>

とにかく、朝のバイキングが旨い。ヤムチャがずらーーーっと並んでいて、お腹いっぱいになった。というより、食べすぎた。でも、気をつけなければいけない。中国の牛乳は甘いミルキー味である。ちなみに緑茶も蜂蜜入りである。

i_img_2

 

山東省の済南で初めて行ったのが大明湖である。大明湖はすごく綺麗で、大きく、中に橋などもあり、中国の風情が感じられたのだが、一つだけ最悪だったのが、湿気である。夏真っ盛りの中国は、私のイメージでは乾いていて、ものすごく紫外線が強い、という感じだったのだが、大明湖はさすが湖なだけあって、湿気がものすごく、それが気温の高さも相まって、正直最悪な気候になっていた。汗か水蒸気か何だかよく分らないほど、服が湿ったのをよく覚えている。

次に行ったのが、趵突泉である。趵突泉は、キレイな青緑色の水がぶくぶくと池の真ん中から湧いていて、かなり驚いた。温泉ではなく、ただの泉であることにもっと驚いた。しかし、かなり人でごった返していて、月曜日なのに…と思った。

昼ごはんは客よりも従業員が多い、という謎のレストランで食べた。とにかくやたら極彩色で、広かった。大きな饅頭が出て、ビックリしたのもここ(子供の頭一つ分ほど)。

i_img_3
i_img_4

 

その後、行ったのが山東省博物館である。山東省博物館では、とても貴重なものをたくさん見ることができた。中でも孫子が書いたとされる竹簡があり、感動した。しかし、相当膨大な量の展示物があったので、ほどんど時間内では見ることができなかった。私はガイドさんの説明を聞きながらまわっていたのだが、先生たちは説明なんかいらないようで、自由に歩き回っていた。さすが、先生…。(若干ガイドさんが呆れ気味であったことは伏せておく)なお、この博物館はオリンピックのために向けて改装中であった。中国、力入ってんなー…。

それから見に行ったのが、大黄河である。黄河、と地面に大きく描いてあったものの、正直私のイメージである黄河とはかなり違い、結構川幅が狭かった…。し かも金さんの話によると、春頃はもっと狭く、歩いて渡れるんじゃないかと思った、ということである。確かに、砂が若干黄色く、黄河という感じがしたものの、なかなかショックを受けた。ゆ、悠久の流れが…。ちなみに、釣りをしている人がいて、何が釣れるのか非常に気になった。あと、喧嘩をしている夫婦もい て、何気に面白かった。

i_img_5

 

その後、約二時間かけて、孔子さまのふるさとである、曲阜へ行った。曲阜は済南よりもさらに田舎の方で、孔子さまのふるさとじゃなかったら、かなり寂れて いたでしょうね、と金さんに言われていた。すぐ、ホテルに向かったが、外国人向けのホテルの中はとても可愛くて、この旅行中一番居心地が良かった。唯一二階までのエレベーターがないことだけが口惜しかった。

i_img_6

 

夕食まで時間があったので、みんなで街中を散策した。街中は馬車などが闊歩していたり、Adidas のパクリらしいAdivonという店や「名古屋」という意味のわからない店があったり、みているだけでも楽しかった。あと、ちょっと門のようなものから外に出ると、夕日と柳と川のある綺麗な景色が見れて、とても中国の雰囲気を漂わせていた。その後、もう閉まっていたが、孔子さまの弟子である顔淵のお寺に 行った。お寺の前には様々な屋台が出ていたのだが、その中に普通に狗肉が売っていて、思わず戦慄した。(しかもその屋台の前を白いふわふわの犬がうろうろ していて、私は気が気ではなかった。どうやら赤犬しか食べないらしい。文化の違いって怖いなー。)

i_img_7
i_img_8
i_img_9

 

孔子さまのふるさとである曲阜の夕食はその土地の郷土料理であった。しかし、こんなことを言ってはいけないとは思うが、あまり美味しくなかった…。とにかく初めての味のオンパレードで、味覚が少し麻痺しそうだった。
夕食後は外に出ている屋台を見に行ったのだが、夜の曲阜は昼とは違い、すごく地元!!という感じで、若干怖かったものの、珍しく驚くことばかりであった。特に謎の巨大魚や肉や揚げ物たちの羅列は恐ろしく奇妙だった…。

i_img_10

 


<8月21日(火)>

朝っぱらから周さんというガイドさんが合流し、孔子廟に出かけた。とても暑かったが、孔子廟の大成殿はとても大きく、美しかった。さすが孔子さま!私は弟子の子路がとても好きなのだが、残念ながら子路の位牌は見つけることが出来なかった。その後、孔子さまのお墓を見に行った。綺麗なお墓で、観光客もいっぱい来ていた。この頃では、道端の屋台でコーラやお茶を買うのに全く抵抗がなくなっていた。…というより、水分なしの暑さに抵抗できなくなった。

i_img_11

 

そしてついに今回の旅行の最大の目的である(?)泰山に足を向けた。驚いたのはその様子。山頂1540M。もちろん富士山なんかと比べれば全く低いことは明らかであるが、山肌や霧がかった感じはまさに中国最高の山と言っていいと思った。歴代の皇帝がのぼり、中国の国民が一生に一度は登りたい、という泰山に 登れるのか、と思うと自然と私の気持ちは高揚した………と言いたいところだが、その時の私の気持ちは完全に「たけぇーー…。や、やっぱりロープウェイにしようかな…」であった。何しろ、皇帝ですら籠を使えなかったほどの急な階段が山頂まで伸びているのである。900Mまではバスで行けるものの、(ちなみに このバスの運転は相当乱暴で、ほぼ絶叫マシン状態だった)「絶対ムリだ」。そう思った。しかし、ロープウェイ組はHモトさんとHンダ先生と金さんだけである。そこにいくら女とはいえ、一番最年少の私が入ることは雰囲気的に許されないだろうと思い、思い切って行くことにした。ヤバくなったら、「私の屍を越えてゆけ」とYっちに言うことだけを決めて。

i_img_12

 

登山中は、本気で私の膝が大笑いしていた。一歩踏み出すごとにガクガクするので、ちょっと平らなところに出るたびに石の上で休憩せざるを得なかった。とりあえず、もっとダイエットしておけばよかった、と心底そう思った。二回生の男の子たちとHワラ先生は馬鹿みたいに元気で、あっという間に見えなくなった。 残った他の先生たちはさぞや(私並に)疲れているだろうと、先生たちを見たとき、私は泣きたくなった。Yムラ先生は平気な顔で様々なところを写真撮っていたから遅れていただけで、歩きだすとかなり速かった。それからSタニ先生はペットボトル二本を両手に持って「疲れたなー」とは言っていたものの、私から見るとかなり平気な顔で登っているし(しかもここからは仙界である、という門の下で「一人でもセンニン…」などというダジャレで私を抱腹絶倒させた)、さらにKセ先生はというと、馬鹿みたいに疲れている私を気遣って、「大丈夫?」と言いながら笑顔でゆっくりと登ってくれた。Yっちはと言えば、もっと速く登れ るはずなのに私をずっと待ってくれて、最終的には「荷物持ってあげようか」とまで言わせてしまう始末。ほ、本当に皆さんすみませんでした…。

i_img_13

なお、この登山中に心に残った人間模様というか中国だな、と感じた出来事を紹介したい。
*途中で上の岩場の修理のためにかなり大きな石を担いで登って行く人の列があって(全員裸であった)中国の無茶さ加減を感じた。あれは落したら普通に登っている人に当たるわけだし、何よりあんな重い石(というか岩?)を担いで、あの急な階段を登ること自体間違っている、と思った。人のレベルを超えてるって…。
*おばあちゃんが普通に登っている。
*途中にある店の人は毎日登っているんだろうか…。(ロープウェイは900Mから山頂まで存在しない、と思われる。)もし毎日登っているんだとしたら、尊敬どころの騒ぎじゃない。
*上から降りてくる中国の人に笑われた。Kセ先生に尋ねたところ、私たちの疲れた顔が面白かったらしい。大変失礼な話である。多分主に私の顔だろうな…。
*馬鹿みたいに大きなバックパックを背負った彼氏と何にも持ってない上に杖までついている彼女の西欧カップル。いくらレディファーストとはいえ、それはやりすぎではなかろうか…。カップルの上下関係が分かる気がした。

とまあ、色んなことがあったが、Yっちや先生たちに憐みの目を向けられ、励まされながら、ようやく登りきった。あまりの嬉しさに全く話したこともないガイ ドの周さんに思わず握手を求めてしまった。そして周さんは帰って行った。今思えば、先に登って行ってしまって、後ろの安全確認も何もしなかった、というものすごい人であった(しかも泰山に登るのは初めてだったらしい)。頂上の景色はものすごくキレイで、達成感と共に本当に最高だった。山頂のホテルに泊まったのだが、キレイなホテルで、山頂にあるとは思えなかった。タオルで20元をとられたり、夜の8時以降しかお湯が出ない、ということは抜きにしておく…。夕食では「女の子があの山を登ったのは偉い!」と言って、金さんがスプライトを奢ってくれた。金さんの親切心が身にし みた。明日は朝日を見るため、とりあえず早く寝た。

i_img_14

 


<8月22日(水)>

朝4時起床。早すぎて厳しいよ…。とにかく外は寒い、ということなので長そでのジャージで外に出た。まさかこんな真夏に長袖を着ることになろうとは 思わなかった。しかし、寒い!!外はとんでもなく寒かった。もしTシャツなんかで外に出ていたら多分凍死していただろう。その上、山頂付近は霧が猛烈にかかっていて、歩いていても少し先はもう真白で何も見えなかった。さらに辛いことに、何十分も待ったのに、朝日は拝めなかった…。一体、この山に何しに来たんだ、と思った。そして追い打ちをかけるように、霧のせいで髪の毛どころか全身がずぶ濡れ状態になった。霧ってすごいな、と思う前に切なすぎて挫折しそうになった…。その後、少し休憩して、朝方は風が強く、止まっていたらしいロープウェイで無事に下まで降りた。ロープウェイはとにかく傾きが急で、ビクビクしていたら、Kセ先生が「丈夫ですねー」とか言いながら揺らし始めたので、それこそ死ぬかと思った。Kセ先生は意外とSだと思った。

i_img_15

 

山を降りると、すぐに泰廟に向った。泰廟には貴重な壁画が残っており、少しお金を払うと目の前で見ることができ、感動した。なお、泰廟には日本語を勉強しているお姉さんが働いていて、そういう人とも触れ合えた。泰廟の中を進むと、石碑の拓本を見ることができた。昔は拓本の許可はいらなかったらしく、日本の書道家がよく自由に拓本していたらしい。しかし、今は許可された人だけが拓本をとれる仕組みになっている。そんな貴重な拓本を見ながら、さらに進むと、二本の木の前に着いた。この木は玄宗皇帝が植えた、という伝説が残っているらしい。太く、大きな木であった。

i_img_16

 

その後、また済南まで戻った。一日目と同じホテルに戻ったのだが、その時に面白い出来事が起こった。それはYっちがホテルに両替に行ったときのこと で、ホテルのカウンターに日本円を中国元に両替してくれるように頼んだら、なぜかホテルに断られた。理由は「WEATY(湿っている)」らしいが、全く湿った感じがしない。ごねていると、Yムラ先生が来て色々と中国語で説得してくれたが、やっぱりその一万円はダメだということで、他のお札(千円と五千円)にしたら、ようやくYムラ先生の気迫に圧倒されたのか、両替してくれた。その後も、ライトで透かしてみたり、従業員総出でなぜかそのお札たちを調べていて、何でこれほど疑われるのか謎だった。もしかして、旧札しか見たことがなかったのだろうか…。とりあえず、思わず笑っちゃうような出来事であった。

その後、金さんお勧めの足つぼマッサージに行った。とにかくものすごく気持ちよくて、やってくれている男の人とは言葉が通じず、何にもコミュニケーションはとれなかったが、とりあえず、ジェスチャーと英語で何とか「GOOD」を伝えた。途中でビンの中に火をつけてそれを足に当てられたときは、足を燃やされる!!と思ったが、ビンにかかとが吸引され、なかなか気持ち良かった。足つぼってこんなマッサージだっけ…?と思ったが、スイカやお茶も出て、すごく気持 ちのいいマッサージ屋だった。これで登山の足の疲れもとれたと思う。
夕食はついにあわびを食べさせてもらった。すごく美味しくて、やっぱり中国料理は最高だと思った。

i_img_17

 


<8月23日(木)>

朝10時の飛行機だったので、朝ごはんはバスで食べることとなった。飲み物といえば、あのミルキー味の牛乳だけで、ちょっと切なかった。私は牛乳が大好きだが、あの味はちょっと受け入れられない…。
ついに北京に行ったのだが、北京の感想としては、ものすごく都会だった。街中もキレイだし(東京とかよりよっぽどゴミが少なかった)、道路もかなり整備されていた。北京の中心部は馬鹿みたいに自転車が走っているイメージだったが、全然走っていなかったので、かなり偏見をもっていたことに気がついた…。
中国、ごめんなさい。

i_img_18
i_img_19

 

ここで新しくガイドの単さんが合流し(金さんもそのまま同行中)、北京に着いて初めて行ったのが、天壇公園である。様々な国から様々な観光客が来ていて、 公園内は多国籍状態だった。青空の下で青色に輝く天壇はすごく綺麗で、感動した。その後、故宮にも行ったが、全部の屋根が橙色で、どうして、こんなに色彩 が統一されているのに、キレイなんだろう、と思った。故宮の大きさは半端なくて、清の時代の壮大さを思い知らされた。一日じゃ全く回れない、ということは よく聞いていたが、それが本当によく分かった。だから一日も余裕がない私たちは真っ直ぐに通り抜けただけだった。中には科挙の殿試の試験場もあって、何だか緊張した。故宮の前にはかの有名な天安門広場に行った。中国に出発する前にお母さんに「天安門広場いってくる」と言ったら、「あれは血を吸った広場だよ」とか言われて、そのときはよく分らなかったが、後でそれが天安門事件のことを言っていたことを知った時は、何だかあの馬鹿みたいな広さの広場が急に影を落としていく ような感じがした。そして、残念ながら時間の関係でホルマリン漬けの毛沢東は見ることができなかった。ちょっと、怖いもの見たさというのもあって、見てみたかったなぁ。

i_img_20


それから、頤和園に行った。そこにあった昆明湖はものすごく広くて、全く人工の湖とは思えなかった。頤和園だけは、あまり時間がなく、見ることができなかった。

夕方になって、何年か前に立命館大学で教えていたという先生のいる清華大学に行った。バスで清華大学に乗り込んだはいいが、全く食事会場に着かない。バスで移動しているのにも関わらず、である。つまり、大学内が馬鹿みたいに広いのである。立命館なんて正直目じゃない。「学生が暮らしてるからだ」とは言って いたが、そんなこと問題にならないくらい広かった。多分京都の北区か、上京区くらいある、と思う。とにかく広すぎて(しかも途中で民家を数軒発見した。何か大学に取り込まれたような感じだった…。)、全然目的の職員専用の食堂に着かず、思わずぐっすり寝てしまった。ようやく着くと、もう先生が待っていて (とてもキレイな女の人であった)、先ほど食堂と言ったが、ほぼレストラン状態の素晴らしい食堂に案内してくれた。先生の奢りらしく、さすが北京なだけ あって、辛いものも多かったが、すごく美味しくて、感動した。これ全部奢りですか、先生…。謝謝です!途中で自己紹介があったが、何とか覚えたての中国語 で対処した。緊張しすぎて死にそうになった…。

 


<8月24日(金)>

オリンピックメイン会場になる「鳥の巣」を見送りながら、朝から万里の長城に向った。正直言って、やはり万里の長城は相当感動した。多分、今回の旅行の中でも、泰山の次に良かった。やっぱり、テレビや写真で見たままの姿で、観光客とほぼ押し売り状態の中国の商人の皆さんはとても多かったものの、すごく壮大で、美しかった。これが明代に造られたものとは、とても思えなかった。色々買わされたものの、それも思い出だと思った。もう一度行ってみたい観光地の一つになった。今度は違う方面にある万里の長城に行きたいなあ。

i_img_21
i_img_22

 

その後、明の十三陵に行った。一番有名な(多分)像がいっぱい並んでいるところは行けなかったものの、皇帝のお墓を見ることが出来た。もう棺はないのに、たくさんのお金が投げ込まれていて、驚いた。
その後、北京の繁華街に行ったのだが、そこに行くまでの渋滞がものすごかったので(というか普通の道なのに全く動かなかったので)、繁華街での買い物が全くなくて、かなり焦った…。結局、あまりイイものは買えず、帰国後、姉に散々叱られた。

そして、夕食。ついに念願の全聚徳の北京ダックを食べることが出来た!!目の前でシェフが切ってくれ、ものすごく美味しくて言葉にならなかった。お土産に北京ダックを買って帰ったが、正直全然おいしくなくて、家族にも馬鹿にされ、相当ショックだった。
最後の夜だったので、ついにYっちと二人で北京駅までお出かけした。二人だけなのは心細かったが、良く分からないスーパーで良く分からないヨーグルトやお菓子を買って帰った。意外と面白くて、毎回行ってれば良かった、と思った。帰ってから、二回生の男の子たちの部屋で、先生もみんな合わせて夜まで談笑した。正直、このときが一番旅の仲間と仲良くなれたと思う。それが最後なんだから、全く旅行ってよく分らない。

i_img_23

 

翌日、無事に日本に帰国。
総じての感想としてはやっぱり中国は美味しかった、かな。
本当に楽しくて、思い切って参加してみて良かったです!!

 


HOME  TOP  M.Yさん

 


お問い合わせはこちら   © Ritsumeikan Univ. All rights reserved.