R.Iさん 【中国旅行は美味しい!!】 |
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≪はじめに≫ まず初めに、今回参加したメンバーを軽~くご紹介したい。 ≪愉快な旅の仲間≫
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<8月19日(日)>
それにとても料理が美味しかった。後ろに常に従業員の人が立っていて、お茶がなくなると、すぐに注いでくれた。でも、この食事よりも感動したのが、次の日の朝のバイキングである。
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<8月20日(月)>
山東省の済南で初めて行ったのが大明湖である。大明湖はすごく綺麗で、大きく、中に橋などもあり、中国の風情が感じられたのだが、一つだけ最悪だったのが、湿気である。夏真っ盛りの中国は、私のイメージでは乾いていて、ものすごく紫外線が強い、という感じだったのだが、大明湖はさすが湖なだけあって、湿気がものすごく、それが気温の高さも相まって、正直最悪な気候になっていた。汗か水蒸気か何だかよく分らないほど、服が湿ったのをよく覚えている。 次に行ったのが、趵突泉である。趵突泉は、キレイな青緑色の水がぶくぶくと池の真ん中から湧いていて、かなり驚いた。温泉ではなく、ただの泉であることにもっと驚いた。しかし、かなり人でごった返していて、月曜日なのに…と思った。 昼ごはんは客よりも従業員が多い、という謎のレストランで食べた。とにかくやたら極彩色で、広かった。大きな饅頭が出て、ビックリしたのもここ(子供の頭一つ分ほど)。
その後、行ったのが山東省博物館である。山東省博物館では、とても貴重なものをたくさん見ることができた。中でも孫子が書いたとされる竹簡があり、感動した。しかし、相当膨大な量の展示物があったので、ほどんど時間内では見ることができなかった。私はガイドさんの説明を聞きながらまわっていたのだが、先生たちは説明なんかいらないようで、自由に歩き回っていた。さすが、先生…。(若干ガイドさんが呆れ気味であったことは伏せておく)なお、この博物館はオリンピックのために向けて改装中であった。中国、力入ってんなー…。 それから見に行ったのが、大黄河である。黄河、と地面に大きく描いてあったものの、正直私のイメージである黄河とはかなり違い、結構川幅が狭かった…。し かも金さんの話によると、春頃はもっと狭く、歩いて渡れるんじゃないかと思った、ということである。確かに、砂が若干黄色く、黄河という感じがしたものの、なかなかショックを受けた。ゆ、悠久の流れが…。ちなみに、釣りをしている人がいて、何が釣れるのか非常に気になった。あと、喧嘩をしている夫婦もい て、何気に面白かった。
その後、約二時間かけて、孔子さまのふるさとである、曲阜へ行った。曲阜は済南よりもさらに田舎の方で、孔子さまのふるさとじゃなかったら、かなり寂れて いたでしょうね、と金さんに言われていた。すぐ、ホテルに向かったが、外国人向けのホテルの中はとても可愛くて、この旅行中一番居心地が良かった。唯一二階までのエレベーターがないことだけが口惜しかった。
夕食まで時間があったので、みんなで街中を散策した。街中は馬車などが闊歩していたり、Adidas のパクリらしいAdivonという店や「名古屋」という意味のわからない店があったり、みているだけでも楽しかった。あと、ちょっと門のようなものから外に出ると、夕日と柳と川のある綺麗な景色が見れて、とても中国の雰囲気を漂わせていた。その後、もう閉まっていたが、孔子さまの弟子である顔淵のお寺に 行った。お寺の前には様々な屋台が出ていたのだが、その中に普通に狗肉が売っていて、思わず戦慄した。(しかもその屋台の前を白いふわふわの犬がうろうろ していて、私は気が気ではなかった。どうやら赤犬しか食べないらしい。文化の違いって怖いなー。)
孔子さまのふるさとである曲阜の夕食はその土地の郷土料理であった。しかし、こんなことを言ってはいけないとは思うが、あまり美味しくなかった…。とにかく初めての味のオンパレードで、味覚が少し麻痺しそうだった。
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<8月21日(火)>
そしてついに今回の旅行の最大の目的である(?)泰山に足を向けた。驚いたのはその様子。山頂1540M。もちろん富士山なんかと比べれば全く低いことは明らかであるが、山肌や霧がかった感じはまさに中国最高の山と言っていいと思った。歴代の皇帝がのぼり、中国の国民が一生に一度は登りたい、という泰山に 登れるのか、と思うと自然と私の気持ちは高揚した………と言いたいところだが、その時の私の気持ちは完全に「たけぇーー…。や、やっぱりロープウェイにしようかな…」であった。何しろ、皇帝ですら籠を使えなかったほどの急な階段が山頂まで伸びているのである。900Mまではバスで行けるものの、(ちなみに このバスの運転は相当乱暴で、ほぼ絶叫マシン状態だった)「絶対ムリだ」。そう思った。しかし、ロープウェイ組はHモトさんとHンダ先生と金さんだけである。そこにいくら女とはいえ、一番最年少の私が入ることは雰囲気的に許されないだろうと思い、思い切って行くことにした。ヤバくなったら、「私の屍を越えてゆけ」とYっちに言うことだけを決めて。
登山中は、本気で私の膝が大笑いしていた。一歩踏み出すごとにガクガクするので、ちょっと平らなところに出るたびに石の上で休憩せざるを得なかった。とりあえず、もっとダイエットしておけばよかった、と心底そう思った。二回生の男の子たちとHワラ先生は馬鹿みたいに元気で、あっという間に見えなくなった。 残った他の先生たちはさぞや(私並に)疲れているだろうと、先生たちを見たとき、私は泣きたくなった。Yムラ先生は平気な顔で様々なところを写真撮っていたから遅れていただけで、歩きだすとかなり速かった。それからSタニ先生はペットボトル二本を両手に持って「疲れたなー」とは言っていたものの、私から見るとかなり平気な顔で登っているし(しかもここからは仙界である、という門の下で「一人でもセンニン…」などというダジャレで私を抱腹絶倒させた)、さらにKセ先生はというと、馬鹿みたいに疲れている私を気遣って、「大丈夫?」と言いながら笑顔でゆっくりと登ってくれた。Yっちはと言えば、もっと速く登れ るはずなのに私をずっと待ってくれて、最終的には「荷物持ってあげようか」とまで言わせてしまう始末。ほ、本当に皆さんすみませんでした…。
なお、この登山中に心に残った人間模様というか中国だな、と感じた出来事を紹介したい。 とまあ、色んなことがあったが、Yっちや先生たちに憐みの目を向けられ、励まされながら、ようやく登りきった。あまりの嬉しさに全く話したこともないガイ ドの周さんに思わず握手を求めてしまった。そして周さんは帰って行った。今思えば、先に登って行ってしまって、後ろの安全確認も何もしなかった、というものすごい人であった(しかも泰山に登るのは初めてだったらしい)。頂上の景色はものすごくキレイで、達成感と共に本当に最高だった。山頂のホテルに泊まったのだが、キレイなホテルで、山頂にあるとは思えなかった。タオルで20元をとられたり、夜の8時以降しかお湯が出ない、ということは抜きにしておく…。夕食では「女の子があの山を登ったのは偉い!」と言って、金さんがスプライトを奢ってくれた。金さんの親切心が身にし みた。明日は朝日を見るため、とりあえず早く寝た。
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<8月22日(水)> 朝4時起床。早すぎて厳しいよ…。とにかく外は寒い、ということなので長そでのジャージで外に出た。まさかこんな真夏に長袖を着ることになろうとは 思わなかった。しかし、寒い!!外はとんでもなく寒かった。もしTシャツなんかで外に出ていたら多分凍死していただろう。その上、山頂付近は霧が猛烈にかかっていて、歩いていても少し先はもう真白で何も見えなかった。さらに辛いことに、何十分も待ったのに、朝日は拝めなかった…。一体、この山に何しに来たんだ、と思った。そして追い打ちをかけるように、霧のせいで髪の毛どころか全身がずぶ濡れ状態になった。霧ってすごいな、と思う前に切なすぎて挫折しそうになった…。その後、少し休憩して、朝方は風が強く、止まっていたらしいロープウェイで無事に下まで降りた。ロープウェイはとにかく傾きが急で、ビクビクしていたら、Kセ先生が「丈夫ですねー」とか言いながら揺らし始めたので、それこそ死ぬかと思った。Kセ先生は意外とSだと思った。
山を降りると、すぐに泰廟に向った。泰廟には貴重な壁画が残っており、少しお金を払うと目の前で見ることができ、感動した。なお、泰廟には日本語を勉強しているお姉さんが働いていて、そういう人とも触れ合えた。泰廟の中を進むと、石碑の拓本を見ることができた。昔は拓本の許可はいらなかったらしく、日本の書道家がよく自由に拓本していたらしい。しかし、今は許可された人だけが拓本をとれる仕組みになっている。そんな貴重な拓本を見ながら、さらに進むと、二本の木の前に着いた。この木は玄宗皇帝が植えた、という伝説が残っているらしい。太く、大きな木であった。
その後、また済南まで戻った。一日目と同じホテルに戻ったのだが、その時に面白い出来事が起こった。それはYっちがホテルに両替に行ったときのこと で、ホテルのカウンターに日本円を中国元に両替してくれるように頼んだら、なぜかホテルに断られた。理由は「WEATY(湿っている)」らしいが、全く湿った感じがしない。ごねていると、Yムラ先生が来て色々と中国語で説得してくれたが、やっぱりその一万円はダメだということで、他のお札(千円と五千円)にしたら、ようやくYムラ先生の気迫に圧倒されたのか、両替してくれた。その後も、ライトで透かしてみたり、従業員総出でなぜかそのお札たちを調べていて、何でこれほど疑われるのか謎だった。もしかして、旧札しか見たことがなかったのだろうか…。とりあえず、思わず笑っちゃうような出来事であった。 その後、金さんお勧めの足つぼマッサージに行った。とにかくものすごく気持ちよくて、やってくれている男の人とは言葉が通じず、何にもコミュニケーションはとれなかったが、とりあえず、ジェスチャーと英語で何とか「GOOD」を伝えた。途中でビンの中に火をつけてそれを足に当てられたときは、足を燃やされる!!と思ったが、ビンにかかとが吸引され、なかなか気持ち良かった。足つぼってこんなマッサージだっけ…?と思ったが、スイカやお茶も出て、すごく気持
ちのいいマッサージ屋だった。これで登山の足の疲れもとれたと思う。
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<8月23日(木)>
ここで新しくガイドの単さんが合流し(金さんもそのまま同行中)、北京に着いて初めて行ったのが、天壇公園である。様々な国から様々な観光客が来ていて、 公園内は多国籍状態だった。青空の下で青色に輝く天壇はすごく綺麗で、感動した。その後、故宮にも行ったが、全部の屋根が橙色で、どうして、こんなに色彩 が統一されているのに、キレイなんだろう、と思った。故宮の大きさは半端なくて、清の時代の壮大さを思い知らされた。一日じゃ全く回れない、ということは よく聞いていたが、それが本当によく分かった。だから一日も余裕がない私たちは真っ直ぐに通り抜けただけだった。中には科挙の殿試の試験場もあって、何だか緊張した。故宮の前にはかの有名な天安門広場に行った。中国に出発する前にお母さんに「天安門広場いってくる」と言ったら、「あれは血を吸った広場だよ」とか言われて、そのときはよく分らなかったが、後でそれが天安門事件のことを言っていたことを知った時は、何だかあの馬鹿みたいな広さの広場が急に影を落としていく ような感じがした。そして、残念ながら時間の関係でホルマリン漬けの毛沢東は見ることができなかった。ちょっと、怖いもの見たさというのもあって、見てみたかったなぁ。
夕方になって、何年か前に立命館大学で教えていたという先生のいる清華大学に行った。バスで清華大学に乗り込んだはいいが、全く食事会場に着かない。バスで移動しているのにも関わらず、である。つまり、大学内が馬鹿みたいに広いのである。立命館なんて正直目じゃない。「学生が暮らしてるからだ」とは言って いたが、そんなこと問題にならないくらい広かった。多分京都の北区か、上京区くらいある、と思う。とにかく広すぎて(しかも途中で民家を数軒発見した。何か大学に取り込まれたような感じだった…。)、全然目的の職員専用の食堂に着かず、思わずぐっすり寝てしまった。ようやく着くと、もう先生が待っていて (とてもキレイな女の人であった)、先ほど食堂と言ったが、ほぼレストラン状態の素晴らしい食堂に案内してくれた。先生の奢りらしく、さすが北京なだけ あって、辛いものも多かったが、すごく美味しくて、感動した。これ全部奢りですか、先生…。謝謝です!途中で自己紹介があったが、何とか覚えたての中国語 で対処した。緊張しすぎて死にそうになった…。
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<8月24日(金)>
その後、明の十三陵に行った。一番有名な(多分)像がいっぱい並んでいるところは行けなかったものの、皇帝のお墓を見ることが出来た。もう棺はないのに、たくさんのお金が投げ込まれていて、驚いた。 そして、夕食。ついに念願の全聚徳の北京ダックを食べることが出来た!!目の前でシェフが切ってくれ、ものすごく美味しくて言葉にならなかった。お土産に北京ダックを買って帰ったが、正直全然おいしくなくて、家族にも馬鹿にされ、相当ショックだった。
翌日、無事に日本に帰国。
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