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旅行記

 T.S さん

はじめに

私は中国古典文学に携わりながら一度も中国の地を踏んだことがなかった。それは衛生面などにおいて不安があったためであるが、今回は私の専門分野と深い関係のある北京にも行くということを耳にし、不安を抱きながらも参加に至った次第である。

 


1、京都発~鄭州着まで(9月1日)

下宿を出たのが九時、鄭州のホテル到着が二十二時過ぎであったので、初日は移動日であった。当然移動中は退屈で、機内放送もあったが、私の中国語の能力では全てを理解できたとは言い難い。
その国によって独特の臭いがあるというが、中国の場合は中華料理の調味料の「八角」である。北京の空港に到着後、簡体字の看板も目についたが、それ以上にこの臭いの印象は強烈であった。
空港では見るものすべてが斬新で、特に中国の飲料に強い興味を覚えた。中国食品には不安を抱いていたが、「可口可楽 健怡」(ダイエットコーラ)の面白い表記に魅了され、購入。価格は三~五元であったかと思われる。恐る恐る飲んでみると、日本のコーラと変わらない味であり、拍子抜けした。

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ペットボトル大集合

かくして無事鄭州のホテルに到着したが、ビールのぬるさには閉口した。聞くならく、中国人は冷たいビールをあまり好まないとのことである。

 


2、河南省での4日間(9月2日~9月5日)

旅行後、莫大な写真データを整理したが、河南省の場合、石像や墓誌が目立つ。これは我々の見学先を端的に示しているといってよい。今回の中国旅行の目玉は何と言っても北宋陵の全制覇にありと言われていただけに、その価値は十分にあった。

 

2-1、北宋陵制覇(9月2日)

我々はわずか一日にして全北宋陵を見学するという荒行をなし得た。古今、一日で北宋陵制覇を試みた者がいたであろうか(いや、いない)。とにもかくにも、前人未踏の大業であることだけは確かである。

北宋陵は「永昭陵」や「永定陵」のように整備されているものは少なく、畑の中に埋没しているものが大半を占める。後者の陵は過去の時間の中に取り残されているようで、何だか物悲しく感じられたのは私だけではあるまい。

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整備された永昭陵

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丘に登れば墳墓が見える(永昭陵)

草むらの中に埋もれている(永厚陵)

墓道には石像が立ち並ぶ(永定陵)

畑の中の永昌陵

畑の中からこんにちは(永昌陵)

永安陵では豫劇が上演されていた

余力があれば墳墓に登る(永安陵)

畑の中の永熙陵

由緒ある北宋陵も畑となってしまう事実を目の当たりにし、「古詩十九首(其十四)」の「古墓犂かれて田と為り、松柏嶊かれて薪と為る」の句が思い起こされたが、相次ぐ移動のためにその余韻に浸るひまもないほどであった。

 

2-2、光武帝・黄河・王鐸故居・杜甫墓・顔真卿墓などの見学(9月3日)

河南省偃師では北宋陵ばかりを見学していたのではない。印象に残ったものを写真とともに取り上げて簡単に紹介していこう。

○漢光武帝陵

漢光武帝とは、後漢中興の祖といわれる劉秀を祀ったもので、「光武」とは彼の諡である。さてこの漢光武帝陵であるが、大変きれいに整備がなされ、かつ広大である。その広さたるや、以下の写真をご覧いただければ想像に易いのではなかろうか。

参道の門柱と長い参道

光武殿からの眺め。いとよし。

宋代の碑(拓本)

清・乾隆51年の碑

北京で見学した明十三陵しかり、清の乾隆年間には歴史的人物の碑が盛んに建てられた時期なのではないかと思うほど、その数は多い。

 

○黄河

漢光武帝陵から黄河が近いというので、ガイドさんに案内していただいた。黄河は大変広大で、釣り人や船を漕ぐ人もおり、そののどかな光景は唐詩のようだと思った。

 

○王鐸故居

王鐸は明末から清初にかけての書家であるが、同時に高官でもあったらしく、その邸宅は広大な敷地を誇り、往時の繁栄ぶりをしのばせる。

大きな看板が飛び込んでくる

何とも重厚な門

建物と植木のコントラストが美しい

王鐸の肖像画

 

○漢帝墓(後漢明帝陵・漢安帝陵)

漢の陵墓はさすがに北宋に比べると残っているものは少なく、主に墳墓を残すのみであった。写真をご覧いただければわかるが、畑や景色と同化しており、なかなか気がつかない。

少し見ただけでは墳墓だとわからない(後漢明帝陵)

 

○漢魏洛陽故城址

漢帝墓に次いで、時代の近い漢魏洛陽故城址を訪れた。石碑には「内城城垣遺址」とあるが、漢帝墓以上に残っているものが少なく、その地形から当時の様子を推測することくらいしかできないようである。

今は畑となっている

 

○杜甫墓

杜甫墓は何と中学校の敷地内にある。南京には阮籍墓があるが、その阮籍墓もまた中学校の中にあるという。

清・乾隆55年の石碑

こちらは杜甫の祖父・杜審言の墓

杜預の墓まであることには驚いた

 

○顔真卿墓

先に挙げた王鐸よりも顔真卿のほうが我々には馴染みがあるのではなかろうか。彼の墓は民家が密集する場所の近くにあったが、何せカボチャ畑となっており、伸び放題の草と蚊が我々を迎えてくれた。

顔真卿墓

 

2-3、偃師商城博物館・杜甫陵園・康百萬荘園・鞏県石窟(9月4日)

○偃師商城博物館

この博物館では青銅器などの出土文物のほか、各種石碑および拓本を中心に展示され、特に石碑・拓本のたぐいの充実ぶりには目を見張るものがあった。その中には『史記』でも有名な伯夷・叔斉の石碑(清・乾隆15年)もあり興味深い。

博物館外観

青銅器

西晋・左思の妹の墓誌銘(拓本)

○杜甫陵園

杜甫陵園入り口の看板によると、ここは杜甫とその息子の宗文・宗武の三人を祀ったものであるという。中に入ってみると、そこには石碑が二つあり、手前側が清の乾隆のもので、奥のものが康煕年間に建立されたものである。

杜甫の像

手前側。清・乾隆年間のもの。

奥のものは更に古い康煕年間建立。

 

さて、我々は先の偃師商城博物館で拓本を沢山見学してきたわけであるが、思いがけずこの陵園において拓本をとる光景を目の当たりにすることができたことは実に有意義であった。

拓本をとる様子

○康百萬荘園

康百萬荘園とは、明清にかけて河南省鞏義県を中心に莫大な富を誇った康氏の邸宅である。が、邸宅という言葉では済まされないほどの広大な敷地であり、あたかも一つの集落ほどの規模といっても過言ではない。

康百萬荘園入口

いかめしい屋敷が建ち並ぶ

屋敷はさながら迷路のようだ

康氏肖像

○鞏県石窟

古代の青銅器から皇帝や文人の陵墓、そして近代の大豪邸に至るまで様々な名所を有する河南省は実に観光に事欠かない。私自身驚いたことであるが、なんと石窟まであった。

保護のために屋根が設けられた

北魏の頃のもの

歴史の長さを感じさせる

細やかな細工がなされている

切立った崖の下に石窟がある

 

2-4、思わぬできごと(9月5日)

思いがけない出来事が起こるのも旅の楽しみの一つであるが、今回の場合は度が過ぎた。というのも、搭乗予定の飛行機が遅れに遅れ、鄭州空港で約七時間もの足止めを余儀なくさせられたのである。航空会社も気を遣ってくれたのか弁当とお茶を配ってくれた。が、このとき配られたお茶が私にとってはくせ者であったので、ここに示したい。

そのお茶たるや、緑茶ではあるが「加糖」である。しかも極めて人工的な味である。参加した学生の中にはむしろ美味しいという者もおり、味覚は人によるものだと再認識したことはいうまでもない。よく言えば「午後の紅茶」のストレートティーに近いが、私の印象では芳香剤を飲んでいるようであり、最後まで飲めなかった。今後、中国に旅行される方は是非とも挑戦していただきたい。

鄭州空港で足止め

北京のホテルに到着したのは23時ごろであったが、宿舎内の売店で飲料を見てあまりの物価の違いに驚愕したことは強調しておきたい。

 


3、憧れの北京にて

冒頭に示したように、私は北京に惹かれて今回の中国に参加した。やはり関心のある土地だけに北京での3日間は河南省以上に強く印象に残っていることはいうまでもない。
さてその北京は急速な近代化が進む一方で、鼓楼(元のころのものだという)をはじめ、明清や民国時代の歴史的建造物も残されており、大変魅力的である。だが惜しいことに、四合院などは年々損なわれつつあると北京生まれのガイドさんは嘆いておられた。

北京奥運会でおなじみの「鳥の巣」

四合院?

街中は予想以上に自転車、バイクが多い

 

宿は北京でも屈指の繁華街である「王府井」にあり、日本で言えば銀座くらいに相当するであろうか。

宿はこの書店のすぐ裏

北京のマクドナルド第一号店

 

3-1、万里の長城・明十三陵(9月6日)

我々が今回北京で回った名所・名跡は、定番中の定番とのことである。しかし、初めて中国旅行をする私にとってはかえって都合がよかった。以下、写真をまじえながら紹介していこう。

 

○万里の長城(八達嶺)

研究室のある先輩は、万里の長城のTシャツを誇らしげに着ておられる。聞けば以前万里の長城で購入されたとのことであり、私は現地で確かにそれを見かけた。帽子をはじめ、同じような商品をいくつも目にした。が、高価ゆえ購入には至らなかった。
さてこの万里の長城であるが、登頂口には男坂と女坂の二種類がある。女坂のほうが緩やかであり、観光客も自ずと緩やかなほうを選ぶことが多いという。だが、我々は敢えて男坂を選択し、大いに「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の実践に努めた。

右手に見えるは女坂

いざ登頂

これでもまだ麓(男坂)

連綿と続く城壁

絶景かな

小休止

昨晩の睡眠不足から思うように登頂できず、恥を忍んで途中で下山することとした。それにしても外国人観光客の多さには驚く。

恥ずかしながら早めに帰ってきました

○明十三陵および神道

明十三陵は幾つかに分かれており、今回我々が訪れたのは神宗のもの(定陵)である。これまで見てきた北宋の皇帝の陵墓も実に広大なものであったが、明十三陵はそれを凌駕する広さであった。

定陵入口

定陵までは意外と距離がある

巨大な石碑

定陵

この門を出るときに大声で叫ぶと縁起がよいという

地下にも墓がある

万暦帝のものらしい(地下)

神宗陵の石碑

 

次いで十三陵神道に向かった。この墓道は1キロも近くあるという。日本に比べれば幾分か涼しいが暑いことに変わりはなく、このような暑さのもとでの見学は実に体力を消耗した。くれぐれも熱中症には注意されたい。

中国の皇帝陵の墓道には必ずといってよいほど人や動物の石造が建てられている。明十三陵神道の石像は比較的新しいもののようで、色が大変白く、墓道に沿って植えられている青々とした柳とのコントラストが実に美しかった。

文官

麒麟

大変長い墓道。青々とした柳

さらば十三陵

この日の見学先は万里の長城と明十三陵の二つに過ぎないが、かなりの距離を歩いたために実に快眠であった。

 

3-2、故宮・景山公園・頤和園・天壇・全聚徳(9月7日)

○故宮

天安門

故宮の入り口(天安門)には、かの有名な毛沢東の肖像が掛けられている。恐る恐る門を入ると、いくつもの門で仕切られており、広大ではあるが同時に圧迫感も覚えた。

門を入るとまた門

 

いかめしい門に圧迫感を覚える

物売りのおばさん登場

中は大変広い

故宮の中を進んでいくと、「武英殿」がある。ここで編纂された書物は「殿版」とも呼ばれるが、中国の古書に興味をお持ちの方であれば一度は耳にしたこともあるのではないだろうか。

憧れの武英殿

武英殿の中では「故宮歴代書画展」のほか、明清の古書も展示されており、大変魅力的な場所であった。できれば一日中見ていたいものであった。

太和殿の前に行くと、改めて観光客の多さに気づかされる。中国以外の観光客が多いのかと思えば、中国の農村部から来た観光客も多いようで、その様子は、かつて日本人が大挙して大阪万博に押し寄せた光景と似ているように思われた。

太和殿前

さらに進んでいくと、映画『ラストエンペラー』で見覚えのある場所に遭遇する。

さすがに出口も近づいてきたのか、景山公園も大きく見えるようになってきた。

 

○景山公園

故宮の中を進んでいくと、初めは全く見えなかった景山公園が次第に大きく見えるようになる。この景山公園からは故宮や北京の街が一望でき、大変景色がよい。だが、景山公園は明末の崇禎帝が追い詰められた末に殉死した場所でもあり、悲しい一面もまた持ち合わせている。

景山公園入口

登山開始

崇禎帝殉死の石碑①

崇禎帝殉死の石碑②

階段を登れば萬春亭という建物がある

故宮を一望

鼓楼も見える

かつての商務印書館

○頤和園

昼食後、我々は頤和園を訪れた。重々しく鎮座する仏香閣を背景として満々と水をたたえる昆明湖がそこにあり、その景色はまことに風光明媚の言葉が似合う。身近な場所に喩えるならば京都の嵐山のようなところである。
頤和園の歴史は古く、金のころまで遡るといわれている。なるほど、耶律楚材の祠があるのも理解できる。

頤和園入口

耶律楚材の祠

彼方に見えるのは仏香閣

仏香閣

十七孔橋

蓮の花も美しい

○天壇

天壇は明の永楽帝のときに建てられた宗教施設である。ガイドさんの話によれば写真の三重の塔のような建物は「皇穹宇」(祈念殿)といい、宇宙的な世界観に基づいた建築様式であるという。

皇穹宇(祈念殿)の前で記念撮影

皇帝に非ずや?

色鮮やかである

皇穹宇

皇穹宇の内部

○全聚徳

毎日の夕食も大変豪華であったが、この日の夕食は格別であった。この「全聚徳」は北京ダックの老舗であり、前門店がその本店であるというが、我々が行った和平門店にも中国内外の要人の写真が華々しく飾られ、実に重厚な雰囲気の店であった。

全聚徳和平門店

重々しい看板

料理はフルコースであり、これでもかと言わんばかりに北京ダックを堪能することができた。またビールはご当地の「燕京ビール」であり、その濃厚なる味の虜となった。

歓談のひとこま

北京ダックの醍醐味は、何といっても目の前で勢いよくアヒルに油をかけ、それを包丁で裁くところにある。

俎上のアヒル

見よやこの光沢!

こうして裁かれたアヒルの肉はきれいに皿に盛られる。その食べ方は、下の写真中の薄い皮に野菜と肉を載せ、特製のたれをつけて巻いて食べるというものである。

待ってました北京烤鴨!

記念撮影

○王府井観光とお茶味のスプライト

京都には新京極・寺町商店街があり、繁華を極めているが、それと同じように王府井にも数多くの土産屋が軒を連ねている一角がある。人の込み具合からいえば新京極・寺町の比ではなく、人と人の間をかきわけて進んでいくようなものであった。

人が多い!

怪しい揚物屋。ヒトデとサソリに非ずや?

先述したように、この一角には土産物屋が所狭しと並んでおり、京劇のお面や青銅器のレプリカなど、土産物には事欠かない。私も青銅器の値切りに挑んだが、思うように値切ることができず、泣く泣くその場を後にした。多少高価であっても購入しておくべきであったと今更ながら後悔している。
その後、ホテル近くのスーパーに行ったが、ここでは日本の飲料が中国名で売られており、私も幾つか購入した。その一つが以下に示す、お茶味のスプライトである。恐る恐る飲んでみると、これが美味であった。

意外とあっさりしている。日本国内での販売を熱望する。

3-3、最終日(9月8日)

○王府井観光

時が経つのは早いもので、中国旅行も最終日となった。最終日は自由行動であったが、優柔不断な私は古書街の琉璃廠をめぐるか、王府井を観光するかで迷っていた。結局、初の北京ということもあり、ホテルのお膝元の王府井をもっと見てみたいと思い、後者を選択した。

いざ王府井

王府井百貨店

この観光では土産物の購入が主であったが、昼間の王府井は夜の怪しげな華やぎぶりとは大いに趣を異にして、日本の商業区域とほとんど変わらない雰囲気であった。そのほか特筆すべき事柄としては、マクドナルド(麦当労)での昼食が挙げられる。セットが15元と安いこともあるが、フライドポテトの形状が独特であったのでここに写真を示そう。

らせん状のフライドポテト。八角の香りがしたのは気のせいか。

ようやく北京にも慣れてきたかと思えば、はや帰国である。特に北京には強い名残惜しさを覚え、もう少し北京に滞在したいという気持ちもあった。

機内食。燕京ビールのうまいこと。

 


おわりに

河南省では古跡めぐりが中心であり、いくら古いものを好む私であってもいささか辟易とすることがあったのは否めない。だが、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の故事ではないが、実際に中国に来て、北宋の皇帝陵ならばその本物の空気というものを直に感じ取ることができたことは、強い印象として残っているし、以前よりも中国が身近に感じられるようになったのも事実である。
上と関連することではあるが、驚くべきことに旅行以前はあまり関心がなかった語学留学に対し、今後機会があれば北京に短期の語学留学をしてみたいとまで考え方が変わったこともこの旅行の収穫であるといえよう。それは旅行を通じて語学の大切さ、中国語を自由に話せないことの不便さを否応無しに痛感させられたためでもあるが、京都のように古いものと新しいものとが残っている北京の街に魅了されたことも少なからず関係する。
最後になるが、冒頭にも記したように、中国旅行に対して不安を抱き二の足を踏んでいた私であったが、その不安も八角の臭いと同じく、はじめこそ気になったが、そのうち慣れてくるものであった。だから、まだ中国に行ったことがない方、特に中国に関することを学んでいる方には思い切って旅行していただきたいと思う。繰り返すが、特に北京は素晴らしいので必ず行かれることを勧めておきたい。

 


 

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