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2015/2/25

No.40「さんしゃは人生の宝物」
●2010年卒業:田邉 亜沙美さん

「産社創設50周年記念ロゴマーク」最優秀賞受賞を受けて

 2014年の春に「産社創設50周年記念ロゴマーク」の公募が実施され応募しましたところ、最優秀賞受賞をいただき本当にありがとうございました。

 最初、最優秀賞に決まったことを知らせる短いメールをいただいたのですが、にわかには信じられなくて「これは新手の詐欺なのではないか」と思ったほどです。そのあと、デザインの微調整や事務手続きなど詳細事項をご連絡いただいて、ようやく受賞したことを実感し、喜びをひしひしと感じました。

 応募のきっかけは今年の春頃に、ゼミの教授である小泉秀昭先生に、勤務先での所属が営業から制作に変わったことなど近況を報告しに行ったのですが、その際に薦められたことです。そこで、早速、帰りの新幹線で募集要項を読んでいるうちにイメージが沸きあがってきたのですが、そのとき私は、ペンは持っていたけれど紙を持っていなくて、えいやっ!と、お土産の「八つ橋」の包装紙に書くことにしました。でも、デザイン出しはすんなり決まって、東京に着くころには、原案がほぼできあがりました。私は、こういう作業は集中してがーっとやるほうで、逆に長い時間をかけると迷いすぎてしまうのです。

 仕事柄、私たちはクライアントの要望や課題にどう応えるか、ということを第一義にします。今回、募集要項には「創設50周年がイメージしやすい、シンプルなデザインが望まれる」と記されていました。そこで、まずは50を中心におくことで、50周年であることを分かりやすく表現しました。黄色い部分は旗をイメージしており、「これまでの50年の歴史に旗を立て、また次の50年を目指した旗を立てる」という意味を持ち、今後の更なる発展と進化への期待感を表現しています。カラーに関しては、黄色は産社在学生の若々しく明るいイメージを、臙脂色は大学のイメージカラーを表現しています。

 また、「さんしゃ」または「sansha」や「産社(さんしゃ)」という文字には親しみがある反面、外部の人には「さんしゃって、一体何なの?」と思われてしまう可能性もあるので、私は学部名の独自性も極めて大切な要素と考え、「産業社会」という文字を旗の上に配し、さらに字体も特徴的かつユニークなものにしました。この部分に、私自身の経験もふまえて、産社が個や自主性を大切にする学部であるという思いを託しています。

変化球で叶った充実した小泉ゼミでの学部生活

 私は高校生になったころ、唐突に「テレビCMを作ってみたい」と思い立ち、カメラのCMを作るという想定で絵コンテを描いてみました。それを友達に見せたらとても好評で、みんな喜んでくれたのです。その時、私は、自分には表現への欲求があり、かつそのフィールドは「広告」であるとはっきりと感じました。その後すぐ志望校選びを始め、広告のことを学ぶことができる総合大学として立命館大学、そして産業社会学部が第一志望となりました。

 メディア系の中でも、「広告論」を専攻する小泉ゼミは私の志望ど真ん中のゼミだったのですが、ゼミに入る際の選考倍率が高いことでも有名でした。でも、私は絶対に譲れない。よって、レポートも面接も不退転の決意で取り組むことにしましたが、事前に提示された面接の事前課題は「自分を一言で表したら何か」というもの。この段階で既に広告論の手法が使われているのですが、当時の私は、自分のことを、言葉でしかも一言でなんてとても言い表せないと思い、悩みに悩んだ結果、変化球を投げることにしたのです。

 「私は『ちびまる子ちゃん』です」と宣言しました。集団面接ですから、周りから笑いが沸き起こりました。でも私はそこで臆せず続けました、「『ちびまる子ちゃん』はドジでおっちょこちょいで、失敗も多いけれど、とても家族・友達思いの人間。飄々としているようで実は芯があり、人生にまっすぐに向き合っている」と。その表現、あるいは勢いが評価されたのか、無事、小泉ゼミに入ることができました。

 小泉先生は、広告業界で活躍した後、大学の教鞭を取ることになった経歴もあって、私たちにも「『先生』とではなく、『秀さん』と呼んでほしい」とおっしゃるような方であり、ゼミ生はみんなフランクな関係を築くことができたと思います。ところで、秀さん自身はとっても優しいのですが、ゼミの演習として出される課題はめちゃめちゃハードなのです。それは、ケースメソッド的に広告コミュニケーションのプレゼンテーションを行うというものなのですが、私たちはグループを組み、かなりの時間をかけてプラン作成に取り組みます。どのグループにとってもこのプレゼンは『負けられない戦い』。私自身ももちろんそうですが、ゼミ生みんなが負けず嫌いで自律的で厳しく、この「戦い」に真剣にコミットするため、サークルやバイトを辞めた人もたくさんいます。学生だから、という妥協は一切ありませんから、プランの作成をめぐってグループの仲間とは本気で喧嘩することも度々。発表前は、閉館時間まで以学館のラウンジで粘り、その後は誰かの部屋に押しかけてというような具合で、2.3日徹夜もざらでした。

 印象深い思い出として、大失敗した話しがあります。立命館、同志社、関西学院の「広告論」のゼミが集まる『3大学交流戦』というプレゼン大会があるのですが、その本番の際、徹夜で作り上げたパワーポイントのデータをメンバーの一人が忘れてきてしまったのです。もはや取りに戻る時間はなく、本来データで表現していたビジュアルを、ホワイトボードに手書きで書くという荒業で乗り切りました。その結果は2位。状況を考えれば善戦なのかもしれませんが、ビジュアルデータがあれば1位だった可能性があるわけで、メンバー全員が悔し涙を流しました。でも、誰もデータを忘れたメンバーのことを責めませんでした。だって、プランの作成にむけて濃密な時間を共にして、良いところも悪いところも知り、家族以上の付き合いをしてきた仲間なのですから。私たちは、これらの活動を通じて助け合うことの大切さを実感しましたし、またピンチを機転で切り抜ける方法も学ぶことができました。これは実社会で活きる知恵です。これらのおかげで、OBOGとなった今も、メンバー、そしてゼミ全体がみんな仲良しです。なお、この話には余談があって、実は1位になったのは同じ小泉ゼミの別のグループなのですが、彼・彼女らに言わせると「そちらにビジュアルがあったとしても、自分たちの『勝ち』はいささかも揺るがなかった」との事。やはり今でも悔しいです(笑)。

そして今に。。。

 大学卒業後、新聞社系列の広告代理店に就職。最初の1年間は出稿関係の業務を経験し、その後3年間は営業担当として仕事をしました。クライアントの中には、首都圏の私立大学などもありました。これらの仕事は刺激に溢れ面白かったのですが、私はやはり直接に制作に挑戦したい気持ちがあり、いろいろ自分なりに勉強していたところ、この春に会社にWebクリエイティング部門が設置されることになり、幸いにも異動願が認められ、晴れて制作の仕事を担当することになりました。まだ分からないこともたくさんあり、「日々、鍛錬鍛錬」と唱えながらも、楽しく仕事をしています。

 産社を卒業された方たちは、個性が強い人が多く、一見バラバラであるようにも見えますが、何か「軸」となるものがあると、途端に一致団結できるようなところがあると思います。また一匹狼を気取りつつも、人と関わるのが実は大好き、という人も多いです。私自身がそうだと思いますが、こうした産社の雰囲気がとても好きです。産社の現役学生のみなさんには、こうした雰囲気を濃密に体験するためにも、ぜひともゼミには入ってほしいと思います。そこで得るものは膨大にありますし、きっと人生の宝物になりますよ!

●田邉 亜沙美(たなべ あさみ)

卒業年月日 2010年3月 卒業
出 身 地 広島県
現 住 所 東京都
勤 務 先 ㈱読売エージェンシー
ゼ ミ 名 小泉秀昭ゼミ
所属サークル
団 体
フラダンスサークル Hawaiian Circle meahula(メアフラ)を結成