第3回 2007.4.28
もず 唱平 先生(作詞家、大阪芸術大学客員教授)
テーマ「コンテンツの現在と未来〜産業としての大衆音楽を考える〜」

講師:もず唱平(もず・しょうへい)先生

大阪育ち、作詞家。
19歳のとき、詩人・故喜志邦三氏に師事。その後、松竹新喜劇文芸部で演出助手として演劇修行に務める。
1967年から民間放送局でホームソング、TV、映画のテーマソング等の制作にかかわり、本格的に歌作りをはじめる。
最近では、関西の若いアーティスト育成のために音楽祭のプロデュースをしたり、女子高では生徒たちの感性啓発に力を注いでいる。
現在、大阪芸術大学客員教授。

―主な代表作―
「花街の母」(1973年度レコード大賞ロングセラー賞受賞、唄/金田たつえ)
「はぐれコキリコ」(2002年度藤田まさと賞受賞作品、唄/成世昌平)
「だんじり囃子」「憧れ」(2004年度レコード大賞ベストアルバム賞受賞、唄/五木ひろし) 
ほか多数

所属団体
 社団法人 日本作詞家協会 副理事長
 社団法人 音楽著作権協会 評議員 ほか多数

 

「コンテンツの現在と未来」
〜産業としての大衆音楽を考える〜


はじめに

私はJASRACの会員ですが、JASRACの会員になるにはどうすればいいかというと、なんら特別な問題はありません。誰でもなれる。しかし京都ではたったの5人しかいません。これは恐ろしいことです。たとえば東京だと千人以上います。京都ではどうして5人なのか。これが才能に比例しているとは思いません。ただ、機会が少ない。公表するという産業が、今までは東京にとても偏っていたわけです。けれど、古い言い方をすれば「時機到来」で、音楽産業のあり方が根底から崩れつつある。音楽会社にお世話にならなくてもいいじゃないか、スタジオが無くてもいいじゃないか。東京都じゃなくても、日本のどこからでも、比叡山のふもとからでも音楽が発信出来るようになる。今まではパッケージ、CDという「器」にコンテンツを入れないとユーザーに届かなかったものが、そうでなくてもいい。これが、ネットビジネスの中心になってくるのではないかと思います。たった5人でも「チャンスや!」と思えるようになることが、今日の趣旨です。

 

1.大衆音楽とは

「コンテンツの現在と未来」という大きなくくりのなかで、私の仕事現場は大衆音楽です。大衆音楽とはみなさんにとってはロックかもしれません、ほかにも演歌であってもレゲエであってもジャズであっても、同じ大衆音楽です。その大衆音楽の産業としての特徴は、100%ではありませんが、音楽著作権という「担保」です。発信したらしっぱなしではなく、音楽著作権というサポートを経て、音楽商品としての付加価値がつくというところにあります。資本としての対価を生むわけですね。伝統音楽の中でもクラシックと呼ばれる世界で、モーツァルトやベートーヴェンのもつ音楽著作権は消滅しています。彼らが活躍していた時代に、制度的に「音楽著作権」というものが社会概念として存在していたかどうかは疑いもありますが、いずれにしても、モーツァルトにもベートーヴェンにも著作権はありません。この著作権には権利として「有効期間」というものがあります。一般的にわれわれの世界では、作者が亡くなってから50年間が有効期間です。それを欧米なみに70年にしようではないかという動きもあり、私はこれに賛同している一員でもあります。音楽著作権の存続期間については50年でもいいじゃないか、もっと短い期間でもいいじゃないか、というさまざまな異論もありますが、私は50年を70年にするべきではないか思っています。産業ということになるとグローバルな発想でものを考えなければなりません。そういう意味では、やはり世界に通ずる制度が必要だと思っているからです。

音楽では、知的財産権である著作権が「ある」ものと「ない」ものがあるということを、みなさんにわかっていただきたいと思います。著作権がなくなってしまったものを「Public-domain」という言い方をします。作者にのみ音楽著作権が付与されるわけですので、いわゆる民謡などの「詠み人知らず」の世界では、音楽著作権は存在しないということになります。どんな名曲であっても、その作者が亡くなって50年以上経過しているものについては、やはり著作権は存在せず「Public-domain」と言われます。このように、著作権を有するもののみが、産業化の大きなエネルギーを生みます。著作権のない作品は産業化しないということではもちろんないことは現実を見れば分かりますが、知的財産権が発動されてそこから産業としての利益を生むという考え方からいうと、著作権を有するか有さないかという境目は、非常に大きな問題になってくるということを、覚えておいてほしいと思います。大衆音楽についてはさまざまな論があるとは思いますが、「産業化」という視点から見ると、ほとんどの大衆音楽は産業化するための音楽著作権を有しているのではないかなと思います。

 

2.音楽著作権とは

その著作権についても長い変遷がありました。音楽の著作権にもいろいろな種類がありますが、その音楽著作権を昭和14年から一括管理してきたのが、この寄附講座を提供している日本音楽著作権協会(JASRAC)です。しかし2000年に著作権等管理事業法が成立し、株式会社でも音楽著作権を管理できるようになりました。著作権の取り扱いについては、使用料を一般消費者の方々から徴収しそれを著作権者の方々に分配するわけですが、その内訳が非常に複雑なために、100円という単位でやり取りが行われます。手数料などを考えてみても、株式会社にとっては利益増大の見込みがないことをあえて行うことになるわけで、人件費、株主の意図などを考慮しても、損害のほうが大きくなってしまうのではないかと思うのです。そういう意味で、きちんと経営が成り立つような著作権の管理のあり方が、やはり必要であると思っています。これは私の見解ですが、知的財産権というのは国家の資源を守るということですので、一元管理のほうがいいのではないかなという気がしています。しかし、いかなる場面においても競争原理を排除するのではなく、あまねく認知するという立場に立ってしかるべきだとも思っています。

 

3.アジアの音楽著作権

 次に、音楽著作権というものが、日本と、そして世界レベルではどのように機能しているのかをご説明したいと思います。世界で決められた音楽著作権の位置づけというものもありますが、実際には日本が徴収分配をきちんと行っているのに対し、他のアジアの国々では、そうではないという難しい事情があります。たとえば、アジアの国々から著作権料が日本に入ってこないだけではなくて、欧米の著作権者の手元にも、著作権料が入ってきていないというのが現実で、日本や欧米のような先進国の音楽コンテンツをタダ取りしているという現状があります。みなさんも旅行でタイやインドネシアなどに行って経験されているかもしれませんが、その国で、日本の音楽商品が店頭にずいぶんと並んでいます。それらの90%以上が、音楽著作権を侵害した商品です。インドネシアであっても、フィリピンであっても、アジアの国々においては著作権に対する意識が低く、音楽著作権、知的財産権の知識が未熟であるという認識があります。ほんとうに、民度、文化意識が低いのでしょうか。

 しかし、みなさんもここでちょっとグローバルに考えていただきたいのですが、私は違う意見を持っています。たとえば私の歌をインドネシアの人が歌ったら、著作権料は管理団体を経由して私の手元に入りますし、日本でインドネシアの歌を歌ったら、インドネシアの作者側に入ります。これは当然のことのようですが、これをちゃんと守ろうとすると、不思議なことに国益に反する結果を招くことになるのです。

私がインドネシアのジャカルタのホテルに泊まったときのことです。ホテルの最上階のラウンジに行くとビートルズが流れていました。日本人を見つけると、向こうの人はだいたい「上を向いて歩こう」を演奏してくれます。しかしその音楽著作権料は、日本にはほとんどいっていません。インドネシアなどのホテルで演奏されている音楽のほとんどは、アメリカかヨーロッパか日本の曲だと思います。しかし著作権料は支払われていない。これはあくまで私の推測ですが、これらの著作権料は10億円はくだらないだろうと思います。これに対し、インドネシア側に支払われる著作権料はどのくらいなのか。たとえば、インドネシアで長年民謡扱い、つまり著作権が消滅したものとして扱われてきた音楽にグサン・マルトハルトノの「ブンガワンソロ」があります。近年になってようやく著作権が認められ、日本からも著作権料が支払われるようになりました。この著作権料を含めても、外国からインドネシアに入ってくる著作権料は500万円未満です。一方で、インドネシアが外国楽曲を演奏して支払わなければならない著作権料は10億円にも達します。その差額は9億9500万円にものぼります。しかも差額を何で払うのかというと、国民の税金で払わなければなりません。500万円はもらえますが、10億円を支払わなければならない。これ国益に反することになる。

このように「音楽著作権についてのアジアにおける跛行状態」ということについて、著作権についての啓蒙活動は絶対に不可能です。私は、この問題を解決するためには政治的解決しかないだろうと思い、経済産業省に設けられた知的財産戦略推進本部に、アジア諸国が抱える、この音楽著作権問題解決にODAを活用することを提案しました。50年間、ODAの予算の1%でいいから、インドネシアが支払うべき差額の助成金にできれば、この問題は解決するのではないかと考えたのです。これはインドネシアのために申し上げていることではなく、このコンテンツ産業界で音楽著作権が機能するために充分な状況をつくりだすためです。

たとえば、昔は言葉の障壁が大きかったので、日本語で作られた曲は日本語が理解できる人たちじゃないと分からなかった。だから、ポップスなどの流行歌の商圏を国外に求めることはできない、という固定観念をもっていたんですね。外国に売り込むようなコンテンツもないし、日本語の歌を聴く人たちもいない、という前提がありました。つまりアジアの大衆音楽シーンには適応しないという思い込みがあったんですね。しかし最近では、現地の言葉に翻訳しなくとも日本語のままヒットするということも出てきた。その現地語のまま、外国でヒットする可能性が大きくなってきました。そのときに、音楽の著作権が機能するような整備が整うことは、日本だけでなくても、アジアの諸国においても非常に重要なことになると考えられます。音楽コンテンツにともなう産業化ということを考えると、利用できるエリアを広げたり、利用者を増やすということが必要になるはずなので、そのための準備が整えられねばならないなと思っています。著作権に対する知識がアジアにおいては低いという認識だけでは、この問題は解決できないのではないでしょうか。

 

4.地方のアイデンティティ

 この、日本とインドネシア、日本とフィリピン、日本とアジアという関係は、日本国内においては、「東京と地方」という関係とまったく同じです。東京には著作権を有する人たちが集まっています。才能が東京にしかないわけではなく、コンテンツの創出はどこにいてもできるわけですが、東京に行かないと産業化の術がないという現実があります。冒頭にも申し上げましたが、JASRACの正会員数の割合は、総数1426人のうち、関東地区が1219人(東京1017人、埼玉47人、千葉40人、神奈川115人)なのに対して、関西ではたったの60人(大阪35人、京都5人、兵庫20人)しかいません。この数字が何を表しているかというと、コンテンツの創出能力があっても、発信する装置がないということです。関西にメジャーなレコード会社は一社もありません。情報を発信するということは、コンテンツをつくるということとセットになっていないと、知らしめることもできない。コンテンツの存在自身も大衆は知ることができない。この東京と地方の跛行状態を悲しいなあと思うことは、個人的な感傷にすぎないかもしれないけれど、みなさんはどのように考えているのだろうと思うのです。

 私は、文化というのはアイデンティティーがなければだめだと思います。アイデンティティーが依拠するところもいろいろとあります。自分が暮らした「空気」や、あるいは「言葉」。「言葉」はものすごく大きいですね。京都弁や大阪弁なんかは発信者のアイデンティティーの中でも大きな比重を占めていると思います。京都弁で歌をつくりたいとか、それを京都から発信したいと感じることは、とても大切なことだと思うのです。土地に依拠して作品をつくり、発信するということはとても有効な手段だと思います。東京に集まってしまうと、コンテンツに「東京」という名のフィルターがかかってしまう、つまり一元化する。私たちのつくったコンテンツが平準化してしまい、個性ではなくなってしまうわけです。私はものをつくるときに「interest」ということを一番重要視します。なぜかというと、消費者の方が関心、興味「interest」を持ってくれるかどうかが肝心だと思うからです。クオリティがいいとか悪いとかはあとまわしです。作者の強烈な個性にひきつけられるか。しかし、コンテンツの発信は東京に集中してしまっているという現状があります。コンテンツをつくっている割合は、関東と関西では実に350:1です。この実態が何を表しているかというと、大衆音楽については東京が一元化しているだけではなく、経済の動きの中で、経済効果を東京が一極集中的ににぎっている。つくったものを商品化する=産業化するという装置が東京以外にはないに等しいということの表れです。東京以外のエリアは大衆音楽の「消費地」という位置づけであって、商品を生み出す場所ではないということなのです。だから私は、知的財産権が東京以外のところで発動して新しいコンテンツをつくれるような環境づくりが大切だと思っています。その環境作りの中でここにいるみなさんが新しい大衆音楽を支えていくことが望ましいのではないかなと思います。

 これからは、ネット世界のコンテンツのあり方が大きな比重を占めようとしていると思います。そういう意味では、需要形態が革命的に変わろうとしています。ネットビジネスの中で音楽コンテンツの創出と発信をしようとすると、イニシャルコスト(=初期段階の投資)がほとんど不要になるんじゃないかと思います。そういうことになれば、東京に発信地をつくらなくても、東京以外の田舎町でコンテンツをつくり、それをインターネットで発信するということも可能です。現実的にも音楽産業はそういう方向に向かっていて、過去のオーディオレコードの生産実績を見てみると、1998年の段階では6千億超ですが、2006年には3千5百億程度です。この減少が、オーディオレコードからネットビジネスへと需要の形態を変えていることの表れだと思います。おそらくこの数字はもっと減り続けるかもしれません。


5.「大衆音楽の地方力」

 最後に、私の思う大衆音楽文化の位置づけをみなさんに述べたいと思います。大衆音楽の一番の特徴は、クレオール「creole」(*1)化だと思います。クレオール化とは、植民地に渡った植民者たちが、世代が変わるごとに植民地の文化のほうに身を寄せることです。つまり、強いほうの植民者の文化が、弱いほうの植民地の文化を食べるのではなく、逆に食べられる側になる。こういう現象が起こるのはもちろんすべてではありません。このような不思議な傾向が起こるのが大衆音楽=ポピュラーミュージックにはあると思います。私は、大衆音楽を最初に生み出したのはどこかということを訪ね歩いて、ついに突き止めたつもりなのですが、それによるとポルトガル人が喜望峰を経てアジアにたどり着いたときに、初めて混血の音楽をつくったというのです。500年前のこのときに、西洋音楽とアジア音楽が新しい音楽文化をつくりだしました。ジャズはそれより300年もおそく生まれました。さまざまな音楽シーンがあつまって、ひとつの新しい音楽シーンをつくったわけです。そのような文化発生の手本となるのが大衆音楽だと思います。その発生場所は、アメリカでもヨーロッパでも南米でもなく、アジアだったのですね。

現在はさきほども説明したような、強いものが弱いものに同化していくという現象があまり語られません。ハンチントンの「文明の衝突」には、文化の発生を文明が衝突しあうことだと展開されていますが、音楽は衝突などしません。出会いがしらや、「おもろいなあ」という感性だけで新しい音楽シーンを作り出す可能性があるんです。ワールドミュージックはそういう混血の音楽なわけです。産業としての大衆音楽というものは、ひょっとしたら今、われわれの生きる文化の中で大きなプラス要因を作る可能性があるのではないかと思います。すべてが中央集権化されているように見えますが、そんなことはないのです。私は、「大衆音楽の地方力」というものがいよいよ発揮できる時代になったのだと思っています。 

1 クレオール(creole 仏)
 中南米やカリブ海で植民地生まれのヨーロッパ人を指す。血はヨーロッパであっても現地の文化に同化した人間